担当したのか、俺以外の奴が……
八大競走、というものがある。
国内でトップレベルの盛り上がりを見せるクラシックレース……皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞。
もう1つの三冠とも呼ばれるトリプルティアラの内、桜花賞、オークス。
ここに春と秋の天皇賞、そして有馬記念を加えたもの。
重賞の中でも、特に格が高いとされる8つのレースのことだ。
ここで言う格が高いってのは、「レベルが高い」とか「人気のある」と完全にイコールではない。
正直一部のレースより、海外ウマ娘たちが殴り込んでくるジャパンカップの方が盛り上がったりするし、宝塚記念とかエリザベス女王杯の方がレベルが高くなったりすることもある。
格が高いってのは、つまりトゥインクルシリーズの運営団体であるURAが重要視している、ってこと。
……で、主催が重要視してるレースとなると、ちょっとばかりいつもと違うことがある。
今この瞬間に行われている勝利者インタビューなんかが、その典型例だろう。
本来、出走ウマ娘の疲労なども考慮して後日改めて行われる、1着のウマ娘へのインタビュー。
しかし八大競走においては当日、それもレースからそう時間も置かずに行われる。
……まぁ、勝った熱をそのまま伝えてほしい、という意図はわからなくもないんだけどさ。
うちの担当ウマ娘に関しては、そのシステムがめちゃくちゃ空回ってるんだよなぁ。
「本日の皐月賞を走った感想は如何でしたか?」
「想像より退屈でした。もっと熱くなれるかと思っていました」
「2着トウカイテイオーは一時、後方1バ身まで迫っていましたが、彼女に思うことなどは?」
「特に何も。強いて言えば、期待外れです」
誰か助けてくれ。この暴走する鹿毛ウマ娘を止めてくれ。
面倒臭くなって、歯に衣着せぬ本音で答えちゃってるよこれ。
……まだ疲労も抜け切ってない内に、そんな楽しくもなかったレースについて訊かれたら、そりゃあやけくそになる気持ちはわかんなくもない。
けど、できれば君のトレーナーの胃のこととか考えてくれると助かるなー。
……勘弁してくれぇ。君の評判とか考えてプロモーションするのもトレーナーの職務なんだが?
こんな不遜な態度取るウマ娘のデータは堀野家にはないんだわ。どうしよう、もう一周回って魔王路線を完遂するべきか……?
これが彼女の本音である以上、俺は訂正とか補足のしようもないし……あぁ、マジで誰かこの子を止めてくれ……。
「かのシンボリルドルフのレースレコードを3秒も更新したということで、注目が集まっていますが」
「記録に意味はないと思っています。私は今日、レースで勝った。大事なのはそれだけです」
「次回出走予定の日本ダービーは逃げウマ娘には不利なレースと言われていますが、勝算の程は?」
「全力を尽くすだけです。それ以上私にできることはありません」
強いて1つ、俺の心を軽くすることを挙げるとするなら……。
記者の皆さんが、だいぶ慣れた態度で対応してくれてることだ。
ホシノウィルムの公式レース勝利者インタビューも、今回で5回目になる。
毎度毎度とんでもない毒舌を吐き捨てるホシノウィルムに慣れてくれてるんだろう、半分くらいの記者は淡々と手元のキーボードを叩いたりメモ帳に書き込んでくれてる。
ちなみにもう半分は「うわぁマジでこういうこと言うんだ、やべー」みたいな顔してる。ははは、同意見です。握手。
……あー、そういえばそろそろ胃薬のストックが切れてたなぁ。今日は帰りに薬局寄ろうかなぁ。
「今後の出走予定に関して伺ってもよろしいでしょうか」
隣に立つホシノウィルムがこちらを見てくる。
うん、代わろう。軽く頷き、記者たちに向き直る。
「彼女の代わりにお答えします。
次回出走予定は、東京優駿、日本ダービー。
次々回は、ファンの皆さまの期待にお応えし、宝塚記念に出走する予定です。
その後は休養と調整のため、菊花賞を目指します。
三冠を取った後、ジャパンカップや有馬記念に、彼女の脚の負担を見ながら出走登録するつもりです」
ざわり、とその場の空気が揺れる。
……ま、そういう反応になるよな。
ここまで、彼女のローテーションは発表していなかった。
三冠を目指すウマ娘は皐月賞の前後にローテーションを発表することが多い。
俺も今回の皐月賞を見てから確定したいと考えていたので、今日まで発表しなかったのだが……。
何故記者たちに動揺が走っているのか。
三冠を主眼にしているし、ダービーと菊花賞は当然。
そして三冠ウマ娘になれば勿論ジャパンカップや有馬記念を期待されるから、そこも意外ではないだろう。
彼らが驚いているのは、残った1つ。
宝塚記念への出走だ。
宝塚記念。日本ダービーからそう間を置くこともなく開催される、上半期の実力者を決める決定戦。
本来、三冠を目指すウマ娘は、あまりここに出走しない。
その理由は、大きく分けて2つある。
まず第一に、開催時期が日本ダービーに近すぎること。
特に今年の場合、ダービーは5月26日、宝塚記念は6月9日だ。
その間は、わずか13日間。いわゆる中1週しか空いてない。
故に、出走したら1か月程度は休めた方が良いとされるウマ娘の脚を酷使することになる。
例年はもう少し余裕があるんだけど、今年は前倒しの開催になったからなぁ……。
その上ホシノウィルムはこれまで、3月3日に弥生賞、今日4月14日に皐月賞に出ているんだ。
三冠を目指すのなら必要のないG1レース。
そんなところに出て脚を消耗させる必要なんてない……というのが、今は通説になりつつある。
無論、その通説に逆らって出走する子もいる。
調べたところ、今年もホシノウィルムの他に2人出走予定者がいた。
チアーリズムなんかは結構人気があるし、ほぼ確実に出ると思う。
なので、記者たちが驚いているのはこちらではなく、もう1つの理由によるものだ。
「ホシノウィルムさんの目標は、無敗の三冠と伺っていましたが……」
その質問を投げかけてきた記者の顔は、露骨な困惑に歪んでいる。
それもそのはず。
宝塚記念において、クラシック級のウマ娘が勝利することはあり得ないとされている。
理由は単純に、実力不足。トレーニングに使える時間も違うし、トレーナーとの信頼関係だってシニア級の方が厚いからな。
普通に考えて、クラシック級のウマ娘には勝ち目がないレースなんだ。
故にこそ、記者たちは困惑している。
無敗の三冠を目指すと大言壮語を吐いたウマ娘が、勝つことのできないレースに挑もうとしている、と。
「ええ、その認識で間違いありません。
その上で、ホシノウィルム本人との相談の末、宝塚記念への出走を決めました。
彼女なら、ファンの皆さまの夢を背負って走れるという判断です」
それはつまるところ、常識を覆しに行く、という宣言だ。
再び、ざわりと会場が揺れた。
この世界には、いくつかジンクスがある。
たとえば、逃げウマ娘は三冠ウマ娘にはなれない、だとか。
あるいは、ウマ娘の能力を決めるのは血筋だけ、だとか。
ホシノウィルムは今も、果敢にこのジンクスに挑んでいるわけだが……。
クラシック級ウマ娘は宝塚記念には勝てない、という半分事実の風説は、これらに並ぶもの。
つまるところ、ホシノウィルムはまた1つ、新たな常識に挑む、と。
これはそういう話なのだ。
……うん、まぁ記者の皆さんもこの子に振り回されて大変だろうし、少しくらいは記事になりそうな情報もいるだろうし。
思う存分美談として書き起こしてほしい。
よーし、いい感じに纏まったしこの辺でインタビュー終わっちゃおっかな、と。
……俺が油断した、その刹那のことだった。
「す……素晴らしいですっ!」
恐るべき獅子が目を覚ましてしまった。
ザッと、記者の中の1人が一歩前に歩み出る。
他の記者たちはなんとも賢いことに道を開けた。
うん、正しい判断だ。関わっても面倒なだけだろうし。
歩み出た記者は、妙齢の女性。
長い焦げ茶の髪を2つに結った、爛々と輝く藤紫の瞳を持つ……。
いやもう、ぶっちゃけ言えば乙名史記者だ。
クソ、面倒くさい人に絡まれちゃったよ!
「自らのウマ娘を信じ、彼女であればどれ程の強者と争おうと確実に1着を取れると!
そう信じているわけですね!!」
「……ホシノウィルムは間違いなく優駿です。
たとえシニア級のウマ娘たちの中に交ろうと、彼女ならば良い走りを見せてくれると信じます」
「なるほどなるほどっ! 素晴らしいっ!!」
……一見、話が嚙み合っているように見えるが、そんなことはない。
この乙名史悦子という人間、鼓膜にかかっているフィルターが、そりゃあもう分厚いのである。
「担当ウマ娘を支えるため、山まで清水を汲みに行き、温泉さえ掘り当てる覚悟!!
どこまでもウマ娘に尽くすその姿、天晴と言う他ありません!」
うん、そんなこと言ってないね。
話の趣旨がホシノウィルムから俺にズレてるし、普通に事実無根だし、というかもう会話がドッジボールなんだよね。
……あーもう、これだからこの記者は苦手なんだわ!
なんか葉牡丹賞の時以来、変に気に入られちゃったし!
それからインタビューの度にこうやって事実無根の風評が広がるし!
どうすりゃいいんだこの人への対策!
一応前世のゲームにも登場した人物ってことで、多少思い入れはあるんだけど……それ以上に厄介すぎる。
一度ウマ娘について話し出すと止まらない、妄想過多の暴走特急。その上変に求心力のある記事を書くから手に負えない。
ギャグとして楽しむならそれなりに面白いんだけど、ここ、俺の担当の勝利者インタビューっていうドチャクソ大事な場所なんですよ!
どうすんだ明日の一面が「ホシノウィルムとトレーナー、エベレストへ」とかになったら!
というわけで。
「申し訳ありませんが、ホシノウィルムの体調も鑑みて、インタビューはここまでとさせていただきます」
「ああっお待ちください! どうかあと5件質問を!」
いや図々しい! せめてあと1つにしろ1つに!
常識人な記者たちは皆「大変だね……」って感じの目で、打ち切りを受け入れてくれてるけど。
……大変だと思うんなら、助けてくれてもいいんですよ?
* * *
ウイニングライブ。
ファンの方々の応援に応える舞台であり、ウマ娘のアイドル性が最も色濃く出る瞬間。
……正直俺からすれば、ウイニングライブはレースに比べて印象が薄い。
何せ、俺がトレーニングを付けるわけじゃないからね。
ライブのダンスは振付師とダンストレーナー、歌はボイストレーナーが受け持つ。
俺の仕事はその専門家たちとアポを取ったり、先方の時間が空いたタイミングで担当ウマ娘を送り込むこと。
逆に言えば、その他はウイニングライブに関してノータッチなのだ。
つまるところ、俺は彼女のライブパフォーマンスの完成度を、実際に見てみるまで知らないわけだが……。
『光の速さで駆け抜ける衝動は
何を犠牲にしても 叶えたい強さの覚悟』
「よくもまぁ、綺麗にこなすものだな……」
実際に踊る彼女を見ていれば、少しばかり抱いていた不安も消え去る。
ウマ娘特有の身体能力所以なのか、素晴らしいパフォーマンスだ。
指先に至るまで徹底された、キレのある動き。
感情と芸術性を両立した、力のある歌声。
そして何よりも……完璧な、表情。
「……演者だな、君も」
俺とて仮面を被って久しい。
演じることは人一倍慣れているし、逆にそれを見抜く力もあると自負している。
だというのに、彼女の仮面は……それだけでは仮面と見抜けない。
眉を寄せて目を伏せる表情は、まさしく必死に歌っているように。
瞼を閉じれば切なげに。瞳を開けば決意を込めたように。
自由自在に変貌する彼女は……生半可じゃなく、演技が上手い。
ふと、思い至る。
彼女の普段の無表情自体が、被っている仮面なのではないか?
感情が表に出にくいのだと思っていたが……あれは単に、自制しているだけなのでは。
幼少期の話からも、他人の前でそうした感情を表に出さないよう……油断しないようにしている、と考えれば納得できる。
ふとした瞬間に見せる素朴な笑顔や、頭を撫でた時のちょっと世間には見せられないような顔。
ああいう顔こそが、彼女の素顔なのかもしれない。
……なら、もっとそういう顔を引きずり出したいな。
彼女が油断していても大丈夫だと感じられるように、頼れる存在になりたい。
『時には運だって必要と言うのなら
宿命の旋律も 引き寄せてみせよう』
トウカイテイオーとスイートキャビンのパートが終わり、その間からホシノウィルムが現れる。
……いや、ありゃすごいな。
ホシノウィルムは小柄だ。身長は145センチしかない。
レース中の威圧感こそ目を見張るものがあるが、普段はむしろ存在感が薄い方。
それなのに舞台に立った今、自分と比べて大柄な2人よりも、なお目立っている。
ホシノウィルム、競走ウマ娘辞めても女優で食っていけそうだ。
即座に自分の存在を影に隠したり、あるいは光の下に出たり……。
そういった細やかな動きが抜群に上手い。
……そして、何よりも。
『走れ!』
彼女がそう歌った瞬間、暗かった会場に火柱が上がる。
「……ああ」
耳が壊れそうになる大歓声の中、ポツリと息を吐く。
ウマ娘を私情なしに鍛えねばならないトレーナーとして、そんな感想は持ってはいけないのかもしれないが。
……でも、こんな時くらいはな。
上に指を突き立て、片手はマイクを掴んで、キラキラと輝く汗を飛ばしながら歌う姿。
……ホシノウィルム。
君は、綺麗だよ。
『今を! まだ終われない!
辿り着きたい 場所があるから!
その先へと 進め!』
『涙さえも! 強く胸に抱き締め
そこから始まるストーリー!
果てしなく続く Winning the soul!!』
突き出す拳は天を衝く。
それは皐月賞ウマ娘として、どこに出しても恥ずかしくない風格。
……本当に。
すごいウマ娘を担当してしまったな、俺は。
だからこそ……俺には責任がある。
彼女を支えるために、自分の持つ全てを使う責任が。
彼女も命を懸けているんだ。俺もそれくらいの覚悟を持たねば。
使えるもの、その全てを……どれだけ大事なものでも、利用する覚悟を。
そうして、彼女の皐月賞のウイニングライブは。
『果てしなく続く Winning the soul!!』
大盛況のままに、幕を閉じた。
* * *
ウイニングライブが終わって、しばらく。
流石に疲れ果てたか、車の中で寝てしまったホシノウィルムを寮に届けた後、俺は……。
「うーん、餌のかけ方はこれでいいんだろうか」
ざざーん、ざざーんと、打ち寄せては返す波。
目の前には、暗く底の覗けない水面と、眩しいくらいに綺麗な星空が広がっている。
そう、担当が皐月賞に勝った日の夜。
俺はトレセン近くの海に来ていた。
手には1000円で買った釣り竿と、百均で揃えた針と餌。
足元には海水を汲んだバケツ。
準備は万端である。
「……よし、やるぞ」
堤防に折り畳み椅子を置いて座り込み、ぶんっと針を海に飛ばす。
一応軽く調べてみたけど、こんな感じでいいのかな。釣りなんて前世子供の時にやって以来だからなぁ。
経験があるのとないのとでは全然違うだろうし、最悪ボウズでも仕方ないけど……。
「それ、引いてません?」
「え、もう?」
リールを巻きあげる。あ、確かになんか、ちょっと重い?
ある程度巻いて、そんでぐいっと竿を引っ張ると……。
「おー、釣れた。小さいけど」
「カサゴだねぇ。お兄さんやりますなぁ」
「はは……君ほどじゃないよ」
釣り針を四苦八苦して外し、魚をバケツの中に突っ込んで、いつの間にか横に来ていた芦毛のウマ娘に苦笑を返す。
いやまったく、来てくれてよかった。
スぺちゃん伝手に知り合ったとはいえ、特に交友関係も深くないトレーナーの誘いに乗ってくれる確証はなかったからな。
……「行ければ行きまーす」なんてふざけたこと言って、何だかんだ期待には応えてくれる子なんだわ。
勿論、彼女もただ雑談に来たわけじゃない。
全ては情報収集のためだ。
俺の担当するホシノウィルムは、今トゥインクルシリーズを襲っている嵐。
彼女のことだから、その情報は是が非でも欲しがるだろう、と思っていたが……。
……やっぱり変わらないな、この子は。
「釣りのコツ○とかある?」
「まる? あー、そうですねぇ……ま、何よりも待つことですねぇ」
「十分な仕掛けをして、万全の態勢を整えてから?」
「おー、その通り。流石は中央のトレーナー、わかってるじゃないですかー」
とりま、その餌じゃ釣れにくいですよ、と。
彼女は何かの入った袋を差し出してくる。
貝……かな? 何か白いのがまぶしてあるけど。
「ありがとう。感謝くらいしか返せないけど」
「そっちの担当ウマ娘の情報とかでもいいですよ~?」
「そりゃ勘弁してくれ、俺個人が差し出せるものじゃない」
「にゃははっ、それは確かに。ざーんねーん」
2人で並んで、釣り糸を垂らす。
現代において、ゲームでは触れることが多くなった釣りだけど、リアルでは趣味にでもしないとやる機会ないよなぁ。
まぁ俺は前世から、とてもじゃないけど人生経験豊かな方じゃなかったし、もしかしたら普通の人間はもう少し触れることもあるかもしれないが。
「お兄さん、釣りもトレーナーも初めてなの?」
「お、よくわかるな。トレーナー業の不慣れは結構誤魔化せてると思ってるんだが」
「慣れたトレーナーは、自分の担当でもないウマ娘と夜釣りなんてしませんって」
「あー、そっか、そういうもんか。怪しいし、何より皆忙しいもんなぁ」
「お兄さんだって忙しいんじゃないの~? 何せ皐月賞ウマ娘のトレーナーでしょ?」
「今日のために仕事は大半片付けてきたよ。残った仕事は明日の俺に任せた」
「うわ、駄目な大人だ」
……本当、話しやすいな。
俺が彼女をよく知っている、ということもあり。
彼女の性格と相性が良い、ということもあり。
「お、また来た」
「えーうそ! ツイてますねぇ」
「……なんか可愛くないのが来たな」
「メバル。煮つけとかおススメかな」
釣果、プラス2。
うん、初心者としては十分でしょう。むしろかなり爆釣れ。
さて、そろそろ本題に入る頃合いかね。
「皐月賞、見た?」
「見ましたよ。やってくれたね~?」
「どうだ彼女は。すごいだろ」
「すごいのなんのって、そりゃあ皐月賞のレコード、それも3秒更新だもん。
とてもじゃないけど私なんかじゃ敵わないな~?」
「ふ。何せ君は、シンボリルドルフの記録よりコンマ2秒遅かったものな」
「……ふーん、結構イジワル言ってくるんだ。セイちゃん泣いちゃいそう」
「ははは」
「あのー、気を使ってほしいんですけどー? ……んお」
彼女がリールを巻くと、そこには俺が釣ったものよりずっと大きな魚がかかっていた。
……当然だけど、こういうとこは敵わないよな。
いや、じゃあ何なら敵うのかって言われると、何も勝てないんだけど。
「……ま、強いのは認めますよ。彼女をあっと言わせるのには、少し興味あるかな。
でも、わざわざあれをやったのは何? 当てつけのつもり?」
「まさか。君の菊花賞は、俺の憧れだよ。
生まれた時から……いいや、生まれる前から、あの3000メートルの逃げ切りに憧れてた。
本当にすごい馬……ウマ娘だ、ってね」
「いきなり何~? 褒めたって、餌くらいしか出ませんよ?」
「はは、ありがとう」
さっきまでのはビギナーズラックだったのか、俺の釣り竿はピクリとも動かなくなった。
一方彼女は、また何か釣りあげたらしい。
持って来ていたクーラーボックスに、不細工な魚が入っていった。
「憧れたからこそ、再現したかったんだよ。彼女のスペックなら、2000メートルで無理やり再現できると思った」
「……あれ、セイちゃんは結構頑張って練り上げたんだけどなー。そんな簡単に再現されると困っちゃうよ」
「俺の目と知識、何よりホシノウィルムの脚がなければできないさ。
君の努力は理解しているし、俺はそれを貶すつもりは毛頭ない。
むしろ最高の先達を称えるつもりで真似させてもらったんだ」
偽らざる本心だ。
俺は彼女を尊敬していた。
アプリゲームでその存在を知って、元ネタになった馬の生涯を調べ、そのレース映像を何度も見返すくらいには。
何度見ても、やはりすごい馬、そしてすごいウマ娘だと思う。
その中でもやはり、あの菊花賞は……うん。
俺にとって、この上ない憧れだった。
そしてアプリの方の、ウマ娘としての彼女は、その性格も性能も非常に俺好みで。
……ゲームを通してとはいえ、彼女を担当できた日々は、この上なく充実した、楽しいものだった。
「……んー、なーんかやりにくい。まるでトレーナーさんと話してるみたいな」
「同じ中央の契約トレーナーだからな。どこか似てるのかもしれない」
「そーいうとこもやりづらいなぁ。なんか私、手のひらの上で転がされてない?」
手のひらの上で転がす? 俺が、彼女を?
ご冗談を。そんなことはあり得ない。その逆ならよくあったけどさ。
「はは、お上手だな。ま、それは置いておくとして」
俺は、彼女に言いたいことがあった。
何なら今日は、これを伝えるために呼んだんだ。
「……少し不愉快かもしれないが、わかったようなことを言わせてもらうよ。
君の恐怖について、俺は少しだけ理解できる。後進というのはいつだって可愛く、そして恐ろしいものだ。
けれど、それでも俺みたいな奴は……君のトリックに目を焼かれた者は、今でも君の姿をターフに幻視してしまうんだ。
どうか戻って来てほしい。そして、たとえ敗北の運命が待っているとしても、それに打ち勝ってほしい」
「…………ホントに、わかったようなこと言いますね」
「申し訳ない、不器用なもので、他にどう伝えていいかわからなかったんだ。
……お、引いた」
幸い根掛かりでもなく、小さいけど魚が付いていた。
えっと、これは……あっ!
「あーあー、落としちゃいましたねぇ。あるある」
「あちゃあ、もっとちゃんと上げてから針を外すべきだったか」
「……そんなんじゃさ、ポロッと取りこぼしちゃうかもよ? 日本ダービー」
「気遣いありがとう、でも大丈夫だ。
今年はスペシャルウィークの代わりにテイオーがいるが、キングヘイローの代わりになれる子はいないからな。ホシノウィルムの逃げ脚は止められない」
「……さて、ならいいけどね」
しばらくの間、沈黙が流れた。
釣り竿を垂らしている時間は、どうしても静かで、手持無沙汰で。
呑み込まれそうな暗い海を見ていると、少しばかり不安になって……。
思わず、弱音を吐いてしまう。
「彼女の脚、もつと思うか」
あの日、選抜レースで彼女の大逃げを見て以来……小さな恐怖が脳裏を離れない。
大逃げウマ娘を担当すると、どうしてもサイレンススズカを襲った悲劇を思い出してしまう。
前世史実では、馬としての限界を超えた故に起こったと言われる……沈黙の日曜日。
この世界でも、スズカは沈黙の中に落ちてしまった。
幸いその故障は完治し、今は元気に海外芝を荒らしているが……。
ホシノウィルムもそうなるのではないか、と。
彼女がスパートを始める瞬間、体勢を崩し、倒れる……。
そんな悪夢を見て飛び起きたのは、二度や三度ではない。
「…………さて。セイちゃんはあんな無理な足の使い方はしませんからねぇ……。
あのスズカさんだって、本格的に始めたのは体が整ったシニア級から。
ジュニア級からあんなことをしたってデータ、過去の歴史をさかのぼってもないんじゃない?」
「ご明察。……だからこそ心配なんだ」
「お兄さんから見て、どうなんです?」
「定期的な検診や触診でも、今のところ陰りは見えない。
……ただ、それが確かな頼りにはならないことは理解している」
「私たちの脚、いきなり折れたりするもんねぇ」
……本当、その通り。
だからこそ、心配になる。
ホシノウィルムも……この子も。
「君の方は大丈夫か? もうこれ以上競走ウマ娘の骨折なんて見たくないぞ」
「にゃははっ、今は極めて健康体ですよ。そもそも、よそのウマ娘を心配してる場合ですか~?」
「……そりゃそうだ」
確かに、それは俺の仕事じゃない。
……でもな、余計なお節介としても、心配してしまうんだ。
だって、俺は前世で君について調べて……。
その結末を、知っているんだから。
君は……君の魂は、今度の宝塚記念を回避した後、橈骨を痛めて現役を引退した。
マイナーな血筋ながら、3000メートルの世界レコードを取るような最高峰の逃げ馬。
しかし、その運命は非業に満ちている。
ダービーを取り逃し、屈腱炎に苦しめられ、新時代に敗れ、更に骨を痛めて引退……。
それが俺の知る競走馬、セイウンスカイの結末なんだ。
この世界では、どうなるんだろう。
彼女はシニア2年目のURAファイナルズの直後、屈腱炎を発症した。
それからは公式レースに出走せず、ひたすらに療養を重ねること1年半。
ついに今年、今日から2週間後、天皇賞(春)で復帰する。
ここまでは、俺の知る競走馬セイウンスカイと似通った物語を辿っている。
つまりは、そういうことだろう。
正直さっきまでは、彼女が宝塚記念に出走できないであろうことに歯噛みしていたくらいだ。
いくら予定が合おうと、出走回避になればどうしようもない。
ホシノウィルムが戦える優駿が、1人減ってしまうことは避けられない……と。
……けれど。
果たしてここからも、同じ流れになるだろうか?
「心配してもらわなくても、屈腱炎は治しましたよ。
……春の天皇賞、見ててよね。皐月賞でビックリさせられた分、良いものを見せてあげるからさ」
……こんな顔をしたスカイが、最下位になるか?
悪だくみする子供のような、それでいて策を弄する大人のような、底知れない微笑み。
まさしく絶好調。
誰よりも気合の入った、けれど誰にもその素顔を見せることのない、トリックスターのあくどい笑顔。
……さっきの俺の失礼な物言いで、どうやら彼女の中に火が付いてしまったらしい。
こんな彼女が負けるところなんて、想像もできない。
セイウンスカイが立つ京都に、曇り空は似合わないんだ。
「……待ってるよ。春の天皇賞ウマ娘と競えるのを」
「期待しててよ。
策は上々、仕掛けも万全……っと、セイちゃんちょっと喋りすぎちゃったかな?
そろそろ良い頃合いだし、ここらでお開きにしましょうか」
彼女はリールを巻き、立ち上がった。
いつの間にか何匹もの魚が入っているクーラーボックスを閉めて、椅子を畳んで上に乗せる。
「なーんか、えらく口が滑っちゃった。
私たち、会ったの、この前が初めてだったよね?」
その言葉に、心臓を握りつぶされた気がした。
それを、もっと前に聞ければ……。
……いや、詮無いことだ。
彼女はどう足掻いたって、俺の担当ウマ娘にはならないんだから。
「ああ、君とは前回が初対面だよ。
……俺はホシノウィルムのトレーナーで、君は俺の担当ウマ娘のライバル。
それ以上でもそれ以下でもない。そうだろう?」
「そうだよね~。あは、変なこと言っちゃった。
それじゃあね。次会うのは、阪神レース場……宝塚記念かな?」
「ああ、楽しみにしてるよ。さようなら、セイウンスカイ」
「はーい、さようなら~」
そうして俺は、芦毛のウマ娘と別れた。
彼女は振り返ることなく、寮への道を歩いていく。
……その道中に、1台の止まった車と、トレーナーバッジを付けた男性。
セイウンスカイは彼にクーラーボックスを預けて、笑いながら車に乗り込んだ。
あぁ、良かった。心の底から安堵した。
彼女はこの世界でも、素晴らしいトレーナーを見つけて、彼女らしく走っているんだ。
……だから俺も、決別しないとな。
「……本当に、さようなら、だ」
セイウンスカイ。
前世のアプリで引き当てた時から、何度も何度も繰り返し育成したウマ娘。
その強かさが、抜け目なさが、笑顔が、全てが好きだった。
育成していて、楽しくなれるウマ娘。
同時に、支えることにやりがいを感じられるウマ娘。
セイウンスカイは、俺の愛バだった。
その未練は、断ち切らねばならないものだ。
俺がホシノウィルムを担当する以上、彼女への未練は邪魔になる。
「トレーナーたろうとするのなら、己の全てを削り落とさねばならない」
美食も、安眠も、肉欲も、後悔も、展望も。
ありとあらゆる全ての機能を排し、残すのは担当を想う心と、その未来を考える頭のみでいい。
それこそが、堀野のトレーナーのあるべき姿なのだから。
持って来たバケツを、真っ暗な海に向かってひっくり返す。
2匹の魚はばしゃりと音を立てて沈んでいき、すぐに所在も知れなくなった。
釣果は、ゼロに逆戻り。
それでいい。
俺とセイウンスカイは、何の関係もない、赤の他人なのだから。
* * *
2週間後。
トゥインクルシリーズを取り扱っている雑誌、月刊トゥインクルに、それはでかでかと取り上げられた。
『セイウンスカイ 復帰戦となる天皇賞(春)快勝!
優駿たちを手玉に取り、3200メートルの逃げ切りに成功。
名優との激闘を制し、見事盾の栄誉を得た。
古豪復活! 京都に再び青空が広がった』
……前世のセイウンスカイ号は、1年半ぶりに復帰した春の天皇賞で、最下位だったはずだ。
それが、ターフの名優たるマックイーンを超えて、1着。
どうやら彼女は、運命を乗り越えたらしい。
宝塚記念にも出走してくれるはずだ。
「……さて、これで準備は完了か」
三冠の落とし穴、日本ダービー。
逃げウマ娘に不利とされるコースにおいて、トウカイテイオーとの決戦になるだろう。
覚醒したテイオーは、これまでにない難敵。彼女とてそう簡単に勝てる相手ではない。
不可能への挑戦、宝塚記念。
スペックも策略も、その全てがホシノウィルムの上を行くセイウンスカイに加え、メジロの双璧ともぶつかる。
はっきり言って、勝率は低い。ホシノウィルムに勝利と刺激がもたらされることを祈るばかりだ。
最後の戦い、菊花賞。
3000メートルという長いレースの果てに、彼女に初めて熱を与えたウマ娘が待っている。
これに関しては、はっきり言って予想が付かない。ネイチャがどこまで伸びてくるのかも、その時俺とホシノウィルムが、どのような関係になっているのかも……。
これでようやく、彼女に熱いレースをさせるための土壌が完成した。
後は……彼女を事故なく、完璧に鍛え上げることだな。
堀野君にとっては、前世と今世を切り離す一区切り。
そして同時に、トゥインクル現役最強ウマ娘の1人が登場です。
マックイーンを下した再起のトリックスターが、宝塚でホシノウィルムを待っています。
次回は3、4日後。ホシノウィルム視点で、レースの研究と彼女の気持ちの話。
(小話)
今回ウイニングライブの話はやる予定なかったんですけど、ちょっと前に感想で「ホシノウィルムのwinning the soulカッコ良いんだろうなぁ」というものを貰ったことを思い出し、書いてみました。
これからも、感想とかで貰ったアイデアとかは本編のちょっとしたところで使わせていただくかもしれません。
あの時感想をくださった読者様、ありがとうございました!
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!
(追記2)
内容に間違いがあったので、少しだけ訂正しました。