転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

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 さいごのレースが始まる。





定命

 

 

 

 また、その光景を見た。

 

 どういう視点なのかもよくわからない。

 空から見ているような、あるいは誰かの視点になっているような、そんな不思議なビジョン。

 それを通して俺は、1つのレースを見ていた。

 

 そのレースの名は、宝塚記念。

 多くの人の夢と期待を背負い、「その子」は今日もまた走っていた。

 

 軽快な足取りで、誰よりも速く先頭を駆け抜ける。

 いくつもの常識を覆してきたその子は、今日もまた1つの常識に挑んでいた。

 

 ……けれど、今日のところは相手が悪かったのかもしれない。

 ライバルたちが彼女を追い抜く。

 ほんの一瞬で、彼我の差が大きく開く。

 

 それでも、「その子」は諦めない。

 今日も誰かの願いに応えようと、脚を伸ばして……。

 

 コーナーが終わって、最終直線に入ったその時。

 がくりと、その体が沈んだ。

 

 「その子」は必死に体勢を保とうとするけど……あぁ、駄目だ。

 時速60キロメートルの慣性が、無防備になった「その子」を前へと弾き飛ばした。

 

 

 

 そうして、「その子」は、そのまま……。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「っ!」

 

 気付くと。

 俺の視界の先にあるのは、見慣れた天井だった。

 

 ……トレーナー寮の、自室。

 

 俺は……今、ベッドの上にいる。

 嫌な汗をかく体にはタオルケットが乗っており、枕元にはスマホが置いてあった。

 ゆっくりと上体を起こして、念のために周りを見渡すけど……。

 やっぱりそこは、昨日と同じ、俺の部屋だ。

 

 ……良かった、夢か。

 

 今日は宝塚記念当日だっていうのに、嫌な夢を見るものだ。

 よりにもよって……。

 …………?

 よりにもよって、何だっけ。

 

 何の夢を見たんだったか。

 悪夢だったことは覚えてるんだけど、その内容が思い出せない。

 

 確か、俺の身近な誰かが不幸になるような、最悪な夢だったんだが……。

 

「……まぁいい、夢は夢だ」

 

 スマホで確認すると……まだ4時か。予定より30分早い目覚めになった。

 ベッドから足を下ろし、サイドテーブルに置いてあったタオルを掴んで洗面所に向かう。

 

 しかし、こんな大事な日に悪夢を見るとはな。

 昔からナーバスになりやすい方だったが、今回も例に漏れず緊張しているらしい。

 ……いや、今回だからこそ、か?

 

 今日開催されるレースの名は、宝塚記念。

 トゥインクルシリーズのG1レース。

 有記念と並べて「二大グランプリ」と呼ばれる、ファンの投票によって出走ウマ娘が決定される上半期の最強決定戦だ。

 

 俺の担当ウマ娘、ホシノウィルムにとって、これは様々な意味で最も難しいレースになるだろう。

 いや、だからって俺が緊張しても、どうなるという話でもないんだけどな。

 むしろトレーナーとしては、彼女を信じてどっしり構えているべきなんだろうが……。

 

 悪夢を見るってことは、俺は彼女のことを……まだ心の底から信じ切れてないんだろうか。

 

「大丈夫。彼女は必ず……戻って来る。

 ……弱音は、ここで捨てていかないとな」

 

 自分に言い聞かせ、まだ霞む視界で洗面所の鏡を見やる。

 そこには当然ながら、俺の……堀野歩の姿があった。

 

「思えば……この姿も、見慣れてしまったな」

 

 堀野歩は……いや、「俺」は転生者だ。

 

 何故か前世の記憶や感性を引き継いで生まれてしまった、よくわかんない存在。

 それで楽をしたこともあれば、逆に悩んだこともあったりしたな。

 特にウマ娘については……なかなかゲームの感覚が離れず、かなり苦労したし、担当に迷惑もかけた。

 いや、迷惑で言えば、俺の要領の悪さ故に他にもたくさんかけてしまったのだが……それはさておき。

 

 しかし気付けば、いつの間にか、俺の中から「自分は転生者だ」という意識は消え去りつつある。

 堀野の家で育って、トレーナーとしてのいろはを学び、トレセンに入って……。

 スカウトに失敗しまくり、ホシノウィルムに出会って、契約を結び……。

 それから、早いもので1年半。

 悩んだこともあれば、学んだこともたくさん……本当に色んなことがあったな。

 

 そして俺は、そうした経験をする内に、転生者から「堀野歩」に……この世界に生きる人間の1人になっていってるんだと思う。

 勿論、前世の記憶を忘れているわけじゃない。

 ただ、その自覚が薄れつつあるんだ。

 

 堀野歩という名前に馴染んでしまったから、前世の名前で呼ばれても反応が遅れると思うし……。

 今となっては、ウマ娘がいない世界っていうのも、なんだか信じられない。

 たとえ今から前世に戻れることになったとしても……多分、俺は拒むと思う。

 それくらい、俺はもうこの世界の人間になってしまったし……この世界のことを、気に入ってしまった。

 

 ……それに俺、前世じゃアレなヤツだったし。

 この世界に来てから20年、ちゃんと努力してきたからな。

 ウマ娘のトレーナーという仕事があるこの世界なら、俺だって少しは誰かの役に立てるはずだ。

 勿論トレセン学園には、俺よりもっと良いトレーナーがたくさんいるだろうが……。

 ホシノウィルムが頼ってくれるんだ。俺は俺なりに、俺にできることをしようと思う。

 

 前世じゃ、こんな風には思えなかったなぁ。

 俺も少しは自分を認められるようになっている……んだろうか。

 そういう点でも、俺は少しずつ変わっていってるのかもしれない。

 

「……ま、駄目さは前世から変わらないけども」

 

 そう独り言ちて、苦笑。

 要領が悪いのは、前世から変わらなかったからなぁ。

 せっかく転生って言うんなら、その辺も生まれ変わらせてくれてもよかったんだがなぁ。

 

 ……まぁ、要領が悪いからこそ努力を怠らなかったとも言えるんだけどね。

 俺は他人に劣ることに自覚的だ。

 故にこそ他人と並び、それを上回るためには努力を欠かさない。

 手前味噌な話だが、そういうストイックなところだけは美点だと思う。

 

 だが努力というのも、それをできるだけの環境が必要だ。

 俺はこの世界で、たくさんの人に助けられた。

 まずはやはり堀野家の皆。父さん、母さん、兄さんに妹。父さんの秘書には色々と面倒を見てもらったりしたし、ハウスキーパーにもこっそり書庫に連れて行ってもらったりした。

 

 トレセンに来てからは秋川理事長やたづなさん、同期の人の好いトレーナーたちにホシノウィルム、ナイスネイチャ、それからトウカイテイオー。

 ……トレセン学園の人やウマ娘も、昔はゲームのキャラクターという認識だったのに、いつしか普通に上司とか友人、生徒だと思うようになったな。

 ウマ娘も、そういう生物というか……良き隣人だと思えるようになったし。

 

 そうしてこの世界に生きているたくさんの命に支えられて……。

 「俺」は「堀野歩」になったし、なっていくのだと思う。

 

「……さて、と」

 

 大事な一件を前にこれまでのことを振り返って回想するとか、なんか死亡フラグっぽくなっちゃったな。

 俺は死んだりするわけじゃないってのに。

 ……俺、「は」?

 いや、別に誰も死んだりしないだろ。

 

 どうしちゃったんだ、俺。

 何か今日、ちょっと変だぞ。

 

「あー、もう、集中しないと」

 

 今日は、堀野家の皆の次にお世話になった少女の、決戦の日なんだ。

 

 これまでにやれることは、全てした。

 彼女の望む通りに、安全性をギリギリに保つ際どいトレーニングも付けた。負荷の溜まりにくい坂路やスイミングを中心に、可能な限りの鍛錬は積んだはずだ。

 その脚の負荷軽減のためにシューズや蹄鉄を厳選し、テーピングや温泉療法なども含め、可能な限り手を尽くした。

 

 ……俺にできることは、もう、あと1つだけ。

 

 彼女を信じることだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「さて……ついに宝塚記念当日になったわけだが。調子はどうだ、ホシノウィルム」

「絶好調です。今日ならいつも以上の走りができると思います」

 

 阪神レース場、控室にて。

 ホシノウィルムと2人で、今日の作戦について確認しながらパドック入りの時間を待つ。

 

 今日の彼女もいつも通り、「アプリ転生」上では絶好調。

 だが、この1年半で散々見せられてきたからわかる。

 彼女は今、覚醒状態だ。

 

 今考えると、「アプリ転生」上の絶好調ってのは、恐らく一定以上の調子の総称なんだろう。

 けれど現実に生きる彼女たちには、その絶好調の中でも良い悪いがある。

 覚醒状態は、その上澄み。

 絶好調の中でも更に調子の良い、自分の全てをレースに費やすことのできる状態なんだろうな。

 

 今日は、彼女にとって正念場のレースになる。

 万全な状態で挑めるのは僥倖と呼ぶ他ないだろう。

 ここまでの1週間、入院期間の分を取り戻すように仕上げてきた結果……。

 彼女の努力が、実を結んだのだ。

 

 ただでさえ天才のホシノウィルムが、努力を積み重ねてきたんだ。

 だからきっと……いや、必ず、彼女が勝つ。

 

 

 

「何度も伝えた通り、今回のレースにはメジロの双璧、そしてあのトリックスターが出走する。

 レースのレベルは今までよりも段違いに高いだろうし、不測の事態も避けられないだろう。

 ダービーの時と同じく、いざと言う時は君自身のアドリブで対処すること。

 ……だが、勿論前傾スパートは禁止だ。わかっているな」

「はい。私の脚を慮ってくださり、ありがとうございます」

「それが俺の仕事でもあるからな。

 先程伝えた条件さえ満たせれば、決して勝てないレースではない。

 だから、後悔のない走りをしてきなさい」

 

 彼女はいつも通りの無表情だが、どことなくレースへの充足したやる気を感じた。

 ……しかし、だからこそ心配になる。

 

 今回のレースは、あの日本ダービー以上に厳しいものになる。

 レースへの熱意を感じるようになったばかりのホシノウィルムは……抑えきれずに全力を出してしまうかもしれない。

 もしそうなったら、彼女の脚は……。

 

 顔を上げ、俺の目が彼女を捉えると同時、「アプリ転生」が彼女のスペックを文字にする。

 ……その中で、最近は気にならなくなりつつあった、あるコンディションが目に留まった。

 

 「命がけ」。

 

 俺の考察が正しければ、その効果はステータスが上がりやすくなる他、レースに出走する際一時的に調子が絶好調になる、というもの。

 ……ただ、恐らく、それだけじゃない。

 命がけ。命を、懸ける。

 この強すぎるコンディションのデメリットは、一体何なのか。

 

 俺が今感じている、この嫌な予感は……ただの錯覚なんだろうか。

 

 ……いや、理屈のない予感は、ただの勘に過ぎない。

 レース直前のウマ娘に言うべきことじゃない。

 割り切らないとな。

 

 

 

「君の言う通り、俺は君の勝利と帰還を信じて待つ。

 頑張れ、ホシノウィルム」

 

 そう言って、彼女の頭に手を乗せる。

 そうしていつも通りに撫でようとした、のだが……。

 

「ええ、トレーナー」

 

 その手を、ホシノウィルムが両手で包んだ。

 そのままゆっくりと、顔に沿うように手を下ろされて……。

 辿り着いたのは、彼女の頬。

 

 突飛な行動に思わず言葉を詰まらせた俺に、彼女は……。

 

「見ていてくださいね。そして、見惚れてください。

 私、あなたのウマ娘として……宝塚記念にも、あなたとの勝負にも、勝って来ますから」

 

 心地良さそうに、俺の手を顔に擦り付けて、流し目でこちらを見て……。

 彼女は、妖艶に微笑んでいた。

 

 初めて見る彼女の表情に、少しばかり驚きながら……。

 俺は、頬が緩むのを感じる。

 

 余裕綽々か。

 やはり、俺が心配するようなことじゃなかったな。

 

 彼女はホシノウィルム。

 その名に、敗北の二文字は似合わない。

 

「……ああ、そうだ、勝負だったな。

 いいだろう、見せてみろ、ホシノウィルム。

 君の走りと、勝利を」

 

 

 

 * * *

 

 

 

『今年もこの日がやってきました、上半期のチャンピオンウマ娘決定戦、G1、宝塚記念。

 ファンによる投票で選ばれたウマ娘たちは、その背に負う夢と期待に応えることができるのか。

 晴れ渡る晴天が照らす阪神レース場の内回り、芝2200メートル。バ場状態は良バ場の発表です』

『注目はやはり、メジロマックイーン、メジロライアン、イノセントグリモアのシニア1年3強対決。

 そこに加わる、シニア3年の黄金の一欠片、トリックスターのセイウンスカイ!

 そして文句なしのクラシック級王者、灰色の蛇ホシノウィルム!

 二大グランプリとはいえ、ここまでのメンバーが揃うことはそうそうありません。

 きっと誰もが心に残す名レースを見せてくれることでしょう!』

 

 

 

 スタンドからターフ上のウマ娘を眺めながら、これから始まるレースに思いを巡らせる。

 

 阪神レース場内回り、芝2200メートル。

 このコースの特徴は、大きく分けて2つ。

 

 まず1つは、第3第4コーナーだ。

 トゥインクルシリーズで使われるレース場は、大抵が長方形の両サイドに半円を付けたような形状なのだが、このレース場は違う。

 おむすび型とも呼ばれるが、自転車のチェーンのような形と言えばわかりやすいだろうか。

 このコースは、第1第2コーナーは350メートル程度だが、第3第4コーナーは550メートル強あるのだ。

 よって後方から追い上げる差しや追込ウマ娘にとって、第3コーナー以降前方との距離を詰める際、コーナリングの技術が重要になって来る。

 勿論逃げウマ娘や先行ウマ娘も、リードを保つ際に技術があればかなり楽になるはずだ。

 ホシノウィルムは「コーナー巧者○」を持っているため、ここに関しては有利に働くだろう。

 

 もう1つの特徴が、急に変わる坂。

 宝塚記念のコースには、緩やかな下り坂とその直後に来る少し急なこう配の登り坂があり、2回ずつ通過することになる。

 最初は下り坂から始まり、300メートルあたりで急に登り坂に切り替わる。登り坂は120メートル程度で終わり、しばらくは平坦な道が続く。

 次に坂が始まるのは第3コーナー内残り800メートルあたりの地点。ここから最終直線内まで、実に600メートルの間緩やかな下り坂が続き、残り200メートルあたりから再び登り坂。

 坂を登り終えたら、残り80メートル程度の平坦な直線を走って、ゴールとなる。

 基本的に、逃げウマ娘や先行ウマ娘は前半でスタミナを使うため、後半に垂れやすい。そんな状態で登り坂に差し掛かれば、当然減速してしまうだろう。

 ……とは言っても、有名な淀の坂に比べればその高低差は2分の1しかないし、コースの距離も2200メートルと、そこまで長いわけではない。

 ホシノウィルムやメジロマックイーンのように、無尽蔵に近いスタミナを持つウマ娘にとっては関係のない話だと言ってもいいだろう。

 

 

 

 総じて、ホシノウィルムは有利とも不利とも言い辛い、イーブンな状態のレースになるだろう。

 ……土台、阪神レース場は他に比べて、特徴による有利不利が出にくいからな。

 ウマ娘たちの実力そのものが、レースの行く末を決めることになるだろう。

 

 それを踏まえた上で、レースの中核を成す存在が誰なのか、と言えば……。

 それはやはり、4人に絞られる。

 

 

 

『今日も今日とて泰然自若、3番人気はここまで無敗の二冠ウマ娘、7枠13番ホシノウィルム!』

『シニア級の中にあってなお色あせない、素晴らしい仕上がりですね。

 これまでいくつもの伝説を作って来た彼女は、クラシック級で宝塚記念を制し、不可能を可能に塗り替えてしまうのか。

 灰色の蛇の奮闘に期待しましょう』

 

 

 

 ここまでホシノウィルムは最初期を除き、1番人気を独占してきた。

 それだけ彼女の走りは多くの人を魅了し、その勝利を固く信じさせてきたんだ。

 

 ……けれど、それでも今日に限っては、信じられないという人も多いのだろう。

 

 「クラシック級のウマ娘は宝塚記念に勝利できない」という半ば事実のジンクスがあるし……。

 何より、彼女は日本ダービー後の1週間、肉離れで入院していた。

 

 ただでさえシニア級のウマ娘と比べ、体を作る時間が1年も短いのだ。

 更にダービーの疲れも残っている上、直前2週間の内1週間は療養に充てていた。

 その状態で、心の底から信じられるかと言えば……それは難しいだろう。

 

 だが、彼女は必ず……勝つ。

 1着を取って、無事故で帰って来る。

 

 

 

『この評価は少し不満か。2番人気は菊花賞ウマ娘、5枠10番メジロマックイーン!』

『惜しくも春の天皇賞を逃してしまった彼女ですが、それでも実力は本物です。

 いつもの好位抜け出しでグランプリを制することができるのか?』

 

 

 

 メジロマックイーン。

 ターフの名優とも呼ばれる、最強のウマ娘の1人だ。

 無尽蔵に近いスタミナを誇るステイヤーで、「マックイーンが自分のペースで走っているだけで他のウマ娘が垂れていく」とまで言われる持久力を具えている。

 本格化の遅れと骨膜炎を発症したことで皐月賞やダービーには出走叶わなかったが、菊花賞でイノセントグリモアとメジロライアンを相手に勝利を収め、世代にその実力を叩きつけた。

 その後阪神大賞典でも問題なく1着を取り、世代最優ステイヤーとして評価されている。

 

 実際数字で見ても、ホシノウィルムよりスタミナが高い。

 根性もかなりあるので、現時点では総合的に、ホシノウィルムよりも長距離に向いていると言っていいだろう。

 ……いや、そもそもクラシック級なのにシニア級と同レベルでスタミナがあるホシノウィルムがおかしいんだが。

 どちらにしろ、宝塚記念は2200メートル、そこまで長い距離ではない。

 彼女たちの長所を活かすには微妙な距離だが……果たしてどうなるかな。

 

 俺が観察する中、ターフに現れたメジロマックイーンは……ストレッチをしていたホシノウィルムに声をかけた。

 何を話しているのかはわからないが、彼女たちの表情を見るに不穏なものではなさそうだな。

 

 マックイーンは誇り高いウマ娘だ。

 恐らくホシノウィルムの実力を認め、ライバルとして「良いレースにしましょう」的なことを言っているんだろう。

 差し出された手を、ホシノウィルムは迷いなく取り、固く握手を交わした。

 

 マックイーンにとってホシノウィルムが強敵であるのと同じように、ホシノウィルムにとってマックイーンは強敵だ。

 ……それも、現時点においては、トウカイテイオーを遥かに超える強敵。

 普段は無意識的に強者の傲慢を持つ彼女とはいえ、格上相手に油断はしない。

 

 クラシック級の最強と、シニア級1年目の最優が、互いを認め合う。

 その光景に、観客たちはレース前だというのに沸き立った。

 

 

 

 ……だが、誰もが忘れていない。

 いいや、忘れられない。

 

 3年前の皐月賞、続いて菊花賞。

 そして今年の天皇賞(春)。

 

 そこで奇跡のようなトリックを見せ、見事勝利を収めたウマ娘を。

 

 その青空を、忘れられない。

 

 

 

『そして1番人気はやっぱりこの子、再起の二冠ウマ娘、6枠12番セイウンスカイ!』

『3年前に黄金世代たちと覇を競った古豪がここに降り立った!

 完全復活した奇跡の黄金一欠片、再びここにトリックを見せつけることができるか?』

 

 

 

 ホシノウィルムとマックイーンに声をかける、芦毛のウマ娘。

 

 ……セイウンスカイ。

 

 気合十分といった様子の2人とは違い、彼女はへらへらと笑っている。

 これから公式レースに挑むとは思えない様子に……けれど、マックイーンは緊張した面持ちで身構え、ホシノウィルムはその雰囲気を更に冷たくした。

 

 ホシノウィルムには、俺から伝えた。

 メジロマックイーンは、春の天皇賞で体感しただろう。

 

 セイウンスカイの笑顔は、ホシノウィルムのそれに並ぶかもしれない程の、極めて強固な仮面だ。

 彼女は手強そうな様子を他人に見せない。いつだってやる気なさげにへらへらと笑っている。

 けれどそれは、相手の油断を誘うフェイク。自分を侮らせるためのミスリードだ。

 

 彼女の本性は、ナイスネイチャに近いが、更にその上を行く策謀家。

 レースの中の状況だけでなく、事前の下バ評や自身の評価、インタビュー記事や下らない噂まで、その全てをコントロールし、レースを「勝利できる状態」へと運ぶ。

 それこそが、彼女のトリックだ。

 

 自分のスペックに依存した走りをするホシノウィルムやメジロマックイーンにとって、天敵とも言える相手だろう。

 笑いかけられること。話しかけられること。言われた内容。その態度やテンション。走り方。威圧感。

 そのどれが素顔で、どれがトリックなのかもわからない。

 ……そして、それを考えさせること自体が最大のトリックだったりする。

 

 どんなに警戒してもし足りない。かと言って警戒し過ぎれば術中にハマる。

 セイウンスカイは、そういう恐るべきウマ娘なのだ。

 

 

 

 ホシノウィルム、メジロマックイーン、そしてセイウンスカイ。

 それぞれのステータスは……。

 

 スピードは、ほぼ横並び。強いて言えば少しだけホシノウィルムが劣るか。

 スタミナはマックイーンが一回り高く、次いでホシノウィルム、スカイと並ぶ。

 パワーはスカイ、マックイーン、ホシノウィルムの順。

 根性は……かろうじてホシノウィルムが一番高い。次いでマックイーン、スカイはそこまで高いわけじゃないか。

 賢さは、当然と言うべきか、セイウンスカイがダントツで高く、ホシノウィルムが一番低い。

 

 宝塚記念を走るにあたり、最も勝率が高くなるよう育成をしてきたつもりだが……。

 やはりどうしても、総合的には見劣りしてしまうな。

 

 レースに勝つためにまず必要なのは、スピードとスタミナだ。この2つがなければ、何が起ころうとも決して勝てない。

 次にパワー。これがないと最高速に乗るまでに時間がかかるため、必須級と言えるだろう。

 そして根性。これがあればスタミナが欠如した際にもカバーできるし、位置争いになった際勝ちやすくなったり、いざと言う時にスパートかけることもできる。

 最後に、賢さ。いざという時のアドリブ、出遅れや掛かりの防止にスキルの使用など、これは勝利に貢献するというよりは、その走りの安定性を高めるように働くイメージだ。

 

 それらの優先順位に基づいて、賢さはある程度妥協し、他のステータスを補完した。

 これなら彼女も、この宝塚記念で十分に好走することができるはずだ。

 

 

 

『三世代の頂点と呼んで差し支えないウマ娘たちの揃い踏み……そうそうたるメンバーですね。

 ここまで豪華な宝塚記念は向こう10年ないのではないでしょうか』

『セイウンスカイが黄金世代の恐ろしさを見せつけるか、メジロマックイーンが最優を証明するか、それともホシノウィルムが新たな時代の幕開けを告げるのか。

 今回のレース、瞬きは厳禁ですよ』

 

 

 

 ……更に、警戒すべきは2人だけではない。

 

 彼女たちとは少し離れて、1人ゲート向こうのターフを睨んでいるのは、メジロライアン。

 彼女のステータスは、ホシノウィルムよりも低い。

 だが……今日の彼女は、覚醒状態だ。

 ああなったウマ娘は、スペック以上の走りを見せる。

 警戒するに越したことはないだろう。

 

 一方マックイーンとライアンに並んで名を挙げられたイノセントグリモアは、残念ながら現在の調子は不調。

 間違いなく強者ではあるが、入着争いが妥当なところか。

 

 

 故に今回の宝塚記念の中心は、セイウンスカイ、メジロマックイーン、メジロライアン、そしてホシノウィルム。

 この4人が覇を競うレースになるはずだ。

 

 

 

 これまで通りのレース展開なら、まず突出するのはホシノウィルムとセイウンスカイ。この2人がペースを作る。

 一方マックイーンは好位に付いて、第3コーナー以降位置を上げて首位を目指す。

 ライアンは……どう来るか読みにくいが、中団から差しにくるのが一番妥当だ。ただしマックイーンを意識するのなら、彼女のペースを落とさせるために前に出て蓋をする可能性もあるか。

 

 ……ホシノウィルムにとっては、難しいレースだ。

 

 メジロマックイーンはホシノウィルム以上のスタミナを持つ。自由に走らせたらマズい。

 彼女を潰そうとすれば、ペースメーカーである逃げウマ娘のホシノウィルムが敢えてペースを落とし、バ群に蓋をして、終盤に末脚で逃げ切るしかない。

 

 だが、それではセイウンスカイの思う壺。

 彼女は悠々と先頭を取り、その領域を開いてしまうだろう。

 

 スカイの領域、その発動条件は、恐らく終盤のコーナーで先頭を走っていること。

 その効果は非常にわかりやすく、加速力が上昇するというものだ。

 

 しかし、スパートを始める終盤にこれが発動することで、本来時間がかかる加速を一瞬で済ませ、ミドルペースからハイペースへと移ることができる。

 こちらはゆっくりと加速するのに、相手は一瞬で最高速度に達する。

 これが示すところは……どうしたって差が開くってことだ。

 その上スカイのスピード、つまり最高速度は、マックイーンやホシノウィルムと同格。

 その最高速度を維持し続ける限り、差はほとんど埋まらないのだ。

 アプリでも猛威を振るっていた固有だったが、この世界の領域となっても脅威は減っていないだろう。

 むしろ、領域となったことで更に凶悪になったかもしれない。

 

 俺の想定が正しければ、スカイが領域を発動すれば、その瞬間にレースの趨勢は大きく傾く。

 故に、ホシノウィルムにとっての最優先は、終盤のコーナーからスカイに首位を取らせずに逃げ切ることになる。

 

 ……しかし、そのために不用意にペースを上げてしまえば、今度はスタミナが不足して後方からマックイーンに捲られるわけで。

 

 ホシノウィルムが勝つためには、セイウンスカイに首位を取らせず、なおかつメジロマックイーンに差されない、絶妙なペースキープが必要になる。

 その上、スカイが何をしかけてくるかわからない。これに対応するだけの思考の余裕も必要になるな。

 

 一応、スカイに前を取られた時や迫られた時の策はいくつか伝えておいたが……。

 果たして、あのトリックスターを相手に、どこまで策が通用するものか。

 

「知恵比べか……」

 

 ダービーで負けたばかりで自信はないが……。

 あのセイウンスカイと知恵比べできるとなれば、不足はない。

 

 さて……どう来る、トリックスター。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『ゲートイン完了。出走準備が整いました』

 

 

 

 遠目から、スカイがゲートの中でホシノウィルムに話しかけているのが見えた。

 ……けれど、既に「冷」に入っているホシノウィルムは、気にした様子もなくゲートに集中している。

 

 よし。入れ込んだり驚いたりはしていないし、取り敢えず調子を崩された様子はない。

 勝利のための前提条件は満たした。

 後は、レース中に3つの条件を守りさえすれば……。

 

 ホシノウィルムは、勝てる。

 

 

 

『今スタートしました!』

 

 

 

 ゲートが開いて、一気にウマ娘たちが駆け出す。

 ……流石は宝塚記念と言ったところか、綺麗なスタートだ。出遅れたウマ娘はいない。

 

 「コンセントレーション」と「先駆け」が綺麗に発動し、ハナを切ったホシノウィルム。

 スタート差でクラシック級ウマ娘パワーチャージャーと、シニア1年3強の一角イノセントグリモアが続く。

 マックイーンもスタートは上手かったが、今回は好位を狙ってか中団近くまで下がり、メジロライアンは逆に前めに……マックイーンの少し後ろに付けて行く。

 一方セイウンスカイは……らしくない、平凡なスタート?

 

 ……頭が痛いな、最初から想定外の展開になるか。

 先行のマックイーンがあそこまで下がること、後方から末脚で差す印象の強いライアンが積極的に前に出ること。

 だが、そこまでは最たる予想こそ外したものの、想定の範疇。

 

 むしろ問題は、セイウンスカイのスタートが平凡なものだったことだ。

 彼女がスタートをしくじるとは思えない。

 何せ彼女は、高い賢さと「コンセントレーション」を具えているのだから。

 

 ……確かに、いくら賢さが高くても、スキルが不発し出遅れることもある。

 だが……あのセイウンスカイが、そんなミスをするのか?

 それともこれは、俺が彼女を過剰に警戒してしまっているだけなのか?

 

 

 

『18人揃って綺麗なスタートを切っています。

 まずスタンド前のポジション争いはやはりホシノウィルムがハナを切った。続いてパワーチャージャー、イノセントグリモア3番手』

『大逃げウマ娘ホシノウィルム、今日は2番手との距離を離そうとしませんね。初のシニア混合レースで慎重に様子を伺っているのか』

 

 

 

 いつもは前半で一気に後続との距離を離すホシノウィルムだが、今日は差を2バ身程度に止めてミドルペースの走りを見せている。

 

 今回の宝塚記念、その勝利条件は3つ。

 第一に、敢えてペースを落とし、メジロマックイーンの脚を余らせること。

 第二に、第3コーナー以降でセイウンスカイに先頭を譲らないこと。

 第三に、前傾スパートを使わず、末脚勝負でメジロライアンから逃げ切ること。

 

 故に、大逃げを放棄し、バ群に前から威圧感をかけてペースを作る。

 時間もなく、ろくに練習もできなかったが、彼女は1発勝負で見事にモノにしている。

 流石、切れ者の面目躍如といったところか。

 

 ……ただし。

 そのコントロールは十全なものとは言えない。

 

 後方から、パワーチャージャーが上がって来る。

 ホシノウィルムと同期の、クラシック級ウマ娘。

 ここまでは先行で走っていたが、今回のレースは逃げで走るようだ。

 ……いや、逃げにしてもペースが速い。ホシノウィルムを今にも追い抜こうという速度だ。

 

 見ているだけでもわかる。

 今日の宝塚記念は……今までのクラシック級のレースに比べて、威圧感が段違いなんだ。

 シニア級の実力者たちが、メジロの双璧が、そしてセイウンスカイが、そこに走っている。

 いつもと比べて、あまりにも速いペース。あまりにも強い敵。あまりにも狭苦しいバ群。

 その中で正確にペースを配分するのは至難の業だ。

 

 そして何より、歴戦の猛者たちが威圧感をかけているんだ。

 少しでもペースを落としてみろ、一瞬で抜いてやる、と。

 

 故に、クラシック級のウマ娘は、こうして掛かってしまう。

 

 

 

『パワーチャージャー前に出た! ホシノウィルムと熾烈な位置争いだ。イノセントグリモアは3番手で追走しています』

『掛かってしまっているのかもしれません、一息付けると良いのですが』

 

 

 

 だが……ホシノウィルムはペースを崩さない。

 

 「冷」の彼女は見誤らない。

 弱点を完全に克服した彼女は、もはや誰かに影響されることはない。

 

 このままのペースを維持しなければ、メジロマックイーンがそのスタミナを以てこのレースを制することになる。

 故に、決して掛かってはいけないのだ。

 

 

 

『先頭第2コーナーに突入しました。1番手を巡って競い合うのはクラシック級ホシノウィルム、パワーチャージャーの2人。1バ身離れてセイウンスカイが虎視眈々と狙っているぞ』

『そこから2バ身離れてイノセントグリモア、2バ身くらい空きまして5番手集団は、メジロライアンが一気に上がっていきました、メジロマックイーンは現在8番手』

 

 

 

 このペースは、ホシノウィルムにとって問題ない範疇だ。

 終盤までに、十分脚を残せるはず。

 

 ……勿論、それは他のウマ娘にしても変わらない。

 このまま行けば終盤の末脚勝負になるだろう。

 そしてそうなってしまえば、スタミナに余裕があり、リードもあり、スピードも劣ることのないホシノウィルムに有利な状態になるわけだ。

 

「このまま……行け、ホシノウィルム」

 

 

 

『向こう正面中間、先頭はホシノウィルム。

 パワーチャージャー落ち着きを取り戻したか少し位置を下げた。セイウンスカイはまだ1バ身程距離を取って脚を溜めている。

 更に1バ身離れたイノセントグリモアが、今じわっと差を詰めていきました』

『内からメジロライアン早めに動いている、今イノセントグリモアを抜き去り4番手。

 メジロマックイーンは現在変わらず8番手、ここからどう仕掛けるか?』

 

 

 

 ……来た。

 

 セイウンスカイが、前に出始めた。

 ゆっくりと、気付かれないように、前方の逃げウマ娘との距離を詰め始めている。

 

 やはり終盤コーナーを狙ってくるか。そこまでは予想通り。

 

 だが、俺は君のことを誰よりも知っている。

 だからこそ、君を負けさせる方法だって、誰よりも知っているんだ。

 

 ホシノウィルムがセイウンスカイに対して、常に1バ身の距離を保てばいい。

 それで、彼女は決してスカイに抜かれなくなる。

 

 だから、悪いが君に勝利は……。

 

 

 

 

 

 

 …………?

 

 

 

 おかしい、なんだ、どうしたホシノウィルム。

 

 何故……差を維持しない?

 

 

 

『セイウンスカイがゆっくりと伸びてきているぞ! 1バ身あった差が少しずつ縮まっていく!』

『メジロライアンも一気に先頭を目指しています! 第3コーナーここからが勝負!』

 

 

 

 何だ、何をされた。

 ホシノウィルムは脚を速めていない。速めない。

 

 気付いていない?

 セイウンスカイの存在に、気付いていないのか?

 

 いや、そんなわけがない。

 ホシノウィルムが、後方のウマ娘の存在を掴み損ねるわけがない。

 彼女の耳は特別だ。10バ身以内の足音を聞き取り判別する、天性の聴覚を持っている。

 これまでのレースだって、雨でその範囲が縮まることこそあったものの、聞き取り損ねたことは一度もない。

 

 なのに……何故。

 

 

 

 いや、待て、聴覚。

 まさか……。

 

 

 

 ……その、まさか、か!?

 

 

 

 セイウンスカイの脚を見る。同時に、ホシノウィルムの脚も。

 これは……。

 

 やはり、やはりそうだ。

 どこで知った? 知ったとして、そこまでやろうとするのか?

 まさか最初に好スタートを切らなかったのはわざとか? これを狙って?

 

 セイウンスカイ、稀代のトリックスター。

 これこそが、彼女の本領だって言うのか!

 

 

 

 ……ホシノウィルムは、聴覚によって後方との距離感を測る。

 ウマ娘ごとの足音の違いを判別し、そのペースや歩幅まで、余すことなく聞き取って状況を把握することができるらしい。

 これまで何度もその走りを支えてきた、彼女の持つアドバンテージの1つだ。

 

 そして「冷」のホシノウィルムは他者からの威圧感を無視できる。

 それは、後方を気にしなくても耳で位置関係を把握できるから、という側面もある。

 

 ……逆に言ってしまえば。

 つまるところ、彼女は他のウマ娘を感じ取ることを、その聴覚に依存しているのだ。

 故に、もしも足音のない幽霊のようなウマ娘が詰めて来れば、彼女はその存在に気付けない。

 

 勿論、そんなことはあり得ない。

 どうしたって地面を蹴れば音はする。

 殊に時速60キロメートルなんていう速度を出せば、当然ながら轟音が響くはずだ。

 だからこそ、他のウマ娘の足音を聞き損ねるなんてことはあり得ない。

 

 ……あり得ない、はずなんだが。

 

 一見完璧に見える、彼女の察知能力。

 だがこれには、ただ1つ、弱点があるのだ。

 聴覚でその気配を判別する以上どうしようもない、ほんの一刹那の隙。

 

 それは、彼女自身が地面を蹴る瞬間。

 最も近い位置で轟音が鳴り響いたその瞬間だけは、後方からの音がそれに紛れてしまう。

 

 だが、本来それは何の問題も起こさない。

 足音が響くのは一瞬のことだし、何よりウマ娘はそれぞれ歩幅も足の回転速度も違う。

 その1歩が偶然噛み合ってしまったとしても、すぐに足音のペースがズレ始めるはずなんだ。

 だからその1歩で気付かなくても、次の1歩で気付ける。問題なく認識できる。

 

 ……でも、それなら、仮に。

 足音のペースを合わせたら?

 彼女が地面を蹴ると全く同時に、地面を蹴る。これをひたすら続けたら?

 

 ……そうなれば。

 ホシノウィルムは、そのウマ娘に気付くことができない。

 

 それこそが今、ホシノウィルムがセイウンスカイに気付けない理由。

 

 セイウンスカイは極めて正確に、ホシノウィルムの走り方をトレースしているのだ。

 

 

 

 慣れない歩幅やペースで、セイウンスカイからすればスタミナを消耗するだろうに。

 思考だって、そのペースを無理に維持することに大きく費やされるだろうに。

 ……そして、合わない走りで脚に負担も溜まるだろうに。

 

 ただホシノウィルムをかわすために。

 確実に先頭を取るために、そこまでするのか。

 

 どれだけ研究したんだ。

 ウマ娘の脚の回転速度なんてものは、時期と共に変わっていく。走法自体を変えることだって珍しい話じゃない。

 だから、セイウンスカイは最新のホシノウィルムの走りを研究したはずだ。

 日本ダービーか……あるいは、ネイチャとの模擬レースの時か?

 それを何度繰り返し見続ければ、走り方をトレースできるっていうんだ?

 

 それに、どれだけ練習したんだ。

 他人の走法に合わせるってのは、アスリートとしてあり得ない行為だ。

 猿真似で他人の武器の下位互換を手に入れて、自分に合った上質な武器を手放す行為なんだぞ。

 それもコピーするのは、自分より3年分も格下の後輩のもの。

 その模倣だって、簡単なことじゃない。

 他人の脚の回転速度に合わせて、疾走しながらそれを維持する……。

 それは果たして、どれだけ鍛錬を積めばできることなんだ。

 

 勝つためなら何でもしてくると、理解していたつもりだった。

 セイウンスカイはそういうウマ娘だと、わかっていたはずだった。

 

 ……けれど、やはり、ウマ娘はいつも想定の上を行く。

 

 すごいよ、セイウンスカイ。

 やはり君は、素晴らしいウマ娘だ。

 

 俺の、負けだよ。

 

 

 

『セイウンスカイ、セイウンスカイが今ホシノウィルムに並んだ! 並んで、抜いた!

 そして繰り出される猛加速! 変幻自在に順位を操る、これがトリックスターの神髄だ!!』

『セイウンスカイ、一気に引き離した! 古豪の意地を見せつけるか、追いすがるホシノウィルムに2バ身、3バ身、あっという間に差が付いていく!!』

 

 

 

 ホシノウィルムをかわした瞬間、セイウンスカイの体が一瞬沈み込み、爆発的に加速する。

 ほんの一瞬で最高速に達した彼女は、一気に後続との差を広げていく。

 

 まさか、この目で見るとは思わなかった、セイウンスカイの固有スキル……いや、領域。

 人間の俺には、彼女の見ている大海原を覗くことはできないが、間違いない。

 相手を策にかけ、一方自分は悠々自適に走り去る、恐るべきトリックがハマってしまった。

 

 ホシノウィルムは応じて加速しようとするが……やはり、加速力が足らず、距離を離されるばかり。

 ……いや、それどころか。

 

 既にスパートを開始していたメジロの双璧が、彼女に迫っている。

 

 

 

 そうして、第4コーナー。

 

 圧倒的な速度を誇る2人の先輩に、抜き去られた。

 

 

 

『さあ第4コーナー入って横に広がっていく!

 一人独走セイウンスカイ、追ってホシノウィルム、しかし後方からメジロライアン追い上げて一気に抜き去った!』

『続いてメジロマックイーン外に膨らんで5番手、イノセントグリモアをかわして前に飛んで行く!

 メジロメジロ、メジロの快進撃は止まらない!

 今メジロマックイーンがホシノウィルムを抜き去った!!』

 

 

 

「ホシノウィルム……」

 

 逃げウマ娘は、序盤にリードを作って、それを維持して逃げ切るのが基本戦術だ。

 故にそれを詰め切られ、一度抜かれてしまえば……再度差し返すことはできない。

 

 俺が彼女の策を読み切れなかったから、彼女はどうしようもなく負ける……。

 

 ……はずだった。

 それが、普通のウマ娘であれば、の話だが。

 

 

 

 俺は、確かに負けた。

 

 ……だが負けたのは、俺だけだ。

 ホシノウィルムはまだ、負けていない。

 

 

 

「頑張れ、ホシノウィルムー!!」

 

 

 

 観客の誰かが、声を上げる。

 ……いや、誰か、じゃない。

 誰もが声を上げていた。

 

 

 

「行けーっ!!」「差せ、差し返せー!!」「行ける、絶対行ける!!」「常識破ってくれーっ!!」「蛇、頼む!!」「逃げて差せーっ!!」「初のクラシック級グランプリウマ娘になって!!」「諦めるなぁーっ!!」「怪物を継ぐ走りを見せてくれー!!」「勝って、ホシノウィルムーっ!!」

 

 

 

 多くの人が、いや、このレースを見ている誰もが知っていた。

 

 ホシノウィルムは、ただの逃げウマ娘じゃない。

 

 異次元の後継者とも呼ばれた彼女の作戦は、ただの逃げじゃない。

 逃げて、差す。

 リードを埋められても、たとえかわされても、3バ身離されたって、それでもなお差し返す。

 そんな夢のようなウマ娘なんだ。

 

 俺だって知っている。

 ……いや、俺は誰よりも知っている。

 彼女は天才だ。俺が知る限り、彼女以上に素質あるウマ娘なんて、どこにも存在しない。

 

 だから、たとえ俺が読み負けようと……。

 

「勝つのは、ホシノウィルムだ」

 

 

 

 彼女の戦いは、ここから始まるんだ。

 メジロマックイーンまで1バ身、メジロライアンまで2バ身、そしてセイウンスカイまで5バ身。

 

 差は大きく開いてしまった。はっきり言って、逃げウマ娘にとってはかなり厳しい差だ。

 けれど、彼女なら……。

 

 彼女……な、ら……。

 

 

 

 

 

 

 待て。

 

 ホシノウィルム?

 

 ……何故、そんなに加速が緩い?

 いつもの君なら、もっと前に行けるはずだ。

 

 何故、少しよれている?

 このくらいのペースなら、まだスタミナは残っているだろう?

 

 

 

 何故、そんなに……辛そうに走っている?

 

 

 

 

 

 

 まさか。

 

 

 

 

 

 

 誰も気付かない。

 それは普段からずっと彼女を見ていた俺くらいしか気付けない、微妙な違和感でしかない。

 けれど確実に、彼女は今。

 

 

 

 ……何らかの、不調を起こしている。

 

 

 

 そして、最大の問題は。

 今もなお、彼女はレースを諦めていないってことだ。

 その瞳から、燃え滾るような熱が覗いていることだ。

 

 あのホシノウィルムは、もう見たことがある。

 日本ダービー終盤、テイオーにかわされた時。

 あの時も、彼女は決して諦めず、なお燃え上がり……。

 前傾スパートを、使った。

 

 

 

 駄目だ、使うな。ホシノウィルム。

 その走り方は……駄目なんだ。

 今使えば、本当に……。

 

 最終直線が迫る。

 第4コーナーが、もうすぐ終わろうとしている。

 

 嘘だろ。

 まさかそんなこと。

 

 

 

 フラッシュバックする。

 ここ2週間で何度も見た悪夢が、脳裏を掠める。

 

 

 

 ……頼む、やめてくれ。

 

 やめて、ください。

 

 神様、助けてください。

 あの子は良い子なんです、ずっと報われなかった良い子なんです。

 これからも評価されて、褒め称えられて、たくさんのことを楽しんで、誰よりも幸せにならなきゃいけない女の子なんです。

 

 お願いします。

 やめてください。

 彼女の未来を、奪わないでください。

 

 

 

 ゆっくりと、彼女が姿勢を落としていく。

 少しずつ、少しずつ、その脚が……彼女が、終わりに近づいていく。

 

 

 

 お願いします。

 神様でも、仏様でも、誰でもいい、彼女を、助けて。

 

 

 

 

 

 

 

 ……ふと、彼女と目が合った気がして。

 

 やっと、思い出す。

 自分が誰であったか。

 

 やっと、理解する。

 自分が何をしたかったのか。

 

 

 

 

 

 

 いや。

 

 違うだろ。

 

 

 

 誰でもいい、じゃねえ!

 助けてくれ、じゃねえだろ!!

 

 それをすべきは俺だ。

 彼女に手を差し伸べ、背中を押してやるのは俺だ!

 

 俺は、堀野家のトレーナーだ。

 彼女を担当するトレーナーだ。

 

 ……でもそれ以上に、「俺」は!

 転生して、この世界で「アプリ転生(チート)」持ちのトレーナーになった……。

 

 ホシノウィルムを応援する、堀野歩だ!

 

 

 

 俺が今すべきは、嘆くことじゃない。祈ることでもない。

 

 ……ずっと、何度も何度も心に刻んだはずだ。

 

 俺が今すべき唯一のこと。

 俺が今したい唯一のこと。

 

 

 

 それは、彼女を信じることだろうが!

 

 

 

 スタンドの柵を引っ掴んで、全力で、叫ぶ。

 

 

 

「負けるな、ホシノウィルムーーッッ!!!」

 

 

 

 どうか、この声が届きますように。

 俺の小さな応援が、少しでも彼女の力となりますように。

 

 

 







 本当に仮面が割れた日。



 次回は3、4日後。ホシノウィルム視点で、宝塚記念後半と、転生チートウマ娘の話。



(追記)
 誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!
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