URAファイナルズは……断腸の思いでカット!
ラストエピソード、前編です。
鬱蒼としているという程ではなく、丁寧な手入れの窺える木々のさざめき。
段々と暖かくなってきた陽射しを木陰が和らげ、キラキラ輝く点々とした日光が駐車場を照らしている。
俺たちはそんな中、車から降りつつ言葉を交わした。
「URAファイナルズは強敵だったな」
「長く楽しい戦いでしたね……!」
シニア級1年の有馬記念から3か月が過ぎ、時は3月末。
俺たちはおおよそ一年強前の約束を果たすため、都内から車で2時間程の場所にある、温泉旅館を訪れていた。
この一年が凄まじく濃密だった……というか目を回すくらいに忙しなかったので、どうにも遠い昔のように思えてしまうが。
去年の頭、前世アプリにもあった福引イベントに遭遇したウィルは鬼のように福引を引き続け、数時間の格闘の果てに1等の温泉旅行チケットを獲得したのだ。
……界隈で、ウィルの「爆死芸人」というくっそ不名誉なあだ名が定着しちゃった事件である。最近はレースで活躍しすぎて言われることも減ったけども。
当時は1分1秒がとても大切な本格化中であり、なおかつ年末に俺が離れていたことによりウィルの身体に生まれた誤差の修正中だったこともあり、とても行くことはできなかったが……。
ついに3年の本格化も終わり、ウィルの身体状態が安定。
更に、ブルボンのことを数日任せられるくらいには昌も育ってくれた。
これらの条件が揃った今、俺たちはついにこの1泊2日の温泉旅行に行くことができるようになったわけだ。
昌のトレーナー能力の最終チェックも兼ねて、昌にブルボンのことを完全に委託してる。
積まれていた山のようなデスクワークも、大半は片してきた。
2日くらい積んでもトレーナー室が4分の1埋まるかどうかってくらいだろうし、もし危急の案件が飛んで来たら……ま、それに対応するのも昌の良い体験になるだろう、ということで。
今の俺は、完全にフリーである。
実に半年ぶりくらいの休暇。
トレーナーとしての業務を完全に昌に委託し、俺は今、堀野歩という一個人としてここにいる。
トレーナー業のことを何も考えなくていい、一切の連絡が来ないようにした完全な休暇は、この4年で初めてだろうか。
釣りに行く時なんかも、連絡があればいつでも帰れるようにしてたし。
まあ勿論、ウィルがそう望むのなら、俺はトレーナーという立場に舞い戻ることになるけど……。
「うぇへへへ……いやぁ、本当に楽しいレースでした! まさかたった1か月であそこまで対応されて、4バ身まで迫られるとは思ってませんでしたが。
私が言うのもなんですけど、ネイチャってちょっと主人公チートじみてません? ついにテイオー超えちゃいましたよあの子? どこまで伸びるんですかね……」
先日のURAファイナルズ決勝について思いを馳せていたウィルはしかし、すぐに切り替えて笑顔を向けて来る。
「あっ、でもでもっ、レースもそうですけど、今日のこともめーっちゃ楽しみでしたよ? 歩さんと2人きりでゆったりできるのなんて、フランス遠征ぶりですもんね~!
ね、ね、今日明日はゆっくりしましょ? 契約トレーナーとか競走ウマ娘とか、今日ばっかりはナシね? 競走ウマ娘ホシノウィルムと堀野トレーナーじゃなく、ホシノウィルムと堀野歩。オーケー?」
「わかってるわかってる」
まったく可愛らしいもので、ウィルはぴょんぴょんと飛び跳ねている。
……この調子であれば、まあ、この旅行中くらいはトレーナーではなく個人として彼女の相手をするのも許されるだろう。
ビジネスライクな教師と教え子ではなく……やや年は離れているが、親密な人間とウマ娘として、俺はウィルと付き合うべきだ。
「やったやった、言質取りましたからね!
よぉし……行きましょ歩さん! 私旅行なんて前世ぶり……じゃなくて、ええ、多分赤ちゃんの時以来なので楽しみなんですよ!
アレ、アレとか食べたいです! 旅館のお部屋に置いてるなんか美味しいお菓子! 美味しかったらみんなへのお土産にしようかな~!」
しかしまあ、えらいはしゃぎよう。全ての台詞の後に「!」が透けて見えるようだ。
普通なら、明日まで持たないぞーと落ち着けるべきかもしれないけど……。
彼女は史上最高の体力を持つウマ娘。これだけはしゃいだって、2日3日ではまずスタミナ切れは起こるまい。
むしろ怖いのは俺の方だな。頑張って彼女のテンションに付いて行かねば。
……しかし、なんかもう普通に「前世ぶり」とか言っちゃってるけど、この子隠す気ないのかな?
旅館のエントランスでチェックインを──彼女が当てた券というのと、社会勉強の意味も込みで、ウィルが──済ませ、中居さんの先導で雰囲気の良い旅館を歩き……。
通された部屋は結構広め、その気なら4~5人くらいは優に過ごせそうな一室。
俺たちは持ってきていた荷物を置いて一息吐いた後、やけに広い部屋の中を軽く見て回ることにした。
「出た、和風旅館の謎スペース。なんなんでしょうねこれ」
「広縁ね。一説では、サンルームとして使ったり、あるいは洗濯物を干すための空間らしい。
風情もそうだが、湿気や匂いを室内に通さないために遮断されているわけだ」
「へ~、また一つ賢くなっちゃいました。これってちゃんと意味のある空間なんですね」
「まあ、意味がないスペースなんてないだろうが……しかし、やけに広い部屋だよな」
「ギクッ……」
「……まあいいか。
俺は寝袋から豪邸まで、どんな場所でもリラックスできるよう調整してるし、ありがたいと思うことこそあれど、別に否はない」
「ほっ……」
そんな会話を交わしながら、特に目的もないのだろう、戸棚を開けたウィルは喜色の声を上げた。
「お、浴衣だ。何気に着たことないんですよね、私。せっかくだしデビューといきますか」
「和服程じゃないが若干難しいぞ。着れる?」
「む……あ、着方の図解ありました。見ながらならなんとかなる、かな?」
やや不安げな様子ではあったが、5分程後ろを向いている間に、すっかり着方をマスターしていた。
「どうですか?」なんて不安げに言いながらも、透き通るような薄い体に、和装はよく似合っている。
元々和装って、洋服に比べて低身長かつ細めの体格に合うよう作られてるからな。
ウィルに似合うのは至極当然のことだったかもしれない。
「俺の愛バが世界一可愛い」
「うぇっへへ、へへへへ! 照れますねぇ!」
ふにゃっふにゃの顔を両手で包み、身をくねらせるウィル。
一昔前なら、こういうことを言われれば真っ赤になって逃げだしちゃうところだっただろうが、最近のウィルはこういう賛辞を素直に受け取れるようになってきた。
褒められることに耐性のなかった彼女だが、この3年を通して少しずつ経験を蓄積して慣れが出て来た、というところだろう。
あの頃の真っ赤になった可愛らしいウィルを見られなくなるのは、少しばかり寂しい思いもあるが……。
それ以上に、幸せなことだとも思う。
月下で出会ったあの時は、野に返った獣を思わせるような冷たさをたたえていた彼女だが……。
温かさを知り、幸せを知り、その心は溶け出して。
今の彼女にとって、それは「普通」で、「あって当然」のことなのだ。慣れが発生してしまうくらいに。
それに、幸せを感じる。
ちゃんと動いて、彼女を助けられた、と。
前世でも今世でも、彼女に出会うまでは辿り着けなかった満足感。
俺もこの3年で、少しは変わった……いや。
彼女に、変えてもらえただろうか。
そんなことを思いながら座椅子に座っていた俺は、当たり前のように膝に乗ってきたウィルを、後ろから軽く抱き締めた。
相変わらずの細身。こんな小さな体で、あんなパワフル極まる走りをするというのだから驚異的だ。
こんなに軽くて柔らかいのになぁ。ウマ娘の神秘である。
「あんっ、もう。触るんならそう言ってくださいね?
今は「トレーナー」じゃなくて「歩さん」、なんですから。成人男性が中等部女子を触るって、普通にポリスメン案件ですよ~?」
「あ、ごめんね? 嫌ならやめるが」
「嫌とは言ってませんが? ほら、もっと触るべし。この中等部女子のぴちぴちぼでーを触るべし」
「女心って難しいなぁ……」
実際、ちょっと不用意だった感はある。
もしも衆人環視の下なら、俺は今頃、警察のお世話になっていることだろう。
まあ、そうじゃないからこそこうしてるわけで、その上でウィルが俺を拒まないこともわかっていたが。
互いにどこまで、何を許し合えるか。
俺たちは互いに、それを理解している。
俺もウィルも、デリケートゾーンはともかく、お腹とか触られるくらいじゃ何も思わない。
……というか、俺に限って言えば、ウィルに触られればむしろ嬉しいし。
ボディタッチは距離感が近い証だ。余程の信頼がなくては軽々とは行えないこと。
言葉にせずとも、距離と行動から、互いの間にある太い信頼を再確認できる。
だから時々、肩を揉まれたり腕をもみもみされたり太ももをさすさすされたり首元をこしょこしょされたりする、そういったコミュニケーションが嬉しく思えてしまうわけだ。
……いやまぁ、割と「これは流石に止めた方がいいか?」と感じることもあったりするけど。
流石に一線を越えたら注意するつもりではあるけど、どうだろう。耳をはむはむされたりシャツの中に手を入れるのってセーフなんだろうか。
『私に負けるわけには……!』とか言って、最近のウィルはちょっと攻めっ気がすごいのだ。
なんというかこう、何かしらがややマズくなってきているような気がしなくもないが、それはともかく。
俺はウィルを抱え、そこそこ長かった旅路の疲れを癒すべく、安穏とした時間を過ごした。
「はぁー……なんか久々ですよね。特に何かを考えることもなく、穏やかに時間を過ごせるっていうのも」
「な。互いに職業柄、時間に追われる身だし。
特にこの3年はウィルの本格化と躍進もあり、俺の方も未熟とか経験のなさが顕著だったし」
「来年からはもうちょっと静かに……いえ、望めないですかねぇ。どーせ来年は担当の子もっともっと増えそうですし」
「…………鋭いな。ここだけの話、内示は出てる。今年は2人以上取るように、と」
内示は社外秘だったはず。陣営内での共有は問題ない。
更に言えば、そろそろ話を通しとかないとマズい。
スカウトが本格化してくる季節だからね。
新入生が入って来てから3か月、そろそろその実力も知れて来た頃だ。
勿論、まだ正式にトレーナーが付いた子も少なく、その素質が完全に明るみになっているわけではない。
けど……そうだな。
個人的な一番の注目株は、やはりナリタブライアンか。
鋭い視線と雰囲気が特徴的な黒鹿毛のウマ娘。今年クラシック戦線の中核を担うだろうビワハヤヒデの妹であり、俺の目から見ても抜群の素質を持つウマ娘。
しかし、彼女を誘うのは厳しいだろうな。入学当日に俺たちのトレーナー室に殴り込み、挑戦状を叩き付けに来たあの子は、他の陣営からウィルに挑む気だろうし。
他だと……ウィルがスカウトしてきた栃栗毛のウマ娘、サクラローレル。
実際にこの目で見てみたところ、なかなか癖のある脚と走りをしていた。
感覚としてはトウカイテイオーに近いか。素晴らしい素質と、けれどそれに反して繊細な脚。
しっかりと見て、そして支えなければ、弾みで事故を起こしかねない。そういう儚い才能。こう言ってはなんだが、支え甲斐のある相手だと思う。
無事故のままに導くのは困難を極めるが……手前味噌ながら、俺はその手の育成のエキスパート。
あちらも「スカウトをお待ちしています」と声をかけてくれたし、「共に夢を見てくださるトレーナーさんがいますので」と他のスカウトを断ってくれてるようだし、この旅行が終わり次第声をかけるつもりだ。
他の注目株と言えば……。
前世アプリでのネームドたる、ヒシアマゾンやビコーペガサス。
他だとイミディエイトにバーチューマインド、サムソンビッグ、アバブリニ。
この辺りは、活躍できるだけの十分な土壌があるように感じた。
勿論、この辺りが最上級というだけで、他にもたくさんのウマ娘がいるわけだが……。
うん、今年もすごいウマ娘たちが入って来たな。
再来年も熾烈なレースが期待できそうだ。
……っと、流石に意識がトレーナーに偏りすぎた。
眼下のウィルに意識を戻そう。
「2人追加で4人。うわあ、ウチの陣営のウマ娘、一気に2倍ですかー。コミュ障の身には結構辛いものがありますね正直」
「コミュ障か。君、結構上手く立ち回るイメージあるけどね」
「やろうとすればやれますよ? ただ、うーん……根本的に、あんまり誰かとお話とかするのが好きじゃないんですよね私。ああ、歩さんとかブルボンちゃん、昌さんっていう私たちの陣営は例外ですけど。
根っこの部分が内向的と言いますか、陰の者といいますか」
「強い思考力と真面目に自分に向き合うストイックさを持ち、外界からの刺激や誘惑に流されないわけだ」
「わあ恐ろしく大人らしい、玉虫色の言葉の選び方……」
「社交の世界に出れば、相手の機嫌を損ねない言葉選びをするのが基本だからね。
……本格化も終わったし、そろそろその辺りも本格的に勉強しようか。何、そう難しくもない。ただパターンと言葉選びを暗記して、ひたすら頭を回してればいいだけだ」
「はにゃーん」
「こら、可愛い声出して誤魔化そうとしない」
「うにゃーん」
「可愛い」
この子の勉強嫌いも筋金入りだな。
いや、正確に言えば勉強嫌いというより、走り好き、が正しいんだが。
別に殊更勉強が嫌いというわけではなく、ただその分の時間を走りに割きたいというだけ。
ある意味じゃ勉強嫌いより困るんだよね、これが。
勉強嫌いなら勉強の楽しさを教えればいいけど、これだと走りを超えるレベルで楽しさを伝えるか、あるいは走りの方を貶める他ないわけで。
前者は難易度が鬼だし、後者は絶対にやりたくない。
ウィルを勉強の席に着かせるのは、極めて難しい。
ただ……勉強しない、というわけにもいかないだろう。
ホシノウィルムというウマ娘は、今や競走競技によって回るこの世界の中心だ。
前世のアイドルとかアスリートすら比べ物にならない、各国の首脳だとか歴史上の偉人だとか、そのレベルの知名度を持っている。
となれば当然、様々な意味で彼女との繋がりを求める者たちが発生してくる。
要するに、遠からず、ホシノウィルムは社交界デビューを強いられる、ということだ。
……更に言えば。
そういった直近の目的でなくとも、将来的にそれが活きる可能性もあるだろう。
まあ、まだ「可能性がある」というだけで、結局は彼女の選択次第ではあるけどね。
さて、一旦話を変えるとして。
俺はこの世界に生まれてからずっとそうだったし、ウィルもそうっぽいんだけど……。
俺たちって、常に何かに追われ続けて来たんだよね。
トレーナーに。あるいは誰かを助けることに。
走りに。あるいは敗北を避けることに。
そのために、時間があればひたすらに努力を重ねて来た。
フランス遠征も、確かに2人で身を休めるタイミングこそ多かったが、それは「走りをする上で最適の休息を挟むため」だ。
一切合切走りのことなど考えず休むのは……去年末、2人して夜更かしして通話した時以来か。
「穏やかな時間だなぁ……」
「……なんかこう、夜ならともかく、お昼からダラダラしてるのって、背徳感すごいですよね」
「わかる。立食会の時とかさ、普段なら仕事してるべきお昼からワインとか飲むんだけど、いくら仕事とはいえ俺何やってんだ感あるよ。特にトレセンに勤めだしてからはすごい感じる」
「立食会。あ、そういえば歩さんって、そういうパーティとかって出てるんです? トレーナーしながら」
「頻度は控えめにしてるけど、出てるよ。
この前だと……ジャパンカップの4日後に、昌に任せて仕事に出てただろ? アレ、URAの出資者の集まるパーティだった」
各名家や有力者の集まるパーティ。
本当は父が出席する予定だったが、分家の方でちょっとごたごたがあったらしく、名代として俺が出ることとなった。
久々にルビー……ダイイチルビーと話をしたり、メジロのご老公に冗談交じりにチクチク言われたり、サトノのところに「ウチの子担当してくれないかなー?」ってモーションかけられたり、色んな家からゴリ押し気味に娘を押し付けられそうになったり。
以前に比べて堀野の家格が大幅に上がったこともあって、かなり忙しない一日だった。
「正直、あの手の仕事は好きじゃない。君たちのトレーニングを見ている方がずっと楽しいよ」
「パーティがお仕事……美味しいもの食べたりするのに?」
「いやアレ、自由に食べたりとかできないんだよ。物を摘まむポーズで暇をアピールしたり、あるいはグラスを傾けて主催者に信頼を示したりはするけど……。
そうだな、ほらアレだ、食レポ番組とか撮る時さ、食事を楽しむ暇なんてないじゃん? 早く噛んで飲み込んで、テンポ落とさずに会話を繋げないといけない。
立食会の食事ってそういうヤツなんだよ。立食と言いつつそれが本題じゃないんだ」
「うえぇ、ロマンが死んだ……パーティのリッチなお食事への憧れが……」
「そもそも高級指向な食事、君あんまり好きじゃないでしょうに」
「それはそう」
ウィル、その手のお店より、インスタントとか大衆食堂のご飯の方が好きな傾向あるからね。
俺や昌なんかは名家の生まれの都合上舌を鍛えたけど、そうじゃないと繊細な味って薄くてよくわからん味だろうし、わからなくもない。
……ま、その辺りを慣らしていくのはその内でいい。
ひとまず今は、これだな。
「ほら、今はこれ食べな」
「んぐ……あ、ふぉれふきれふ」
「後で買っていこう。ん……うん、結構美味しいし、ブルボンと昌にも食べさせてやろう」
俺は机の上にあったお菓子の包装紙を破き、ウィルの口の中に入れるお仕事に従事することにした。
……可愛いなぁ、俺の愛バ。
しばらく……誰の邪魔も入らない、穏やかな時間を過ごした。
スマホの電源も落とし、仲居さんにもしばらく入らないでほしい旨を伝えて。
この時間が終わらなければいいのに、なんて。
そう思うのは、少々女々しいかな。
* * *
良い具合の時間になったので、温泉に向かうことにした……のだが。
「お、温泉! 温泉たのしみー! たのしみですねー!」
「……なあウィル、思ったんだけどさ」
「アハハーオンセンタノシミー!」
ウィルはこの時間が近付くにつれて挙動不審となり、部屋を出てからは完全におかしくなってしまった。
……いや、まあ。
正直に言えば、色々と違和感を覚えているし、察している部分もある。
例えば、なんでトレセン地元の商店街の福引で当たったチケットで、都内から2時間という遠方の旅館に行くことになったんだ、とか。
福引の1等で当たるにしてはこの旅館高級じゃない? とか。
そもそもあのチケットの対象にこの旅館の名前なかったよね、とか。
なんかさっき中居さんが「家族風呂のお時間ですが……」って言いかけた時咄嗟に口覆おうとしてたよね、とか。
ウィルめ、そういうところ、ネイチャに影響されたかな。
「ウィル、俺に言うべきこととかないか」
「ギクッ」
「……一緒に楽しむためにもさ、企みとかはなしにしよう」
「う、うぅ~……うん、はい、そうです。ちょっと小細工しました……」
涙目でがくりと項垂れるウィル。
いけないことをしたから、叱られる、と。そう思っているのだろう。
……が。
俺は彼女の頭を撫で、苦笑する。
「別に、怒る気はないよ」
「え、いや、でも……」
「そりゃあ、俺がトレーナーであれば非難する。問題が多すぎるからな。
……でもまぁ、堀野歩個人としては」
不安げに見つめてくる瞳。
喜色で一面に染め上げたくて……つい、甘やかしてしまいたくなる。
普段なら、そんなウマ娘の育成に不要な衝動は抑えるべきだろうが。
ここなら……この旅館の中でだけは。
「最愛の少女の、ちょっとしたイタズラくらい、許すのが男の度量だろ」
その程度の幸福くらい、彼女の頑張りへの報酬には、安すぎるくらいだろう。
舞い上がりまくるウィルをなだめながら、温泉に向かうと……その道中。
「あ、アレは……話に聞く伝説の!!」
「卓球台だな」
温泉旅館にはありがちな、卓球台を見かけた。横にはアーケードゲームの筐体もいくつか。
……こういうのって雰囲気は出せるだろうけど、実際利率とかってどうなんだろうな。
そんなどうでもいいことがどうにも気になるのは、今はトレーナーの任を降りているからだろうか。
一方でウィルは、高すぎるテンションのままに俺の手を引いてくる。
「やりましょやりましょ! 温泉旅館で卓球とか、すっごくそれっぽい!!」
「勿論オーケー。温泉から上がった後にでもやってみようか。ウマ娘の運動能力に勝てる気はしないが……」
「え? いやいや、温泉の後汗びっしょりになるのはヤですし、今からやりましょう!」
「……確かに、それもそうか。なんか温泉の後のイメージあったな。なんでだろう」
「確かに……なんででしょうね? まあとにかく、手加減はしますからやりましょ!」
そんなわけで、従業員の方に一声かけ、俺vsウィルの戦いが始まった。
……結論から言うと、ありえんボコられた。
いやまぁ、それはそう。
俺の要領の悪さ、ウィルの要領の良さ、そしてウマ娘と人の身体能力格差。
この不利な条件下では、ちょっと勝てるわけもない。
後半はウィルもだいぶセーブしてくれて、(速すぎて)消える魔球が、だいぶ強めの人が打ったサーブくらいの速度にはなったが……。
それでも、まともに返すことはできなんだ。
正直、ちょっと申し訳ない。適切な相手ではないな、俺は。
まぁ、ウィルは楽しんでくれていたようだし、俺も楽しかったが。
「たまには体を動かすのも悪くはないな。
ま、しかしいい時間だ。ひとまずはこの辺りで……」
そう言い、俺は卓球台を離れようとしたが……。
「
「む」
その一言に、呼び止められる。
相棒。
俺をその名で呼ぶ人間は──いや、正確には人間ではないし、どころか普通の生物でもないんだが──一人しかいない。
俺が振り返った先。
そこには、無表情の「ホシノウィルム」がいた。
……ウィルは、かつて無表情キャラをやっていたとは思えないくらいに表情豊かな子だ。
無表情な姿など、俺はここ2年、まったくと言っていい程に見ていなかった。
だからこそ、目の前にいるホシノウィルムは、まるで別人のようで……。
というか、普通に別人である。
「ホシノウィルム。4日ぶりか」
「いえーい」
無表情でダブルピースを決める彼女は、ホシノウィルム。
俺が「ウィル」と「ホシノウィルム」で呼んで区別する、彼女の体の中にいるもう一人の彼女。
端的に言ってしまえば、ウマ娘ではなく馬の方の彼女だ。
ホシノウィルムは3か月前の有馬記念で、ウマ娘の深奥と呼べる領域に踏み込んだ。
彼女たちを支える魂の元なる、ウマソウル。
一度は走りを終えて脚を止め、安穏の眠りに就いていた彼女だが……。
ウィルは自らの魂の形を捉え、理解し、接触して、その目を覚まさせた。
ウマ娘の力の所以をその魂と置くのなら、その魂と協力して走るソレは、彼女たちの走りの極致。
競走ウマ娘にとっての終わりであり、そして始まりでもある地点。
その名を、
それがウィルの得た力。
誰もがいつか辿り着くべき、極みの星だ。
……ちなみに、深奥領域も至星女も、どっちも俺の命名。
そりゃそうだ、史上初の到達地点に名前があるわけもないし、俺たちで付けなきゃいけなかったので。
どう、めちゃくちゃにカッコ良くない? やっぱりシンプル・イズ・ベストだよね、命名ってのはさ。
で、そうしてウィルが叩き起こした魂……。
「ホシノウィルム号」が転生したのが、目の前にいる彼女。
ウィルの体に同居する、もう一人の「ホシノウィルム」なわけだ。
「おひさ。相棒、でれでれだったね」
「もう一人の君は、俺の最愛の女性だ。二人きりになれば当然甘くなってしまうとも」
「らぶらぶー」
無表情ながらもどことなく楽しそうに、彼女は卓球のラケットを持ったまま、その場でくるくる回る。
彼女の体は、ウィルの方に主導権がある。
それもあってか、ホシノウィルムはあまりこうして表には出てこないのだが……。
なんでも、ウィルの視点から世界を見ているのは結構楽しいそうで、これで満足とのこと。
ウィルにとっては恩人であり、半身であり、時折体を占有するもう一人の自分であり、そしてどことなく妹のような存在。
俺にとっては恩人であり、友人であり、もう一人の愛バであり、どことなく娘のような存在。
俺たち両者にとって愛すべき、無垢な少女。
それが、ホシノウィルムだ。
「今回はどうした? さっきのおかしを自分でも食べてみたいとか?」
彼女はウィルと五感を共有している。
とはいえ、自分の意思で食べたりするのは感じが違うとのことで、時々自分でも食べに出てくる。
この前作ったにんじんのグラッセは彼女のお気に召したらしく、ぱたぱたと両手を振る姿はとても愛らしいものだったな。
今回もそういうことかと思ったのだが……。
尋ねた俺に、彼女はくるくる回っていたのを停止し、こちらを見上げてくる。
「いや、卓球、してみたい」
「卓球。そうか、君は初になるか」
元々馬だった彼女は、ウマ娘に転生するにあたって人並みの知性や理性、そしてウマ娘としての体を手に入れている。
先に出した食事もそうだが、ウマ娘だからこそできる様々な体験は彼女の興味を強く引くようで、今回の卓球も恐らくはそういうことだろう。
「ルールの説明はいる?」
「いらない。さっきので覚えた」
そう言ってしゃっしゃっとラケットを振る様は、なかなか堂に入っている。
ていうか、多分既に俺以上だ。
うーん、流石はウィルの元ネタになった(?)ウマソウル、圧倒的天才肌である。
「よーし、ぼこす」
「え? いや、さっきだいぶボコられたが俺」
眉を上げると、ホシノウィルムは首を振り、キッパリ言う。
「いや、だめ。あの子は甘い。あとひどい。
勝負は本気でやらないと、相手にとっても失礼。全身全れいの力で相手の心をぶち折る。それがマナー」
「いや、うん、待って。一旦待とうかホシノウィルム。
君の、史上最強アスリートのフルパワーにはラケットもボールも台も耐えられない。あとついでに俺の体も。
それにこれは真剣勝負じゃない、ただの遊びなんだ。大事なのはお互いが楽しい時間を過ごすことで、別に本気を出さないといけないとかそういうのじゃ、いやいやいや本当に待て待ってくれホシノウィルムやめろ、やめろォーッッッ!!!」
結論から言うと、卓球の球とネットと台の弁償、それから床と壁に計3か所空いた穴の補修、クロスの張り替えと、それから誠意として数部屋のリフォーム代金の建て替えで勘弁していただいた。
ウマ耳をぺたりと垂らして本当に反省しているようだったので、今回は許してあげよう。
彼女はまだウマ娘として目覚めたばかり。
こういう失敗の責任を取るのは、大人である俺の仕事だろうし……。
……ウィルと連れ添う男の責務なのだろう。
ドキドキ温泉シーンは次回!
本編じゃできないことをやるのが二次創作の楽しみなんですよね。
次回は1週間以内。ホシノウィルム視点で、輝ける道の話。
本編最終回です。