ソウリクロスは、「
……昔は、そんなことを思うこともなかった。
むしろ、主人公みたいなウマ娘だな、なんて勘違いしてたこともあったっけ。
家庭にはこれといって特異なところはなかったし、お母さんはそこまで優れたウマ娘だったわけでもないらしいけど……幼い頃の私は、これでも結構強い自信があった。
なにせ地元じゃ負け知らずで、駆けっこすれば1着を取らないことはなくて、ソウリちゃんすごいすごいって持て囃されてた。
中央に行っても活躍できるんじゃないって、そんな無責任な言葉に踊らされる私は、文字通り、井という狭い世界の中の
……けれど、日本という広い世界の中で見れば。
ソウリクロスなんてウマ娘は、ただのモブキャラでしかなかったんだ。
それを思い知ったのが、やっぱり中央に来た後。
そりゃあ当然、私だって「中央は地方とはレベルが違う」とは聞いてた。桁違いの化け物がいっぱいいるって。
でも、それを体感まではできてなかったんだ。
私が入学した当時……つまりは2年前は、丁度ウィルム先輩がクラシック級に上がった直後くらい。
当時、トゥインクルシリーズには、これという目立ったスターがいなかったんだ。
メジロライアン先輩とかイノセントグリモア先輩なんかはちょっと目立ってたけど、一強とまでは言えず。
今じゃウィルム先輩のライバルのメジロマックイーン先輩も、そこまで力を付けているってわけじゃなかった。
圧倒的に隔絶した実力者、というものが不在だった時代なんだ。
だからこそ、「私でもあの人たちみたいになれる」っていう、何の根拠もない自信を持てていたところがあるんだろうね。
私こそが歴史に名を残すんだと。あのウマ娘たちを超えて、G1レースを総舐めするんだと。
頑是なく世界を知らない子供特有の、夢見がちな野望だ。今思い返すと恥ずかしいくらい。
でも、その夢は……2人のウマ娘を知って、醒めた。
片方は勿論、ホシノウィルム。
灰の龍。煌めく一等星。今を生きる神話。
彼女の走った、当時一強と呼ばれていたテイオーをその実力で下し、8バ身差の勝利を刻んだ皐月賞。
その圧巻と言う他ない光景は、既に自分より素質の優る同期たちを知って冷静になりかけていた私の思考を、現実という底の底にまで落とし込んでくれた。
私は多少強いかもしれないけど、所詮、凡百のウマ娘に過ぎず。
世界には、本当の本当に、運命に選ばれた、物語の主人公みたいなウマ娘たちがいて。
中央のG1レースっていうのは、そんな「本物」たちが覇を競う、選ばれた存在だけの特別な場所。
そういう現実を知り、身の程を知り、己を知った。
ソウリクロスは、普通のウマ娘なんだって。
選ばれた存在などではないんだって。
……それなのに。
それなのに、もう1人のウマ娘、ブルボンちゃんと何度か併走トレーニングしている内に……。
悔しく、なった。
ミホノブルボン。
ホシノウィルムと並ぶ、私に現実を突き付けたウマ娘の1人。
彼女は、私とは違う……選ばれた存在だ。
ウィルム先輩を育て上げた堀野トレーナーが選んだんだ、ある意味それは当然だったのかもしれないけど。
元トレーナーの父と短距離血統の母を持ち、けれど本人は中長距離のクラシック三冠を狙い……。
一般的なトレーナーにはとても受け入れられない方向性の違いから、契約解除。
どうしようもなくなった時、前年に同じ寒門ながら無敗三冠を達成したホシノウィルムのトレーナーに拾われて……そこからはシンデレラストーリー。
まるでホシノウィルムを追いかけるように、無敗のまま二冠達成。
ああ、なんて……なんてドラマチックで、煌びやかで、「特別な」運命なんだろう。
私とは比べるべくもない、本当に選ばれた存在。
自分という狭い世界の、じゃない。
きっとこの競走世界全体、トゥインクルシリーズにおける、星座を象る一等星だ。
私みたいな「普通の」ウマ娘が、「特別な」彼女に勝てるはずがない。
ぽっと出のモブキャラが、世界の主人公に勝っていいはずがない。
そう思わせるだけ、彼女の辿った運命は劇的で……。
そして何より、その力は圧倒的だった。
頼まれて、彼女と併走を始めてから、すぐに理解した。
意味のわからないハイペース、あり得ないスタミナ、凄まじい技巧。
何もかも、ただ1つでさえ、私は同じ逃げウマ娘としてミホノブルボンに勝っている部分がない。
それが。
……死ぬ程、悔しかった。
わかっているのに。
私が勝てるわけないって。
彼女は凡人とは違うんだって。
所詮モブは主人公に勝てないんだって。
わかってる。わかってる。……わかっている、のに。
それでも、チリチリと胸の底を焼く感情を、殺し切ることができなかった。
だから、あの人にもらった言葉を糧に、挑んだ。
『ソウリちゃん、本気になってようやく差が実感できたって言ってたよね。
それってつまり、ブルボンちゃんとちゃんと競えるレベルになったってことだよ』
それが無謀とはわかっていても。
『それに、自分が相手より劣ってることを真正面から認めて、その上で相手に勝つためにどうすればいいのか、必死に考えてるでしょ。
そういう手合いが一番怖いって、私は知ってる』
勝つことは不可能だと理解していても。
『確かにブルボンちゃんは、掛け値なしに強いよ。なんてったって私のトレーナーが育ててるんだもん、間違いなく今年のクラシック三冠最有力候補だ。
でも……ソウリちゃんは、それを崩し得る一角になるかもしれないって、今なら思える』
負けるだけで終わると、わかっているのに。
『だからソウリちゃんは、あの時の、ホシノウィルムに対するサイレンススズカになればいい。
……あぁ、勿論、擦り減らすだけ擦り減らして負けろって意味じゃないよ? そうやってブルボンちゃんを追い詰めて、誰かと一緒に倒して……それで、一番美味しい一着を持っていく。
まだ現実的なプランとは言い難いけど、それが一番、勝ち目のある展開じゃないかな』
それでも。
眩しすぎる、その光に背を押されるように。
あの人の……こんなどうしようもない私を、「可愛い後輩」だと言ってくれたあの人に報いるために。
私は、主人公に。
私たちの世代の最強の存在に、挑むことにした。
* * *
「はっ、はっ、く、あっ……!」
ターフを駆ける。
脚を動かす。
動かす。動かす。とにかく前へ。
逃げウマ娘として……いいや、大逃げウマ娘として、バ群の先頭を走る。
……あるいは、すぐそこにまで迫る、彼女から逃げるように。
京都レース場3000メートル、「最も強い」ウマ娘を決めるG1レース、菊花賞。
本来、出走だって分不相応なそれを……今、私は走っていた。
ミホノブルボンは、弱点が1つさえない。
私の所属するチームのトレーナーは、そう分析していた。
短距離向けの血統でありながら、堀野トレーナーの下で鍛え上げ、高いスタミナを保有するようになった。
勿論スタミナ以外も凄まじいものを持ち、そのスペックは他のウマ娘たちを一回り以上凌駕している。
そして極めつけに、その身体能力を活かす、常に定速でレースを駆け抜けるラップ走法を身に着けている。
彼女はまさしく「ホシノウィルムの後輩」に相応しい、飛び抜けた身体能力を持ちながら垂れることのない逃げウマ娘であり……。
そして、自身の身体スペックを理論上最大効率でレースの結果に反映することのできる存在。
そのランニングプランが乱れることさえなければ、その背を越える方法は、彼女の身体能力を凌駕することを除いて他にない。
そして彼女を超える身体能力を持つウマ娘は、同世代には1人もいない。
つまるところ、最強だ。悪趣味な程に。
彼女を倒す方法は、2通りしかない。
1つは、先程も言った通り、ミホノブルボンを超える身体スペックを持つこと。
不可能だ。絶対に無理。ホシノウィルムを間近に見て、堀野トレーナーに育てられた主人公。そんな相手の力をどうやって超えろというのか。
私たち凡百のウマ娘には、主人公補正もなければ、とんでもないチートもありはしないのだ。
実際私のチームトレーナーも「私ではあの天才を倒せない」と言っていた。
私はミホノブルボンに勝てず、トレーナーは堀野トレーナーに勝てない。
能力だけであの子を倒すのは、とてもじゃないけど不可能だ。
だからこそ、自然、選ぶべきはもう1つの選択肢。
……ミホノブルボンの走りを、壊すこと。
彼女の取るラップ走法、スタミナを完全に活かし切る走りは、掛かれば崩れる。
それは今までのレースや模擬レースを見ていれば自明だった。
だから、そうさせる。
私がミホノブルボンよりも前を走り、彼女に強烈に意識させることで、掛からせる。
彼女の走りを乱し、壊し、下す。
それしかない。
最低最悪な一手だと思う。
ミホノブルボンの走りを侮辱するような行為だっていうのもそうだけど……。
私のスタミナは、ミホノブルボン程にない。
つまるところ、スタートから彼女の前に出るような走りをすれば……3000メートルも、持たない。
これは、破滅的な走りだ。
ただミホノブルボンを下すためだけの……自分が勝つことを視野に入れないような作戦に見えるだろう。
彼女のファンからすれば、許せないような走りに思えるだろう。
でも、トレーナーと話し合った結論が、これだった。
ミホノブルボンに勝つための、同じ逃げウマ娘であるソウリクロスの最善の作戦は、逃げウマ娘からなお逃げる、この大逃げだった。
他の走りでは、勝てる可能性は0。
ただ順当に、ミホノブルボンの圧倒的な実力に磨り潰されるだけ。
それに勝てる程強い力を、魂を、運命を、私は持ってはいない。
けれど、これならば。
ミホノブルボンの走りが崩れ、様々な要素が噛み合い、私が普段以上の力を発揮できて、他のウマ娘たちがその力を発揮できなければ……。
1%。
ほんの1%の、微かな勝率が生まれる。
だから、私はこの道を選んだ。
レースをめちゃくちゃにする選択を。
ミホノブルボンも、他のウマ娘も、そのファンの皆も。
関わる全てを敵に回す、運命を。
そして、今。
私は、それを、強く後悔していた。
何が勝つ可能性だ。
何が勝率が生まれるだ。
こんな走りが……長続きする、わけがない!
「か、ふっ……はっ、はっ、あっ!」
息が、息が続かない。
吸えない、吐けない。痛い。呼吸のやり方を忘れて、どうすればいいかわからない。
脚が動かない。痛い。裂ける。
棒のよう、じゃない。脚は脚のままに、地面に付く度にチリチリと痛みが脳髄を焼く。
こんなの……。
……こんなの、真っ当なウマ娘ができる、走りじゃない。
大逃げ。
逃げウマ娘からすら逃げる、先頭を突き抜けて走る脚質。
サイレンススズカやホシノウィルムが取った、埒外の戦術。
なんでサイレンススズカに長距離は長すぎると言われているのか。
なんでホシノウィルムがあそこまで常識外れと言われているのか。
私は、今更に、体感する。
3000メートル、二度の急こう配の坂を上りながらの、大逃げ。
ただのウマ娘ができる走りじゃない。
それは、本当に……本当の本当に選ばれた、ただ1つの星にしか。
「主人公」にしか、許されないものだった。
3000メートルを、このペースで駆け抜ける?
無理だ。
だからこそ、稼いだリードを……少しでも維持して。
とにかく、とにかく、とにかく……前に出ないと。
それは、わかっているのに。
『レースも半ば向こう正面、先頭は変わらずソウリクロス、ややその走りに陰りが見えてきたか、じりじりと番手ミホノブルボンとの差が埋まって来ている。
そして未だ1バ身程開いて3番手にはシャバランケとライスシャワーが並び、ややシャバランケが前に出ているか。そこから1バ身程離れてマチカネタンホイザ、そして3バ身4バ身離れてわっとバ群が固まっています。
やはり注目は先頭争い。夢の三冠にその手は届くか、残り1200で淀の坂が立ち塞がる!』
2度目に立ち塞がった淀の坂は。
その壁は、あまりにも高すぎた。
脚が、進まない。
前に動かそうと、そう思っているのに……びりびり痺れて、そのくせ感覚がなくて、まともに動かない。
その間に、後続が……。
ミホノブルボンが、ライスシャワーが、マチカネタンホイザが。
主人公たちが、迫って来る。
モブでしかない私とは比べ物にならない、本物の主人公たちが、私を倒そうと迫り来る。
負ける。
至極当然の末路として。
こんな滅茶苦茶な走りをすれば、当然のように負ける。
スタミナが尽きていることを実感する。
あと600メートル残っているのに。
まだ、レースは、最終直線にすら入ってもいないのに。
私の敗北が……。
どうしようもない運命が、迫って来る。
『さぁ長い登り坂を駆け上がって第三コーナー下り坂、やはりその勾配は高かったか、逃げる2人と後続の差はジリジリ詰まって、先行集団までは半バ身差といったところか!
そして残り600最終コーナー、ここで動くかミホノブルボン、ソウリクロスとの差が埋まって行く! それを追うようにシャバランケも外から前へ!
ソウリクロスの先頭はここまでか、遊びは終わりだと言わんばかりに栗毛の超特急が先頭へ躍り出た!!
ついに最終コーナー終わって直線コース、先頭はミホノブルボン、リードは1バ身強といったところか! どこからでも何でも来いと言わんばかりだ!!』
私を吹き飛ばすような、強い風が、吹き抜けたように思った。
それは、彼女が……ミホノブルボンが、私をかわした時に起きたものだった。
ああ。
抜かされて、しまった。
信じられない。
この距離を、スタートの時にした無理は別としても、私と殆ど同じ速度で走って来たのに……。
それなのにミホノブルボンは、未だスピードを落とさない。
淀の坂を駆け抜けて、未だなお走る力を残していた。
……ああ、それはまさしく、去年の菊花賞と同じように。
この3000メートルを駆け抜け、終盤でなお加速して、レースメーカーから逃げ切ったあの人のように。
彼女はまさしく、今この瞬間。
世界に選ばれた主人公だった。
『残すは400メートル、ライスシャワーだ、ライスシャワーが襲い掛かって来る!!
ローカルストリームも、そしてマチカネタンホイザも一気に前へと躍り出る! 勝負の行方はまだわからない!!』
続いて、私の周りに、領域が広がる。
暗く、黒く、鋭い……刺客の領域。
ああ……そうなんだ。
ライスシャワー。
ミホノブルボンを追う彼女もまた、選ばれた主人公。
菊花賞を走り、ホシノウィルムと覇を競った、ナイスネイチャの後輩。
まるでその運命を辿るかのように、彼女は今、ミホノブルボンを追っていた。
研ぎ澄まされた領域はただ一点、ミホノブルボンにのみ向けられた、練り上げられた殺意。
彼女を刺し斬り、差し切るために彼女が練り上げた、魂の一振りだ。
その領域を感じて、思う。
この菊花賞は……結局のところ、あの2人の勝負なのかもしれない。
逃げるミホノブルボン。
追うライスシャワー。
去年の追体験のように、運命に導かれた2人が雌雄を決するレース。
それが、今年の菊花賞なのかもしれない。
そこに、私の居場所はない。
ソウリクロスなんてモブが立ち入ることのできる領分じゃ、ない。
だから私は、ごく自然と、当然のように、負ける。
運命という壁は、私なんていうモブを簡単に跳ね除ける。
ミホノブルボンやライスシャワーのように「特別」でない私は、こんな無理な走りに耐えられるわけもなく……何もできないままに、大敗する。
ミホノブルボンを引きずり落とし、レースのテンポを滅茶苦茶にして、悪い意味で傷痕だけを残して、何も為せずに終わる。
それが、ある種、私の運命なのかもしれない。
……けど。
けど、私は。
それでいいんだろうか?
あれだけのことを言ってもらって。
あれだけのことをやってもらって。
あのホシノウィルムに、名前まで覚えてもらって。
そんな私が、このまま終わっていいの?
終わるしかない、そんなことは分かってる。
ソウリクロスに、これ以上はない。
ただのモブウマ娘が、これ以上彼女たちに抗することなんてできない。
私のスタミナは尽きた。この直線を走り切るだけの体力が、残っていない。
矢は空気抵抗で勢いを失い、もはや地に墜ちている。
このまま垂れて、負ける。
それを避けるだけの力を、私は持っていない。
だから、勝てない。
ミホノブルボンにも、ライスシャワーにも、勝てるわけがない。
そもそも。
モブっていうのは、主人公たちを引き立てる。
そのためだけに存在しているんだ。
私だって、その1人。
名前も持たないアンネームド。
星の光を引き立てる、人の目にまで届かない闇の中の星屑に過ぎない。
それは……痛い程わかってる。
……けれど、それでも。
『うん、頑張れ……ソウリクロスちゃん。君のこと、見てるからね』
ソウリクロス。
そんな、どこにでもいそうなウマ娘の名前を、憶えてくれた人がいた。
ソウリちゃんと、そう呼んで、期待してくれた人がいたんだ。
確かに私は、
それでも、きっとあの人にとってだけは。
私の名前を呼んでくれた、あの人にとっては……。
……このままじゃ、終われない。
こんな私に期待してくれた、カッコ良くて素敵な、最強の先輩のために。
そして……「こんな私」自身のために。
モブでしかない私が、何かを、為すために。
落ちかけていた矢を、拾い、再び番える。
もう一度。
少しだけでも。
私の中に残っている、本当の本当に、全てを振り絞って。
……私の運命に、限界という名の壁があるのなら。
この矢で、それを貫いてやるッ!!
「私、……だってッ!!!」
言葉と、そして言葉にならない想いを後に、歯を食いしばる。
もうまともに感覚も残っていない脚を、折れるんじゃないかって思うくらいの力で地面に叩き付けた。
領域なんて、使えない。
その切り札は、私の魂の力は、既に使ってしまった。
ウマ娘の魂の力は、私を勝利にまでは導いてくれない。
だから、ここからは、名前も知らない運命の導きじゃない。
「ソウリクロス」の、足掻きだ。
一瞬。
既に前にいた、ライスシャワーの視線が、私に向けられた。
私の位置を把握し、適切にそれに対処できるように、と……なんとも彼女らしくない気配り。
けれど、そこにある殺意にも似た敵愾心は本物で。
思わずそれに竦みかけて……。
けれど。
一度放たれた矢は、止まることを知らない。
私の脚は、もはや私自身の意思すら離れて、前へと走る。
肺が。
脚が。
頭が。
全身が、痛い。
もう無理だと。
ソウリクロスの限界は
「────、ッ!!」
それへの苛立ちが、なおのこと、矢を前へと走らせた。
もはや他のウマ娘も目に入らない。
観客の怒号も、実況解説の声も、何もかもが遠かった。
自分が何のために走っているのか、何のために苦しい思いをしているのかさえ、わからなくなる。
残るのは、ただただ純粋な、感情だけ。
……勝ちたい。
あの子に。あの子たちに。
誰より強くて、誰よりカッコ良くて、誰より特別なウマ娘。
きっと世界に愛されているだろう、主人公たちに。
私が。こんな私が
別に強くなくて、ただただカッコ悪くて、何も特別じゃないウマ娘が。
多くの人にとって何者にもなれない、邪魔者になってでも。
勝ちたい。
勝って、証明したいんだ。
私だって、ソウリクロスだって、何者かになれるんだって。
誰かにとっての、
「ッ、うぅぅ、うぁぁぁあああああ!!!」
* * *
……結局のところ。
私は何がしたかったのだろうか……と。
雲1つない、京都の青空を見上げて考える。
直近の記憶が、ない。
あまりにも追い詰められて……いや、もしかしたら酸欠だったのかもしれないな。
これまでにないくらいに無理も無茶もした。脚が折れちゃうんじゃないかって、そう思うくらいに……流石にこれは不吉な考えすぎるかな。
でも、とにかく、それくらい、頑張って頑張って頑張った。
今の私に、これ以上はない。本当に、魂の底の底の底、体の奥の奥の奥まで、全てを絞りて出し切った。
だから、レース後から、倒れ込むまでの記憶がなくて……。
……まぁ、それだけ頑張っても、勝てはしなかったけどね。
「4着っ、か、ぁ……」
ちょっと言葉を吐いただけで、げほげほと、無様に咳き込む。
それで体を軽く折っただけでも辛いくらいに、今は疲れて果ててるんだけどね。
けど……それでも。
私は、言葉を止めない。
「遠い……とお、かったなぁ……」
最後に覚えているのは、前を走る、3人の背中。
一番遠くに見えたものまで……5バ身、くらい離れていただろうか。
これだけやって、全部出し切って、それでも勝てない。
やっぱりあの子たちは本当に、どうしようもなくカッコ良い主人公で。
私はどこまで行ったって、結局はモブキャラでしかないんだよねぇ。
青空に、ゆっくりと手を伸ばす。
キラキラ眩しい星みたいなそれは、手にすっぽり収まりそうにまん丸で、けれどあまりに遠かった。
ああ。目も、手も、焼かれてしまいそうに……熱い。
イカロスの翼。傲慢の末路か。
矢は強烈な光に惹かれ、跳んで……けれど無様に地に墜ちて、こうして無様を晒しているわけだ。
……わかっていたことだ。
あの走り方で、走り切れるわけがない。
私やトレーナーも含めて、全員が想像していたことだった。
ソウリクロスの敗北。
そして……あの子の勝利も。
「眩しい、よ…………ブルボン、ちゃん」
私の遥か先を、誰よりも早く駆け抜けたのは、ミホノブルボン。
彼女は、ライスシャワーの鈍った領域と自らの世界をぶつけ合った末、その精度を更に研ぎ澄ませて……。
1バ身強の差を詰め切らせず、最後の最後まで駆け抜けた。
それが、私が憶えている、最後の光景だ。
ネディリカの、二匹目のドジョウは掬えなかったかと、肩を上下させながらまぶたを閉じる。
凱旋門賞で、注目されていなかった状態から英雄姫を下し、2着をもぎ取ったネディリカ。
彼女のように、レースに勝てはせずとも結果を残すことができれば……と、そう思わないでもなかったけど。
果たせたとは言い辛い。なにせ、4着だし。
……いや、一矢くらいは報いたかな。
ソウリクロスは、寒門出身ではないけど、だからと言って名門出身と言える程の出自じゃない。至極普通の競走ウマ娘の母の娘だ。
だからこそ、ある意味でこれは、大健闘と言えるだろう。
栄ある菊花賞で、掲示板に入るどころか、4着だ。
この世代の国内長距離部門で、4番目の実力を持ってるって言ってもいい。
きっと学校に帰れば、クラスの皆にはすごいすごいって持て囃されるだろうな。
「あの」ミホノブルボンに、「あの」ライスシャワーに、「あの」マチカネタンホイザに続いての4着なんて、ソウリやるじゃん! って。
うるせえよ。
「……はぁ、クソ」
勝ちたかった。
私が取りたかったのは、4着でも3着でも2着でもなく、1着だった。
あの主人公共に、強くてカッコ良くて特別な主人公共に、勝ちたかったんだ。
今回で……徹底的に対策して、万全の備えで挑んだ、そして何よりウィルム先輩に宣言したこの菊花賞で。
私は、
お前だけじゃない。私だってあの人の後輩で、次世代の逃げウマ娘なんだって。
そう、宣言したかったんだ。
「勝ち、たかった、なぁ……」
「そうだね」
独り言に、答えが返って来るとは思わなかった。
私が思わずまぶたを開けると……。
そこには、太陽の下、黒い逆光に表情を隠す、黒鹿毛のウマ娘がいた。
この菊花賞で惜敗した、2着のウマ娘だ。
「……すごかったよ、ソウリさん。ライス……目を、奪われちゃった」
私は、言葉を返さなかった。
返さなかったというより、できなかったというのが正しいけど。
ライスシャワー。
彼女は3000メートルを走り切ってなお、肩を揺らす程度で済んでるけど……こっちはそうもいかない。
魂の底から、全部全部出し切ったんだ。そりゃあもう、まともに声も発せないってもので。
独り言ならまだしも、彼女の言葉を理解して、ちゃんと理解して、投げ返す……っていうのは、今の私にはやや厳しいものがある。
でも、あるいはそれを理解してくれてるのか。
彼女はそのまま、独り言のように語り掛けて来た。
「ライスもね、この菊花賞に、ずっと備えて来てたんだ。ブルボンさんだけを見て、ずっと追いかけて、今日超えるんだって。
……でも、ソウリさんのことは、無視できなかったや。ライスと同じだもん」
「同じ……?」
掠れた息と共に尋ねた私に、ライスシャワーは、影の中で頷いた。
「お姉さまに……ホシノウィルムに憧れて、私こそあの人の後輩だって、叫んで。
その気持ちが、決意が、覚悟が……ライスには、痛いくらいに分かるから」
似た者同士だね、と。
ライスシャワーは、笑った……気がした。
そうして、彼女は上を見上げて……。
……その時初めて、後光で陰になっていた、ライスシャワーの表情が覗けた。
「…………追いつけなかったなぁ」
彼女は、観客の声援に応えるミホノブルボンを見ながら……。
その瞳から……一筋の涙を流していた。
「次は、勝とうね」
「え?」
思わず、唖然とした声を上げる私に。
ライスシャワーは、涙を流したまま、続ける。
「菊花賞は、負けたけど。ブルボンさんがこれからも走り続けるのなら、ブルボンさんとも……お姉さまともきっと、走る機会はある。
だから……勝とうね、ソウリさん」
それは。
私が、無意識に、諦めていた選択肢だった。
これ以上ないくらいに対策して、鍛えて、想定して、頑張って、ようやく行き着いた菊花賞。
ミホノブルボンにとって最も不利なこの戦場で勝てなかったら……きっともう、二度とは勝てないと、もはや挑むことすらできはしないと、そう思っていた。
だから、この一戦に賭けたし。
……だから、もうチャンスもないのだと、諦めてしまっていた。
きっと、菊花賞が最大のチャンスだったのは、ライスシャワーも変わらないのに。
それなのに彼女は、欠片たりとも諦めてはいなかった。
それが……無性に、カッコ良かった。
そういうところが、まさしく主人公たる所以なんだろうな、って。
この子はきっと、理想の自分になるためなら、何度挫折しても立ち上がって挑み続ける、本当のヒーローなんだろうなって。
そう思って……だからこそ。
「次は……っ、『ソウリクロス』が、勝つ、から!」
私だって主人公だと、精一杯の虚勢を張って、拳を突き上げる。
拳の先にある太陽は、相変わらず熱かった。
けど……この熱さ。
火照って浮かされきった体と心には、丁度良いかもね。
ミホノブルボン
『G00 1stF∞』 Lv2
出遅れずに最終直線で前の方にいると速度が上がる、前方の順位をキープしていた場合はすごく上がる。
菊花賞、これにて閉幕。
勝ち切ったのはミホノブルボン、それに最も迫ったのはライスシャワー、そして……その決死の姿で多くの人を魅せたのが、ソウリクロス。
誰かの想いを継いで走る主人公たち。
読者様の視線は、誰に向いたでしょうか。
色々と終わっていないことはあるのですが、それらは後日また。
次回は一週間以内、掲示板回で菊花賞の反応。
(追記)
誤字報告を頂き、訂正させていただきました。ありがとうございました!