「……さて。ついにこの日が来た」
菊花賞。
多くのウマ娘が目指す、クラシックレース。
その最後の1つが、今日、開催される。
アタシはそれに、2番人気で参加することになった。
あの日、アタシじゃとても届かないような星を見上げて、それでも勝ちたいと叫んで……。
トレーナーさんと一緒に二人三脚を始めて、実に1年以上。
ここまで長かったような、あるいは一瞬だったような、不思議なカンジ。
……泣いても笑っても、今日、全てが決まる。
アタシは……絶対に、このレースに勝つ。
そのために、ここまでずっと、頑張って来たんだから。
「いっちょ、やったりますか……!」
……と、気合を入れて来たはいいんですケド。
「1人で待つってのも、暇なもんだよねぇ」
アタシは控室で、ずーっとレースの開始を待っていた。
出走ウマ娘たちは朝にレース場入りするんだけど、場合によっては昼過ぎまで控室で待機することになる。
勿論、その間に体を伸ばしておくことも大事なんだけど……。
菊花賞の出走は15時過ぎ。準備を考えても13時からで十分でしょう。
トレーナーさんは他の陣営の情報を集めに行っちゃったし、出走ウマ娘は基本的に控室から出られない。
ま、変に出歩いて騒ぎを起こしたら大変だから、妥当な処置だと思うけどさ。
待ち時間は結構長いし、話し相手もいないと退屈なんだよねぇ。
ストレッチとか作戦の確認とか、すべきことは色々あるけど、それを全部やったってだいぶ時間が余る。
というか、余ったからこそトレーナーさんは情報収集に行っちゃったわけで。
残されたアタシは、精神統一でもしてるのがいいんだろうけど……そういうの、あんまり得意じゃないし。
「……あの子なら『自主トレに行ってきます』なんて言い出しそうだけど」
ここにはいない友人のことを思い出して、くすりと笑う。
勿論、アタシはそんなキャラじゃないし、何よりこれ以上脚に負荷をかけられない。
ここまでギリギリにトレーニング積んできたからね。無茶をする余裕は欠片もない。
だから今は、ここでじっと待つ。
それが、アタシたちの最適解だ。
……とは言っても、退屈なのは変わらない。
暇潰しに、スマホでウマ娘関連を取り扱ってるニュースサイトにアクセスする。
最近のニュースにはしっかり目を通してるし……ちょっと前の記事でも見直しますか。
いくつかのワードを検索欄に入れて、まずヒットしたのは。
『灰色の龍に悲劇! 宝塚記念勝利の代償』
『ホシノウィルムに故障発生。菊花賞出走は絶望的か』
アタシの大事な友人についてのものだった。
ホシノウィルム。
そのあだ名を、ウィル。
いつからか灰色のイメージカラーが付いた、小柄な鹿毛のウマ娘。
アタシと同期の、キラキラした最強主人公だ。
メイクデビュー。
オープン、葉牡丹賞。
G1、ホープフルステークス。
G2、弥生賞。
G1、皐月賞。
G1、日本ダービー。
……そしてG1、宝塚記念。
その尽くに勝ち、7戦7勝。
内4戦はG1、1戦に至ってはシニア混合のグランプリレース。
無敗の二冠を手にし、宝塚記念で不可能を覆した灰色の龍。
トゥインクルシリーズ現役の中で最強の座を勝ち取った、無敵の大逃げウマ娘である。
……改めて考えると、とんでもない子と同期になっちゃったもんだなぁ。
勝ちの数だけ見ればアタシも彼女に並んだけど、アタシのは9戦7勝の重賞2勝だからね。
その質の差は、どうしようもなく開いている。
彼女のことはずっと傍で見てたから、わかる。
はっきり言って、ホシノウィルムはモノが違うんだ。
最上級の持久力、シニア級とも争えるスピード、冷静で冷徹な観察眼、完璧と言っていいレース運び。
その全てが超一流。今やこれといった弱点も存在しない。
まだ本格化も半ば、成長し切っていない現時点で、トゥインクルシリーズ中距離で最強なんだ。
将来的には間違いなく……最強のウマ娘の1人として、歴史に名を連ねることになるんだろうね。
ふと、この1年のことを思い出す。
あの子と知り合った日。
そして、あの子とトレーニングを積んだ日々を。
彼女の最初の印象は……ちょっと申し訳ないけど「内気で陰気な子」だった。
いつも俯いてるし、人と話しているところなんてほとんど見ない。
アタシは違うクラスだけど、どうやら授業の休み時間もずっと机に突っ伏してるって話だった。
何を考えてるかわからない……とまでは言わないけど、ちょっと不気味だったことは事実。
……まぁ、選抜レースでぶっちぎりの大差を刻んで、その印象はガラリと変わったけども。
しかし、今改めて考えると、あの頃の彼女は……まだ付け込める隙のあるウマ娘だったんだ。
その最たるものが、後方からの圧力に弱くて掛かりやすかった、ってこと。
実際、アタシはそれを利用して、彼女を追い詰めたことがあった。
残り、1と2分の1バ身。
おおよそ4メートル弱まで、その差を縮めた。
このまま行けば必ず追いつけるって、そう思えるくらいに、アタシは彼女の背中に迫っていた。
……けれど、当然。
彼女もずっとその場に留まってくれはしなかった。
ウィルは、少しずつ変わっていったんだ。
どことなく物腰が柔らかくなり、同時に少しずつ明るくなっていった。
ずっと「走ることにしか興味ありません」って顔してたのに、いつしかアタシとも普通に雑談したりお出かけを楽しめるくらいに……。
なんていうか……そう、親しみやすいウマ娘に変わっていったんだ。
あ、いや、別に元が親しみにくかったわけじゃないよ?
ただ、無表情なのもあって、わかりにくい子だなーっていうか……はい。
最近は後輩にも懐かれてるみたいだし、その交友範囲も徐々に広がっているらしい。
元々、ただ誤解されがちなだけで、彼女は良い子だ。
この変化は、ウィルにとって良いことなんだと思う。
……けれど、それと同時。
その成長に伴って、彼女は自分の弱点を完全に克服してしまった。
どれだけ近くに来られても、たとえ追い抜かれたって、焦らなくなった。
更には、まず大逃げして、差された後差し返すなんていう、とんでもない戦術さえ取り始めてしまったんだ。
「……ホント、常識外れなんだから」
最初の頃から、十分ヤバかったのに……。
日本ダービーの時のウィルなんて、もうどうやって勝てばいいのか、わかんなかったもんね。
根本的に逃げウマ娘っていうのは、後半でペースダウンするものだ。
序盤に稼いだリードを維持して何とか「逃げ切る」から逃げウマ娘って呼ぶんだし。
そりゃあ溜め逃げっていう概念もあるけど、それはウィルの基本戦術である大逃げとは決して相容れないはずのもの。
それなのに……彼女は日本ダービーで、それを見せた。
大逃げの末、追込と呼んで差し支えないスピードでテイオーを差し返す、あまりにも非常識な走りを。
「大逃げ」と「追込」が共存することは、あり得ないはずだった。
大逃げっていうのは、前半で大幅にスタミナを使って速度を出し、リードを広げる作戦。
一方追込は、前半にスタミナを温存し、後半で一気にスピードを解放する作戦だ。
普通に考えて、大逃げを試みれば追い込むことはできない。
逆に追込で行くのなら、前半でスタミナを使う余裕はない。
両立できるとすれば……そのウマ娘の基本速度、ミドルペースが、よほどレースの基準を上回っているとしか考えられない。
それほどスタミナを使わずに走れるミドルペースが、他のウマ娘にとっては付いていけないハイペースなんだ。
だからこそ前半も飛ばして、後半で更に加速する、なんてことができる。
……信じがたいけど、多分そういうこと。
ホシノウィルムはそもそもの身体能力が、突出して高いんだ。
ちょっと前、ウィルのお見舞いに行った時、初等部の頃の夢や趣味の話になったんだけど……。
彼女は少しだけ悲しそうに目を伏せ、笑っていた。
曰く、自分はずっと夢のない無趣味な人間で、暇さえあればもっと速くなろうと走ってばかりだった、と。
だからこうして友達と話したりできるのが嬉しいのです、って彼女は笑っていたけど……。
アタシは、ちょっと呆然としてしまった。
ウマ娘は、専用に開催される模擬レースを経て本格化を迎え、そこから3年間身体能力が急激に成長する。
だからウマ娘たちが頑張るのは、中等部に進級して、トレセンに入ってからでいい。
そこまでにいくら努力したって、トレセンに入ってからの1か月の努力で、簡単に覆ってしまうから。
……これは、広く知れ渡ってる常識だ。
そりゃあ、レースに憧れて子供なりに頑張る、ってのはよくある話だ。
アタシだって、まぁ……地元の皆に期待されてたから、ある程度は頑張った。
子供同士の野良レースに出たりするのも、そこまで珍しい話じゃない。
けど、彼女のそれは、常軌を逸してる。
自由な時間の全てを、ある時は睡眠時間や食事の時間を削ってまで、走ることに専念する……。
そんな体験してりゃ、たとえ本格化前とはいえ、差が付いてしまうはずだよ。
ウィルはそうした努力の果てに、今の強さを手に入れたんだ。
勿論才能とか、先天的素質もあるんだろうけど……。
彼女がやってきた死に物狂いの努力が、無駄だったわけがない。
だから、他のウマ娘とはモノが違う。そもそもの基礎が違いすぎる。
彼女が走るミドルペースは、他のウマ娘にとってのハイペース。
そのスタミナも、同期のウマ娘とは段違いだ。
だからこそ、大逃げして追い込むなんていう非常識なことができて……。
そんな彼女だから、宝塚記念にも勝てたんだろう。
……だけど。
圧倒的な強さを誇っていた彼女は、宝塚記念で右脚の骨を折った。
それまで月1ペースで大逃げを繰り返し、前倒しの開催になった宝塚記念で、ついに限界を迎えてしまったらしい。
スマホを何度かタップして、次のニュースを見る。
『菊花賞は龍と帝王不在か。期待は星の世代の三等星』
龍と帝王。半年前は帝王と蛇って呼ばれてた、アタシたちの世代の2人のウマ娘のあだ名。
片や、血筋と才能、そして実力、その全てが飛び抜けていた、トウカイテイオー。
片や、常勝無敗、無敵の二冠ウマ娘、ホシノウィルム。
この2人の対決は、ずっと注目されてた。
何せ良血の化身と寒門の星。そりゃ話題にもなるってもので。
皐月賞では8バ身という大きな差でウィルが勝ったものの、ダービーではハナ差にまで縮んだ。
これは菊花賞ではどうなるかわからないぞ、と期待されてたんだけど……。
そのテイオーは、ダービーの最中に足をやってしまった。
更にウィルも筋肉を痛め、その後の宝塚記念で同じく骨折。
……アタシたちの世代、そういう呪いでもかかってんの?
いや、2人の才能がすごすぎて、自分の体の耐久力以上の力を出しちゃったってことなんだろうけどさ。
本当、天才ってヤツは何でこう……。
ま、人の振り見て何とやらだ。
せめてアタシは凡才なりに、自分の脚を大事にしよう。
競走ウマ娘としても、ウマ娘としても、長生きしないとね。
「しかし『星の世代』ね。ご大層な名前が付いちゃったもんだ」
星の世代。
それは最近定着しつつある、ホシノウィルムやトウカイテイオー、そしてアタシの世代の通称だ。
それは最初、ホシノ世代と呼ばれたところから始まったらしい。
ホシノウィルムという前代未聞の怪物がいる世代、という意味だったらしいんだけど……。
この世代で輝くのは、何も彼女だけじゃない。
それをテイオーが、日本ダービーで証明した。
最強は1人きりじゃない。
故に、ただ1つの星が輝くんじゃなく……。
夜空に輝く数多の星が照らす世代。
それが「星の世代」って名前の由来なんだってさ。
「アタシが三等星、ってのも……何ともなぁ」
星の世代っていう名前からか、いつしかこの世代の最強に近いウマ娘は、等級で格付けされるようになった。
世間から見た強さの順に、上から一、二、三等星って称号が付けられるんだ。
で、現在の格付けがどうなってるかっていうと……。
一等星は勿論、灰色の龍、ホシノウィルム。
二等星に、彼女の背を追う帝王、トウカイテイオー。
……そして、三等星にアタシ、ナイスネイチャだ。
ここでも1番になれないことを悔しがるべきか、多くの星の中で3番目と目されたことを喜ぶべきか、微妙なところだ。
勿論、評価されることは嬉しい。嬉しいけど……。
また、3か。
選別レースでも、3着で。
ウィルとテイオーとの模擬レースでも、3着で。
会長とテイオーとの模擬レースでも、3着で。
付けられた称号も、三等星。
どうにもアタシは3という数字に縁がある。
どれだけやっても「あとちょっと」。
もう少しで届くってところで、1番を取れずに終わる。
3って数字に呪われてるんじゃないかって程だよ。
……でも、それも今日までだ。
アタシは今日、必ず、1着を取る。
G1ウマ娘になって、トレーナーさんにG1トレーナーの称号をあげるんだ。
「あー、いかんね、どうにも」
柄にもなく、闘志が燃えて落ち着かない。
スマホをスリープモードにして、アタシは立ち上がる。
落ち着かないものは仕方ない。
トレーナーさんが帰って来るまで、負荷をかけない程度にストレッチでもしてようかな。
* * *
さて、時間は過ぎ去り、いよいよ出走直前。
アタシたちウマ娘はパドックでのアピールを終え、ターフの上に上がっていく。
それを出迎えるのは……。
とんでもない数の、観客。
「う、わ」
思わず、呟いてしまった。
アタシのここまでの戦績は、9戦7勝。
最初にやらかしたメイクデビューと、テイオーに勝てなかった若駒ステークス以外の全てのレースで……アタシは、勝って来た。
特に7月以降は5連勝。この前の京都新聞杯なんか、あのハートブロウアップに3バ身差を付けて勝てた。
自慢じゃないけど、今のアタシはノリにノってる。多少のことじゃ動じない自信があった。
……でも、その光景の迫力は、予想を遥かに超えてたんだ。
『クラシックロードの終着点、菊花賞。
「最も強いウマ娘」が勝つレースにおいて、最強を証明するのは誰になるのか?
星の世代と呼ばれる彼女たちの中から新たなスターが生まれることを期待し、数多くのファンが京都レース場に集まっています!』
遠くから聞こえて来た実況が言っている通り……すごい数の観客だ。
あっちを見ても、こっちを見ても、ひたすら人とウマ娘だらけ。
誰も彼もが、今から始まるレースを一目見ようと詰めかけて来てる。
これが、G1レース。
国内最高峰、最強を決める戦い。
今までのレースとは段違いの期待と願いが、窒息しそうなくらいにレース場に張り詰めている。
思わず、ぶるりと体が震えた。
でも……うん、これは武者震いってことで。
「今更、ビビってらんないし。
……あの子はずっと、こんな舞台で戦ってきたんだから」
口の中で呟いて、腹を括る。
今日は決戦の日。こんなことで動揺していられない。
アタシが本調子じゃなきゃ、勝てるものも勝てなくなっちゃうもんね。
* * *
出走までの待ち時間。
出走ウマ娘たちに好き放題囁いた後、ターフの上でストレッチしていると、遠くから解説の声が聞こえてきた。
『京都レース場、右外回り、芝3000メートル。前日の雨の影響で、バ場状態は稍重の発表。
強靭なスタミナと、淀の坂を越えるパワーがなければ、このコースは完走することすら難しいですよ』
京都レース場の、淀の坂。
今日走るコースの一番の特徴とも言える、あまりにも有名な坂道だ。
序盤と第3コーナー周辺で合計2回通ることになるそれは、実に高低差4メートル以上。
これがどれだけ急こう配かと言うと……阪神レース場にある仁川の坂の2倍、と言えば伝わりやすいかな。
逃げや先行の策を取るウマ娘にとって、この坂は非常に厄介な地形だ。
前半でスタミナを使う彼女たちからすれば、3000メートルという距離はあまりに長い。
その上終盤、長距離を走って疲労した状態で、この登り坂に向き合う必要があるのだ。
ミドルペースにでも登れたら良い方で、最悪減速しすぎてローペースにまで落とされる可能性すらある。
故に、菊花賞で逃げウマ娘が勝ったケースは、非常に少ない。
歴代でも4人。……まだ研究が進んでなかった何十年も前に3人と、つい3年前に1人。
この4人って数字は、歴代の三冠ウマ娘の数と一致する。
つまりは、そういうことだ。
菊花賞はダービーと同じかそれ以上に、逃げウマ娘に不利なレースと言える。
更に、この坂の何が厄介って、差しや追込ウマ娘にも影響するところだ。
このコースは、登り坂の途中から第三コーナーにさしかかる。
コーナーの途中で登り坂は終わり、そこからは急こう配の下り坂になるんだけど……。
ここで速度を出しすぎると、遠心力でコーナーの外側に弾き飛ばされてしまうんだ。
……ごく一部のハチャメチャなウマ娘を除いて、レースというものには定石がある。
例えばそれは、第3コーナーからが勝負、ってこととか。
逃げウマ娘は別として、先行、差し、追込ウマ娘は、レース中のどこかからペースを上げて自分の位置を押し上げ、最終直線でスパートした際に先頭を抜かせる位置に付かないといけない。
積極策やロングスパートを取る場合は別だけど、それは多くの場合、向こう正面から第3コーナーあたりで始まる。
テイオーやマックイーン先輩はそういう好位抜け出しを得意にしてるし、最近のレースの定石といったらこれになるだろう。
けど、淀の坂はこれを許さない。
登り坂をハイペースで登れば、めちゃくちゃにスタミナを削られるため、最終直線でスパートができなくなる。
下り坂をハイペースで駆け降りれば、遠心力で外に弾き出され、自分の選んだレーンを放棄することになる。
故に、京都レース場で第3コーナーからスパートをかけるのは危険なのだ。
本当の勝負が始まるのは坂の後、最終コーナー間近から。
これが菊花賞というレースの基本となる。
……ちなみに、ここまでのは全部トレーナーさんの受け売りです。
何日も講義を受けて、このレース場の情報を頭に叩き込まれたからね。予習はバッチリ。
とにかく、菊花賞の第3コーナーにある淀の坂。
これを駆け登ったり、駆け降りることはタブーだ。
これを破った上で勝てるのは、それこそ最高の才能を持つウマ娘だけ。
例えば、今はドリームトロフィーリーグで走っているクラシック三冠ウマ娘、ミスターシービー先輩とか。
あるいは……。
その時。
ざわり、と空気が揺れるのを感じた。
……あるいは、あまりにも悲劇的に故障を起こしておきながら、何事もなかったような顔で復帰してくるおバ鹿とか。
『さぁ少し遅れて、本日の主役がターフに姿を現しました!
全ての過去を過去にする、最新の伝説。
18の星々の中にあってなお燦然と輝く一等星は、今日もまた不可能を破り捨ててくれるのか!』
『一番人気はこの子をおいて他にはいない!
ここまで無敗の二冠ウマ娘、ホシノウィルム!』
その子がターフに足を付けただけで、その場の雰囲気が変わった。
例外なく、皆が彼女に注目する。
観客も、実況解説も、アタシたち出走ウマ娘も。
誰も、彼女の存在から、目を背けられない。
視線のスポットライトの中、こっちに歩いて来るのは……。
アタシの知る限り一番キラキラした、主人公みたいなウマ娘。
肩まで伸ばした鹿毛と、一房だけ伸びた黒鹿毛。
黒のインナーの上に深紅のジャケット、羽織るのは美しい灰色のマント。
小柄ではあるけど、誰もが無視できない威圧感を持つ、世代の王。
ホシノウィルムだ。
今日も今日とて、その顔は無表情。
……一見、そう見えるけど。
彼女と付き合って久しいアタシには、わかる。
ウィル、ちょっとだけ笑ってるよ。
心の底から嬉しそうに、楽しそうに。
……そして、獰猛に。
彼女はゆったりとしたペースで、アタシの前にまで歩いて来る。
その歩調は、数か月前までの彼女のそれと全く同じで……。
ようやく安心したアタシは、口を開いた。
「ウィル、待ちかねたよ」
「うん、遅くなってごめんなさい、ネイチャ」
ピリピリと、肌が痛くなるような錯覚。
初めて公式レースで対面した親友からは、これまでにない闘志を感じた。
最初に会った頃の彼女は、どこかちぐはぐな、あるいは空虚な印象の子だった。
何故走るのか。走って何がしたいのか……。
それを考えることすらなく、義務的に走るような……ちょっと失礼かもしれないけど、壊れた機械みたいな印象を受けた記憶がある。
……でも、今の彼女は、違う。
闘志に燃える瞳も、仕上げてきたんだろう体も、言動の端々から感じられる精神的な集中も。
アタシが見て来た誰よりも、勿論アタシなんかよりも……。
今のウィルは、誰よりもウマ娘らしいウマ娘だ。
「今日は良いレースにしましょう、ネイチャ。どんな手で来るか、楽しみにしていますね」
彼女はそう言って、アタシに手を差し出してきた。
……風説によれば。
ホシノウィルムがレース前に握手をするのは、自分が認めたウマ娘だけだという。
そして、今まで……彼女が自分から握手を求めた例はなかった。
観客たちは、レースが始まる前だってのに大盛り上がり。
あーあー、こりゃまた変な評価もらっちゃうよ。
ただでさえアタシ、この子が変にアピールするおかげで過剰評価されがちだっていうのにさ。
そう、どこか冷静に考えながら、アタシは……。
全身に走る寒気のような緊張を、抑えられなかった。
ようやくだ。
ようやくここまで来た。
ウィルに……ホシノウィルムにライバルと認められて、同じ舞台、同じ条件で、互いに全力を出してぶつかることのできるところまで。
……いや、それは正確じゃないだろうけど。
ホシノウィルムが全力を出せるのかは……微妙なところだったから。
今から、大体1か月前のこと。
『ホシノウィルムがあの頃の走りをできるかは、正直に言ってわからない』
ウィルが菊花賞に出走登録するという情報を掴んで10分後に始まった、トレーナーさんとの緊急会議。
そこでの、トレーナーさんの一言目がそれだった。
『骨折はかなり大きな故障だ。最悪、それで以前通りの走りができなくなっている可能性もある。
そしてたとえ元の走りができたとしても、4か月強っていう長期間トレーニングを積めなかったのはかなり大きい。いくらリハビリをしても、どこまで筋力が戻るかはわからないからね。
その上、彼女は叩きなしで……事前に何かのレースに出ることもなく、直接菊花賞に殴りこんでくる。久々のG1レースで本調子が出せない可能性は、決して低くない。
更に、出るレースは今までに経験のない3000メートルで、淀の坂まであるんだ。
まともに走れる方が異常と言っていいくらいだよ』
それは否定しようのない、まっとうな意見に聞こえた。
けど、付き合いの長さから透けて見える。
アタシのトレーナーさんが、こういうことを長々と言ってくる時は……。
『『でも、油断はできない』』
そう、落として来る。
思考を読まれたことに照れたのか、トレーナーさんはちょっと赤くなって、でも咳払いしてすぐに続けた。
『ホシノウィルムに常識は通用しない。
どんな状態で、何が起ころうと、彼女が脅威であることに変わりはない。
だから一番最悪のケース……彼女が更に強くなって戻って来る場合を想定して、対策を練ろうと思う』
……トレーナーさん。
あの時の懸念、大正解だよ。
ウィルは今……これまでのどのウィルよりも、恐ろしい。
休養していたとは思えない、体の仕上がりもそう。
このG1の大舞台を前にしてほとんど緊張していない、豪胆さもそう。
でも、何より恐ろしいのは……その笑顔だ。
彼女の口元は、確かに少しだけ吊り上がってる。
けれど、目が笑っていない。
馴れ合いなんてナシ、全力でお前を潰すと。
踏み潰して、グチャグチャにして、お前より速くゴールすると。
青白い目はそういう、野性的な獰猛さを秘めていた。
今の彼女は、獣に等しい。
それも血の味に飢えた、それでいて理性的な獣。
獣は久々の戦場に燃え滾り、誰よりも勝利を渇望し、良き好敵手に恵まれた幸運に喜んでいた。
正直、その雰囲気に呑まれないように耐えるのが関の山だ。
今の彼女には、付け込む隙がない。
完成してしまっていて、どこから崩せばいいかわからない。
……それでも。
アタシは、その瞳を睨み返す。
アタシにはまだ、自信がない。
この場で彼女に勝てると、本心から言えるだけの成功体験がない。
けれど……彼女と走ることもできないような、弱いウマ娘でもない。
この時のために、ずっと備えて来たんだ。
ずっとずっと、トレーナーさんと二人三脚で走って来たんだ。
このレースで、全力の彼女を超えるために。
……今度こそ、1番になるために!
だからアタシは……。
1人の、ホシノウィルムのライバルウマ娘として、精一杯の虚勢を張った。
「『楽しみにしてる』、か。言ってくれるじゃん?
ここまで5か月療養してたとは思えないね」
「ふふ……まぁ、私にも色々あるのです。
それに、忘れたんですか、ネイチャ。私はホシノウィルムですよ?」
アタシのそれを虚勢と見抜いたのかは、わからないけど……。
彼女は口元を押さえて、おかしそうに笑った。
こういう表情も、昔は表に出てこなかったよね。
本当に、彼女は柔らかくなった。
そして同時に、何を言われても揺るがなくなった。
それは、友達としてはこの上なく嬉しいことで、ライバルとしてはこの上なく恐ろしいことだ。
……しかし「私はホシノウィルムですよ」、か。
前にも増してキラキラしちゃって、まぁ。
彼女は自分と、自分を鍛え上げた堀野トレーナーさんを、欠片も疑っていない。
勝つのは自分たちをおいて他にいないと、心の底から信じている。
けど……恐ろしいことに、慢心の気配はない。
自分に自信を持つことと、相手を侮ることは紙一重だ。
でも、紙一重だけでも、違う。
妄信気味なまでの自信を抱きながら、彼女は現実を見ている。
アタシを恐れている。脅威と認識している。
その上で、全力を尽くして叩き潰すつもりだ。
……いいね、ウィル。
そうじゃないと、アンタを超えたって胸を張って言えない。
さあ、始めよう、アタシたちの……。
いや、星の世代の、最後の決戦を。
* * *
ゲートイン開始の合図を聞いて、アタシはウィルと別れ、自分のゲートに入る。
アタシは3枠5番、ウィルは……1枠1番。
心は……落ち着いてる。
そして同時、奮い立っている。
アタシのライバルは、最高の状態で来てくれた。
……後は、アタシがその背中を、追い抜くだけだ。
『ゲートイン完了。出走準備整いました』
さぁ、状況は整った。
考えろ、アタシ。
ホシノウィルムを超えるには、どうすればいい?
『……スタート!』
「○○が出ていればなんて言わせない」なんて言わせない菊花賞、開幕。
ちなみに今の通算成績は以下の通り。
ウィルム:7戦7勝(G1に4勝、重賞5勝)
テイオー:6戦4勝(重賞未勝利)
ネイチャ:9戦7勝(重賞2勝)
G1ウマ娘もホシノウィルムに問答無用で大差を付けられるので、等級格付けは「公式非公式問わずホシノウィルムにどこまで迫ったか」で測られるらしい。
なんだそのめちゃくちゃな定規。
次回は3、4日後。ネイチャ視点で、菊花賞後半と、星の話。
(追記)
誤字報告をいただき、わざとでないは訂正させていただきました。ありがとうございました!
(本編に関係のない呟き)
やっぱり大逃げってロマンがすごい。
パンサラッサに釘付けでした。