転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

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 凱旋門賞プロローグ。





雨天決戦

 

 

 

 正直な話。

 生まれ変わったその時は、まさかこんなところにまで来れるとは思ってなかった。

 

 凱旋門賞。世界最高の格を持つ、芝の国際G1レース。

 レースの世界や格を山に例えるのなら、ここは間違いなく最高峰。世界の頂とでも言うべきものだ。

 

 生まれたばかりの頃の私は、ウマ娘世界に転生したことを悟った後にも、流石にここまで来れるとは思っていなかった。

 ただスペちゃんやテイオーちゃん、今ではスペ先輩やテイオーと呼んでいる彼女たちと一緒に走れるかもと、そんなことを思うばかりで……。

 

 ……いや、違うな。

 前世ではただの一般人だった私は、世界の頂点っていう場所について、知らなかったし想像すらできなかったんだ。

 

 転生したばかりの私は、何も知らなかった。

 ウマ娘として走る充実感も。

 この先に待ち受ける試練の数々も。

 その末に待っていてくれた、私だけの運命も。

 

 そして何より、運命の果てに辿り着いた、この場所の……恐ろしさも。

 

 

 

 ああ、そう。そうですとも。

 私は今、恐ろしく感じている。

 今この瞬間、ロンシャンレース場の控室で、凱旋門賞の開始を待つこの瞬間が、震える程恐ろしい。

 

 ていうか、誰だって怖いでしょこんなん。

 故郷から遠く離れ、たった1度きり、負ければ二度はない世界最高峰に挑むんだよ?

 ライバルはG1に悠々と勝つような強豪ばかり、対し私には環境の違いによる相応なデバフが付くんだ。

 

 いつものレースみたいに、気軽に走れるわけじゃない。

 ……いや、普通のウマ娘にとっちゃいつものレースもそれだけ大事なものなのかもしれないけど、私にとってはテイオーやネイチャ、マックイーン先輩たちとの日々のトレーニングの成果発表会みたいなもんだし。

 

 その上、当然だけど、この海外遠征には途轍もなく大きなモノが懸かっている。

 それは例えば、ここまで十全に私を支えてくれた歩さんの労力とお金であったり、徹底的な調査と対策のための時間と技術であり、ただ一度の挑戦のための私の時間と脚であり……。

 ……そして何より、日本のファンたちの、期待と不安であったりする。

 その全てを背負って、今、私はレースに臨もうとしているんだもの。

 

 もし何かミスったら、それで終わり。

 日本の夢は破れ、私の神話は終わり、それは欧州に現れた英雄神話の一部となる。

 

 それを恐れないわけがない。

 

 

 

 ……まぁ?

 ただビビってるだけかと言われれば、そうではないんですけども。

 

「あー超胸痛い。ドキドキとワクワクが止まらない。ついでに足も止まらない。

 歩さん、レースまであと何秒ですか?」

「あと2時間な。秒にすると7300秒弱」

「さっきと変わってないじゃないですか!」

「だってさっき聞かれてから1分しか経ってないし」

 

 私は控室でうろうろしながら、レースの始まるその時を待っていた。

 

 レースが怖い。

 何かミスを犯すのが怖い。負けてしまうのが怖い。皆の夢を壊してしまうのが怖い。

 そう思っているのは、事実だ。

 

 が。

 それらと共に他の感情も抱くのは、決して矛盾した話じゃないだろう。

 

 レースが楽しみだ。

 この私にミスを誘発させてくるような強者と走るのが楽しみだ。私を下せる緻密な作戦を感じるのが楽しみだ。皆の夢を背負って走るのが楽しみだ。

 

 私はそうも思っている。

 

 怖くて、楽しみで、不安で、ワクワクして。

 つまるところ……まぁ、いつものレースと変わらないってことだ。

 

 

 

「……ここまで来ても、君は変わらないな」

 

 歩さんは控室の中、椅子の1つに腰かけ、そう言って笑った。

 直後、スタンドに立てかけてあった歩さんのスマホから、声が届く。

 

『良いことじゃない。ホシノウィルムさんはこういう状態が一番強いんでしょ?』

「その通りだね。今のウィルは万全だ、絶好調も超えた覚醒状態と言っていい。

 これまでのトレーニングスケジュールもなんら問題なく熟してきたし、ステータスはもうなんかバグキャラとか魔改造キャラに足を踏み入れてる。まさしく前人未到の領域だ。

 その上精神面でも充足してるんだ、まさしく、今のウィルがこれまでのウィルの中で一番強いよ」

『すっごいドヤ顔……これは親バ鹿ならぬ担当バ鹿ってヤツ?』

『普段のレース前のホシノウィルム先輩と、数値的な変化は見られませんが』

「つまり、ウィルはレース前はいつも最高の状態ってことだな」

 

 呆れたような女性の声、続いたいつも通りの冷静な少女の声。

 その2つは、スマホを通してビデオ通話している、昌さんとブルボンちゃんのものだ。

 

 せっかくの凱旋門賞だしと、今回は歩さんの計らいで、日本に残った2人にもこの待機時間に参加していただいている。

 こっちに来てからあんまり2人と顔を合わせることはなかったので、こうして一緒に待ってくれてるのは結構嬉しい。日本にいた頃のわちゃわちゃした生活を思い出す。

 歩さんとの2人でのラブラブ同棲生活(まぁ実際には8割くらいはトレーニング漬けの日々だったけども)も決して悪くはないんだけど、やっぱり故郷のあの日々が懐かしくもなるね。

 

 特に、ブルボンちゃんはその最大目標であるクラシック三冠最後の一戦である菊花賞を控え、そのための京都新聞杯まで2週間足らず。時間は1秒でも惜しい状況だろう。

 それなのに「先輩のためであれば躊躇する必要はありません」と、自分から付き合うと言い出してくれたらしい。あまりにも良い後輩を持てて先輩は泣きそうです。

 

 

 

 ともあれ、レース開始が待ち遠しいことには変わりない。

 1人で待つよりはずっとマシとはいえ、それでもレース待ちの時間って1分が1時間にも感じるものだ。

 

 というわけで、皆でなんとか時間を潰そう。

 

「時間潰すために4人でしりとりしません?」

『嫌ですよ、なんでよりにもよってしりとりなんですか』

『「リズム」』

『ミホノブルボンさん、始めないでください。ホシノウィルムさんの冗談ですこれは』

「冗談じゃないですよ! しりとりは由緒正しき堀野歩さん陣営の時間の潰し方なんですから!」

「ウィル、その話は……」

『は? しりとりが? なんで? 普通に世間話とかの方がいいんじゃ……?』

「うっ、ガチ困惑に胸が痛い」

『何かしらの遊戯を行うことで硬直した思考を解すなどの結果が得られると推測』

「真面目な慰めとか考察が一番心に刺さるな……」

 

 歩さんががっくり肩を落としてしまったのを見て……。

 

 ……なんというか、良いなーって思う。

 あ、いや、変な意味じゃなくてね?

 

 昌さんが真面目に歩さんの駄目なとこ指摘して、ブルボンちゃんがそれをカバーしたり逆に天然で酷いことを言ったりして、歩さんががっくりと落ち込んで……。

 

「大丈夫ですよ、私は楽しかったですから。ね、しりとりしりとり! 私は『無理難題』で」

「ウィル……ありがとう。『胃潰瘍』」

『え、ホントにしりとりする感じですかこれ? ええと、「ウリエル」』

『「ルージュ」』

「ジュブナイル」

「ル……ル……」

『この段階で詰まることある?』

 

 それで、私が歩さんを慰めたりしながら、話を次に持っていき、そのままどこかズレた調子で話が続く。

 

 いつもの私たちのテンションで、いつもの私たちのスタンスで。

 こんな日にもそれが続いてるのが、無性に嬉しい。

 

 

 

 歩さんはいつか、私には居場所がないのだと言った。

 両親を亡くし、家族をなくし、家も失った私には、帰る場所がないのだと。

 

 だから、日本に家を買ってくれた。

 トレセンを卒業して栗東寮を出た後にも、いつでも帰ることができる場所があるように、と。

 

 まぁ、誕生日プレゼントにでっかい家買ってくれるとかどんなスパダリだよって感じだけど。

 というか学生相手にそれするのは流石に重くね? と若干思ったりもするんだけどさ。

 でも、私はそれが心の底から嬉しくて。

 何より、歩さんが私のことを想ってくれてるのが、本当に心の底から嬉しくて。

 

 ……そして、同時。

 堀野歩陣営。私やブルボンちゃんが属する、彼を中心とするコミュニティ。

 きっと、トレセンを卒業するまでの私の居場所は、ここなんだろうなって思えた。

 

 歩さんがいて、昌さんがいて、ブルボンちゃんがいて、あるいは来年からはもっとウマ娘が増えて。

 そんなところが、今の私の居場所なんだと、そう思える。

 

 

 

 だから……うん。

 

 ぼそりと、呟くように、私は想いを口に出した。

 

「帰ってきますね。ここに」

 

 歩さんに、「ただいま」と言ってもらえるように。

 

 ホシノウィルムは、何度だって、ここに戻って来よう。

 

 

 

 ……と。

 私は少なからず感傷的になってたんだけど。

 

「ウィル、今は『か』じゃなくて『び』だぞ」

「いやわかってますけどそういうことじゃなくてね? えーっと、『ビームサーベル』!」

 

 まぁ、今更あんまりシリアスすぎるのも、私たちには似合わないかな?

 

 そう思い、私は苦笑と共に、しりとりを続けることにした。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 私ことホシノウィルムは、こんな名前ながらジャパニーズウマ娘だ。

 残念ながら、フランス語とか英語は分からない。というかお恥ずかしいことに、日本語以外の言語はなんにもわからないと言っていい。

 強いて言えば、元オタクの教養として北欧ルーン文字はちょっと読めるくらいかな。今のところ役に立ったことはなかったけれども。

 

 そんな私は当然、フランスでのレースの実況解説を聞いても、なんて言ってるかさっぱりわからない。

 

 これの難しいところが、特にパドックなんだよね。

 フランスのレースも、細かい形状の違いはあれど、レース前の流れ自体は日本とそんなに変わらない。当然ながら、日本と同じようにパドックでのアピールタイムがある。

 毎度恒例、レース前に観客の方にそれぞれの姿や体の仕上がり、気合の入りようを見てもらう時間なんだけど……。

 

 問題は、これがいつ呼ばれるかわからないってことだ。

 

 パドックでのアピールは1人ずつ、レース運営団体が指示した順で行われる。

 私たちはお呼びがかかるまではその辺りで周遊とか柔軟をしていて、呼ばれたらパドックに行くって流れになるんだけど……。

 その私たちを呼ぶ係は、当然ながらフランスのレース運営団体の職員さんであり、彼ら彼女らが使うのは基本的にフランス語その他。

 残念ながらというか当然というか、どうやら日本語を話せる職員さんはいないっぽかった。

 

 なので、その場で軽く体を動かしていた私は、職員さんに肩を叩かれてジェスチャーゲームをするハメになるのである。

 

 何かの呼び出し? 検査? 蹄鉄? あ、違う? あっち?

 ……あーはいはい、パドックですね、了解。すみませんご迷惑おかけして、連絡ありがとうございます。

 

 という感情を表に出しすぎるとこっちでの私のイメージが崩れちゃうので、コクリと頷いて軽く頭を下げるに留め、パドックに向かうことにした。

 

 で。

 パドックに上がる時はいつも通り王者としての貫禄が出せそうなゆったりとした歩き。

 先のステージに着いたら立ち止まって、パチリと胸元の星飾りを指で弾き、灰のマントを展開。

 後は殊更にアピールなどせず、ファンの少し上を見て堂々仁王立ち。

 

 これが競走ウマ娘、ホシノウィルムの基本アピールだ。 

 

 少なからぬ感嘆? 驚嘆? の声が聞こえるので、アピールとしては成功したんじゃないかと思う。

 ……思うんだけど、正直わかんないね。なにせ実況解説が私のことなんて言ってるかわからんし。

 日本だと「一番人気は勿論この子、ホシノウィルム! これ以上ない仕上がりですね」とか言ってくれるから評価されてるんだろうなー、ということはわかるんだけど。

 

 ま、この辺りは海外遠征してるんだから仕方ない。

 この前のインタビューで十分に口は動かした。今動かすべきは脚で、それ以上でも以下でもなし。

 私としては堂々と胸を張り、レースへの自信を見せるばかりだ。

 

 

 

 パドックでのアピールが終われば、いよいよ本バ場入場だ。

 私たちは本日走るコースに足を踏み入れ、ちょっと走ってみたり、逆に心を落ち着けたりして、本格的にレースに向けて心身を整える……。

 

 ……ん、だけど。

 ここで1つ、アクシデントが発生というか、状況が変わった。

 

「む」

 

 肩に感じた感触に上を見上げると、今度は額にポツリ。

 気のせいかと思えるくらい僅かだったそれは、けれど急速に数を増やして……。

 

「……天気予報、当たっちゃったか」

 

 ロンシャンレース場に、雨が降り始めた。

 

 

 

 10月のロンシャンレース場、というかパリの降水率は、歩さん曰く25%。

 4日に1度くらいの頻度で雨が降り、それによってバ場が荒れてしまうのだという。

 

 ……けど、ぶっちゃけ「25%ってホントか?」と思うくらいには雨降るんだよね、凱旋門賞周り。

 結果としてなのかかなり道悪になりやすくて、3年前のエルちゃんの時なんか、観測史上最悪のバ場状態だったらしい。

 

 いつも洋芝に比べて軽い野芝で走ってる日本のウマ娘としては、更に足取りが重くなる悪路は、決してアドバンテージにならない。

 ここら辺の事情もあって、日本のウマ娘は凱旋門に勝てない、というジンクスはより強固になっちゃってるっぽいんだよね。

 

 で、そんな芝状態。今年はどうだったかと言えば……。

 残念ながら、決して良くはない。

 

 昨日の夕方までもかなり酷く雨が降ってて、結果として、今のバ場状態はかなり悪い。

 公式の発表では余裕の重バ場、日本ではそうそう見られないような走りにくい状態だ。

 

 実際、こうして本バ場に入るとよくわかる。

 かなりぐじゅぐじゅの状態で、軽く足で踏むだけでも水が溢れてくる。

 これは走るのには適さない……っていうか、下手すれば滑ってこける子が出て来かねないレベルだ。

 まぁ凱旋門まで来るような子なら、余程のアクシデントがなければこけたりはしないだろうけどさ。

 

 更にその上、予報が正しければこれから雨脚は更に激しくなるわけで……。

 

「……これだとレースが始まる頃には、足音が聞こえる範囲、7バ身くらいかな?

 困ったことになったと言えばいいか、あるいは……歩さんの()()が通るかもってニヤければいいのか、判断に迷うね」

 

 日本語を理解できるウマ娘が殆どいないのを良いことに、私はボソリと呟いた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 徐々に雨が強まるレース前。

 私はたったったっと軽く足を動かし、コースの状態に脚を慣らす。

 

 当然ながらと言うべきか、心配性の歩さんがこうした事態を想定しないわけもなく。

 歩さんはトレーナーとして、私に道悪への対策を積んでくれていた。

 

 レンタルした専用のコース? に水を入れて道悪を再現し、その上で走らせるってヤツだ。

 それらの施策はキッチリ成果を生んだようで、曰く「鬼まではいかなかったが二重丸()までは行けた。これが今できるベストだ」とのこと。

 二重丸って何? と思わなくもないけど、これに関してはいつものことだから置いておくとして。

 自画自賛になるけど、私としてもこの2か月でだいぶ悪路に強くなった実感がある。元から弱くはなかったけどね。

 

 そんなわけで、私は抜かりなく洋芝の道悪にも適応している。

 「ぼとぼと」どころか「ざあざあ」に足を踏み入れつつある雨脚の中、私は白ばんでいくコースの上で足を動かしていたんだけど……。

 

 ふと、その脚が止まった。

 

 その理由は……。

 

 

 

「ついに、この日が来ましたね」

 

 雨粒のカーテンの向こうから現れた、1人のウマ娘に、行く手を塞がれたからだ。

 

 

 

 

「…………」

 

 彼女を見た瞬間。

 時が、止まったのかと思った。

 

 雨粒すらも球に感じる、ほんの一刹那。

 けれどそれは実のところ、時が止まったわけではなく……。

 ただ、私が彼女に……ああ、癪だけど、認めざるを得ない。

 

 私が彼女に、魂を抜かれるレベルで見惚れてしまった、というだけ。

 

 

 

 降り注ぐ雨に濡れ、けれどその金の輝きは欠片も褪せることはなく。

 ギラギラと光る、恐ろしい獣の瞳が、私の心の臓を射抜く。

 

 私もよく「普段とレースの時は全く別人」なんて言われるけど……彼女はもっと酷い。

 きっとそれは、彼女のスタンスの違いなんだろう。

 

 今目の前にいるのは、かつて見た「ホシノウィルムのファン」ではなく……。

 「ホシノウィルムに挑むウマ娘」としての、彼女。

 

 2週間程前に会った時とは同一人物と思えないくらい、目も、体も、心も、存在も、全てが究極に洗練されている……。

 

 ……ウマ娘という枠に、ギリギリ収まっているだけの、怪物。

 

 それが、彼女……アンダースタンディブルに対して感じた、率直な感想だった。

 

 

 

 知らず喉を鳴らしてしまった私に、彼女は言葉を投げかけて来る。

 

「お待ちしていました、ホシノウィルム」

 

 不思議と、今まで煩かった雨の音が失せた。

 意識は目の前のウマ娘に吸い寄せられ、他の全てがどうでもよくなる。

 半面、どこか冷静な私の脳裏からは、「ああ、これが他の子たちが私に感じるものなのかな」なんて他人事みたいな感想が垂れ流されていた。

 

 ……けれど、ああ。

 これだけの相手を前にして、私の胸中を襲うのは、喜悦の感情ばかり。

 

 恐怖がないわけではない。

 けど、その何十倍っていう喜びが……最高に楽しいレースになりそうだっていう喜びが、胸が裂けてしまうんじゃないかってくらいに込み上げる。

 

 全く以て救えない。

 私はどこまでも「競走ウマ娘」だ。

 

 

 

 そうして、私の視線の先で、アンダースタンディブルは……。

 ほうと、1つ息を吐いて、話し始める。

 

「……あの日から。

 画面の向こうのあなたの走りを見たあの日から、ずっと、ずっと、ホシノウィルムと走り、ホシノウィルムを超えることだけを夢見て来た」

 

 その独白は内容に反してどこか艶っぽく、聞き様によっては色気すら感じられるものだった。

 そして多分、その私の感覚は大きく間違っていないだろう。

 

 なにせ、彼女は今……。

 恐らく、私が感じているそれと同等以上の、本能的喜悦を感じているんだろうから。

 

 

 

「ようやくです。……ようやく、ようやく! ようやく!!!

 ようやく、私が()()()()()()()()()()化け物と、走れる日が来た!!!」

 

 

 

 ……ああ。

 わかるよ。

 その気持ち、本当によくわかる。

 

 誰も並ぶことのない最強って、すごく退屈なんだ。

 それはただの独走であって、競走にはなり得ないもの。

 

 私たち競走ウマ娘には、共に走ってくれるライバルが、立ちはだかる高い壁が必要だ。

 それがなくては……私たちに、本当の熱は灯らない。

 

 ホシノウィルムに火を点けて、走りを楽しむことを教えてくれたのが、私の遠い背を見ても絶対に諦めなかったナイスネイチャであるように……。

 アンダースタンディブルに火を点けて、走りを楽しむことを教えたのは、そうやって燃え盛り走っていた私だったんだろう。

 

 あの日々の中で、私がずっとずっと、ネイチャとの走りを熱望したように。

 アンダースタンディブルは、この1年の間、私との走りに焦がれ続けて来た。

 

 だから、私にはアンダースタンディブルの気持ちがよくわかる。彼女はかつての私だから。

 きっと、アンダースタンディブルにも私の気持ちがよくわかる。私はいつかの彼女だから。

 

 故に……。

 

 

 

「待たせたね、アンダースタンディブル」

 

 いつしか端の吊り上がっていた唇を、動かす。

 

 私たちの間に、多くの言葉は必要ない。

 ただ、乗せるべき感情だけを、言葉の旋律に乗せて、彼女の元まで届ける。

 

 

 

「レースを、走ろうか」

 

 

 

「ッ!!」

 

 直前の私と同じように、彼女はビクリと硬直する。

 総毛立ち、怯え……けれどそれ以上に、その瞳が告げている。

 

 それを、あなたを、この時を、待っていたのだと。

 底知れない喜悦と共に、彼女の心が叫んでいるんだ。

 

 その感情を、彼女は歓喜の言葉と満面の笑顔で表した。

 

「はい!!」

 

 

 

 

 

 

 それ以上、私たちは言葉を交わさなかった。

 

 お互い、理解してたんだ。

 これ以上交わすべき言葉はない。

 あとはただ、互いの全てをレースにぶつけるだけだって。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ざあざあと降りしきる雨の中、聞き取れない解説実況の声が遠くに聞こえる。

 

 日本のものとは一風変わったゲートの中、勝負服に水を滴らせながら、私はレースの開始を待っていた。

 今回のスタート位置は19番。20人立てのレースで、内から数えて19番目。つまりは最外でこそないけど、それに準ずる位置だ。

 ゴールまでの単純な距離で考えれば、大きな不利を背負ったことになるだろう。

 

 ……が、こと大逃げウマ娘からすれば、枠番はレースの展開にそこまで大きく影響しない。

 なにせレースが始まればすぐに先頭を取り、内に滑り込むんだ。

 むしろ万一のスタート失敗からバ群に囲まれて身動きが取れないというコースを考えれば、外が有利まであるかもしれない。

 

 更に言えば、ロンシャンレース場は最初の直線が1000メートル続くんだ。

 バ群形成までの時間は十分にあり、だからこそ事故は比較的起こりにくい。

 ……つまり、それだけ単純な距離が延びる外枠が不利って意味でもあるんだけどさ。

 

 

 

 まぁでも、結局、レースは強いウマ娘が勝つものだ。

 

 単純だけど継続の難しい苛烈なトレーニングを積み重ね、自ら持って生まれた弱点を可能な限り削り取り、ベストマッチなトレーナーと二人三脚で駆け続け。

 そうして、誰にも打ち破れない、完璧な走りをしたウマ娘が勝つ。

 

 ……私は、ホシノウィルムの積み重ねを否定しない。

 

 この世界に生まれて以来経験した、様々な嫌なこと、辛いこと、楽しいこと、嬉しいこと。

 付き合うようになった親しい人も、そうでもない人も、嫌いな人も。

 過去と呼ばれるそれら尽くが私の血肉となり骨子となり、今の私を形作っている。

 

 特に歩さんと出会ってから、私は最高の環境で最高のトレーニングを積んで、最高の状況で私の問題を解消してきた。

 これ以上なんて望むべくもない、欠けた部分なんて1つもない3年間だったと、少なくとも私はそう思っている。

 

 そうやって、私が組み上げてきた「競走ウマ娘ホシノウィルム」は、所詮15年分のハリボテかもしれないけど……。

 全ての負を清算し、精神肉体共に弱点をなくした私は、きっと誰より強靭で頑丈なハリボテだ。

 

 だから、負けない。

 どれだけ執拗に追いかけられたって、空の彼方まで飛んで逃げてやる。

 

 

 

 その想いを胸に刻み、チラリと、歩さんのいるはずの観客席に目をやって……。

 

 豪雨の中、雨に白ばんで見えないはずのそこに、確かに彼の目を感じ、1つ頷く。

 

「……ふふ、勝って帰りますよ、心配せずとも。もうそういうのは卒業しましたから」

 

 その心配そうな瞳に癒され、微笑を漏らし。

 改めて、しとどに濡れながら、レース開始の時を待つ。

 

 

 

 

 

 

 ……ふと、最後に。

 今気にしなくてもいいはずのことが、脳裏に浮かんだ。

 

 ついさっき、私を地下バ道へと送り出すその直前。

 歩さんが、まるで秘め事を話すかのようにひっそりと、どこか後ろめたそうにこっそりと、教えてくれたことが。

 

『最後の瞬間まで、君に伝えるべきかどうか迷ったが……きっと、今伝えるべきだと思う』

 

『伝言を預かっている。君の……ファン、2人からだ』

 

『「どうか楽しんで、無事に帰ってきてほしい。いってらっしゃい」、と』

 

『ただそれだけだ』

 

 ……その言葉の意味することは、わからない。

 

 なんで今、それを伝えられたのか。

 2人のファンという人たちが、何者なのか。

 何故歩さんは、そんな簡単なメッセージを伝えるのに悩んだのか。

 

 私には、何もわからなかったけれど……。

 

 いつだって、私は誰かに背中を押してもらってるんだって、そう思えて嬉しかった。

 

 だから……。

 

「行ってきます」

 

 どこかの誰かへの返答として、そう呟いて。

 

 

 

 

 

 

 ガキン、という鋭い音と共に。

 

 凱旋門賞。

 

 世界最高峰を決める戦いが、始まった。

 

 

 







 毎回恒例、開始まで行かない前編詐欺。
 でも色々書きたかったことは書けたので作者としては満足です。

 これまでは基本堀野君→ウィル→時々それ以外の視点でやってきましたが、凱旋門賞はちょっと変則的ローテーション。
 次回も引き続きウィル視点でお送りします。
 ……ぶっちゃけ尺の調整に失敗しました。書きたいことを欲張り過ぎましたね。



 次回は1週間以内。ホシノウィルム視点で、星に至った娘の話、あるいは凱旋門賞本当の前編。



(雑記)
 怒涛のウマ娘追加、控えめに言ってビビる。

(追記)
 誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!
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