~ジャンキー:中毒症状に見える程に熱中すること。
類語:~狂い
「堀野君」
「違うんだ」
「堀野君、流石にこれはどうかと思う」
「話を聞いてくれ」
「君が凱旋門賞トレーナーであること、この上なく素晴らしいトレーナーであることは僕も肯定するところだ。まさしく日本の誇り、同期として本当に鼻が高いよ。
けど、だからって模擬レースを私物化してぼくのかんがえたさいきょうのレースをやっていいわけじゃない」
「いや、だから違うんだって……」
ウィルやブルボンたちのために設けた模擬レース。
その開始前、俺はネイチャのトレーナーに、かなりガチ目に詰められていた。
いやまぁ、そう誤解されても仕方ないかなとは思うんだけどさ。
今回の模擬レース、出走ウマ娘は12人。
星の世代からホシノウィルム、トウカイテイオー、ナイスネイチャの三等星。
彼女たちと競うことも多いメジロマックイーンに、残された一欠片の黄金ことハッピーミーク。
更には新時代を象徴するミホノブルボンにライスシャワー、そしてソウリクロス。
そこに加えてドリームトロフィーから殴りこんできた刺客、サイレンススズカにエルコンドルパサー。
そして……「最高のウマ娘は誰か」と聞いた時ウィルと並んでその名を挙げられるだろう、レジェンド枠のシンボリルドルフとオグリキャップ。
控えめに言って、去年の有馬を超えるレベルの、異次元なメンツである。
こんなメンバーを集めたともなれば、それはもはやウマ娘の育成のためとかではない。
単にこのレースを見たいとか、あるいはこのメンツに勝つ担当が見たいとか、そんな理由しかあるまい。
……と、そう思われても仕方ないとは思うんだけど、実際には違うんだ。
「誤解しないでほしいんだが、そもそも今回の出走ウマ娘は何も全員俺が招致したってわけじゃない。
というか、こちらから声をかけた相手は案外少ないんだ」
「そうなの?」
「ああ。お前のところと、ソウリクロスとシンボリルドルフとオグリキャップだけだ。他は全員応募者を募ったら来てくれた」
確かにレベルの高いレースをさせようとレジェンドに声をかけてはみたが、それだって必ず来てくれるなどとは思っていなかった。精々が「来てくれたらいいな」程度だ。
他に直接招いたのはネイチャとライス、この二人はウチの陣営のライバル的存在だし必須。
そこにソウリクロスを加えたのは、ウィルとブルボンに対するアンチピックになり得るというのと……まぁ、ああいう才能のなさを努力で補うタイプは個人的に応援したいから、という感じ。
その上で、やはり模擬レースとなれば人数が必要なので、学内で公募をかけたんだが……。
なんか一日二日で何百単位の応募が来てしまった。
しかもびっくりする程ドリトロの子も応募してきた。これトゥインクルの模擬レースだよ? サイレンススズカとかエルコンドルパサーなんて、かけ始めて20分くらいで応募来たし。
「あっこれこのまま18人まで募集すると収拾付かないな」と思って募集を打ち切る直前、募集欄にはマルゼンスキーやらメジロラモーヌやらタマモクロスやらとんでもない名前が並んでいた気がするが、流石に彼女たちまで受け入れる余裕はなかった。
そこまで許すとこのレースの主題が変わってしまうからな。唐突に発生したドリームトロフィーレースになってしまう。今回はご縁がなかったということで、今後のご活躍をお祈りするばかりだ。
……と、そんな流れがあったんだと説明すると、ネイチャのトレーナーは白い眼を向けて来る。
「ええと、君、そのメンツがとんでもないってこと理解してる?」
「理解してるが?」
「なんで理解した上でそんな『俺は悪くないよな?』みたいな顔できるのかわからないんだけど……」
?
いやだって、そこそこのメンツは呼んだけど、あくまでウィルに危機感を持たせられそうな相手……つまりは「同じ土俵で競える相手」を呼んだだけだ。
言うならば同世代の中から良い感じの相手を見繕うのと同じで、殊更にルールやモラルに反したことをしているつもりはない。
いわゆるウマ娘の「格」的な意味でも、ウィルはもうとうの昔にルドルフやオグリと並ぶか、あるいはそれを超えている。
今更あの子たち呼んでも特に問題はないと思われた。
「いや、俺は私心なく担当のためを思ってだな。こんなレースが見たいとかではなく、せっかく模擬レースをするのだから最高効率で以て成長を促せるレースを構成しようとしてだな……」
「おかしいなぁ、僕堀野君は常識人だと思ってたんだけどなぁ、どこで狂っちゃったんだろう」
頭を抱えられてしまった。
何故だ。コイツならわかってくれると思ったのに……裏切ったのか?
「というか、お前だって呼べるなら呼ぶだろ。ネイチャはまさしく多様なレースを見て強くなるタイプだし、ライスだって強者を追う経験はこの上ない足しになる。
シンボリルドルフとオグリキャップと競えるなんて機会が来れば逃すか? お前なら」
「いやそりゃあ逃さないけどさぁ……土下座してでも来てもらうけどさぁ……」
「だろ?」
「だろじゃないが。世間に与える影響とかちゃんと考えてる?」
「考えてるよ。でも、担当の走りの向上は何よりも優先される。それだけだ」
いやまぁ、世間への影響は大事だ。俺だって名家の人間、そこは理解しているとも。
実際これを提案した時、昌には「やめてよ!? 絶対やめてよ!? 妹を殺す気なの!?」なんて言われてしまったし、これがあまりよろしくない行為であることは理解している。
単純な話、ここまでのメンツを集めて模擬レースなんてしてしまうのは、あまりにもレースファンや世論への影響が大きすぎるのだ。
それこそ、俺がその流れをコントロールし切れなくなり得る程に。
でも、知ったことではなかった。
世間やファンの感情、そういうものはとても大切だ。
ただし、担当ウマ娘たちが健全に楽しく走ることは、それよりもずっと大切なんだ。
どちらを優先するかと言われれば、俺は迷わず後者を優先する。
というか他の何よりも後者を優先する。
ウマ娘を育てるためなら、何でもする。
それがトレーナーってものだ。
……いや、違うな。
ウィルに惚れ込み、堀野のトレーナーをやめた俺が、自ら望んだ在り方だ。
「…………担当に脳を焼かれるって怖いなぁ。他人事じゃないけど」
「ほんとな」
流石に自分がちょっと大胆なことをしてるっていう自覚はあるので、素直に頷く。
このレースが終わったら、見ないようにしてたURAからの悲鳴のメールに目を通さないとな……。
まぁ、つまらない事務処理は夜の俺に任せるとして。
今はとにかく、目の前の模擬レースである。
「ちなみに堀野君的には、今回のレースはどう見る?」
ネイチャのトレーナーに聞かれ、思わず唸る。
担当が勝つ、と断言したいところではあるが……。
少なくともその片割れにとって、非常に、この上なく厳しいレースになるだろうことは明白だ。
もはや担当に指示を飛ばすには遅すぎる今、舌戦をする意味もない。
立てた考察を素直に口にすることにした。
「正直なところ、難しいレースになるだろう。特にクラシック級の3人にとってはな」
「まぁ、それはね」
現シニア級の子たちは、もはや本格化も終え始める時期だ。身体的なスペックの上だけで見れば、ドリームトロフィーの子たちとも差はそう大きくない。
……というか、ウィルに至ってはルドルフやオグリをすら全ての能力で凌駕しているくらいだ。テイオーがほぼ同格、ネイチャが一枚劣るという感じ。
だが一方で、クラシック級の子たちは、どうしても1年分の開きがある。
これは大きい。数値で言えば400近い、まさしく隔絶と呼んでいい差だ。
どうしても苦戦は避けられない……というか、こう言ってはなんだがおおよそ勝機はないだろうな。
が、失敗したり負けたりしてもいいのが、模擬レースというものだ。
これは本番ではなく、その前の準備段階。
だからこそ、彼女たちにはそれぞれ、このレースから勝利以外でも何かを掴み取ってほしい。
それこそが、このレースを企画した理由の一つでもある。
特にブルボンは……あの子はあれでいて、自分より前を走るウマ娘に熱をもらうタイプみたいだからな。
是非とも大きな、ウィルの背中に続く、もう一つの火種をもらおうじゃないか。
「さて、一方でゲストとして来てくれたドリームトロフィーの子たちはと言えば……正直に言えば、実力を完全には測りかねる」
「堀野君でも?」
「俺にも限界はある、ということだよ」
「あるんだ……」
コイツ俺のこと超人か何かと思ってない?
精々チート持ちの努力する凡人止まりだぞ。それも比重としてはチートの部分が大きめだし。
で、問題はまさしくそのチートだ。
俺の転生チートと思しき「アプリ転生」は、ウマ娘のステータスやスキル、適性などを詳らかにする。
これまでに何度も助けられてきた眼だ。もし神様がくれたのなら五体投地して感謝せねばならないだろう。
が、しかし。
このチートを使っても、無制限に相手の力を理解できるというわけではないんだよな。
そこにかかる制限の典型例が、スキルの内容だ。
例えば、俺はウマ娘が「全身全霊」というスキルを持っていることを理解できても、そのスキルがどのような条件でどのような効果を発揮するかがわからない。
概要や名称はわかっても、その効果まではわからない。
これが万能にも思える「アプリ転生」に残された、若干の不自由である。
とはいえ、そんな弱点に関しても、俺は手を付けていないわけじゃない。
前世アプリの知識と、この世界で積み上げて来た比較検討によって、ある程度は絞り込めるんだが……。
……ドリームトロフィーに上がった子って、もう前世アプリの知識は全然通用しないんだよな。
ウマ娘の通常スキルは、白色の枠によって彩られている。
これを超えた上位スキルは、黄色の枠になる。
そして恐らくは、これを更に独自に昇華させたものだろう、ピンク色の枠の進化スキル。
その進化スキルをすら超えた、ドリトロの子が時折持っている真っ赤な枠のスキル……。
……を、更に進化させたと思しき、漆黒の枠のスキル。
ルドルフやオグリ級の優駿となると、ここまで保有している。
もうそこまでいっちゃうと、あまりにも独自に進化させすぎていてよくわからんのです。
サービス開始からかなり時間が経ってインフレを極めたソシャゲを思わせるぶっ壊れスキルなんだよねこれが。いや、実際のところあんまり比喩になってないかもしれないけども。
俺がウマ娘やってたのって割とサービス開始初期だったし、その頃は進化スキル的な概念すらなかったんだ。
こんな究極完全進化スキルみたいなのが出てくれば、そこでの知識はろくに役に立たない。
……そんなわけで、恥を晒すようではあるが、ドリトロの子の力は俺でも測りきれないところがあるのだ。
まぁウィルと一緒にその門戸を叩くことになれば、実測データがたくさん集められるので、ある程度の察しも付けられるだろうが……今のところ、って話ね。
「とはいえ、ウィルにも勝機はある……いや、3割から4割はウィルが勝てると思ってる」
「それは……なんとも豪気だね。このメンツに対して」
「半年前、模擬レースとはいえ本気を出したシンボリルドルフに対して、ウィルは惜敗に持ち込めたからな。
ウィルはあの時から更に肉体を改造している。もはやドリームトロフィーにさえあの子にフィジカルで勝てるウマ娘は一人もいない。
技術で劣っても、基礎的なステータスの力でゴリ押しが利く。単純な力が最も強いというのは世の真理だ」
「うーん、フィジカルの怪物……」
アンダースタンディブルの台頭によって忘れがちになっていたが、本来ウィルはその圧倒的なフィジカルで相手を圧倒する、メジロマックイーンに近いスタイルだ。
そのステータスは今や全てが1200オーバー、俺が彼女に出会うまでカンストであると想定していた数値を超えている。
もはや隙がないとかそういう次元ではなく、ただ一つでさえウィルにステータスで勝てる子を探す方が難しい次元なのだ。流石俺の愛バ、鼻高々。
「それでも勝率100%とは到底いかない。実際のところはどうなるか、やはりわからないからだ。
ドリームトロフィーのレースは毎回見ているが、やはりトゥインクルシリーズとは次元が違う。技術も走りも、そして何より領域も。
一度シンボリルドルフと模擬レースをしたことがあるとはいえ、彼女たちドリトロ級の子たちが複数ぶつかり合うことによってどのような爆発を見せて来るか、そしてそれにトゥインクルシリーズの規格でどこまで対抗できるかが不明瞭だ。
本来測れないそれを推し量る良い機会になってくれるだろうが……」
「ウマ娘の爆発力って怖いもんねぇ。本来あり得ないとも思えるような力見せてきたりするし」
え、お前がそれ言う?
ナイスネイチャを最恐に引き立て、ライスシャワーをあそこまで追い込んだお前がそれ言う?
「今堀野君が思ってることそのまま返すよ。寒門の逃げウマ娘2人に連続で無敗三冠獲らせた君が言う?」
「いやいや、アレはあの子たちの素質がズバ抜けてたからであってだな……」
「それを言うんなら僕の陣営の子たちだって素養がズバ抜けてたからであって……」
「……なるほど、お互い様というわけだ」
苦笑を交わす。
俺が他所の陣営の爆発力にトラウマレベルの恐れを抱いているように、やはり他の陣営はホシノウィルムの爆発力を恐れているんだろうな。
こういうところは何気に意見交換をしなければ得られない知見だ。だからこそ、やはり友でありライバルであるコイツの存在は、俺にとって……ウィルやブルボンにとってもプラスになってくれるのだろう。
「さて……僕たちの愛バは、どこまで食い下がれるか」
「あるいは、あの最強たちを下し、規格外の力を見せるか……楽しみだな」
* * *
結果から言うと、ボコられた。
いや、ボコられたという程でもないんだが……。
「うえーん、歩さ~~~ん! 3着! 初めて3着になっちゃったぁああああ!!」
「おーよしよし、悔しかったな。でもよく頑張ってたぞ~」
レース後、俺の胸に飛び込んで来たウィルは泣いていた。
嗚咽としゃっくりを伴うガチ泣きである。
まぁでも、それもやむなしか。
彼女はこれまで殆ど負け無しで進んで来た。
生涯ただ三度だけ敗北した際にも、常に2着を獲って来たのだ。
しかし今回、ついに惜敗の3着となってしまい、連対率を100%未満に下してしまったのであった。
……いやまぁ、非公式レースだし、今でも記録上は100%なんだけどさ。
模擬レースは、序盤から波乱の模様を見せた。
というかそもそも、大逃げウマ娘が3人参加するレースが荒れないわけがなかった。
凄まじいスタートを見せてハナを競うホシノウィルムとサイレンススズカ、それに食い下がろうと根性を見せるソウリクロス。
もはや最後の200メートルかと思う程に白熱する開幕数秒、かろうじて先を取ったのはウィル。スペックの差がスキルの差を覆した形だ。
ソウリクロスは本気の表情で2人に食い下がるが、しかしそれでも及ばない。これを以て先頭争いは完結かと思われたが……。
ブルボンがそこに突っ込んだ。
彼女はこれまで、同世代間や、ウィル1人分の熱しか味わったことがなかった。
それが彼女の「熱」への耐性の限界だったのだ。
しかし今回は、全力全開のウィルと本気で先頭を取ろうとするサイレンススズカ、そしてそこに全力で食い下がるソウリクロスの3人分の熱が相乗効果で膨らみ、ブルボンにぶつけられた。
彼女がそれを抑えきれなくなるのは、道理だったと言えよう。
結果として、ブルボンは基準ペースを大きく乱す形で前に出、それに釣られる形でバ群全体が縦に開く形でペースが速まり。
それに真っ先に乗ったのがメジロマックイーン。
彼女は先行ポジションを確保するや否やペースを吊り上げてスタミナ勝負に持ち込もうとした。
が、それを同じく先行の位置を走るオグリキャップが阻害。
マックイーンに対してやや前に出た位置から圧をかけて蓋をするような形でその内向きの進路を塞いだ。
オグリの適正距離はマイルから中距離だが、そのステータス配分からしてやはりマイルに特化していると言っていい。だからこそステイヤーであるマックイーンにペースを握らせないよう牽制しに行った形。
更にそこに合わせるようにテイオーが同調し、この二者を以てレースのペースはコントロールされる……。
……と思いきや、それを打ち崩したのがエルコンドルパサーだった。
彼女はかなりの積極姿勢を見せ、後ろ目の先行位置からバ群を追い立てるように詰めることで展開をぐちゃぐちゃにかき乱した。
恐らくはテイオータイプの走り、つまりは自らの強さを十全に引き出し押し付けるタイプなのだろう。自らの理想のペースを目しての動きは、バ群への影響を強くは考慮しない。
結果として、逃げ集団を追うバ群はかなりの混乱と混沌の中に叩き込まれた。
ペースを落とすべく牽制をかける側と、ペースを上げるべく前に出る側。
この二者がぶつかり合い、バ群は大きなひずみを見せ……。
ネイチャはその中でどうにかバ群をコントロールしようとしていたようだが、流石に扱いかねているようで、にっちもさっちもいかない焦りを見せていた。
そんなカオスなレースをけれど悠々と走っていたのが、巧みなポジション取りで差しのポジションを確保していたシンボリルドルフと、こうなることがわかっていたかのように混乱を避け追込を狙うハッピーミーク。
混沌とする逃げ集団と先行集団から離れた彼女たちは冷静に自らの走りを貫き、ポジション争いとペース掌握で疲労したバ群の隙を突き、第三コーナーから突出。
そこから一気に逃げ集団に追い縋ろうとデッドヒートが始まり……。
結果としてこの模擬レースを制したのは。
あの恐るべき領域同時展開で、他ウマ娘の全領域を千切って捨てた、シンボリルドルフ。
続いて半バ身差、残り200メートルから奇跡の如きキレの末脚を見せつけたオグリキャップ。
そしてウィルはそこからクビ差、ドリトロトップ層の恐るべき末脚に差し切られる形と相成ったのだった。
……というのが、模擬レースの顛末で。
その結果。
「やっぱり領域破壊領域ってズル! 強すぎ! ナーフはよ! というかそもそも人が頑張って開いた世界をぶっ壊すってもうそれ完全に上位の能力じゃないですかヤダー!!
っていうかなんなんだオグリ先輩の『領域破壊されなくなる領域』って! メタにメタで返すメタゲームが始まっちゃってるじゃんドリトロ! もう完全に異能力バトルの世界!!
領域二重展開してくるバチクソ優駿2人相手に領域無しで勝てるわけあるかぁ!!! ルドルフ先輩に至ってはちらっと三枚目まで覗いてたしィ!?!?
でもやだやだやだー! 負けるの悔しいぃいーー!! 歩さんのウマ娘が負けるなんて許されないのにぃぃいいい!!! がぁぁぁぁああああああ!!!」
ウィルはこの通り、駄々っ子モードに突入して俺のスーツを涙で濡らす赤ちゃんになってしまった。
……まぁ、その、なんだ。
3年前は感情という感情を奥底にしまい込んでた子が、こうも明け透けに表に出せるようになったんだ。
それってとっても素敵なことだと思うんだ、うん。
悔しい時に悔しいと言い、泣きたい時に泣く。
変に内面に抱え込むよりは、こうやって感情を発散した方がむしろメンタルに良いし、そういう意味じゃ彼女は自分自身の感情や情緒と上手く付き合っていると言えよう。
問題は、約3000人の大観衆の前でそんな赤ちゃんムーブを披露したってことなんだけどね。
大丈夫? 今夜辺り恥ずかしくなったりしない?
そんなことを考えながら、俺はひとまず彼女の頭を撫でる。
「ひとまずはおかえり、ウィル。
とても良い走りではあったぞ、うん。きちんと野芝に適正が戻っていることも確認できたし、これで有馬に出せることは確定したな。おめでとう」
「ほんと!? やったー!」
すごい、もう泣き止んだ。むしろ超嬉しそうじゃん。
この子、超の付くような強敵とレースした後は精神的に幼くなる傾向あるからなぁ……今回はあまりの規模のレースを前に、それが行きつくところまで行っちゃった感じだろうか。
まぁ俺からすれば可愛いからいいんだけども。無限に愛でれるぞロリウィル。
さて、そんな一方。
俺のもう一人の担当であるブルボンは……。
今回の模擬レースの結果に唖然とするように、目をぱちぱちと瞬かせていた。
彼女の順位は……12人立てのレースで、11着。
ライスシャワーにも差し切られて4バ身差、ガス欠を起こしたソウリ以外の全員に追い抜かれた、まさしく大敗と呼べる結果だ。
それを受けてだろう、ブルボンは今、強い混乱と当惑の中にある。
「…………良くない、走りだったのでしょうか」
「ああ、ハッキリ言えば良くない走りだった」
未だにぐずるウィルを撫でながら、俺はブルボンの問いかけに頷く。
わざわざ解説する必要もないだろうが、敢えてそれを口にしよう。
「序盤から大逃げ3人に影響されて掛かり、ペースキープの概念を忘れてスタミナを浪費。
スタミナに秀でない君はインを突く必要があるのに無理に外に出過ぎていたし、熱くなるあまり技術を使いこなせずコーナーで外に広がり過ぎたこともあったな。
その結果、最終直線では速度を保てずに垂れ、それが惨敗を招いた。
総じて、良くない走りだ。それではミホノブルボンの強みを引き出せない」
「…………」
ブルボンは、とても賢い。自身を客観的に見ることができる子だ。
だからこそ……聞かずとも、それは理解できていたはず。
けれど、尋ねるしかなかったのだろう。
現実を、きちんと認めることができていなかったから。
そしてその忘我こそ、絶望こそ、今回レースで得られた最大の報酬である。
「今の気分はどうだ、ブルボン」
尋ねた俺の言葉に、ブルボンはその形の良い眉を寄せて答える。
「……激しい、動揺を感覚しています。
己の、定義……存在、アイデンティティが不安定に揺れているような、精神的な不安定感を覚えています」
ああ、良い答え。想定通りの状態だ。
俺はそれに安堵しながら、告げる。
「よく憶えておけ、それが敗北の味だ。
箸にも棒にも掛からない悔しさ、誰にも評価されず相手されない虚しさ、誰かに追い抜かれるという辛さ。
君が数多のウマ娘に覚えさせてきた、そしてレースに負ければ君も再び味わうことになる、絶望だよ」
「……これが、敗北」
ぼそりと呟くブルボンの声には、全く以て彼女らしくないことに、背筋を震わせる程の感情が……いいや、激情が込められていた。
ミホノブルボン。
実のところ彼女はこれまで、ただの一度さえ、「レースで追い抜かれた」ことがなかった。
併走でナイスネイチャに置いて行かれることはあったが、それは追い抜かれたわけではないし、そもそもレースでのことではない。
ウィルと疑似レースをした時も、最初からウィルの後塵を拝するばかりで、追い抜かれていたわけではない。
自らの脚が鈍り、力及ばず誰かに追い抜かれる、という経験を持っていなかった。
何度もウィルに、時にネイチャに置いて行かれながらも、彼女はその感覚の上において、自らの走りを真正面から下されるという経験を持っていなかった。
つまるところ……本質的に彼女は、これまでの人生で、常に先頭にいたのだ。
しかし、ついに今日、その不敗が終わりを告げた。
それがホシノウィルムであろうと、ミホノブルボンであろうと、如何なる優駿であろうと変わらない。
ウマ娘はレースを走る以上、必ず敗北のリスクを抱える。
レースに必ず勝てるという確信などただの妄信に過ぎず、現実は想定を遥かに超えるスピードと脅威をもたらしてくる。
油断すれば喰い殺される、弱肉強食の世界。
それこそが、この世界の本質だ。
ホシノウィルムが、この学園に来て最初の選抜レースで学んだそれを……。
ミホノブルボンは、今この瞬間に、ようやく知った。
だからこそ。
「マスター」
その瞳の奥にある炎は、今までになく、燃え盛っている。
ああ、そうだ、それでいい。
怒れ、ミホノブルボン。
このレースの結果に、無様な終わり方に、未熟な自分自身に。
この一年を以て、俺は確信した。
ミホノブルボンは、冷徹なマシーンのように淡々と走りを刻む「だけの」ウマ娘じゃない。
その優れた計測能力や計算能力、情緒の薄さがそう思わせるだけで、それは本質ではない。
君は本来、「激しい情動を力として走るウマ娘」だ。
その方向性は、むしろウィルのそれに近い。
抑えきれない心からの熱、脚を勝手に動かすような衝動。
それを抑えるのではなく力にできた時。領域だけでなく、君の走りそのものに活かせた時……。
ミホノブルボンの走りは、真の意味で完成する。
きっとウィル以外の誰にも破壊できない、絶対の走りがそこに出来上がるだろう。
「オペレーションの変更をお願いします。
ジャパンカップにおいて、絶対的な勝利を刻むため、最も過酷なスケジュールを」
その灼けるような温度を秘めた要請に、俺は即座に頷く。
「いいだろう。限界ギリギリにまで調整しよう。
故障は決してさせず、けれどその肉体をこの1か月で仕上げ切ってやる」
ミホノブルボンの体には、今も少なからぬ負荷が溜まっている。
幼少の頃から積んで来たたゆまぬ訓練、クラシック三冠を獲るためにと費やしてきた全てが、まるでかさんだ負債のように彼女の脚に溜まっているのだ。
だからこそ、当初はある程度それを抜きながらジャパンカップに挑む予定であったが……。
やはり、やめだ。
彼女も俺も、そんな半端な結果を望んではいない。
……俺の目を以てしても、限界に近いと、あるいはそれを超えかねないと判断せざるを得なかった、菊花賞のライスシャワー。
けれど彼女のトレーナーは、その余りにもリスキーな調整を叶えたのだ。
ライバルとして、負けてはいられない。
ミホノブルボンの契約トレーナーとして、彼女の走りを仕上げる者として、俺はもっと彼女の脚を強く美しくできるはずだ。
勿論、故障は許さない。俺が絶対にそうはさせない。
今世で持ち得た力、学び得た知識、それらを総動員してその脚に休む暇も壊れる無理も許さない。
その上で、ジャパンカップに挑む。
完璧なスケジュールに基づき、絶対にこれ以上ないという鍛錬を積んで、その上で英雄と帝王に挑戦しよう。
レースの結果は、この際二の次だ。
勿論勝ちに行くが、それで負けたとしても問題はない。
どちらに転ぼうが……俺の愛バは、それでもっともっと輝き、もっともっとレースを楽しめる。
それは、この世界の何よりも輝かしい、大きな価値を持つ事柄だ。
アンちゃんトレ:史上最強と戦える機会の凱旋門賞を捨てて担当の成長を取りに行く
堀野君:英雄と帝王と戦える機会のJCを半ば捨てて担当の完成を取りに行く
トレーナーってこんな奴らばっかりか!?
次回は一週間以内、ホシノウィルム視点で折り合いを付けるということの話。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!