実は、朝に弱い方で、よくぼんやりしている。
ただ、無表情だからあまり気付かれない。
今回はおまけの別視点回です。
読まなくても意味はわかるようにしますが、読めば本編をもっと楽しめると思います。
ボクはウマ娘だ。
ウマ娘は走るモノ。
だからその日も、ボクは走っていた。
「はっ、はっ、はっ……あと、ちょっと!」
不慣れなことをしたせいで、脚に余裕がなくなってきた。
多分、このペースを保つことはできても、これ以上のスパートはできない。
でも、勝つ。
目の前を走る彼女が垂れれば、このスピードでも追い抜けるはずだ。
……なぜか色のない中山レース場で、17人のウマ娘たちと一緒に走る。
皐月賞。クラシック三冠の、最初の一歩。
ボクの夢の1つがかかった、絶対に負けられない戦い。
その日に走っていたのは、そういう大事なレースだったんだ。
皐月賞と同じコースの若葉ステークスに出て、理解したことがある。
2000メートルって距離は、走ってみると案外短い。
ボクの脚だと……オープンレースならともかく、国内最高峰のG1レースじゃ、終盤で一気に捲るのは無理だと思う。
だから、前め前めに走って、第三コーナーあたりから一気に先頭を目指す……。
定番の戦術って言えばそれまでなんだけど、これがボクの立てたレースプラン。
それで問題なく、いつも通り1着を取れる……。
……はず、だったんだ。
その日のレースは、上手くいかなかった。
ネイチャに圧力をかけられたわけでもないのに。ボクの体調は絶好調だったのに。
何故か、ずっと……ちゃんと走れてないって感覚があった。
理屈はない。ただぼんやりとした嫌な予感と、脚が余っているような違和感があって。
先頭を走る彼女が坂を降る瞬間、ようやくわかった。
ペースをコントロールされてる、って。
彼女はボクと同じで、ずっとスペックに任せて勝ってた。
というか、ボクらにとってはそれが普通なんだ。
ウマ娘としての強い力を持ってるから、それを使って正々堂々と、真正面から戦って勝つ。
……そういうものだと、思ってた。
けれど、どうやら彼女は違ったみたいで。
とんでもなく強引な方法で、ボクたちの皐月賞を掴み上げて、手のひらの上に乗せていたんだ。
それを理解した瞬間、一気に駆け出す。
このままじゃ、あの模擬レースの時みたいに差を付けられちゃう。
……でも大丈夫、まだ勝ち目は十分にある。
彼女が最初に見せた速度は、明らかにラストスパートのそれだった。
つまり、もう体力はそこまで残っていないはずだ。
なら、ボクは……ロングスパートで距離を詰めて、最終コーナーで抜き去る!
「いよし、行くぞ……!」
ジリジリと前を目指すロングスパートは、ボクの専売特許だ。
……流石に、今回みたいな1000メートルのスパートはやったことがないけど。
それでも、ボクにできないわけがない。
絶対に差し切ってやる!
第三コーナーに入った。あと10バ身差くらい。
最終コーナー。6バ身差まで縮めた。
行ける。
もう少しだけ加速して、その後方2バ身まで入って……彼女を振り向かせるんだ。
トレーナーが言うには、彼女は後方からの圧力に弱いらしい。
2バ身差くらいまで迫れば、こちらを振り向いて大きく掛かってしまうって話だった。
前半にあんなペースで飛ばしたんだ、彼女にこれ以上スパートをする余裕なんてあるはずない。
掛からせれば、確実に垂れる。
それを差し切れば、ボクの勝ちだ。
大丈夫。絶対問題ない。ボクなら勝てる。
……そのはずなのに。
なんで、こんなに胸騒ぎがするんだろう。
5バ身……4バ身……3バ身。
行ける。この最終コーナーで詰め切れる。
「皐月賞は、もらった!」
そうして、ようやく届いた。
彼女の後方、2バ身。彼女を焦らせて、こちらを振り向かせるに足る距離に。
自慢じゃないけど、ボクの圧力はちょっとすごい。何せ無敵の帝王様だもの、彼女も気付かないはずがない。
……それなのに。
振り向かない。
彼女は、何事もなかったかのように、ただ走っている。
何かがおかしい。話が違う。
なんで彼女は……ボクのことを見ようともしないの?!
「テイオーちゃん」
何故か、ターフを蹴り飛ばす轟音の中でも、その言葉が聞こえた。
静かで、澄んでて、けれど重い言葉。
「私にはもう、弱点なんてないんですよ」
マズい、って思った。
理屈のない直感。でも、間違いなくそう思う。
このままじゃマズい。もっと、もっと速く走らないと!
そうじゃないと、ボク……!
「さようなら」
その後ろ姿が、弾けた。
彼女の背負った灰色の光が一層輝いて、ボクがそれに見惚れた一瞬の後、既に彼女は遥か彼方にいた。
……スパート。
序盤にあれだけの走りをして、その上で、いつもと変わらないスパート?
なんでそんなことできるの?
底なしにスタミナがあるの?
それとも、どこかで脚を溜めてたの?
いや、今は考えるな。
負けじと脚の回転を速める。跳ね上がるようにターフを蹴り付ける。
今はただ、前に走るんだ!
ボクが、負けるわけがない。
これまでだって、ずっと勝ってきたんだもん。
本気を出して負けたのなんて、それこそあの模擬レースくらいのもので、あれだってネイチャに足を引っ張られたから負けたんだ。
ボクは負けない。勝つ、勝つんだ!
そのはずなのに……!
「なんで、なんでっ!?」
届かない。迫れない。遠のく。
足に力が入らない。息が上がる。フォームが乱れる。
……彼女との差が、開いていく。
ボクが、負ける?
そうして。
『ホシノウィルム、1着でゴール! 8バ身を付けた、堂々の圧勝!』
ボクは、ただその光景を見ていることしか、できなかった。
……いや、できなかった、じゃない。
ボクには、星のように煌めく灰色を、後ろから見ていることしかできないんだ。
永遠に。
* * *
「わぁっ! うげっ!」
気付けばボクは、頭を抱えていた。
痛い……。何かにぶつけちゃった?
「あいたたた、なんだよ、もぉ……」
周りを見回すと……そこは、色のないレース場じゃない。
ここは……栗東寮の、ボクの部屋。今いるのは、ベッドの上?
……あぁ、なるほど。夢だったんだ。
もう、なんて夢見るんだよ、びっくりしたぁ。
あんなの、できれば二度と見たくないよ。
で、状況は……飛び起きて、壁にかけてあったボードに思い切り頭をぶつけた、って感じかな。
なんてツイてない朝だろ。よりにもよって皐月賞に負ける夢を見るなんて。
ボクは、三冠を取らなきゃいけない、のに……。
「……あ、そっか」
ボードをかけ直している時に、それがちらりと目に入る。
ボクが掲げた目標の書かれた、2つの紙……。
「無敗の三冠ウマ娘になる」「カイチョーを超える」。
その内の片方、前者が、ぐちゃぐちゃに塗りつぶされているのが。
ボクはもう、三冠を取れない。
さっき見たのはただの夢じゃなく、現実で起こったことで。
皐月賞は、彼女に……蛇ちゃんに、取られてしまったんだ。
* * *
「テイオー、大丈夫か?」
「トレーナー?」
いきなりトレーナーに声をかけられた。
大丈夫? 大丈夫って何だろ。
特に気分が悪いとか、どこかが痛いってことはないけど。
「足、止まってるぞ。集中し切れてないんじゃないか?」
「足? ……あぁ、そっか」
しまった、ランニング中だったんだ。
ぼんやりと考え込んで、足を止めちゃった。
……あれ、ボク、何を考えてたんだっけ。
「……テイオー。やっぱり今日は休もう」
「っ、ダメだよ! トレーニングしないと、ダービーでも……!」
「うん、君の言いたいことはわかる。
日本ダービーまで、あと1か月と少し。あのホシノウィルムに勝つためには、これまで以上のトレーニングが必要、だろ?」
「そうだよ! もっと頑張らないと、ボク……」
もう、負けたくない。
あんな経験はしたくない。
ボクが勝つはずだったんだ。
10万人が見守る中で勝って、あの歓声を浴びるはずだったんだ。
それなのに、8バ身差なんて大きな差を付けられて……ボクに向けられたのは、冷たい声だけだった。
いや、それじゃない。
一番辛かったのは、それじゃなくて……。
『……残念です』
彼女の目が、ボクを、見ていなかったこと。
「テイオー。……テイオー!」
「え、あ、うん。何?」
「……やっぱりダメだ、テイオー。今の君が無理にトレーニングすれば、最悪事故を起こしかねない」
「そ、そんなことないよ! お願いトレーナー、ボク頑張るから!」
「テイオー……わかってくれ」
「やだよ! やだやだ! このままじゃ、ボク……!」
自分が焦ってるのは、薄々わかってる。
このままじゃマズいってことも、頭では理解できてる。
でも、それでも、もっと頑張らないと……。
あの子に勝てない。
……蛇ちゃんに、相手にもされない。
同じ土俵に上がることすら、できないんだ。
その時。
「テイオー!」
トレーナーとは別の、少しだけ怒ったような声がかかる。
振り向かなくてもわかる。
ボクがその声を、聞き間違えるはずがない。
「カイチョー……」
そこにいたのは、ボクの憧れの人。
トレセン学園生徒会長、無敗の三冠ウマ娘、シンボリルドルフその人だった。
少し昔、まだカイチョーがトゥインクルシリーズ現役だった頃。
皐月賞に続いてダービーに勝った後、カイチョーは余裕の表情を見せながら、2本の指を立てた。
幼いボクは、そのカッコ良さに……たくさんの人から声援を貰って誇らしげに立つその姿に、心底憧れたんだ。
その瞬間から、ボクの目標はカイチョーになった。
だから後を追うように中央トレセン学園に入って、トゥインクルシリーズに登録した。
……その後、トレーナーと出会って、憧れるだけじゃなくカイチョーに勝ちたいって思うようになったりしたけど。
今でもカイチョーと、カイチョーの成し遂げた無敗の三冠っていう伝説は、ボクにとって最高にキラキラした……憧れなんだ。
そのカイチョーが、珍しく眉をひそめてボクを見てた。
……自分が良くないことをしてることは、なんとなくわかってる。
だからちょっと気まずくて、ボクはカイチョーから目を逸らしてしまった。
「テイオー、言っただろう。トレーナー君にあまり迷惑をかけるな、と」
「……うぅ、だって」
「君の気持ちもわかる。私とて生涯無敗だったわけではない、敗北……大敗した時の動揺は、理解できるとも。
けれど、そんな時だからこそ心機一転、自分のトレーナーと息を合わせて歩まなければいけない。
彼は君のことを考えて言ってくれてるんだ。だから君も、彼と契約しているウマ娘として、彼に寄り添わなければならない。
……違うかな?」
「うぅ……違わないけどぉ」
「まぁまぁ、ルドルフ。テイオーにだって想いがあるんだ、そこを蔑ろにしちゃいけないよ」
カイチョー、何かあった時は必ずトレーナーの肩を持つんだもん。
正直、カイチョーとそこまで信頼関係を作ってるトレーナーに、ちょっと嫉妬するくらいだよ。
ボクのトレーナーは、カイチョーのトゥインクルシリーズ現役時代のトレーナーでもあった。
ドリームトロフィーリーグに移籍するにあたって、色々あってチーム所属になり、トレーナーとの契約は解除したらしいけど……。
今でもカイチョーは時々トレーナーに会いに来るし、トレーニングについても相談してる。
契約がなくなっても、長い時間が培った信頼関係は揺るがないみたいだ。
……いいなぁ、そういう関係。ちょっと憧れる。
元々、トレーナーに契約を持ちかけたのはボクの方から。
カイチョーを担当してたトレーナーなら、ボクをカイチョーの背中へ導いてくれるかもしれないって思って、彼にアタックしたんだ。
結論から言うと、確かにその能力は高かった。
きちんとボクの気持ちを理解した上でトレーニングを組んでくれるし、すごく堅実な育成をしてくれる人だ。
信頼は、まぁ、してるよ。この人なら間違いないって。
ただこうして時々、カイチョーとの関係性を見せつけられて……ちょっとうんざりもしてるかな。
別に、トレーナーが誰と仲良くしようといいんだけどさ。
自分の契約トレーナーと、自分の憧れの人が親しいと……なんか、むかむかする。
ボクのトレーナーだし、ボクのカイチョーなのに、って。
その上、今は皐月賞での負けもあって、ボクは素直にカイチョーの言葉を聞ける状態じゃなかった。
「だって、だって! もっとトレーニングしなきゃ……!」
「トレーナー君も言っていたが、これ以上は時間を浪費するだけだ。一旦気分転換でもしてきた方が良い」
「やだ! そんなことしてる間に、あの子はもっと速くなるんだもん!」
「……やれやれ、困ったな」
カイチョーは、苦笑いで腕を組む。
うぅ、カッコ良い。
カッコ良いけど、だからって騙されたりしないからね!
頬を膨らませるボクを前に、トレーナーはカイチョーに近寄って、何かを囁く。
「ルドルフ、もしよければ……」
「む? ……なるほど。ふふ、相変わらず君は、ウマ娘使いが荒いな」
「頼めるか?」
「君の頼みを、私が断ったことがあったかな?」
仲が良い2人を見てると、もっともやもやする。
ボクのトレーナーって言うんなら、カイチョーじゃなくてボクの方を見てくれればいいのに。
カイチョーだって、もっとボクのことを見てくれてもいいじゃん。
……なんで皆、ボクのこと見てくれないんだよ。
「2人で何話してるのさ!」
「いや、何でもないよ。
……時にテイオー、君もあれから成長したはずだ。また模擬レースをしてみないか」
「えぇっ、カイチョーとレース!? いいの?」
カイチョーは生徒会長で、いつも忙しそうにしてる。
その上、やっぱり無敗の三冠ウマ娘って栄光には、ちょっと手の伸ばしにくいところがある。
だからカイチョーは、模擬レースしたいって思っても簡単には挑めない相手なんだ。
……三冠の夢は破れたけど、カイチョーを超える夢は残ってる。
こうなったら、それだけでも叶えてみせるよ。
「今度こそは勝つからね、カイチョー!」
「ああ、本気でかかって来るといい、テイオー。
……今回は、こちらも全力でお相手しよう」
ゴクリ、と息を呑む。
カイチョーの全力。
ボクは初めて、この身でそれを体験できるんだ……!
「時にトレーナー君、来週末の予定はどうかな。実は映画のチケットが2枚手に入ってね、是非君と行きたいと思うんだが」
「来週末か。……わかった、予定を空けておくよ。ありがとう、ルドルフ」
「ねーっ! ボクが気合を入れてる時に2人で楽しそうにしないでよーっ!」
* * *
数日後、模擬レースの日が来た。
参加するのは、ボクとカイチョー、それから7人のウマ娘たち。
急な模擬レースの開催を聞きつけて、自分も参加したいって言ってきた子たちだ。
……その中に、蛇ちゃんはいなかった。
その代わり、って言っちゃ何だけど……。
「テイオー、今日はよろしく」
「ネイチャ……参加するんだ」
「まぁねー。あの会長と走れる機会は逃せない、ってトレーナーさんがさ」
「……へぇ、そっか」
ボクと同期のウマ娘、ネイチャがいた。
ナイスネイチャ。
いつも飄々とした態度の、主に差しを得意とするウマ娘だ。
ここまでの戦績は4戦2勝。目立って強いウマ娘ってわけじゃない。
その末脚も、そりゃ他の子に比べれば切れるけど、間違いなくボクの方が上だ。
それなのにあの日。
『いいえ、勝つのは私です。
……ネイチャならともかく、今のあなたに負ける道理はない』
蛇ちゃんは、ネイチャがボクより強いって言い放った。
ネイチャの脚は、あの子と違って普通のものだ。飛び抜けて強いわけじゃない。
それなら、ボクが負けるわけない。
実際、若駒ステークスでも2バ身の差を付けてボクが勝ってるんだから。
……負けるわけがない、のに。
あの言葉が耳から離れない。
……彼女から見て、ボクとネイチャは、何が違うんだろう。
「それと、テイオー」
「……ん、何?」
「今日のレース、後ろめに行った方がいいよ」
「んえ、なんで?」
「そうしないと、皇帝の……行程は、止められないから、なんてね」
「…………あー、うん」
そう言えばネイチャ、カイチョーと同じようなセンスだったっけ。
レース前にこんな脱力することあるんだ。
ある意味、これはネイチャの持つ脅威かもしれない。
……しかし、カイチョーを止められない? なんで?
ボクがそれを聞こうとした時、ちょうどボクのトレーナーが模擬レースを始めるって言い出しちゃった。
仕方なく、ボクらは会話を切り上げてスタートラインに並ぶ。
うーん……ネイチャ、何が言いたかったんだろ?
さあ、模擬レースが始まる。
ボクは基本的に、トレーナーからどう走るかの詳細な作戦をもらったりはしない。せいぜいどの位置からどれくらいでスパートする、とかその程度だ。
ボクにはレースセンスがあるし、変に前もって決めるよりも、その場でどうするか考えた方がいいからね。
で、今問題なのは、ネイチャから言われたことを信じるかどうか。
カイチョーは、いつも通りの差しで来るとして。
ネイチャが言うには、後ろめ……つまりボクの場合は、中団くらいにまで下がって走った方がいい、って話だった。
ボクは差しがそこまで得意じゃない。だからネイチャがボクを警戒して、変なことを吹き込んできたんじゃないか、とも思ったんだけど……。
ネイチャはそういうことをする子じゃない。
……そして多分、今回の彼女の目標はボクじゃないと思うんだよね。
ネイチャは、自分から見た最大の難敵を潰すために、全力を尽くすタイプだ。
ボクを掛からせて蛇ちゃんに迫らせた、あの模擬レースの時もそうだった。
あくまでボクの体力を枯らすのはおまけで、蛇ちゃんを暴走させるのがメインの目標だった……ってのが、トレーナーの考察。
であれば、今回も……カイチョーより前をウマ娘が走るのは危険、それでカイチョーが調子を上げてしまうって、ネイチャはそう判断してるってことかな?
どうしよう。今回は差しで行くべき?
……いや、でも、ダメだ。ボクの差しじゃ、絶対カイチョーに競り合えない。
カイチョーの本気を知るためには、ボクは先行策で行かないと。
ボクが今回の作戦を決めると同時に、トレーナーが持っていたフラッグが振り下ろされる。
「ふっ!」
「ここっ!」
「っ!」
抜群のスタートを切ったのは、やはりカイチョー。ボクとネイチャがそれに続く形だ。
勿論、3人とも逃げウマ娘じゃないから、きちんと自分のペースを守り、レースの流れに従って位置を下げる。
ネイチャとカイチョーは中団、ボクは先行の位置に。
今回は、逃げウマ娘が1人、先行ウマ娘が……ボクも含めて2人か。
他は6人は差しと追込?
えらく偏ってる。もしかしてネイチャ、皆にも同じことを伝えてたのかも。
まぁ、同じ作戦のウマ娘は少ないほどいい。
何せバ群に囲まれて抜け出せなくなることがないもんね。
そういう意味では、この形はかなりラッキーだ。
もう1人の先行ウマ娘より少しだけ前方に抜けて、内ラチに沿ってインコースをひた走る。
よし、このまま好位置をキープして、終盤でスパートをかけよう。
幸い、逃げウマ娘はそこまでペースを上げてない。これなら問題なく走り抜けられるはず。
……そこから終盤までは、普通のレースだった。
ネイチャや他のウマ娘たちが何かを仕掛けてくることもなく、ボクも走りを間違えることなく。
良く言えば、この上なく順調。
悪く言えば、薄気味悪い嵐の前の静けさ。
そしてその沈黙は、唐突に破られた。
後方から、すさまじい威圧感が届く。
この感じ、間違いない……カイチョーだ!
負けじとボクもスパートを始める。
皐月賞では満足に出せなかったボクのスパート。自慢になるけど、そう簡単には追い付かれない自信がある。
大丈夫、これならカイチョー相手でも……!
瞬間。
ボクが見ていた世界が、塗り替わる。
* * *
まるで、どこかの国の宮殿みたいな景色。
「我の前に道はなし」
その中を、1人のウマ娘が進む。
この豪奢な宮殿にあってなお威風堂々としたその姿は、まさしく皇帝そのもの。
「なればこそ、勇往、邁進!」
バチバチと、その全身から稲妻が溢れて……。
彼女が手を振るえば、光り輝く雷撃が眼前に広がる床を焼き払う。
そうしてそこに、一条の進路が拓かれた。
これこそが皇帝の歩むべき……覇道。
「道は自ら切り開くッ!」
* * *
「な、なにこれ!?」
確かにレーンが見えているのに、同時におかしな光景が重なって見える。
……でも、なんとなくわかる。
この世界こそが、カイチョーの見せたかった、カイチョーの本気。
間違いない、ここからカイチョーが上がって来……。
ぞくり、と。
とんでもない重圧に、体が硬直して姿勢を崩しかけ、咄嗟に道を譲った。
ボクの横を、信じられない速度で、何かが抜き去っていく。
……カイチョーだ。
一瞬だけ見えたその瞳からは……まるで稲妻のような、白い閃光が走っているように見えた。
並んだのは、本当に瞬きほどの刹那。
カイチョーは……ボクに一瞥もくれることなく、遥か前方に駆け抜けていった。
「……っ」
……仕方、ない。
カイチョーに負けるのは、仕方ない。
ボクじゃまだ、カイチョーにも、蛇ちゃんにも、届かない。
……でも、きっと、いつかは勝ってみせる。
だから今は、せめて2着に……!
「ここだ……ここで、一気に!」
後ろから、声がした。
焦りもない、消沈もない、ただ歓喜と充実感の籠った声。
ネイチャの声だ。
もうここまで上がってきたんだ。
……でも、絶対に抜かせない。
これ以上、ボクは負けたくない……!
そう、思ったのに。
「やっと見えた……アタシだけの、世界!」
* * *
世界が暗闇に落ちる。
どこにも寄る辺のない、どうしようもない暗い世界。
その中に、1つだけ、星があった。
輝く星。遠い星。……灰色の、星。
そこから、1本の光の道が伸びている。
……いや、そこから伸びてるんじゃない。
これは、星へと至る道。星を掴み取るための、彼女の道だ。
「夢、見せられるだけじゃ、ね!!」
そう叫んで、彼女は星へと駆け出す。
* * *
……こ、これ、カイチョーのと同じ!?
なんでネイチャが使えるの!?
ボクだってまだわかんないのに……!
それぞれを中心に広がるカイチョーとネイチャの世界が、互いを侵食しようと削り合う。
……ネイチャの世界は、カイチョーの世界ほど整ってない。完璧じゃない。あるいは進化してない。
それでも対等に……カイチョーと、競り合ってる!
「はぁぁぁぁああああ!!」
ネイチャの絶叫が聞こえる。
命をすり減らしてるんじゃないかと思うほどの、必死の絶叫。
そしてネイチャはボクに並んで、すぐに……抜き去った。
ボクには、目もくれずに。
カイチョーは一瞬だけ振り向いて、ボクじゃなく、ネイチャを見て……。
少しだけ唇を緩め、更に足を早める。
その光景が、心の最後の一線を、越えた。
……なんで。
なんでだよ。
ボクだって、カイチョーや、ネイチャや……蛇ちゃんと同じ、ウマ娘なのに。
なんで皆、ボクの方を見てくれないんだよ!
ボクだって同じようにここにいる! ここで走ってる!
なのに、皆知らん顔して走り去って!
ボクじゃ相手にならないって? ボクなんか視界にも入らないって?
ふざけんな! ボクだってウマ娘だ!
ボクだって、このレースに勝ちたいんだ!!
渾身の力を脚に込める。
「……ボクが!」
全力全開で、全身全霊で、一切出し惜しみのないボクの本気。
それでも、このレースには勝てないかもしれない。
相手はカイチョー、そしてカイチョーと互角に張り合えるネイチャだもん。
調子の悪いボクの脚じゃ、永遠に追い付けない。
ずっとずっと、その後ろ姿を眺めていることしかできない……。
……なんて。
そんなの、絶対っ! 認めない!!
勝つ、絶対に勝つ!
ボクが、誰より速く、1着で、ゴールするんだ!!
『私は、トウカイテイオーと戦いたかった。
私の全身全霊をも捻じ伏せてくる、最高のウマ娘と戦いたかった。
……残念です』
あの日言われた、冷たい言葉がフラッシュバックする。
見てろ、ホシノウィルム。
いいや、ボクを見ろ、カイチョー、ネイチャ、ホシノウィルム!
今回も次も、ボクが勝つッ!!
「ボクが、トウカイテイオーだぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」
パキン、って。
呆気なく、視界が割れる。
その先にあったのは……。
青空。
どこまでも広がる、綺麗で自由な青空。
……あぁ、なんて気持ち良い世界なんだろう。
この空の中でなら、ボクはどこまでだって行ける。
ボクを中心に広がった世界が、ネイチャのそれとぶつかる。
それらは自分の領域を広げようと、互いにガリガリと削り合って……。
……その時、割れた世界の破片から、ネイチャの心が伝わってきた。
『勝ちたい! アタシだって、アタシだって勝ちたい!
勝ってトレーナーさんに証明するんだ! あなたが選んだウマ娘は、本当に強い子に育ったって!!
だから、絶対に! 相手が帝王だろうが、皇帝だろうが、負けてやるもんか!!』
心の底から勝利を望む、ウマ娘の本性。
燃えたぎる、闘争本能。
それに魂が共鳴するように、ボクの心の熱も高まっていく。
勝つ。勝ちたい。このレースに! 隣にいるウマ娘に! 遥か彼方にいる目標に!!
これだ。この気持ちだ。
あの日のボクに足りなかったもの。
あの子に迫るために必要なもの。
これがあれば。
ボクはもう、負けない!!
「……っ!」
「来たか!」
ネイチャから、そして前にいるカイチョーから、視線が向けられる。
ボクがここにいると、脅威になり得る「ライバル」だと、ようやく認められた。
喜んでる暇なんてない。
ボクは、この2人に、勝つんだから!
青空を飛ぶように、ターフを走る。
ずっと高く、ずっと速く、どこまでも遠くにまで、この足で駆け抜ける!
「ボクが、勝つんだぁぁぁあああ!!」
「ッ、くそっ、まだまだぁぁぁあああ!!」
お互いの世界をガリガリと削り合いながら、前へ、前へ!!
まるで夜闇のように真っ暗なネイチャと、真昼のような青空のボク。
2つの世界は対極だ。絶対に相容れない。
そして、遥か先にいるカイチョーも。
同じ競走ウマ娘で、同じレースを走るライバルで、勝つのはただ1人だけ。
だから、だから、だから!
勝つのは、ボクだぁぁぁあああ!!
「その感覚を忘れるな、2人共。
そしていつか、夢の舞台で覇を競おう」
ゴールラインを踏んだのは、カイチョー、ボク、ネイチャの順で。
7バ身差で、カイチョーの勝ち。
ネイチャとは、3バ身差だった。
* * *
「テイオー! 大丈夫か!」
遠くから、トレーナーが走り寄って来る。
まぁ……心配にもなるよね。
膝に手を付いて肩を上下させるなんて、ボクらしくない。
今までずっと、あの皐月賞の時でさえ、ここまで疲れ果てることなんてなかったから。
でも今は、この疲労が気持ち良い。
ボクはようやく、カイチョーやネイチャ、そして蛇ちゃん……ホシノウィルムと、同じステージに立った。
これは、その証拠だ。
……ああ。
それでも、悔しい。
悔しい。
悔しい、悔しい、悔しいっ!!
勝てなかったのが悔しい、結局カイチョーには全然届かなかった、それが心の底から悔しい!!
けど、だからこそ。
この気持ちがあるからこそ……ボクは、勝てる。
あの灰色の光の向こうにいる、異次元の速さを持った彼女にだって!
駆け寄ってきたトレーナーに、首だけを上げて、答えた。
「ふぅ……はぁ、大、丈夫……。
ごめん、ありがとう、トレーナー……ボク、もう大丈夫、だから」
「……! そうか、見えたのか」
「うん! ……ボク、これで、ウィルムに、勝てるかな……?」
「勿論だ、準備は完全に整った。
……ダービー、勝ちに行くぞ、テイオー」
「っ、うん! 追い切りメニュー、頼んだよ……トレーナー!」
君の願い、今度こそ叶えてあげるよ。
トウカイテイオーが、君の言う最高のウマ娘が、君と戦ってあげる。
そして、その伸びた鼻、叩き折ってやる!
「ダービーで待っててよ……ウィルム!」
シンボリルドルフ
『汝、皇帝の神威を見よ Lv9』
レース終盤に3回追い抜くと最終直線で速度がすごく上がる。
更に、皇帝の威圧が進むべき覇道を切り拓く。
ナイスネイチャ
『きっとその先へ…! Lv1』
レース終盤で3番手の時に負けそうになると闘志に火が付き速度が上がる。
トウカイテイオー
『究極テイオーステップ Lv1』
最終直線で前と差が詰まると華麗な脚取りで速度がすごく上がる。
そんなわけで、テイオー視点でライバル覚醒編でした。
本気になったトウカイテイオーはとんでもなく強いです。
ダービーは、皐月のように簡単には勝てないかもしれませんね。
あの「世界」が何なのかわからない人もいるかもしれませんが、後ほど説明はあります。
もうちょっとお待ちください。
次回は3、4日後。トレーナー視点で、困難と不可能への挑戦の話。