転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

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 末脚こそが正義





策なんかねぇよ

 

 

 

 堀野の家は、トレーナーの血族としては日本でもトップレベルの名家だ。

 ……同時、確かに名家なんだが、超一流とまでは言えない家でもある。

 

 というのも、まず育成の失敗がかなり多いんだよ。

 関係性が瓦解したり、目標に定めたレースに負けて担当の心が折れたり、体調の管理に失敗して事故を起こして引退してしまったり。

 まぁ人生ってのは何が起こるかわかんないし、どうしても失敗は起こるもの。これに関しては仕方ないかなとも感じるけどね。

 

 大事なのは過去の失敗を悲しむことじゃない。

 そこから教訓を学び、明日に活かすことである。

 こういう失敗があるんだって理解して、原因を排除できれば、少なくともその問題はもう起こらないはずだ。

 堀野の歴史は、そういう意味で非常に有益なものだった。

 何年もかけて蓄えた知識は、きっと無駄にはならないだろう。

 

 ……話が逸れちゃったわ。

 今言った育成の失敗回避率以外にも、堀野家には足りないものがある。

 

 それが……東京優駿、日本ダービーの勝利だ。

 

 

 

『まずは、栄えある東京優駿への出走が確定したことを祝おう。おめでとう』

 

 スマホから聞こえて来たのは、懐かしい響き。

 厳しく、冷たく、けれど家族としての親しみのある声。

 この電話の相手こそが、俺の仮面の元になった人物……。

 堀野家の現当主、俺の父親だった。

 

『これまでの歴史において、堀野にダービートレーナーは生まれていない。

 故に、お前が歴史を変えろ。堀野で初のダービートレーナーとして、歴史に名を刻め』

 

 

 

 日本ダービーの勝利は、非常に難しい。

 ……いや、難しかった、と言うべきか。

 

 今は「日本ダービー」の副題を戴く東京優駿は、その題目通り、中央における最高の優駿を決める戦い。

 平たく言えば、日本における最強決定戦だった。

 故にここを目指すウマ娘は非常に多く、昔は30人ものウマ娘たちが出走したこともあったらしい。

 

 それだけ人数が増えれば、当然、勝てるものも勝てない。

 まず、スタートが横一列で行われる都合上、外枠のウマ娘はとんでもなく大外に追いやられることになる。ぶっちゃけ30人ともなれば、外枠になったら負け確定である。

 その上、今の18人立てのレースだって展開の予想やコントロールが難しいのに、30人立てともなれば、それは難しいという言葉を超えて無理となる。

 故にこそ、「最も運の良いウマ娘が勝つレース」と呼ばれるわけだ。

 実力云々以上に、できるだけ内枠を引き当て、上手くレース展開に乗れる運の良さが重視されるレースだったのだ。

 

 勿論これは、今は昔の話。

 現在の日本ダービーは18人立て、均整の取れた能力と展開への適応力が求められる、実力者が勝つレースである。

 

 けれどそういう時代も確かにあり、一時期のダービーは運ゲーとも言うべき状況で。

 運の悪い我が家は、尽くダービーを取り落としてきたのだ。

 ……いやまぁ、近年のダービーに1回も勝ててないのは、普通にウチがダメダメってことなんですけどね。

 

 

 

 しかし父さんめ、「お前が歴史を変えろ」と来たか。

 うーん……これはひっかけ問題だろうな。

 

「はい、彼女を支えられるように努めます。

 ……しかし、ここまで来れたのは俺の力ではなく、ひとえにホシノウィルムの素質と素養故。

 俺が彼女を勝たせるのではなく、彼女に勝たせてもらうのです」

 

 勘違いしちゃいけない。

 俺がやっているのはあくまで調査と指示と作戦立案や他雑事であり、実際に汗と涙を流しながら走っているのはホシノウィルム。

 俺が勝利に対して貢献している割合なんて、それこそ1割にも満たないのだ。

 

 俺はホシノウィルムと共にダービーを取るんじゃない。

 ホシノウィルムが勝って、俺にダービートレーナーの称号をくれるのである。

 

『……変わらないな。まさしく堀野のトレーナーとしてあるべき姿勢だ』

「ありがとうございます」

 

 あの父さんにそこまで言われるとは思ってなかったから、少し照れる。

 あるべき姿勢……か。少しは彼の後ろ姿に近づけただろうか。

 

『しかし、それはあくまで目指すべき姿。過度な謙遜は嫌味になるぞ。

 G1レースはウマ娘の実力だけで勝てる世界ではない。お前の研鑽なくては彼女も極まらなかっただろう。

 故にお前は、もう少し自分を認めるべきだ』

 

 ……はは、ちょっと苦笑い。

 父さん程のトレーナーでも見誤ることはあるんだな。

 

 そんなことはない。

 俺がいなきゃいけないなんてことはないんだよ。

 本当に、ホシノウィルムの実力は突出しているんだ。

 ……いや、突出して「いた」、が正しいのかな。

 

 

 

 「アプリ転生」。

 この力を持っているからこそ、俺には理解できてしまう。

 彼女は最初から、桁外れに強かった。

 自分1人の力でここまで強くなってきたんだ。

 だからきっと、俺がいなくてもじきに頭角を現して、もっと良いトレーナーが付いたはずだ。

 

 俺が彼女を担当しているのは、本当に偶然。

 あの夜に、彼女と再び出会った。

 その偶然だけが俺たちを繋ぐ細い縁となり、今も残っている。

 ただそれだけの所以なんだ。

 

 ……こんなことは、言うべきでないのかもしれないけど。

 本質的に、ホシノウィルムという最強の怪物に、トレーナーなど必要ない。

 

 いや、むしろ足を引っ張る拘束具でしかないのだ。

 

 彼女は強い。飛びぬけて強かった。

 ろくな作戦など渡さずとも、そう消耗することもなく、2着のウマ娘に大差を取れる程の才気を持っていた。

 遥か空に輝く、決して褪せないはずの一番星だったんだ。

 

 それなのに……俺の実力不足で、その差は埋められつつある。

 大差から、8バ身差へ。

 8バ身差から、1と2分の1バ身差へ。

 他のウマ娘たちが強くなるのは当たり前で、俺たちはそれよりもっと早く成長しなきゃいけないのに。

 

 ……俺の能力じゃ、彼女を完璧に導くには足りない。

 俺が至らないばかりに、ホシノウィルムは今、追い詰められているんだ。

 

 俺がもっとトレーナーとしてしっかりしていれば。

 もっとデータを集め、調査を徹底し、展開を読み、正しい指示を出せれば……。

 彼女は今だって、孤高の頂に立てているはずなのだから。

 

 彼女のメンタルケアと、事故が起きないようにコントロールすること、あとは作戦を立てるくらいしか、俺は彼女に貢献できてない。

 

 …………結局のところ。

 ホシノウィルムというウマ娘の担当は、俺には荷が重すぎたんだ。

 

 

 

 ……なんて、父さんに言っても伝わらないだろうな。

 ホシノウィルムが最初から強かったことを知るのは、俺1人なんだから。

 

 彼女が中央で勝ち始めたのは、俺が担当した直後、選抜レースから。

 周りの目からすれば、俺が担当した瞬間に化けたように見えるのだろう。

 

 無愛想だけど優しい父さんのことだ。仮に言ったとしても、それは俺の思い過ごしだと主張するのだろうし。

 だから、これを言う意味はない。

 誰にも言うつもりはない。

 

「いえ、まだ父さんには及びません。もっとウマ娘たちを支えられるように鋭意努力するつもりです」

『……やはり、教育を間違えたか』

 

 いや、父さんの教育は間違ってない。

 ただ俺が、それを吸収しきれなかったんだ。

 無能な息子で申し訳ない。

 

 

 

 ちらりと視線を向けた机の引き出しの中。

 そこには、いくつかの書類が入っている。

 

 それを使うべきか、否か。

 明日の日本ダービーで、確かめなくては。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 父さんとの電話を終え、改めて机に置いてある大きな紙を眺める。

 いくつも書き込みが加えられた、東京レース場の俯瞰図だ。

 

 改めて、明日の日本ダービーについて考えよう。

 これがホシノウィルムにしてやれる、俺の数少ない仕事なんだから。

 

 今回の注目ウマ娘は、2番人気トウカイテイオー、3番人気リオナタール、4番人気のスイートキャビン、5番人気のチアーリズム。

 ほとんど下バ評通りの実力で、これといったジョーカーはいないはずだ。

 

 ……しかし、今回に関しては、他のウマ娘を考慮する必要はない。

 ただ1人、トウカイテイオーにのみ視線を注げばいい。

 

 それだけ、今のトウカイテイオーは頭抜けている。

 

 領域を習得し、ステータスも上昇して、スキルも強化され、そして何より。

 トウカイテイオーはこの1週間……信じがたいことに、覚醒を維持しているんだから。

 

 

 

 覚醒状態。

 「アプリ転生」でも表記されない、絶好調の更に上の状態の仮称だ。

 

 自分を壊れるギリギリまで磨き上げて、ただ1度のレースに持てる全てをぶつけるという……。

 心身共に極まり、針のように研ぎ澄まされたウマ娘が至る、一瞬の爆発。

 俺の経験や堀野の歴史から見ても、それはレース1回分しかもたない特殊なコンディション。

 ……だった、はずなんだ。

 

 だというのに。

 トウカイテイオーは1週間もの間、この状態を維持している。

 

「……最後の輝きとでも言うつもりかよ」

 

 心の底から腹立たしい。

 まるで運命が「これがトウカイテイオーの最盛期だよ」とでも言うように、彼女に味方している。

 

 その消える直前の炎のような、爛々とした輝きは……。

 トウカイテイオーの、競走ウマ娘としての命そのものを、燃料にしている気がして。

 

 それが、腹立たしくて、虚しい。

 

 ふざけんな。

 テイオーが折れるわけがない。

 脚が折れたって、その心は絶対に折れない。

 あの子は絶対に立ち上がって来る。

 だから……。

 

「……だから、落ち着け」

 

 ああ、もう、すぐに思考が逸れる。

 

 やはり最近、どうにも情緒が安定しない。

 ホシノウィルムが追い詰められている現状に焦っているのか。

 いや、そこにブルボンの逆スカウトを受けたことで、言い訳が通ってしまったからか?

 それとも……。

 

 ……はー、クソ。

 だから余計なことは考えるなって。

 

 テイオーの脚に関して、できることはした。

 彼女のトレーナーにも危険性は伝えたし、担架や救急隊はすぐ傍で待機させるように手配してある。

 最も疑わしい足根関節や第三足根骨をケアするようにも伝えた。

 

 でも、そもそも、それは俺のエゴに過ぎない。

 今彼女のトレーナーたる者が、考えるべきことじゃないんだ。

 

「切り替えろ。今の俺は、ホシノウィルムのトレーナーだろうが」

 

 俺が考えるべきは、テイオーの安否じゃない。

 ホシノウィルムが確実に勝つ方法、だ。

 

 

 

 どう来る。

 明日、トウカイテイオーは、どう来る?

 

 まともに競り合えば……恐らく、勝率は8、9割。

 覚醒状態と領域の組み合わせの恐ろしさは、先日のネイチャでよくわかった。

 基本的にホシノウィルムが有利とはいえ、上手い作戦を立てられれば、その差を埋められる可能性はある。

 

 故に、トウカイテイオーを潰す策が必要だ。

 

 ……だが、最適解を叩きつけてくるナイスネイチャと比べて、トウカイテイオーの策は読みづらい。

 一旦、自陣営の情報と勝ち方を整理するところから始めるべきか。

 

 

 

 前提として、ホシノウィルムは非常に体力のあるステイヤー向きの逃げウマ娘。

 であれば、ダービーの勝ちの常道は1つ。

 

 去年のダービーウマ娘、アイネスフウジンと同じ走り方だ。

 

 序盤で後続を突き放し、中盤でスタミナを温存しながらリードキープ、終盤にも速度を保って逃げ切る。

 言うのは簡単だが、行うのは非常に難易度の高い展開だ。

 

 序盤の上り坂を根性で乗り越え、離れすぎて距離感のわからないリードをキープしながらも足を溜め、最後の長すぎる直線を逃げ切る……。

 スピードもスタミナもパワーも根性も賢さも、全てが揃った優駿でなければ実行できない偉業。

 故にこそ、アイネスフウジンはダービーレコードを塗り替え、あれだけの人から賞賛されたのだ。

 

 ホシノウィルムは、その逃げをできる境地にある。

 故に、王道を選ぶなら、この走り方を踏襲するべきだ。

 

 

 

 ……そう、ホシノウィルムのトレーナーは考えている、と。

 トウカイテイオー陣営は読んでくるだろう。

 

 ベテランであり、皇帝の杖であったテイオーのトレーナーは老獪だ。

 俺程度の浅知恵は読まれるに違いない。

 

 その上で、どう来る?

 どうやってこの王道を崩して来る?

 

 トウカイテイオーは他者へ干渉するようなスキルを持っていない。誰かを使ってホシノウィルムを追い詰めるようなことはできない。

 であれば、テイオー自身がホシノウィルムに威圧をかけに来るか?

 ……いや、彼女の逃げの適性はD。もしホシノウィルムに詰めてくれば、大幅にペースを崩し、スタミナを浪費することになる。

 

 先行であるトウカイテイオーが得意とする四角先頭は、直線の長すぎるこのコースでは難しい。

 であれば仕掛けてくるのは最終直線内? シンプルに末脚に頼って詰めてくるか?

 いや、それはない。先日のネイチャが証明したように、ホシノウィルムは策を弄さず勝てる相手ではないんだから。

 

 根本的に、ホシノウィルムは負けにくいウマ娘だ。

 彼女の走りに付いて行けば、その圧倒的なペースにスタミナを食われ、最後にスパートをかける脚が残らない。

 では彼女を放置して自分のペースで走ればというと、ホシノウィルムとの差が開きすぎるが故に詰め切れなくなる。

 

 ホシノウィルムにとって一番の脅威は、自分のスタミナを温存しながらこちらのスタミナを削って来る、ナイスネイチャのようなレースメーカー。

 逆に言えば、スペックに依存した走りをするトウカイテイオーのようなタイプには有利と言えるが……。

 

「じゃあ、どう走る? どう勝ちを拾いに来る……?」

 

 まともに戦えば勝率は8、9割。絶対の10割ではない。

 つまりそれは、策略にハマれば勝率が下がることを意味する。

 

 俺は読み勝たなければならない。

 皇帝を支え、帝王を育てる化け物のようなトレーナー。

 その策略を読み、更にその上を行かなければいけない。

 

 そうでなくては……。

 ホシノウィルムのトレーナーに、相応しくない。

 

「どうすればトウカイテイオーはホシノウィルムに勝てる……?

 トウカイテイオーから見て、最も大きな脅威は……?

 勝てない最大の理由は……?

 何を改めれば勝てる……?

 どうすればホシノウィルムを引きずり落とせる……?」

 

 ……わからない。

 テイオー陣営が何を考えているのか。どう仕掛けてくるのか。

 

「何を狙っている……トウカイテイオー……?」

 

 

 

 結局。

 ダービーが始まるその時まで、俺には答えがわからなかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『さぁ、今年もこの日がやって来ました、東京優駿、日本ダービー。

 クラシック級のウマ娘たちが覇を競うこのレースは、東京競馬場、左回りの芝2400メートルで行われます』

『全国から集った最強の18人の内、ダービーウマ娘の栄誉を得ることができるのはただ1人。

 最も運の良いウマ娘が勝つレースにおいて、三女神は誰に微笑みかけるのか』

『雨天の東京レース場に、去年に勝るとも劣らない数の観客が、ダービーウマ娘の誕生を一目見ようと押し寄せています。

 バ場状態は重バ場の発表、全ウマ娘が事故なく無事に走り切ることを祈りましょう』

 

 

 

 傘で雨粒が弾けて音を立てる。

 バケツをひっくり返したとまでは言わないが、かなりの雨勢。

 今日のレースは、いつものそれと一風変わったものになるかもしれない。

 

「……重バ場か」

 

 これまでホシノウィルムが公式レースで走ったことがあるのは稍重まで。

 最近のレース場の芝は水はけが良くて、バ場が悪化することが少ないんだ。

 昔は雨が降れば不良バ場まで落ちることもあったけど、最近じゃ大雨でも稍重に収まったりする。

 だから、ここまでコンディションが悪い状態での公式レースは、初めてのことになる。

 

 バ場状態が悪くなると……つまりターフが水でぐちゃぐちゃになると、地面がぬかるんで蹴りにくくなり、芝が滑りやすくなる。

 故に、普段以上の力で地面を蹴り上げるパワーと、それだけパワーを使っても走り続けられるスタミナの両方が、より高い水準で要求されるレースとなるのだ。

 

 勿論、レース全体のペースは落ちる。というかペースを落とさなければ完走できない。

 ただのスピード自慢の子……いやそんな子はダービーには出走できないだろうけど、そういう子がいた場合は、パワー不足でスピードは振るわず、スタミナも切らして垂れていき、一気に順位を落とす可能性があるくらいだ。

 道悪におけるレースは、いつも以上に慎重を期す必要が生まれ、仕掛けどころが難しいものになるのだ。

 

 

 

『さぁ、3番人気のご紹介です。

 母の宿願を果たし日本ダービーに堂々出走、6枠11番リオナタール!』

『デビューから逃げで戦ってきた彼女ですが、青葉賞では大きな出遅れをものともしない脅威の末脚を見せつけました。

 今日は蛇に次いで逃げるのか、それとも後ろから差し切るつもりか。トリッキーな彼女に注目です』

 

 

 

 もう1つ、今回のレースには特徴がある。

 数日続いた雨や直前のレースなど色んな状況が重なって、芝の状態が良くない今の東京レース場において、唯一走りやすいレーン……。

 グリーンベルトの存在だ。

 

 当然の話なんだけど、ウマ娘がターフを蹴れば、地面が抉れる。

 ……いや、当然っていうかヤバい話なんだけど、ウマ娘にはそれだけの力があるんだよ。

 で、何度も何度も同じコースをウマ娘が走っていれば芝が剥げたり掘り返されて、最終的にはただの土になってしまう。

 勿論、しっかりと手入れはされているはずだけど……今日のように間に合わないこともある。

 

 誇りあるダービーで、バ場が荒れまくって実質ダート、なんて状況になれば笑い話にもならない。

 故に、東京レース場ではダービーからしばらく前に、内ラチ……つまりコースを区切る内側の柵を、1メートル程度外にズラすんだ。

 そうして、ズラした部分の芝が万全な状態になったダービー直前で元の位置に戻す。

 

 すると……今は雨で見えにくいけど、インコースの幅1メートル程度の範囲に、他より芝の状態が良いレーンが現れる。

 これを「グリーンベルト」と言うわけだ。

 

 勿論、ダート適性のないウマ娘からすれば、外側の荒れたレーンよりもグリーンベルトの方が圧倒的に走りやすい。

 故に今回は、どれだけバ群を縫ってインコースを突くことができるかで、終盤に残せる脚が決まってくる。

 

 そしてその点において、ホシノウィルムは有利だ。

 何せ彼女はこのレースにおける唯一の大逃げウマ娘。

 他とポジションを争うことなく、悠々とグリーンベルトを走ることができるのだから。

 勿論、これについては事前に伝えてある。

 要領の良い彼女のことだから、しっかりと状態の良いレーンを選んで走ってくれるはずだ。

 

 

 

『2番人気はやっぱりこの子。

 皐月のリベンジに燃える帝王、8枠18番トウカイテイオー!』

『皐月賞で初めての敗北を経験し、一回り成長したように見えますね。その体の柔らかさから繰り出すストライド走法で、最速の蛇を差し切ることができるのか』

 

 

 

 テイオーは……想定通り、覚醒状態だ。

 ギリギリに張り詰めた緊張感と同時に、どこか泰然とした底の知れなさも持っている。

 恐らく今の彼女は、この1週間の覚醒の中でも最も「整った」状態。

 間違いなく、何か仕掛けてくるだろう。

 

 しかし重バ場な上、グリーンベルトが存在する状況で大外の18番か。

 皐月賞の時といい、つくづく三女神は彼女に微笑まないな。

 ……けれど、その悪運すら跳ね除けてくるのがトウカイテイオーというウマ娘。

 決して油断はできない。

 

 

 

『1番人気はこの子を措いて他にいない!

 灰を被った「最速」の蛇、ここまで無敗の皐月賞ウマ娘、5枠9番ホシノウィルム!』

『レースを崩壊させるとまで言われる異次元の大逃げは今回も健在か。彼女の目標無敗三冠まであと2つ、昨年のアイネスフウジンに続くダービー逃げウマ娘は誕生するのでしょうか』

 

 

 

 ホシノウィルムは……うん、今日も変わらない。

 いつも通りの無表情でストレッチを繰り返している……、が。

 

 おおお、とスタンドがどよめく。

 それもそのはず、俺たちの目の前には、1か月前に見た光景が広がっていた。

 

 ……孤立したホシノウィルムに、トウカイテイオーが話しかけに行ったんだ。

 

 あの時はすげなくあしらわれ、地団駄を踏んだトウカイテイオーだが……。

 今日のホシノウィルムは、ストレッチを中断し、彼女に正面から向き合った。

 

 その時、彼女たちの間でどんな会話が行われていたのかは、本人たちにしかわからない。

 けれど、俺たちから見て、1つだけ確かなことは……。

 

 トウカイテイオーが差し出した手を、ホシノウィルムは握り返した。

 

 

 

 今、灰色の蛇は、帝王を敵として認めたのだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『さぁ、ウマ娘18人のゲートインが完了、出走準備が整いました』

 

 

 

 ゲートの中にウマ娘たちが揃う。

 その中でも威圧感を放つのは、やはりホシノウィルムとトウカイテイオー。

 ダービーはこの2人による決戦になる、というのが専らの噂。

 故にレースに勝つためには、この2人を意識せざるを得ない。

 

 そしてそれこそが、ウマ娘たちに多大な緊張を与えている。

 

 これまでに見たことがないほどの存在感を放つ、太陽のようなトウカイテイオー。

 逆にどこまでも静かで、けれど意識を向ければ凍り付いてしまいそうな「冷」のホシノウィルム。

 

 その2人を相手に競り勝たなければならない、という事実は……果たしてどれほどのストレスなのか。

 

 

 

『今スタートを切りました!』

 

 

 

 コンセントレーションは無事発動し、ホシノウィルムが素晴らしいスタートダッシュを見せる。

 そして、少し遅れて……。

 いや、殆ど変わらないタイミングで、トウカイテイオーが続く!

 

 スキル、つまり技術や慣れがない状態の、単純な一発勝負でこのスタートだと……!?

 

 

 

 スキルを習得するというのは、つまるところ意識せずともその技術を使えるようになるってことだ。

 故に、コンセントレーションを習得したなら、入れ込みでもしない限りいつでも抜群のスタートが切れるようになる。

 けど好スタートなんてものは、わざわざスキルとして覚えなくても、きちんと集中すれば不可能じゃない。

 これが示す事実は、スキルを習得しなくても、疑似的にスキルを使うことはできるってことだ。

 

 例えば俺がホシノウィルムに「向こう正面の直線で息を入れろ」と言えば、彼女はそのレースにおいて「直線回復」を使うことができるかもしれない。

 ただし、特に練習もしていない作戦なんて、レースの状況に合わせて上手く使えるかはわからないし、多く抱えても頭から漏れていく。覚えられても精々1つ2つだろう。

 これを作戦として意識せずとも使える段階に持っていくのが「スキルを習得すること」なんだ。

 

 だからトウカイテイオーが好スタートを切っても、俺は驚かない。

 彼女はこのスタートが必要だと判断し、強く意識を持っていた、というだけのことだ。

 

 ……それが、ただの好スタートならば。

 

 スキルには、上位と下位がある。

 好スタートを切る「集中力」の上には、抜群のスタートを切る「コンセントレーション」があるように。

 そして、ウマ娘に作戦を出して再現できるのは下位のスキルまで。

 上位のスキルは、「切れ者○」を持ったホシノウィルムですら再現できない。

 それが、俺の結論だった。

 

 けれど、今、余裕の欠片もない真顔で走るトウカイテイオーは……。

 コンセントレーションを発動させたホシノウィルムと、ほとんど同時に駆け出した。

 

 それこそが、彼女の本当の力だとでも言わんばかりに。

 

 

 

『抜群のスタートを切ったホシノウィルム、トウカイテイオー! そのまま各ウマ娘、内に切れ込んで行きます』

『前に出たのはいつも通りホシノウィルム、少し空けて逃げ宣言アクアリバー、そしてホリデーハイクも行きました!』

 

 

 

「マズい……」

 

 上位のスキルを再現できるのならば、トウカイテイオーが取れる手札は抜群に広がる。 

 周りのウマ娘に威圧感をかけて前に飛ばすことも、ホシノウィルムを直接威圧することも自由自在。

 

 どう来る、トウカイテイオー、皇帝の杖。

 ホシノウィルムという最速を相手に、どう出てくる。

 

 

 

『ウマ娘たちが雨粒を弾き飛ばして第一コーナーに入って行きます』

『トウカイテイオーは1、2、3、4、5番手、インコース5番手で第一コーナーをカーブして行きます。しっかりと展開を見据えているぞ』

 

 

 

 …………?

 

 なんだこれは、どうなってる。

 何故仕掛けない、トウカイテイオー。

 ホシノウィルムまでの距離がまだ空いていない序盤、これ以上の仕掛けどころはないはずだ。

 

 彼女の脚を引っ張らなければペースを作られる。

 そうなれば乗ろうが逆らおうが、トウカイテイオーにとって厳しいレースになるはずだ。

 

 まさか、そこまで読めていない……?

 いや、そんなわけがない。

 相手は天才と皇帝の杖、先の先まで読んでの行動のはずだ。

 

 では何もしない理由は?

 他に作戦があるのか?

 このレースで他にスキルの使いどころがあると?

 ……いや、いいや、ないはずだ。

 ホシノウィルムを叩けるタイミングは、今この瞬間の他にない。

 

 俺の視線の先で、灰色の煌めきが後続を突き放していく。

 コーナーで、しかも重バ場とは思えない程の速度。

 ……6バ身空いた。こうなれば、もうやすやすと仕掛けられない。

 

 何だ……? 考えろ、何が目的だ?

 

 彼女たちは何を狙っている。……トウカイテイオーは、何をしたい?

 

 何を…………したい、か?

 

 

 

 ……いや、待て。

 まさか、そんなバ鹿なことを?

 

 

 

『先頭に立っているのは皐月賞ウマ娘ホシノウィルム、大きく7バ身ほど離れて逃げ宣言アクアリバー、ホリデーハイクが3番手、そして外目を突くのはアゲインストゲイル。2バ身後ろでトウカイテイオーが現在5番手、向こう正面に入って行きます』

 

 

 

 仕掛けない。

 トウカイテイオーは、何も仕掛けない。

 

 ただ、「レースプランナー」を持った彼女は、見誤らない。

 このレースのプランを。

 あるいは、自分の走りを。

 

 何も仕掛けない、のではなく……。

 

 何かを仕掛ける余裕がない、としたら。

 

 本当にやりたいことのために、自分の持つリソースを全て吐き出すつもりだとしたら。

 

 

 

 ……やはり俺は、トレーナーとして未熟なのだろう。

 何故、彼女たちの作戦を見抜けなかったんだ。

 その在り方は、俺の理想に最も近いものだというのに。

 

 

 

 トレーナーにとって、ウマ娘を勝たせることは二の次。

 本当にすべき、目指すべきは……。

 

 ウマ娘の心に、寄り添うこと。

 

 彼女たちが本当に望むことを叶える、そのための機会を与えることだ。

 

 彼女の本当の望みは……。

 トウカイテイオーが本当にしたいのは、「ただ勝つこと」じゃない!

 

 

 

 

 

 

「正々堂々超えるつもりか、トウカイテイオー!

 全力のホシノウィルムを、自分の実力だけで差し切るつもりか!!」

 

 

 

 ホシノウィルムを、自分の走り方で超えて……。

 奪われた「最速」を、言い訳のしようもなく完璧に勝つことで取り返す。

 

 それこそが、帝王の挑戦。

 本当に超えるべきモノを見据えた、1人のウマ娘の戦いだった。

 

 

 







 天才はいる。悔しいが。
 ……では、天才は星を掴めるのか。



 次回は3、4日後。ホシノウィルム視点で、日本ダービー後編と……。



(お知らせ)
 なんと、再びChama様より支援絵をいただいてしまいました……! 本当に毎回ありがとうございます!
 あらすじにて、堀野トレーナーの支援絵を掲載させていただいております。
 是非ご覧になってください! そして見た目のカッコ良さと中身のクソボケさのギャップにクラクラしていただければ、と!

(追記)
 誤字報告をいただき、わざとでない部分は訂正させていただきました! ありがとうございました!
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