フランス、もっと言えば、欧州最強のウマ娘は誰か。
そう問われれば、1年前と今では、多くの人から別の答えが出てくると思う。
1年前の時点では、欧州に明確な最強はいなかった。
ノーブルシンガー、ネディリカ、カインドネス、バレルージュ……。
頂点に近いウマ娘はたくさんいたけれど、明確に頂点に立っているウマ娘はいない。
1人だけ飛び抜けて注目されるのではなく、たくさんのウマ娘が並び立つ……日本ではこういう状態を指して『
そして、ボクことウィッチイブニングもまた、そうした列強の一角だった。
最初の頃こそあまり評価は得られなかったけれど、己の実力とトレーナーと組んだプロモーションで這い上がって……。
G1レースに出走し、そしてノッてる時なら勝てるようにまでなったんだ。
誰もが認める、欧州列強の一角。
ボクはその自負を、誇りを持っていたし……。
だからこそ、無礼な話だけれど、東洋のレースになら余裕で勝てるとも思っていた。
日本。
東洋の島国であり、ここ数年でようやく欧州の基準に追い付いた国でもある。
こう言ってはなんだけど、当時のボク……というか欧州の考え方では、日本の基準はまだ「上澄みが世界基準に追い付きつつある」レベル。
エルコンドルパサーが結果を残したとはいえ、レースの世界ではフロックも珍しくはない。
全体的に見れば、まだまだ欧州に追い付く程ではないだろう、という見方が強かった。
だから、多少バ場が違おうとも、現地で史上最強のウマ娘が育っていると聞いても。
それでも、ボクならば、対等以上に戦えると思っていた。
端的に言えば、舐めていたんだ。
ボクの実力なら、名優だろうが龍だろうが捉えられる、と。
けれど……現実は、甘くなかった。
欧州とは全く違う、序盤から途轍もなく速いペースで行われる高速レース。
そんな環境の中でなお、他のウマ娘を破壊する程に飛び抜けていた、ホシノウィルムの超絶ペース。
そこに喰らいつくだけの、化け物じみたメジロマックイーンのスタミナ。
それらに付いて行こうとし、擦り潰されて、スタミナを枯らし切り……。
ボクは彼女たちに次ぐ3着どころか、最近振るっていなかったはずのシルバーピジョンにすら抜かれて、4着でゴールすることになった。
……でも、実のところ。
ボクがショックを受けたのは、負けたこと自体じゃなかった。
『次は、有馬記念で。今度こそ勝たせてもらいますわよ?』
『いえ。……次も、勝つのは私です!』
レースの後、当地の言葉がわからないボクには、何を言っているのかわからなかったけれど……。
ホシノウィルムも、彼女と競ったメジロマックイーンも、何かを親し気に語り合っていて。
そして、彼女たちの視界には、ボクの姿など欠片も入ってはいなかった。
つまるところ、ボクはまだ、彼女たちに並び立つことすら出来てはいないんだ。
語り合う2人のウマ娘の背中は遠くて、手を伸ばしても、とても届かず。
その事実こそが、ボクの自信を叩き折った。
そして今年に入って、真に欧州の頂点に立ち得るような、鮮烈な存在感を放つウマ娘が現れた。
その名は、アンダースタンディブル。
本格化が遅れた上、レースには不利な小さな体でありながら、デビュー以来ただの一度の敗北もなく勝ち続け、ついにはオークス3連勝を刻んだ怪物。
一度だけ、対談企画で彼女と会ったことがあるのだけれど……。
アンダースタンディブルは確かに、ボクたちとは違ったように思う。
素養が足りないはずの体でありながら、当然のように同世代との勝負を勝ち切り。
爆発的な成長で、既にボクたちと肩を並べて走れるだけの能力を獲得している。
そのずば抜けた才能だけでも、十分に評価できるけれど……。
何より、その目に映るのはボクたちでなく、あの日ボクも見た龍の後ろ姿だけだった。
……ホシノウィルムも、そうだった。
ボクのことなど、視界にすら入っていない。
自分と同格以上に抗える強敵にしか目が行かない。
アンダースタンディブルは、ある意味においてホシノウィルムと同じ、埒外な領域にいるウマ娘なんだと思う。
……まぁ、ちょっとホシノウィルムのこと好きすぎるんじゃないか、とは思うけれども。
外にも内にも、手の届かないような化け物がいて。
そんな中で、将来的に彼女たちと走ることになるボクが、一体どうしたかと言えば……。
当然ながら、トレーナーと共にひたすらに自分を鍛え上げ、彼女たちの調査を徹底した。
ウィッチイブニングは最初期、そこまで評価の高いウマ娘じゃなかった。
けれどそんな中で、鍛錬と調査によって相手を捉えるだけの力を身に着け、評価を勝ち取ったんだ。
ずっとそうしてきたボクはそれ以外の方法を知らなかったし、それ以外の方法なんていらなかった。
今回もそうだ。
ホシノウィルムの恐ろしさは、脳裏に焼き付いている。
ただその後を追うだけで、自然と目に焼き付き離れなくなる存在感。
思わずペースを上げれば一方的に擦り潰される、かと言って追わなければ決してゴールまでに追い付けなくなる、どうしようもない化け物。
アンダースタンディブルの伸び方は、凄まじいものがある。
特に恐ろしいのはその体力。
現時点で既に、2400メートルの長距離をG1ペースで優に走り切ることができる、一級のステイヤーと呼んで差し支えないもの。
本格化が始まって1年もしない内にそれを身に着けたというのだから……2か月後の凱旋門賞で、どこまでの力を持つかは計り知れない。
けれど……。
そんな怪物たちに対してボクが返せるのは、いつだって「自分を鍛える」というシンプルな解答だけ。
「魔法使い」だの何だのと言ったところで、結局勝負を分かつのは本人の実力を以て他にないのだから。
まぁ、そうやって実力を背景として綺麗に勝ちに行くことをして、ボクは「魔法」と呼ぶのだけれど。
* * *
そうして、日々を過ごす内……。
あっと言う間に、その日が来た。
東洋の怪物、ホシノウィルム。
門を制覇するために遥々遠征してきた龍の、こちらでの初のレース。
G2、フォワ賞。
ボクやネディリカも出走するそれを前にして、彼女はインタビューでごく自然に語った。
出走し、どれだけ自分が力を出せるか試し……。
そうして、当然、勝つと。
ボクはトレーナーの翻訳を聞いて、思わず苦笑してしまった。
「彼女ならそう言うだろう」と、そう思わされたから。
知っている。
その傲慢を。その不遜を。
自らを越え得る者にしか興味を抱かず、確かな力を見せなければ評価しない。
去年のジャパンカップで、自分と競うことすらできず垂れてしまったようなウマ娘に、彼女は興味など持ち合わせてはいないのだろう。
……だからこそ、付け込みようもあるというものなのだけれど。
物語において竜を討つのは、いつだって英雄の役割。
けれど……時には魔法使いが竜を倒す物語だって、あってもいいでしょう。
地下バ道を抜けて、ターフへと足を踏み入れる。
昨日までの雨が止んで、綺麗に晴れ渡った空から光が差し込んだ。
一瞬目が焼かれかけて、咄嗟に手でひさしを作る。
……晴れてしまったか。
まぁ、天気予報通りではあるのだけど。
トレーナーが調べてくれたところによると、日本のウマ娘はこちらの重バ場に弱いらしい。
そもそも芝の違いで故郷程の快速が出せない上、更に足を絡め取られる悪路となれば、彼女たちの「いつものレース」ができなくなるのは当然と言える。
ホシノウィルムもまた日本のウマ娘、恐らくはこの例に漏れることはない。
せっかくなら土砂降りの中、思い切りの重バ場になってくれた方が嬉しかったのだけれど……。
そうなってしまったものは仕方がない。
「稍重になってくれただけ運が良い」と考えた方がいいかな、今は。
それからしばらくして。
パドックに呼ばれたボクはいつも通り、帽子から色とりどりの花を出す手品を行い、ファンの皆を沸かせることに成功した。
良かった、練習はきちんと実を結んでくれたらしい。
競走ウマ娘にとって、パドックはアピールタイム。
ファンへの感謝を表すと共に、より多くのファンを獲得するチャンスでもあり、そしてこれから始まるレースでの期待を勝ち取る機会でもある。
ボクはそこまで良血統でなく、なおかつ体躯が小さいこともあって、デビュー後しばらくは応援してくれるファンの獲得にかなり苦しんだ。
そして、その対処法として確立したのが……。
ボクのウマ娘としての名前にちなんだ、キャラ付けだ。
ウィッチイブニング。
その名を聞いて多くの人が想像してくれるであろう、自信家でお調子者な姿は、ボクの被る仮面の1枚に過ぎないのだ。
その本性は……自分で言うのもなんだけど、あまり遊びも面白味もない性格だと思う。トレーナーにも時々からかわれるし。
実のところ、自分がよく言う「魔法で勝つ」って言葉も、そこまで好きではない。
個人的には、レースの結果はそれぞれの実力と、取り巻く環境で決まると思ってるから。
だけど……。
『Il faut casser le noyau pour avoir l'amande』*1、だ。
魔法のような勝利という甘く楽しい結果に行き着くためには、努力という固い壁を乗り越えなきゃいけない……って意味で、ボクはボクを納得させてる。
実際、このキャラ付けで多くのファンを獲得したことも事実だし、ファンがそれで喜んでくれるのなら演技の1つや2つなんて安いもの。
だからボクは、今でも「魔法使いウィッチイブニング」の演技を続けている。
……トレーナーの前以外では、ね。
そういえば、トレーナー曰く、あのホシノウィルムも同じようにファンの前では演技をしているという噂があるのだとか。
話だと彼女の血統はほぼ完全に無名なものだったらしいし、体もボクより少し小さいくらいの小柄。デビューした時はかなり苦労したのかもしれない。
もしもそうだとすれば、そこには少しだけ親近感を覚えてしまう。
そんなことを考えながらストレッチをしていると、後ろから声がかけられる。
「ウィッチイブニング」
振り返った先にいたのは、1人の競走ウマ娘。
流星の流れる綺麗な鹿毛の短髪に、ボクより更に一回り小さな体格、黒と青の大きなドレス状の勝負服に真っ白なロングブーツ。
その群青の瞳はどこかしじまな海のように底知れなさを感じさせ、滅多に表情も変えないクールな振舞いも併せて、彼女の泰然とした雰囲気を形作る要素の1つとなっている。
彼女の名は、ネディリカ。
ボクと同じく、欧州の列強に名を連ねるウマ娘の1人だ。
ボクと同期でありながら、ボクはオークス、彼女はダービー路線を歩んだために、交戦経験は殆どないのだけれど……。
先日のサンクルー大賞で争った時に気に入られた? ようで、度々こうして彼女の方からよく絡んでくるようになった。
……ちなみにそのサンクルー大賞では、ボクは彼女より前に出ることはできこそすれ、結局これまた同期のバレルージュに5バ身の差を付けて負けてしまったのだけれど。
と、そんな苦い想いは飲み下してしまおう。
ファンの前、ライバルの前だもの、迂闊な姿は見せられない。
ボクは瞬きをする間に、精神を「素面」から「魔法使い」のそれに切り替えて、彼女に向き合った。
「やぁ、ネディリカ! 4日ぶりかな?」
「あぁ。その様子、自信満々といったところか」
淡々としたハスキーボイス。
クールな容姿やその声もあり、彼女は結構女性人気が高いウマ娘だ。
まぁそれを言ってしまえば、ボクも女性人気の高い方なのだけれど。
彼女は競合相手でもあるわけだ。こういう前哨戦で、ファンを奪われるわけにはいかないな。
「当然だよ。ボクの魔法は無敵だ、相手が龍であろうと、もう遅れは取らないとも!」
自信満々で高らかに語るけれど、これは半分くらいは出まかせ。
正直なところ、ホシノウィルムにボクの力が通じるかは不透明だった。トレーナーは「あちらがどこまでここで走れるのか、今回のレースで測るしかないね」と言っていたし。
……けれど、残す半分は本音でもある。
ボクはホシノウィルムが凱旋門賞に出ると聞いてから、今日まで彼女との再戦に向けて、全力でトレーニングに臨んできたんだ。
自信というものは、いつだって日々の地道な鍛錬によって培われる。
ボクはその一点において、そうそう他人に劣らないと自負していた。
だからこれは嘘ではなく……。
言うならば、自分の感情に服を着せて着飾っているようなもの。
恥じることはない、「素面」のボクも、「魔法使い」のボクも、どちらもボク自身なのだから。
「良い自信だ。競走ウマ娘かくあるべし、だな。
……とはいえ、今回ばかりはいささか放言となるかもしれないが」
ネディリカはそう言って、チラリとボクの抜け出してきたパドックの方に目をやる。
そこには……。
彼女が、いた。
セミロングの鹿毛に、一房の黒鹿毛。
ボクより更に小さな体躯に、両耳に付けた左右対称の耳飾り。
欧州のウマ娘とは全く違う造形の顔の中、小柄で青みがかった凛々しい瞳に、彼女はただ目の前のレースへの熱意だけを載せている。
東洋から来たる怪物。
……あの日、どうしようもないくらいにボクを打ち負かした、競走ウマ娘。
ホシノウィルム。
彼女はパドックに立ちながらも、殊更に強くアピールすることもなく……。
ただその場に堂々と立ち、胸に付けられたブローチを指で弾いた。
そのあだ名の由来になったらしい、灰色の粒子状のマントが展開され……。
最近のレースでは見る頻度が減っていた、けれどボクのまぶたには焼き付いて離れない勝負服が、完全な形を取り戻す。
深紅を基調とし、薄い灰の差し色が入った、ショート丈のジャケット。
黒色の中に白のラインが入った、インナーとショートパンツ。
薄灰色の星のブローチと、背から伸びる輝かしい無形のマント。
二着目の勝負服と違ってシンプルな造形。
けれどそれこそが、虚飾を取り払った彼女の本心、底から込み上げてくる炎のような闘争本能を示しているようにも思える。
アレは、最強の王者としての姿でなく……。
1人の競走ウマ娘、戦士としての姿、なのかもれない。
故にこそ……彼女は今はただ、観衆の前で堂々と胸を張って立つばかり。
余計なアピールなどせず、ただ自分を信じろと、この背に夢を託せと、そう無言の内に語っているかのようだった。
その立ち振る舞いに思わず目を奪われていると、隣からものすごく珍しい声が聞こえた。
「ふっ。流石のウィッチイブニングでも、ホシノウィルム相手には緊張が避けられないか?」
「……ビックリしたよ。君、笑うことあるんだね」
「失敬な。私とてウマ娘だぞ」
思わず言った言葉に、ネディリカは再びむすっと、その表情を仕舞い込んでしまう。
いつも無表情だから、感情なんて持ち合わせていないのかと思っていたけれど……案外彼女にも、真っ当な情緒があったらしい。
まぁ、ボクだって仮面の下に表情を隠してるんだ、あまり人のことは言えないか。
「彼女には去年のジャパンカップでの借りがあるからね。そりゃあ当然思うところはあるよ。
けれどそれは緊張ではなく、奮起と言うべきものだ。
ボクは一流のマジシャンであり、一流のエンターテイナー。レースとファンの皆を前にして、緊張して脚を震わせるようなアマチュアではないさ!」
胸を張ってそう言う。
これは100%の本音だ。
一時期はあまりの結果に落ち込んだりもしたけれど……。
今、彼女の後ろ姿を見て湧き上がってくるのは、恐怖ではなく、ただただ強い闘争本能。
彼女と競いたい。彼女に勝ちたい。彼女の背を越えた先の景色を見たい。
その欲望が、ボクの心に火を点けている。
……っ、と。
飄々として正体の掴めないマジシャンとしては、あまり見せるべきものじゃないな、これは。
ボクは溢れる熱を内心に仕舞い込み、隣のウマ娘を笑顔で見上げた。
「ネディリカの方はどうなんだい? 東洋最強を謳われるウマ娘だ、思うところの程は?」
「……ふむ」
彼女は数秒ホシノウィルムの方を見やって……。
コクリと、一度頷き、答える。
「勝てないな、アレは」
「…………え?」
正直に言えば、その言葉は彼女が笑みを浮かべたことよりもずっと意外な言葉だった。
競走ウマ娘ネディリカは……何と言うべきだろう……例えるならば、騎士のような性格をしてる。
相手が誰であろうと、自分の持てる全てを使って挑み、必ず越える。
そういう、正々堂々とした子だ。
彼女は、レースに対して後ろ向きなことは言わない。
どんな状況からでも「必ず勝つ」と言い切り、仮に勝てなかったとしても「次は勝つ」と宣言する。
そういう、猪というか牛というか、真っすぐ突っ込むしか能のない……と言うと言い方が悪いけれど、ひたすらに真っすぐなウマ娘なのだ。
ボクのキャラクターとは合わないから言葉に出しては言うことはないけれど、ボクは彼女のそういうところが好きだったし、共感を持ってもいた。
だから、そんなネディリカが、堂々と「勝てない」と言い放つとは思っていなかったのだけれど……。
思わず目を見開いたボクの前で、「けれど」と彼女は言葉を繋ぐ。
「けれど、それでも私は勝つ」
「……? 勝てないのに勝つとは、難解な言い回しだね」
「今は、勝てない。状況が良くない、情報が足りない、差が大きい。それら全てが、勝ち目がないことを意味している」
「……ネディリカ、そういうこと考えられるタイプだったんだね。いつでも『勝つ』って言うと思ってた」
「勝ち目がある時に勝つ気で挑むのと、勝ち目がない時に勝つなどと大言を吐くのは違うだろう。
今までの戦いでは、いつだって私に勝機があったというだけだ」
「それが今はないと? 彼女はこっちに渡って来てから、初のレースのはずだけど?」
「……むしろ、ウィッチイブニング、お前はアレを見て勝ち目があると思うのか?」
よくわからない言葉に、ボクは首を傾げてネディリカの方を見たけれど……。
彼女はこちらと視線を合わせることはなく、ホシノウィルムの方を見たまま、頷く。
「ああ、そうか、違うのか。……まったく、厄介だな」
「えぇと、何の話かな」
首を傾げたボクに、彼女は至極平然と、とんでもない情報を告げてきた。
「私には、どうやら特殊な第六感があるらしくてな。それも共感覚で視界と直結している。
こういう時に他人と自分で見ているものが異なるから、話が合わないこともある。それを厄介と称した」
思わず、目をぱちくりしてしまう。
第六感。
ボクたちウマ娘やトレーナーたち人間に備わっている五感ではない……。
直感や霊感、そう言われる類の感覚。
ネディリカがそれを持っている?
なんというか、信じがたい話だ。いや、魔法使いを自称するボクが否定するのもアレだけれど。
……というか、本当にそんなものがあるのなら、彼女はボクより余程魔法使いなのでは?
なんとも言えない感情と共に見上げた先、彼女は顎を手で撫でながら言う。
「……私にはアレに、大きな大きな灰色が重なって見える。
色が大きなウマ娘は、強い。今回に限っては、私の対処可能な大きさをいささか超えている」
「それって……こっちでは見たことないくらい強そうってこと?」
G1レースに5度出走し、内二度は勝ち切ったネディリカ。
そんな彼女が、恐らくは初めて「勝てない」と言い放ったのだ。
それはつまるところ、欧州で見たことがない程、その……色? というものが大きかったということか。
そう思っての質問だったのだけれど……。
彼女は緩く首を振った。
「いいや。あれ程の大きさを見たのは三人目だな」
「……意外と多いね。内訳は?」
「一人目は、数年前に見た、全盛期のモンジューの黄金。アレはいささか種別の異なる大きさだったが
そして二人目は……」
「二人目は?」
そこで一度口を閉ざした彼女に先を促すと……。
ネディリカは、観客席の方に視線を投げていた。
何があるのかと、それを追ってみれば……。
…………うわ。
いる。
すごく見覚えのあるウマ娘が、いる。
マスクにサングラスにキャップという不審者ルックな雑な変装をしているけれど……。
体をぶんぶん振り回すような熱烈すぎる応援で、死ぬほど目立ってしまっている少女。
その小柄さとか、茶の混じった金髪とか、左耳のティアラ状の耳飾りとか……多分この国の人間なら誰もが見覚えのあるウマ娘だった。
というか、現欧州最強筆頭だった。
何やってるんだあの子。
いや、応援なんだろうけれど、ホシノウィルムを見に来たんだろうけれど……。
彼女の横の契約トレーナーが頭を抱えていて、思わず少し憐れに感じてしまう。
なんとも言えない気持ちで苦笑していると、ふと気づく。
「……ああ、二人目って」
「そうだ、彼女だよ。英雄姫、アンダースタンディブル。
彼女の白の混じった金は、粗削りではあるが……ホシノウィルムに並び得る程に大きい」
アンダースタンディブルは、10月の凱旋門賞に出走する。
彼女はこの後英セントレジャーに出走する予定らしいけれど、仮にそこで負けたとしても、彼女のファン人気は既に十分以上の領域に達している。
事故などを起こさない限り、出走は確定していると言っていい。
そしてそこには、あのホシノウィルムもおり、そしてボクとネディリカもいる。
「それは……」
ボクは思わず彼女と目を合わせ……。
殆ど同時に、2人で言った。
「楽しめそうだね!」
「楽しめそうだな」
門に挑むようなウマ娘に、世界の頂点に昇り詰めんとするウマ娘に、戦いを厭う者などいない。
走ることを好み、レースを楽しみ、強者と競うことを喜び、勝利することに悦楽を覚える。
そんなウマ娘の頂点こそが、あるいはどうしようもないレースジャンキーこそが、ボクたちだ。
「今は勝てない。認めがたいが、それでも自らの不徳故に認めよう。
だが、今回の経験を存分に活かし、門では勝つ。戦略的な勝利のために、私はこのレースを使う。
無論、死力は尽くすがな」
「言わなくてもわかってるって。ウマ娘がレースに本気を出さないもんか。
けど、そんな腰が引けた態度なら、このレースの勝利はボクの魔法で貰っちゃおうかな!」
敢えて煽るように言い、ネディリカの方を見上げる。
ボクと視線を合わせた彼女は、少し驚いたような顔をした後……ニヤリと、獰猛な笑顔を浮かべた。
「ふ、舐めた言葉を。
……しかし、そうだな。確かに今のは、些か私らしくない言葉だった。
ならば、今は敢えてこう言おう。フォワ賞でも凱旋門賞でも、勝つのは私だ、と」
「良いねぇ、お互い頑張ろうじゃんね!」
そう、目前に迫るレースに向けて、勝気に言葉を交わし合うボクたちに……。
「
唐突に、声をかけてくるウマ娘がいた。
それは、今まさにパドックから出て来たウマ娘であり……。
ボクたちが最も気にしていた相手でもある。
ホシノウィルム。
彼女は何を想ってか、ボクとネディリカの方を、その白ばんだ神秘的な瞳で見つめて来ていた。
……こうして対面するとわかる、すさまじい威圧感。
ボクには第六感なんてないけれど、彼女が競走ウマ娘として一つの高みにいることはどうしようもなく痛感させられる。
思わず黙り込んでしまうボクたちに対して、彼女は、ゆっくりと口を開き……。
あまり流暢ではないけれど、確かにフランス語で、言った。
「
……あるいは、ボクたちの会話を聞いて、理解していたのだろうか。
彼女はそれだけ言って、背を向け、ボクたちの下から去って行った。
「……うーん、宣戦布告か。これは目を付けられたかな?」
困ったな、と後ろ頭を撫でる。
まさか、目を付けられる……あるいは付けられているとは思わなかった。
意識されないことを前提としての策を組んできたけれど、どうやら無駄になってしまったらしい。
まあ、作戦は何も1つじゃない。次善のプランに切り替えればいいのだけれど……。
それでも、少なくとも『楽に勝てる道』はなくなってしまった。
困ったことになったと眉をひそめるボクと違って、ネディリカはその瞳を怪しく輝かせている。
「だろうな。しかし……なるほど。どれだけ逸脱していようと、ホシノウィルムもまた私たちと同じ、ウマ娘ということか」
「ん? あぁ……ふふふ、なるほど」
つまるところ。
ボクたちの溢れ漏らす熱に、彼女も感化された、と。
言葉はまともに通じずとも、レースへの闘争本能で、ボクたちは理解し合える……いいや、し合えたのだ。
……あぁ、また少しだけ、彼女のことがわかった。
そして、また少しだけ……。
「勝ちたく、なっちゃったな」
ホシノウィルム。
あの日、名優と併せて、ボクを完膚なきまでに打ち倒した、恐るべき灰の龍。
1年前のあの日と、レース場も違えばバ場状態も違い、出走するウマ娘も彼我の実力も、そしてボクの認識も、何もかもが違う。
今日のボクは、どこまで彼女に迫れるだろう。
彼女の背を、越えられるのだろうか。
……ああ。
それを試す瞬間が、今から楽しみで仕方がない。
ウィル(コミュ障発症して誰にも話しかけられなかったけど、ギリギリ知ってる顔いた! 声かけられて良かった~~~! 歩さんに発音トレーニングしてもらってでも言いたかった台詞も言えたし大満足! レースやるぞ~~!!!)
そんなわけで、調子乗りに見せかけて実は演技上手の硬派なウマ娘ウィッチイブニングと、「わかっちゃう」タイプの武人ウマ娘ネディリカ、海外でライバルになってくるウマ娘たちでした。
ウィッチイブニングの裏表激しいネタはジャパンカップ編から1年温めて来たんですが、思い切り公式とネタ被りしてしまいました。お恥ずかしい限り……。
それと、本当は今回でフォワ賞終わるつもりでした。始まりすらしなかったけど。嘘じゃないんです信じてください。
そんなわけで、開戦は次回持ち越しとなります。
次回は1週間以内。引き続き魔法使い視点で、今度こそフォワ賞。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!