いやぁ、久々にここまで体調を崩しました。皆様は体調お気をつけて。
明らかにテンションの高いウィルとトレーニングを積むこと1週間。
ついに、その日が訪れた。
ホシノウィルムとシンボリルドルフによる、恐らくは史上最も注目される模擬レース。
あるいは、最強と最強による、エキシビジョンマッチだ。
本来、模擬レースは主催するトレーナーの主導の下で行われる。
今回の場合、俺たち側がルドルフ陣営に対してレースを申し込んだ形なので、俺が取り仕切るのが普通なんだが……。
今回のレースは、少しばかり規模が大きすぎた。
なにせ、平日の昼に行われる模擬レースだというのに、学園には何千何万人というファンがレースを見ようと詰め掛け、学園側もこれを受け入れている。
URAの公式アナウンサーやゲート、ゴール板まで導入され、もはや公式レースもかくやという規模感。
ここまで来ると、一トレーナーが取り仕切ることのできるレベルを大きく超えている。
そんなわけで、今回は半公式企画、URA主催でのイベントと相成った。
……しかし、そうなると俺たちトレーナーは少しばかり手持無沙汰になってしまうんだよな。
勿論、自分の担当ウマ娘に今回のレースの展開予想を聞かせたり、それに基づく走りのプランを提示したり、もしもの時のためのサブプランを伝えたり、万が一のためのサブサブプランを伝えたり、更に警戒を厳とするためサブサブサブプランを伝えてウィルに引かれたり。
そういったことは、先んじてやっておいたんだが……。
トレーナーの仕事は、ウマ娘を日常的に鍛え、ライバルたちの調査を行い、レースのプランを立案するところまで。
それが終わると、いざレースが始まるまでは、これといってすべきことがないんだ。
勿論、自分の担当の状態に陰りがないかとか、他のウマ娘たちの調子はどうかとか、色々と見るべきもの考えるべきことはあるんだが……。
「アプリ転生」を使える俺からすれば、それらは彼女たちを見ただけで終わってしまうことだし。
それよりはむしろ、まだ分析の済んでいないレースについて考えたり、他のトレーナーとの意見交換をしていた方がいいだろう。
そんなわけで、俺は個人的な友人でもあるネイチャのトレーナーと共に、出走前のウマ娘たちを眺めていた。
「改めて、今回はネイチャをレースに参加させてくれてありがとう。彼女のようなレースメーカーがいると、レースが一気に難解になるから、是非とも参加してほしいと思っていたんだ」
「こちらとしても、ホシノウィルムに加えて、ドリームトロフィーリーグの現役最強との実戦経験を積めるんだ。願ったり叶ったりだよ。
……というか、トゥインクルシリーズに参加していて、この模擬レースに出たがらない子はそうそういないんじゃないかな?」
「逆に自信を喪失しないよう避ける子たちもいると思うがな」
「ああ、それは確かに。ネイチャやライスがそう言うタイプじゃないから、忘れかけてたよ」
競走ウマ娘と一言でまとめるのは簡単だが、その性格は千差万別。
圧倒的な強者の存在に奮い立つ子たちもいれば、逆に大きすぎる実力差に萎縮してしまうような子もいるんだ。
ただまぁ、彼の言う通り、多くのウマ娘にとって垂涎のレースであることは間違いないのだろう。
今回の模擬レース、「トゥインクルシリーズ現役であること」「重賞で1勝以上していること」という結構厳しめの条件を設定したんだが、それでもなお、今までのどのレースより多くの参加の応募が来た。
そしてその中には、ウィルと同世代であり、彼女の良き友でもありライバルでもある、トウカイテイオーやナイスネイチャもいたわけだ。
「欲を言うなら、ライスも参加させてほしかったけどね」
「無茶を言うな。トウカイテイオーとナイスネイチャの2人を入れることでさえ、私情の入れすぎだと判断されかねないんだ。ウィルが個人的に仲良くしている上、まだクラシック級のライスシャワーまで入れれば、完全にアウトなラインだよ」
基本的に、本格化が始まってからの期間は、そのまま競走ウマ娘としての能力に繋がる。
まだクラシック級6月時点のライスは、このレースに参加するには若すぎる。
なにせ、今回のレースの相手はあのシンボリルドルフとホシノウィルム。せめてシニア級1年、可能ならばシニア級2年以降のウマ娘でないと厳しいだろう。
そういう意味では、既に本格化を終えた優駿であるミークやマックイーンが参加してくれれば、なお良かったのだが……。
残念ながら、2人からは応募が来なかった。
領域を重ねたウィルから聞いた話では、ミークの領域開放条件には、相手をよく知る必要があるらしいので、ルドルフのいるレースでは本領発揮は厳しいという判断だろう。むしろここは見学して情報収集に回るつもりなのかもしれない。
一方マックイーン陣営の判断としては、大阪杯や宝塚記念を回避するくらいだし、秋の天皇賞に向けて万が一にでも調子を崩さないように、という感じだろうか。
「しかし……夢の舞台の最強、シンボリルドルフ。実際に見てみると、やっぱりオーラがあるね」
「違いない」
今はウィルと何かを話している、シンボリルドルフ。
カメラ越しには何度も見たことがあるし、なんなら何度も話したことのある相手ではあったが……。
やはり、レースを前にした彼女は、威圧感が違う。
ある意味で、その在り方はウィルに近しい部分がある。
あの子もレース以外の時とレースの時で、全く雰囲気が違うからな……。むしろ、乖離度合いで言えばルドルフより上かもしれないくらいに。
普段あんなに普通の女の子してるウィルが、ことレースになると狂犬みたいな雰囲気を醸し出すんだから、競走ウマ娘というのはわからないものだ。
……と、ウィルのことはさておいて。
今はルドルフのことだ。
「堀野君の見立てでは、どう? 勝てそうかい?」
「……厳しい戦いになるだろうな」
思わずそう言って、眉をひそめてしまうくらいに、シンボリルドルフは掛け値なしの強者だ。
彼女は既に本格化を終え、本来はピークアウトを迎えていてもおかしくはないはずの歳なのだが……。
そのステータスは総合的に見て、ウィルの若干下。つまりは、トゥインクルシリーズの現役ウマ娘の最高峰の水準を維持している。
何故彼女がそこまで強いのかと言えば、これがなかなかに興味深い話で。
ドリームトロフィーリーグに移籍したウマ娘は、全盛期の力を取り戻すのだ。
これは、ほぼすべてのウマ娘に共通する現象。
一説には、トゥインクルシリーズを超えるハードなレースや強いライバルたちの存在が、彼女たちの魂に再び火を点ける……なんて言われてもいる。
それぞれのウマ娘が、各自の全盛期を取り戻して競う。
故にこそドリームトロフィーリーグは、異なる世代から集う優駿たちの、夢の舞台足りうるのだ。
……そして、彼女たちが取り戻す実力というのは、あくまでステータスの話に限った話で。
技術の面で言えば、何年もの間ターフで走り続けた彼女たちは、トゥインクルシリーズのウマ娘よりも格段に優れていることが多い。
殊にルドルフはその面が顕著で……。
「アプリ転生」で覗ける彼女のスキル欄は、なかなかすごいことになっている。
『鎧袖一触』『一陣の風』『ハヤテ一文字』『決意の直滑降』『烈風一閃』『鋭脚一閃』『気炎万丈』『迅速果断』『真打』『皇帝の眼差し』『内的体験』『決死の覚悟』『大局観』『神業ステップ』『円弧のマエストロ』『レースプランナー』『神色自若』『右回りの鬼』『風霜高潔』。
金の……つまり、上位のスキルに限ってもこれだけの数だ。
下位のスキルも含めれば、それはもう、とてもトゥインクルシリーズでは見ることのできない量となる。
更に言えば、彼女の領域である『汝、皇帝の神威を見よ』。
このレベルは、俺が見て来た中で最高の値である「9」。
前世アプリではついぞ見ることのなかった、システム上3年間では決してたどり着けない境地。
テイオーに続いてウィルも成し遂げたという「領域の昇華」も、当然ながら終わっているだろう。
その上、ダメ押しにもう1つ。
シンボリルドルフの持つ、もう1つの金枠のスキル……『翳り退く、さざめきの矢』。
一見しただけならば、ただの上位スキルとしか思えないんだが……。
今までのトレーナー経験から嗅覚でも育ったのだろうか。
このスキルからは、猛烈に嫌な予感がしたんだ。
……それこそ、最悪の可能性を考えてしまう程に。
「ウィルにとって、これまでのレースは、その大半が勝機の高いものだった。
だが、今回は違う。同格どころか、彼女にとって初となる明確な格上との戦いだ」
「言うねぇ。サイレンススズカやスペシャルウィークも同格だったって?」
「少なくとも、同じトゥインクルシリーズという枠組みにいた相手だったからな。今回のように理不尽なまでの差が付いているわけではない」
……それに、ハッキリ言えば、有馬記念時点でスペシャルウィークやサイレンススズカとはそこまで実力差が開いていたわけではなかった。
勿論ステータスや領域では彼女たちの方が上ではあったが、ウィルなら覆し得る範囲だったんだ。
ウィルがあのレースに負けたのは、やはり単純に、俺の不在が故だろう。
あの時、もっと早く目を覚ましていれば、俺はウィルと共にレースを制していたのだろうな、と……。
……まぁ、そんな仮定の話をしても意味はないか。
現実として、ウィルはスズカとスペのタッグの前に敗れた。それだけが事実だ。
俺にできるのは無意味な後悔ではなく、同じミスを繰り返さないよう注意することである。
「そちらはどうなんだ。ナイスネイチャ陣営としては、シンボリルドルフへの勝機は見えているのか?」
「まぁ……こんなことを言うのは担当への背信になるかもしれないけど、ハッキリ言って勝てないね。
ホシノウィルム、トウカイテイオーと来た時点でかなりの高難易度なのに、そこに永遠の皇帝まで加わるとなれば……もはや正攻法では攻略困難だ」
「ま、そうだろうな」
ドリームトロフィーリーグとトゥインクルシリーズの間には、決して埋めがたい実力差がある。
特にネイチャは、ただでさえ不足しがちな地力を策略によって補うタイプだ。今回のレースにおけるディスアドバンテージはウィルやテイオーよりも大きいだろう。
それでもなおこのレースに出したのは……その敗北こそが、ネイチャをより上に連れて行くと判断したからだろう。
そしてその判断は、俺も下したものだった。
「大切なのは、今回のレースで何を学ぶか。……せっかくだ、レースの『絶対』とやらを見せてもらおう」
* * *
『さぁ……ゲートインが完了。ついにレースが始まろうとしています』
ゲートの中に18人のウマ娘たちが揃い、レースの準備が整った。
距離は2400メートル、右回り。
天気は晴れ、バ場状態は良バ場で、これ以上ないくらいに走る土壌が整った状態だ。
そしてゲートの位置は、ホシノウィルムは2枠3番、そしてシンボリルドルフは……8枠18番。
単純な距離で言えば、ウィルに極めて有利で、ルドルフには不利な状態と言える。
だが……。
果たして、大いなる皇帝を前にして、その僅かな距離が何の意味を持とうか。
「…………」
腕を組み、静かにレースを待つシンボリルドルフは、欠片たりとも翳りを見せない。
その表情は、当然のように走り、当然のように勝つと、そう告げている。
「さて、トゥインクルとドリームトロフィー……その経験の差は如何ほどか」
『……今スタートしました!!
快調に駆け出す18人! 果たして誰がこの特別なレースを制するのか!
無敗で三冠を獲った新旧最強か! あるいはそれも下す英雄が現れるか!?』
一斉に駆け出すウマ娘たちの内、突出したのはいつも通りホシノウィルム。
誰よりも早く先頭の座をもぎ取り、勢いそのままに後続に差を付けていく。
一方でトウカイテイオーは好スタートから3番手の位置を保持。
シンボリルドルフは5番手、そしてネイチャが8番手のポジションに付いてレースが始まった。
「シンボリルドルフはやや外目に付けたね。大外枠から始まったから当然と言えば当然かもしれないけど」
「トウカイテイオーは好位置を確保。相変わらず抜群のレース勘だな……」
恐らく、このレースの展開は、中盤までは大きく動かないはずだ。
ホシノウィルムという大逃げウマ娘は、終盤になってもペースダウンしない。
彼女を追い抜くためには相当の脚か……あるいは、それこそ領域を使う必要がある。
逆に言えば、そこまでは全員が消耗を抑えるために力を使わないはず。
これまでのレースでもそうだったように、多くの場合競走ウマ娘のレースは、展開作りと末脚、領域の打ち合いによって決まる。
今回で言えば、終盤までにどれだけ足を溜めながら想定したスピードとポジションを保守できるか、そして終盤に入ってからのウィルを超える末脚と領域を使えるかで、このレースの勝者は変わって来る。
『第一コーナー入って先頭はやはりホシノウィルム! ぐんぐんとバ群に差を付けながら綺麗にカーブを曲がって行きます!
シンボリルドルフはぐっと抑えて5番手の位置、先行集団で外から追走!』
ふと思い出し、隣にいる男に訊いてみる。
「お前はシンボリルドルフの領域を見たことがあるのだったな。どうだったか覚えているか?」
「……どうだったかな。正直、当時はあまり領域っていうものを強く意識できてなかったから。
ただ、多分間違いないこととしては……このレース、終盤からは位置取りは無意味になる」
「シンボリルドルフの領域の、レーン移動か」
それについては、聞いたことがあった。
シンボリルドルフの領域は2つ。
その片方……あの緑の勝負服の領域は、「相手を強制的にレーン移動させる」、と。
恐るべき効果の領域だ。これが真実なら、彼女はたとえバ群に囲まれ進路が見えない状態からでも、何の労もなく脱出することができることになる。
勝つための領域と言うより、むしろ「運悪く負けることを避ける」ような領域。
あるいはそれが、「勝って当然」のシンボリルドルフの、絶対を保守する在り方なのかもしれないが。
『向こう正面入りまして快速に駆け抜けていくのはホシノウィルム! 彼女を追いかけるのは3バ身程離れてステンツ、更に2バ身離れてトウカイテイオー!
更に後方、5番手ではシンボリルドルフが泰然自若と走り、ナイスネイチャは7番手からレース展開を窺っている! 果たしてここから誰がどのように動くのか!?』
……シンボリルドルフのスピードは、1109。
本格化を終えた全盛期のウマ娘として見ても非常に高水準な数字だが……。
今のウィルのスピードは1126。シンボリルドルフのそれよりも、なお速い。
互いが全力でまっとうに走るだけなら、シンボリルドルフは決してホシノウィルムに追いつくことはできないはずだ。
しかし、レースとは流動的で、いつだって不測の事態に悩まされるもの。
問題は残されたスタミナ、スキルの数と練度、そして何より……彼女たちの領域の差。
『さぁ、第3コーナー入ってここからが勝負所!
トウカイテイオーがペースを上げて前を目指します! ホシノウィルムまでの距離は5バ身、果たして彼女の手は再び星に届くか!?
それとも永遠の皇帝の神威が龍すらも下すのか!?』
……レース前の、シンボリルドルフの余裕ありげな表情を思い出す。
彼女とて、ホシノウィルムの桁違いな実力の高さは理解できるはずだ。
それなのに、何故、あの表情が浮かべられたのか。
領域に余程の自信があるのか?
確かに、シンボリルドルフの領域は、俺が見た中で史上最大のレベル9。
その精度において彼女を凌ぐ者は、今この世界には1人とて存在はしないはずだ。
だが、単純な領域のレベルだけで言えば、先日宝塚記念でウィルが越えたハッピーミークとてレベル8を数えていた。
ただそれだけで……ただ1つの領域の精度だけで余裕を滲ませるには、ホシノウィルムは強すぎる。
それでは、彼女は何に自信を持っていた?
……いや。
何を、隠し持っている……?
ドリームトロフィー現役最強。
あるいは、史上最強とすら謳われるシンボリルドルフ。
彼女は、一体何を……。
『さぁ、回って最終コーナー!!
ホシノウィルムの地を滑るような超前傾姿勢に追いすがるひとまとまりのバ群!! 残る距離は400メートルッ!!』
ふと、この状況を見て、疑問に思う。
何故シンボリルドルフは、まだバ群から抜け出していないのか。
彼女のステータスやスキルから判断するに、第三コーナーから抜け出して前に出るのが最適解のはずだ。
ルドルフの領域の展開条件は、「終盤に3回他のウマ娘を抜かす」こと。
このレースにおける終盤は第三コーナー辺りからだ。
だからこそ、彼女はそこでバ群から脱出してロングスパートを開始し、より早いタイミングで先頭のウィルを目指すのが最適解だったはず。
というか、そもそも。
何故、まだ領域を使っていない?
彼女が領域を使えば、他のウマ娘たちは内から外へとレーン移動を強いられるはずだ。
その現象が起こっていない以上、彼女はまだ領域を開いていないことになる。
何故? 他のウマ娘の領域に合わせるつもりか?
……いいや。ウィルの話では、干渉型の領域は、他の領域を開いたウマ娘に影響を及ぼすことはできないとのことだった。
つまり、シンボリルドルフがその領域を展開しても、他のウマ娘が領域を開いていれば、そのレーン移動効果は喪われてしまう。
であればやはり、まだ誰も領域を開いていない、第三コーナーでそれを使うべきだったはずだ。
条件を満たせなかったのか?
いや、あり得ない。歴戦の猛者である彼女が、比較的レース経験に劣るトゥインクルシリーズのメンバーを相手に、自身の有利な条件を掴めないとは思いにくい。
なんだ? 何を……シンボリルドルフは、何を……?
「よし、今だ! 行け、ネイチャ!」
隣から、担当の背を押す声援が聞こえて……。
チリ、と。
脳内で、火花が散った気がした。
「……マズい」
「え?」
何故、シンボリルドルフが、ここまでバ群を脱出しなかったか。
ウマ娘が終盤に特異な走りをする理由など、1つしかない。
……領域の展開条件を満たすため、だ。
だが、彼女の領域である『汝、皇帝の神威を見よ』の条件ではない。
これは多分、あの見覚えのないスキル……『翳り退く、さざめきの矢』の。
スキルにまでスケールダウンさせた、
ダン、と。
シンボリルドルフが踏み込む音が、ここまで聞こえて来た気がした。
瞬間。
「…………な」
「え……?」
ホシノウィルムが、トウカイテイオーが、ナイスネイチャが。
ガクンと、ペースを落とした。
その走りが、精彩を欠く。
特に、即座に体勢を立て直したウィル以外の2人は、一気にその走りの状態を劣化させられた。
傍目から見れば、何かしらのアクシデントでもあったのかと思わされる、微かだが確かな変化。
しかし俺の目、「アプリ転生」を通して見れば、それが異常な変化であることは理解できる。
なにせ、基本的にはレース中に悪化しないはずの調子が、絶好調から好調まで落とされているのだから。
しかし、それに驚く程の隙すらも与えられず。
一瞬の後に、ウィルを含む全てのウマ娘が、弾かれたように内ラチ沿いから叩き出された。
ただ1人、シンボリルドルフだけが、王の道を悠々と通ることを許される。
押しのけられた、つまり領域の干渉を喰らったということは……ウィルの領域が、開いていない?
いや、ウィルだけではなく、テイオーもネイチャも……。
……違う。
状況から見て、これは……!
「領域を……強制的に、閉じさせられたのか!?」
「え? ……は!? 何それ!?」
状況を見るに、そうとしか思えない。
ウィルやテイオー、ネイチャは彼女たちの領域を展開し、ぶつけ合おうとして……。
しかしその瞬間、シンボリルドルフによってそれらを霧散させられたんだ。
本来はその自身の走りに最適化された世界の中で走れるはずだったのに、急にそれがなくなったんだ。
調子を崩され、最適な走りが取れなくなってもおかしな話じゃない。
……これが、シンボリルドルフの隠し玉か。
確かにこれなら、余裕を醸し出してもおかしくない。
なにせその一手でこちらの最大のアドバンテージを潰し、なおかつ弱体化までさせられるのだから。
「レースに『絶対』をもたらす、永遠の皇帝……」
シンボリルドルフめ。
とんでもない一手を隠し持っていたものだ。
結局。
トウカイテイオー、ナイスネイチャを含むウマ娘たちは、猛然と突き進むシンボリルドルフに付いて行くことができず。
そうしてなんとか調子を整え直したホシノウィルムでさえも、領域なしで永遠の皇帝と張り合うのは厳しかったようで……。
1バ身半。
大きな……とても大きな差を付けて、シンボリルドルフはレースを制した。
* * *
「大丈夫か、ウィル」
レースを終えた担当に、俺はタオルや飲み物を持って駆け寄った。
いつもなら、興奮で取り繕った表情が剥げているだろう頃。
しかし今の彼女は、どこかぼんやりとした表情で、パチパチと瞬きしながらこちらを見て来る。
「歩さん……」
「何があった。こちらからは、突然君の領域が閉じたように感じられたが……」
「……いや、なんというか……」
彼女は自分の中で記憶を整理するように、やや俯いて言葉を出し始める。
「私が領域を開いてすぐ、後ろから、一瞬だけルドルフ会長っぽい領域の気配がしたんです。
でも、なんかおかしくて……それで、思わず振り向いて。
その時、見えたんです。1本の、矢が」
「矢?」
本物の矢、というわけではないだろう。
領域がもたらす、幻覚のようなもの。彼女たちの魂がもたらす心象風景の延長。
「それが、私の領域をビリッと裂いて行って。途端に領域がぐらついて、展開を維持できなくなって。
その直後に、ルドルフ会長があの領域を展開して、私は受けきれなくて弾きだされて。
歩さん、あれって、やっぱり……」
「2つ目の領域の使用」
ウィルの言葉に応えるように、俺たちに声がかかる。
今回のレースの勝者の、始まる前と変わらない、威厳に満ちた声が。
コトリコトリと、軽快な足音を立ててこちらに歩み寄って来るのは、シンボリルドルフ。
勝者としての自信たっぷりに、彼女はこちらに話を投げかけて来た。
「ふふ……驚いてくれたかな、ホシノウィルム。
君が海外に行く前に、これだけは見せたかったんだ。
トゥインクルシリーズの更に先に進んだウマ娘の境地……この、2つ目の領域を」
ウィルはその言葉に、数秒間、ぱちくりと瞬きを繰り返していたが……。
急に目が覚めたという風に、ルドルフに詰め寄った。
「やっぱり! やっぱりアレ、領域2つ使ってましたよね!?
1つは『領域を破る領域』で……2つ目が自己強化と他者干渉ですか? いやとんでもないですねやり口が!! こっちの領域は封じて防御できない干渉して、更には一方的に自分だけ全力出せるとか!
ぐぅぅううう……悔しい! 悔しいけど、正直今回に関しては完敗です!! 良いレースでした本当にありがとうございました!! あと2つ目の領域ってどうやったら同時に使えるのか教えてください!!」
感情が噴き出したようにまくし立てたウィルは、頭を下げたり袖を掴んだり訴えかけたりとせわしない。
ルドルフはそれを微笑ましいような表情で受け止め、こちらに視線を投げて来る。
「どうすれば領域を2つ同時に使えるか……その答えは、堀野トレーナーであれば察しが付いているのではないかな?」
「……仮説段階のそれでいいのなら」
俺は顎に手を当て、かつて考えていた仮説を口に出す。
「領域に時間制限があるのは、領域の展開が極度に集中力を要するからだとされている。
そして現に、強力な効果を発揮する領域程に、その展開時間は短くなる傾向がある。
であれば、領域の効果を増大させるのではなく、効率化と小型化を進めれば……脳への負担を減らすことさえできれば、2つの領域を使うこともできるのではないか、と。
そう考えていた時期もあった」
だが、結局のところそれは、机上の空論でしかない。
その効果を落としてまで小型化して2つを併用するよりは、1つをより先鋭化して使いこなした方が効率が良いだろう、という結論が出たんだ。
効果を一切落とさないままに効率化を図るのはあまりにも時間がかかりすぎるし、その間に同期のライバルたちに追いつかれてしまいかねない。
故に、そんなことに手を出す余裕はないと、そう判断していたが……。
……まさか、シンボリルドルフが、そこまで自らの領域を高めているとは。
殆どその効果を落とすことなく、むしろ並を遥かに超える効果を持ちながらも、もう1つの領域を同時に使える程に洗練された領域……。
……なるほど、レベル9。
俺が見た中で最も高い領域レベルは、決して伊達ではなかったらしい。
「ふ……まさかそこまで見抜かれているとは思わなかったが。流石と言うべきかな。
ドリームトロフィーリーグ……歴戦の優駿との戦いの中で、私は自身の世界と向き合い続け、この境地へと達した。
……どうだろう、安心したかい、ホシノウィルム?」
「安心、ですか?」
きょとんとした表情を浮かべるウィルに、ルドルフは優しく笑いかける。
「君にはまだまだ、身に付けるべき技術もあり、磨くべき領域もあり、制すべきレースもあり、倒すべき相手もいるんだ。
競走ウマ娘の世界は広く、空は底抜けに深い。きっと私たちが走る内、私たちすらも超えるような、圧倒的な才覚を持つウマ娘も現れるだろう。
どれだけ君が強くなろうと、きっとこの世界は君を退屈させはしない」
……あぁ、それが、彼女の伝えたかったことか。
ウィルは、真っ当にトゥインクルシリーズを走るには、あまりに強すぎる。
ライバルを薙ぎ倒し、レースをもぎ取り、そうしている内に走る熱意と意味を見失うのではないかと……彼女はそう、心配してくれていたのだろうか。
彼女の周りの誰かや、あるいは彼女自身が、そうなってしまったように。
……けれど。
その言葉に、ウィルはちょっと意外そうに「おぅ……」と呟き……。
そうして、くすりと、どこか子供らしく笑った。
「……ふふ、なんだ、そんなこと。
元から心配してはいませんよ。そんなことは、ネイチャとテイオーが教えてくれましたから」
ウィルが楽し気に走るのは、強いライバルと走り、超えるのが楽しいからだ。
彼女の熱は、未だ枯れることを知らず、どころかむしろ増していくばかり。
正直、トレーナーとしては、嬉しさ半分悲鳴半分といった感じだが……俺個人としては、これほど喜ばしいこともない。
ウィルの楽し気な独白を聞いて、ルドルフは驚いたように目を見開き……。
穏やかに、けれどどこか悔しそうに、笑った。
「そうか、君は良い友、良いライバルに恵まれたのだね。……あぁ、本当に良いことだ」
シンボリルドルフ
『汝、皇帝の神威を見よ Lv9』
レース終盤に3回追い抜くと最終直線で速度がすごく上がる。
更に、皇帝の威圧が進むべき覇道を切り拓く。
『翳り退く、さざめきの矢 (Lv8)』
レース終盤に先団で詰め寄られると最終コーナー以降に一射を放ちレース上の他一切の翳を払う。
ルドルフ流の領域同時使用は、リソースをメイン領域に0.7、サブ領域に0.3使う感じ。
サブ領域はスキルレベルにデチューンするため、昇華で追加された効果だけ効果発動。それでもめちゃつよ。
そんなわけで、つよすぎルドルフとの模擬レースでした。
ドリームトロフィーリーグで3バ身も4バ身も付けて勝ちまくる現役最強ウマ娘はやはり強い……! いやもう強いというか能力者バトルのハメ殺しみたいになってますけども。
なお、そんな相手に1バ身半しか付けていないとのことで、ウィルはこのレースを機に本格的にドリトロのウマ娘たちに目を付けられたとか付けられてないとか。
次回は3、4日後。ホシノウィルム視点で禁断の領域二度撃ちの話。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!