今回もイチャコラします。
時は8月中旬。
私がフランスを訪れてから、早くも3週間が経過した。
今回の旅行は全3か月。7月の中盤辺りに来て、10月頭の凱旋門賞に勝って帰るところで終わる。
つまり、既にその内の4分の1、割合で言えば25%が経過したことになるわけだ。
……早い。あまりにも時間の流れが早すぎる。
楽しい時間は一瞬で過ぎていく。それはこの3年弱の時間で嫌という程思い知っていた。
体感、幼少期の10倍くらいの速度だったしね、歩さんとの日々。
でもそれにしても、この歩さんとのドキドキ海外遠征旅行は……。
あまりにも、あまりにも時間が経つのが早い!!
体感5倍速だ。クロックアップだ。もはや時間の流れが歪んでるんじゃないかと思うレベルだよ。
まぁ好きな人との実質ハネムーン、かつ世界最高峰への挑戦なんだもの、楽しいのも充実してるのも当然と言えば当然なんだけどさ。
それにしたって、飛ぶように時間が過ぎていくのは困る。もっともっと楽しみたいのに!
あーもう、すごいなー、世の新婚さんたち。
新婚旅行って長くても1週間って聞くけど、よくそんなので我慢できるよね。
私、こんな幸せな時間なら、欲を言えば1年くらいは過ごしたいし、理想を言うのなら一生こうしてたいくらいなんだけど。皆我慢強いなぁ……。
と、そんなことを私が思ってる一方で。
歩さんの方も、拠点の中という、絶対に誰からも見られることのない衆人環視状態から離れられる場所を得たからか、日本にいた頃よりもだいぶ私に寛容な気がする。
前はふざけ半分本気の距離詰め半分でくっ付きすぎると、ちょっと困ったような顔で「ウィル」とたしなめられていた。
まぁでも、仕方ない。オタク君は推しが異性と1メートル以内に入っただけで発狂してしまう生物だ。ソースは前世の私。あの頃は若かった。
それを考えると、歩さんの対応は非常に正しい。
いくら相棒であり契約トレーナーである歩さん相手とはいえど、トレウマ概念は受容できる人とできない人がいるのだから。
……が、こっちに来てからは事情が違う。
何気ない顔で作戦会議中にくっ付こうが、料理中に後ろから抱き着いて匂いを嗅ごうが、しれっと歩さんのベッドに潜り込もうが、注意されこそすれ止められはしない。
まぁ流石に「トレーナーたるもの担当ウマ娘を綺麗にする義務もあるのでは!?!?」と提案したお風呂一緒ドキドキ大作戦は拒否されてしまったけども……。
逆に言えば、そこまで行かない行為は基本黙認されてる。
しかも、大抵は「仕方ないなぁ」という、どこか嬉しそうな表情を滲ませながら、だ。
これ……歩さんも私のこと好きなのでは!?!?!?!?
などと、素人はそんなことを思ってしまうところだろうが、歩さん検定三段(自称)の専門家たる私から言わせてもらえば、それはまずあり得ない。
歩さんが私を想ってくれてるのは確かだ。
でもそれは、競走ウマ娘へのものであって、女としてのものではない。
だって私、こんな体型だし。
走り以外じゃ、他のウマ娘たちとそんなに変わらないどころか、性格に至ってはこの聖人ばっかりの世界じゃかなり悪い方だと思うし。
お金はめっちゃ稼いでるしこれからも困ることはまずないと思うけど、歩さんは名家出身なこともあってそういうのに惹かれる質じゃないし。
普通に考えて、歩さんが私に恋愛的な好意を持つ理由がない。
それこそ私みたいに、理由とか理屈とか飛び越えて「この人しかいない」って運命にでも出くわさない限りあり得ないと言っていい。
そして、私が歩さんにそこまで想われてるかと言えば……正直、そこまで傲慢になり切れないというのが本音だった。
凍り付く世界に囚われていた私は、歩さんに救われた。
決して急なものじゃない、私のペースに併せてくれた歩み寄り。
そして、強力なライバルたちと走れるように組まれた、レーススケジュール。
あの人のおかげで、私は温かな星を見ることができた。
それに対して、私が歩さんにしてあげたことは……なんとも微妙だ。
歩さんが倒れた時だって、私にできたのはただレースを頑張ることだけ。
直接的に彼を助けられたかと言えば、正直そんなことはないわけで。
歩さんが私にどれだけ感情を持ってくれてるかは、疑問の残るところではある。
いやまぁ、結構好きでいてくれてるとは思うけどさ。
でもほら、私って元厭世的なオタクだったし、対人関係においては経験値が足りなくて勘違いしがち。
ネイチャとのファーストコンタクトがアレになってしまって以来、変に思い上がりはしないよう注意しているのです。
まぁ要するに、歩さんの態度は「担当ウマ娘が凱旋門賞という高負荷の戦いに出るのだから、自分は体を張って彼女のメンタルケアをしよう」「その上で、頼ってくれること、自分が役に立てることが嬉しい」って感じなんだろうと思う。
……うわー、改めて考えると今の私、結構酷いな。
メンタルケアの名目で体まさぐったり匂い嗅いだりするとか、まさしくパートナーに自分の性癖押し付ける最低なヤツじゃん。
まぁ歩さん自身、そこまで不快感は出してない……というか、むしろプラスな感触があるからやめないけども。
やっぱりアレかな、トモを見ればウマ娘を測れるらしいけど、ちゃんと体を触って状態確認しておきたい的な?
あるいは保護者的な視点で、子供が甘えてくれて嬉しい的な?
そういう側面もある……のかもしれない。わかんないけど。
何にしろ、お互いにウィンウィンなら行動を躊躇する理由はなし。
私は存分に歩さんとイチャイチャしながら毎日を過ごしているのだった。
* * *
さて、そんな日常の中の1日。
私はいつも通り、自主トレのランニングに出ていた。
拠点からの距離の制限も解かれ、今は時間内ならどこまででもランニングに出て良い許可をもらってる。
いや、勿論フランスの外に出るとなると論外だけども、常識の範囲内なら問題ないって感じだ。
そんな中で私が気に入ったのは、拠点から走って10分程のところにある川沿いの道。
かなり長いこと続いてる道で、信号はほぼなくウマ娘用のレーンもあり、なおかつそこまで人通りも多くない、まさしく自主トレのためにあるようなスポットだ。
ちなみに、横を流れてる川の名前を歩さんに聞いてみたところ、セーヌ川というらしい。
ロンシャンレース場の近くを流れてる川と同じ名前でちょっと驚いたんだけど、聞いてみるとセーヌ川は細かく分岐したり纏まったりしながら、何百キロと続いているんだとか。
すごいなーフランスの風土かーと思って聞いていると、「いや日本にもそういう川はいくつもあるからな」と呆れられてしまった。
地理に全然興味がないことがバレちゃったな。今更だけど。
フランスはエルブレー。
せせらぐ川の音の中に、私の小声が響く。
「君の愛バが~、ずきゅんどきゅん走り出し~ふっふー!」
今朝は朝食(にんじんの甘めソテー含む)を「あーん」してもらったこともあり、この上なくご機嫌るんるんだった私は、かの有名な電波……もといアッパーなお歌『うまぴょい伝説』を口ずさみながら走る。
前世アニメでは、あまりにも意味不明な歌詞やハイテンションすぎるメロディーに「何これ……何?」とちょっと引いてしまったこの歌。
当然というかなんというか、この世界にも存在した。ウイニングライブの楽曲として。
ただ、これは私が歌い踊ってきた他のものと違って、かなり新しい曲らしい。
というのもこれが世間にお披露目されたのは、実に3年前。
ミーク先輩たちの黄金世代で創設された、URAファイナルズ決勝の勝者に贈られる、すごく特別な曲として作られたらしい。
……世代の頂点の決戦で!?
バチクソ熱い戦いが終わった後に、こんな電波ソングを!?!?
現在URAファイナルズは、本格化最中のクラシック級で競われる三冠やティアラに次ぐ、本格化が終わり成熟しきった子たちによる、最後の世代決戦として扱われてる。
しかもクラシック級の時と違って、予選準決勝決勝と3回に渡ってあらゆるバ場で競われるため、「出走条件を満たせずそもそも勝負の土俵に立てない」ということは起こり得ない。
文字通り、「あらゆるウマ娘が最高の栄誉を得るチャンスを得る戦い」であり、だからこそ「本当の世代の頂点を決める決戦」たり得るのだ。
改めて言おう。
こんな熱すぎる戦いの後のウイニングライブで、あんな電波ソングを!?!?!?
……と。
そう思っていた時期が、私にもありました。
今年のURAファイナルズ、マックイーンさんが勝った長距離部門とウイニングライブを見て、私の中でのこの曲の印象は大きく変わった。
いや、電波ソングなのはそうなんだけど、逆にそれもまた良いっていうか。
めちゃくちゃ激アツでバチバチでサイコーなレースの後、むしろこのわけわからんハイテンション感が観客の熱が冷めることを許さず、そのままウイニングライブをお祭りムードに持ち込むんだ。
言うならば、春映画みたいなもの。
「もうここまで来たなら熱けりゃなんでもいいわ」みたいなテンションになって、一周回って楽しんで見てしまうのだ。
結果として、「うまぴょい伝説」は既に日本社会にかなり広まっている。
カラオケに行けばほぼ確実に履歴に残ってるし、口ずさんでる人を見かけることも少なくない。CMとか広告に使われることもままある。
誰が企画したのかはわからないけど、すごい思い切りだよねぇ、これ。
きちんと結果を残してるっていうのが尚更すごい。
でも50年後とかに近世の研究家が「なんで流行ったんだこれ……?」ってめっちゃ迷走しそう。
と、そんな話は置いといて。
「今日も~かな~で~る~、はぴはぴだりん……はぴはぴダーリン!」
ダーリン! その言葉の魅力に、思わず歌を止めてしまう。
ダーリンかぁ……良い響きだぁ……。
勿論、私の脳内に浮かんでいるのは1人の男性。
いつかあの人のこと、「ダーリン」って呼んだりとか、呼ばなかったりとか?
そういう明るい未来を妄想するだけで楽しくなってしまうね。
と、それはさておき。
「はぴはぴだりん、321ごーふぁい! うぴうぴはにー……うぴうぴハニー?」
……改めて考えると、うぴうぴハニーって何?
いや「はぴはぴ」は分かるよ。ハッピーハッピーだよね。超幸せ。
でも「うぴうぴ」とは一体……?
う、うぴ……うぴ……駄目だ全然わからん。
英語に強ければ何か思い浮かぶこともあるんだろうか?
いや、いきなりうまぴょいだのうまぽいだの言い出す歌に、今更意味を求めるのもナンセンスかな。
…………結局うまぴょいって何のことなんだろうね?
私たちはどこから来たのか、うまぴょいとは何なのか、私たちはどこへ行くのか?
それは決して答えの出ない、永遠の謎なのかもしれない。
* * *
まぁいいや。
というか、ホントにどうでもいいなコレ。
「うぴうぴはにー、321うー……ふぁい!」
一曲歌い終えて……正確には1番までしか歌ってないけど、そこはノリで置いといて。
小声で、なおかつウマ娘の速度でジョギングしながらだから、聞いてくれる人なんていなかったわけだけど、それでも一曲歌い終えると、存外に気持ちの良いもので。
ただでさえテンションの高かったのに、これには私の楽しさが有頂天。
ぶっちゃけ他人から見たらちょっと怖いかもしれないくらいのニコニコ笑顔で、私は穏やかな朝の町を駆けていく。
あぁ、歩さんイチャラブ補正のおかげで全てが輝いて見え、美しく聞こえる……。
日本よりいささか涼しい空気と、その中に差し込むまだまだ低い太陽の光。
川のせせらぎの音、そこに乗るよくわかんない小鳥と虫の鳴き声。
私の足が程々に舗装された道路を捉える音と、それに追うように走っている足音……。
……足音?
「ん」
なんか、ついて来てる子いるな。
え、いつの間にいた? やば、小声とはいえ歌ってたからか全然気付かなかった。
私は走っている間、耳が良くなる。
正確に言えば、耳が良くなるというより頭が良くなってるんだと思うけど。
元々ウマ娘は耳が良いんだ。けど、その聴覚で聞こえる音全てを聞き取ろうとすると、人間とほぼ同じ性能の脳じゃオーバーフローしてしまう。
その点私は、走ってる間には『アニメ転生』がちょっとだけ漏れ出して思考速度が上がり、普段は無意識に切り捨ててる雑音も脳で処理できてしまう……。
……ってロジックなんじゃないかな。確証はないけども。
とにかく私は、走ってる間は『アニメ転生』をオンにせずとも、大体10バ身、25メートル周囲の音を細かく聞き取ることができる。
故に、こうして後をつけて来てる足音も聞き取ることができるってわけだ。
さて、足音の件。
最初はただ偶然一緒になっただけかとも思ったんだけど……。
私がペースを上げたら、同じようにあっちも上げ。
下げたら、当然のようにあっちも下げて来る。
これは……完全に尾行されてると思って良さそうだ。
んー……この足音、当然と言えば当然だけど、聞き覚えがない。
歩さんが超頑張って走って来てるってわけじゃなさそうだし、サプライズでネイチャやテイオーがこっちに来てるってこともなさそう。
というかネイチャとかテイオーは、つい昨夜LANEのグループで海で楽しそうに遊んでる画像を送りつけて来やがったので、まずあり得ないんだけども。
足音に乱れがないところからして、無理はしてなさそう。
ジョギング程度のペースとはいえ、ウマ娘に楽について来れるのはウマ娘だけだ。
ということは、相手はウマ娘だろう。
歩調に乱れや不慣れさ、困惑もなさそうだし、本格化が始まったばかりのジュニア級の子でもないな。
ということはクラシック級かシニア級のウマ娘か。
欧州で私が知るクラシック級以上のウマ娘と言えば、去年ジャパンカップに来てくれた子たち。
その中でも、やっぱりシルバーピジョンちゃんとウィッチイブニングちゃんが印象深い。
が、彼女たちの足音ともちょっと違う感じ。
なんというか、2人に比べて重みを感じない、けれどさかしまに力強さを感じるような、そんな足音。
結論としては、「私の知らない」「クラシック級かシニア級の」「ウマ娘」。
……駄目だ、全然絞り込めないな。
「うーむ……」
さて、どうするか。
自主トレ中、知らないウマ娘に尾行されるのは、実のところ初めてではない。
去年はライスちゃんに追っかけられて、それから知り合うことになったりもしたのだ。
この追跡の犯人が誰なのか知り、何故自分を追いかけてくるのか問い詰めてみれば、新たな縁もあるかもしれないけど……。
問題は、私の言語能力が終わってるってことなんだよなぁ……。
日本の義務教育で教育カリキュラムが組まれている英語ですら危ういんだ、他の言語の知識はほぼ絶無。
一応、前世大学に通ってた時の杵柄で中国語なら多少読めはするけども、当然ながらうろ覚え。というかほぼほぼ覚えてない。いわんやフランス語をや。
そうなれば当然、こっちで話されるネイティブのフランス語なり英語なりに対応できるわけもなく。
多分、身振り手振り程度でしかコミュニケーションができないと思うんだよね。
それなのにわざわざこっちから話しかけるのは、なんかこう……ねぇ?
相手にも悪いし、気まずいし?
……と、そうも思ったんだけども。
ふと、「こういうのは良くないか」と思い直す。
せっかく海外に来てるのに「相手に悪いから」とか「面倒くさいから」なんて理由でチャレンジを避けるのは保守的に過ぎる。
新たな出会い、新たな成長は、挑戦からしか生まれ得ない。
ウマ娘の身体能力、そして私の転生チートを考えればそこまで危険という危険もないだろうし、話しかけてみようか。
ボディランゲージとか指差しとか、そういうので意思疎通はできるでしょ、多分。
そんなわけで、私は足を止めて振り返る。
20メートルくらい向こうに、急に足を止めた私に合わせ、急停止するウマ娘が1人。
少しだけ茶の混じった綺麗な金髪と、左耳に付けた大きなティアラ状の耳飾り、私程じゃないけど小柄な体格。
その目にはサングラスをかけているが、奥の瞳は恐らく私のことを見つめているんだろう。
その姿を、どこかで見たことがある気がして、僅かに引っかかり……。
しかし、今はとにかく、この子に対処しなくてはと思い直す。
位置とか足音からして、彼女が私を尾行してきた子ってことは間違いない。
取り敢えず話しかけてみよう。フランス語はちんぷんかんぷんなので、英語が通じればいいんだけど。
「あー……Hello. What's your name?」
思ったより何も言葉浮かばなくて取り敢えず名前尋ねたけど、これって結構高圧的かな?
というか誰かを追いかけてたらいきなり振り返って来て「お前名前は?」って訊いて来るの、かなり怖いかなもしかして。
そう思って、ちょっと焦ったんだけど……。
彼女は、ちょっと動揺するように顔を左右させた後、私に視線を合わせてきた。
「W, well, let me see……あなたは、ホシノウィルムさん、ですか?」
「え、日本語!?」
いや前半はちょっと聞き取れなかったけど、後半は日本語だ。
若干発音とかイントネーションに不安のある、ネイティブとは言い難いものだったけど……。
それでも、私が一発で聞き取れるくらいには確かな日本語。
日本語は習得が困難って話も聞くし、ここまで綺麗に話せるのはすごいのかもしれない。
「日本語、あなた話せるの!? すごい、まさか現地で日本語話せる子と会うとは思ってなかった!」
「Wait please! I'm……少し話せる、日本語。勉強します、しました。だから、ゆっくりとお話、される必要があります。……してください?」
彼女は困ったようにわたわたと手を振り、言ってくる。
思ったよりしっかりした発音だ。文法があやふやって言うよりは緊張で頭が真っ白になってるっぽく感じるし、かなり日本語が堪能な子かも。
すごいなー、私なんて英語もままならないのに。インテリ系ウマ娘、ちょっと憧れちゃう。
っと、それはそうとして、いけないいけない。
かなり日本語が上手いとはいえ、相手はあくまで欧州圏のウマ娘。
母国語でもない言葉をハイスピードに言われると、頭が理解し切れないんだよね。ソースは前世で大学受験した際リスニングに苦しめられた私。
だからゆっくりと、あんまり複雑な言葉は使わずに話さないと。
「うん、わかった。そして、あなたの疑問に答えると、私はホシノウィルムだよ」
「ホシノウィルム……さん!」
胸に手を当てて答えると、彼女は……おぉ、すごい、めっちゃキラキラした目を向けてくれてる。
キラキラして手の届かない星を見上げるような、熱の籠った視線。
この感じ、覚えがある。
ファンの視線だ。
この子、パッと見そこそこ体も仕上がってるっぽいし、私について来たスピードからも、競走ウマ娘だと思うんだけど……。
もしかして、私のファンなのかな。
競走ウマ娘が他の競走ウマ娘のファンになることは、決して珍しい話じゃない。
例えば私は、ネイチャとかテイオーの出るレースは必ずリアルタイムで観戦してるし、時には変装して歩さんと一緒にレース場にまで見に行くので、ある意味じゃファンと言えるだろう。
あと聞いた話だと、プレオープン・オープン級のウマ娘は、仕事がそこまで忙しくならないので、G1ウマ娘の追っかけを趣味にする子も多いらしいしね。
実際、私の予想を裏付けるように、彼女は言った。
「私! 私、ファンです! ホシノウィルムさんの!」
「そっか……うん、ありがとう」
これに関しては掛け値なしに嬉しい。
本拠地である日本を飛び出て、地球の裏側にも等しいこんな欧州にまでファンがいてくれる。私のことを見て、知って、愛してくれる。
これを喜ばない競走ウマ娘はまずいないだろう。
「私、そこで、偶然にホシノウィルムさんのことを見つけて。それで、……well, 追って走ってしまって……」
「大丈夫、ちょっと驚いたけど、気持ちは嬉しいよ」
競走ウマ娘は、子供だ。
いや、私もその一員だから、あんまり他人事を語るようには言ってられないんだけど……。
私は一応、前世で大学まで進んだこともある。多少は上から目線になっても許されるはずだ。多分。
とにかく、トゥインクルシリーズ(フランスでは別の言い方らしいけど、とにかくこれに当たるレースシリーズ)のウマ娘たちは、アイドルでありアスリートであると同時、中等部から高等部のただの子供でもある。
スターを前にしてちょっとだけ暴走してしまうのも、年相応の行動と言っていいだろう。
そして私は、彼女の保護者でもなく、教師でもなく、トレーナーでもなく……こう言ってはなんだけど、友人でもない。
だから、その迂闊な行動を注意することはない。
今はただ、彼女の暴走も肯定し、ただ非日常のままに楽しんでもらうこと。
それがスター、インフルエンサーとしてのお仕事だ。
「いつも応援ありがとう。私も、ファンの皆のおかげで走れるよ」
「そっ……um……私たちも、エネルギーをもらいます。ありがとうございます!」
笑顔を向けると、あちらも少し顔を赤くして、照れたような笑顔を返して来る。
言葉はぎこちないけれど、表情だけでも気持ちは十分に伝わる。
ファンの純真な気持ちは、嬉しい。
その気持ちは巡り巡って私を温める熱になってくれて、走る燃料になってくれるからだ。
そうして走った姿が、今度はファンの気持ちに熱を点け、再び私たちに愛を向けてくれる、と。
この正の循環が、競走ウマ娘を何よりも高めてくれる。
競走ウマ娘たちはファンなしには走れない。
そして、ファンは競走ウマ娘なしではレースを楽しめない。
私たちは互いに互いを必要としているんだ。
「あなた、名前は?」
「A, アン、です。そう呼ばれています」
「アンちゃんか。良い名前だね」
競走ウマ娘の名前としては短すぎるし、あだ名だろうか。
海外に興味がなさすぎて、それが欧州で一般的なものなのかすら判断できないけど……。
日本のオタク文化的には、「アン」って名前のキャラクターはそう珍しくもない。
私にとっては、むしろなじみ深い名前と言えた。
綺麗な白い肌を興奮で赤く染めた彼女は、「ありがとうございます!」とまた目をキラキラさせている。
……いや、キラキラというか、うるうるしてる。
これアレだな、オタクが推しを目の前で見たり話したりした時の、感涙。
私も同じような体験あるからわかる。
もしかしてアンちゃん、思ったより結構ヘビーなホシノウィルムファンか?
冷静に考えると、もしかしたら「私が好きだから」って理由で日本語勉強してるのかもしれないし、だとしたらこう見えてめちゃくちゃに重いオタクちゃんなのかもしれない。
「ふふ……それじゃ、アンちゃん。フォワ賞も見てくれるかな?」
「Of course! すごく、すごく、楽しみにしてます!」
「うん、是非お楽しみに。当然、勝つからね」
言って、1つウインクし、「それじゃあね!」と私は再び走り出す。
せっかく日本語のできる海外ウマ娘だ、本音を言うともっと色々話したり聞いたりもしたかった。
惜しい気持ちは、否定できないんだけど……。
ファンとの交流は程々に。
やり過ぎると、トラブルに繋がってしまったり、ファン間での不公平感を煽ってしまったりと、色んな問題を招いてしまうからね。
元オタクとして、その辺りはしっかり弁えてるつもりです。
再び走り出した私に、アンちゃんの足音が続くことはなかった。
今日はここまで、という意図を汲んでくれたらしい。
いやー、良いファンを持ったな。
もしフォワ賞で見かけることがあったら、また声をかけてみるのも良いかもしれない。
そんなことを思いながら、私はジョギングを再開した。
そうして、本日の自主トレ終了時間寸前になって、ふと思い出す。
あの金髪。あの体格。あの耳飾り。
レースの時の勝気そうな雰囲気と、少しおどおどしていた彼女とは、どうにもイメージが結びつかなかったけど……。
「……アンダースタンディブル」
現状勝率100%、今年の英愛オークスを総なめした英雄姫。
アンちゃんの見た目はまさしく、歩さんの作ってくれた資料に載っていた、写真の彼女そのものだったような……。
いやでも、そんな偶然出会うこととかある?
私がいるエルブレーは、パリからそこそこ離れてる。
自然、パリにあるっていうトレセンからも結構離れてることになる。
そりゃあウマ娘は足が速く、行動範囲が広い。
トレセンからここまで脚を延ばすウマ娘も、いるかもしれない。
だけど、逆に言えばその広い行動範囲の中で、偶然自主トレ中のホシノウィルムと現地のスターであるアンダースタンディブルが出会うことなんてあり得るだろうか?
その確率と比べると、よく似た他人である可能性の方が高くない?
しかも、レースの時の堂々とした自信ありげな雰囲気とは全く違う、まさしくオタクって感じの立ち振る舞いもあり。
私自身、しっかりと資料の写真を覚えてなかったこともあり、確かに彼女だとは断言できない。
「…………他人の空似か?」
どちらにしろ、不思議なこともあるものだ。
私はぼんやりと、そんなことを思った。
……と。
そんなことを考えていた私はしかし、家に帰ってかけられた「おかえり」の言葉に全てを忘れ。
今夜も歩さんにあーんしてもらってマッサージもしてもらって髪を梳いてもらって添い寝もしてもらって、最高すぎる夜を過ごしたのだった。
海外遠征サイコー!
2日後の食事中に「あ、そうだ」と雑談のネタとして初めてこの話を聞いた堀野君は頭を抱えたのであった。
次回は1週間以内。別視点で、竜が地上に降り立つ日の話。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!