ちょっと時系列が動いて、新たな時代の視点で、ジャパンカップ前編。
なんとも、非合理的な感覚ですが。
私は本来、ここにいるべきでないのではないかと、そう感じます。
ことり、ことりと。足音を響かせて地下バ道を歩きながら、私はあてもない思考を巡らせました。
違和感。
そう、これを正確に表現するのなら、違和感でしょうか。
11月29日。
今この瞬間、自分が東京レース場にいることに……不可思議な違和感を覚えるのです。
私の、ミホノブルボンの脚は、菊花賞の段階で相当に強い負荷がかかっていた。
私は本格化が始まる前、幼少の頃より、相応以上にトレーニングを積んでいた。この軽微な負荷の蓄積は、しかしマスター曰く積もり積もって、相当以上のものになっていたとのこと。
それに併せ、マスターはクラシック三冠しか目になかった私に合わせ、菊花賞に全てを注ぎ込めるようにと、私の状態を完璧に管理してくださった。
それらが合わさった結果、ジャパンカップへの調整も緩めようと、一時はそう言われる程の状態でした。
私の脚は、血統に強く依存する距離適性を超えて勝利を掴むため、強い負荷がかかっていた。
それこそ……最適解にも近しい徹底した管理をしてくださるマスターでなければ、菊花賞を最後に、その脚を止めてしまってもおかしくなかった程に。
けれど。マスターが、私の脚を先に進めてくださった。
私と、父と、マスターの夢。
菊花賞の勝利……そして、クラシック三冠の達成。
その夢が叶うと同時、私には次の夢ができました。
マスターの作り上げた最高傑作、史上最強のウマ娘、ホシノウィルム。
かつて見た三冠バを超えるかもしれない……いいえ、きっと超えるでしょう、競走世界の至上の星。
凱旋門賞で見えたその背中に、私の中の不明瞭な何かが、叫んだのです。
アレを超えろ、と。
それが、ミホノブルボンの新たな目標。あるいは、新たな夢かもしれません。
マスターは、ホシノウィルムを育てるべきトレーナーでありながら、先輩をこそ勝たせるべき立場でありながら……けれど同時、私のその夢にも寄り添ってくださった。
いつか最高の機会を作ると、約束してくださったのです。
……いいえ、今考えれば、恐らくは違うのでしょう。
クラシック三冠しか視界に入っていなかった私と違い、マスターはその先を、ずっとずっと先を見据えてくださっていた。
私が新たな夢を見られるように、新たな目標を見出せるようにと、偉大な先達の像を形作ってくださったのかもしれない。
思えば、いつかウィルム先輩も仰っていました。
「歩さんは、競走ウマ娘としてだけじゃなく、一人のウマ娘としての私のことを導いてくれた」、と。
ただレースに勝たせるだけではなく、ただ目標を達成するだけではなく……あるいはそれすらをも超えて、一人のウマ娘の人生を支える。
それこそが、ウィルム先輩のトレーナーであり、私のマスターである、堀野歩という人なのだと。
ただ勝たせ、目標を達成させるだけではなく、マスターは私を次の舞台へ導いてくださったのです。
「そうするだけの余裕があった……いいえ、違う。余裕はなかった。
マスターは常に全力で、私を支えてくださった。そこに余裕など、あるはずがない」
ただ、その「支える」というのが、契約トレーナーと競走ウマ娘としての、ビジネスライクな協力関係だけではなく……。
人生の先達と後進としての、人生を想ってのものも含んでいた。
それを含めて導けるだけ、あの人には思慮があり、力があったのでしょう。
あるいはそれが、私の行く先に、未知の可能性を拓いてくださったのかもしれない。
この温かな気持ちこそが、ミホノブルボンを、その先へと進めてくれたのかもしれない。
とても合理的な思考とは呼べないものでしたが、私の脳はそのような仮説を導き出しました。
そして、それを元に導かれる欲求が一つ。
……だからこそ、勝ちたい。
その望みが、レース中の熱のように、私の胸から湧き上がる。
私が追い縋るべきは、ホシノウィルムという最強。
これから挑むレース、ジャパンカップは、その道中。
マスターが仰っていた通り、決して勝率の高くない、学びに活かすべき舞台。
しかし、それでも……。
その瞬間、かっと、視界が白ばむ。
どうやら考えながら脚を進める内、地下バ道を抜け、レース場の本バ場へと入っていたようでした。
私は反射的に目を細めながらも……先程、マスターからいただいた指示の通りに、目線を走らせます。
『今回のレース前は、コースでもライバルでもなく、観客席を見てみろ』
レース前の時間は、最終調整のタイミング。
コースの状態を把握し、形状を再確認し、自らの体調と合わせて計算し。
ライバルを観察し、その状態を見極め、プランニングをすべき時間です。
それなのに、レースに直接関係しない観客席を見る。
それは私からすれば、意図の判然としない指令のように思えました。
とはいえ、ミホノブルボンに懐疑など、必要ない。
マスターからの指示であれば疑うまでもなく。私は観客席に視線を投げ……。
「…………」
……思考回路のショートを、確認。
それは……表現するとすれば、頭が真っ白に染まるという体験でした。
思わず脚を止め、ぱちぱちと瞬きしながら、私が改めて見た先。
そこには、たくさんの、ファンの方がいらっしゃいました。
……考えれば、それは当然の話でした。
今からここで行われるのはジャパンカップ。日本でも有数の、トップクラスのG1レース。
それも、西洋の英雄姫アンダースタンディブルと小さな帝王トウカイテイオーが競う、凱旋門賞に続く日本の威信をかけた決戦なのです。
国内国外問わず多くのファンの方が訪れ、このレースの趨勢を見守りたいと思うのは当然の話。
だからこそ、東京レース場の観客席を埋め尽くす膨大な人々の存在は、予期して然るべきものでした。
けれど……それなら。
それでは、何故、今、私は驚いているのでしょうか?
ショックを。衝撃を受けている。
つまるところ、目の前の光景は私にとって想定外のものであり、未知の刺激であったということ。
私は、この大観衆を予期していなかった?
いいえ……いいえ、データとして、数字としては予期していたはずです。
皐月賞で、日本ダービーで、菊花賞で、私はG1レースを走って来た。
確かにその大観衆の存在を見て、その声を聞いて来た。
今日のレースでのそれは、確かに規模こそ違うのですが……本質的に、それは延長線上にあるはずのもの。ここまでの衝撃を受けるべきではない。
そう、だから、これは……。
私は、恐らく。
今、初めて、ファンを数字ではなく実体で捉えた。
初めて、きちんと、ファンというものに向き合ったのかもしれません。
少なくとも、クラシック級に入るまでの私にとって……。
レースとは、自分だけのものでした。
ただ淡々と努力を積み重ね、いずれ勝つべきもの。
己の努力がそのままに形となって現れる、日々の蓄積の結実。
私にとって、レースとは、走りとは、そんな閉じ切った世界だった。
そこに他者が介在する余地はなく……。
究極的に、レースとはミホノブルボンのもの。
勝つか、負けるか。そこに他者が口や手を出す余白はないのだ、と。
そう、思っていたのです。
けれど、それは間違っていた。
トレーナー……いいえ、マスター。
競走ウマ娘は、自らのマスターと共に走り、勝利を目指す。
それが私たちの、おおよそ本来あるべき姿なのでしょう。
マスターに幾度も助けていただき、導いていただいて、そうしてクラシック三冠を獲って。
私はようやく、それに気付くことができた。
走りとは自分だけのものではなく、マスターと共にあるものだと。
そしてあるいは、それだけではない……のかもしれない。
こんなにも多くの方々が、それを見ていてくださるのですから。
改めて見上げた先には、本当に、数えきれないくらいの人やウマ娘がいました。
即座に計測することが困難な程の人数でした。何千、いいえ、恐らくは何万……あるいは十万人すら超えているかもしれない。
これだけの人数がいれば、たとえ一人一人の上げる声が小さくとも、積み重なって莫大な喧噪となる。
耳をつんざくような絶叫にも等しいそれが正面から叩き付けられれば、自然と脚も止まってしまう。
それも……決して少なからぬ人々が、ターフに足を踏み入れた私に視線を投げてくれているのです。
期待。興奮。興味。観察。憧憬。あるいは祈り。
その感情の種類は多種多様でありながら、しかしその大多数が好意的な、熱の籠った視線と喧噪。
それが一気に、私に浴びせかけられたのです。
それら一つ一つから感じられる熱量は、レース中に感じる程の熱量ではなかった。
けれど、小さな声が積み重なって大きな喧噪となったように……。
私に叩き付けられたそれは、莫大な熱量を有していました。
「…………ああ」
その熱に、煽られるように……じわりと、冷えていた体の奥底が温められるような感覚を覚えます。
そして、ようやく、ホシノウィルム先輩が言っていた言葉を、真に理解できたと感じました。
ウマ娘はトレーナーと共に、そしてファンの方々の想いに背を押されて、走るのだと。
私たちのレースは、私たちの走りは……私たち個人のものではない。
私たちと共に走ってくださるマスターのものであり、私たちに夢を託してくださるファンの方々のものでもあるのだ、と。
「良い顔してるね」
ふと、かけられた声に、横を見る。
そこには……この一か月、共闘の形で共に練習してきた、トウカイテイオー先輩の姿がありました。
ずっと私の前を走っていた彼女は、やはり今もその背を見せるように数歩先に歩み……。
それから私の方へ振り向いて、口を開きます。
「……なんとなく思ったんだけど、ボクとブルボンって、ちょっと似てるのかもね」
「似ている、ですか?」
トウカイテイオーとミホノブルボン。
先行と逃げ。レース上手と掛かり癖。平均的な体躯と、大柄な図体。
総合的に見て、近似する部分は少ない、と思っていましたが……。
首を傾げた私に、トウカイテイオー先輩は、ニヤリと笑いました。
「すっごく、図に乗ってたところとかさ」
「…………」
思わず黙り込む私に、彼女は「ここで話すのもなんだし、行こうよ」とターフへ先導しながら、語りました。
彼女の過去、私が知らないトウカイテイオーの話を。
「懐かしいな。ボクさ、昔は世代で一強だーってもてはやされてたんだよね。
それこそ三冠を獲るのはトウカイテイオーしかいないって、みんなすっごい持ち上げてくれてさ」
「今じゃ考えられないよね」とそう言って、彼女は冗談めかして肩をすくめました。
……確かに、今では考えられません。
トウカイテイオー先輩が「図に乗っていた」ことではなく、彼女が世代で一強と呼ばれていたことが。
ウィルム先輩やトウカイテイオー先輩の世代の通称は、「星の世代」。
一つでさえ眩しい星が数多も並ぶ星空のようなそれは、一強体制とは程遠いものであるはず。
実際、ホシノウィルム先輩という最強に、けれど彼女やナイスネイチャ先輩は食い下がっている。決して距離を離されず、いつ勝ってもおかしくない程に。
「ウィルって無名の血統だったし、頻繁に模擬レースに出てたわけでもないから、あんまり知られてなくてさ。ボクもボクで、持ち上げられるままに調子に乗っちゃってたんだ。井の中の蛙ってヤツだね。
世界はボクが思ってるより遥かに広くて、ボクに並ぶくらいに強かったり、ボクを警戒させるくらい怖いウマ娘もいるって……ボクはそれを、皐月賞で、痛みを以て知ることになったんだ」
その言葉の裏からは、後悔の念は感知できませんでした。
そこにあるのは、懐古。決して悪くない過去を懐かしむような思い。
それは決して快い過去ではないはずなのに、けれど彼女は、どこか楽し気に口にしました。
「なっさけないくらいボコボコにされて、それでようやくわかった。
レースって、ボク一人じゃ勝てないんだな、って……そんな当然のことが。
ウィルムは、すごいよ。本当に強くて、ボク一人じゃとてもじゃないけど勝ち切るプランが思い付かない。
本人には絶対言わないけど……多分、本当の天才っていうのはウィルムみたいな子のことを言うんだろうね」
その言葉に、私は思わず、息を吐きました。
本物の天才。
それは、ウィルム先輩がトウカイテイオー先輩を指す時に使う言葉でした。
自分は偽物、あるいはまがい物で、トウカイテイオーこそが本物の天才なのだと、先輩は時折苦笑気味にそう笑っていた。
けれど、あるいは……トウカイテイオー先輩から見れば、自分がまがい物で、ホシノウィルムこそが本物の天才と、そう見えているのでしょうか。
認識は例外なく、絶対的なもの。
私たちはお互いの感覚と理解を共有することができない。
人もウマ娘も、事実を事実としてではなく、それを自らの認識というフィルターを通して観測するのです。
もしかしたら、ウィルム先輩とトウカイテイオー先輩は、互いを通して……自らの欠損を見ているのかもしれません。
そんなことを思っていた私に、テイオー先輩は仰いました。
「ブルボンもそうでしょ?」
「そう、とは」
「あのすっごい模擬レースで、ボロボロに負けて……自分の絶対的な力不足を感じた。違う?」
「…………」
視線が、下がる。
トウカイテイオー先輩の認識は、凡そ正しいものでした。
あのレース。ドリームトロフィーの先輩方も交ざった、凄まじい模擬レース。
そこで私は、初めて、致命的なまでの敗北を喫した。
自らの力の、全く及ばない世界を、知った。
勝ち続ける経験しか持っていなかった私にとって、その完膚なきまでの敗北は、それこそこれまでのレースへの認識や理解が尽く崩れ去るような衝撃的な体験でした。
ウィルム先輩ならば、それを……「理解らせ」、などと表現するのでしょうか。
「先輩として、同じ道を歩いた者として言うとね。きっとそれは、大事な経験だと思うよ。
根拠もない自己肯定を打ち砕く、完膚なきまでの敗北。ある程度以上素質のあるウマ娘は、あるいはそうじゃない子であっても、それこそが自分っていう壁を破るための第一歩なんだと思う。
あの日のボクが、そうであったようにね」
ホシノウィルムが、トレセンに来て最初の選抜レースで敗北を喫したように。
ナイスネイチャが、常にホシノウィルムの後塵を拝して来たように。
トウカイテイオーが、皐月賞で決定的な敗北を味わったように。
……あるいは、アンダースタンディブルが、ホシノウィルムとネディリカに叩き折られたように。
全ての優駿にとって、それは始まりの一歩。
自らの及ばざるを知って、私たちは初めて、本当の意味で自らとの戦いを始められる……の、かもしれない。
トウカイテイオー先輩は、ゲート前に辿り着くと共に振り返り……。
至極真剣な表情で、それを口にしました。
「……だから、今日の敗北も、きっと役立ててほしいな。
今日勝つのは、ボクだ。ウィルムの代わりに、ボクが必ず日本の威信を守る」
堂々とした、宣戦布告。大胆不敵な勝利宣言。
自らの力を絶対のものと信じ……けれどそれは、決して無根拠なものではなく。
彼我の戦力差を理解し、自らの積み上げて来た鍛錬を客観視し、唯一無二のトレーナーを信じて、ファンの信じられないような数の夢を背負って。
だからこそ、トウカイテイオーは、勝利を確信している。
それが、今の私には些か眩しく感じ……。
けれど、それによって、もう一つの事実を理解できました。
「…………、いえ」
私の走りは、自分だけのものではないと、そう悟った。
私と共に走ってくださるトレーナーのものであり、私に夢を託してくださるファンのものであり。
……そして同時。
こうして期待を寄せてくれる、ライバルのものでもあるのですね。
この1か月、共同戦線を組み、共に走ってきたトウカイテイオー先輩。
きっと彼女は、期待してくれている。
今は届かずとも……きっといつか、私が彼女に迫り、追い詰めることを。
共に走ったからこそ、その未来を、私に見てくれているのでしょう。
だからこそ、こうして挑発する。
それが、誰かに劣る悔しさが、ウマ娘をより強くすると知っているから。
その勝利宣言は、紛うことなく、未来への祈りでした。
だから……それならば。
私から返せるものは、ただ一つ。
瞳を開き、脚を地に付け。
ミホノブルボンは、高らかに語る。
「勝ちます。あなたに、勝ちに行きます……トウカイテイオー先輩」
挑発に、挑発を返す。
この総身の力で以て、期待にお応えする。
ただそれだけ。
トウカイテイオー先輩は、一瞬だけ驚くように目を見開いた後……。
楽し気な笑みを見せてくださいました。
* * *
『前日の雨から一転、晴れ間の覗く東京。本日ここで競われるのは、凱旋門賞から続くもう1つの海外との決戦の舞台、ジャパンカップ。
この東京レース場に揃ったのは、国内海外問わず、トップクラスの優駿たち18人。
果たしてこの栄光を掴むのは誰なのか? ジャパンカップの連覇は叶うのか!?』
『水気はある程度飛びましたが、それでも発表では重バ場の発表。
三度の坂を越えた長い長い最終直線、最後まで脚を鈍らせず、粘り強く勝ち切ることのできる子こそが勝機を掴めるでしょう。
小さな帝王が二等星の誇りを見せるか、新たな時代の逃げウマ娘がその実力を証明するか、それとも至りし西洋の英雄姫が新たな叙事詩を紡ぎ出すか?
このレースを見逃すことなど、果たして誰にできるでしょうか。もう一つの世界最強を定める戦いが始まろうとしています!』
レース開始が迫り、私たちは順番にゲートに入って行きます。
7枠15番。それが今回、私に与えられたスタート位置でした。
一般的に言えば、ジャパンカップは内枠有利の傾向。
データから判断すれば、決して良いポジションとは言えないでしょう。
ですが、それはもはや、どうしようもないことです。
私たちは、与えられた状況の中で戦う他ない。
ウマ娘それぞれに与えられた才能と脚質があるように、そこに覆しがたい程の差があるように。
文句を言ったところで、何の生産性もありはしない。
それが競走というものであり……。
それに対策してくださるのが、私のマスターでした。
プランはある。二重三重どころではなく、何十と、いくらでも。
マスターは私に、確かな勝ち筋を作ってくださった。
たとえそれが、極めて蓋然性の低いものであろうと……それでも、私の勝利を信じ、捻出してくださったのです。
であれば、私は……勝ちにいかねばならない。
私のために。マスターのために。ファンのために。そして、ライバルのために。
私の走りを、競走人生を培ってくれた、全てのために。
「すぅ……ふぅ」
一度、深く息を吸い、吐く。
圧力を、感じる。それも、凄まじく強いものを。
先日の模擬レースで感じた数多くのそれらに勝るとも劣らない、優駿の証明。
1枠1番。
彼女の位置からは遠く離れているというのに、それでもなお、自らの胸の底からマグマのような熱が込み上げてくるのを知覚します。
西洋よりの英雄姫……アンダースタンディブル。
彼女が、そこにいる。
先刻の記憶を想起。
私がトウカイテイオー先輩と別れ、ストレッチをしていた際……。
心を貫かれるような、鋭い視線を検知しました。
咄嗟に見上げた先にいたのは、西洋から来た最強。
彼女は特定の誰かに話しかけることはなく……ただ出走ウマ娘たちを眺め、品定めしていました。
誰が脅威になり得るか……では、なく。
恐らくは、誰がどれだけ「自分を楽しませてくれるか」を。
「……近似している」
ぼそりと、呟く。
そう、彼女は似ていた。酷似していた。
彼女は……アンダースタンディブルは、私の知り得る最強であり最高であるウマ娘と、良く似ていた。
やはり、世界を一変させるような天才は類似するところが大きいのか……。
あるいは、彼女がウィルム先輩に影響されているのか。
レースを前にして、彼女は楽しんでいるようだった。
自身を追い詰めてくれる戦場があること、その相手がいることを。
そしてその中でも、特に注目されていたのが、私とトウカイテイオー先輩。
彼女もまた、私に期待してくれていた。
……ウマ娘とは、なんとも奇妙なものです。
このレースは自分が勝つと豪語し、何よりも勝利を望んでいる。
それなのに……心のどこかで、ライバルに「自分に勝ってみせろ」と望んでもいる。
あるいは、先達としての慈悲なのでしょうか。
それとも、ウマ娘としての愉悦が故でしょうか。
私もいつか……誰かに、そうしてあげられるでしょうか。
ミホノブルボンはまだ、チャレンジャー。
あるいは、かつてはウィルム先輩もそうだったかもしれない、誰かに導かれるままに走るウマ娘。
マスターの、先輩たちの、そしてファンの皆さんに、この手を引かれている。
その手から伝わる熱を、今、確かに感じている。
『さあ、16番、18番のウマ娘のゲートインが完了。出走の準備が整いました』
私たちは、世界と繋がっている。
そんな不思議な確信が、胸を突きました。
ウマ娘は誰かに託された願いを、夢を背負って走る。
私が今、マスターや先輩、ファンの期待を背負っているように。
そうして私たちは、背負った想いと共に、自らもまた想いを抱いて走り……。
レースの先で手に入れたものを、今度は他の誰かへと受け継いでもらう。
そうやって……ずっと昔から、ウマ娘の想いは、熱は、繋がって来た。
私もまた、その一部なのでしょう。
ウマ娘のレースという遥かな潮流の一部。
受け継がれて来た熱を、いつか次の時代へともたらさねばならない。
そのためにも。
私が、次の世代に、大きな背中を見せるためにも。
まずは自分との戦いに、勝つ。
ミホノブルボンの戦いは、常に自分との戦い。
私の内よりの熱を、私は……。
「……ミホノブルボン、」
『──スタートしました!!』
「行きますッ!!」
抑える必要は、ない。
この内より込み上げる熱を、たくさんの人にもらった温かさを。
走りの原動力を殺す必要など、どこにも。
先輩より教授頂いた技術で以て、マスターに作っていただいた脚で以て、私は駆け出した。
……ああ。
気持ちの良い晴れ空の下、抑えもせず、総身の力を以て駆けるこの一瞬。
尊敬できる先達と、勝るべきライバルと、共に駆けるこの一瞬。
この感覚を、より精緻に、正しく、言語化するのなら……。
なんと、心地が良いのか。
誰かから熱をもらい、それを誰かへと受け継いでいく。
端的に表現するなら、それは「想いの継承」です。
実のところ、本作を書いてて一番悩んだことの一つが、各々の精神的な完成形の差別化でした。
いくらそれが本作のテーマだろうと、みんな一辺倒に「走るのって楽しい!」では色合いに欠けますからね。
ただ、ブルボンはウィルの後輩ということもあり、それに近い形に落ち着きました。
次回は一週間以内。英雄の視点で、ジャパンカップ中編。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!