宇宙は空にある
12月も下旬に入った。
この辺りは、俺たちトレーナーにとって一年で最も忙しい時期といっていいだろう。
年末ということで事務手続きが爆増する他、クリスマスやらお正月やらのイベント事が目白押し。
その上俺たちシニア級1年目のウマ娘を擁する陣営は、クラシック戦線やグランプリにも並ぶ一大レース企画であるURAファイナルズにも備えなければならない。
そして何より、この時期に立ち塞がるトレーナーにとって最大の障害であり、困難であり、楽しみであり、一大仕事でもあるのが……。
G1、有馬記念だ。
俺の陣営にとって今年最後のG1レースであるこれが開催されるのは、12月27日。この年最後の日曜日。
そしてそこまでに残るのはあと一週間。
出走するウマ娘たちにとっては、いよいよ最後の追い切り期間である。
俺たちの陣営から出走するウマ娘は2人。
……まぁつまりは、ウィルもブルボンもどちらも出走予定だ。
既に彼女たちのトレーニングメニューは追い切りのそれに移行している。
本番前の追い切りは、そのウマ娘にとって限界ギリギリの負荷で行う必要がある。
これまでは本格化終盤の都合上、ウィルのペースに併せてブルボンに併走してもらっていたが……。
ブルボンだって今年の有馬に臨む優駿の一人。最後の一週間は、ブルボン自身のために使うべきものだろう。
そんなわけで、ウィルとブルボンの合同トレーニングは一旦切り上げ、それぞれの最終調整のためにトレーニングに励んでもらうことにした。
その上で、本日のメニューは、ウィルがジムでのウォーミングアップからターフ、ブルボンは坂路半分とプール半分となっている。
ウィルの方は、彼女自身から提案があり、少しばかりターフの上で試すべきことがあった。
もしも彼女の言うことが現実になれば、それはホシノウィルムの大きな力になる。ステータスの向上と共に、そちらの方も狙っていく方針だ。
……有馬記念までにそれが叶うかどうかは、正直俺にも読み切れないが。
一方でブルボンは、相も変わらずというか、身体能力向上を目した基礎トレーニング。
走法や技術、レース理論を学ぶより、彼女はそちらの方がずっと伸びやすいのである。
ブルボンはとても賢く見えるし、実際単純な思考の速度は速いのだが、あれでいて脳筋なのだ。
いや、脳筋というか……俺がそう育ててしまったんだけども。
「兄さんってさ、昔からそうだけど、データキャラのくせに案外脳筋だよね」
「うん、まあ否定はできないかな」
トレーナー室、ホワイトボードに書いてあるウィルとブルボンのスケジュールを見ながらリスケをしていた俺は、後ろから来る昌の呆れた声に肯定を返した。
ちらと振り返ってみれば、彼女の手にはレース関係の月刊雑誌、月刊ランニングがある。
これは競走ウマ娘のレースを取り上げる多くの雑誌の内、どちらかと言えば彼女たちを支えるトレーナー側にフィーチャーするタイプのもの。
記事の比率としてはウマ娘5レース3トレーナー2といった感じであり、ウマ娘の記事に関してもアスリート方面を取り上げることが多く、アイドル方面は少数。
競走というジャンルに向き合った、硬派寄りな雑誌と言えるだろう。
で、そんな月刊ランニング。
手前味噌な話だけど、今やトゥインクルシリーズ、そして世界の競走の中心となった俺とウィルには注目してくださっているらしく、少し前にもインタビューの依頼が飛んで来た。
ちょうど12月から1月に掲載予定の記事とのことで、新生活を見据える人も多くなる頃合い。俺に向けられる質問は「トレーナーとして最も必要だと思うこと」「トレーナーを目指す上での心得」「ウマ娘育成のイロハ」などが多かったな。
恐らくはその辺りを読んでの感想なのだろう、昌は呆れたように腕を組む。
「ウマ娘の体調と体力と精神状態を常に完璧に観察して、最適のスケジュールを調整するって……そりゃあそれができれば一番だけどさ、皆完璧にはできないからアドバイス聞きたいんじゃないの?」
「俺はできるからなぁ」
「コイツが自分には才能ないとか言ってるの、ムカつくぅ……!」
いや、才能はないからね実際。ただ転生チートに頼ってるだけ。
……と思ったけど、生まれ持った能力とも言える「アプリ転生」は、ある意味では才能とも言えるか。
転生チートであると思われる、ウマ娘のステータス可視化能力、「アプリ転生」。
あまりにもシステマチックだから、転生特典か何かだろうと思っていたこれだが……思えば、別に神様だの何だのに渡された覚えがない以上、俺が持って生まれた力とも考えられはするか。
自分に才能がないって考えは、いい加減、変えていくべきかもしれないな。
長年の、前世から考えれば40年以上の自意識なので、そう簡単には変えられないだろうが……少しずつでも自分を変えていくのは、きっと有益だろう。
どんどん前に進んで行くウィルと同じように、俺も前へ進まなくては。
「ていうか兄さんの、転生チートだっけ? それなくても、ウマ娘の状態管理できるでしょ」
「まぁ、大体できるけど」
「二度と浅学菲才とか名乗らないでね」
「気を付けます……」
怒られてしまった……。
アプリ転生使わないと確度100%とはいかないので、使わないっていうのはやりたくないけどね。
「それで、そんな脳筋兄さんは今回の有馬、どう見てるの?」
ウィルやブルボンがトレーニングに出ている今、トレーナー室にいるのは2人だけ。
昌は普段より些か柔らか……というか、身内向けな砕けた口調で聞いて来る。
有馬記念の所感や作戦は、1か月前、ジャパンカップ終了直後の作戦会議で話している。
が、勿論それらは、その時点で得られた情報による仮組みに過ぎない。
ウィルやブルボンの状態の遷移、他陣営の偵察による追加情報次第で、計画は細かく変化していくものだ。
……が、昌が聞いているのはそういうことではないだろう。
計画の変更はスケジュールアプリを用いて陣営全体で通達・管理しているし、昌はマメなタイプなので確認してないってことはあり得ない。
彼女が聞きたいのは、この状況だからこそ……担当2人がトレーニングに出ている今だから言えること。
つまりは、担当には聞かせられない、俺の偽らざる予測だろう。
「ウィル4、トウカイテイオー2、ナイスネイチャ1、ライスシャワー1、他2かな。現状」
俺の答えに対して、昌は考え込むように眉を寄せる。
「……4番手はライスシャワーさんか。ちょっと意外かも」
「性質的にめちゃくちゃ怖い。絶対ウィルにマーク付けて来るだろうし」
逃げウマ娘にとって、徹底マーク戦術は脅威だ。
ウィルは非常に高いスタミナを持ってこそいるが……それでもなお、ライスシャワーのような一点集中型は恐ろしいところがある。
と、俺はそんなことを思っていたが。
昌は緩く首を振る。
「いや、そうじゃなくて。兄さんならブルボンさんに勝率付けると思ってた」
「ああ、そっち」
いや、個人的な願望としては付けたいよ。
俺だってブルボンの勝利を願う気持ちはある。
というか、勝つ。絶対に勝ってみせると、そう決意している。
けれど、彼女が今聞きたいのはそういうことじゃないだろう。
俺はスケジュール一覧を見ながらも、脳内で有馬記念を想定する。
今年の有馬記念の出走ウマ娘は、確定というわけではないが、ある程度固まっている。
俺の担当であるホシノウィルムとミホノブルボン。
ライバル陣営であるところのナイスネイチャ、ライスシャワー。
そして残る三星のトウカイテイオー。
メジロ家からメジロマックイーン、メジロパーマー。
パーマーの親友でありライバルであるダイタクヘリオス。
マックイーンやネイチャとも縁の深いイクノディクタス。
ウィルがとても懐いている古豪ハッピーミーク。
新世代三強の一角と噂され始めたソウリクロス。
聞き慣れた名前に限って言えば、この辺りが出走予定だ。
それに加えて。
クラシック級にして既に16戦を経て、先日のジャパンカップでも掲示板入りしたユニゾンブラック。
同じくクラシック級、ここ最近伸びている秋の上がりウマ娘、惜しくも掲示板は逃したがユニゾンブラックに次いだハートリーレター。
シニア2年目、マックイーンやライアンと並んで世代三強と呼ばれていたイノセントグリモア。
今年のジャパンカップで4着の成績を残し、晩成の才能を証明したシャルウィラン。
未だG1タイトルは獲っていないものの、長いことG1級で走り続けているリボンガボット。
ウィルと同期、菊花賞で3着を獲って以来休養を取っていたがついに復活したリオナタール。
ウィルとはあまり縁がなかったが、同じく菊花賞で4着を獲っていたホリデーハイク。
これらのメンバーも参加予定だ。
これまでのトゥインクルシリーズでの戦いで少なからず聞いたことのある名前が目白押し。
計18人、かなり夢のあるメンバーとなった。
勿論、彼女たちを含めて有馬記念に出走する可能性のあるウマ娘のデータは、余すところなく頭の中に入っている。
レースの各種条件や気候の予測、バ場状態の想定と合わせ、それらを元にレースを組み立てていけば……。
やはり、今年の有馬はブルボンにとって厳しい戦いになるだろうと思われた。
脳内でシミュレートとは別に、担当と自分のスケジュールの調整も進めながら、後方の昌に返答を投げる。
「現実的な勝機を考えると、ブルボンの勝利はまだ厳しいものがあるだろうね。
彼女の強みは、スペックの高さによる純粋なアドバンテージ。そうなると……彼女が強く意識するウィルこそが天敵になる」
ホシノウィルムとミホノブルボンは、似たところがある。
どちらも、身体スペックでの単純な殴り合いに強い、という点だ。
……まぁ、昌曰く脳筋であり、「アプリ転生」によって正確に彼女たちを支えられる俺の担当だもの、これは自然なことなのかもしれないけども。
そういった純粋な数字での戦いになれば、当然ながら総合値が高い方に軍配が上がる。
現状1年多く本格化を経験しており、なおかつ入学時点で高い能力を有していたウィルに趨勢は傾くだろう。
別に意識してそうしたわけではないし、俺なりにブルボンを最良の道へ導いたつもりではあるが……。
奇しくも、彼女の新たな目標がとても高い壁となってしまったわけだ。
「更に言えば、やはり有馬記念の距離条件。2500メートルはブルボンにはやや長い。
その上でウィルとソウリクロス、パーマーにヘリオスと、レースの流れ次第ではあるが大逃げウマ娘4人と同時にレースを走らなければならないんだ。
どうしても彼女の有利なレースとは言い難い」
ブルボンにとってベストの状態は、逃げウマ娘がただ1人自分だけの状況。
この逃げだらけのレースでは本領を発揮し辛くなるだろう。
ぱちぱちと貼り付けてある磁石を左右させている俺に、後ろから呆れたような声がかかる。
「……いや、改めて考えると、何なの? 大逃げ4人逃げ1人って、世はまさに大逃げ時代なの?」
「実際そうだろ。もしツインターボの療養が間に合えば大逃げ5人になったかもしれなかったし、去年サイレンススズカが引退しなければ6人だぞ。
多分有史以来、一番大逃げが評価されてるよ今は」
「3分の1で芝も生えない……逃げって別に王道走法じゃなかったはずだし、大逃げはすごくピーキーな走りなんじゃなかったっけ? どうしてこうなった」
「スタミナが持たないから勝ちにくいってだけで、そのペースで走り切れるんなら最強の戦術だぞ」
「それは単純にミドルペースが他の子たちと別次元なだけでしょ」
まぁそれはそう。
実際最初期のウィルは、ミドルペースの走りで周囲の子にとってのハイペース速度を出せたからこそ、他の子に影響されない大逃げを選んでいたわけで。
ともあれ、だ。
ミホノブルボンがシニア級と同じペースで大逃げを走り、そのままペースを崩さずゴールし切れるだけの体力を持っているかと言われれば、それは否。
むしろ、あの子のステータスの唯一の欠点こそがスタミナであり、だからこそ大逃げを走らせるわけにはいかないのだ。
しかし、だからと言ってバ群に囲まれるわけにもいかない。
ある程度乗りこなすだけの実力を身に付けたとはいえ、彼女の掛かり癖は致命的な失墜を招く可能性もある。
「理想としては、ウィル、メジロパーマー、ダイタクヘリオス、ソウリクロスの大逃げ組に続いて、2から3バ身程離れて逃げられる状況がベスト。その日の彼女の精神状態次第では、掛からずに済む可能性もある。
しかし、当然終盤になればバ群は詰まる。前に大逃げ組、後ろに先行組と挟まれることになれば、彼女は自然と逸ってしまうだろう。
バッファを持たせた理想ペースで勝ち切れるレースじゃないし、スタミナはカツカツ。
自然、彼女は苦境に置かれる」
もしも大逃げがウィルだけなら、話は変わっていただろう。
ウィルは無駄にペースを吊り上げない。前半はあくまでの俺の出したプラン通りに走るのが通例だ。
ブルボンはそのペースに上手く合わせることも不可能ではなかったはずだ。
が、大逃げが4人となると、そうもいかない。
特に問題になるのがヘリオスとパーマー。あの2人はあくまで理性的に走るウィルやソウリと違い、心からの熱を抑えることを知らないタイプである。
ウィルと共に走れば無理にでもペースを吊り上げてしまうだろうし、そうしてより速まった互いを見て更に足を前へ運ぶ悪循環が起きうる。
去年の有馬でもそうだったが、今年も大きく縦に開く展開になりそうだ。
「まぁ、そもそも逃げウマ娘が複数いる時点でおかしいのに、大逃げが4人だもんね。お互いに潰し合っちゃって自然と厳しくもなる……はずなんだけど、なんで勝率4割取ってる子がいるのかって話」
呆れたように背もたれによりかかる昌に、即答を返した。
「俺のウィルが負けるわけないし」
結局のところ、それが真理である。
競走ウマ娘ホシノウィルムが、俺とウィルが完全に揃った状態で、負けるわけがないのだ。
「なお4割」
茶化すように肩をすくめる昌に、俺は内心、ちょっとだけむっとして言い返す。
「違うから。これはあくまで理論的にレースを考察してるだけで、トレーナーとしてはウィルとブルボンは10割勝つと信じてるから」
「合計200%じゃん。意味不明の言動やめて」
いやいや、存外理が通ってるんだなこれが。
俺は一度手を止め、振り返って妹と向き合う。
「いいか? 昌。まず、ウマ娘には無限の可能性がある」
「いきなり夢みたいなこと語り始めたこの兄」
「いやこれは本当の話でな」
ウマ娘の可能性……その筆頭は、才能と領域だろう。
レース本番で走りながらアドリブで他者の技術を再現したり、直感的に最適なレースの展開と打開策を考案するだけの才能。
それまでのレースの考察を一気にちゃぶ台返ししてくる、ウマソウルの真価である領域。
それらは、まさしく無限大の可能性を秘めている。
「俺がめちゃくちゃ頑張って、これ以上ないってくらいの予測を立てたとする。
それでもなお、ウマ娘の可能性の前には無力だ。彼女たちの爆発力一つで、全ての予測は崩れる」
ソースはこれまでの俺。
ウィルもテイオーもネイチャも。俺の予測なんて簡単に飛び越えていく。
どれだけ精緻に測ろうと、彼女たちの爆発的な成長の前には無力だ。
「それは……いや、兄さんのデータ主義は、別に無駄とかじゃないと思うけど……」
「え? ああいや、違う違う。別に悪い意味じゃなくて」
むしろそれは、俺にとって救いなんだ。
一度ホワイトボードから離れ、自分の椅子に座る。
机に備え付けてあるPCモニターには、ウィルとブルボンのステータスや各種戦術などが並んでいる。
それらは決して嘘を吐かない、完全な真実。
しかしそれらの真実は、どれだけ正しくとも、絶対的な価値までは持ち得ない。
もしも、ウマ娘のレースの全てが俺の知識や「アプリ転生」通りに進むのなら。
今目に映っているような、データこそが全てであるのなら。
俺はきっと、ここまでウマ娘に夢中にはなっていないのだから。
語弊を恐れず言うのなら、人を熱中させるのは、いつだって予想できない要素……時の運だ。
ギャンブルや勝負事なんてその典型だろう。不意にハプニングが起きるからこそ、人は予想外な展開に心を揺り動かされる。
慣れや既知を覆す、非日常。人は無意識的にそれを求めているのだ。
俺だって例外じゃない。
ファンとして、ウマ娘の予測できないレースを楽しんでいるし……。
何よりこれは、ファンではなくトレーナーとしても、俺に必要なものだったりする。
「例えばさ。俺の予測が百発百中レースの結果を言い当てたとして」
「……今のトゥインクルシリーズはともかく、10年前の兄さんはホントに百発百中当ててたけど」
「当てたとして」
「あ、うん」
「その時俺の予測は、担当2人の内、どちらか片方の勝利を予告してしまう。
逆に言えば、もう1人の担当には、どう足掻いても絶対に勝てないと宣言することになるだろう。
それはとても、とても残酷なことだと思う」
「……うん」
俺の予測が常に正しいのなら、レースを走るより前に、結果は確定することになる。
ホシノウィルムとミホノブルボンが共に一つのレースを走るとなった時、どちらかに俺は「君は負ける」と宣言しなくてはならないのだ。
それは、告げられた方にとっては、致命的な程に残酷なことだろう。
勝ちたいと望む……いいや、その望みがあるからこそ、彼女たちは全力で走れるんだ。
それなのに「君は勝てない」と、誰あろうトレーナーに言われてしまえば……。
……うん。そんなイフは考えたくもないな。
さて、その上で。
勝ってほしい、勝たせたいと願う担当が2人以上いるトレーナーは、どこに心を置くべきか。
現実的に考えてどちらかが有利とわかっている状況下で、俺たちは彼女たちにどう向き合うべきか。
俺は既に、その答えを得ていた。
先日のジャパンカップの際にも、俺はブルボンに「君の勝率は低い」と伝えた。
けれど同時、「それでも全力で勝ちに行く」「君の勝利を信じる」とも。
けれど……。
ウマ娘が俺の予測を超えてくれるからこそ、それらは矛盾しない。
「ウマ娘は無限の可能性があって、どこまで未来を予測しようとしても、悠々とそれを跳び越えていく。
だからこそ、俺はトレーナーとして、何の遠慮もなくレース予測を立てられる。彼女たちがそのハードルを跳び越え、俺の予想よりも高い結果を残してくれると、そう信じるからこそだ」
データ屋として、今回のレースは勝機が薄いと、冷徹に予測を立てること。
トレーナーとして、その予測を跳び越えてくれると、熱く担当を信じること。
それを両立することこそ、俺たちにとっての最適解なのだと思う。
「なるほどね。……なんか最近、精神論っていうか、あんまり兄さんらしくない言葉が多いとは思ってたけど、そういうことか」
「そ、そんなに俺らしくないかな……」
確かに昔から、可能な限り情を交えず、全てを数字で捉えるよう心掛けてはいたけども。
苦笑いする俺を前に、昌は雑誌を閉じ、頬杖を突く。
その瞳は、どこか遠いところを捉えているように思えた。
「結局、自分のことは信じてない。自分の推測より、ウマ娘の無限の可能性ってヤツが上を行くってことを殆ど確信してる。
けど、だからこそ……いや、むしろそれが自然なのかな。無理に矯正するより、あの子たちと少しずつの方が……最近は楽しそうだし、これでいいか」
その独り言のような呟きは……勘違いでなければ、俺のことだろうか。
「自分で言うのもなんだけど、今は結構上手く自分と付き合えてる自負があるんだけど、どうかな」
「ま、そうだね。兄さんも今年に入って、だいぶマシになった。良いと思うよ」
意外な言葉に、思わず目を見開く。
こんな素直な言葉をもらったのは何年ぶりだろうか。
「珍しい、昌に褒められた」
「そんなこと……あるか」
昌はおどけるように肩をすくめる。
その態度はどこか気だるげで気安げで……まさしく、家族に向けるようなものだった。
……俺にあんなことを言う昌も昌で、ずいぶんと変わったなと思う。
この子は中学校に入った辺りから、反抗期に入ってしまったのか、俺や兄さんへの当たりが強くなった。
母の力添えもあって、家庭の破綻にこそ繋がらず、程々の距離感を保てるようにはなったが……。
それ以来、こういうちょっとふざけたような態度も、俺には見せてくれなくなったのだ。
それが、こうしてサブトレーナーに付いてくれて、多少なりとも柔らかい態度をみせてくれるようになるとは。
この世界でできた新たな家族であり、可愛い妹であった昌。
当然俺としては、彼女とも親しくしたいという思いがあった。
……いや、実のところそうは思いつつも、トレーナーを目指す研鑽を優先してしまっていたんだけども。
今考えてみると、もう少し余裕を持って家族に寄り添う時間を作った方が良かったんじゃないかと思わないでもないし、そんな俺だからむしろ関係が拗れたのではないかという疑念もあるわけだが……。
それはともかく。……ともかくしていいものでもないから、今度ちゃんと謝るとして。
勿論、今更に距離を縮めたとしても、互いに幼かった頃の関係にまで戻れたわけではない。
彼女からの呼び名は「兄さん」になってしまって、きっともう昔のものには戻らないだろう。
大抵の物事がそうであるように、破綻した人間関係は、完全に元通りにはならない。
しかし、それでいいのだろう。
何もかもを元通りにする必要はない。
壊れてしまったものを過去に置いて、未来に新たなものを作ろうとするのも、また一つの道。
「ま……今の兄さんはそんなにイラつかないし、家族として認めてあげてもいいかな。
これからも、ホシノウィルムさんと一緒に頑張っていけばいいんじゃない」
「それは良かった。これからも頑張るよ」
少なからず変わったのだろう妹と、そんな妹に悪くないと言ってもらえる俺。そしてその関係。
今あるそれを大事にしたいと、素直にそう思えた。
……と、少し話が逸れ過ぎたか。
「さて、そろそろ有馬記念の話題に戻ろうか。
そんなわけで、正直ブルボンの勝機は薄い。今出ている情報だけではなかなかね」
「なるほど。……しかし、ホシノウィルムさんが4割かぁ。やっぱり地獄だね、今のトゥインクルは」
「控えめに言っても、歴代最強級のメンバーだろうね」
去年の有馬記念もかなりのスケールだったが、今年は輪をかけてすごい。
ウィルやテイオー、ネイチャ。星の世代の三星がその輝きをいよいよ増した今、恐らくは去年以上に熾烈なレースとなるはずだ。
「しかし、4割。4割かぁ。有馬記念で勝率4割ってすごいことのはずなんだけど、ホシノウィルムさんと考えると、低いように感じるな」
「実際、ウィルにしては勝率が低い。とてもね。
さっきも言ったけど、大逃げが4人で互いに潰し合う上、策謀家タイプのウマ娘が2人、ウィルを追い詰め得る爆発力を持ったトウカイテイオーもいる。
アンダースタンディブルとほぼ五分五分だった凱旋門賞より、今回の方が勝率は下がるくらいだ」
トウカイテイオーはアンダースタンディブルを上回り、ウィルと並ぶ星たるを証明した。
ナイスネイチャは策だけではなく、その実力を以て名優を越えることで眩い光を見せた。
最も強く輝いているのは三人だが、しかし他のウマ娘も負けてはいない。
メジロマックイーンやハッピーミークだって、ただやられるばかりではないだろう。
本格化が終わってその身体能力の向上速度こそ緩やかになっているものの、彼女たちはより技術を磨き三星へと追い縋って来ている。
それはクラシック級の子たちも変わらないだろう。ブルボンやライスはウィルに憧れ、少しでも迫るためにと走っている。
今の彼女たちは、恐らくはウィルがいなかった場合よりずっと手強いはずだ。
ウィルを起点として、トゥインクルシリーズ全体のレベルが吊り上がっている。
だからこそ……そんなウマ娘たちが集う有馬記念は、より苛烈なものになる。
いずれも煌めく17の星が、ウィルを呑み込もうと一斉に流れていくそれは……。
あるいは、今この瞬間に見られる、世界で最も美しい流星雨になるのかもしれないな。
お互いにキーボードに指を走らせながら、俺たちは笑みを交わし合った。
「楽しみだな」
「そうだね」
ウィルのレースであり。
ブルボンのレースでもあり。
そして、熾烈極まる優駿たちのレース。
堀野の家に生まれ、ウマ娘のレースと親しんで育った俺と昌が、それを嫌うわけもない。
さぁ、最後の一週間、悔いなく彼女たちを鍛え上げよう。
その上で……彼女たちと共に、このレースを楽しまなきゃね。
徹底してデータから予測を立て、けれどそれを妄信せず。
ウマ娘の可能性を信じ、それを乗り越えてくれると期待する。
これが堀野君なりの、トレーナーとしての答えでした。
アニメの沖野トレーナーのように「どちらを応援すればいいんだ」とはなりません。なにせ両方の勝利を信じ、期待し、そして応援しているので。
次回は一週間以内。ホシノウィルムの視点で、決戦直前の話。