転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

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 「七番目の騎士」

 とあるウマ娘の視点で、凱旋門賞、後編です。





le septième chevalier

 

 

 

 自分とは何なのかと、時折考える。

 

 今年のG1ガネー賞勝者、フランスの差しウマ娘、ネディリカ。

 端的に表せば、私を表す記号は以上となるだろう。少なくとも、表面的には。

 

 そう、私はG1ウマ娘。

 レースを走る数多のウマ娘の中でも最上級、この世界で最も注目されるアスリートの一人である。

 

 おおよそ全てのウマ娘の、そしてレースファンの憧れであり。

 故にこそ、私たちは常に誇りある姿を見せねばならない。

 その背中で、多くのウマ娘やファンたちに夢を見せ、その期待に応えねばならないのだ。

 

 ……だが、最近になって、こうも思う。

 そのG1ウマ娘という輝かしき称号は、果たしてどれだけの価値を持つのだろうか? と。

 

 

 

 G1レースであるガネー賞は毎年1度ずつ行われ、出走するウマ娘たち18人の中から1人、必ず勝者が選ばれる。

 つまるところ、毎年1人ずつ、ガネー賞の勝者は確実に生まれていくのだ。

 

 そんな戦場において、私はただ一人、唯一無二の絶対的な走りを見せて勝ち切ったのか?

 ……いいや、違う。

 私は他の18人のウマ娘と比べて、図抜けて優れていたわけではなかった。

 皆が素晴らしき優駿で、私たちはほぼ同格で、その中で全力を尽くして戦った結果、クビ差で私が……偶然、勝った。

 言うならば、ただ毎年1つずつ用意される「ガネー賞勝者」という枠に、偶然引っかかったに過ぎない。

 

 あの日は偶然雨が降らず、走りやすい良バ場だったが……。

 仮に今日のような重バ場であれば、私の抜け出しは十全に機能しただろうか?

 今日のように激しい雨が降る中で、囲まれた状態から進路を見出せただろうか?

 

 ……いいや、そうは思えない。

 

 私はあの日、全ての要素が噛み合い偶然に勝てた、運の良いウマ娘でしかない。

 欧州最強格などと持て囃されていても……結局のところ、無数に存在するG1「級」のウマ娘の中の1人に過ぎないのだと思う。

 

 

 

 ……そのことを。

 自らが決して大それた存在でないことを、私は、2人のウマ娘の登場によって思い知らされた。

 

 極東、あのエルコンドルパサーの出身国である日本。

 そこで、ただ1度を除き全てのレースで勝利を収めたという、絶望的な程の怪物……。

 今を生きる神話、ホシノウィルム。

 

 そして、欧州はイギリス。

 ホシノウィルムに呼応するようにして現れ、ただの1度の敗北もなく、既に4つのG1レースを勝ち切ったモンスター……。

 竜殺しの英雄、アンダースタンディブル。

 

 それまで何の迷いもなく、ただひたすら愚直に勝利を目指してきた私にとって……。

 この「勝つことが当たり前」の、選ばれた2つの存在は、相応以上の衝撃だった。

 

 そうだ。

 彼女たちこそが真のG1ウマ娘。真の世界の頂点。

 全世界のウマ娘に憧れを抱かせ、その背を追わせ、多くをターフの上に導く者たち。

 

 ……私は、その座には着いていないし、きっと着くことはできない。

 

 

 

 フォワ賞でホシノウィルムに対面し、私はそれを思わざるを得なくなった。

 

 その圧に、その覇気に、心の奥底で震えた。

 目の前の存在は、全く格が違う化け物だと、そう痛感させられたのだ。

 

 去年、ホシノウィルムの出身国である日本に赴き、対戦もしたことのあるウィッチイブニングは、むしろ彼女の姿に奮い立っていたようだったが……。

 私は、そこまで前向きになれなかった。

 

 なにせ……私には、見えるのだ。

 余りにも大きな、灰色の覇気。

 絶対に自分は超えられない、大きすぎる気配が。

 

 昔から私が有していた、謎めいた力。

 競走ウマ娘の、脅威性の可視化。「色」による判別。

 状況を俯瞰でき、私にとって有利になるはずの天性の能力は、むしろホシノウィルムの絶対性を如実に表し、私の心に深い挫折を刻む結果に終わった。

 

 今回のレース、フォワ賞では……ホシノウィルムには、絶対に勝てない。

 だからせめて、自分の持つ手札を彼女に見せず、逆に彼女の手札を見ようとして……。

 

 ……そうして、2つの隣り合う、あまりに凄絶な世界を見て。

 想像の遥か上を行く脅威を、絶望を、味わったのだ。

 

 

 

 ホシノウィルムだけではない。

 

 アンダースタンディブルと同じレースを走ったことはないが、それでも一度見ただけでわかる。

 彼女の色の大きさは、ホシノウィルムに並ぶか……あるいは、それすら上回る程。

 より正確に言えば、ほんの1年前までは他のG1ウマ娘に並ぶ程度でしかなかったのが……たったの1年で、ホシノウィルムに並ぶ程になった、と言うべきだろう。

 

 長い時間をかけて育ったのであろう、ホシノウィルムとは対極的な、超短期での爆発的成長。

 ギフテッドと呼ぶべき、早熟の才能。

 

 彼女もまた、埒外の化け物だ。

 この欧州に、そして世界に、歴史に名を刻んでいくであろう、唯一無二の存在なのだろう。

 

 

 

 ……であれば。

 

 私は何だ?

 

 ネディリカ。

 偶然G1レースに勝っただけの、偶然その椅子に座ることができただけの、ただのウマ娘。

 この歴史上に無数に存在する、名前も覚えられないであろう、埋もれた存在。

 

 私が今、ここにいることに、走っていることに、果たしてどれだけの価値がある?

 競走ウマ娘として、一人の戦士として、私は何の意味を有している?

 

 ……私は。

 

 私は、何だ?

 

 

 

 そんな悩みを抱えながらも。

 結局のところ、競走ウマ娘である私が選べる道など1つしかなかった。

 

 走ること。

 レースに向けて自らを鍛え続け、その価値を証明すること。

 

 特に、次に出走するレースは……あの世界最強たる2人、ホシノウィルムとアンダースタンディブルが出走する世界最高峰のG1、凱旋門賞だ。

 ここに……いいや、あの怪物2人に勝つことさえできれば、私はその価値を証明できるはず。

 

 だから私は、ただひたすらに走り続け、努力を積み重ねた。

 

 ……それさえも、おおよそ無意味に終わることを、悟りながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 そんな潮目が変わったのは、凱旋門賞の2週間程前だったか。

 

 私と私のトレーナーの元に、1人の男が現れた。

 

 

 

「急な来訪となってしまい、申し訳ありません。また、このように時間と場所を取っていただいたことに感謝します」

 

 驚く程流暢なフランス語でそう語る、外国の男性。

 

 フランス、私の所属するパリの中央トレセン。

 その私たちが使うトレーナー室で、私とトレーナーの対面に座っている彼は……私もトレーナーも、よく知る人物だった。

 

「お気になさらず。かのホシノウィルムのトレーナーとなれば、歓迎せざるをえませんよ。

 改めて、ようこそ、パリのトレセン学園へ」

 

 そう言いながら、トレーナーが握手を交わしたのは……。

 

 あのホシノウィルムのトレーナー、アユムホリノさんだった。

 

 

 

 何故、日本のウマ娘のトレーナーたる彼がここにいるかと言えば……。

 ……わからない。

 

 トレーナーの話では、ホリノトレーナーは2日前、何の脈絡もなく「お会いできませんか」とコンタクトを取って来たらしい。

 トレーナー同士、あるいはウマ娘同士の仲が良ければ、こうやって会うことも珍しくはないんだけど……当然ながら、私もトレーナーも、日本のトレーナーである彼と殊更の親交は持っていなかった。

 フォワ賞の直前インタビューの際に顔くらいは合わせたものの、それ以上のコミュニケーションは取ったことがない。

 正直なところ、急なアポイントメントに驚いているのが現状だ。

 

 その上、彼はあのホシノウィルムのトレーナー。

 下手な行動を取ればメディアに情報を抜かれかねないし、そうでなくとも一挙手一投足に含む意味を疑われる存在であるのは間違いない。

 特に……レース前、こうして他陣営と内密の話をしようとする、なんて。

 少なくとも、あのフォワ賞のインタビューで見た時は、そんな軽率なことをするトレーナーとは思えなかったのだが……。

 

 

 

 懐疑的な感情を隠す私とトレーナーに対し、あるいはそれを察したのだろうか、ホリノトレーナーは苦笑を浮かべた。

 

「申し訳ありません、誤解を与えてしまっていますね。

 ご安心ください、次のレースで手を抜いて欲しい……などと、そんなつまらないことを言うつもりは毛頭ありません。

 むしろ……ホシノウィルム陣営としては、ネディリカ陣営含め全てのライバル陣営に、是非とも渾身の力で挑んでいただきたいと思っています」

「そう、ですか。……ええ、こちらとしても、そのつもりではあります。当日はよろしくお願いします」

 

 少し……拍子抜けというか、何というか。

 

 本番前のウマ娘は殺気立つことも多い。殊にG1ウマ娘は顕著で、気性によっては興奮しすぎて人に噛みつきかけた、なんて冗談のような話もあるくらいだ。

 故に、この時期に他の陣営の者が接触することは、あまり推奨されない行為。

 それを押して私たちの元を訪れたのだから、彼の目的はそれくらいしか見当が付かなかったのだが。

 

 それでは何が目的なのか、と。

 私とトレーナーが疑問に思っていると……。

 

 

 

 バサリ、と。

 ホリノトレーナーは、手に持っていた大きなバッグの中から1つの分厚い封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。

 

「……それに関しまして、こちらは自分からあなた方への贈り物となります」

「贈り物……?」

 

 眉をひそめたトレーナーが、封筒から取り出したのは……。

 何十枚か束ねられた、分厚い紙束だった。

 ……トレーナーが机に置いた際に裏返ったから気づいたけど、ホリノトレーナーの持って来た封筒には……恐らく日本語なのだろう、「秘」という、私の読めない文字が判子で刻まれていた。

 

 それが何を意味するのか、私が考えている横で……。

 

「なっ……これは……!」

 

 トレーナーは、ぎょっとした声を上げていた。

 

 私のトレーナーは、感情を積極的に表に出さない方だ。

 だから、私はそれに少なからず驚き、トレーナーの方を見たのだが……。

 

 私の視線の先。

 トレーナーは、ホリノトレーナーの方に、疑念と……僅かながら、畏怖のようなものが込められた目線を向けていた。

 

「君は……何を……これを俺に渡す意味がわかっているのか?」

「ええ、勿論」

「な……何故、いや、何の為に……!?」

 

 椅子から立ち上がり紙束を握りしめて、眉を寄せて混乱を見せるトレーナー。

 

 

 

 ……ふむ。

 流石に、これ以上は見ていられないな。

 

「トレーナー、落ち着け」

 

 強く彼の袖を引いて、席に座り直させる。

 

 私とトレーナーは、パートナー。互いに互いを助け合う関係である。

 私が猛り過ぎた時に止めてくれるのがトレーナーであるのなら、トレーナーが慌てた時に落ち着かせるのは私の役目だ。

 

 幸い、トレーナーは私の言葉に「あ、ああ、すまないネディリカ」と気を落ち着けてくれた。

 

 ……しかし、彼をここまで動揺させた書類の正体は気になるところだ。

 

「それで、その紙束の内容は何だったんだ」

「ああ……いや、それは……」

 

 何故か返答を躊躇うトレーナーに代わり、ホリノトレーナーがそれに答えた。

 平然と、まるで何もおかしなことなどないとでも言うように。

 

 

 

「これは、ホシノウィルムのここ1年のトレーニング内容とその成果、彼女の現在の実力に関しての詳細な分析、領域(ZONE)についての私的な解析情報、それとアンダースタンディブルの能力の調査結果だよ」

 

 

 

「……は?」

 

 私は恐らく、相当な間抜け面を晒していただろう。

 

 ホリノトレーナーが凄まじい分析眼を持っている、という情報は私も知っていた。

 少し調べれば分かる話だし、何よりトレーナーがその目を酷く羨んでたから。

 聞くに、百発百中でウマ娘の能力を分析する、あのアンダースタンディブルのトレーナーと同格の目を持っているらしい。

 

 しかし……何故?

 何故、そんな分析眼に優れたトレーナーが……。

 その成果を、敵である私たちに渡すというのか。

 

 

 

「…………何故、これを俺たちに渡すのか、理由を聞いても?」

 

 トレーナーが絞り出した、掠れ声。

 

 何故なのか。その理由。

 それこそが、私たちを困惑させる、一番の問題で。

 

 戸惑う私たちに対し、ホリノトレーナーは、軽く肩をすくめ……。

 とんでもなくふざけた事を言い出した。

 

「簡単なことです。ただ、楽しいレースにするためですよ。

 このままでは、凱旋門賞はあまり楽しいものにはならないだろうと思いまして、一計を案じたまでです」

 

 私もトレーナーも、ぱちくりと目を瞬かせた。

 より正確には……唖然とし、何も言い返せない数瞬の時が過ぎた、と言うべきか。

 

「……楽しい、レース?

 それは……まさか、いや、そんなことの為に、自分の担当ウマ娘を不利にすると……?」

「不利? ……ああ、なるほど、そういう思考をしていらっしゃるのですね」

 

 ホリノトレーナーは、一度首を傾げた後、クスリと……邪悪にすら見える笑みを漏らした。

 

「関係ありませんよ。どれだけ厳しい状況に置かれようと、俺とウィルを負かせる相手はいませんから。

 だから……いつだってそう。俺がすべきは、彼女を万全に育て上げた後、ウィルが楽しめる対戦相手を用意することですから」

 

 ……理解、できない。

 何を考えているんだ、この男は。

 

 そう思ったのは私だけではないのだろう。

 トレーナーは、掠れた声で疑問を呈する。

 

「…………狂って、いるのか? トレーナーは……ウマ娘を、勝たせるためにいるんだろう?」

 

 私たちの、狂気を疑う視線を受けて、ホリノトレーナーは……。

 

 どこか底知れない、けれど確かに見覚えのある熱を……レースとウマ娘への情熱を秘めた瞳で、答えた。

 

「ええ、それはそうですね。確かにその通り。

 けれど、勝つ負けるの前に、ウマ娘が楽しめるレースをさせる。ウィルの熱を絶やさない。

 それが、俺のトレーナーとしての至上の指針ですので」

 

 

 

 

 

 

 結局、何を目論んでいたのかはともかくとして……。

 ホリノトレーナーは、きっと時間を使って作り上げたであろう、自らの調査・研究結果を私たちに残して行った。

 「これを使うかの判断はお任せします」と、そう言い残して。

 

 そして、私のトレーナーが調査した結果、どうやらそれらは正確な──少なくとも、ある程度は信頼を置いていい部分のある──データだったらしい。

 

 これがいっそ欺瞞だらけのデータであれば、躊躇なく破いて捨てられたのだが……。

 少なからず正しいデータが入っている以上、そう簡単な話でもなくなる。

 

 全てが本物であるかはともかく、これには少なからず有用なデータが含まれている。

 つまり、世界最上級のトレーナーが組み上げたウマ娘の育成論や育成プラン。

 領域(ZONE)への事細かで現実的・物理的な解釈と考察。

 そしてホシノウィルムに並ぶ脅威であるアンダースタンディブルの実力や癖、弱点。

 これさえ読み解けば、それらの情報が手に入る……可能性があるのである。

 

 が。

 だからと言って、全てを正しいと信じていれば、足を掬われるかもしれない。

 なにせこれらのデータには、嘘という名の遅効性の毒が仕込まれている可能性があるのだから。

 

「……厄介だね、良薬となるか毒薬となるかがわからないとは。

 今から全てのデータの正誤確認をする時間はないし、こうなるとホリノトレーナーの言葉を信じてこれを使うか、あるいは危険視して全く使わないかの二択になる。

 そして……おおよそ真っ当な対処としては、見なかったフリをするのが正しいだろうね」

 

 トレーナーの言葉は、正論だった。

 

 ホリノトレーナーは、敵だ。

 私たちネディリカ陣営にとって、最大と言っていい敵。

 そんな敵からもたらされた情報を鵜呑みにするのは、もはや愚かと言っていい行為だ。毒杯とわかっているものを自ら呷るに等しい。

 

 確かに、疑うまでもなく正論だ。

 

「さて、どうする? ネディリカ。恐らくここが分水嶺だ。

 君らしく堅実に着実にトレーニングを積むか……君らしくなく、賭けに出るか。

 君はどちらを選びたい?」

 

 ……私は、面白味のない性格であると頻繁に言われる。

 実際、自分でもそうだろうなと思う。

 ユーモアや諧謔は、私とは遠い場所にある概念だ。言うのは勿論、聞いて適切なリアクションを取ることも苦手な程に。

 

 だからというわけではないが、私はいつだって質実剛健に、最も効率的で適切なトレーニングを積もうと心がけている。

 堅実で、リスクが低く、一歩一歩。

 それが私の、今までの生き方。

 

 

 

 ……そう。

 それこそが、何者にもなれないただのウマ娘、ネディリカの生き方だった。

 

 

 

「……トレーナー」

「ああ、わかった」

「まだ、何も言っていないが」

「何年の付き合いだと思ってるんだ。言わなくても伝わることもある。

 ……よし、それじゃギャンブルをしようか。

 俺たちのこれまでとこれからを全てベットした……一世一代のギャンブルを」

 

 

 

 ……ああ。

 きっとこのレースには、私以外の、つまりはトレーナーの今後も懸かってる。

 

 世界最高峰のレース、凱旋門賞。

 そこで下手な結果を残せば、彼のトレーナーとしての未来は暗くなってしまうかもしれない。

 

 けれど……彼は、迷いなく頷いてくれた。

 私と共に、毒杯を呷ると、即断してくれたのだ。

 

 であれば。

 私は、その決意に応えねばなるまい。

 

 一人のウマ娘としても。

 彼の担当ウマ娘、ネディリカとしても。

 

 

 

 故に、今。

 迷いも、未練も、恐怖も、その全てを棄て。

 

 私は、勝利を誓う。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 まぶたを開く。

 とても長い、けれどほんの一瞬の回想を終えた。

 

 ざあざあと降りしきる白く清純な雨の中、19人のウマ娘たちの足音が立てる轟音。

 その中で、私は泥のような芝を蹴り飛ばし、前を見据えている。

 

 凱旋門賞、当日。

 あれから2週間後の今、私はロンシャンの芝の上を走っていた。

 

 

 

 直線を抜け、第三コーナーに突入。

 

 今回私が取ったポジションは、いつもより少し前目、ギリギリ差しに分類されるであろう、先行にも近い位置。

 つまるところ……アンダースタンディブルの、僅かに後方だ。

 

 ネディリカにとって、ここがこのレースにおける、ベストのポジションだと言っていいだろう。

 なにせ……私自身が何もせずとも、アンダースタンディブルが道を切り拓いてくれるのだから。

 

 瞬間、私の眼前で、アンダースタンディブルが不可思議なステップを踏み……。

 どういう訳か、彼女の左前方に道が拓ける。

 

 ああ、全く理解できない。

 今彼女が何をしたのか、どうやって固まったバ群の流れを崩したのか、それを理解できるだけのレベルに私は至っていない。

 

 けれど……それでいい。

 

 こうなることは分かっていたし、どうすればいいかもプランニングはできているから。

 

「ッ!」

 

 予め加速の準備を終えていた私は、急加速するアンダースタンディブルになんとか追従する。

 

 僅か遅れてついて来るのは、ウィッチイブニング。

 どうやら彼女も、賭けに出た側か。

 ……予想通りではあるがな。

 

 

 

 ホリノトレーナーがあの文書を持ち込んだのは、私たちだけではないはずだ。

 彼の目的は「レースを面白くすること」であって、「ネディリカというウマ娘を助けること」ではない。別に私に限って渡す必要はなかっただろう。

 彼が情報を流したのは私たちだけではなく、レースに出走する大半のウマ娘たち、と考えるのが妥当だ。

 

 あの文書にアンダースタンディブルの詳細なデータが載っていたことからして、ホシノウィルム陣営が唯一警戒し、そして私たちに潰してほしいと願っているのは、彼女なのだろう。

 なにせあそこには、アンダースタンディブルの能力の他に、取るだろう戦術や使うだろう技術、細かな癖に予想されるアクシデントまで事細かに記述されていたのだ。

 アレを見れば、誰だってアンダースタンディブルに対して有効な戦略を組み、対抗する手段を模索するはずだ。

 

 故に、恐らくホシノウィルム陣営が本格的に敵対しているのはアンダースタンディブルのみであり……。

 彼女以外の全ての陣営にあのデータを流したのだろう、と推測できた。

 

 このデータへの反応や対応は、陣営によって変わるだろう。

 

 真っ当に拒否し、これを受け入れないか。

 毒すら呑む覚悟で、これを受け入れるか。

 あるいは、時間がないことを悟りながらも、使える情報だけ抽出しようと試みるか。

 

 だが、1つ確かなことは。

 私やウィッチイブニングは、そんな薄い勝ち筋に賭けてでも、あの二人に……。

 ……いいや、このレースに、勝ちたいと望んだ。

 

 

 

 視界を、現実へと戻す。

 私の目に映るのは、アンダースタンディブルの背中と、泥を蹴り上げて力強く進む彼女の走り。

 

 ……ああ、速い。

 

 知っていた。

 アンダースタンディブルが化け物であることも、既に私たちを超える身体能力を有することも。

 全て、ホリノトレーナーがもたらしたデータによって、私は知り得ていた。

 

 けれど……いざ目にすると、やはり驚嘆せざるを得ないな。

 あまりにも大きな黄金の輝きと、信じ難いペースの追い上げ。

 これで2400メートル……残り1000メートル近くを走り抜ける気なのか。

 

 恐らくは、このレースで開けると予想される彼女の領域(ZONE)と、持ち得る技術によって、走りを支えるつもりなのだろうが……。

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

 今はひとまず、彼女の後に付いて走る。

 元より長距離指向の私からすれば、厳しくとも、不可能なペースではない。

 

 このまま……とにかく食らい付き、仕掛け時を待つ。

 

 

 

 改めて、前方を見やる。

 

 目の前に見えるアンダースタンディブルの背中からは、私や外に付いているウィッチイブニングを気にする様子は見られない。

 それどころか、加速に付いて来ているウマ娘がいることすら勘付いていない……。

 いいや、勘付いてはいても、気にしていないのだろう。

 資料の通り、彼女の眼中に私たちの存在はないらしい。

 

 そして、その前方……今はもう4バ身まで縮まった距離の先に、ホシノウィルムが走っている。

 アンダースタンディブルを金とすれば、彼女の色は銀にも見える灰。

 目を焼かれてしまいかねない程の輝きが、少しずつ、少しずつ、近付いて来る。

 

 ……ホリノトレーナーのもたらした情報が正しければ。

 ホシノウィルムの神業じみた二重領域(ZONE)の展開は、それぞれの条件「他のウマ娘が自身の後方1バ身より前に存在すること」「最終直線に突入すること」の二点の条件を満たさねば、起こり得ないらしい。

 

 そして今……アンダースタンディブルは何を思ってか、その二つの条件を同時に満たすような動き方を見せている。

 このままでは、ホシノウィルムはフォワ賞で見せたような、神話的スパートを見せるだろう。

 

 ホリノトレーナーから情報をもたらされてはいないとしても、アンダースタンディブルならばホシノウィルムのスパート条件を察していそうなものだが……。

 果たして、何を考えているのか。

 

 ……まぁ、いい。

 むしろ、私にとっては()()()だ。

 

 

 

「はっ、はっ……くっ」

 

 進む度、ホシノウィルムに迫る程に、アンダースタンディブルの色が強まり、大きくなった。

 その黄金は、龍の脅威を前にして、より一層輝きを増している。

 

 信じ難い……いいや、認め難いことだが。

 やはりアンダースタンディブルは、ホシノウィルムに近付けば近づく程、その脅威性を増している。

 

 そして、その黄金の輝きが張り詰め、爆ぜる時。

 つまりは、ホシノウィルムの走りを、その粋を目の前で見た時。

 恐らく、彼女は領域(ZONE)を開き……取り返しの付かない、決定的で致命的な破綻が起こる。

 世界を塗り替える、英雄の新たな地平が開いてしまう。

 

 

 

 ……つまるところ、結論としては。

 

 二重の領域(ZONE)によって他者を突き放す、ホシノウィルムにとっても。

 新たな領域(ZONE)によって勝負を決めようとする、アンダースタンディブルにとっても。

 

 その領域(ZONE)こそが、最大の切り札であり、他の有象無象と自らを分ける壁。

 

 彼女たちを唯一無二たらしめる、絶対性の要なのだ。

 

 

 

 

 

 

 だから。

 

 それを潰すためだけに、私は、自らの世界を進めた。

 

 ただ一度の……最初で最後の、凱旋門賞。

 このレースに、勝つためだけに。

 

 

 

 

 

 

「……すぅ」

 

 私が大きく息を吸った、その瞬間。

 

 ホシノウィルムが最終直線に辿り着き。

 同時、アンダースタンディブルが彼女の1バ身後方に至る。

 

 時が、来た。

 

 瞬間、ホシノウィルムは……何を思ったか二つではなく、一つだけ、見覚えのある領域(ZONE)を開き。

 そして、それに応じるようにアンダースタンディブルは……。

 

 ……そっくりで、けれど更に凄惨な世界を、開いた。

 

 

 

 過去と現在。そしてそれだけではなく、未来も。

 自らの人生全てを熔かす、狂った炎。

 

 ああ……恐ろしい。悍ましい。

 こんなにも……自らの命を投げ出して構わないと思う程の、熱。

 

 

 

 あるいはそれこそが、真の意味で私たちと彼女たちを分ける壁なのかもしれない。

 

 普通のウマ娘であれば、そんなことはできない。

 ただ一度の走りのために、自らの命を捧げるなど……正気の沙汰とは思えないもの。

 

 その狂熱を持ち得る者こそが、真の意味で「ただ一人のウマ娘」足り得。

 そうでない、私のようなウマ娘は、どこまで行っても「凡百のウマ娘」でしかなく。

 

 

 

 ……けれど、それでも。

 

 たとえ、それ程の熱を持ち得ない、凡百のウマ娘でも。

 彼女たちのように、選ばれた存在でなくとも。

 

 ただ一度だけ。このレースでだけでも。

 彼女たちに勝てるのなら。

 確かにここにいたと、価値を、私を、証明できるのならば。

 

 

 

 私は、自らの道を歪めよう。

 

 

 

 片や、冷たく優しい草原を焼く、青い炎。

 片や、乾いて空虚な草原を焼く、赤い炎。

 そして、後ろから感じる、いくつかの気配。

 

 それらに挟まれた、私は……。

 強く、強く、地面を踏みしめ。

 

 目の前に広がる世界を、割った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 広がった景色は、そんなに大したものではない。

 

 私には、ホシノウィルムやアンダースタンディブル程に、確かな自らの心象風景なんてものはない。

 故に、領域(ZONE)を開いても、大層な光景になることはない。

 

 果たしてそれは、何の変哲もない普通の世界。

 私から見た、いつもの日常だった。

 

 その中で私は、祝福みたいな暖かな陽射しの下、走る。

 

 

 

「6日、過ぎ去り。今は7日」

 

 

 

 ……世界は、完成されている。

 私のような者がいなくとも問題なく周り、また私がいたとしても大して行く末は変わらない。

 

 それを変えることができるのは、きっと彼女たちのような選ばれし存在のみで。

 

 そんな彼女たちに、私が対処する方法は、ただ一つ。

 

 

 

「聖別せよ。今は、何事もあってはならぬ」

 

 

 

 ……こちら側に。

 

 「何者でもない」者の側に、引きずり落とす、のみ。

 

 

 

 瞬間、世界に光が溢れ、一気に広がり……。

 

 ホシノウィルムとアンダースタンディブルの、そして他のウマ娘たちの領域(ZONE)を呑み込み。

 

 プツリと、音を立てて、閉じた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 領域。

 ウマ娘の、魂の力の噴出。

 その力は、1つでレースの趨勢を覆す程に大きい。

 

 なんとも、ふざけた話だ。

 

 魂の質。

 そんな生まれ持ったものだけでレースの結果が決まるのならば、私たちは何のために走るのか。

 何のためにトレーニングを積み重ね、何のために体を鍛え上げるのか。

 私たち自身が積み重ねる努力は、生まれ持った魂の才能を、どうやったって超えられないのか。

 

 ……認めない。

 そんなことは、認められない。

 

 

 

 故に、私は拒んだ。

 領域を。それがもたらす結末を。

 

 ホリノトレーナーのもたらした領域論は、確かに私の中の領域のイメージを歪めることを可能とした。

 心象世界、自らの象徴の歪曲。あるいは誘導。良く言えば、昇華だろうか。

 2週間という短期間ながらも、私はそれを完了させ……。

 

 結果として。

 私の領域は、「自分のものも含め、あらゆる領域を閉ざすもの」となった。

 

 ホシノウィルムと、アンダースタンディブル。

 彼女たちに勝つには、彼女たちとの間に開いた差を埋めるためには、こうせざるを得なかったから。

 

 

 

 

 

 

「ククッ、面白い!!」

 

 前の方から、声が届いた。

 恐らくは、独り言。

 誰かに言うのではなく、楽し気に叫んだもの。

 

 そこから伝わって来たのは、私への興味と、追い詰められたことによる熱、それから……。

 未だ息すら乱れぬ、余裕。

 

 ……ああ、もう、本当に……怪物が。

 こんな距離を、あんなペースで駆け抜けておきながら、それでもなお余力を十分に残しているなんて。

 

 

 

「これが……レース? これが、ウマ娘!?」

 

 前の方から、声が届いた。

 恐らくは、独り言。

 誰かに言うのではなく、衝動的に呟いたもの。

 

 そこから伝わって来たのは、激しい動揺と、乱れ揺らめく炎のような熱、それから……。

 未だ息すら乱れぬ、余裕。

 

 こっちも……領域を強制的に閉ざされて、多少なりとも調子が狂うはずなのに、その気配が見えない。

 どうなってるんだ。何をどうしたらそうなる。怪物が。

 

 

 

 やはり、あの2人は化け物だ。

 私のような凡百のウマ娘とはモノが違うのだろう。

 

 ……だが、同時。

 アンダースタンディブルも、ホシノウィルムも、今や「特別な存在」ではない。

 

 特別な力で、レースをひっくり返すことはできない。

 凄まじい異能力で、常識を覆すことはできない。

 

 己の世界の展開を禁じられ、物理現象に縛られた私たちは、皆一様にただのウマ娘に過ぎない。

 

 ようやくだ。

 ようやく、彼女たちと、同じ土俵に立てた。

 

 

 

 ここからは、複雑なことなんて何もない。

 

 ただただシンプルな、競走。

 子供がするようなかけっこの延長線上の戦いだ。

 

 残りは600メートル弱。

 バ場状態は最悪。

 栄光の先頭まで、あと1バ身弱。

 

 この条件下で、残ったスタミナで、その末脚で、誰が最速かを決めるだけの戦い。

 

 

 

 ……ガギ、と。

 嫌な音が聞こえた。

 それが自分の歯ぎしりの音だと理解するまで、数瞬。

 

 その音で、事ここに至って、私はようやく自らの本心に気付く。

 

 ああ……我ながら、なんとも愚かな。

 

 自らの価値を証明する。

 トレーナーに報いる。

 ファンの期待に応える。

 何者かになる。

 

 私はいくつも、このレースに勝つ理由を並べて来たが……。

 

 

 

 何のことはない。

 

 本当は、ただ、悔しかっただけだ。

 

 

 

 あの日、ホシノウィルムを見て、この心を竦ませた。

 レースに勝つことはできず、それどころか自ら敗北を受け入れ、情報収集に徹してしまった。

 

 アンダースタンディブルを見て、格が違うと感じた。

 己では勝つことはできないと内心で諦め、彼女こそが真の頂点であると受け入れた。

 

 ……それらが。

 心の底から、悔しかった。

 

 走ってもいないのに、自らの敗北を認めてしまったことも。

 走ったとしても、彼女たちに勝つことはできないだろうことも。

 

 悔しくて、悔しくて、悔しくて悔しくて悔しくて。

 

 だから、毒を飲んででも勝ちたいと、そう願った。

 己の限界への憎しみ、己の不徳への怒り、それらをぶつけるように、ひたすら走って来た。

 

 

 

 私の、本当の望みは、簡単だった。

 

 勝ちたい。

 

 この化け物共に。

 

 このレースに!

 

 

 

 ……何よりも、自分にッ!!

 

 

 

「がッ、ァァァアアア!!!」

 

 獣じみた悲鳴を上げ、私はただ、走った。

 

 

 

 わかっている。

 勝ち目は、薄い。

 

 単純な肉体的スペックで見ても、走りの技術面で見ても、私はホシノウィルムとアンダースタンディブルに及ばない。

 彼女たちよりも長く走っている先輩でありながら、彼女たちに勝てる部分なんて殆どない。

 

 けれど……今は、そんな理屈、どうでもいい。

 

 

 

 周りのウマ娘たちが、凄まじく強いことはわかっていた。

 でも、どうでもよかった。

 今更考えることはない。ただ最速でゴールすればいい。

 

 自分の肺が、脚が、全身が、悲鳴を上げているのがわかった。

 でも、どうでもよかった。

 自分の心に打ち克つためなら、そんなものは棄ててもいい。

 

 景色は歪み白ばんで、雨音さえ聞こえなくなった。

 でも、どうでもよかった。

 ウマ娘の本能を元に、ゴールまで走れればいい。

 

 

 

 芝を踏みしめる脚は感覚を失くし。

 脳は熱いようでも冷たいようでもあり。

 全身の感覚は失せ、今すぐ止まれと悲鳴を上げていた。

 

 それでも、ただただ己の内から込み上がるものを燃料として、私は自分の体を前へと進める。

 

 ……いいや、少し、違う。

 

 進めたいと、進みたいと、そう願う。

 

 

 

 ああ……なるほど。

 

 ようやく、本当にようやく、理解できた。

 

 これが。

 この、魂の底より沸き上がる熱が。

 これこそが、彼女たちを動かしていたもの。

 

 人生を焼き焦がしても構わないとすら思える……。

 

 私たちの、魂の、渇望。

 

 

 

 

 

 

「……ああ。最高だったよ、何もかもが」

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 

『ゴォォオオオオオルッッッ!!! 熾烈を極めた凱旋門賞、今ここに決着ッッ!!

 

 ロンシャンの2400メートルを誰よりも速く駆け抜けたのは、灰の龍、ホシノウィルム!!

 今ここに夢は叶った! 最新の神話に新たな1ページ!!

 

 そして2着入線、半バ身差で続いたのは、14番ネディリカ!!

 ネディリカ惜敗!! 惜敗したものの、最後の最後の最後まで龍に食らい付いたぁ!!!

 

 続く3着入線はハナ差か、英雄姫アンダースタンディブル!!

 これまでにないメンバー、これまでにない激闘の末、英雄ここに斃れる! ですが英雄は何度でも立ち上がるもの、彼女の再起にも期待しましょう!!』

 

 

 







 ネディリカ
 『le septième chevalier』Lv5
 他のウマ娘が領域を開くと、安息の中で走る力を取り戻す。また現在開いている全ての領域を即座に閉ざす。

 スキル進化
 「伏兵◎」→「才の超越」
 6番人気以下のレースで、本来の能力を超えた力を発揮する。
 「決死の覚悟」→「ただ一度でも」
 ロンシャンレース場、芝2400メートルの最終直線で好位置にいると速度を跳ね上げる。



 星と英雄の陰に隠れた、誰でもなかったウマ娘が、ようやく誰かになる瞬間。



 次回は1週間以内。ホシノウィルム視点で、戦いの後の話。
 ここしばらく他のウマ娘サイドの話が多かったですが、ようやくウィルたちの視点に戻ります。お待たせしました。
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