まずは堀野君視点から。
『票に託されたファンの夢、想いを力に変えて走るグランプリレース、宝塚記念!
上半期の決戦、そしてホシノウィルムの夏の国内最終レース……ついにこの日がやってきました!
去年、史上初めてクラシック級でこのタイトルを勝ち取った龍は、続けて連覇という次なる奇跡を起こすことができるのでしょうか?』
『ホシノウィルムにとっては、同時に史上初の春のシニア三冠もかかったレースでもあります。これを達成すれば国内最強という称号は決して揺るぎないものとなるでしょう。今も観客席からは大きな期待が声と熱の形で伝わってきます。
果たして勝つのは常識破りの灰の龍か、それとも彼女を破って新たなトゥインクルシリーズの主役が現れるのか』
担当2人とコツコツトレーニングを重ねている内に……。
ついに、この日がやってきた。
G1、宝塚記念。
ホシノウィルムにとって、凱旋門賞以前の最後の国内レースとなる、決戦の日だ。
レースの舞台は阪神レース場。
中央トレセンから車を飛ばしても数時間かかる、そこそこの遠征となる。
移動中はまともに手足も伸ばせない。ウマ娘によってはそれだけでも調子を崩してしまうこともあるんだが……。
こと俺のウィルには無用な心配だ。
今日も今日とて、ホシノウィルムは絶好調。
先程控室で別れた時も、満面の笑顔で「最高の走りを更新してきますね!」と、鼻息荒くむふーっとしていた。
思わず苦笑が漏れてしまいそうになるくらい浮かれている様子だったが……。
だからと言って、レースに集中できてないわけじゃないのがウィルの面白いところ。
「アプリ転生」で見ても、俺自身の目で見ても、今の彼女は最高の状態。
天皇賞(春)の時点から更に問題点を解消し強みを伸ばし、ステータス的にも大きく成長している。スキルも新規に習得し、勿論調子も「絶好調」だ。
正直なところ、彼女というウマ娘をここまで育てたことを自慢にすら思える、良い仕上がりだった。
彼女は間違いなく、俺と彼女で作り上げた「ホシノウィルムの走り」、その現時点での最高到達点を見せてくれるだろう。
そして、だからこそ……。
同時にそれが、恐ろしくもあったんだが。
* * *
「それで、今回の分析はどうなの?」
ターフの状態を観察していたところで、横から声がかかる。
見れば、買って来たばかりのアツアツのお好み焼きを呑み込んで、隣にいる昌がこちらに視線を投げて来ていた。
察するに、いつも通りレースの分析を話せということだろう。
もはや毎度恒例の質問なので俺も疑問を挟むことはなく、先程見たパドックでの様子も含め、今判明している情報から推察できることを口にする。
「まず、先月の作戦会議でも行ったが、改めて前提情報を共有しておこう。
今回の宝塚記念の最大の特徴は、ホシノウィルムとダイタクヘリオス、メジロパーマーと、比較的珍しいはずの大逃げウマ娘が3人も揃っているところだろうね」
本来逃げ、そして大逃げは勝ちの定石ではない。
G1級の大逃げウマ娘なんて、そうそう多くはないはずなんだが……。
何の偶然か、去年の有馬記念に続いて、グランプリレース2連続での大逃げ3人態勢だ。
その上、前回とは3人中2人が別人ときた。
ウィルを育てた俺が言うのもなんだが、どうなってるんだこの周辺の世代は。いくらなんでも大逃げウマ娘が多すぎる。ブームでも来てるんだろうか。
「それぞれの実力で言えば、ダイタクヘリオスは4番人気に推されているだけあって、これまでもマイル区間で何度か好成績を残しているし、この2200メートルという距離ならば十分に活躍が望めるだろう。……まぁ、彼女には人気が高くなると敗北するというジンクスもあるんだが。
一方メジロパーマーは、1か月前の新潟大賞典から逃げ戦法を確立したばかりで人気も決して高くはないが、新潟大賞典の逃げ脚には鋭いものがあった。古豪で競り合いにも強い印象があるし、決して油断できる相手ではないといったところか。
そこに我らがホシノウィルム。こうして大逃げが3人もいるんだ、序盤の展開は過酷になるだろうな」
逃げウマ娘、特に大逃げウマ娘は、その多くが後続の存在感を悟らないためにこそ、大きく逃げを打つ。
つまりミホノブルボンのように、他のウマ娘の存在を感じると掛かってしまい、まともにレースができなくなるケースが多いわけだ。
特にダイタクヘリオスはその傾向が顕著であり、競うウマ娘がいれば十中八九掛かるだろう。
また先頭を走ることを主眼とするメジロパーマーは、ほぼ間違いなくそこに追従するはず。
他のウマ娘たちはそのペースに付いて行こうとして自然とレース自体のペースも上がるだろうし、先頭から番手までの距離が開けば仕掛けどころの難しいレースにもなってくる。
流石に、無制限に加速するサイレンススズカや、後半のことを考えずエンジン全開してくるターボのいた有馬記念程に、えげつない展開にはならないと思う……思いたいが。
とにかく、このレースは3人の大逃げウマ娘たちによる先行争いと、後続の子たちのそこに追従するか自分のペースを貫くかの選択から始まるだろう。
「で、その3人の中では誰がハナを切るの?」
「そりゃウィルだよ。負けるわけないでしょ」
昌の問いに、迷うことなく即答。
当然ながら、そんな大逃げウマ娘の激しいぶつかり合いでも、勝つのはウィルだ。
というか、俺たちはそのために鍛錬してきたんだ。
この春、ウィルに積んでもらった最初のトレーニングは、スタートダッシュ。
有馬記念で序盤に消耗しすぎた反省を糧とするため、そして次回サイレンススズカと競った時に確実に勝つため、ウィルにはおおよそ最速のスタート技術を身につけてもらった。
もはや序盤の先行争いでウィルより前に出られる子は、トゥインクルシリーズの中には……というか、日本の競走ウマ娘には、1人として存在していない。
それこそ夢の舞台の名バたちだって、彼女を越えることは不可能だろう。
そんなわけで、俺の読みが間違っていなければ……。
このレースはウィルが先頭を取り、それを他の逃げ、大逃げウマ娘が追う形で始まるはずだ。
で、序盤の先行争いが終われば、中盤。
1周目の坂を登ってから第三コーナー辺りまでの話になる。
「中盤の見どころとしては、ユグドラバレーやエレガンジェネラルといった先行ウマ娘たちが、どこまで距離を詰めて来るかだろうな。
序盤に空けたリードをどこまで縮められるかで、終盤に出さなければならない速度も変わって来る。しかしあまりにも中盤に気合を入れすぎれば、終盤の叩き合いに勝つだけのガッツを残せない。
後ろの子たちにとっては、その辺りの判断の難しいレースになるはずだ」
「どの子が上がって来そう?」
「3番人気のユグドラバレーは順当に強いし、気合も入ってる。恐らく向こう正面から前めに詰めて来るだろうね。
一方で5番人気、ウィルとは初の対戦になるミュシャレディも上がって来る可能性はあるけど……まぁ、彼女の場合は脚質も考慮して、上がるのは1600メートル辺りからになるか」
どのウマ娘がどこから上がって来るかは、バ群の状態やレース展開に大きく左右されるし、正直判断し辛いところもあるんだが……。
人気上位の2人はやはり確かな実力を持っていることもあり、おおよそ伸びて来るのは間違いない。
問題は、「彼女」がどう出て来るかだが……。
* * *
「ハッピーミークさんは? 彼女も強いんでしょ?」
まるで俺の想いを代弁するかのような昌の言葉に、俺は上を見上げる。
そこに広がっているのは、この梅雨の時期にして雲1つない、気持ちが良いくらいの快晴の空模様。
考え得る限り、俺にとっては展開の読みやすい、最良の状況で……。
ウィルにとっては走りにくい、最悪の状況になってしまったな。
「ハッピーミークに関しては……まぁ、『恐らくこう来るだろう』という予想くらいならあるけど」
「言ってみてよ」
「引かない?」
「引く? 自分で聞いといて引くわけないでしょ」
「序盤好スタートを切ってから内に切り込んでバ群中で6番手のポジションを確保、インを突きながらポジションキープして第一コーナーを回り、第二コーナーに入ってややしてからバ群の空隙を突いて僅かに外に出ながら5番手まで上がって直線を走り、1300メートル地点前後から更に位置を押し上げて4番手、1400メートル地点からロングスパートで一気に加速してダイタクヘリオス、メジロパーマーをかわし、最終直線時点でウィルまで3バ身、そこから更に加速して差を詰め切って来る……と思う」
「キモ」
「やっぱり引くじゃん。今のは流石に俺悪くなくない?」
手に持つお好み焼きを守るように身を捻られる。
誠心誠意答えたのにこの態度、ちょっと涙出そう。
「いやそこまで読めるのは普通にキモいから。何なの? ホシノウィルムさんじゃなくてハッピーミークさんのトレーナーなの?」
「は? 俺はウィルとブルボンのトレーナーなんだが?」
「な、なんで急にキレ気味なのよ……冗談だって」
いや全然キレてないけど。
一瞬体が火照りかけたくらいで、これっぽっちもキレる要素はないけども。
……まぁでも、真面目な話、俺だってここまで読めるのはレアケースではあるんだよね。
担当でもないウマ娘や、競う相手であるトレーナーのことを知る機会は、案外少ない。
そのウマ娘やトレーナーの性格を知らねばあちらが立てて来る作戦は読めないし、だからこそ俺は「アプリ転生」の力を借りても、相手のウマ娘の走りを完璧に読み切ることは不可能。
……不可能、なんだが。
ナイスネイチャなどごく一部のウマ娘に関しては、必ずしもこの限りではない。
それはその子、あるいはそのトレーナーが、わかりやすい最適解の走りを求めるからであり……。
そして恐らくは、ハッピーミークの走りは、その極致にある……のだと、思う。
「今回の宝塚記念に向けて、ハッピーミークのこれまでの走りを調べ直した。特に彼女が重賞に勝ち始めたシニア級1年目以降を。
その上で、わかった。ハッピーミークの走りは、大きく分けて2通りに分類できるんだ」
「2通り?」
「G1で快勝する時の、ずば抜けて良い走り。そして、G2でも惨敗する時の、凡庸な走りだ」
俺がそう言うと、昌は眉をひそめた。
「はぁ……そうは言うけど、ウマ娘って普通はそんなものじゃないの? ……いや、ホシノウィルムさんとかミホノブルボンさんみたいなごく一部の例外を除いて、だけどさ」
流石にそこはわかってるよね? と尋ねられて、頷く。
そう、ウマ娘は、いつでも最良のコンディションで走るわけじゃない。
転生特典らしき力によってその調子を管理できる俺だからこそ、そしてレースの際に絶好調を保てる彼女たちだからこそ。
あるいは、そんな彼女たちに影響を受けた者たちだからこそ、常に全力の走りができたんだ。
一般的なウマ娘は絶好調の状態でレースに臨めることは稀だし、時には不調、そして絶不調の状態でレースに出走することもある。
そういう意味で、走りの調子が良い時悪い時があるのは、決して異常なことではない。
……ないんだが。
「ハッピーミークの走りは、極端に良い時と極端に凡庸な時しかないんだ。
勿論、レースの展開や彼女の調子次第で走りの内容は変わるから、分析が難しかったが……明らかにスイッチが入っている時と入っていない時があるように分析できた」
「……うーん。言ってること、感覚的には理解できないこともないけど」
昌はそう言いながらも微妙な顔。
そんなに綺麗に好調不調が分かれることがあるんだろうか、と考えているんだろう。
うん、極めて正しい疑問だ。俺もそれは思ったし。
「それでいいと思う。というのも多分、これって領域の影響だし」
「領域……それがハッピーミークさんの領域ってこと?」
「多分ね」
俺はそこまで言って、ちらりと左を見た。
そこには、こちらに視線を向けながら、黙々と……あるいはもくもくとたこ焼きを頬張っている俺の担当ウマ娘、ミホノブルボンの姿がある。
「領域はウマ娘それぞれに十人十色。分類するにしても数々の種類がある。
ミホノブルボンのそれのようにシンプルな自身の強化もあれば、ウィルの2着目のような複雑な条件での持久力の回復と自身の強化の合わせ技のようにな」
ウマ娘の領域は、文字通りの「固有」スキル。
それぞれのウマソウルに基づく、世界に2つとないものだ。
そしてそれは、時に現実にはあり得ないような事象まで発生させる。
「そして、時に……シンボリルドルフの領域は、ライバルを理想のレーンから『弾き出す』のだという」
ルドルフの領域に関しては、俺の前世の知識にはない話だったが……。
いわゆる、練度を上げ続けた領域の昇華というヤツだろう。
この世界ではスキルも進化するんだし、領域の効果が変わっていてもおかしくはない。
というか、なんなら天皇賞(春)でテイオーがそれっぽい状態になってたしね。
「自己強化型、回復型とはまた違う、他者の行動を抑制、あるいは強制する領域……ここではわかりやすいように干渉型の領域とでも呼ぼうか。
ハッピーミークがそれを持っている可能性は、高いと思ってる」
「なるほど……?」
昌は半信半疑という感じだったが、まぁ気持ちはわかるよね。
他人から行動を強制されるとか、俺たち人間の価値観からすると、正直実感湧かない。
ただ、ウィルに聞いたところ「領域ならそれくらいはあり得ますね。なんならネイチャの2着目とかはそっち系になるかも」とのこと。
バリバリの競走ウマ娘であるこの子の感覚で「あり得る」のなら、実際あり得てしまうのだろう。非常に恐ろしいことに。
「一点、疑問をよろしいでしょうか」
俺の言葉が一区切りするのを待ち、たこやきもごもご状態から復帰したブルボンが声をかけてくる。
俺が頷いたのを見て、彼女は改めて疑問を口にした。
「ハッピーミーク先輩の走りが極めて優れる場合と凡庸な場合の2パターンに大別されるという話と、同先輩の領域が干渉型のものであるという話。この2点はどう関連するのでしょうか」
「ああ、そこは今から話すつもりだ。ありがとう、しっかりと話を聞いてくれていたようで嬉しいぞ」
人と話をしていると、結構主題を見失ったりしがちだと思うんだけど、どうやらブルボンはしっかり幹や枝葉を捉えて聞いているらしい。
何気ないことだけど、とても偉いことでもあるので、その頭に手を伸ばし、軽く撫でようとして……。
ピクリとその耳が動いたのを見て、手を止める。
「あ、悪い、不快か」
「……いえ。タスクの実行をお願いします」
「ああ」
ペタンと垂れた耳はできるだけ避けて、いい子いい子と頭を撫でる。
耳と尻尾を見るに、少なくとも悪い気はしていないようで安心。
……頭撫で、思春期の女の子からは嫌がられるってわかってはいるんだけどね。
ウィルの頭を撫でてる内、すっかり癖になっちゃってるな。
ウィルやブルボンはちょっと感性が特殊な子だからいいとしても、来年辺りから増えるかもしれない子もそうとは限らない。気を付けないと。
そう思いながらブルボンをなでりなでりしている俺を、昌は「えぇ……」というどこか納得いかなそうな表情をして見ていた。
「さて、話を戻すが……ハッピーミークの走りの良し悪しと、干渉型領域の関係だな」
そろそろ切り上げようと手を離すと、瞳にどこか寂し気な色を滲ませるもんだから、なかなか時間がかかってしまったが……。
ブルボンが満足するまで頭を撫でまくった後、改めて話を始める。
「先程俺は『ハッピーミークの走りは良いか凡庸かの両極端』と言ったが、これは本来発生し得ない。何故なら、バ群やレースの展開次第では、意図せずして良い走りになったり、その逆もまた起こり得るからだ。
特に、凡庸な走りの方はともかくとして、前者の良い走りは常に一定のクオリティを保っていた。
これは領域により他者、もっと言えばレースのコントロールなしには成立し得ないと判断した」
「レースを操る……ネイチャさんみたいなレースメイクをするってこと?」
「いや、ネイチャやスカイのアレは本人の技量、技術だし……多分、ミークのソレはもっと不可解だ」
そのレースの大雑把な流れを作る、とか。
自分の周りの集団を風除けにして詰める位置を決める、とか。
そういう、現実的な次元の話じゃない。
何度か見たG1レースの、そして彼女が走ったURAファイナルズ決勝の映像。
アレらを見て判断するに……。
「多分、ハッピーミークはその領域を完全に開けば、他の全てのウマ娘の動きを操ることができる」
シン、と。
一瞬、間が空いた。
それは恐らく、言葉を聞いても呑み込めない当惑の時間。
それが過ぎ去ると、昌は目を見開き、思わずといった感じで叫んだ。
「ちょっと待って、それ……全て!? レース丸ごと領域で操るってこと!? 何それ、領域とはいえ流石にチート過ぎるんじゃないの!?」
「昌、静かに。ここはレース場だ」
「あっ、うん……ごめんなさい」
周りの方にすみませんと軽く頭を下げてから、改めて彼女の言葉に応える。
「……うん、だいぶ法外な領域と言っていいね」
今はドリームトロフィーリーグで走っている史上初の無敗三冠ウマ娘、永遠の皇帝シンボリルドルフでさえも、領域によって相手を一時的にレーン移動させるのが限界だ。
それがバ群、そしてレース全体のコントロールとなれば、もはや離れ業と言っていいだろう。
「本当にそんなことができるの……?」
昌がそんな疑問を口にするのは、当然の結果と言えたかもしれない。
というか、俺だってこんな結論は拒みたかった。
いくら領域って言っても限度があるぞとか、そんなことされたらもうどうしようもないぞとか、弱音を言って逃げ出したかった。
でも、俺はウィルのトレーナーだ。
今すべきは現実逃避ではなく、冷静な分析である。
「彼女が抜群の走りを見せる時には、一定の法則性があった。
それは、ハッピーミークが完璧にバ群の動きを読み切った動きをしていたことだ」
「完璧にって、つまりは誰がどこで動き出すとか、誰が後ろから跳んでくるとか、そういうこと?」
「そう。明らかにそれがわかっていなければできない動きをしてたんだ」
この子がこのタイミングで前に出るからそこを突いてバ群から脱出する、とか。
後ろにこの子が付いて来てるからペースを落とさない、とか。
ハッピーミークの冴えた時の走りからは、明らかにそういう思考が読み取れた。
あの時、彼女には、見えていた。
そのレースで、誰がどう動くか。バ群がどのように推移するか。
……俺にすら見えないものが。
「レースの想定をするにも限界はある。自慢じゃないが、俺はそこそこレースを学んで来たし眼も鍛えて来たつもりだが……それでも、全てを見通すことはできない。
正直に言って、俺よりも学べる環境にいなかったハッピーミークが、俺以上に理論的にレースを予測できるとは思えない」
「……領域を使って、見通している?」
「いいや。見通すだけなら、彼女自身の走りの鋭さに、完全性に説明が付かない」
他のウマ娘の動きを完璧に予測し、自らもそれに対応する完璧な走りをし……レースを、己の意のままに進める。
それは、原義的な意味での「レースメイク」。
自分の意のままにレースを「作る」、本来は圧倒的強者にしか許されない絶技。
「結論として、最も可能性が高いと俺が判断したのは……。
ハッピーミークの領域は、『自分も含めたレース全体の動きを想定し、支配し、操り、最適な勝利のルートを辿る』もの。
変幻自在の脚質と能力を持った彼女だからこそできる、とんでもない……それこそドリームトロフィーリーグ級でも通用するレベルの領域だ」
昌は、そのあまりにも非現実的な内容に、黙り込む。
ブルボンの方は動揺していないかと思ったが……ターフを一点に見つめるこの感じ、内容の理解に思考を費やしているな。
まぁ、こればかりは動揺するなという方が無理な話。
最強のライバルと目していたトウカイテイオーとの戦いを終えた先に、まさかこれ程の相手がいたのかと、俺だってそう思ってしまったくらいだ。
……ただ、調査を徹底している俺が今更そう認識したことからもわかる通り、彼女のその力は、決して目立つものじゃない。
何故かと言えば、恐らくはこの領域、そう簡単に出せるものじゃないからだろう。
「しかしこの領域、恐ろしい効果によってのものか、かなり重い代償もあるらしい。
恐らく彼女の領域は、とんでもなく使い辛いものだ。なにせ、これを開く条件の1つは、恐らくは俺たちにはどうしようもない、天気だからね」
「は? 天……気?」
「そう、天気」
昌とブルボンが、上を見上げる。
そこには、底抜けに青く、見ているとどこまでも落ちて行きそうにすら思える、雲1つない空が広がっている。
「彼女の領域が開く条件の内の1つは、『天気が晴れであること』だと思う。
実際、これまでのレースで彼女の走りが冴えている時は、毎度晴れだった。曇りや雨の時には一度としてあの綺麗な走りは見せなかったんだ」
「偶然……じゃないの?」
「彼女の癖や嗜好を考えると、偶然ではないと思う」
領域に求められるのは、強力な効果だけではない。
いつでも使いたい時に使える、自身の走りに合った展開条件の緩さも大事な要素だ。
その点で言えば、ハッピーミークの領域は、極めてクセが強いと言えるだろう。
なにせ雨が降っていれば当然、空にある程度雲があっても、その時点で領域の展開が不可能になる。
他に領域を使えるウマ娘がいるのなら、その時点で大きく出遅れてしまうわけだ。
「……1つっていうことは、他にも条件があるの?」
「あると思う。彼女の冴えた走りは、晴れていれば必ずしもできるものではないみたいだったし。
2つの条件を満たさねば展開できないのか、ウィルの2つ目の領域と同じ2つの段階があるのかはわからないけど、両方の条件を満たさなきゃ本領は発揮できないんだろう」
「それは……なんというか、なかなか難儀な領域。その分効果が強いってこと……?」
「良い結果に高いリスクはつきものだ。それらしいことを言うのなら、より具体的で深い心象の世界を再現するためには、相応に整った状況が必要、ということだろうか」
この辺りは人間の感覚では測りきれない部分なので、チラリとブルボンの方を覗く。
「既に領域を開いたウマ娘として、あり得る話と思うか?」
彼女は数秒間の黙考の後、コクリと頷く。
「より自らの走りに適合した状況を揃えることで、洗練された領域を用いる……。確かに、現実的にあり得る話であると思います」
「そうか……」
より厳しい条件を満たしさえすれば、あれだけ苦しめられたテイオーの領域以上の効果が出てくるかもしれないわけだ。
領域というものに若干の苦手意識を持つ俺にとって、これはかなり恐ろしいことだった。
特に今日は、梅雨の時期とは思えないくらいの気持ちの良い日本晴れ。
少なくとも、ハッピーミークの領域の第一条件はこれ以上ないくらいに満たしてしまっているはずだし。
せめて2つ目の条件が満たされなければいいんだが……。
多分、そんなに都合良く事は運ばないんだろうなぁという、嫌な確信がある。
「……ねぇ、さっき兄さんが言ってた展開予想はどっちなの? その領域が開いた時? それとも条件を満たせなかった時?」
「前者だね。というか、前者だからこそ読めるんだよ。なにせ、それがハッピーミークにとって、考え得る限り最適なレース展開になるはずだから」
ハッキリ言ってしまうと、ハッピーミークのステータスだけを見れば、ウィルの敵にはなり得ないんだ。
すべてのステータスが900前半から後半で固まった平均型、弱点がないと言えば聞こえは良いが、それは同時に、特化した強さがないことも意味している。
サイレンススズカはスタミナや根性、賢さを捨て去ったスピード特化、スペシャルウィークはパワーや根性に長けた追い上げ巧者だったが、ハッピーミークには弱点がない分、彼女たちのような長所もない。
……そして何より、ウィルはもう、半年前の彼女じゃない。
そのステータスは賢さを除いて全てが1000を越え、スキルも序盤終盤と逃げの脚質にとって肝要な部分では一切の隙がない。
仮定の話をするのはナンセンスだとわかってはいるが、仮に今の彼女であればあの有馬記念だって制することができただろうと思えるくらいに、ホシノウィルムは強い。
そんなホシノウィルムに、あのスペックのハッピーミークが勝つには、どのような展開の中でどのような状態であればいいか?
ハッピーミークにとって最高の展開でレースが進み、彼女が彼女の全力を出し切れて、なおかつウィルが全力を出し切れない状態。
当然と言えば当然だが、これがベストだ。
そして、それはつまるところ、ハッピーミークにとってのレースの最適解ということであり……。
それを端的にまとめたのが、先程の走りの予想、ということだった。
「……一応聞くけど、領域を使われたとしても、ホシノウィルムさんに勝機はあるのよね?
レースをコントロールしてくるって、ホシノウィルムさん結構苦手な方だったと思うんだけど」
眉をひそめた昌が、恐る恐るという感じで聞いて来る。
いつしか動いていた箸は止まり、彼女のお好み焼きから上がっていた湯気は消えつつある。
どうやらあの子の心配で、食事も喉を通らない状態らしい。
……まったく、何を言ってるんだか、この子は。
「あの子はホシノウィルムで、俺はそのトレーナーだ。それが答えだよ」
俺はそう、確かな自信を持って応えた。
* * *
『さぁ、ウマ娘たちがゲートインしていきます。こうして見て、注目のウマ娘たちはどうでしょうか』
『2番人気の1枠2番ハッピーミークは、落ち着いて空を見上げていますね。ただ1人上を見上げる彼女の目にはこの先のレース展開が映っているのか。
3番人気3枠6番ユグドラバレー、こちらも落ち着いてレースに臨めているようです。ゲートの中で深呼吸1つ、今度こそG1タイトル獲得なるか。
そして……1番人気8枠16番ホシノウィルム、いつも通り勝気な笑顔を浮かべています。彼女の紡ぐ新たな神話に期待がかかりますね』
今回のホシノウィルムは、8枠16番。
比較的外目からのスタートで、単純な距離で言えばやや不利ではあるが……。
最初の直線の長い宝塚記念では、枠順はあまり大きく意味を成さない。
それ以上に重要なのは、彼女たち自身の実力と調子だ。
その点において、今のウィル以上にポテンシャルを持つウマ娘なんて、他に存在しない。
『さぁ、いよいよゲートインが完了。出走の準備が整いました』
ちらりと、熱に満ちた綺麗な瞳が向けられた気がした。
その視線は、必ずや勝ってみせるから私を見ていて欲しいと、そう訴えかけてきている。
ああ、見ているとも。
君の、この春、この国での最後のレース。
幾度目かの、起こるべくして起こる奇跡の瞬間を。
「行け、ウィル」
『……スタートしました!』
ハッピーミーク
『??? Lv8』
天気が晴れの時……?
うわっ……ミーク先輩の領域、強すぎ……?
次回は3、4日後。ホシノウィルム視点で、宝塚記念中編。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!