転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

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 とある日の朝、栗東寮の一室での会話。
「先輩、トレーナーを誘うオススメのデ……出かけ先ってありますか」
「……うーん、水族館、ですね」





(小並感)

 

 

 

 ホシノウィルムに怒りをぶつけられた、次の日の午後のこと。

 

「よし、あと、2本……!」

「はーっ、はーっ……もう、ウィル……スタミナヤバすぎ……!」

 

 2人のウマ娘が坂路を駆けていく。

 

 1人は今日も無表情を貫く、俺の担当ウマ娘、ホシノウィルム。

 そしてもう1人は、疲労に顔を歪めて彼女の背を追う、ナイスネイチャ。

 

 2人は並んで……いや、ネイチャはバテてるので遅れてるけど、ほとんど併走と呼んでいいくらいに並んで駆けていく。

 いつかの日には、ホシノウィルムが全力で駆けだしてしまった展開だが……。

 そこには既に、暴走の気配はない。

 彼女は真の意味で、己の弱点を克服したのだ。

 

 日本ダービーで完全に「冷」の呪縛に打ち克ったホシノウィルムは、ついにそれを使いこなすようになった。

 こうしてネイチャと併走しても、ペースを合わせたり相手を気にしながら走ることができる。

 勿論「冷」の方がなくなったわけではなく、集中すればそっちに入ることができるようだ。

 他ウマ娘と競えば強制的に「冷」になっていたホシノウィルムだが、ついに「冷」モードの切り替えスイッチを手に入れた、というところか。

 

 これまでは逆方向に走らせたり距離を置かせて走らせて対処していたが、ついについに、ようやっと併走トレーニングが解放されたわけである。

 やはり知り合いと一緒に走れば負けん気も出るしステータスも上がりやすいみたいだ。

 併走トレーニングの解放は誠に、いやホントガチでありがたい。

 

 

 

「ネイチャ、そんな調子では、菊花賞を走り切れませんよ」

「くっ、病み上がりの、くせに……こん、のっ!」

 

 そんなわけで今日は、実に3週間ぶりになる、ネイチャとの合同トレーニングの日だった。

 ダービー前は委任計画を進めるために余裕がなかったためにお断りして、ダービー後はホシノウィルムが入院してしまっていたからな。

 

 ……思えば、ナイスネイチャにも悪いことをしてしまったな。

 結果として彼女の躍進を妨げてしまった。

 本当に俺は……。

 ああいや、これは禁止されてたんだったか。

 

 昨日の事件で、俺はホシノウィルムに自己嫌悪や自虐を禁止された。

 「そういうトレーナーを見るだけでこちらの調子が落ちますから」とのことだ。

 ……まぁ別に調子というかやる気は落ちていなかったけども、彼女のメンタルに被害が出るのなら、やめた方がいいだろうな。

 

 何より、自己嫌悪は本質的に必要のない、謂わば癖のようなものだったからな。

 大事なのは後悔ではなく反省。犯したミスを次回に活かすことだ。

 故に、やめてほしいと言われれば、頑張るのみである。

 

 

 

「……ふぅ」

 

 そろそろ10分か。

 ペンを動かしていた手元のバインダーから、ちらりと視線を上げる。

 

 ホシノウィルムは、まだ体力が削り切れてない。短期疲労すら軽い状態だ。

 ナイスネイチャは……あと20分程で短期疲労がピークになるか。失敗率が発生し始めるまでには、まだだいぶある。

 今日の合同トレーニングはあと15分程だし、休憩を入れる必要はないだろう。

 

 とはいえ、宝塚記念までは残り1週間もない。

 比較的負荷が軽くなる坂路トレーニングとはいえ、きちんと監視しなければ。

 もしも事故が起こって故障でもしたら笑い事にもならない。

 

 ……いや、こうしてトレーニングを続けている時点で、ある意味彼女を事故へと追い込んでいるようなものではあるが。

 

「果たして、これで正しかったのかね……」

 

 コツコツと、書類の束にペンの背を打ち付ける。

 

 俺は今、彼女を止めるべきなんじゃないか。

 生き急ぐ少女を、その首根っこを引っ掴んでも止めるべきなんじゃないかって。

 

 それを、ずっと迷い続けている。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 実のところ、現在のホシノウィルムは、高負荷のトレーニングを付けるべき状況ではない。

 

 3月3日、弥生賞。

 4月14日、皐月賞。

 5月26日、日本ダービー。

 

 ここまで彼女は、約1か月半に1度、レースに出走してきた。

 これ自体はそこまでハイペースというわけではない。

 ウマ娘の脚は、公式レースに出走した後は1か月休ませるべきだと言われている。

 確実だと言えるものではないが、今のところ十分に休養を挟んでいると言っていいだろう。

 現に毎回のレース後の検診から見て、ここまで彼女の脚に強すぎる負担は見られなかった。

 

 ……が。

 ここから先は話が変わって来る。

 今年の宝塚記念は、例年よりも前倒しの開催になったからだ。

 

 5月26日、日本ダービー。

 6月9日、宝塚記念。

 

 この間に空いた時間は、僅か13日。彼女の脚を十全に休ませる余裕がない。

 その上どちらも白熱するG1レースであり、どうしたって脚の消耗は避けられない。

 

 だけど、それだけなら大きな問題はなかった。

 ウマ娘の体は頑丈だ。多少無茶をしても、簡単に負傷したりはしない。

 ……無論、やりすぎれば選手生命を削ることにはなるが。

 

 その上、兄にも確認を取ったが、やはりホシノウィルムの体は通常と比べて頑健だ。

 今までの彼女の状態とこれまでの歴史を元に考えて、中1週の出走とはいえ、彼女の脚が故障を起こす可能性は限りなく低かった。

 

 けれど今回はもう1つ、悪条件が重なっている。

 前回、ホシノウィルムが日本ダービー終盤で見せた、彼女の言葉で言うところの「前傾スパート」。

 極端なほどの前傾姿勢になり、歩幅も伸びるストライド走法だ。

 

 多少ウマ娘に関する医学を齧っていれば、見ただけでわかるだろう。

 あの走り方は、間違いなく脚に悪い。

 本来人の形をしたウマ娘が取るべき走り方じゃないんだ。

 自分の寿命で一時的な速さを買うようなもの。結果として、脚には極端に負担が溜まる。

 ダービーが終わってからすぐ、兄から電話が飛んできた程だ。

 彼女がその脚をどれだけ酷使しているのかは、想像に難くない。

 

 いくらその後の1週間、病院で半ば休養状態であったとはいえ……。

 あそこでテイオーに勝つために彼女が行った無茶は、確実に脚に悪影響を残している。

 

 その状態で、中1週という短いスパンで公式レースに出るとなると……考えたくもないことだが、故障の可能性を無視しきれない。

 今の彼女が宝塚記念に出走するというのは、故障の危険性を受け入れるってことでもあるんだ。

 

 

 

 トレーニングと違い、公式レースでは俺が途中で止めたり声をかけることができない。

 その上今回出走するのは2大グランプリの1つ、宝塚記念。

 どうしたって白熱するし、ホシノウィルムもダービーの時のような無茶をしてしまう可能性がある。

 その危険性は、数値では測れない。

 「アプリ転生」を以てしても管理できない、最も危険な部分だと言えるだろう。

 

 故に、俺は彼女に出走回避を勧めようと思っていた。

 

 ただでさえ短いスパンの出走予定だった上、軽いとはいえ負傷が発生したのだ。

 回避する理由としては十分すぎる。むしろファンの方々も安心してくださるだろう。

 

 元より彼女を宝塚記念に出走させるのは、俺のわがままみたいなもの。

 出走回避は敗北ではない。故に彼女の最初の目標であった無敗三冠を妨げることもないし。

 無理に厳しい条件のレースに出走させることなんて、誰も望まないだろう。

 

 と、思っていたんだけど。

 

『勝負しましょう、堀野歩トレーナー。

 私はあなたのトレーニングプランで、宝塚記念に勝ちます。

 それで勝てたら私を、ずっとずっと、あなただけのウマ娘にしてください!』

 

 ……当の本人が出走を望んだ場合、どうすればいいんだろうな。

 

 勿論、トレーナーとして俺がすべきことは、彼女の心に寄り添うことだ。

 心に寄り添うとは、つまるところ願いを叶えること。

 担当ウマ娘が「白熊は黒い」と言えば、全世界の白熊に黒のペンキをぶちまけて回るのがトレーナーの役割なのだ。

 

 ……いや、つい昨日、彼女の心を読み損なってあんなに怒らせてしまった俺が言えることでもないんだが。

 

 

 

 あの時に見たホシノウィルムの怯え切った表情は、今でも思い出せる。

 俺はトレーナーとして、彼女にあんな顔をさせるべきではなかった。

 

 ……今思うと、あれは明確に判断ミスだった。

 まさかホシノウィルムが、あそこまで俺に親愛の情を持ってくれているとは思わなかったんだ。

 そりゃあ信頼している友人からいきなり「今度から俺以外の奴とツルんでくれる?」とか言われれば不安にも思うし、カチンと来るというものだ。

 

 それに、あまりにも切り出し方が悪い。

 前日までの無理が祟って頭が回らず、彼女に不安を感じさせるような切り出し方になってしまった。

 無意味に彼女の心を揺さぶるなんて、トレーナーにあるまじきことだ。

 

 更に言えば、もう少し情報を共有しながら話を進めるべきだった。

 最初から「委任を考えているんだがどう思う?」と訊いていれば、彼女は恐らく強く拒んで、それで話は終わりだった。

 あそこまで彼女を傷つけることはなかったのだ。

 

 総じて、ある意味俺らしいと言えば俺らしい、ミスの多い行動だったと言えるだろう。

 彼女に対しても、俺自身のことも……俺は間違えてばかりだ。

 自分の要領の悪さが恨めしい。

 

 ……いや、今更後悔しても意味はない。何より彼女に禁じられている。

 切り替えろ、俺にできるのはしっかりと反省して次回に活かすことだ。

 当面の対策は、今まで以上に彼女からの要望や展望を聞き、コミュニケーションを密に取ること。

 そして俺自身が疲労をため込まず、トレーナーとして正しい判断を徹底すること。

 

 ……なんだが。

 

 では、今……。

 彼女の心に寄り添うことが、果たして正しいのだろうか?

 

 

 

 宝塚記念への出走を望んだホシノウィルムに、俺は彼女の脚にかかっているであろう負担について説明し、せめてトレーニングの負荷を落とすことを提案した。

 今の走りを維持する、流す程度の負荷に止めれば、彼女の脚へのダメージは最低限で済む。

 それならば、彼女の望みである「熱いレースを楽しむこと」もできるだろう、と思ったのだが……。

 

『駄目です。負荷は限界ギリギリでお願いします。

 一応言っておくと、私はそれを、心から望みます。

 宝塚記念は……先輩方は、そんな甘い鍛錬で勝てる相手ではないと思いますから』

 

 すげなく断られてしまった。

 

 確かに、宝塚記念は厳しいレースだ。

 未だかつて、どのような天才でさえも、このレースをクラシック級の内に制したことはない。

 シニア級と争うにはあまりにも早期であり、かつ格式が高いために強者が参戦しやすい、というのがその理由だろう。

 今年もメジロマックイーンとメジロライアン、そしてセイウンスカイは間違いなく出走するはずだ。

 

 ターフの名優、メジロマックイーン。

 「絶対的な強さが故に、レースをつまらなくする」とまで謳われる、現役最強ステイヤーだ。

 今年の天皇賞(春)では惜しくも2着に敗れたが、へこむこともなく鍛錬に励んでいるらしい。

 

 麗しき実力者、メジロライアン。

 マックイーン程目立った戦績は見られないものの、重賞で掲示板を外したことがない陰の実力者。

 どうやらライアン陣営は今年の2大グランプリに狙いを絞っているようで、この前の視察ではとんでもないやる気が窺えた。

 間違いなくトップ争いに参加してくる、恐ろしい末脚を持つウマ娘だ。

 

 トリックスター、セイウンスカイ。

 ……語る必要も見出せない、再起した黄金世代の一角。

 天皇賞(春)では勝利確実と言われていたマックイーンから綺麗に逃げ切り快勝を決めた。

 恐らくは彼女こそが、ホシノウィルムにとっての最も高い壁になるだろう。

 

 どのウマ娘も、シニア級でもトップクラスの実力を持っている。セイウンスカイに至っては既に本格化を終えたシニア3年目だし。

 おおよそクラシック級のウマ娘には勝てない、次元の違う戦いになるだろう。

 

 この上ない天才であるホシノウィルムとはいえど、苦戦は避けられない。

 勝利は……はっきり言って、厳しいものであると予想できた。

 

 あるいは、彼女の無敗三冠という指針は、ここで砕けてしまうかもしれない。

 ……まぁ彼女自身は、別に気にしないだろうが。

 

 世間的には、ホシノウィルムは無敗の三冠を目指すものだと思われている。そのようにインタビューで答えて来たしな。

 だが実際のところ、どうやら彼女はそこに重きを置いていないらしい。

 それを聞いたのは……確か、今年の頭あたりだったか。

 最初に聞いた時は、他にこれといった目標もないからそう言っただけ。今現在は、レースに熱を感じることができればそれでいい、と言っていた。

 故にこそ、勝機の薄い宝塚記念にも出走する予定だったわけだが……。

 

 そういう意味で、宝塚記念で敗北するのは、良い。

 いや、良くはないが。

 決して良いわけではないが、彼女のこれからの未来に大きな悪影響はない。

 

 極論、俺も彼女も、無敗に拘る理由がないんだ。

 どちらも世間の声なんて気にしていないからな。無謀に挑んでやっぱり失敗したとか言われても、正直どうでもいい。

 とにかく、彼女が楽しめる熱いレースさえ用意できれば、それでいいんだ。

 申し訳ないが、勝ってほしいというファンの願望に応えるのは二の次だ。

 

 むしろ宝塚記念で走る経験……それだけの強敵、それだけの困難との戦いは、1つの成長の機会となるだろう。

 「冷」を乗り越えた彼女ならば、仮にレースで負けたとしても、俺がアフターケアさえ怠らなければ事実を受け止められるはずだし。

 

 そういう意味で、宝塚記念に敗北することは、本質的には問題がないんだ。

 

 

 

 ……だが。

 故障を起こすことだけは、いただけない。

 それは間違いなく、彼女の今後に暗い影を落としてしまうだろうから。

 

 故に俺は、今の彼女に負荷の高いトレーニングを付けるべきではないと思う。

 負荷が高ければ高い程、休養を放棄すれば放棄する程、彼女の脚が一線を越えてしまう確率は増える。

 トレーナーとして、それは避けさせるべき未来だ。

 

 でも、同時に……それを他でもない、彼女自身が望んでいる。

 

 トウカイテイオーもそうだった。

 ウマ娘とは、必ずしも将来を見据えた天秤に基づいて動く生き物ではない。

 時には無理をしてでも、目の前の高い壁を超えたいと望むこともある。

 

 彼女は今、そういう熱中状態にある。

 たとえ故障するリスクを冒してでも、宝塚記念に勝ちたいって望んでるんだ。

 

 

 

 では、俺はトレーナーとして……。

 それを応援すべきか。

 あるいは止めるべきか。

 

 

 

 …………それが、わからない。

 

 堀野のトレーナーとしては、彼女がそれで一切の後悔なく走れ、最終的に納得できるというのならば、応援すべきだと思う。

 そもそも故障というものは、負担が溜まった状態でレースに出れば必ずしも起こるものではない。

 発生する可能性がゼロではなくなる、というだけだ。

 彼女がこのトレーニングを終え、宝塚記念に出走して、無事故で帰って来る可能性は……ある。決して低くない。

 

 故に、俺は……彼女を応援すべきなんだろう。

 堀野のトレーナーとして、彼女の決断を後押しすべきなんだろうと思う。

 

 

 

 なのに。

 何故ウジウジと考え続ける。何を迷っている?

 

 ……いや、そんなの簡単だ。最初からはっきりわかってる。

 

 俺が嫌なんだ。

 彼女が故障して、走れなくなるなんて、嫌だ。

 

 こんなのはただの我がままだ。自分勝手な欲望に過ぎない。

 だから封殺して、これも忘れるべきなんだ。

 いつも通り、押し殺すべきなのに。

 

「……俺は、いつの間に」

 

 堀野家のトレーナーであること。

 誇れるような自分であること。

 

 それはずっと、それこそこの世界に生まれて以来自分に強いてきた縛りだ。

 決してブレない、ブレてはいけない、俺の理想の生き方だ。

 

 それが今、俺自身の欲望なんてものに、危うく負けそうになっている。

 

 俺はいつの間に……こんなに絆されてしまったのか。

 

 

 

 瞼を閉じて、もう1度考えてみる。

 この先1週間の、2つの未来を。

 

 1つは、俺が彼女に強く言って、なんとか宝塚記念を出走回避させる、あるいは今からでもトレーニングの負荷を下げるという未来。

 これなら……恐らく、ホシノウィルムは故障しない。

 だが、彼女との勝負を放棄したことになってしまうし……何より、堀野のトレーナーとして担当の望みを放棄させるのは、許される行為ではない。

 

 もう1つは、堀野家のトレーナーとして彼女の願望に寄り添い、このままトレーニングと宝塚記念への出走を許す未来。

 もしその道を選べば……もしかしたら、彼女の脚は故障を起こすかもしれない。

 下手をすれば、もう二度と満足に走れなくなるかもしれない。

 「かもしれない」ばかり。全て可能性の話ではある。

 けれど、確かに可能性のある話でもあった。

 

 それは、嫌だ。

 彼女はまだ幸せになってない。

 もっと多くの人から評価されて、もっと多くのファンから愛されて……救われなきゃ駄目だ。

 

 

 

 ……でも、全てのリスクを聞かされて、彼女は「それでもやりたい」と言ったんだ。

 「私なら大丈夫です、信じてください」と。

 

 その言葉を信じたいという気持ちも、確かにあった。

 実際、ホシノウィルムは桁外れの天才だ、俺の予測など簡単に超えて、何の故障もなく1着で帰って来る未来だってあり得る。

 けれど……それは、妄信というものではないか?

 

 俺は二の轍は踏まない。必ず失敗から学ぶようにしている。

 要領の悪い俺が同じ場所に留まっていては、周りの成長に付いて行けないからだ。

 1度彼女からの感情の大きさを間違えて問題を起こした以上、もう彼女に対して何かを決めつけることはしたくない。

 故にこそ、俺は迷い続けているのだ。

 

 確かに俺は、ホシノウィルムを天才だと感じている。

 人智の及ばぬ、最強のウマ娘なのだと思っている。

 

 ……けれど。

 昨日怒りの表情を見せ、感情のままに喋る彼女は、どう見たって等身大の女の子だった。

 ただの中等部の、どこにでもいる女の子に過ぎなかった。

 

 確かに、天才かもしれない。

 神から与えられたギフトを持っている、選ばれたウマ娘なのかもしれない。

 でも、それでも、今ここに生きる彼女は、ただ1人のウマ娘。

 生まれて10年と少しの、女の子でしかない。

 

 そんな子の言葉を額面通り信じるのが、大人のすべきことか?

 彼女を担当する者として、止めるべきじゃないのか?

 ……それともこれは、俺の欲望がもっともらしく理由付けしているだけなんだろうか?

 

「答えが出ないな。……いや、答えがないのか」

 

 「信じる」という行為の難しさを痛感する。

 額面通りに見ればさも善性の行いに思えるが、それだって行き過ぎれば妄信となって牙を向く。

 だが、だからって信じなければ信頼関係は築けない。

 そして信じていたはずのものが、昨日のように実物とズレてしまい、問題を起こすこともある。

 

 ホシノウィルムという女の子を育てる責任者として、俺は……。

 彼女を信じるべきか。

 彼女を守るべきか。

 

 ……なんか、字面を見ると、まるで子育てみたいだな。

 いや父親代わりだから、実際子育てみたいなものだけどさ。

 

 

 

 ……まぁ、実のところ。

 こうして悩んでおきながら、既に一応の答えは出しているのだが。

 

 宝塚記念まではあと1週間を切っている。

 未だにトレーニングを付けている時点で、心は決まっているようなものだ。

 

 直前まで脚に問題が出ないようならば……。

 宝塚記念には、出走させる。

 

 そのために彼女にしてやれるのは、俺なりに最良と思えるトレーニングを組むことと……。

 彼女を信じること、くらいか。

 

「……信じて、もらっているものな」

 

 俺と勝ちたいのだと。

 自分はあなただけの担当ウマ娘なのだと。

 彼女は、そう言ってくれた。

 

 まさか、ホシノウィルムにあそこまで信じてもらえているとは、思わなかった。

 俺と彼女の間に信頼関係があったとしても、それは教師と生徒のようなものだと思っていたんだ。

 時が来ればお互いに「今までありがとうございました」と言って別れる程度のものだと。

 

 堀野のトレーナーとして、最適の距離感はそのくらいだと教わったし。

 ……天才である彼女に、凡人である俺が、そこまで評価されているとも思えなかったから。

 

 だが今、事実として。

 俺は彼女に信じてもらっているのだ。

 

 たとえ分不相応のものでも、信頼には信頼で返さねばならない。

 彼女が無条件に俺を信じてくれるのなら、俺も……たとえそこに根拠がないとしても、彼女を信じるべきだろう。

 

 自分の担当ウマ娘を信じる。

 ホシノウィルムが、このトレーニングをこなした上で、宝塚記念に勝利すると、心から信じる。

 俺が今、一番心がけるべきことは、それだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「トレーナー」

「ん、終わったか、ホシノウィルム」

 

 気付けば、バインダーの向こうにホシノウィルムが立っていた。

 彼女は腰に手を当てて……少しだけ怒気を込めた瞳で見つめてくる。

 耳は絞られてないから本気ではないだろうが、ちょっとばかり不機嫌かな、これは。

 

「何か考え込んでいたようですね。

 また自己嫌悪ですか? それ、禁止って言いましたよね」

「いや、今回は違う。君に信頼されているのが嬉しいな、と考えていた」

「…………そうですか」

 

 なんでそこで顔を背けるの? 俺また何か信頼関係にヒビ入れるようなことやっちゃいました?

 

 ……あ、いや、これは前から時々あったヤツか。

 うーん、結局この動作は何なんだろうな。

 兄に相談しても、微妙に口ごもって明瞭な答えは得られなかったし。謎だ。

 

 まだまだ彼女にはわからないことが多い。

 せっかく契約を結んでいるんだ、いつかは彼女を知悉することができればいいが……。

 

 まぁ、その内そういうタイミングも来るだろう。

 今はとにかく、トレーニングを無事に終えた彼女を労うとしよう。

 

「お疲れ様、ホシノウィルム。ほら、水と塩飴だ。ちゃんと食事は取っているか?」

「……あ、ありがとう、ございます。えっと、食事に関しては……むしろいつも以上に取っているつもりですが」

「なるほど。しかし体重は僅かにも増えているように見えないとなると……ウマ娘の中でも基礎代謝の高い体質か?」

「……そういえば私、冬でも手が温かい方でした」

「そうか。……ふむ、だとすると出先でも食事量を増やした方が良いか」

 

 たわいのない話をしながら、手早くバインダーに挟んだ書類を整理する。

 最近ホシノウィルムの人気がすごくなったおかげで、処理しなきゃいけない書類が増えたからな。

 こうしてトレーニングを見ている中でも処理しないといけなくなってしまったわけだ。

 ……いや、量が増えたってこと以外にも、今はもう1つ理由があるんだけど。

 

「ナイスネイチャはどうした?」

「見ていませんでしたか? 彼女のトレーナーが迎えに来て、へとへとになった彼女を抱えて帰って行きました。

 『根を詰めすぎないようにね』と伝言を預かっています」

「……気を遣われてしまったか」

「そうかもしれません。トレーナー、難しい顔で黙り込んでいましたし」

 

 そのくらい、気にせず声をかけてくれていいんだけどな。

 アイツとも長い付き合いだし、もっと気安くてもいいと思うんけど……親しき中にも礼儀ありってヤツかな。

 

「それで、トレーナー。時間は取れそうですか?」

「ああ、仕事は問題なく片付けた。明日の10時から、3時間程度は空けておいた」

「……良かった」

 

 その端正な顔が、安堵と喜びで、にへらと歪む。

 ……うん、君にそんな顔をしてもらえれば、昨日からひたすら仕事を片付けたかいもあったというものだ。

 

 担当のために時間を割くのに躊躇はない。

 ずっと昔から、それこそが堀野のトレーナーとして正しい行為だって教えられてきたし。

 

 ……というかむしろ、嬉しい。

 彼女からの親愛は、どうにも信じられるものではなかったけど……こうして形にされれば、確かな物証として認められる。

 

 彼女は……一体何を認めてくれたのかはわかんないけど、一緒に時間を過ごしたがるくらいには俺に親愛を感じてくれているんだ。

 ならばそれに応えたくなるのがトレーナー、そして人間というものだろう。

 睡眠時間を2時間削ったくらいで彼女が幸せになるなら、安いものだし。

 

「それでは、10時に。寮で待っていますね」

「了解。迎えに行く」

 

 明日の日曜日は、午後3時までトレーニング禁止。

 ホシノウィルムはその空白に、俺との予定を捻じ込んだ。

 昨日俺がやらかしちゃった件は、今回のお出かけ……疑似的ご褒美権でチャラ。

 

 赦しの代価として彼女が要求したのは、一緒に水族館に行くことだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 水族館なんて行くの、いつぶりだろうな。

 今世じゃ行ってない。トレーナー業務には関係ないからね。

 前世で最後に行ったのは……中学校の時か? 確か家族で行ったような気がする。

 

 ……あ。

 前世の家族の顔、思い出せない。

 普通に円満な家庭だったし、大好きな家族だったんだけどな。

 俺、記憶力もないからなぁ。輪廻転生してから20年強、記憶はすっかり劣化し尽くしたらしい。

 すまん、前世の父さんと母さん。大好きだったよ。

 

 ……まぁそれは、今は置いておこう。

 俺は前世の名前も捨て、堀野歩となった。あまり長々と引きずってもいられないのだ。

 とにかく、水族館に行ったのは実に30年以上ぶり。

 どんな感じの場所だったか、もう覚えてすらいなかった。

 

 

 

 で、実際に行ってみると。

 

「見てください、トレーナー。可愛いクラゲですよ」

「おう……」

 

 なんというか、据わりが悪い。

 家族連れと恋人が多い中、成人男性とウマ娘……それも身長差が40センチくらいある俺たちは、ものの見事に浮いていた。

 

 伊達眼鏡で変装しているホシノウィルムは気にしていないようだが、結構視線が痛い。

 もしかしたら彼女が二冠ウマ娘であることがバレてるのかもしれないな。これからこういう時は、もう少しきちんと変装させるべきだろうか。

 ……いや、気にしていても仕方ない。

 ちゃんと内装を見ていこう。

 

 ムーディな薄暗いライトに照らされた、どこか幻想的な美しい空間。

 広めに取られた空間に、いくつか円筒状の水槽が設置されており、中でクラゲ……半球に細かい糸をたくさん付けたようなクラゲがぷかぷかと浮いている。

 色付きのライトで照らされて……なんというか、こう、クラゲって感じだ。

 

 ……これ、可愛いのか? クラゲだなぁって感想しか出てこないんだが。

 

「トレーナーはどんな水生生物が好きですか? 私はエイが好きです」

「……いや、これといって好きなものはないかな」

「じゃあ、今日見た中で一番好きだったものを教えてくださいね」

「了解した」

 

 うっすらとほほ笑む彼女に、思わず安請け合いしてしまった。

 

 了解はしたけど、そもそも好きな水生生物って何?

 クラゲは……クラゲだ。好きとか嫌いとかなくない?

 

 ……うーん。昔から、好きな食べ物とか好きな色とか聞かれると困っちゃうタイプなんだよな。

 特に今世では、トレーナーとしての勉強しかしてきてないから……人生経験が、ね……。

 

 何かを見て心を動かす感性は、人生経験によって培われるものだと思う。

 そして俺は、この20年、トレーナーとしてしか生きてきてない。

 結果として、トレーナー業に関係しないものには、その……よくわからないというか、興味が薄いというか。

 ぶっちゃけ好きとか嫌いって感想は出てこないんだ。

 

 とはいえ何か好きな魚を作らないと、ホシノウィルムのリクエストに応えられない。

 なんとか……館内を見回る内に、魚を好きにならなければ……!

 

 

 

 1時間後。

 

「……おお、サメ」

 

 心なしか目をキラキラさせて水槽を見ている彼女の後ろで、俺は脂汗をかいていた。

 

 わからん。

 好きな魚ってなんだ。

 ……魚を好きになるってなんなんだ。

 魚は魚だ。俺にとって食料か、生き物でしかない。

 好きな色って言われても絞り込めないのと同じで、どの魚が好きとかってないぞ。

 

 こ……このままじゃ、彼女のリクエストに応えられない。

 せっかく少しずつ取り戻している信頼関係が、再び崩れてしまう!

 

 急募、魚を好きになる方法。

 誰か助けて!

 

「また難しい顔になってますよ、トレーナー。何を考えているんですか?」

 

 水槽を覗き込んでいたホシノウィルムが、少し不安そうに駆け寄って来る。

 いや、そんなに気にされるほどのことじゃないんだけどね。

 

 なんかホシノウィルム、あの件以来、だいぶ俺を気にかけるようになったというか……過保護な感じになったな。兄さんを思い出すよ。

 本当、色々と心配をかけてしまって申し訳ない限りだ。

 信頼関係を取り戻し、彼女に何の心配もなく頼ってもらえるよう、改めて気合を入れなければ。

 

 ……そういう大事な時にこんなこと言うの、やだなぁ。

 でも基本的には隠し事はナシって約束しちゃったからなぁ。

 流石に信頼関係を瓦解させかねない前世関連は言えないけど……これは言ってもいいだろう。

 俺が恥をかくくらいのことで、彼女が安心できるのなら、それに越したことはない。

 

「いや……『好き』とは何かを考えていた」

「はぁ、す、好き……ですか」

「どうすれば好きになれるかを考えていたんだ」

「そ……そうですか。えぇと、好きっていうのは……その、どうにかしてなるものじゃなくて、自然となるものじゃないでしょうか。

 強いて言えば、い、一緒にいて心地良いと思えば、好き……なんじゃないですか?」

「!」

 

 なるほど、確かに。

 好きになるんじゃなく、自然と好きになっている。

 一緒にいて心地良いと思ったら、それが好き。

 それはこれ以上ない真理として、俺の心に沁み込んだ。

 

 まるで兄と話している時みたいだ。

 天才ウマ娘はすごいな。人の心にまで精通しているのか。

 

「なるほど、至極道理だ。

 よし、任せろ。俺も好きな魚を見つけるぞ」

「……ええ、そうでしょうね。そういうことでしょう。わかっていましたとも」

 

 

 

 ……結局、俺が一番心地良く感じたのは、名前もわからないブサイクな魚だった。

 びっくりするくらい可愛くないし、ゆったりと動く様は呆れるくらいに怠け者だったけど……。

 

 うん。なんというか、馴染むね。

 

 

 

 ん?

 一緒にいて心地良い、イコール、好き。

 確かに俺、前世でも今世でも、家族と一緒にいるのは心地よかった。

 つまり俺は、家族が好きだ。

 ここまでは良い。

 

 けどそれだと俺、ホシノウィルムのことも好きってことになる。

 

 困ったな……。

 堀野のトレーナーとして、親愛や信頼はともかく、教え子に好感や悪感情を持つのは良くないんだけどなぁ。

 

 ……いや、もう諦めるか。

 今更、ホシノウィルムとビジネスライクなだけの付き合いなんて、できないよな。

 

 

 







 トレーナー業務と名家関係以外はぜんぶよわよわのトレーナー君でした。まさしく小学生並みの感性。

 あ、水族館いちゃらぶデートは尺の都合上ほとんど書けませんでした。
 何があったかは読者様のご想像にお任せしますね。



 次回は3、4日後。ホシノウィルム視点で、幽霊もどきと嫌な予感の話。



(ご報告)
 僥倖! あまりにも僥倖!
 なんと、また支援絵をいただいてしまいました……!
 小説のあらすじに新しく掲載しておりますので、是非ともご覧ください!
 前回にいただいたものとは毛色の違う、これまた最高のイラストです。
 本当に、ありがとうございました!!

(追記)
 誤字報告をいただき、訂正させていただきました! ありがとうございました!
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