前回から1年後、ホシノウィルムシニア級3年目、ナリタブライアンクラシック級の年の年末のお話です。
何事も、始まりがあれば終わりがあるもの。
どうやら私、ナリタブライアンにとっても、それは例外でなかったらしい。
おおよそ1年前のあの日。
未だ私が、自らの影が絶対であると、無自覚な傲慢を抱いていた時。
一人のウマ娘とそのトレーナーによって、私の抱いていた幼稚な幻想は、呆気なく打ち砕かれた。
あの頃の私は、理解していなかった。
ウマ娘の強さは、トレーナーとの相性とその能力にも大きく依存するということも。
半端に星を見上げて歩くようなウマ娘は、足元が留守になるということも。
誰も敵わなかった私の走りは……中央では、ただ一つのものではないということも。
敗北というどうしようもない結果を以て、私はようやくそれを悟った。
長く続いた幼年期の終わりだ。
トレーナー曰く、私の有り余る才能が故に、なかなか気付かせることができなかったと。
無念そうにそう語ってはいたが、しかし、私としては早く気付けた方だと思っていた。
あのウマ娘とあのトレーナーがいなければ……あるいは、私はずっとそれに気付くことができなかったかもしれない。
ずっとずっと餓えたまま、この癒えない渇きを抱えたまま、走ることになっていたかもしれない。
それよりは、今の方がずっと良い。
ナリタブライアンは、逃げウマ娘ではない。
先頭をひた走るよりも、目に見える背中を追う方が、ずっとそそられるのだから。
あれ以来、私の中で、多くのものが変わった。
トレーナーへの意識も、走りへの関心も、他のウマ娘への興味も。
トレーナーはそれを、良い変化だと語った。
確かに、私の餓えを満たす上でも、ウマ娘としてより上へ行くためにも……
そして何より、アイツを目指す上でも、これは望ましい感化と言えただろう。
……まあ。
その変化を以てしても、あと一歩届かなかったが。
「二冠、か」
中山レース場、控室。
トレーナーが席を外しているのを良いことに、私は拳を握りしめ、独り言ちる。
ビワハヤヒデと、ホシノウィルム。私の信じた姉貴と、史上最強のウマ娘。……強いて他に追加するのならば、自分自身か。
それ以外の誰にも負ける気のなかった私は、しかしおおよそ2か月前、クラシック三冠の最後の一つを獲り逃した。
理由は明白だ。
ヤツが出てきたから。
『お待たせ、ブライアンちゃん。ようやく、ここまで来たよ』
恐るべき覇気と、執念とすら言えるような熱を持って……。
遅咲きの徒桜。神の時代を築くとすら言われる少数精鋭、〈チーム・ポルクス〉の一角。
競走ウマ娘サクラローレルが、クラシック戦線の最後の一戦、菊花賞に参戦した。
走法の不完全、脚部不安性、本格化の遅れに、ナリタブライアンへの対策。
そんな文句を以て表舞台に立ってこなかったアイツが、ようやく戦いの場へとその脚を乗せたのだ。
そうして私は、まるで1年前の焼き回しのように、アイツに敗れた。
淀の坂の急勾配を活かした急激なペースアップと、コーナーの中でそれを為してしまえるコーナリング。
二度目のG1勝利を目して積まれた十全以上の対策は、私の想定と力を優に上回り、みすみす差し切りを許してしまった。
半バ身。
それが、私とアイツらの間に空いた差だった。
……そう、アイツ「ら」だ。
私が破れたのは、サクラローレルと……その背後にいる、怪物。
堀野歩という名のトレーナー。ホシノウィルムを「ああ」した、化け物だ。
史上最強と謳われるウマ娘を育て上げたトレーナー。
その実力はどうかと目に入れてみれば、ああ確かに、アレは人外じみている。
私のトレーナーも変なヤツではあるが、アレはもはや変なんて言葉では言い表せない。収まるべき枠を大幅に超過しているようにさえ思う。
堀野歩に支えられたサクラローレルだからこそ、トレーナーに支えられた私を超えたのだろう。
でなければ、本格化の遅れという莫大なディスアドバンテージを埋められるとは思えない。
恐るべき競走相手とも言えるが……しかしヤツの存在は、存外悪くない。
私はこれまで二度の交戦の上で、サクラローレルに勝つことができなかった。
アイツの視線は、敗者に過ぎない私の影に怯えることなく……。
それどころか、きっと私よりもずっと先、天上の星に向けられているのだろう。
それなのに油断も慢心もなく、目の前の小目標を見失っていないのは……あるいはこれも、堀野歩の手腕なのだろうか。
「……ふっ」
己が至らず、勝てずにいるというのに、私の胸には今、爽快感のようなものすらあった。
これまでの人生で味わってきた虚無感、底知れず終わりのない飢餓感を、今は感じない。
自らの不完全を知り、目指すべき場所に至らず、向上できる余地があり……何より、競うべき相手がいる。
そんな事実に、この上ない充実感を覚えている。
例えるなら、そう、ようやく食いでのあるごちそうを見つけ、それを喰らっている最中のように。
あのホシノウィルムを知った時以上に、私は満たされていた。
それが私の、ウマ娘としての再出発地点で……。
それに至って1年強、これが最初で最後の機会となる。
12月末の日曜日。
数時間後に私が挑むレースは、有馬記念。
クラシック級に上がったナリタブライアンが挑む、最初のシニア混合レースであり……。
時代を作った一等星、ホシノウィルムの、トゥインクルシリーズでのラストランでもある。
「……ふ。残っているかわからない、などと言っていたが。結局、走り続けたな」
G1ウマ娘は、特に優秀であれば優秀である程に、次なる成長と戦いを求めて早い内にドリームトロフィーリーグに上がるものだ。
最初の3年で走りを終える者、シニア級2年目までで止める者が大半で、シニア級3年までトゥインクルに残る者は少ない。
けれどアイツは、高校3年、トレセン学園を卒業する直前までここに残った。
それは、ドリームトロフィーのウマ娘たちですら太刀打ちできない圧倒的な実力故に、上位リーグに上がる意義を見出せなかったからか。
あるいは、トゥインクルシリーズの名の通りに輝き続ける星として、多くのウマ娘の目標であろうとしてのことなのか。
……それとも、ただただ、トゥインクルシリーズで走ることが楽しかったからか。
実に22戦21勝、G1レース17勝。
あれほど楽しそうに連勝を重ねたウマ娘は、おおよそ他にはいまい。
ともあれ、世間からの印象のためか、あるいは学園卒業を機としてかはわからないが、彼女もドリームトロフィーに上がる決断をした。
それを前にして、最後に出走するのがこの有馬記念となる。
つまるところこのレースは、私がトゥインクルの公式レースでホシノウィルムと競える、最初で最後の機会となるわけだ。
「…………」
勝つ、と。
以前であれば断言できたそれを、けれど今は妄信することができない。
自らが劣っているという自覚があるからだ。
目指していた星は高く、未だこの手は届かず。
それどころか、同時に走り始めたはずのウマ娘にさえ後塵を拝している。
全ての併走相手を恐怖させ、絶望させてきた私の影は、けれど
全ての競走相手を失墜させ、敗北させてきた私の力は、けれどアイツらには届かない。
全く以て愚かしい。
私の影が相手の輝きを奪ってしまう、などと……なんたる思い上がりであったことか。
星の光は、闇夜の影を照らし明かすからこそ、人を惹き付けるというのに。
私は未だホシノウィルムには届かない。
故に……勝つではなく、挑む。
総力を出して、死力を尽くして、全身全霊を以て、私はこのレースに挑むんだ。
「うん、悪くない顔だね、ブライアン」
気付けば、控室の入り口に、私のトレーナーが立っていた。
握りしめた手を見る私を眺めていたらしい。悪趣味なことだ。
トレーナーは私の非難の視線に気付いているのかいないのか、こちらに視線を投げかけながら言ってくる。
「勝て、とは言わない。言えない。
君は最強に近いけれど、テイオーと並ぶ俺の担当ウマ娘だと誇りを持って言えるけれど……。
それでも、君が星に届くのだと、俺にはそう断言できない」
「だろうな」
肩をすくめる。
肯定されるのではなく、否定されるのが心地良かった。
おべんちゃらを垂れる無能に価値などあるはずもなく、真実を語る口にこそ意味がある。
私は未だ未完成。
咲き誇る徒桜、その頂点に咲いた花びらにすら、この手は届かないのだ。
それならば、天の彼方に座する星に届かないこともまた道理。
今のナリタブライアンに、ホシノウィルムは下せない。
1年で更に磨きがかかり、留まることなくこの目を焼く龍。
これを喰える程、私はまだ強くない。
その事実を正直に、けれど酷く悔しそうに語る、トレーナー。
そんなバ鹿だからこそ……信頼に値する。
「このレースの中で、私は史上最強のウマ娘を知る。最も遠い背中を見るだろう。
きっとそれこそが、私にとって最上の導きになる」
「ああ、その通り。このレースの価値はそこだ。
このレースが君の最初でも、最後でもない。君にとっての糧、踏み越えていくべき現在の一つ。そういう意味では日々のトレーニングと変わらない。
注意散漫にならないよう、普段通りにいこう」
「ああ」
最終確認だな、これは。
理解しているか、と。
彼我の間にある隔絶を。勝利などあり得ないことを。自らの致命的な未熟を。
そして何より、このレースに参加する意義を。
勿論、知っている。
私の影すら焼く灰の光を。確実に訪れる敗北を。己の走りが未だ完全でないことを。
そして何より……お前が次に言うだろうことも。
「だが、楽しむことも忘れないように。
この瞬間は、ただ一度しかない。精一杯、その胸に刻み込んで来て」
ウマ娘の才を愛する、優秀なトレーナー。
それと同時……ウマ娘そのものも愛している、バ鹿なトレーナー。
そんなお前を契約トレーナーとして、ナリタブライアンは走ろう。
* * *
地下バ道を抜けた先、中山レース場のターフは眩かった。
年末の寒々しい空気の中で、艶めいた芝は綺麗に晴れた太陽光を照り返す。
そんな中を、私は一歩一歩踏みしめ、歩いていく。
緊張はない。
トレーナーの語った通り、これは普段のトレーニングの延長に過ぎない。
ナリタブライアンを完全に押し上げるためのタスクの一つ。なんら特別でない日々の一欠片。
弛緩もない。
トレーナーの語った通り、これは生涯でただ一度だけの機会だ。
灰の龍に挑むことのできる、きっと人生数度のチャンスの一つであり、トゥインクルシリーズで叶うただ一度だけのそれ。
故に欠けるところなく、故に満ちたりている。
今現在のナリタブライアンが出せる限界出力、おおよそこれ以上は望めない最良の状態。
足裏から伝わる柔らかな反発を楽しむように、一歩、一歩と脚を進め。
そうしてついに、戦いの土俵へ上がった。
中山レース場の、本バ場へ。
「待ってたよ、ブライアンちゃん」
まるで待ちかねていたかのように、声がかかった
「……ッ」
一瞬、息が詰まる。
その声は……普段かけられていた安穏としたそれとは、全く色合いが異なった。
先輩として後輩を可愛がるようなものではない。先達として後進を支えるようなものでもない。
そこにあるのは、息を止めさせるに足る程の敵意と、嵐の如く吹き付ける闘争本能。
しかし矛盾するようだが、一片たりとも悪意は含まれてはいなかった。
「信じてたよ。……君もそうだけど、世界もね」
私の両目が、ウマ娘の形をした化け物を捉える。
今の彼女は、遥か彼方に見えるだけの星ではない。
熱さなど感じない、ただの光ではない。
しかし、ただのウマ娘であるなどとは到底思えなかった。
私と同じ地平に立ち、その熱を直接ぶつけてくる……生ける恒星。
全てを灰にするまで燃やし尽くす、絶望的な
「この世界は、私を楽しませてくれる。
ネイチャのように、テイオーのように、アンのように、ブルボンのように、ライスのように。
才能ある君が最上の形で伸びて、私を墜としに来てくれるって、そう信じてた」
ただただ溢れ出る、目の前の生物を下し、自らが上位に立つという、純粋無垢な闘
その凄まじき光の奔流にて、全天の星をくすませる一等星。
神なる龍、ホシノウィルム。
それが、今、私の前に立っている。
私を……見下ろして、いる。
「良いレースにしよう。
私を追い詰めて、迫り続けて、突き落として、楽しませてね」
ニコリと、悍ましく笑って。
ホシノウィルムは、次のウマ娘に挨拶するためか、離れていった。
ブルリ、と。自分の体が震えたのがわかった。
恐怖。
まさか自分が感じるとは思っていなかったそれ。
……では、ない。
「く……ハ」
息が漏れる。
戦慄ではなく、動揺でもなく、高揚に揺れる熱い吐息が。
あれほどに。
あれほどまでに、モノが違うのか。
ただ目の前に立たれるだけで、喰われると、そう確信する程の圧力。
それは狼であろうはずもなく、ライオンなど生易しい。蛇では到底足りないだろう。
あれなるは正しく龍、人智及ばぬ天災、宙翔ける神の如きモノ。
何故あんなモノがウマ娘の中から生まれるのかと、思わず失笑すら漏れそうになる。
だが、いい。悪くない。
……いいや、それどころか、最高だ。
競走ウマ娘、ホシノウィルム。
彼女は間違いなく、私が目指すに能う星であり、いつか喰らうべき最強だった。
「ふっ……クク」
この感情を、何と呼べばいいのか。
遥か彼方の輝きに目を焼かれ、心を奪われ、その遠きに愛おしさを覚え、目を離せなくなる。
これは……ああ。
あるいは、恋と。そう呼んですら良いのかもしれない。
「楽しそうだね、ブライアンちゃん」
後ろから、聞き慣れた声がかかる。
振り返れば、そこにいたのはやはり、予想通りのウマ娘だった。
栃栗毛の髪を冬の風に揺らし、細めた桜色の瞳の奥から虎視眈々とこちらを観察する少女。
二度にわたってこの私を下した、サクラローレル。
いつも仄かな微笑を浮かべる、底知れないウマ娘。
どうにも捉え難い、そんな相手だと思っていたが……しかし。
ああ、なんだ。
捉え難いなどと、とんだ勘違いだった。
少なくとも、あの龍に比べれば。
私の尺度では測りきれない、あの怪物に比べれば。
サクラローレルは、私と同じ地平に立っている。
故に、彼女は……ああ、そう、言うならば。
私の敵だ。
また、カチリと、自身の中で意識が切り替わるのがわかった。
「……ふふ。気持ち良いな、その視線。
でも、駄目だね。それじゃ足りない。私はもっともっと、あの人を越える輝きを持たないと。
だから……」
嬉しそうに笑い、けれど悔しそうにも笑って。
私の、越えるべき敵は、言った。
「あなたの光も、陰も。全部、私が塗り潰してあげる」
「……面白い」
知らず、笑みが漏れた。
カチリ、カチリ、カチリと。
音を立てて、必要なピースが埋まっていくのがわかる。
「叩き潰してやる」
競走ウマ娘・ナリタブライアン。
私という存在に必要だったものが満たされ……次なる世界への扉が開く。
* * *
結果から言えば。
私は3着に敗れた。
1着、ホシノウィルム。
2着、ナイスネイチャ。
私はあの怪物共から4バ身も離され、後塵を拝することとなった。
……だが、敗北の上で、確かに意義のあるレースだったとも思う。
あの遠き星を見、そして真の意味で敵を得た。
もはや影がウマ娘を翳らせるなどと恐れる必要もなく。
飢えを満たすための手段と方法、そして相手を得た。
もはや私に、飢えはない。
だからこそ……ああ、楽しんで喰らってやるとも。
この世界を。トゥインクルシリーズを。
そしていつか、ドリームトロフィーの化け物共を!
参加してたブルボンとかライスもぶっちぎっての3着です。やっぱナリタブライアン強すぎるわ。
ちなみにテイオーは、2人に先んじてドリトロに上がってます。
もし残っててネイチャが負けてたら、4年連続3着になるところだった……。
今回も含め、あと3話か4話程度で蛇足編は終了の予定。
もう少しだけお付き合いください。