中央のトレーナーはイカれた奴しかいない説、その真実に迫る。
1年通してトレーナー業に就いて、1つだけ、よく理解できたことがある。
ウマ娘のトレーナーは、ちょっとヤバい。
やりがい搾取……とまでは言わないけど、ちょっとリスクとリターンが釣り合ってない。
真面目に取り組もうとすると、下手すれば人死にが出かねないレベルの激務になるんだ。
先輩トレーナーによく「大変だろうけど頑張れ」って言われた理由、今ならよくわかる。
こんな仕事の量をこなそうとすると、それだけで慣れない新人は潰れかねないからね……。
というか例年、最初の3年間で新人の5割はトレーナーを辞めるって話だ。
僕の同期が未だに誰も脱落してないのは、それぞれの努力や忍耐もあるけど、やはり同期主席の彼のサポートによるものが大きいね。
実際僕も、彼の助けがなければ既に体を壊していたかもしれないと思うほどだ。
この仕事は、先輩曰く「慣れ」らしい。
担当がデビューしてからの1年を乗り切れば、後は段々と作業を速くこなせるようになり、楽になっていくとのこと。
そういう意味では、僕や僕の同期は、最初の試練を乗り越えたと言っていいだろう。
……が、それはあくまで最初の試練に過ぎない。
乗り越えたからといって急激に楽になるわけじゃないんだな、これが。
現状、僕のトレーナー業は未だにハードなまま。
というのもこの仕事、自分の担当の人気に比例して、加速度的に忙しくなるんだ。
特に、世代三星なんて言われるようなウマ娘を担当すると、本当に、本当にすごいことになる。
そんなわけで僕は今日も、休日返上して仕事に取り組んでいた。
僕の担当であるナイスネイチャは、現状そこまで飛び抜けた戦績を残しているわけじゃない。
現在4戦2勝、重賞未勝利。1着2回と2着2回で、連対率は100%。
……いや、クラシック級6月でこれなら、間違いなく名バではあるんだけどね。
うん、この戦績がそうでもないって感じるようになってしまったのは、ネイチャと同期のあの子に毒されてしまったなぁと感じる。
根本的に、レースは最大18人で走るものだ。
その中で「勝利」と数えられるのは、1着だけ。
つまり、全員の間に実力差がなかったとすれば勝率は18分の1、おおよそ6%になるはずで。
ネイチャはその勝率を、50%に保っている。
それはつまり、彼女がこの世代においても通用する素質を持っていることを示すわけで。
彼女が選ばれた最強格の1人であることに、異論を挟める者はいないと思う。
……同期にホシノウィルムがいなければ、の話だけど。
クラシック級6月時点で7戦7勝、G1を4勝にG2を1勝。
同期にこんな子がいれば……悔しいけど、あの子の素質も霞んで見えてしまう。
ネイチャがどれだけ輝こうとも、すぐ隣に眩しすぎる星があれば、それは平凡なものにしか見えないんだ。
ナイスネイチャは、強い。
レース中の臨機応変な思考能力、抜群にキレる末脚。その2点に関しては世代でもトップクラスだ。
まさしく不世出の傑物と言っていいと思う。
……けど今のところ、それが世間から正しく評価されているかと言うと、否だ。
何せ僕とネイチャは菊花賞に狙いを定めて、ここ最近ずっとトレーニングを積んでいる。
だから重賞レースに出走し、ファンにその力を見せつける機会もないんだ。
ホシノウィルムが定期的に話を出してくれるから、期待は集まっているけど……それでも、得られた評価は「三等星」に過ぎない。
……その評価は、きっと間違ってる。
ナイスネイチャは、この世代でも頂点を取れるウマ娘だ。
確かに、ホシノウィルムやトウカイテイオーといった最高級の天才と比べれば、才能や早熟具合では勝てないかもしれない。
それでも僕は、ネイチャこそがこの世代の「一等星」であると疑っていない。
才能で負けても、努力では負けてない。
彼女は天才たちに食らいつくべく、あらゆる手段で努力を積み重ねているんだ。
だからネイチャは必ず、菊花賞でホシノウィルムを超え、「一等星」として大輪の花を咲かす。
誰が信じなくても……僕は彼女を信じ続ける。
……あれ、いつの間にか話が逸れてた。
僕、ネイチャのことになるとこれだからなぁ。
気を付けないと、また同期にトレーナーバ鹿だの何だのとからかわれてしまう。
とにかく、今のところネイチャは極めて高い評価を受けてるわけじゃない。
世間の認識は、世代でも有数のG1級ウマ娘、って辺りかな。
でも、この段階で既に、契約したトレーナーはとんでもなく忙しくなる。
そもそも8時から5時の定時を基準に考えると、1日に使える時間は9時間しかない。
勿論それじゃ全く足りないから残業するんだけど、それにしたって1日に精々5時間程度だ。
合計14時間。……それでもまだ足りない。
まず、処理しなきゃいけない書類が本当に多いんだ。
これ自体はそう難しくもないんだけど、とにかく時間を要する。しかもミスをすれば担当ウマ娘に被害が及ぶから、常に気が抜けない。
……ついこの前も、他の書類に紛れ込んでた肖像権の確認書類を白紙のまま提出してしまい、たづなさんに怒られた僕が偉そうに言えることじゃないけど。
更にネイチャのトレーニングの観察や色んなアクシデントへの対処も挟まり、基本的に固まった時間というものが取れないんだ。
強いて言えばネイチャが授業を受けていることの多い午前中だけど、それだって3時間程度しかないし。
ネイチャの前で情けない姿は見せられないから、その数時間でがむしゃらに書類を片付けて、彼女が来る頃にはゆとりのあるスケジュールを確保してなくちゃならない。
その上技術というのは日進月歩で進化するもので、日々新たなシューズや蹄鉄、ウェアにトレーニング方法が生み出される。
それを調べて安全性とかソースの元をチェックする作業も欠かせない。
この辺りは最悪自室でできるから、主に持ち帰ってやることが多いけどね。
……朝起きてから夜寝るまで、おおよそずっと仕事漬け。
僕も立派な社畜だなぁ。
トレーナーを目指す中で「中央のトレーナーに人権なんてものはない」「トレーナーやめますか? それとも人間やめますか?」なんて不穏な話も耳に入って来るわけだよ。
きちんと担当を支えようと思うなら、新人の内はとてもじゃないけど個人的な時間を取れない。食事中に軽くニュースを見たりするのが限界かな。
その上、1つミスをしようものなら全責任はトレーナーに降って来る。
給料は悪い方じゃないし、担当を勝たせればかなり稼げるんだけど……それでもなお、リスクとリターンが釣り合ってないと思う。
成果主義の給料、残業上等の労働環境、責任が全て個人に依存する状態。
身も蓋もない言い方をすると、楽しまないとやってられない仕事なわけだ。
ウマ娘のトレーナー業に命を懸けられるような人じゃないと、早々に離職する。
だからこそ中央のトレーナーは、頭のネジが何本か抜けてるような人が多いんだろうね。
……しかし、何事にも例外はある。
いや、頭のネジの抜け具合は、むしろ他よりもすごいと思うけど……。
僕と同期でありながら、とんでもない担当ウマ娘を抱えてなお、既に仕事に慣れたのか余裕を見せているトレーナーもいる。
いる、んだけど……。
彼はまぁ、ちょっと例外かな。
あまりにも優秀すぎて、同期からは一時期浮いていたし、先輩にも逆に心配されてたような超人だからね。
凡人の僕からすると、ちょっと比較対象が悪すぎるとして……。
既に2人以上を担当してる、あるいはチームを運営してる先輩方は、どうやって時間をやりくりしてるんだろうなぁ……。
この1年半で多少は慣れて来たとはいえ、それでもようやく1、2時間短縮できたくらいだ。
まだまだ担当を増やせると断言できるほどの余裕はない。
……場合によっては、あと1年半で担当が増えるかもしれないんだよね。
どうしたものかなぁ……手を抜くなんて不誠実なことはできないし。
睡眠時間を削れば、今でもギリギリ、もう1人分は確保できる……かな?
できればそれは避けたいし、早くもっと慣れないとな。
「……うーん」
「およ? どしたー、トレーナーさん」
「ん? ああいやごめん、ちょっと難しいところがあってさ」
おっとと、良くないな。
思わず声が漏れてたみたい。
今日のトレーナー室には僕の他にももう1人、ウマ娘の姿があった。
部屋に備え付けられたソファでスマホを触っていたのは……僕の担当ウマ娘、ナイスネイチャ。
先日ランニング中に軽く足を捻ってしまったこともあり、今日はトレーニングを中止してお休みに充てたんだけど……。
「暇だしさ、トレーナー室行ってもいい?」ということで、遊びに来ているんだ。
僕としても、きちんと彼女が安静にしてるのを確認できるので、この方が有難かったりする。
とはいえ僕も僕でやることがあるので、あまり彼女に構えないのは申し訳ないところ。
ネイチャはあまり気にしないでいてくれてるけど、せっかく来てくれたんだし、なんとか昼過ぎから時間を作って彼女とコミュニケーションを取りたいところだ。
……個人的には、こうして彼女と2人、静かな時間を共有するのも嫌いじゃないんだけどね。
無言で一緒にいても気まずさを感じない関係というのはなかなか得難いものだし。
僕はそこそこ友達が多い自負があるけど、それでも隣にいて不自然を感じない友達は数少ない。
人の関係って複雑なもので、何も心を配って親切にすれば親しいってわけじゃないんだ。
相手に気を遣わなくていい、隣にいて当然だと思える、家族にも近しいような関係性。
あくまで僕からネイチャに向けた、一方通行の想いでしかないけど……。
自分の担当をそう思えるようになったのは、すごく幸せなことだと思う。
ちらりとネイチャの方を窺うと、彼女はソファの肘かけに上半身を投げ出して脱力していた。
スマホをいじるその顔は、無表情。
耳が緩く横に倒れているところを見るに、リラックスはできてるらしい。
改めて見ると、本当に可愛らしい女の子だなぁと思う。
どういう理屈かはわからないけど、ウマ娘は人の美的感覚で言う美人や美少女ばかりだ。
そんな彼女たちが綺麗で力強い走りを見せるんだから、そりゃ人気も出るってものだよね。
思わず見惚れる気持ちはよくわかる。
僕だって……見た目の美醜はともかく、彼女の走りに一目惚れした人間の1人だし。
……もう1年以上前、選抜レースでのこと。
僕はネイチャの走りに一目惚れして、彼女をスカウトした。
あの時の光景は、今でも思い出せる。
彼女が見せた必死の表情。鋭くキレる末脚。
展開が悪く、惜しくも3着に敗れたけど……表情に隠し切れない悔しさをにじませた彼女は、誰よりも輝いて見えた。
『これだ、と思ったら逃がすな。運命はふとした瞬間に始まることが多いらしい』
堀野君にもらったアドバイス通り、あの場で即決でスカウトして正解だった。
僕はあの時から変わらず、彼女こそ同世代の誰よりも輝くべきウマ娘だと信じている。
そして僕はそれを、傍で支えたいんだ。
……よし、そろそろ考え事はやめようか。
彼女を支えるためにも、現実に向き合わないとなぁ……。
僕の目の前には、何枚かの書類が広げられてる。
それは再来月分の予算の申請書だったり、ネイチャの外泊許可の申請書だったり、あるいはネイチャへの取材の申し込みだったり、トレーニング機材交換の確認だったりするんだけど……。
公的な書類って、なんでこう、わかりにくく書くんだろうね。
正確に記述して玉虫色の解釈を防ぐためってのはわかるんだけど……文面もわかりにくいし意図も読み取りづらい。むしろこっちの方が危ないんじゃないか。
……いやごめん、これは八つ当たりだった。
僕、一般家庭の出だし、まだこういう文面には慣れないんだよね。
もうちょっと平たい文章で書いてはくれないものかなぁ……。
文句を言ってても仕方ないし、文面に目を通すけど……うーん、どうにも集中できない。
もう3時間くらい机に座ってるし、そろそろ気分転換が必要な時期かな。
ちょっと小休止を入れようかと、ペンを置いて伸びをした、その時。
ソファでスマホを触ってたネイチャが、声を上げた。
「ウィル、バズってるじゃん」
「ん?」
「あっごめん、トレーナーさん」
ネイチャは慌てて両手を振る。仕事の邪魔をしてしまったと思ったんだろう。
僕は彼女のトレーナー、最優先は彼女のサポートなんだから、気にする必要はないんだけどね。
「大丈夫だよ、ちょうど休憩しようと思ってたところ。どうしたの?」
「いやぁ、ウマッターでね? ウィルがとんでもないバズり方してるっていうか……うわ、話には聞いてたけど酷いなぁ、こりゃ」
ウィル、もといホシノウィルム。
ネイチャと同世代のウマ娘で、彼女たちの世代における中核を担う、稀代の天才だ。
同期の筆頭トレーナーである堀野君の担当ウマ娘で、少し冷たい印象のある小柄な子だった。
けれど、それはあくまで表面上の話。
実のところ、彼女は真面目な良い子らしい。
確かに一見冷たく見えるが、きちんと接すれば芯に優しさを感じられる女の子なんだと、堀野君は時々そう言っている。
実際、今のホシノウィルムは1年前に比べて、だいぶ物腰が柔らかくなっていると思う。
もしかしたら、慣れない環境に来て緊張していたのかもしれないな。
堀野君がその緊張を解き解した結果、従来の彼女の性格が出て来たのかもしれない。
で、そんなホシノウィルムは、ウマッターというSNSを利用して情報発信を行っている。
けど、トレーニングに対してストイックすぎたり、少し感覚がズレているところが災いして、その戦績から考えると控えめなフォロワー数だった記憶がある。
最後に見たのが数か月前だから、今はどうなってるのかは知らないけど。
バズった、つまり爆発的な反応があったってことは……何かレース関係の呟きでもしたのかな。
……いやでも、酷いって何? ウマッターの話だよね?
ちょっと気になって来たな。気分転換と情報収集を兼ねて、軽く調べてみようか。
えーと、ウマッター……ホシノウィルム、と。
うん、このアカウントだね。自己紹介文が『ホシノウィルムです。』だけの。
さて、文脈を見るためにも、少し遡って見てみよう。
更新頻度は……ちょっとムラがあるな。1日に平均4件くらいで、多くて10件、少ない時は2件程度。
最初はトレーニングのメモ帳代わりにしてるのかと思うような内容だったけど、段々普通のウマ娘らしい使い方になってるね。
使い方はネイチャが教えていたらしいし、その成果かな。
……今でもちょっと使い方が独特だけど、これなら個性として十分受け入れられる範囲だね。
実際フォロワー数も前に見た時よりめちゃくちゃ増えてるし。
しばらく時系列を進めて、ここ数週間。
療養中で暇なのか、ウマートの頻度も上がっているみたいだ。
で、彼女の負傷直後の投稿がこれ。
『こんにちは、私です。療養中はやることがなくて退屈なので、皆さんのおすすめのゲームを教えてください。手元にスマホしかないので、スマホでできるゲームでお願いします』
……彼女、ゲームとかするんだなぁ。
いつもトレーニングに励んでいるイメージがあったから、正直ちょっと新鮮だ。
これまでにない親近感を抱ける内容、かつ負傷後の初めての個人的な呟きでファンも安心できたのか、1万以上のリウマートを集めている。
リプライや引用リウマートでも、『ホシノウィルムってゲームするんだ』『「私です。」可愛すぎ』『オタクはチョロいからゲームするってだけで好感度上がる』『俺たちの龍がゲームなんてするはずない』など、驚き半分好意半分のコメントって感じ。ちょっと厄介なのも交じってたけど。
それからしばらく、『おすすめされたこのゲームをやります』とか『今日はトレーナーがお見舞いに来てくれました』とか『このキャラが気に入ったので引きます』とか『テイオーとネイチャが来てくれました。友達は良いものですね』みたいな、割と当たり障りのない内容になるんだけど……。
昨日の投稿。
『 』
無言のウマートには、一連のリプライも含めて7枚の画像が貼られており……。
それはどうやら、彼女が始めたソーシャルゲームのガチャ結果画面らしかった。
「うわ……6万リウマートか」
「お、トレーナーさんも見ました? いやぁ、グロいよねぇ……」
「うーん、僕はこのゲームをやったことがないから、グロいのかはわからないけど……」
ウマッター上の反応は……。
『グロ画像やめろ』『酷い爆死で誰かと思ったら現役最強ウマ娘で草』『吐いた』『怖くて泣いちゃった』『中等部の女の子がしていい爆死ではない』『世界よ、これが現日本最強ウマ娘だ』『0.011%を引き当てる、その姿はまさしく不可能を可能にする灰色の龍』『人生良いことあるよ! 元気出して!』『かわいそうだけど(すり)抜ける』『本気すぎる』『最後の10連だけ他の人に引いてもらったでしょこれ』『これは忖度のない神ゲー』『人のガチャ結果に本心から同情したのは初めてかもしれない。これが心か……』『レース後以上に憔悴してない?』
……あぁうん、よっぽどだね、これは。
「ちなみにネイチャ、これってお金で換算すると、どれくらいかかってるの?」
「うぇ、あんまり考えたくないんですケド……えぇと、最初の配布分は前に使い切ってたし……今回だけで20万弱?」
「円で?」
「円で」
20万円かぁ……。
……いや、20万円!?
一瞬で理解できた。そりゃあ多くの人が反応するはずだよ。
そりゃあG1を取るようなウマ娘はかなり稼げるし、既にG1を4勝しているホシノウィルムにとっては、20万円も大した金額ではないのかもしれないけど……。
大丈夫かな、堀野君はこのこと知って……いや、知らないわけないか、堀野君だし。
でも止めなくていいの? 教え子の金銭感覚壊れちゃうよ、このままじゃ。
何か狙いがあるのかな。失敗させて、そこから学ばせようとしてるとか?
「ウィルのどことなく抜けた感じ、ウマッターに向くかもなぁって思ってはいたけど……唐突に無言でこれを投稿か。こりゃ免許皆伝ですなぁ」
「……競走は人気商売な側面もあるから、人気を出すに越したことはないんだろうけど……」
「大丈夫、お金の使い方に関してはアタシが言っとくよ」
ネイチャはどこか悟ったような表情で呟いた。
ネイチャとホシノウィルムの付き合いは長い。
その中で、ネイチャはその背中を追いかけると同時、天然の気があるホシノウィルムを支えたりもしてきた。
ウマッターの使い方を教えるのを筆頭に、勉強を見てあげたり、誤解されやすい彼女の通訳を買って出たりと、色々と奔走してたみたいだ。
……で、積み重ねて来た日々というのは、その人の意識を形作ってしまうもので。
ネイチャ、今ではホシノウィルムの保護者みたいな意識まで持ってるらしい。
彼女自身それを楽しんでいるようなので、特に口を挟むようなことでもないんだけど……。
……そういえば僕も、同期の飲み会とかトレーナーの発表会では、何かと言葉足らずな堀野君のサポートに回っていることが多い気がするな。
いつも彼には世話になってるし、これくらいはと思ってやってるんだけど……。
もしかして僕とネイチャ、似た者同士だったりするのかなぁ。
* * *
ネイチャと色々と話したり、難解な文面と向き合う内に、空は赤くなってしまった。
トレーナー室を施錠、ネイチャと別れて、いくつかの書類を提出して……。
その後、僕は1人、商店街に向かっていた。
ここまではひたすらトレーニングに励んできたネイチャだけど、迫る7月からはそこそこのハイペースでレースに出走する予定だ。
レースや追い切りに備えて、必要なものを買い揃えておかないと。
「テーピングテープ、絆創膏、包帯……あと、タオルがちょっとへたってきてたよね。水筒とウェアも予備を買っておくとして……」
口の中で呟き、指折り数えて買うべきものを考えながら歩いていると……。
ふと、見知らぬウマ娘に目が留まった。
ウマ娘用のレーンを走る、小柄な黒鹿毛の子だ。
彼女はどこか決意を秘めた瞳で、ずっと前の方を見つめている。
ウマ娘は本格化すると、体格が大きく変化したり、固定化したりする。
だから、小柄だからといって必ずしも幼いと断定はできないんだけど……。
「……綺麗なフォームだなぁ」
もしジュニア級の子だとすれば、とても整った走りだと思う。
体の軸がブレない。上半身が大きく揺るがない。
すごいなぁ……普段のランニングからここまで整った姿勢を保てるってことは、自分に合った走りを見つけているに違いない。
きっと優秀なトレーナーが付いているんだろう。
僕がなんとなく立ち止まって見ている先で、その子は長い黒鹿毛をたなびかせ……ずに、信号に引っかかって立ち止まる。
ふと、その瞳が悲し気に揺らいだ気がした……。
「っとと、行かないと」
少し興味は引かれたけど……うん、今は買い物を済ませないとな。
僕は黒鹿毛の子に背を向けて、改めてスポーツ用品店に向かった。
『これだ、と思ったら逃がすな。運命はふとした瞬間に始まることが多いらしい』
今思うと、堀野君の言葉は正しかった。
あの時、既に……僕と彼女の運命は、始まっていたのかもしれない。
本編では語れないことを語るためにおまけ編やってるつもりなんですが、それでも全然語り切れないですね。
塩梅が難しい……。
次回は3、4日後。トレーナー視点で、実家と理想と汚泥の話。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!