ラブコメ要素回収。
転生者「たち」じゃないのは仕様です。悲しいね。
私、ホシノウィルムには、あまり贅沢の経験がない。
お父さんは高給取りだったけど、同時にかなりの倹約家でもあった。へたへたになっちゃったクッションをバラしてタオルにしようとするくらいには。
食事に関しても、お母さんが生きていた時代はお父さんの手作り料理が多かったし、お母さんが亡くなってからは買い置きの安いお弁当を頼むようになった。
つまるところ、お金持ちってヤツには2通りのパターンがあるんだ。
私のお父さんのように、お金を貯めることを重視して、普段は全然使わないタイプ。
そして、目の前の堀野トレーナーの家のように、お金を使ってきちんと経験を積むタイプ。
「……む。どうした、ホシノウィルム」
食事の手を止めるトレーナー。
背筋を伸ばして座る姿勢、ナイフとフォークを拾い上げる動き、前菜を口に運ぶ様……そして何より、場慣れした態度。
そのどれもが洗練されていて優雅で、一欠片の無駄もない。思わず見惚れてしまいそうなほどだ。
正直、ちょっと恥ずかしい。
なんとも不釣り合いだな、私。
トレーナーにも、この場にも。
その日、トレーニングを終えた夕方。
私と堀野トレーナーは、トレセン近くの割とお高めなレストランを訪れていた。
「ホシノウィルム?」
「いえ、お気になさらず。ただ、様になるな、と思っていました」
「名家の生まれとなると、どうしても付き合いが発生するからな。特に食事や接待、パーティのマナーは教え込まれるものだよ」
「少しだけ、羨ましいです。私はそういったものとは無縁でしたから」
「であれば勉強するか? そう難しいものでもない、やる気を持って臨めば1か月そこらで身に付くと思うぞ」
「……トレーナーの『やる気を持って』とは、どの程度を指すのでしょう」
「自由時間を全て使うくらいかな」
それは無理ですね。自由時間には自主トレしなきゃいけない……っと、これは言っちゃいけないヤツだった。
たとえバレるとしても、自分からバラした上で約束を破るのはちょっと違うだろう。
親しき仲にも礼儀あり。ちゃんとバレないように自主トレして、後で怒られるのが私のこだわりである。
しかし、トレーナーは本当にストイックというか……呆れちゃうくらいに真面目だよね。
趣味という趣味もなく、これまでの人生で娯楽ってものをほとんど体験していないっぽい。
私が言うのもアレだけど……楽しいのかな、その人生。何を生きがいにしてここまで生きてきたの?
……なんて言ったら、「今は君を支えるのが生きがいだ」とか返してくるんだろうな。
もう、なんて恥ずかしいこと言うんだこの人。天然たらしさんめ……。
「残念ですが、憧れるのが関の山ですね。テーブルマナーは諦めます」
「うむ、それで良いと思う。君は競走ウマ娘だ、走ることに集中するといい。
それ以外の煩雑なことは俺が片付けるさ」
「いつもご迷惑をおかけします」
「それが俺の役割だ」
そんなことを言っている内、店員さん……でいいのかな? お店の人が、スープを運んでくる。
おぉ……美味しそうな甘い匂い。ポタージュかな。
「ありがとうございます」
トレーナーは、店員さんに軽く頭を下げた。
こういう時って感謝するのが道理なのかな。
お金持ちってこういう配膳の時は平然としてるイメージがあったんだけど、これは偏見なんだろうか。
……あーでも、そういえばトレーナーって「感謝は大事だからよく感謝するようにしてる」みたいなこと言ってたな。彼個人の信条なのかもしれない。
一方感謝された店員さんは、トレーナーに愛想笑いを返してから……。
どうやら私を知っているみたいで、チラチラと私を見ながらお皿を並べてた。
あー……有名税ってヤツだね。
最近は私も慣れたもので、軽く手を振ったり笑顔を作ったり、ファンサービスを返せるようになってきた。
そんなわけでニコリと笑うと……え、なんか微妙な顔された。なんで?
うーん、ファンサじゃなくてサインとかを求められてた感じ? 流石にそんなの視線から読み取るのは無理なんだが。
店員さんが去っていってから、改めてトレーナーと話を再開。
「しかし、テーブルマナーに従ってこの量の食事を取るのは、時間がかかりそうですね」
トレーナーの前に置かれたものと、私の前に置かれたもの。どちらもほぼ円形のお皿だけど……全然大きさが違う。
トレーナーのそれはスーププレートだけど、私のは……小さな洗面器くらいのサイズ感だ。
このレストランは、トレセン近くってこともあり、ウマ娘用のコースも用意されているのだ。
そしてそれは、人間用のコースとは比べ物にならない量と値段なのである。
「ウマ娘は人間よりも多くの食事を取る必要があるからな。高い運動能力を持つ以上、消費カロリーが増加するのは当然の話だ。
その中でも、小食な子もいれば食いしん坊な子もいるのだが……君はなかなか健啖家な方だよな」
「うっ……」
「前菜の取り方を見ているところ、食欲は高いと見た。何せあれだけ盛られた野菜を、俺とほぼ同時に食べ終わっていたものな」
「……そ、その」
「うむ、大変結構。多く食べればそれだけ多く動けるからな。太らない程度の食欲はウマ娘にとって有益極まる。
普段そういった話を聞かないから少しばかり不安に感じていたが、きちんとこの目で見て安心したよ」
「…………その辺りでお許しいただけると」
「お許し……?」
いや、あのですね。
私一応、あなたに惚れてる女の子なわけですよ。
そして、女の子としてはですね?
惚れた男性から「お前めっちゃよく食うじゃんw」って言われたら、こう、心がね? 割とドスッと来るんですよ。
わかるかなー、可愛い子ぶりたいこの気持ち。
勿論、その言葉に悪意がないのはわかってる。
契約トレーナーからすれば、自分の担当が小食じゃないってのは安心できる要素なのかもしれない。
だとしても、ね?
私、前世では普通の女の子だったのよ。その頃の価値観もまだ残ってるわけでね?
大食いのイメージはなんとか避けたいなーと思うわけですよ。
……うーん、「一緒にお食事」にご褒美権使ったのは、ちょっとばかり間違いだったかもしれない。
無難にスーツを贈るとかの方が良かったかな?
でも、コミュニケーションは食事より少なくなっちゃうもんなぁ。
「……しかし、改めて。せめて自分の分だけでも払わせてくれないか。
『皐月賞のご褒美に、夕食を奢らせてほしい』というのは、ご褒美の使い方として間違っているような気がするんだが」
「いいえ。何でも言うことを聞いてくれるのでしょう? 今回は私に奢らせてください」
「君には借金があっただろうに」
「皐月賞の時に入って来たお金で借金の返済が完了したの、トレーナーは知ってますよね」
「教え子に奢ってもらうのは、社会人としてのプライドが抉れるんだが……」
「トレーナーより私の方が稼いでるじゃないですか」
「…………すまん、その辺りで許してくれ」
「えへへ」
反撃成功。
食いしん坊なんて言ってイジめるからですよーだ。
ウマ娘によるレースは、世界的娯楽。
競走ウマ娘は、その多くが学生ではあるけど、同時にプロのアスリートでもある。
ぶっちゃけ才能次第では、並大抵の職業よりも稼げるのだ。
レースに勝てば人気が出るし、人気が出ればグッズが作られる。そしてそれが売れれば売れるほど、ロイヤリティが払われる。
他にもレースの入場料の一部や、ウイニングライブでのポジションに応じたチケット代の一部が入って来るし、人気が爆発するとCMや広告に出たりして臨時収入もある。
ちなみに私もこの前、今度の日本ダービーのCMを撮った。
撮ったって言っても、「カメラの方を気にもしない、威風堂々とした姿でお願いします!」って言われて、でっかい扇風機みたいなヤツの風を受けながら、勝負服で1分くらいボーっと立ってただけなんだけどね。
出来上がったCMだと、なんか「最強の風格」みたいな扱われ方してたんだよな。その時の私が考えてたの、昨日食べたにんじんグラッセのことですよ?
で、その肝心の報酬は……うん、かなりすごかった。入金額見てくらっとしたよね。
1分立ってるだけでこんなにもらえるとか、ちょっと意味わかんない。労働とはいったい……うごごご……。
で、そんな感じに稼ぎまくった結果。
1年前までは借金まみれで、口座には多くても5桁までしか入っていなかったのに……。
現在私の通帳には、ぱっと見ただけでは何桁かわからないくらいの数字が印字されているのだった。
このままじゃ年収が生涯収入級の単位になるかもしれない。というか、なりつつある。
私は前世も大学までしか進んでなかったし、その辺の管理はできない。代わりにやってくれる保護者もいない。
そんな訳で弥生賞以降、お財布関係はトレーナーにお任せしたんだけど……。
借金とかもキッチリ整理して、無事返済終了できたらしい。
親戚の皆さまにはお世話になったからなぁ。ありがとうございました。
そういう意味では、ここの代金もトレーナーの管理してる口座から落ちるわけで、なんか微妙に奢った実感が湧きにくい私なのであった。
一応自分のお金のはずなんだけど……単位があんなに高いと、自分のものっぽく感じないよね。
「このまま勝ち続ければ、一生働かなくても生きていけそうですね」
「あまり良い思考とは思わないが、それはそうだな。
これからもグッズ販売やCM、取材に応えるのを続ける前提なら、三冠を取れれば、質素な暮らしができるくらい貯まるんじゃないか」
「……改めて、すごい世界ですね。私、つい2年前までは、その日の夕食をどう安上がりに済ませるかで悩んでいたのに」
「金銭という力がある自覚を持ち、適度に自分の生活を整えるのはいいが、あまりその事実に踊らされないようにな。
金があるからといって、これまでの生活を変える必要はない。君は君らしくあれ」
大人らしい忠言に、私は頷いた。
強すぎる力は人を変える。私もこのお金に踊らされないように気を付けないとな。
「ところでトレーナー、不動産と株、買うならどちらだと思いますか」
「踊らされてるねぇお金の魔力にねぇ! 良かったよこの段階で止められて!」
「冗談ですよ」
驚きで仮面が外れたトレーナーを見て、私はわずかに口角が上がるのを感じた。
本当、こういうとこなんだよな。
表向きは感情の薄い、無愛想だけど有能なトレーナー。
けれど彼の本性は、普通の人だ。
色んなことに驚き、戸惑い、喜び、傷つく。
普通の、でも普通よりずっと優しい男の人。
そういう人が、私を救ってくれたのだ。
そりゃあ好きにもなるでしょうが。
これは自論だけど。
人が人を気遣う時、そこに発生する大半は上っ面の言葉に過ぎない。
心の底から誰かを心配し、心を割ける人間なんて、滅多にいるものじゃないんだ。
例えば、私はかつてお母さんにネグレクトされていました、と言ったとしよう。
すると周りの人間は「酷い母親だね」とか無責任に言ってくるだろう。
……でもそれは、そいつの感想でしかない。
私はお母さんを憎んでない。酷い人とも思わない。
私を気遣うつもりで言ってるのかもしれないけど、結局のところ、彼らは彼らの意見を言っているに過ぎないんだ。
他人というのは、他の人。
自分じゃない。自分じゃないから、究極的にはどうでもいい。
他の人がどう思うかじゃなく、自分がどう思うか。それを優先するのが普通の人間、普通のウマ娘なんだと思う。
相手を自分と同一視して、相手と同じだけ悲しみ、負う必要のない傷を共に背負ってくれる。
そんな人は……本当に優しい、ごく一部の人間だけ。
私の目の前にいる人間は、そういう人なんだ。
私の無茶を止め、自分が上手く使うと言ってくれたあの日。
走ることを楽しんでほしいと、すごく苦しそうに自分の欲望を告げてくれた夜。
訳も分からず熱を求めた時に浮かべた、仕方なさそうな苦笑。
来年の春に再び共に訪れると言ってくれた、誓い。
……そして、いつでも自分の下に戻って来いっていう、完膚なきまでのトドメ。
彼は仮面を通すことはあれど、いつだって本音で私を気遣ってくれた。
何の嘘もない、彼自身の意思で、私を想ってくれた。救ってくれた。
それがただ担当ウマ娘を心配しているだけだとしても、関係ない。
この世界で1人きりだった私に、温かさをくれたって事実に、変わりはないんだから。
……難しい言葉を並べ立てたけどさ。
端的に言えば、堀野トレーナーはスパダリなんだよ。
スーパーダーリン。原義とは少しズレるけど、私にとって完璧な男性だ。
名誉のために言っておくけど、殊更に私がチョロいってわけじゃない……と思う。
真っ当に乙女心のある女の子なら、自分が言ってほしいことを囁かれ、純粋な真心で寄り添ってもらったら、誰だって堕ちちゃうもんだよ。多分ね。
……でも、同時に。
私は普通の女の子じゃない。
前世の記憶を持つ転生者なのだ。
恋に堕ちたのはもう仕方ないとして、だ。
そこから先は、やっぱり転生者らしく、理知的に進めていこうと思う。
ふっふっふ、何せこのホシノウィルム、恋愛に関しては結構上級者。
前世でめちゃくちゃラブコメを見て来たので、とっても経験豊富なのだ。
相手のことを好きだと自覚し、恥ずかしくなって好き避けする、とか。
恋愛感情を暴走させて、引かれるレベルで相手に迫ってしまう、とか。
自分の有り余る筋力や権力を使って、強制的にモノにしようとする、とか。
経験豊富でチート持ちの私は、そんな普通のミスを犯しはしない。
大体、そういった行動は論理的じゃないんだよ。
好き避けなんてすれば相手に悪印象を与える。
引かれればただ好感度が下がるだけ。
力で捻じ伏せたところで、その心は手に入らない。
人間もウマ娘も、衝動的な行動は大抵の場合、大きな機会損失に繋がるのだ。
誰が言ったか、恋はダービー、2400メートル。
掛かりを自制し、長期的な計画に基づいて適切な行動を取ることこそ、勝利に繋がるのである。
では、好きな人と結ばれる……いや、「結ばれる」は言いすぎ? ちょっと早すぎるかそれは。
好きな人と……イチャイチャするには、どうすればいいか?
答えは簡単。
そんなもん、相手に好きになってもらう以外に方法はないのである。
恋愛ってのは急がば回れなのだ。多分。知らんけど。
故に、私は焦らない。
将来的にトレーナーと……その、えっと、ラブラブ? 相思相愛? みたいな?
そういう感じの関係になるため、着々と計画を進行させるのだ!
今日、ご褒美権まで使ってお高めの食事を奢るのだって、計画の一部。
表向きは日頃の感謝を伝えるため、という名目だけど……本当の目的は違う。
ああいや待った、別に感謝してないわけじゃないよ? むしろめちゃくちゃ感謝してる。
でもその感謝へのお返しは、やっぱりレースで勝利を収めることだと思うんだ。
だから、今日の目的は別にある。
そう、その目的は……!
私の経済力の高さを理解してもらい、優良物件だと思ってもらうことだ!
そもそも私はウマ娘。自分で言うのもなんだが、とんでもない美少女である。
顔のパーツは怜悧な感じにまとまっているし、これといったノイズがない。
声だって声優さんレベルで澄んでて、活舌も良い方だ。喋り方は流石に及ばないだろうけどさ。
唯一欠点を挙げるとするなら、身長145センチ、スリーサイズの最初の数字が71という虚無さだろうか。
トレーナーがこの体を恋愛対象に入れるか、ちょっとばかり疑問が残るサイズなのだ。
いやでも、今は本格化で体格が固定されてるけど、「最初の3年間」が終わったら急成長するかもしれないし?
むしろ急成長した私の姿に、トレーナーはドキッとするかもしれないし?
というかマジで成長してくれ私の体。こんなお子様サイズで一生を終えたくないぞ。
……まぁ、とにかく。私は顔だけ見ると非常に恵まれてる。
その上で簡単に大金を稼げて、そのお金を惜しみなくあなたのために使うんだ、と。
男性の考え方はわかんないけど、このイメージはやっぱり高評価なんじゃないかと思うんだ。女性的にはめっちゃ嬉しいし。
ふふふ……美少女力、経済力、そして足の速さ。
その全てを持ったこの私の魅力に、果たしてトレーナーは耐えることができるかな?
恋愛における最初の勝負こそ負けたけど、次は絶対に勝たせてもらうよ!
「……まったく、金銭関係は趣味の悪い冗談だぞ」
「そんなに心配してくれたんですか?」
「当然だろう、心配しないわけがあるか。
君は今の俺にとって、最も大切な存在だぞ。金や権力に狂うなんて悪夢でしかないわ」
…………。
「すみません、少し席を外します」
「お、おう。……またかぁ」
トレーナーの言葉も聞かずに個室から逃げ出して、トイレに駆け込む。
鏡を見ると……あーもう、やっぱり赤くなってるし、口元緩んじゃってる。
こんな顔、トレーナーには見せられないって。
「……もう、もうっ! 最も……た、大切、とか!
あんなこと普通に言ってくるのはズルじゃん……!
チートだ! 絶対チート使ってる! 自分の羞恥心がなくなるチート! アンチ照れシステム使ってるって!」
今日も今日とて、恋のダービーは連戦連敗。
私の恋愛防御力は、どうやらとても低いみたいだった。
* * *
トレーナーに寮に届けてもらった頃には、既に夜の帳が下りきっていた。
ちゃんと許可取ってるからいいけど、そうじゃなかったら普通に門限オーバーだ。
「……ちょっと疲れたかな」
トレーナーの天然たらしアタックを耐えるのには、結構気力を使う。
というか耐えられない。急な攻撃で、一瞬で仮面を割られかけるし。
流石に素顔を見られるのは恥ずかしいので、咄嗟に顔を逸らしたり逃げ出したりすることで、仮面の耐久力が回復するまで時間を稼ぐしかないんだ。
で、そんなことを何度も繰り返すと、そりゃ当然疲れる。
その分、楽しいし……幸せだから、いいけどね。
幸い栗東寮はかなり緩い気風で、食事やお風呂、完全消灯の時間こそ決まってるけど、それ以外は基本的に自由。
まだ9時にもなってないけど、今日はもう寝ようかな。
もし明日早めに起きちゃっても、自主トレしてればすぐに登校の時間になるだろうし。
……と、自室に向かおうと思ったんだけど。
食堂でジュースを買っていたジュニア級の子が、こっちに気付いて走り寄ってきた。
「ウィルム先輩! トレーニング帰りですか?」
おうおう、今日も元気だね後輩ちゃん。
そのピンクの髪をセミロングに伸ばした元気なウマ娘は、ちょくちょく私に話しかけてくれる優しい後輩の1人。
つい先日「やっと本格化が来たんです、これから頑張ります!」ってめっちゃ嬉しそうに話してくれた子だ。
「ああ、うん、トレーニング。そんな感じ」
「流石です! ダービー前の追い切りメニューですね!」
……ごめん、嘘です。トレーナーとお食事行ってました。
追い切りメニューはしっかりこなしてるし、たまにお出かけに行くくらい許してほしい。
「やっぱりダービーでも大逃げするんですか?」
「うーん、それは言えないかな」
「あっすみません! そうですよね、作戦ですもんね」
あ、あ、待って、そんな顔しないで、罪悪感がすごい。
君は笑った表情が可愛いんだから、しょげた顔なんてしないでよ。
えーと、何て言えば笑ってくれるかな……。
「ごめんね。……でも、きっと勝つから。期待してて」
どうやら私の選んだ言葉は正解だったみたいで、後輩ちゃんはにこっと笑ってくれた。
「はい! 絶対見に行きます!」
うんうん、やっぱり可愛い。
なんで勝気なこと言うと盛り上がるのかはわかんないけど、後輩ちゃんたちにはこれが良く効くんだ。
「それじゃ、また今度ね」
「あ、先輩! よければこれ、どうぞ!」
「いいの? ありがとう」
後輩ちゃんはそう言って、さっき買ったばかりのジュースを渡してくれた。
好きなヤツだし、めっちゃありがたいんだけど……。
なんか最近、後輩からえらく絡まれたり、ジュースとか飴とかもらうのは何なんだろうね。
将来の三冠ウマ娘だし、縁起物として拝んどけ、みたいな?
このジュースって、もしかしてお供え?
……私、お地蔵さんとか仏像だと思われてんのかな。
後輩ちゃんと別れた後、部屋に荷物ぶち込んで、さっとシャワーだけ浴びた。
で、部屋に帰って来ると……同室のミーク先輩は、いない。
帰ってきてないのかな。6月の安田記念に出走するって言ってたし、まだトレーニングしてるんだろうか。
「……うん、寝るか」
歯を磨いて明日の準備して、お布団に潜ってみるが……。
どうにも眠気が来ない。
疲れてはいるんだけど……まだ時間が早いからかな。
ダービーが近いから緊張してる、ってのは私に限ってないと思うし。
あぁ、あれかな。さっきの食後のコーヒー?
しまったな……まぁでも、しばらく目をつぶってたら、勝手に眠るかな……。
* * *
暗い、世界にいる。
……なんで私、ここにいるんだっけ。
なんで走ってるんだっけ?
ドスン、って、重い足音。
後ろに、誰かいる。
「ここで超えてやる、その背中」
声が聞こえた。
私に伸びる光が。彼女の道が。
……私を、超えていく。
負ける? ここで?
いやだ。
私、負けたくない。
目が、合う。
ずっと私を見てくれている人と。
私は……。
あの人に、褒めてほしいから……。
あの人に相応しいウマ娘になりたいから……。
そう、だから……私は。
* * *
扉が開く音に瞼を開く。
……今のは、想起? それとも夢?
あー……若干ぼんやりするけど、起きたてほどじゃないね。
眠りが浅すぎて夢とも言えない記憶を見てたってところかな。
「……あー、起こしちゃいましたか」
「ん……いえ。眠れてませんでしたから、お気になさらず」
部屋に入ってきたミーク先輩は、いつも通り感情の薄い表情だけど……うん、眉も垂れ下がってるし、耳もちょっと垂れてる。申し訳なさそうだ。
共同生活ってのは、お互い迷惑をかけるもの。
私だってよく、ミーク先輩にお話を聞いたり、自主トレの相談に乗ってもらっているんだ。
この程度は全然気にしなくていいんだけどね。
……しかし。
まさかあの夢を見る、というか思い出すとはな。
3週間くらい前、久々の模擬レースがあった日。
終盤になって見えた、あの暗い世界……ネイチャが広げた世界は、トレーナー曰く「領域」と呼ばれるものらしい。
その話を要約すると……。
ウマ娘が極限状態で覚醒する、スポ根漫画あるあるの超集中状態。
領域を開いたウマ娘は、自分の心象風景の幻視の中で、普段を大きく超える走りを見せる。
一方で他のウマ娘も、理屈はよくわからないけど、その幻視を共有するらしい。
同時に……これはトレーナーに言われたんじゃなく、実体験に基づく情報だけど、それが誰の領域で、どんな世界なのかを直感的に理解するんだ。
あの時私が見たのは、ネイチャが開いた領域だった。
ネイチャの領域は、多分、私を超えるための世界なんだと思う。
静かで暗く、他に何の頼りもない世界で、ただ灰色の星を目指し、そのための道をひた走る。
自分の目標……夢……あるいは、壁。
持てる力の全てでそれに挑むっていう、すごくネイチャらしい領域だ。
……その壁役がテイオーちゃんじゃなくて私なのは、いささか気恥ずかしいものがあるけどね。
あれはすごい。本当にすごかった。
後ろから、すごいスピードで世界が塗り替わっていく瞬間。
これこそがネイチャの全身全霊だって……そして、それが私に迫るためのものって理解して。
ゾクリと悪寒が走った。
このままじゃ負けるって、わかったんだ。
多分あの時「負けたくない」って根性出さなかったら、ギリギリ差し切られてたと思う。
いくらスタミナを切らしかけてたとはいえ、今まで誰にも負けたことのなかった私のスパートよりも速いなんて。
ネイチャはすごい。そのすごさを更新し続ける。
私に熱をくれたあの子は、やっぱり最高のウマ娘なんだ。
特に、あの領域。
たった1つのことに目標を定め、勝つために全てを振るうあの力。
正直、すごく羨ましい。私もいつか、習得できればいいんだけどな……。
あ、ていうか、そうだわ。
せっかく大先輩がいるんだから聞いてみよう。
「ミーク先輩。領域って知って……ますよね」
「……おー、ウィルちゃん、領域、見たんですか?」
「友人が習得しました。私はまだ習得できていません」
「……あー、やっぱり」
うんうん、と頷くミーク先輩。
その反応、ちょっと傷つくなぁ。私、今世に限っては要領の良い方だと思うんだけど。
「やはりミーク先輩も領域を持っているんですか?」
「……はい。ただ、使う条件とかは、教えられないですけど」
「使うのに、条件があるんですか?」
「……うーん……そうですね、まぁウィルちゃんならいいですか。
……どちらにしろ、領域を開いたら、なんとなくわかることですし」
ミーク先輩は少し両目をつぶって考えた後、1つ頷いて答えてくれた。
「……私たちは、領域を習得したとしても、すごく集中しないと使えません。
……それで、集中するためには……あー……なんというか、『いつも通りの形』を作らないといけないんです」
「いつも通りの形……」
それを聞いて、ピンと来る。
例えば、初等部の頃にやらされた漢字の書き取り。人生2周目ともなると心の底から面倒だった宿題。
それをぱっぱと片付けるためには、流れてる雑音とか他人の声が気にならなくなるくらいの集中状態に入る必要があった。
それは同じ行為を何度も何度も繰り返し続けることで、体と意識にその行動を刻み付け、意識せずとも行える状態。
もしかすると、領域ってのはそういうもの、あるいはそれに近いものなのか?
レースに勝てる王道の走り方を見つけて、それを必勝パターン……「いつもの形」として、自分の中に刻み付ける。
そして実際のレース中にその状況が整った瞬間、スコンと超集中状態に入って、領域が開く……とか?
ま、これに関しては自分で開いてみないとわかんないだろうから、あくまで仮説でしかないけども。
「なるほど、そういったものなのですね、参考になります。
お答えいただきありがとうございます」
「……いえ。私のトレーナーが言っていました。今年のクラシック世代はとても早熟で、既に何人ものウマ娘が領域を経験してるって。
……そんな中で、ウィルちゃんは頑張っていますから」
意外な言葉に少しびっくりする。
天才だとか最強だとかはよく言われるんだけど、頑張ってるって言ってくれたのは……トレーナーを除けば、初めてかもしれない。
「……私には、わかります。ウィルちゃんはえらい子だから、頑張ってます。
……だから、少しだけ、アドバイスをあげますね」
「アドバイス?」
「……はい。日本ダービーが終わった後、宝塚記念に出るんでしょう?」
「そのつもりです」
ミーク先輩はベッドに座って、指を1本立てた。
「……じゃあ、これだけは覚えていてください。
セイウンスカイさんを、第三コーナー以降、先頭に立たせちゃだめです。
彼女が自由に逃げるってことは、もう勝てないってことですから」
ギャグ回も挟みましたし、そろそろシリアスに行きますか。
次回は3、4日後。トレーナー視点で、自責と化かし合いの話、日本ダービー前編。
(追記)
誤字報告をいただき、わざと出ない部分は訂正させていただきました。ありがとうございました!
(本編に関係ない呟き)
アストンマーチャン人形3.0商品化よろしくお願いします。