転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

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 クラシックレース、蛇と帝王の決着。
 色々ありますが、今は彼女たちのレースを見ていただければ。





帝王は、灰蛇を超えたか。

 

 

 

 レース前に、彼女の表情を見た時、理解した。

 

 私がクラシックレースで負けるとすればここだ、って。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 降りしきる大雨の中、重たい芝を蹴り上げて、ひたすら前へと走る。

 ああ、雨粒が邪魔くさい。パタパタと体に当たるたび、どうしてもそちらに気を取られてしまう。

 ただでさえ風の抵抗もあるのに、今日は天気まで敵と来た。

 

 ……いや、本当の敵は、別にいるけれど。

 

 

 

 奇跡を起こすウマ娘、トウカイテイオー。

 このレースには、彼女が参加しているんだから。

 

 

 

「どう来るかな……」

 

 喋ると口に雨粒が入る。気道に入らないよう注意して飲み込んだ。

 私たちのクラシックレース、日本ダービーの日は、生憎の大雨。

 それも昨日から降り続いていたことで、バ場も重バ場に分類される酷い状態だ。

 その上、グリーンベルトこそあるけど、外側の芝もかなり状態が悪いし。

 「最も運の良いウマ娘が勝つ」レースにおいて、こんなに不運が重なるなんてね。

 

 特に、テイオーは8枠18番、大外からの出走になる。

 皐月賞に続いて2連続の8枠18番なんて、確率的には18の二乗で324分の1だ。運が悪いって次元じゃない。

 そういう意味では、彼女は「最も運の悪いウマ娘」。

 ダービーのジンクスが正しいならば、勝利は遠いかもしれない。

 

 

 

 ……でも、テイオーは間違いなく上がって来る。

 トレーナーも言っていたし、私もそう思う。

 ついさっき、私に手を差し出してきた彼女には、強い既視感があった。

 山のように泰然としていて、何を言っても揺らぐ気がしない存在感。

 見れば明らかにわかる、整った体の仕上がり具合。

 そして何より。

 

「今日はよろしく、ホシノウィルム。

 ダービーはボクがもらうからね」

 

 そう言って来た彼女の表情は、いつか見た奇跡の直前のそれに近かった。

 

 ……テイオーちゃんは、トウカイテイオーになったんだ。

 

 私にとっては、その事実こそが最も嬉しく、そして恐ろしい。

 それは、彼女が不可能を可能に変える主人公になったことを意味するんだから。

 

 憧れのウマ娘であり、最大のライバル。

 そんな彼女に手を差し出されて、私は……。

 

「ええ、よろしくお願いします。

 あなたと走れて嬉しいです、トウカイテイオー。

 ですが、勝つのはホシノウィルムだ。あなたには今日も、私の横で踊ってもらいます」

 

 跳ねる心を抑えながら、その手を握り返した。

 

 

 

 そして、それから10分くらい経っただろうか。

 今はまさに、日本ダービーの真っ最中だ。

 

 

 

『さぁ先頭のホシノウィルム快調に向こう正面を駆けていく。

 2番手アクアリバーまで実に10バ身余り、いつも通りの大逃げでインコースを切り裂いていきます!』

『重バ場とは思えない走りですね。ですが、もはや彼女の走りを疑うことは誰にもできません』

 

 

 

 トレーナーは、テイオーが何か仕掛けてくるはずだって言ってたけど、今のところその予兆はない。

 最初に引き離した後、他のウマ娘が私の聴覚の範囲に入って来ることはなかった。

 

 ……とはいえ、実のところ今の私は、いつもより耳が利かない。

 雨粒が地面とか芝、ラチを叩く音がうるさすぎる。それのせいで……多分、7バ身くらいの範囲までしか聞き取れない。

 7バ身より離れると、雨粒のノイズに紛れてしまって、足音なのか判別できないんだ。

 

 だからテイオーが8バ身後方で何かを狙っている可能性は否定できない。

 ……けれど、7バ身はおおよそ18メートル。私だって走っているんだから、その距離を一瞬で詰め、何か仕掛けてくることはできないはず。

 今は、とにかくペースを守ること、そして後ろから来る足音を聞き逃さないことだ。

 

 

 

 トレーナーから聞いた今日のレースの勝利条件は、皐月賞と同じ、テイオーよりも早くゴールすることだった。

 

「正直なところ、今回は必勝法というものがない。

 基本の走り方と、いくつかのパターンを教える。それらの内、条件に応じて、アドリブで適切なものを選ぶんだ。

 君の戦術眼はこの1か月でだいぶ鍛えられている。だから自分の判断を信じて走ってきなさい」

 

 それがトレーナーに言われた、今回の方針。

 そして、その日のバ場やテイオーの状態を見て、私が選んだのは……トレーナーの言った基本の走りだった。

 

 第二コーナーを抜けるまでに8バ身差を取り、そこからはミドルペースに落として後続の様子を伺う。

 特に突っ込んでくるウマ娘に警戒し、終盤まではたとえ抜かれたとしても無視して、自分のペースを保つ。

 第四コーナーから徐々にペースを上げ、最終直線でハイのローペースに持ち込み、登り坂を乗り越える。

 最後の坂を越えた先は直線、残りおおよそ300メートル。スタミナに余裕があるならここから更に加速を開始し、ハイのハイペース、つまり全力でゴールへ。

 

 今回は雨のせいで、聞き取れる範囲が狭くてリードをコントロールできないけど……。

 つまるところ、自分なりにスタミナをやりくりして、逃げて差す。

 後続を気にしない、いつものホシノウィルムらしい走りだと言えるだろう。

 

 ……問題があるとすれば。

 いつもの走りでは、テイオーに差し切られるかもしれないことか。

 

 トレーナーも、先程の言葉の後に言っていた。

 

「今回のトウカイテイオーの実力は未知数。何をしてくるか、どこまで伸びてくるかわからない。

 確かなことは1つ、警戒が必要だということだ。

 もしも後半、先程伝えたパターンでも対応しきれない事態になった場合、君が考えた最良の方法を選ぶんだ」

 

 確かに、今日のテイオーは明らかに強そうな気配を出していたし、領域も習得してるらしい。

 その上、あのトウカイテイオーだ。

 どれだけスペックが劣ってるとか、どれだけブランクがあるとか、そんなの関係ない。

 全部無視してぶっちぎって来るのが、奇跡の主人公、トウカイテイオーなのだから。

 

 

 

 だから……正直に言おう。

 私は今、少し焦っている。

 

 この1か月で、テイオーちゃんは私の知るトウカイテイオーになった。

 今の彼女には、どんなことだって不可能じゃない。

 その抜群の末脚で奇跡を起こすウマ娘だもの。

 

 今日も必ず、私を追い詰めてくる。

 決して楽な戦いにはならないはずだ。

 

 それでも……このレースには、負けたくない。

 

 

 

『さあ先頭ホシノウィルムが第三コーナーを走っている、2番手アクアリバーは10バ身以上離されて今直線を抜けた!

 現在トウカイテイオーは4番手、リオナタールは7番手の位置でそれぞれインコーナーから展開を見ているぞ』

『先頭そのまま、大ケヤキを越えて第四コーナーへ。ここから展開が動きますよ。

 おっとここでトウカイテイオー、バ群を抜け出して徐々にペースを上げていく。残りは800あるぞ、果たしてスタミナはもつのか?』

 

 

 

 来るか……?

 いつものトウカイテイオーなら、第三コーナーあたりから段々位置を上げ始める。

 それで第四コーナーに入った時には先頭を取るか好位置に付いて、最後の直線で完全に差し切って来るはずだ。

 

 ……いや、どうかな。

 第四コーナーに入っても、まだ足音は聞こえない。後方7バ身には入ってない。

 トレーナーの予想通り、四角先頭、つまり第四コーナーで先頭に立つ意図はないと見ていいだろう。

 あくまでバ群から抜け出し、私との距離を射程圏内に収めに来ただけ。

 まだまだ脚は残してあるってことだ。

 

 とすれば、やはり最終直線から来るか。

 どちらにしろコーナーで全速力は出せないし、ゆっくりと第四コーナーで差を詰めて、最後の直線で差しに来る気だ。

 全長500メートル弱、坂を越えてからも300メートル続く直線。逃げウマ娘にとっての本当の戦場。

 当然ながら、そこがこのレースの肝になる。

 

 重心をズラさないよう内ラチ沿いに走りながら、考える。

 テイオーは、どれほどの速さで来るだろう。

 7バ身の防壁は、果たしてどこまでもつだろう?

 

 彼女の末脚は、果たしてどこまでキレるか。

 私のスパートを、どれだけ上回るだろうか。

 それを考える上で、最も意識すべきは……。

 

 領域。

 

 私が持っていない、テイオーとネイチャの特権。

 自分の世界の中で限界を超えた走りを見せる、脅威のゾーン状態。

 テイオーの領域が開くか、開いたとすればどこまで速くなるか。

 これが今回のレースの分水嶺だ。

 

 ネイチャの時は、私が緩いスパートしかできなかったというのもあり、ネイチャの領域で一気に詰められてしまった。

 対して今回、私は今のところ多めにスタミナを残している。

 切れた末脚と呼んで差し支えないくらいにはスパートをかけられるはずだ。

 

 

 

『さぁ、いよいよ第四コーナーを抜けて最終直線! 東京レース場の直線は長いぞ、ホシノウィルムは逃げ切れるのか!?』

『追い上げるトウカイテイオーは現在2番手、先頭から8バ身あたりか。後続のウマ娘たちも必死に追い上げる!』

 

 

 

 コーナーを抜けて、遥か遠く見上げた先に、このレースのゴールが見えた。

 最後の坂まで50メートル駆け抜け、ここから坂を登って、いよいよ……!

 

 

 

 ……来た。

 

 

 

 後方7バ身、綺麗で軽快なこれは、間違いなくトウカイテイオーの足音。

 ここから、彼女の領域も考慮して……坂を登りきるまで6バ身以上キープすれば勝てる、はず!

 濡れて滑りやすい坂に足を踏み入れて、とにかく自分のペースを保つ。

 まだ脚は十分動く、このまま行けば……!

 

 

 

 ゾクリ、と。

 悪寒が走る。

 

 ……残り、6バ身を切った。

 

 

 

 速い。速すぎる。

 まだ坂を3分の1も登り切ってもいないのに。

 

 マズい、こっちもペースを上げなきゃ……差し切られる!

 

 咄嗟にハイのミドルまでギアを上げる。

 これなら……いや、これでも迫られてる!

 

 でも……それでも、このペースで行くしかない。

 これ以上ペースを上げたら、最後の最後で力尽きて垂れてしまう。

 

 だからこのまま……このペースで、何としても最後まで逃げ切るんだ!

 

 

 

『トウカイテイオー後続を引き離して一気に迫る! 残り400時点で後方6バ身! このペースを維持できるのか!?』

『ジリジリとホシノウィルムを追い上げていますよ! このペースで迫り続ければ蛇の牙城も崩れ去るかもしれません!』

 

 

 

 負ける。

 このままじゃ、負ける。

 

「はっ、はっ……く、寒い……!」

 

 悪寒が。

 これまでにない寒さが、心を凍らせて来る。

 

 落ち着け。掛かるな。大丈夫。

 私は……私が負けたって、トレーナーさんは待ってくれてるんだから。

 だから、私は大丈夫。

 この寒さも、乗りこなせる。

 だから落ち着いて、とにかく今はペースを守って……!

 

 

 

『さぁ先頭ホシノウィルムが坂を登り切り、いよいよ残り300メートル!』

『トウカイテイオー、驚異の末脚です! このまま詰め寄ることができるか?』

 

 

 

 やっと、坂を登りきる。

 テイオーの足音は……あと、5バ身!

 

 トウカイテイオーが7バ身まで迫ってきたのは、坂を登り始めた時。残り450メートル程度だ。

 そして今、坂が終わって残り300メートル。

 つまりは150メートルで2バ身詰められてる計算になる。

 

 ここからもテイオーが同じペースで来るなら、ギリギリ1バ身差で逃げ切れる、けど……!

 

 

 

 トウカイテイオーの足音が、更に速く迫る。

 ……まだ、加速するの!?

 

 

 

 トレーナーから聞いた言葉を思い出す。

 

『トウカイテイオーに詰め寄られるな。少なくとも、2バ身以上を保て。

 恐らく彼女の領域は、すぐ目の前に追い越せる誰かがいなければ発動できない』

 

 残り、4バ身……このままじゃ、残り200メートルくらいでその危険域に迫られる。

 

 どうする、このままじゃ……逃げ切れない。

 もっとスピードを上げたいけど……クソ、脚が重い!

 グリーンベルトを走ってきたとはいえ、風と雨、それに重バ場にスタミナを削られ過ぎた。

 その上さっきの坂でペースを上げたせいで、最低限の余裕すら残ってない。

 

 むしろテイオーは、なんでここまで走れるんだ。

 どこかでを脚を溜めた?

 あるいはそれだけ仕上げて来たってこと?

 皐月賞時点では、私より遥かにスタミナが低かったはずのに……!

 

「っ……!」

 

 ……駄目だ、やっぱりこれ以上の速度は出せない。

 

 マズい、どうする、どうすればいい!

 

 

 

 

『トウカイテイオー迫る迫る! ホシノウィルム逃げ切れるか!? 残り200で2バ身を切ったぞ!』

『ここまでの展開は皐月賞終盤に似ています。けれど今回は、既にハイペースもハイペース!

 ここから更に加速し、追いすがる帝王から逃げ切れるのか!?』

 

 

 

「くっ……うう」

 

 そうして、ついに。

 

 差が、1バ身を切って。

 

 

 

 吹き抜ける風と共に、世界が、塗り替わる。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 豪雨にすら負けず、今、目の前に青空が広がる。

 その中を、1人のウマ娘が跳び回っていた。

 

「勝つのは……ボクッ!」

 

 誰よりも自由に、誰よりも軽やかに、空の彼方まで跳び上がり……。

 彼方にある、星に、手を伸ばす。

 

「トウカイテイオーだっ!!」

 

 その背を、一陣の風が押し上げた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 雨の中でも、その瞬間、彼女が地面を踏みしめた音が聞こえた。

 

「勝負、だぁぁぁぁぁああああああ!!」

 

 それは。

 

「っ、くっ!」

 

 私が気圧されるほどの、とんでもない存在感と共に。

 

 一瞬で、私との差を埋め尽くして……。

 

 

 

 

 

 

『トウカイテイオー、トウカイテイオーだ!!

 トウカイテイオーが今、ホシノウィルムと……並ばない!! かわしたかわした、トウカイテイオーが先頭!!』

『とんでもない末脚だトウカイテイオー!! これが皇帝を追う帝王の本当の底力なのか!!』

 

 

 

 

 

 

 私は、抜かされた。

 

 

 

 ……負けた。

 

 

 

 どうしようもない。

 この速度のトウカイテイオーには追い付けない。

 遥か彼方に走り去るあの背中に、追いすがることだってできはしない。

 

 

 

 すごく、寒い。

 負ける。

 負けることが、決まったのが、冷たくて。

 

 寒くて。

 寒いけど……。

 寒いのに、それ以上に。 

 

 

 

 この気持ちは、何?

 

 

 

 何か、熱いものが、心にある。

 

 いつも、ネイチャから感じていたような何かが。

 まさに、テイオーから感じているような何かが。

 

 今、私の中に、ある。

 

 

 

「……私、」

 

 この感情は何なんだろう。

 

 冷たいのに、熱い。

 

 私は、どうしてしまったんだろう。

 

 

 

 いや、そんなの……どうでもいい。

 

 大事なことは、1つだ。

 

 

 

「負け、たくっ……ない!」

 

 

 

 思考は凍り付き固まって。

 けれど熱い想いが、脚を前に押し出す。

 

 勝つ。

 このレースに。

 トウカイテイオーに。

 

 

 

 ……たとえ、何を使ってでも!

 

 

 

 一発勝負だ。

 練習もできてない。頭の中に構想があるだけ。

 もし失敗でもすれば、どんなことになるかわかったものじゃない。

 

 それでも、これを使わなきゃ、このまま彼女に負けるだけだから。

 

 勝つには、やるしかないんだ。

 

 

 

 ずっと、考えていた。

 人の体の形は走るのに向いていない。

 複雑化し、万能性を持たせたが故に、走行という行為に特化していない。

 風の抵抗を受ける面積が広いから、どうしたって空気抵抗で勢いが弱まる。遅くなってしまう。

 

 では、どうすればいい?

 

 もっと効率良く走るには。

 

 極限まで抵抗を受けないようにするには。

 

 ……皮肉なことに。

 それを教えてくれたのは、今目の前を走っているテイオーだ。

 

 トウカイテイオーの走法は、極めて柔軟な関節によって成り立っている。

 つまり、どれだけその走法を研究したところで、天性の才能を持たなくては再現できない。

 

 ……逆に言えば、脚の柔軟さがあれば、無茶な走法が可能になるわけで。

 

 それなら、私にできないわけがないんだ。

 私は、特典に強い体を授かった、転生チートウマ娘なんだから!

 

 

 

 何度も何度も何度も何度も、彼女の足首と膝を見た。

 そのめちゃくちゃな走り方をどう改造するか。どう自分の体に合わせるか。

 自分の理想の走りと、現実の走りの差異を埋めるには、どうすればいいか。

 

 ずっとずっと、1か月の間考え続けて……。

 それでようやく、自分の中にその形を組み上げた。

 

 上半身を前に倒す。歩幅を更に広く。

 倒れようとする体を、無理やり地面を蹴飛ばすことで維持して。

 

 

 

 さあ。

 せっかく世間から付けてもらったあだ名だ。

 ここからは、蛇らしく行こうか。

 

「すぅぅうううう……」

 

 

 

 ……捨て身の、前傾スパート、開始。

 

 

 

『なっ、ホシノウィルム体勢を崩し……!?

 い、いや違う! 走っています、事故ではありません! むしろ加速している!!

 これは……この極端なまでの前傾姿勢は!?』

『芦毛の怪物オグリキャップを思わせる走り方です!!

 まさか、異次元だけでなく怪物をも受け継ぐというのかこのウマ娘は!!』

 

 

 

 ああ、やっぱり、ずっと良い。

 風も、雨も、その抵抗が小さくなった。

 これなら疲れないし、もっと楽に速く走れる。

 

 それでも、領域の中にいるテイオーよりは遅いけれど……。

 

 

 

 でもさ、テイオー。

 

 300メートルの間、本当にその速度が続くの?

 

 

 

 残り、130メートルくらいか。

 テイオーとの距離が3バ身に開いた、その時。

 

 風が止む。その脚が、衰えを見せる。

 ……やっぱり。やっぱりそうだ。

 テイオー、無理に前に出たな。

 

 最終直線に入ったら、残った脚を豪快に使って、先頭に躍り出る。

 限界が来たら脚を緩め、そこで稼いだリードで逃げ切る。

 私の戦術、逃げて差すの逆。

 300メートル区間の中で、差して逃げる作戦だったんだ。

 

 

 

 でも、テイオー。

 

 ……ホシノウィルムを、甘く見るな。

 

 今の私なら、あなたの速度に……詰め寄れる!!

 

 

 

「勝負、です! トウカイ……テイオー!!」

 

 

 

『後続との距離は既に大差に開き、再び蛇と帝王によるマッチレース!!

 一度は完全に突き放したかと思いきや、今度は蛇が帝王に迫る展開だ!!』

『逃げるウマ娘と差すウマ娘が逆転しました!

 残り100メートル、果たして空を飛ぶように駆ける帝王が逃げ切るのか、地を這うように迫る蛇が差し切るのか!?』

 

 

 

「……く、はっ」

 

 まず、息が……上手く吸えない。

 

 視界が、白く、歪んでいく。

 気付けば脚の感覚がない。

 思考も……乱れる。自分のフォームを保つことと、テイオーとの距離を見るので精いっぱい。

 

 この走法、予想以上に……負荷が大きい。

 多分、というか間違いなく、この走り方は体に悪いんだろう。

 

 私の命が……脚の寿命が、削られていく。

 

 

 

 それでも。

 テイオーとの距離は、縮まってる。

 

 

 

 そうしてようやく、今。

 互いの言葉が届く距離へ。

 

「やっぱり、来たッ! ウィルムッ!」

 

 テイオーがこちらに振り向く。

 その瞳から、目の前に広がる空と同じ色の、光とも炎とも取れない何かが溢れた気がした。

 気迫は十分、負けるものかという威圧感が私に叩きつけられる。

 

 ……けれど、もう彼女にも余裕なんてあるはずもない。

 その表情は、苦悶と真剣さ……そして、喜びに満ちている。

 

 

 

 何も言わなくても、わかる。

 

 私と彼女は同じだ。

 煮えたぎるような熱に浮かされている。

 

 何を使っても、この命を燃やしてでも。

 ただ、今、このレースに勝ちたい。

 目の前にいる、最高のライバルを超えたくて仕方ない。

 

 ただそれだけ。

 私たちの間にあるのは、ただそれだけなんだ。

 

 

 

「テイオー!」

 

 息が苦しいのに、言葉が口を突いて出た。

 そんなの、ただのスタミナの浪費だってわかってるのに。

 それなのに、自制の仮面なんて貫通して、臓腑から込み上げる熱が口から吐き出された。

 

 

 

「私がッ! 勝つッ!!」

 

 

 

 もっと、もっと速く。

 越えろ、あの背中を。

 トウカイテイオーを。

 ……私が憧れた、ウマ娘を!

 

 走れ、走れ、走れ走れ走れ!

 

 脚を動かして、無理を押し通して、無茶苦茶なフォームを維持して。

 視界が歪んでも、感覚がなくなっても……全てを懸けて!!

 

 

 

 走れッ!!

 

 

 

 縮まる。

 

 差が、縮まる。

 

 テイオーまで、あと、1バ身。

 

 ゴールまで、あと、何メートルある?

 

 あと……30?

 

 

 

 ……間に合わない。

 

 

 

 青空を駆ける天才は、もう誰にも止められない。

 

 このまま、ゴールへ……。

 

 

 

 

 

 

 行かせて、たまるかッ!

 

 

 

「っく、がぁぁぁぁああああああああ!!」

 

 

 

『残り距離は僅か! 蛇と帝王の差も僅か! どっちだどっちだどっちが勝つんだ!?』

『蛇の顎が帝王の首に迫る! だが僅かに届かないか! このまま帝王が差して逃げ切るのか!?』

 

 

 

 諦めない、絶対に諦めない!

 

 トウカイテイオーは諦めなかった!

 不可能と言われようとも、誰からも期待されずとも、それでも絶対に諦めなかった!!

 

 だから、私だって、最後まで諦めない!

 

 

 

 既に限界を迎えた体を、体中から溢れる熱が前に押し出す。

 

 勝たなきゃいけない理由がある。

 私をここまで連れてきてくれた人に、お礼がしたいから。

 

 負けたくないという願いがある。

 あの時浴びた歓声と期待に、私なりに応えたいから。

 

 でも、それらと同じくらいに……身勝手な欲望があった。

 氷みたいに冷たい体とは真逆の、触れれば焼かれる炎のような熱い想い。

 

 私は……。

 

 

 

 ……いや、私だって!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私だって、勝ちたいんだッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……君の勝ちだよ、ウィルム」

 

 

 

 青空が、雨に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 

『大接戦でゴォォオオル!!

 ゴール直前でほんの僅か差し切ったホシノウィルム、ハナ差で日本ダービーを制しました!!

 逃げて差し、差して逃げ、最後の最後に差し返した! 見た者の心を揺さぶる、とんでもないレースでした!!』

『異次元だけでなく怪物まで受け継ぎ、彼女が出走叶わなかったダービーに勝利! 

 古き伝説を受け継いで紡がれる、これが新たな時代! これが新たな優駿だ!!

 ホシノウィルムは無敗のまま二冠を手にし、新たな伝説は秋の京都へ受け継がれていく!!』

 

 

 

 

 

 

 ……やった。

 勝てた。

 

 これで、トレーナー、も……。

 

 ダー、ビー……トレー……ナ…………。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ……その後の顛末。

 

 ダービーで1着を取った私は、レース直後に意識を失って倒れこみ、そのまま病院に搬送。

 ハナ差で2着になったテイオーは、すぐに現れた救急隊による緊急の診察が行われ、骨折の疑いがあったので同じく病院に搬送。

 誇りある日本ダービーは、何とも言えない不安と微妙な空気感の中、終わった。

 

 ウイニングライブは私もテイオーも不在だったので、すごく大変だったらしい。

 特に、大差を付けられて3着になったリオナタールには、すごく迷惑をかけちゃった。本当に申し訳ない。

 

 

 

 で、私はただ酸素が足りなくて失神しただけなので、すぐに退院……。

 というわけにもいかず。

 あの無茶な走りで軽い肉離れを起こしてしまい、1週間の間、病院のベッドに拘束されることになってしまった。

 ……折れたり腫れたりしなくてよかったよ、本当に。

 

 お医者さん曰く、3日くらい安静にした後リハビリしていけば、1週間程度で普通に走れるようになるらしい。

 本来は入院する必要もないようなものなんだけど、「放っておいたら自主トレしちゃうから」ということで、トレーナーが無理やり入院って形にしたみたいだ。

 信頼ないなぁ。トレーナーが本気で言えば、ちゃんと自主トレやめるのに。……覚えてる限りは。

 

 

 

 私が入院してる間、トレーナーはどうやらとても忙しかったらしく、東奔西走してたみたいだ。

 近況報告したり、しばらく私を励ましてくれたり、リハビリのメニューを作ったりするくらいで、毎回雑談する暇もなく逃げるように病室から出ていってしまう。

 ちょっと寂しいんだけど……でも、仕方ないね。

 

 トレーナーはジュニア級の子たちの間ではスパルタトレーナーで通ってるらしい。多分世間から見てもそうだ。

 だから、そんなトレーナーの担当ウマ娘が……それも無敗で二冠を取ったウマ娘がレース後に失神なんてすれば、そりゃあ騒がれてしまうわけだ。

 

 本当に、トレーナーには申し訳ないことをしてしまった。

 ダービートレーナーの称号をあげたかったとはいえ……あんなクマを作らせるつもりじゃなかったんだけどな。

 「大丈夫、全て適切に処理しておくから、君は安心してリハビリしていなさい」なんて言われても……。

 そんな表情されちゃ、心配もしちゃうよ。

 

 

 

 ……結局、今回の日本ダービーは。

 テイオーも同時に骨折を起こしたせいで、世間から見て「あまりにも熾烈な命を削るレースの結果、2人のチャンピオンが共倒れになった」みたいな印象に落ち着いたらしい。

 

「テイオー……早く治るといいね」

 

 テイオーは、やっぱりというか、骨折してしまった。

 今は私と同じ病院に入院している。

 ……でも、聞いた話、菊花賞には間に合わないけど、年末あたりには完全復帰する予定らしい。

 

 正直うろ覚えだけど、確か前世アニメじゃ……うん、レースへの復帰は次の年の春からだったと思う。

 それに比べれば……勿論回避できなかったのは残念だけど、それでもだいぶマシな結果にはなった。

 

 トレーナーが手配してくれた救護班が速やかに対応してくれた結果か。

 ……あるいはあの時、彼女が自分から領域を閉じて、速度を緩めた結果か。

 

 

 

 後から聞いた話なんだけど、テイオーはダービーを走るにあたって、彼女のトレーナーと1つの約束をしたらしい。

 自由に、本気で走って良い。けれどその代わり、脚に違和感を覚えたら、絶対に歩幅を狭めてスピードを落とすこと。

 そしてそれを、テイオーは守った。

 今回のレースの勝利を求めるだけじゃなく、次回以降のレースでも勝つために。

 

 ……堀野トレーナーの忠言は、どうやらきちんと意味を成したらしい。

 本当に……うん、肩の荷が下りた気分だ。

 

「今回は脚がもたなくてギリギリ負けちゃったけど、ボクのトゥインクルシリーズはまだまだこれからだもん!

 ちゃんと治して、今以上に鍛え上げて、またウィルムに挑むからね!

 ウィルムもネイチャも、カイチョーも! いつかちぎっちゃうもんねー!」

 

 リハビリがてらに訪ねて行った先で、テイオーは笑顔でそう言った。

 ……無理に作った笑顔って感じじゃない。

 これから先を見据えた、充足感のある表情だったと思う。

 

 前世アニメでは結構へこんでいたテイオーだけど、この世界だとまだまだこれからって意気込んでいる。

 もしかして、私との走りが、何か彼女に影響を与えたのだろうか。……流石に思い上がりすぎかな?

 

 とにかく、テイオーは……その辛い運命にちゃんと向き合って、打ち勝つことができたらしい。

 うん。一安心、だね。

 

 

 

 彼女はもう、ネイチャと並ぶ、私の大好きなライバルであり友達だ。

 だから……。

 

「ええ、また走りましょう。……でも、次も負けませんよ、テイオー」

 

 きっとまた、今度は違う距離や違うレース場で、彼女と競い合いたい。

 その未来を想って、私は少しだけ口の端を吊り上げた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 それから1週間が過ぎて、普通に退院はできたんだけど……。

 

 実のところ、本当の問題は、そこから先だったんだ。

 

 

 

「…………」

「あの、トレーナー」

「…………」

「その、すみませんでした……」 

 

 トレーナー室で、私は黙り込むトレーナーに平謝りした。

 

 いや、本当に迷惑をかけてしまった。

 ダービーでの苦戦でひやひやさせてしまったし、そこで伝えてすらいない走法で勝手に走り、失神して心配させた上に世間からの風評はえらいことになってしまって、その上1週間入院してトレーニングもできなかった。

 宝塚記念までは、あと1週間しかない。

 トレーナー曰く、今回以上の厳しいレースになるって言ってたし、もっと鍛え上げたいってのが本音だっただろうに。

 

 他に何と言って謝ればいいか考えていると、トレーナーがゆっくりと口を開く。

 

「謝らなければならないのは俺だ。

 トウカイテイオーの実力を見誤り、適切な作戦を考えられなかった。

 結果として君の脚を酷く消耗させてしまい、こんな結果を招いたんだから」

「そんなことはありません。私が勝手にやったことです」

「そんなこと、あるんだよ。

 すまなかった、ホシノウィルム。やはり俺は……いや」

 

 トレーナーは一度首を振り、いつもの無表情で……。

 

 いや、違う?

 

 何、その顔……? 見たことない、冷たい……。

 

「話がある、ホシノウィルム。君の今後に関する、非常に大切な話だ」

「もしかして、宝塚記念の出走回避ですか? いえ、ですが、今の私なら負けても……」

「いや、もっと重要な話だ」

 

 仮面の下で困惑している私に対して……。

 彼は、見たことのない冷たい無表情で、告げた。

 

 

 

 

 

 

「ホシノウィルム。

 他のトレーナーから指導を受ける気はないか」

 

 

 







 緊迫した場面ですが、この章はここでおしまいです。
 次回はいつもと違い、おまけも挟まず、そのまま新章突入。
 ……そして次の章が、最後の章になる予定です。

 2人の転生者のお話はいよいよクライマックス。
 果たしてその関係は、どこに行き着くのか?
 是非最後まで、2人のお話にお付き合いください。



 この時点での相互評価

トレ→ウマ:自分はホシノウィルムに相応しくないのかもしれない。
ウマ→トレ:……私は、トレーナーに……相応しくない、ってこと?



 次回は3、4日後。トレーナー視点で、ガチギレの話。



(追記)
 誤字報告をいただき、わざとでない部分は訂正させていただきました。ありがとうございました!
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