毎回甘すぎる展開を書いてると糖尿病になっちゃう。
これは常々感じる話だけど。
人というのは難儀なもので、失ってようやく、自分が持っていたものや周りの環境の大切さに気付く。
……いや、今回は別にシリアスな話ではないし、何かを喪ったわけではないんだけどね。
私の兄であり、とんでもないクソボケであり、そして補佐すべきトレーナーである、堀野歩。
そして兄さんの愛バであり、現役最強の競走ウマ娘であり、十中八九将来的には年下の義姉になるだろう、ホシノウィルムさん。
2人がフランスに発ってから、実に1か月半が過ぎ去った。
その結果、私はこの2人の存在の大きさを痛感することになったのだった。
ぶっちゃけて言えば、トレーナーとしての兄さんの言葉に、おおよそ誤りはない。
あ、コミュニケーション方面で難が出ることはあるけど、今は一旦棚に上げるとして。
こと「ウマ娘を育てる」という実務的な方面で、兄さんが判断を間違えることはまず絶対にない。
兄さんは、堀野歩というトレーナーは、化け物だ。
幼少期から知ってたつもりだけど、実際にトレーナーとして隣に並ぶと、その壊れっぷりを痛感する。
ウマ娘の能力を一切の誤差なく数値化する目……兄さん曰く転生チート。
堀野家の、マニュアルを作成する以外にはほぼ使われていなかった、死蔵されるばかりの膨大なデータを9割方記憶した、馬鹿げた脳内のデータ量。
そして何より、文字通り「死ぬ程」努力することを厭わない、化け物じみた精神性。
1つでもあれば天才だとかギフテッドと呼ばれるだろうものを、あのバ鹿は3つも持ち合わせてるんだ。
最上級のトレーナーになるのは当然だったのかもしれない。
そういうのを痛感したからだろうか。
最近はもう、兄さんに追い付け追い越せみたいな気は失せて来た。
アレはもう、そういう生き物。
人間がどこまで鍛えても象に殴り勝つことはできないように、
諦めてしまった、という言い方もできると思うけど……。
私的には、なんというかこう、割り切ったという感情が強い。
そもそもトレーナーに勝つも負けるもないし、私が兄さんに勝手に劣等感を感じて、競っているように感じていただけだもの。あっちは競う気すらないだろう。
そんなことに目をやって精神をかき乱し、結果として担当するウマ娘を疎かにするわけにはいかない。
私は私のフィールドで、私のやり方でトレーナーとして頑張ればいい、と。
この数か月で、そう思うようになってきた。
思えば私がトレーナーを目指したのだって、兄さんへの対抗心半分、家業とウマ娘に関わりたい気持ち半分といったところだったんだけど……。
どうやら私の中では、いつの間にか前者に比べて後者の比重が大きくなっていたらしい。
きっかけは多分、去年の冬。
兄さんが変わって、『彼女』と別れた、あの時。
あの時、私が苛立ち、ムカついて、絶対に認めないと思っていた相手は……消えたんだ。
だから、あれからは兄さんを見るたびに無性に苛立つこともなくなって──だからと言って、殊更に態度を軟化させたりはしないけれども──、割とのびのびとサブトレーナー業務に勤しめるようになった。
元からウマ娘やレースが好きだったのは間違いないし、ずっと気がかりだった問題が解決したとなれば、そちらが重くなっていくのも自然なことだったのかもしれない。
ちゃんとウマ娘のことを見て、そっちに専念するようになった。
そういう意味では、私は最近になってようやく、ちゃんとトレーナーの卵になれた……のかも。
……あ、いや、思考が逸れちゃったな。
話を戻すと、兄さんはウマ娘のトレーナーとしては、これ以上ない程の化け物だ。
特に今年に入ってからは、トラウマをなくして無理もしなくなった結果、思考の隙とか偏りが消え、なんというか、心身共にみなぎってる状態。
今の兄さんはかなりヤバい。割と本気で世界最強のトレーナーかもしれないと思うくらいに。
で。
そんなトレーナーが横にいると……やっぱり、安心感があるんだよね。
もしも私が無知故の、あるいは集中力不足によるミスをしたとしても、全部ダブルチェックしてる兄さんが確実に気付いてくれる。
だから……。
……うわ、めちゃくちゃ最悪だな私。
今、内心で「責任を感じなくて楽なんだよな」とか考えちゃってた。
私はサブとはいえ、中央トレセンに所属するトレーナーだ。ウマ娘の子たちのアスリート人生を、青春の一欠片を預かる身だ。
もっと仕事に、ウマ娘に責任感を持たないと。
そう考えると、ある意味じゃ兄さんのいないこの環境は、私にとって良いものなのかもしれない。
なにせ兄さんがいない以上、ミホノブルボンさんに関して、大局的な判断や中期長期的な計画はともかく、咄嗟の判断や瞬間瞬間の指示は私が行わなきゃいけない。
当然ながらその際、緊張感を持ち、責任を持って判断を下さねばならない。
失敗してはいけないが、もし失敗しても致命的なことには繋がらない、この環境。
これが私のメンタルとスキルを、より向上させてくれるはずだ。
あの兄さんが留守を任せてくれた以上、私には最低限の実力はあるんだと思う。
……というか、この1年で不可避的に実力を付けさせられた。
あの兄、一見身内にはガバガバに甘いようでいて、その実一切の甘えを許さないスパルタだからなぁ。
ま、どんな経緯であろうと、技術はバッチリ身に付いてくれてる。
後はそれを振るうことに慣れながら、より昇華させていくだけだ。
……って、私がそう考えるところまで、兄さんは想定してるんだろうな。
「昌は努力家だもんな、これも良い機会だと捉えてくれるだろう」、とか?
そういうわかったフリしてくるところは、相変わらずムカつくなぁ。
さて、そんな不安と挑戦の毎日。
小さなミスは何度かあったものの、トレーナー不在の新米サブトレーナーということで、たづなさんやネイチャのトレーナーさんにフォローしてもらって、なんとか致命的な失敗は避けられた。
本当にあの2人には感謝しかない。いつか何らかの形でお返しできればいいけど。
……というか、兄さんってサブトレ経験せずトレーナーやってたらしいけど、どんな精神してたらできるんだろうそんなこと。
不慣れが故の不安とどんどん溜まる書類とか手間のストレス、かなりヤバいんだけど。この上でいきなり正規のトレーナーやれとか言われたら普通に無理じゃない?
いや、実際無理だったからこそ、話に聞く「ダービーの時の致命的な失敗」があったんだろうけど。
……流石の兄さんにも限界はあるんだと思うと、なんか少し安心するな。ちょっと趣味悪いけども。
一方で私はと言えば、ホシノウィルムさん関係の仕事は基本的に兄さんの方に飛ばされる上、今はまだブルボンさんのレースシーズンでもないので、比較的余裕のある状況だ。
勿論負荷はかかってるけど、徹夜は一週間に一日程度で済んでるし、平均睡眠時間も6時間はある。
実家で勉強してた時と同じくらいのスケジュール。この程度で調子を落とすようじゃ、トレーナーとしてはやっていけない。
仕事の出来に関しても、たづなさんから「勤め始めて1年弱で無敗二冠の逃げウマ娘を担当できるのはすごいことですよ。自信を持ってください!」と言ってもらえた。
多少の気遣いとおだてが入ってるとは思うけど、最低限はなんとかなってると思っていい……はず。
……まぁそれに関しては、ミホノブルボンさんが手の掛からない子だってことも大きいけどね。
あの子、ウマ娘としてはかなり珍しいことに、メンタルのブレが殆どないんだよね。
実際には私にはわからない微細な差はあるみたいで、兄さんから時々「カラオケに連れて行ってあげて」「一緒にお散歩にGO」といったよくわかんないオーダーが来ることもあるんだけど……。
トレーニングへの真面目な姿勢が変わらないってことだけでも、トレーナーとしてはすごくありがたい。
更に言えば、彼女のその姿勢があってもなお、私は完璧にトレーナーをやれてるってわけじゃない。
自分の不足は、私自身が一番よく感じられる。
というか、1人でブルボンさんを担当し始めて、すぐにわかった。
データだ。私にはデータが足りなさすぎる。
「こうなった時にどうすればいいか」のマニュアルが私の中にないから、咄嗟の判断ができない。
勿論、これまでの通例通りのお役所仕事な判断ばかりではいけないと思うけど、それでもやっぱりマニュアルがあるとないとじゃ速度も安定感も段違い。
なので最近、「ようやく息子と和解できた」と、感情を隠そうとはしてるものの全く隠し切れず、心底嬉しそうに通話で報告してきたバ鹿父さんに、実家の資料の写しを送ってもらった。
兄さんの後を追うようでちょっと癪だけど、まぁ無駄にはならないだろう。多分。
そんなわけで、この1か月半。
昼はブルボンさんのトレーナー代理として、山盛りの仕事を捌きつつ、兄さんのプランに従ってブルボンさんのトレーニングを監督観察し。
夜は資料を読みこんで分析したり、堀野の歴史に刻まれたミホノブルボンさんに近いウマ娘(そんな子殆どいないんだけど)を探してデータ集める、と。
そんな毎日を送ってたのだった。
* * *
そんな毎日の中の、8月上旬の正午。
私はいつものように、彼方フランスに通話をかける。
「聞こえる?」
『──うん、問題なし』
僅かなラグの後、それに応えたのは、当然ながら兄さんだった。
『昌、カメラお願い』
「ん」
『ブルボンも、軽く動いてくれ』
「了解しました、マスター」
あくまで、ブルボンさんのメインのトレーナーは、兄さんだ。
だから、学園の朝礼前の8時、授業が終わりトレーニングを始める前の正午、そしてトレーニング終了後の20時あたり。
1日3回、兄さんと通話を繋げて、15から30分程のミーティングを行っている。
ちなみにこれ、ホシノウィルムさんも参加することがあるけど、ランニング中、あるいはトレーニング中ということで参加しないことが大半だ。
……いっつも走ってるなあの子。兄さんのことだから体力管理は徹底してるんだろうけど、いつ休んでるんだろうホント。
そんなことを考えながら、私は立てていた三脚カメラの位置と高さを調整。
そのレンズが向く先では、ブルボンさんが直立したり、軽く体を揺らしたり、くるっと一回転したりしている。
兄さんの化け物観察力こと、転生チート。
警戒心の強すぎる兄さんはこれを担当の子たちに話していないらしく、「トモを見ればそのウマ娘のことが大体わかる」って説明しているらしい。
今回も、実際には一目写真を見ればわかるくせ、その嘘の現実味を増すために、動く映像が必要、ってことにしてるんだって。
……いや、そんなので誤魔化される!? あり得なくない!?
と、そう思わないでもないけど……。
ホシノウィルムさんは、言っちゃなんだけど兄さん信者というか、「歩さんの言うことなら正しいんでしょうね!」って感じだし。
ブルボンさんだって「マスターを疑う行為は、競走ウマ娘としてのポテンシャルに悪影響をもたらします」と、合理的じゃないって理由で一切の疑いを捨てちゃってる。
結果として、2人の担当ウマ娘たちは、どちらも兄さんの言葉を全く疑っていないのだった。
なんだ……なんだこの特異な2人……!?
いやまぁ、あの変わり者の兄さんと契約するんだ、変わり者のウマ娘になるってのはわからない話じゃないけれども。
それにしたって、なかなか変わった2人が集まったなぁと思う。
類は友を呼ぶというヤツかな。……それだと一般人な私まで変人みたいになっちゃって嫌だなぁ。
そんなことを考える間にも、イヤホンの向こうからは兄さんの声が届く。
『さて……うん、少し疲れが取れたな。調子も絶好調を維持、ステータスは微増。
昌、体力のメモリを6つ右に。それからスピードの数字を1、根性の数字を1増やして』
「了解」
ミホノブルボンさんがその場でくるくるする一方、私はカメラの調整を終えると、オフラインのPCの前に座り、兄さんの指示に従ってエクセルにデータを入力していく。
あっちでもパタパタとキーボードを叩く音が聞こえるし、担当のデータは逐次更新してるんだろう。
……改めて考えると、なんとも変な空間だ。
担当ウマ娘のミホノブルボンさんは無表情でくるくる、カメラはそれをじっと捉え、私は右手でキーボードカタカタ、兄さんはフランスからお話。
外から見るとだいぶシュールに映るんじゃないか、この光景。
まぁ、鍵もかかってるし防音もしっかりしてるし、まず外から見られることはないだろうけども。
兄さんがブルボンさんの状態を見た後は、カメラを切ってブルボンさんも着席、これからのプランの話し合いが始まる。
『さて、トレーニングは予定通り……いや訂正、やっぱり少し休憩を増やすか、事故が怖いし。
ブルボン、プランBからC、EからFの間のクールダウンタイムをそれぞれ3分半追加』
「プラン修正を受諾しました」
「ちょっと待ってね……おっけ。バッファ、25分弱になっちゃうけど大丈夫?」
『元よりそのために取っていた余裕だよ。
……あ、それから明日のトレーニング後のミーティング、申し訳ないけど30分後ろ倒しで。ウィルのプロモの仕事が入っちゃったから』
「了解」
……忘れちゃいがちなんだけど、兄さんたちがいるフランスと日本では、7時間余りの時差がある。
こっちでは8時、12時、20時のミーティングは、あっちにとっては1時、5時、13時のタイミングになるはずだ。
そして、契約トレーナーである以上当然と言えば当然なんだけど、兄さんがこのミーティングに遅れたりすっぽかした試しは一度もない。それどころか、疲れたり眠たそうな気配すら見せたことがない。
よくそれで睡眠時間を確保できるなと思ったら、「1時間半の睡眠を3、4回は取れてるから大丈夫。むしろかなり余裕ある」とのこと。
生活リズムとか体内時計って言葉がないんだろうかこの生物。
今もあっちは5時くらいのはずなんだけど、声からは寝ぼけた様子なんて欠片も感じない。
まぁ兄さん、ホシノウィルムさんとは対極的に、かなり朝に強い方だから判断し辛いけど……しばらく寝てないんじゃないのこれ?
「兄さん、ちゃんと寝てる?」
『上の兄さんみたいなこと言うね、昌。心配しなくてもちゃんと寝てるし……ぶっちゃけて言うと、お恥ずかしい話5分前までベッドで寝息立ててたよ。
とはいえ勿論、今はちゃんと頭を回してるからご安心』
いや強すぎでしょ朝に。良すぎでしょ寝起きが。
……しかもこれ、天性の素質ってわけじゃなく、後天的な訓練で手に入れてるからなぁ。
人の才能を羨むのは良いけど、努力で身に着けた実力を羨むのは、何というか、違う。
そういう意味で、悔しいけど兄さんの能力の大半は羨めないんだよね。そこもちょっとムカつくところ。
その後、改めて3週間先までのざっとした予定を確認し終えた後。
兄さんは、自身の担当ウマ娘に声を投げかけた。
『ミホノブルボン、何か言いたいことなどあれば』
「いえ、必要十分なサポートを受けていると愚考します。
強いて言うならば……」
『何だ?』
彼女は少しだけためらいがちに、口を開く。
「……マスターが不在であることに、突発的に不可思議な精神的動揺を覚えることがあります」
いや、めっちゃ気持ちわかる~~~!
私もすっごい不安なんだよね、兄さんいないの。
ぶっちゃけて言うと、私、世代の中核たる無敗二冠のウマ娘を担当できる程の実力もカリスマもない。
ミホノブルボンさんが不安に思うのは、当然すぎるんだよね。
そんなわけで、私は思わず苦笑を浮かべてしまったんだけど……。
どうやら彼女はそれを誤解してしまったらしい。
「無論、サブトレーナーに信を置いていないという意味ではありません。いつも変わらぬサポートに感謝しています」
「大丈夫です、ミホノブルボンさん。兄さん……自らのメイントレーナー不在の環境に不安を覚えることは、なんらおかしなことではありませんよ」
悲しいと言えば悲しいけれども、事実なので仕方ない。
こちとら20年続けて来たんだ、天才と比べられてガッカリされるのは慣れっこなんだよね。
そういうのへの対抗策はただ1つ、ガッカリされないように努力していくしかない。
『昌からは何かある?』
「特にないかな。強いて言えば凱旋門賞後のプランをざっとでいいから教えて欲しいくらい」
『ウィルは一応秋シニアルート、ただ……まぁ、様子を見ながらって感じかな。
ミホノブルボンは菊花賞に専念して、その後のことは改めて話し合って考えよう』
「ん、予定は未定、と」
『一応いくつかプランは組んでるから、後で文章で送るよ』
「じゃあ、ホシノウィルムさんの様子は?」
それを聞いた兄さんは、「ふふ」と微笑を漏らし、僅かに楽しそうに語る。
『まぁ……好調も好調、かな。かなりハイテンションにトレーニングに臨んでくれてる。走りへの前向きさは日本にいた時を凌ぐレベルだ』
「むしろ不安になってきたなそれを聞くと……」
ただでさえランニングジャンキーの気があるホシノウィルムさんが、こっち以上って……。
色んな意味で大丈夫なのかな、あっちは。
* * *
それからいくつかの情報伝達をした後、イヤホンの向こうから聞こえた『歩さんただいまーっ!』という聞き慣れないけど聞き覚えのあるはしゃぎ声と共に、今回のミーティングは終わった。
思わずブルボンさんと目を合わせてしまう。
「……ホシノウィルムさん、元気そうでしたね」
「肯定。先輩がお元気そうで何よりです」
そう言って、私たちは頷き合う。
漏れ聞こえる話からして、まず間違いなく意気軒昂であることは予想できていたけど、実際に声を聞くとやっぱり安心感が違った。
兄さんがいるんだし、私たちが心配することなんてないのかもしれないけど……。
サブとはいえ、私だって彼女のトレーナー。どうしても心の片隅に、彼女を案じる気持ちがあった。
そして恐らく、それはブルボンさんも同じだったんだろう。
彼女はいつもの無表情ながら、ほんのわずかな安堵を滲ませていた。
それを見て……ふと。
ホシノウィルムさん、愛されてるなぁ、と思う。
彼女の辛い過去は……一応、知らず地雷に突っ込まないようにと、触りだけは聞いている。
親から愛を注がれなかった子供。孤独の中で生きることを強いられた少女。
……今は亡き『彼女』に、少しだけ似ている生き様だ。どうも兄さんは、そういう女の子と縁があるらしい。
けれどホシノウィルムさんは、既にその運命の軛から抜け出した。
ファンを愛し、愛されることを知った。
兄さんやミホノブルボンさん、ナイスネイチャさんにトウカイテイオーさん……そして私といった、親しく付き合える人と出会った。
今の彼女は、もう孤独じゃない。隣にはいつもべったべたの相思相愛な兄さんがいる。
結局のところ、彼女の魂は、冷たく厚い灰の色。
あの深く昏い群青とは、似ても似つかないんだ。
……色合いは結構近いだろうって? うるさいな、フィーリング的には遠いんだよ。
とにかく……もう、ホシノウィルムさんがそっちの道に転がり落ちることはないだろうな、と思う。
そしてついでに、澄んだ色になった兄さんも、変に歪むことはない。
そして、『彼女』の決断が、このハッピーエンドの先を描いているのだとすれば……。
きっと私は、それを見届けなければならない。
それが、この世界で唯一彼女が存在したことを知る、私の役目ってものでしょう。
……まぁ、だからって目の前で口から砂吐きそうなダダ甘プレイを見せつけられるのは、いい加減勘弁なんだけども。
さて、そんな幸せ絶頂期なホシノウィルムさんに、そして今からまさに分水嶺に向かおうとするミホノブルボンさんに、私がしてあげられることと言えば……。
結局のところ、ただ1つだ。
「……さて、それではこちらもトレーニングに出ましょうか。
いつまでも彼女の背を追い続けるわけにもいきませんし……せっかくの合宿です、兄さんを驚かせるくらいにしっかりと鍛え上げてしまいましょう」
「任務了解。ミホノブルボン、プロトコル『トレーニング』を開始します」
兄さんのプラン通りに、そして兄さんの想定以上に細かいケアで、ミホノブルボンさんを支える。
そうして彼女に強くなってもらって、菊花賞どころかその先、シニア級の子たちとの戦いになるジャパンカップや有馬記念でも活躍できるレベルに鍛え上げ……。
ホシノウィルムさんにとって、追う者から逃げ続ける、熾烈な体験をもたらし。
ミホノブルボンさんにとって、三冠を越えてもなお続く、新たな道を提示する。
それが、兄さんと私の今のお仕事なんだ。
……「去年はウィルが気持ち良く走れるように強いライバル用意してたんだよね」って聞いた時は、やっぱこの兄頭おかしいわと思ったんだけど……。
回り回って自分も同じことをしてるんだから、まったくトレーナーってヤツはどうにも。
苦笑しながら、私は合宿での宿泊先を出て……。
ブルボンさんと共に、砂浜でのトレーニングに向かったのだった。
もうちょっと語りたい気もするけど、ここまで来たらノイズになりそうなのでさっくりと消化。
ブルボンの話はまた帰国後に。
次回は1週間以内。ウィルと少しだけ因縁のあるあの子の視点で、前哨戦・G2フォワ賞。