転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

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 ミホノブルボン視点で、菊花賞前編です。





一矢、報いて

 

 

 

 日々マスターと共に走っている内に、ついにその日が来ました。

 

 10月25日、菊花賞。

 クラシック戦線、最終レース。

 それは私にとっての、最初の目標であり、最難関の壁でもあるものでした。

 

 

 

 地下バ道を歩きながら、私は自らの体の調子を確認していました。

 

「……コンディションチェック、開始」

 

 私にとってこのレースは、他の二つのクラシックレースとは異なる意味合いを持っています。

 

 皐月賞、日本ダービー。

 この2つのレースは、区分としては中距離。

 日本ダービーなどは限界に近くはありますが、それでもミホノブルボンの射程圏内である。

 ……けれど、菊花賞は違う。君にこれに勝つことは不可能だ、と。

 以前、私に付いてくださったトレーナーは、そのように仰っていました。

 

 短距離であるならば、抜群の力を持って綺麗に逃げ切れる。

 マイルはむしろ、ミホノブルボンが本領を発揮できる距離感。

 中距離になると、厳しくはなれど、技術と鍛え方次第では攻略可能。

 しかし、長距離になれば、どうしてもミホノブルボンには難しいところがあるだろう、と。

 

 マスターの語るところによれば、この認識は大方間違っていないとのことでした。

 確かにミホノブルボンは、長距離という区分に最適の適性を持つわけではない。

 

 ……ただし。

 ミホノブルボンにとって主戦場となるのは、むしろ中距離で。

 長距離に関しても、逃げ切るのは決して不可能ではないと言えるだけの素質を持っている。

 それが、マスターの認識でした。

 

 私が長距離を走れないという判断は、主に血統から来るもの。

 ウマ娘である母は、主に短距離からマイルの距離で成績を残していた。

 だからこそ、その血を継ぐ私も、マイルまでの距離でこそ力が発揮できるのだろうと思われていました。

 

 ……けれど、ウマ娘は、必ずしもその血統だけで活躍できる幅が決まるわけではない。

 

 「圧倒的な努力とそれを行えるだけの意志は身体の限界を超越する」という、父の思考。

 私以上の寒門の出身でありながら無敗で三冠を勝ち切った、ホシノウィルム先輩の実績。

 そして何よりも、私に長距離の適性を見込んでくださった、マスターの鑑識。

 

 それらは、私にこのレースで勝てる可能性があると、そう明かしてくださいました。

 

 

 

「……コンディション、オールグリーン。倦怠及び緊張、感知できず。平常時の128%の高揚を検知」

 

 この日のために、私はひたすらに自らを鍛えて来たのです。

 九州の故郷にいた頃も、以前のトレーナーの下にいた頃も、マスターと共になった後も。

 このレースに勝つために、私は私の生涯を使ってきた。

 

 皐月賞、日本ダービーには勝てる。

 ……いいえ、当然のように勝たねばならない。

 適性面でまだ秀でているこれらに勝てないようでは、菊花賞に勝ち切ることなどできないのですから。

 

 それを理解してくださったからこそ、マスターは私に不足したスタミナを重点的に鍛えてくださったし、技術面においてもその不足を補うよう調整してくださった。

 この菊花賞に向けて。この菊花賞に勝つために。

 この1年強の期間、マスターと共に走って来たのは全て、この一戦のためにあると言っていいでしょう。

 

 全ては私の意思通りに。

 マスターは、当時三冠など無謀とさえ言われていた、それどころか皐月賞にすら勝てないと思われていた私のために、尽くしてくださった。

 

 ……マスター。

 その言葉は、やはり……。

 「自らに適切な命令を下してくださるトレーナー」、ではなく。

 「私と共に走ってくださる、ただ1人のお方」、なのでしょう。

 

 マスターへの恩に報いるためにも。

 また、私自身の目的を達成するためにも。

 

 やはり、この菊花賞には、必ず勝たねばならない。

 

 

 

「ランニングプラン、再考。トレース、シミュレーション開始……終了。

 リザルト:フォールス。再計算開始。プラン修正、ベーススピードを0.39%加算」

 

 以前の私は、クラシック三冠だけが全てであると、そう認識していました。

 

 菊花賞に勝ち、父とマスターと共に抱く夢を叶えられるか、どうか。

 それだけが、私の競走人生の全て。

 

 ……もしも敗北してしまえば、それだけで、自らの内にある全てが燃え尽きてしまうのではないかと。

 そう思ってしまうくらいに、絶対的な目標でした。

 

 けれど、今はもう、違います。

 

 菊花賞の勝利は、私たちの夢であると同時、私の遥か遠い目標への通過点。

 必ず達成せねばならないことは変わりませんが、私はもっと先へ、ここよりも前へと進まねばならない。

 

 あの背を越えるために。

 あの走りを超えるために。

 

 ……ホシノウィルムに、勝つ。

 そのために、私は、今よりもっと強くならねばならない。

 

 凱旋門賞を勝ち切った、世界最強のウマ娘。

 ホシノウィルムは、私のすぐ傍にいて、そして遥か遠くを走っている。

 

 今の私の脚では、彼女に勝てない。

 手は後ろ髪にも届かない。声さえ耳に入らない。彼我の距離は何十バ身も離れて、勝負にすらなりはしない。

 

 だからこのレースを以て、私は強くならねばならないのです。

 未来のために。いつか彼女を超える、その日のために。

 

 

 

 本バ場を前にして、私は脚を止め、まぶたを閉じる。

 

 マスターの構築した全てのレースパターンを脳裏に浮かべ、1つ1つの対処法と勝ち切り方を想起。

 17人の出走ウマ娘の動き方、その中での私の走り、それがもたらすレースの形。

 

 それらを全て考慮すれば。

 勝率は、53.9%。

 

 このレースにおける大敵は、()人。

 

 彼女が、極限にまで自らを鍛え上げ、なおかつその一本の短剣の振り時を誤らず。

 彼女が、仮想敵であった先輩よりもなお強く、私の魂を揺さぶれば。

 ミホノブルボンには、敗北を喫する可能性が生まれる。

 

 

 

 ……けれど。

 

「オペレーション:ウイニング、必達」

 

 それでも、勝つ。

 

 「私のマスター」と共に、更に先へと進むために。

 

 理屈を伴わない、ただの意志に過ぎないその想いを胸に。

 私はまぶたを開き、本バ場へと、脚を進めました。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 本バ場に入ったウマ娘は、シーンが進行しレース本番に入るまで、芝の状態を確認、及び自身の身体状態を最善に保つため、ストレッチや軽い周遊を行います。

 私もその例に漏れず、その場で体を伸ばしながら、今回のレースの条件を再確認していました。

 

 バ場状況、良好。

 天気、晴れ。

 枠番、4枠7番。

 

 最高とは言えないまでも、これは決して悪い条件ではないと推察できました。

 

 バ場が重くなれば芝は脚に絡み付き、走行に必要となるスタミナが増加する。

 その上、生来の適性による影響が更に増大し、マスター曰く「最適の適性を持つとは言えない」私は、更に不利な状態に追い込まれてしまうでしょう。

 

 天気が悪化しても、同じく。

 雨粒が体を打ち付け冷やせば、私の残存体力が削られ、プランに誤差が生じる。

 レースに余計な変数が加わらなかったことは、素直に僥倖と呼べるでしょう。

 

 枠番については……これはあまり良いものとは言えません。

 京都レース場の外3000メートルコースは、最初のコーナーまでの距離が短い。

 そこに入るまでにインコースに入りやすい内枠がベスト、あるいはハナを取りやすい外枠が次善。

 半端な位置は、むしろ私を不利にする可能性が高い……というのが、マスターの分析でした。

 

 つまるところ、勝負はスタートの瞬間、と言っていいでしょう。

 ここで出遅れてしまえば、先頭のポジションを取ることに失敗してしまえば……バ群に埋もれ、潰される。

 

 けれど、私はマスターの下で、それをこそ学んできました。

 逃げウマ娘にとっての勝負所であるスタートで決して負けないよう、ひたすらにそれを磨き……。

 「先手必勝」を超えた「クロックアップ」と仮称される技術を身に着け、マスターに「ホシノウィルムにも抗し得る」とまで言わしめる技術を身に着けた。

 

 今の私に、スタートで勝てるウマ娘はいない。少なくとも、同期の中には。

 

 問題はない。

 今回考察される多くのケースにおいて、ハナを切るのは、ミホノブルボンを措いて他にない。

 

 私が、私自身を、上手く使う事さえできれば。

 ミホノブルボンは、自身との戦いに勝つ限り、他者に負けることはないのですから。

 

 

 

 ……ですが、そう。

 

 このレースに人生を賭けてきているのが、私だけとは限らない。

 いいえ、出走ウマ娘の全てがその覚悟を固めているのだと。

 

 私はそれを、理解しているようで、理解していなかったのかもしれません。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ストレッチ中、自らの胸部に、キリリと痛むような感覚を検知。

 それが、ストレスによって負荷がかかった脳のもたらす錯覚であると察知すると同時、私は振り向き……。

 

 彼女のことを、見ました。

 

 本バ場に入って来たウマ娘の名は、ライスシャワー。

 

 この菊花賞の出走ウマ娘の1人。

 小柄で、黒鹿毛の、健気で頑張り屋の、私の友人……。

 

 ……そうであったはずの、相手。

 

 

 

「ライスさん」

 

 私の視線の先、本バ場に入って来たライスさん。

 今の彼女の様子は、とてもではありませんが、いつかの彼女と同一人物とは思えないものでした。

 

 本格化の最中が故に体格が固定されているはずなのに、以前に見た時よりもやつれ、落ちくぼんで見えるような身体状態。

 それなのに、その威圧感はむしろ、以前よりも遥かに増していました。

 

 まるで「必要不可欠なもの」だけをその中心部に詰め込み、「余分なもの」を外側から生皮のように剥いでいったような……。

 痛々しく、恐ろしい、極限の肉体。

 どれだけの訓練を積めばそうなるのかと思わされる、張り詰め過ぎた状態。

 

 普段の可愛らしさなど欠片も感じられない彼女を包むのは、漆黒の勝負服。もはや不吉にも思えるそれが、彼女の異様な迫力を更に後押ししている。

 

 そして、そんな色を失ったような体の中で、ただ1つ。

 その目が……青い目が、燃えるように爛々と輝いて、私の瞳を貫いていました。

 

 

 

「……ブルボンさん」

 

 私の前に立った彼女は、その瞳に込められた敵意……いいえ、もはや殺意と呼んでいいでしょう、その強すぎる敵愾心を隠すこともなく、私の呼びかけに応えた。

 そして、その瞳がゆらりと危険に揺れ、京都レース場の芝を捉えて、続けました。

 

「このレースは、ライスが勝つよ」

 

 それは、勝利宣言と言うには、あまりにも温度のない言葉。

 何十回もそんな未来を見て来て、そうなることを確信でもしているかのような……そんな、諦観めいた確信のある台詞でした。

 

 彼女が積み上げたのでしょう、おおよそマスターの課してくださったそれよりも厳しく、リスクが高く、非効率的だったと思われる、研鑽。

 それが彼女に、決して揺るがぬ自信を与えた。

 

 このレースに勝つのは自分だと。

 そう、「推測」ではなく「理解」できる段階にまで、彼女は積み重ねたのでしょう。

 まるで不揃いな積み木のような、いつ崩れてしまってもおかしくない程の鍛錬を。

 

 その状況を、異常なまでの努力を悟られないために、ライスさんはずっとメディアへの露出を控えていた。

 マスターであれば、今のライスさんに対して有効な策を思い付きかねない。

 だからこそ、「まさかここまでとは」という段階にまで積み上げて、それを秘匿した。

 

 それこそが、ライスシャワー陣営の挑戦。

 鬼気迫る、勝ちへの執念。

 

 

 

 ……知らず、喉が鳴る。

 

 恐ろしい……いいえ、悍ましいまでの、禁忌にすら踏み込みかけた禁断の領域。

 競走人生という細いレールから脚を踏み外す、その直前。

 あと半歩でも踏み出せば壊れてしまう、本当にギリギリのライン。

 彼女は今そこに立っていると、そう思わされて。

 

 私は現在、気圧されている。

 そして、同時……奮い立っている。

 

 私の体の底にある、不明な原動力。

 時折ホシノウィルム先輩が「魂」と呼ぶものが、強く刺激されている。

 

 

 

 黙して彼女を見つめる私に、ライスさんは静かに言葉を続けました。

 

「……ライスは、ブルボンさんを超えなきゃいけないの」

「お姉さまの背中は、ブルボンさんの背中の、ずっと先にある」

「いつかお姉さまに追いついて……ライスが、あの人を、誰かを幸せにできる『祝福のウマ娘(ライスシャワー)』になるために」

「まずは、ブルボンさんを超える必要があるの」

「この場で」

「絶対に」

 

 ……冷たすぎるものが、逆に熱さを感じさせるように。

 どこまでも加熱し、過熱したが故に、一周回って冷静になったのか。ライスさんは、どこまでも冷静で、無感情的で……。

 

 さかしまに、私は、自身が平静の思考を失っていることを自覚しました。

 

 ライスさんは……私と同じなのだと、そう思わされたから。

 

 

 

 私は、彼女と同じでした。

 いいえ、同じだった、ではなく……同じになれた、でしょうか。

 

 私が、クラシック三冠の先に、ホシノウィルムの背中を見ているように。

 ライスシャワーも、私の打倒の先に、ホシノウィルムの背中を見ていた。

 

 2人にとって、菊花賞は間違いなく、人生に一度の決戦の場でしょう。

 ミホノブルボンにとっては、これまでの人生における全ての努力の意義を問われる、決して敗北の許されない決戦であり。

 ライスシャワーにとっては、競走人生にすら影響を与え得る選択の意義を問われる、必ず勝利すべき決戦の場であるのでしょう。

 

 けれど、そこで終わりではない。

 2人とも、その道行きの先に、1人のウマ娘を見ている。

 

 世界最強、あるいは史上最強を謳われる、神話の存在……ホシノウィルム。

 この時代、この世界において、最も速き優駿を。

 

 そこに見ているビジョン、そこでもたらされるリザルトが違うとしても。

 その過程と目標こそが、きっと私たちウマ娘の根源。

 

 レースに勝ち、自らより先を行く先達を超える。

 

 それこそが、私たち競走ウマ娘の生まれた意味であり、生きる意義。

 

 

 

 ……そして。

 ライスさんは、その「答え」に、私よりもずっと早く辿り着いてた。

 

 恐らくはあの日本ダービーの時点で……いいえ、あるいはそれよりも前、皐月賞の時から。

 自らの求めることを、自らのすべきことを、とっくの昔に見定めていたのでしょう。

 

 私は自らの望みに気付くまで、2年の月日を要したのに……。

 彼女はたった1年でそこに至り、私よりもずっと本気で走っていた。

 

 だからこそ、私は……。

 

 その心に、明確な感情を。

 歓喜と達成感を、覚えることができました。

 

 

 

「ライスさん。……いいえ、ライス」

 

 ようやく。

 

 事ここに至って、ようやく。

 

 私は、このウマ娘に追いついたのです。

 

 このクラシックロードにおける私の最大の障害……などと、そのような装飾はもはや不要。

 競走ウマ娘、ライスシャワー。

 1人の、私の先を行っていた少女。

 

 その隣に、競走ウマ娘として、ようやく並ぶことができた。

 

「私は、マスターと共にあなたを破ります。

 ……かかってきなさい、ライスシャワー」

 

 

 

 ライスはここで、私に追いつくのだと。

 私はここで、ライスに追い付けたのだと。

 

 私たちはどこまでも対等で、平等で、相対的で。

 

 きっとその時、私たちは初めて……本当の意味での「ライバル」として、お互いに向かい合ったのです。

 

 

 

 

 それ以上、私たちの間に、言葉は必要ありませんでした。

 

 競走ウマ娘である以上、口で語る必要性はありません。

 後はただ、自らの走りによって、その勝利を明かすのみ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 そうして、十全に体を伸ばし、待つこと十数分。

 私は、レース場に流れる実況解説の言葉を聞きながら、じっとゲートの中で出走の時を待っていました。

 

 

 

『さぁ、いよいよ出走を間近としました、クラシックロードの終着点。

 この菊の花を勝ち獲り、最強の称号を手にするのは誰か? 改めて注目株を見ていきましょう!』

 

『レースに向けて気合十分! 5枠10番マチカネタンホイザが3番人気!』

『両の拳を握り込むその瞳からは、入れ込んだ様子は見られません。自分のペースでレースを進められれば勝利は十分に視野に入るでしょう。逃げ宣言のウマ娘が2人、荒れ模様が予想されるこの菊花賞で、果たして彼女らしい走りができるでしょうか?』

 

『一夏を超えて少女は戦士となったか、どよめきを呼ぶ2番人気は4枠8番ライスシャワー!』

『前走の日本ダービーから体重を2キロ落としての出走となります。しかしそこに夏バテによる衰えは欠片も見られず、パドックではむしろ恐ろしいまでの気迫と仕上がり方を見せ、観客を沸かせました。

 極限まで削ぎ落した肉体に宿るは鬼か蛇か? このレースで得られるのは祝福か敗北か!』

 

『1番人気はこの子しかいない! 無敗の二冠ウマ娘、栗毛の超特急ミホノブルボン! 4枠7番での出走です』

『そのバ体の仕上がり具合は群を抜く、文句なしの本命! ダービーで見せた驚異のペースキープは淀の坂すら乗り越え得るのか? 二年連続無敗三冠という史上初の夢を背に、行けブルボン!』

 

 

 

 私の位置は4枠7番。

 すぐ隣のゲートには、ライスがいました。

 

 けれど私たちは、視線も言葉も交わすことなく、ただ目の前のレースだけに集中している。

 与えられたプランを、自らが果たす夢を、目標を、このレースに勝つことだけを見ていた。

 

 ええ、きっとそう。

 私たち以外の16人のウマ娘たちも、皆、その想いを抱えて。

 

 

 

『さぁ18人のゲートインが終了、体勢整いました』

 

 

 

 ……だから。

 

 ある意味で、その顛末は、必然的なものですらあったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

『……スタート!!』

 

 

 

 

 

 

「ッ!」

 

 ガタンという音が早いか、私が脚で地面を蹴るのが早いか。

 

 私は誰よりも早く、ゲートから駆け出しました。

 

 スキル:コンセントレーション。

 スキル:クロックアップ。

 スキル:良バ場〇。

 スキル:京都レース場〇。

 スキル:地固め。

 

 システム、オールグリーン。

 マスターから教えていただいた技術、その全ては私の血となり肉となり、確かに力をもたらしている。

 

 マスターは、「彼女」を警戒していました。

 「彼女」の存在は、そして「彼女」がもたらすレースの流れは、ミホノブルボンの敗北条件の内片方を満たし得ると。

 

 故にこそ、スタートは万全に、決して機先を制されることのないよう。

 徹底した、いっそ過剰と言っていい程のトレーニングを重ね、私はホシノウィルムを除いて全てのウマ娘よりも速いスタートを切ることが可能となった。

 

 坂路でのトレーニングで鍛えたパワーと、坂への慣れ。

 そこにマスターから学んだ技術を併用すれば、誰にも負けるわけがない。

 

 

 

 ……そう。

 

 それはきっと、「彼女」も理解していたのです。

 

 自らの非力に、その才に際立つものがないことに歯噛みしていた「彼女」は。

 

 私のライバルである「ソウリクロス」は、それを理解していたからこそ。

 

 

 

「……あなたに、勝つッ!!!」

 

 

 

 自らの全身全霊を、魂の全てを使って……私から、先頭を奪いに来た。

 

 

 

 唐突に後ろから広がる、世界が塗り替わって行く、塗り替えられていく、独特の感覚。

 

 これは……。

 

「……領域!」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 京都の芝と重なって見えるのは、真っ暗闇。

 何一つとして彩られることのない、空虚さを感じるような、寒々しい世界。

 

 その中で、ただ一人、彼女だけが……。

 いいえ、彼女が持つソレだけが、光を纏っていた。

 

「ただこの一時、無駄だとしても」

 

 その手に握られているのは、一つの弩。

 彼女の手によって、ギリギリと引き絞られていくそれには……一発の矢が、装填されている。

 光は、どうやらその矢から放たれているようでした。

 

 ……ああ、感覚的に理解できます。

 

 その矢はきっと、3000メートルもの距離を飛ぶことはない。

 

 空気の抵抗。障害による妨害。弩の構造的欠陥。

 あるいは、製造時の段階での作りの悪さ、矢自体の性能。

 

 それらによって、矢は途中で力尽き、地に墜ちる。

 

 故に、それが実を結ぶことはない。

 それは無謀で、無意味で、無価値で、殆ど誰の夢も叶えない領域に過ぎず……。

 

 

 

 ……けれど、それでも、そんな矢に祈る人がいる。

 

 極少数だろうと、誰かの夢を乗せてこそ、矢は輝いているのです。

 

 

 

「それでも! 私はっ! 『ウマ娘』だッ!!」

 

 

 

 ソウリクロスの、絶叫と共に。

 

 矢は一筋の光を纏い、暗闇を切り裂いて……。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『さぁバ群を突き抜けたのはやはりミホノブルボン、右耳の耳飾りが先頭に輝きます。

 もう1人の逃げウマ娘ソウリクロスはどうするか……行った行った行った! 一気にソウリクロスが大外からかわして前に出ました!

 注目の先陣争いを征したのは……ソウリクロス! ソウリクロスが一気に4バ身のリードを広げた! 驚異的な加速、しかし菊花賞は3000メートル、果たして逃げ切りは叶うのか!?』

 

 

 

 ……ソウリクロス。

 ライスシャワーと共に、マスターが警戒していたウマ娘。

 

 彼女は予測通り、無理やりに私との距離を詰めに来た。

 

 これ自体は、いい。

 マスターのプラン、その最も確率の高いパターン。

 これだけであれば、私の敗北条件を満たすことはない。

 

 ミホノブルボンは、もはやかつてのミホノブルボンではないのです。

 

 この二週間、私はホシノウィルムと併走をしてきた。

 それも、本気の……世界最強のウマ娘と。

 

『それじゃあ、そろそろ本気出そっかな~! いやはや、歩さんのお願いじゃあ仕方ないよね!

 本当はブルボンちゃんがシニアレースに出るまで待つべきだろうけど? 別にこれはつまみ食いとかそういうんじゃなくて、必要だから本気でぶつかってみるっていうか味わってみるっていうか!?』

 

 ……多少威厳に欠ける台詞ではありましたが、それに反して、彼女の放つ威圧感は凄まじかった。

 気圧され、脚が竦み、()()とてもではありませんが敵わないと思わされる、そんな怪物じみた相手。

 これが本当のレースになれば、更にその気配を増すのかと思うと、やはり目標とした背中の遠さを感じ……だからこそ、奮起しました。

 

 そうしてホシノウィルムと何度も走ったからこそ、現在私の感覚は、完全に破壊されている。

 私にとって、共に走るライバルの基準は、世界最強のウマ娘。

 だからこそ、並の逃げウマ娘など、その存在感を感じ取ることすらも不可能な程、鈍感になっている。

 この感覚に入って来得るのは……それこそ、今のライスさんだけでしょう。

 

 故に、ただ彼女が領域によって前に出るだけなら。

 それだけなら、問題はなかった。

 

 

 

 けれど……ウマ娘の深奥、領域までもを使われれば、話は別になる。

 

「……!」

 

 目を、奪われる。

 

 その、矢に。

 矢の遺す、たった一瞬の光の軌跡に。

 

 ソウリクロスの放つ存在感は、ホシノウィルムとは比べ物にもならないのに。

 この無理な加速、終盤まで持つことはないとわかっているのに。

 

 それなのに……。

 

 目の前を走る彼女から、目を、逸らせない。

 

 

 

 マズい、と直感する。

 

 魂が猛る。

 胸の内から、異様な程の熱が迸る。

 

 咄嗟に、自身の身体状態、精神状態に内部スキャンを実行。

 その結果、理解しました。

 

 私は現在、「掛かりを誘発されている」。

 

 これが……ソウリクロスの領域、その真価。

 

 

 

 ……最悪のパターンの発生を検知。

 

 マスター。謝罪と、感謝を申し上げます。

 

 もしも私が、私だけで走っていれば、この時点で敗北が確定していた。

 掛かってしまいスタミナを浪費すれば、逃げウマ娘ミホノブルボンの強さ、ラップ走法の安定感は損なわれる。

 こうしてソウリクロスさんに掛かりを誘発された以上、私はどうしても終盤に脚を残せなくなる。

 

 けれど。

 私には、マスターがいる。

 私を支えてくださる、私と共に走ってくださる、ただ一人のマスターが。

 

 

 

「っ、ふッ!!」

 

 プラン変更。ベータからイータへ。

 一度、排熱を行い、ランニングプランを再定義。

 

 問題はありません。

 最悪のケースではありますが、マスターは、この展開さえも想定していた。

 そして勿論、その場合への対策も立ててくださっているのです。

 

 敗北の条件の内片方は満たしてしまいましたが……。

 ここからでも、マスターと共であれば、十分に勝ち切れる。

 

 コースの残り距離、2361メートル。

 周辺の環境、他の出走ウマ娘の走り、領域による掛かりへの影響を数値化。

 全てを再計算し、然るべき速度を算出、改めて自らの走りを立て直す。

 

 全ては、マスターの立ててくださったプラン通りに……自らの勝利に向けて。

 

 

 

『ミホノブルボンが前にウマ娘を見るのはメイクデビュー以来のことになります。

 先頭ソウリクロスから少し差を詰めて3バ身、2バ身とミホノブルボン、そこから4バ身5バ身離れるかシャバランケがここにいる。

 これから1周目の第4コーナー、10番マチカネタンホイザが4番手、そのすぐ後ろに好位置で追走するのはライスシャワー!

 レースはまだ始まったばかりですが大きく大きく縦に開いた形! ここから誰がどう動くのか!?』

 

 

 







 ソウリクロス
 『光陰弩報』 Lv1
 長距離レースの序盤で一矢報いようとスタミナを使って一気に前に出る。矢のような鋭い加速により逃げウマ娘が掛かりやすくする。



 開幕領域。それも長距離限定でスタミナを使って発動という超リスキーなもの。
 その光景は非常にシンプルな、暗闇を照らす一条の矢による光のみ。

 けれどそれこそが、ブルボンやライスと同じように頑張り続けた彼女が目覚めた力であり……そして、その子が選んだ道なのです。



 次回は一週間以内。ライスシャワー視点で、運命の舞台……。



(追記)
 誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!
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