転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

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 第二部は菊花賞以降なので、しばらくは第一部の後日談、かつ第二部への準備的なヤツ。
 ホシノウィルムの迎えたハッピーエンド、その先のお話をどうぞ。

 今日の運勢:凶。失せ物見つかれど魔多し。水難注意。





And they all lived happy end after!
コンゴトモヨロシク


 

 

 

 時に。

 「惚れた弱み」という言葉があるじゃないか。

 あれはある種、真理を突いていると思うんだ。

 

 思うに、「惚れる」というのは、つまるところ「好き」という感情なんだと思う。

 そして「好き」という感情は、ホシノウィルムの言っていたとおり「心地良い」に近く。

 「心地良い」は、最終的には「ほしい」に繋がっている気がする。

 

 その人と一緒にいること、それと一緒にあることを心地良いと思う。

 だから自分の横にあってほしい。

 究極的には、自分のものにしてしまいたい。

 それが「惚れる」という感情なのだろう。

 

 そして誰か、あるいは何かに惚れた人間が、最も恐れることは……。

 対象に離れられたり、嫌われたりすること。

 故に、それに対して従順になる。それに尽くすようになる。

 

 それこそが、「惚れた弱み」というヤツなのではないか。

 

 前世、何かの本に「最初に惚れた方の負け」という一文もあった気がするし、やはり惚れるというのは人間関係において弱点を露出することに繋がるんだと思う。

 それを「負け」と表現したんだろうな。

 

「……負け、か」

 

 つまるところ。

 

 俺はあの瞬間、ホシノウィルムに負けてしまったのか。

 

 

 

 宝塚記念終盤、ホシノウィルムはスパートした。

 禁じていた前傾姿勢で、それも今までに見せたことのないような、とんでもない速度で。

 

 ……けれど俺は、悲鳴を上げることすら忘れ、その姿に魅入ってしまった。

 

 その時の彼女は、誰よりも楽しそうで。

 誰よりも満たされて。

 誰よりも本気で。

 誰よりも……ウマ娘らしかったから。

 

 その走りは俺に、昔のことを思い出させた。

 この世界に来て、トレーナーになると決める……その直前。

 ウマ娘に興味を示したことで、父に初めて見せてもらったG1レース。

 

 そこでは誰もが必死で、燃え上がり、命を懸けて走っていた。

 

 アプリを通して見ていたものとは、熱量が違った。

 顔を歪め、余裕なんてかなぐり捨てて、自分が一番だって叫ぶウマ娘も。

 それを応援し、歓声を上げて、その勝利に喜ぶ観客も。

 

 俺はそのあまりの熱に圧倒されて……。

 

 その時。

 彼女たちの姿に……何かを感じたんだ。

 

 その気持ちが一体何なのか、当時はわからなかったが……。

 その時、俺は心の底から「トレーナーになりたい」と思った。

 

 

 

 ……そう。

 最初は、そんな純粋な想いだったんだ。

 

 

 

 いつから形を変えてしまったのか。

 俺は確かに、誇れる自分になるためにトレーナーを指標にした。

 それは否定しようもない事実だ。

 

 ……だが同時に、ウマ娘のレースに、熱いものを感じていたはずだったのに。

 

 年月が経ち、その熱が冷めてしまったのか……。

 あるいは、トレーナーとして相応しくないものとして、自分の奥底にしまい込んで忘れてしまったのかもしれないが。

 

 どちらにしろ、俺は……。

 あの瞬間、ホシノウィルムの走りに、ずっと昔に感じた熱を引っ張り出されてしまった。

 そして、誰よりもウマ娘らしく走る彼女を見て、俺はようやくその熱の意味を理解したんだ。

 

 「俺はウマ娘のレースが好きなんだ」と。

 

 そして……。

 「その中でも、ホシノウィルムの走りが一番好きだ」と。

 

 そう、思わされてしまった。

 

 

 

 堀野のトレーナーにあるまじき、個人的な妄執。

 故にこの感情は、忌避すべきものなんだろうが……。

 

 これが、どうにもならない。

 

 「好き」という感情は不可逆で、どうにも抑えが利かない。

 彼女を担当したい。彼女を支えたい。その走りを多くの人に見て、多くの人に感動してほしい。それだけ彼女には価値があるのだと、多くの人に認めてほしい。

 そして何より……それを通して、ホシノウィルムという少女に幸せになってほしい、と。

 その思いが、止められないんだ。

 

 ……どうやら俺は、もう彼女から逃げられないらしい。

 もちろん、今更逃げるつもりもない。

 むしろ俺が彼女に逃げられないよう、頑張らなければならないわけだが。

 

 

 

 ……しかし果たして、こんな個人的感情に振り回されているような状態で、彼女を適切に導けるんだろうか。

 

 それが今の、大きな頭痛の種だった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 波瀾と奇跡に満ちた宝塚記念が終わり、ホシノウィルムが名実ともに現役最強の一角として認知されてから、数時間。

 

 勝利者インタビューではセイウンスカイやメジロマックイーン、メジロライアンを「最高の好敵手でした」「再び一緒に走る機会に恵まれることを望みます」と讃え……。

 彼女にとって四曲目となるライブ曲、「Special Record!」のセンターを飾り……。

 その日は、飛ぶように時間が過ぎていった。

 

 流石に疲労困憊の様子で、車に乗るや否や眠りに就いてしまったホシノウィルム。

 気の抜けた年相応の寝顔を微笑ましく思いながら、彼女を栗東寮の寮長であるフジキセキに預けて。

 

 なんだか、これから大きな変化がありそうな。

 あるいは、俺の中で、彼女の中で、何かが変わっていくような。

 そんな奇妙な充実感と共に、トレーナー寮の自室で眠りに付いたのだが……。

 

 

 

 翌日、6月10日。

 

 ホシノウィルムを精密検査にかけた結果。

 

「折れてますね」

「え?」

「は?」

「いや、脚、綺麗に折れてますよ。ひとまず入院しておきましょうか。

 菊花賞は……残念ですが、難しいでしょうね」

 

 ……昨日の変な充実感は何だったのか。

 俺たちは、めちゃくちゃ大きな足踏みを強いられることになった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 その6月10日は、俺の今までの人生で一番大変な1日だったと思う。

 

 まず、トレーナーと広報等の中間管理をしているたづなさんに電話で彼女の故障について伝え、入院することになったホシノウィルムの精神状態が落ち着いていることを確認しながら病室まで付き添い、「必ず戻って来る」と伝えて、病院で貰った故障の証明書と共にトレセンに飛んで戻り……。

 

 各種メディアに故障の事実を発表し、そりゃあもうとんでもない反響になってしまい、電話対応に追われることになった事務局にぺこぺこ頭を下げて、今度はホシノウィルムの住む栗東寮に向かい……。

 

 フジキセキに頼み込んで、彼女の個室から着替えやタオルなど生活必需品をバッグに詰めて持ってきてもらい、再び病院にとんぼ返りして……。

 

 思いの外落ち着いているホシノウィルムに安堵しながら、持って来た荷物を病室に運び入れ、ベッドに横たわる彼女と少しだけ話をして、どうやらきちんと現実を受け止めていることや、ひとまず結果に後悔してはいないことを確認し……。

 

 このままでは互いに混乱して不毛な会話になりそうだったので、「お互い明日までに気持ちを纏めておこう」と結論を出して、再び病院を離れて今度は緊急記者会見の場へ赴き……。

 

 当然ながら事実の追求と責任の追及が始まったので、ひたすら事実だけを機械のように答え、感情を殺して頭を下げ続け……。

 

 それが終わったらトレセンに戻り、たづなさんから送られてくる書類を処理しながら、彼女がこれからお世話になる予定だった方々にキャンセルと謝罪の連絡を入れて……。

 

 明日彼女に聞くべき内容、伝えるべき内容をああでもないこうでもないとリストアップして頭に叩き込み……。

 

 過去3か月のレースとトレーニングのデータを見直して今回の件の反省と次回に活かす為のアーカイブ化を手早く済ませ、堀野の家に作成した報告書を送り……。

 

 

 

 ……それらが終わった頃には、既に夜は終わっていた。

 

 

 

 トレーナー室の窓から差し込んでくる光に、目を細める。

 

「あー……朝か……」

 

 ……ヤバい、頭全然動いてないな。

 

 いやぁ……うん、ちょっと……疲れた。

 

 あんまり疲れを感じない体質だと思っていたんだが……。

 今は……精神的な疲弊が、頭を重たくしている。

 どうやら、ホシノウィルムを故障させたってのが、かなり心に来ているらしい。

 

 それも、当然か。

 もしかしたら、二度とあの走りを見ることができないかもしれない。

 彼女の望む道を、俺の判断ミスが絶ってしまったのかもしれない。

 ……そんな畏怖が、泥のように頭に張り付いて離れない。

 

 こんな状態じゃ、彼女に会いに行けない。

 ひとまず仮眠を取って……精神状態を、リフレッシュしないと。

 

 布団に入ろうとして……ようやく、今、自分がトレーナー室にいることを思い出した。

 

「……うげ」

 

 そうだった、ここからトレーナー寮まで、結構距離あるな……。

 面倒臭い……もう、ここでいいだろう。

 どうせ彼女がいない今、ここに来るのは……。

 

 少しだけ、30分……いや、15分…………。

 

 

 

 

 

 

「……レーナー」

 

 ……あ?

 

 何、頭痛い……。

 は? いや、え……?

 

 何が……え、ここどこだ?

 てか体冷たっ。節々痛いし……何?

 

「堀野トレーナー、ご無事ですか」

 

 声……かけられてる?

 うっ、頭ぐわんぐわんする……吐きそう……。

 いやでも、答えないと……。

 

「ごぶじぃ……? ぶじ、ぶじ……あぁ、ぶじだ、けど」

 

 全然呂律が回らないし……。

 ヤバい、しっかりしないと、心配かける……。

 

「呼吸確認。血色状態不良。焦点不定。体温低。思考能力低下。痙攣、アルコール臭確認できず。

 ……体力の低下による気絶状態から復帰したものと推測。

 緊急タスクを開始します」

 

 こきゅう……え?

 

 俺が意味を理解できず困惑している間に……声の主はそう言ったきり、どこかに行ってしまった。

 

 ……何なの?

 

 あー……えっと、それで、何がどうなってんだ。

 見当識が……機能してない。

 ここがどこで、自分が誰で、何が起こってここにいるのか……。

 

 俺、何してたんだっけ……?

 

「堀野トレーナー、失礼します」

「え?」

 

 困惑する俺に……。

 いや、俺の顔面に、水がぶっかけられた。

 

「あびゃぁーっ!?」

 

 

 

 ……なんというか。

 厄日が続くなぁ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 俺が寝込みに奇襲を受けてから、15分後。

 濡れそぼったジャケットの水滴を落としてハンガーにかけ、びしょびしょの床を雑巾で拭き、ひとまずの安寧を取り戻した俺は、今回事件を起こした下手人と向き合っていた。

 

 豊かな栗毛、大きな体躯、感情の読みにくい青の瞳に、右耳に付けた水色の耳飾り。

 今日も今日とて無表情のスパルタサイボーグ。

 

 彼女の名は、ミホノブルボン。

 この世界を生きる、ジュニア級のウマ娘だ。

 

「さて、ミホノブルボン。今回俺にバケツで水をかけた理由を聞こうか」

 

 濡れた髪をタオルで拭きながら、彼女に問いただす。

 ……いや、正直「こうじゃないかな」という予想はあるんだけど、一応彼女の口から聞いておこう。

 

「はい。堀野トレーナーの気絶状態を確認、緊急タスク『寝耳に水』を実行しました」

「『寝耳に水』というのは?」

「私がよく使う覚醒法です。こうすればすぐに目が覚めるため、入学前は父に申請し、よく行ってもらいました」

 

 予想通りの理由だけど……すごい方法で目覚ましかけてるなこの子。アニメかよ。

 ……いや、そういえば前世ではアプリゲームのキャラだったわ。

 

 そう言えばブルボンって、前世アプリでも、トレーナーが知り合った時点でゴリゴリのスパルタ方針だったよな。

 めちゃくちゃな目覚まし方法を見るに……やはりと言うべきか、その血と汗と涙で強くなる方針は前のトレーナーからではなく、生来のものだったらしい。

 ……いや、そうじゃなくて。

 

「まぁ、君がどのような起き方をするかは問わないが。許可も取らず他人に行うには適さない方法だな、それは」

「申し訳ありません。堀野トレーナーが床に横たわっている状態を見て、緊急事態であると判断しました」

「あぁ、いやすまない、確かにそんな状態で倒れていた俺が悪いな。

 ……ん? いや、それでも水をかけるのは正しいのか……?」

 

 確かに、床に人が転がっているのは緊急事態だ。

 むしろそんな状態で慌てもせず、冷静に自分が思った最適行動をできるのは偉い。

 

 偉いけど、まずはやっぱり肩をゆするとか、人を呼ぶとかじゃないか?

 そこで「取り敢えず水をかけて起こそう」はちょっと早くないか?

 

 ……いや、取り敢えず、彼女の気持ちはありがたく受け取るべきだな。

 意識と呼吸は確認した上での行動だったみたいだし……うん、ここは感謝が正解か。

 

「ひとまず、起こしてくれてありがとう、ミホノブルボン。少し働き過ぎて倒れていたようだ」

「いえ、通りすがりにドアの隙間から倒れた姿が見えたので、当然の処置を実行したのみです。

 しかし、体力の低下による気絶は、時に酷い怪我を招きます。お体を大切になさってください」

 

 今もなお無表情な彼女だが……どうやらただ表情に出にくいだけなんだろう。

 今はその瞳から、心配そうな気配が伝わって来る。

 いつも機械的な印象のある子だが、やはり彼女もウマ娘の1人、心優しい一面も持ってるんだろうな。

 

 しかしこの1年半で、俺も人の表情を窺うのがだいぶ上手くなったな。

 この学園に来た時の俺であれば、まず彼女の感情など推し量れなかった。

 これもホシノウィルムに学ばせてもらったものだ。

 

 

 

 ……ん?

 ホシノウィルム?

 

 

 

「しまったっ!!」

 

 完全に状況が頭から飛んでいた。

 

 椅子を倒す勢いで立ち上がり、机の上にスマホを探すが……ない。

 いや、この感触、ポケットか!

 

 急いで取り出して時間を確認すると……もう12時。

 俺のバ鹿、何が15分だ、ぐっすり3時間くらい寝てたわ!

 

「すまないミホノブルボン、俺は用事があるので失礼する!

 この借りは何かの形で必ず返すから!」

 

 ホシノウィルムが入院しているウマ娘専門病院、そこの面会時間は13時から20時。

 今のホシノウィルムを1人にする時間は短い方がいい、今すぐ準備しないと……!

 

「用事とは、ホシノウィルム先輩のお見舞いでしょうか」

「ああそうだ、早く準備しないと面会時間の開始に間に合わない。だから申し訳ないが……」

「であれば、私も同行しても構いませんか?」

「……? 君も?」

 

 ミホノブルボンの意図が読めず、思わず聞き返す。

 ジュニア級の子の中には、ホシノウィルムの熱烈なファンがいるという話も聞くし、ひょっとして彼女もそうなんだろうか。

 確かに三冠を目指すブルボンにとって、無敗で二冠を取ったホシノウィルムは憧れるに足るウマ娘なんだろうが……。

 

 何にしろ、同行を許すことはできない。

 今はホシノウィルムに余計な衝撃を与えたくはないんだ、と。

 そう言おうとしたのだが……それより先に彼女が口を開いた。

 

「私は以前、ホシノウィルム先輩に助けていただいた経験を持ちます。故に、後輩として先輩のお見舞いに行くことを志願します」

 

 ホシノウィルムが、ミホノブルボンを助けた?

 そんな話は彼女から聞いていないが……。

 いや、誰かを助けたことを自慢げに話すような子でもないか。

 

 しかし、交友のあった後輩、か。

 今のホシノウィルムは、少なからずショックを受けているはず。

 彼女を少しでも励ますことができるのなら、ブルボンも連れていくべきだろうか。

 ……ミホノブルボンは、空回ることはあれど、悪意で誰かを傷つけるようなウマ娘ではない。

 連れて行っても、悪い影響は生まない……か?

 

 ……いやしかし、どちらにしろ今はタイミングが良くない。

 今のホシノウィルムの状態は読めない。

 心細がっている可能性も、苛立っている可能性も、心が折れている可能性もある。

 そんな彼女に、余計な影響を与えるような行為は避けるべきだ。

 

 たとえ友人だとしても、少し天然の気があるミホノブルボンを連れていくことは、悪影響に繋がる可能性がある。

 会うのも、情報を渡すのも、俺1人からだけである方が望ましいだろう。

 

 

「……そうだな、では病室の場所は教える。

 だが他のウマ娘には教えず、個人的に見舞うように。

 それと、今日は……いや、俺が連絡するまでは行くのをやめてくれ。彼女の調子が安定したら、改めて連絡するから」

「了解しました」

「うむ、話の分かるウマ娘で助かる。

 少し待て……よし、これが俺の連絡先だ。後ほどメールを頼む」

 

 こくりと頷く、無表情のウマ娘。

 

 ……きっとホシノウィルムにとって、親しい後輩の存在は、大きな財産になるはずだ。

 多くの人とウマ娘を知り、話し、付き合うこと。

 それが彼女の世界をもっと広げ、満たすことに繋がるはずだから。

 

 

 

 トレーナー室を施錠している時、ブルボンが声をかけてくる。

 

「時に、トレーナー契約の件、考えていただけましたか」

「……まだ諦めてなかったのか。残念だが、受ける気はないぞ」

 

 何せ俺は、あのホシノウィルムの走りに魅せられてしまったからな。

 今は彼女のことに集中したいんだ。

 

「……そうですか、残念です」

 

 ミホノブルボンは、以前に比べてやけにあっさりと引き下がったように思えたが……。

 それを気にしている余裕は、今の俺にはなかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「トレーナー!」

 

 病室に入ると、すぐに声がかかった。

 その調子に思わず「走るなよ」と返しそうになって……あまりにも不謹慎だと心の中で押し殺す。

 

 ドアを閉め、視線を向けた先にいるのは、俺の担当ウマ娘、ホシノウィルム。

 彼女は現在、右脚をベッドに固定され、この病室で安静の状態にあった。

 

 幸いにも骨は綺麗に折れており、手術の必要はないらしい。

 けれどこれ以上脚に刺激を与えないため、今は自由に歩くことさえ許されない状態だ。

 自主トレをこよなく愛する彼女にとって、とても窮屈な環境だと思うが……流石の彼女も、この状態から無理をするほど道理を弁えていないわけじゃない。

 「この怪我が治るまでは、勝手に自主トレしたりはしません」と誓ってくれた。

 そう言いながらも「早く治して走りたい」という想いは抑えられていなかったけど……。

 

 ……うん、ひとまず今日も元気そうで何よりだ。

 勿論、そこには空元気も含まれてるんだろうが……落ち込んでいるよりは、ずっといい。

 兄曰く、病は気からという言葉には一理あり、ちょっと無理をしてでも明るく振舞った方が、精神にも体調にも良いらしいし。

 

 だから俺は、努めていつも通りの声を意識し、彼女に声をかけた。

 

「すまない、少し遅くなったな」

「ええ、待ちくたびれました」

 

 ……遅いって言っても、渋滞に引っかかった5分かそこらなんだけども。

 病室に入っただけでそんなに表情を明るくされては、野暮なことも言えなくなってしまう。

 

 いや、一見表情はほとんど変わってないんだけど……よく見れば、その変化はわかりやすい。

 伏せられがちな目がちょっと開いて、唇の両端が吊り上がる。

 けれど次の瞬間、取り繕おうとしたのか、慌ててそれらが仮面の下に隠される。

 ……でも、少しするとまたジワジワとにじみ出てくるんだ。

 

 気付いてしまえば可愛いもんだ。

 彼女は確かに無表情で、どこか冷たい雰囲気を持っているが……。

 それはあくまで、彼女の仮面。

 恐らくは幼少期の辛い経験から培われた、自分の感情を前に出してはいけないという思い込み、あるいはその方が被害が少なくて済むっていう処世術に過ぎない。

 

 彼女は無感情なようでいて、その実かなり情緒豊かだ。

 色んな経験を通して、色んなことを感じ、色んなことを学ぶ……等身大のウマ娘。

 

 自分のトレーナーが病室を訪れただけで、思わず喜びを表に出しかけてしまうくらいに……。

 どこにでもいる普通の、中等部の女の子なんだ。

 

「……ん、トレーナー、お風呂入ってきました?」

「え?」

「なんだかいつもの匂いが……しないような気がします」

「…………そ、そうか。確かにシャワーは浴びて来たが」

 

 ……いや、アレだ。

 これは別に、彼女が変態なんじゃなくて。

 

 俺たち人間の感覚だと、相手の匂いを覚えてるってのは……生涯のパートナーでもない限り、ちょっとアレだが……。

 ウマ娘は嗅覚がかなり鋭いからな。

 前世でも馬は嗅覚で人間を覚えていたというし、ウマ娘にとってはこれが普通なんだろう。

 

 一応教本で「ウマ娘は人の匂いを覚えることがある」と学びはしたのだが、事実と実感はまた別のもの。

 熟練のトレーナーであれば、さらりと流せるところだろうが……反射的に戸惑ってしまった。

 やはりこういうところは、トレーナーとしての経験のなさが露骨に出てしまうな。

 

 俺たちトレーナーは、その感性に寄り添わなければいけないのに……。

 一瞬でも彼女を変態かのように思ってしまったこと、反省しなければ。

 

 ……それはそれとして、なんで深呼吸してるのかな、この子。

 匂いの話したばっかりだから恥ずかしいんだけど。

 

 

 

 さて、落ち着いたところで、そろそろ話を始めよう。

 

「改めてこんにちは、ホシノウィルム。調子は悪くなさそうだが……どうだ?」

「そうですね……やはりまだ、骨折したという実感が湧きません。確かに脚に違和感はあるんですが、痛みはほとんどないですし」

「ふむ……親類の医療従事者に聞いたところ、そういう骨折こそ危険との話だ。折れたことにも気付かず余計に悪化させてしまう、ということでな」

 

 本当に、ちゃんと精密検査を通してよかった。

 検査にかかったからこそ骨折が発覚したし、だからこそ最低限の悪化で済んだんだ。

 もしも「ホシノウィルムのことだから大丈夫だろう」「あんなに気持ちよく走っていたのだから折れてるはずがない」なんて判断していれば……考えたくもないことになっていた。

 

 ……いや、それ以上に、もっと考えたくないのは。

 レース中に、事故を起こしていた可能性だ。

 

 ウマ娘の体は、人体に比べてかなり頑丈だ。

 だが、それにも限度ってものがある。

 彼女たちの最高速度はおおよそ時速70キロメートル強。高速道路を通る普通自動車と並ぶ程。

 いくらウマ娘とはいえ、そんな速度で転んだり衝突すれば……最悪、命に関わる怪我を負う。

 

 本当に……本当に、そうならなくてよかった。

 

「ひとまず、君が無事で良かった。

 本来は故障を起こした君に言うべきことではないが……よく帰ってきてくれた。

 おかえり、ホシノウィルム」

「はい。少し遅れてしまいましたが、ただいまかえりました、トレーナー」

 

 ……ようやく、その言葉を交わして。

 

「……はぁ」

 

 俺は……椅子の上で、一気に脱力した。

 

「と、トレーナー? どうし……もしかして、疲れてます?」

「……まぁな。業務自体は良いんだが、どうにも……君のことが心配だった」

 

 最近よく見た悪夢のせいか、なんとなくホシノウィルムのことが気にかかった。

 宝塚記念の最中も、彼女が手の届かないところに行ってしまうような嫌な予感が、ずっと背筋を伝っていた。

 

 けれど……改めて彼女と腰を据えて話し、帰って来たのを認識して……ようやく落ち着けたような気がする。

 

「我ながらよくわからない話だが……今になってようやく、君が帰ってきたという安堵が湧いて来た」

「帰ってきた、って……当然帰って来ますよ。私はあなたのウマ娘なんですから」

 

 ……まったくこの子は、人の気も知らないで。

 

「君なぁ……最終コーナーであんなよろよろして、心配しないわけないだろ」

「き、気付いてたんですか……隠してたつもりだったのに」

「当たり前だ、君の走りをどれだけ見て来たと思ってる。……クソ、あの時は舞い上がってしまったが、冷静に考えるとウイニングライブを見送ってさっさと医師に見せるべきだったな」

「そ、それは駄目です。可能なら、ファンの方に感謝は伝えたいですし」

 

 おぉ……。

 彼女の考え方に、少し変化があったかな?

 

 以前の彼女は、ファンのことを視界に入れていなかった。

 負けないことに必死だったから、あまりレースに関係しない部分に興味を持てなかったんだろう。

 それが今は、ファンの方々に感謝を伝えたい、と言い出すとは……。

 よほどその声に背中を押されたと見える。

 

「きちんと耳にした応援の声はどうだった、ホシノウィルム」

「……すごかったです。ウイニングライブという文化が生まれるのも納得です」

 

 それほどか。

 「ファンの声援が競走ウマ娘の力になる」というのは、俗説ではあるが有名な話。

 ただの人間である俺には体感できない、大きな何かがあったんだろうな。

 

 何にしろ、幸せなことだ。

 自分に向けられる期待を、夢を、愛を……。

 彼女はようやく、目に入れられるようになったのだから。

 

 「良かった」という安堵と共に、「これからだな」という思いも生まれる。

 彼女はこれからも、ずっとずっと愛されるウマ娘になる。

 常識外れで、桁違いで、圧倒的な、最強のウマ娘として、永遠に語り継がれる存在になるんだ。

 

 

 

 ……そう、「ここから」だ。

 俺とホシノウィルムは、ここから心機一転、歩き出さなければいけない。

 

 

 

 すぅ、と息を吸う。

 これは、あるいは不必要な工程かもしれないけれど……。

 それでも俺にとって、俺たちにとって、きっと踏む意義のあるものだから。

 

 俺はホシノウィルムの青白い目を正面から見据え、話し出す。

 

「改めて……君に、謝らせてほしい。

 トレーナーとして、君の事故を未然に防げなかった未熟を。

 すまなかった、ホシノウィルム」

「もう、またですか、トレーナー。

 第一今回のは私が言い出したことで、悪いのは私……」

 

 彼女の言葉を、手で制する。

 もうコミュニケーションの不足で不和を起こしたくはない。

 俺は今一度、この気持ちを言葉にして、彼女に表明しないといけないんだ。

 

「……だが、あの時にも言ったが、俺は君がいい。ホシノウィルムを担当したい。

 君を育て、君と共に歩み、君の走りを最も近い場所で見たい。

 だからどうか……これからもよろしく頼む」

 

 頭を下げる。

 ……俺は、乞わねばならない立場だから。

 

 俺にはある程度、トレーナーとしての能力があると思う。

 だが……ある程度でしかない。

 熟練のトレーナーである皇帝の杖や、超一流の桐生院に比べれば、俺は間違いなく劣っているトレーナーだろう。

 稀代の天才である彼女を担当するには、能力も才能も足りないかもしれない。

 

 それでも、彼女を担当したい。

 そのあまりにも眩しい走りを支え、どこまでも見ていたいから。

 

 だから……!

 

 

 

「トレーナー」

 

 ゴスッ、と。

 そこそこ痛烈な一撃が、頭の頂点を突いた。

 

「いたっ!」

 

 顔を上げれば、ホシノウィルムの左手がチョップの形で俺に向けられている。

 

 ……えっと、ホシノウィルムさん。

 今俺、かなり真面目に、清水の舞台から飛び降りる覚悟でお願いしたんだけどなぁ。

 なんでそんな、怒ったような不満なような表情向けるの?

 

「まったく、トレーナーは何で、こういう時にダメダメなんですか」

 

 ホシノウィルムは、苛立ち半分呆れ半分、といった様子でため息を吐いている。

 

 俺自身がダメダメな自覚はあるけど……。

 そ、そんなに今の台詞、駄目だったかな。

 俺の想いは込めたし、ちゃんと言葉も選んだつもりなんだけどな……。

 

「忘れましたかトレーナー、私はこう言ったはずです。

 『あなたのトレーニングで宝塚に勝つ。勝てたら私をあなたのウマ娘にしてくれ』と」

「い、いや、確かに覚えているが」

 

 だから君のトレーナーとしてよろしくお願いしたんだが……何が不満なんだ。

 

 ホシノウィルムは、なお分かり合えないことに苛立ったのか、ちょっとだけ頬を膨らませてベッドをべちべちと叩いた。

 

「つまり、あなたが私に願うよりずっと前! 私の方からあなたにお願いしてるんですけど!

 『クラシック級の担当を宝塚に勝たせるような天才トレーナーに、私を担当してほしい』って!」

 

 宝塚記念。

 クラシック級では勝ち目がないとまで言われた戦いに、ホシノウィルムは勝った。

 

 しかし俺はその勝利を、あくまでホシノウィルムの功績だと思っている。

 俺はセイウンスカイをあれだけ知っておきながら、それでも行動を読み切れなかった。

 それでもなお勝てたのは、ひとえに彼女の実力、才能が凄まじかったからだ、と。

 

 ……だがそれを、他ならぬホシノウィルムが、それは俺の功績なんだと叫ぶ。

 

「私はあなたを認めます。あなた以上のトレーナーなんて、きっとこの世界のどこを探したって存在しません。

 そりゃあ、ちょっと人の感情を読むのが下手で、変に気を回すせいで空回りすることもありますけど……。

 それでも、私みたいな癖ウマ娘をここまで連れてくるなんて、それも宝塚記念に勝たせるなんて! あなたにしかできないことなんですよ!」

 

 彼女は僅かな怒気と共に……でもそれ以上に、痛烈な気持ちを込めて、伝えてくる。

 

「あなたは私が選んだ、唯一無二のトレーナー。

 だから……それはまず、こちらが言うべき言葉なんですよ」

 

 彼女は俺の手を取り、真剣な瞳で告げた。

 

「私もあなたがいい。堀野歩に担当してほしい。

 あなたに育てられ、あなたと共に歩み、あなたと勝ちたい!

 だから、改めて……これからもよろしくお願いします、トレーナー!」

 

 

 

 

 

 

 ……それは、俺たちが最初に交わし損ねた、互いへの想いの交換。

 

 季節は巡り、あの夜から1年と半年。

 俺とホシノウィルムの関係は変わり、再び「トレーナーとウマ娘」として、次の道へと歩み始める。

 

 

 







 「君(あなた)でいい」から、「君(あなた)がいい」へ。



 次回は3、4日後。ホシノウィルム視点で、ここから先に伸びる道の話。
 そろそろギャグも息を吹き返して来る……はず。多分。



(追記)
 誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!
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