続くリハビリはホシノウィルム視点で。
トレーナー視点では別方面のお話が進みます。
実のところ、この世界がどういうものなのか、俺は未だにわかっていない。
確かなことは、俺が前世でやっていたアプリゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」に近似した世界だってことくらいだ。
ウマ娘という存在、トゥインクルシリーズ、トレセン学園、最初の三年間……。
単語やシステムが、アプリで語られていたものと酷似している。し過ぎている。
細部こそ疑問は残るが、少なくとも大枠はあのゲームに近いと考えていいだろう。
……けど、ゲームの世界に転生するとか意味わかんなくない?
根本的にゲームの世界ってのはプログラム、つまりデータ上のものであり、物理的に存在しない。
そこに自分が体を持って生まれる、というのはあり得ないと言っていいだろう。
つまり、俺の認識がおかしくなっていない限り、この世界はゲームの中そのものではないのだ。
では、この世界とは何なのか? 前世アプリとどんな影響があるのか?
そのあたり、ずっと疑問には思ってるんだが……。
考えられることは、色々ある。
まず、この世界、実はフルダイブのVRゲーム説。
なんかバグってこれまでの記憶が思い出せないだけで、俺はただVRのゲームで遊んでいるだけなのかもしれない。
こう考えると、どうにもゲーム的な「アプリ転生」の表示には納得がいく。
だが同時、このあまりにも臨場感のある感覚には説明が付かなくなるんだよな。
人間やウマ娘の誰もが生き生きとしている世界なんて……前世の「俺」が生きていた時代では、とてもじゃないが再現できるものじゃないと思う。
まぁ俺の記憶がないだけで、コールドスリープ技術が開発されて時代が進んだとか、可能性が0というわけではないが、おおよそ考えにくい説だ。
次は、暇を持て余した神々の遊び説。
世界を管理する神様的存在が実在したとして、ソイツが何をトチ狂ったか人間ごときの娯楽を気に入り、「アプリウマ娘を元にした世界」を1から作り上げた、という説。
こう考えると、様々なことに納得がいく。ここはゲームを元にしたとはいえ物理的な世界ってことになるし、ウマ娘というフシギ生物の存在にも説明が付く。
……そりゃ説明が付くのも当然なんだけどね。何せ「神」ってデウスエクスマキナを仮定に持ち込んでるんだから。
勿論こんなもんはただのつじつま合わせのおとぎ話でしかない。神話ってこうやって作られるんだろうね。
次の説は……これも非常に考えにくいことではあるが、実はアプリウマ娘はこの世界を元に作られたもの、という説。
前提として、輪廻転生はもうそういうものがあるんだと受け入れるとして……。
この世界で死んだ誰かが、俺にとっての前世の世界に転生し、ウマ娘というアプリゲームの企画を立ち上げた、というもの。
この説を採用すれば、ここはゲームの世界ではない、物理的な世界であると認めることができる。
……が、非常に大きな問題がある。前世アプリのモチーフになった競馬の世界には、元ネタとなった競走馬たちが実在したってことだ。
彼ら彼女らの名前を決めたのは馬主なわけで、全ての馬主に接触して的確にウマ娘たちの名前を付けさせる、なんてのはとてもじゃないけど考えられない話だろう。
最後に、俺の中で現状最も有力と考えている説。
それはつまり、俺の前世……いや、ここでは敢えて「もう1つの世界」とするか。
「もう1つの世界」と「この世界」が、非常に密接な関係にある、という説。
もう頭が痛くなるくらいにファンタジーな話だが、2つの世界は相互に関係してるとすれば、この謎めいた状況は説明できる。
例えば「もう1つの世界」で活躍した馬の魂が、「この世界」でウマ娘として転生し……。
「この世界」で活躍したウマ娘は、「もう1つの世界」でウマ娘として実装される運命に置かれる、とかね。
これなら、無理やりな理屈になるけど納得できなくもない。……いや、本当に非現実的というか、何の物的証拠もない、まさしく妄想レベルの話だけども。
でもこれが、前世アプリの設定とかと一番噛み合った解釈なんだよなぁ。
ウマ娘は、他の世界の存在から名前と魂を受け継いだ不可思議な生き物。そして他の世界から影響を受ける以上、他の世界に影響を及ぼしてもおかしくはない。
……まぁ、半分以上屁理屈でしかないけどさ。
他にも、いくらでも考えられることはあるけど、その尽くは妄想でしかない。
調べたり考えてみましたが、よくわかりませんでした。いかがでしたか? ってレベルの結論だ。
結局、この世界って何なのか。
それは多分、今考えてもわからないし……あるいは、ずっとわからないままなのかもしれない。
何せ物的証拠のない、非常に少ない状況証拠を繋ぎ合わせた話だ。
確実と呼べることは1つもない。
ただ確かなのは……今、俺がすべきこと。
それだけは、明確にわかってる。
この世界で、堀野歩として生き、ホシノウィルムを支える。
それが、今の俺の行動原理だ。
……さて、その上で。
この世界が何らかの形で前世アプリと関係していることは、ほぼ間違いないと言っていい。
この辺りについて考察することは、きっとホシノウィルムを支える際に役に立つ。
故に今一度、前世アプリとこの世界の類似性について考えてみようと思う。
まず、前世アプリ……「ウマ娘 プリティーダービー」について振り返ってみよう。
このアプリは、現実における競走馬を美少女に擬人化したソーシャルゲームだ。
ゲーム内の流れを大雑把にまとめると……。
まずガチャを引いて、育成ウマ娘とサポートカードを引き当てる。
育成ウマ娘を、サポートカードを用いて、3年間育成する。
そして育てたウマ娘を走らせたり、時にチームを組ませて他のトレーナーと対決する。
……って感じだ。
これ、びっくりするくらいこの世界のトレーナー業と合致する部分がある。
まずガチャに関しては、出会いの縁だ。
育成ウマ娘は自分の担当との出会い、サポートカードは担当以外との出会い。
俺たちこの世界のトレーナーは、それを育成中にリアルタイムで引いているんだ。
例えば、俺の例で言うなら……。
なかなか育成ウマ娘を引けずに困っていたが、あの日、人権級星3育成ウマ娘・ホシノウィルムを引き当てる。
その後彼女を育成する中で、メイクデビュー直後にSSRサポートカード・ナイスネイチャを引き、今年の頭にSSRサポートカード・トウカイテイオーを引いたような感じ。
ネイチャとの合同トレーニングでは明らかにステータスの伸びが良くなったし、前世におけるサポートカードは、一緒にトレーニングするような友人を意味していたんだろう。
更に、ダービー前には星3育成ウマ娘・ミホノブルボンも引いた形になる。
今のところ彼女を担当する気はないので、見送りになるだろうけどね。前世で言うところの、引いたはいいけど育成はしない状態かな。
ただ前世のアプリと違うのは、彼女たちには他にも契約できるトレーナーがいて、タイムリミットもある。
ミホノブルボンの目指すクラシック三冠、その最初の一歩たる皐月賞までは、あと10か月程度しかない。
そこまでに……いや、メイクデビューや出走権の確保も考えれば、年始までに担当が付かなかった場合、ミホノブルボンはそこまでだろう。
……勿論、彼女程の実力者なら、間違いなくトレーナーは付くはずだ。もし間に合いそうになかったなら、俺が仲介して相応しいトレーナーを探してもいい。
とにかく、俺はミホノブルボンを担当する気はないってことだ。
残念だが、これも運命ってものなんだろうな。
今の俺は、ホシノウィルムのトレーナーなんだから。
で、次は育成だけど……。
ここに関しては、前世アプリとこの世界で、結構違う部分があるんだよね。
前世アプリでは、育成は3年間が経過し、URAファイナルズ決勝に勝った時点で終了した。
でも、今世ではそうじゃない。
確かに「最初の3年間」が終わると、URAファイナルズへの出走が許される。
けど別にそこで関係が終わるわけじゃなく、担当ウマ娘が望む限りはトゥインクルシリーズを走り続けることが可能だ。
故に、サイレンススズカなんかは合計で6年という長い期間、トゥインクルシリーズに参加している。
……いや、彼女は今海外で走り回っているので、名前だけ登録された幽霊部員みたいな状態。正確には参加しているとは呼べないかもしれないけど。
ただ、何故ゲームでは3年で終わるかに関しては、恐らくこうだろうという発想がある。
こちらの世界でも、前世アプリと同じく「最初の3年間」は重要視されている。
それは、「本格化」と呼ばれる現象が、おおよそ3年間で終了するからだ。
そしてこれこそが、アプリでは3年で育成終了となる理由なのだろう。
「本格化」。広く知られている、競走ウマ娘特有の現象である。
半公式である選抜レースを他のウマ娘たちと走ることで、ウマ娘たちの体は走るための準備が整い、本格化を迎える。
すると、そこから3年の間、彼女たちの体は急激に成長するんだ。
スピード、スタミナ、パワー、根性、そして賢さすらも。それまでとは比べ物にならない速度で跳ね上がっていく。
更に体格は急激に成長し、それぞれの走りに合った状態で固定化され、そこから3年の間は彼女たちの見た目はほぼ変化しなくなる。
これが本格化という現象である。
……逆に言えば、この3年間が終わると、ウマ娘たちの能力はほとんど成長しなくなる。
だからこそ、ゲームではここで打ち止めなんだろう。
それ以上育成を続けても、殆ど成長がない。
ゲーム的な育成要素は、そこまでで終了というわけだ。
だが、この世界のレースはまだ続く。
トゥインクルシリーズを走り抜けても終わらない。
トゥインクルシリーズを引退した際に一定以上の人気・実力を持っていると、前世アプリでは名前だけ語られていたドリームトロフィーリーグというレース群への参加が認められる。
名バ中の名バだけが参加することを許された、絢爛極まる夢の舞台。
あのホシノウィルムであってもなお、今の実力のままなら欠片の勝機もないような、とんでもない戦いである。
その身体的成長こそ打ち止めになっているが、技術やレース勘、領域を磨き上げることはできる。
トゥインクルシリーズのような短い期間での爆発的な成長は望めないが、それでもウマ娘たちは強く、速くなり続けるのである。
故にこそ、ドリームトロフィーリーグはトゥインクルシリーズよりも開催されるレースの数が少ない。
そして機会が少ないからこそ、ファンたちは英雄たちの決戦を心の底から楽しみにしているのだ。
……さて、改めて3つ目、チームを組ませて対戦したりするPVPなんだけど。
多分、前世アプリにおけるチームレースやチャンピオンミーティングは、このドリームトロフィーリーグにあたる。
ドリームトロフィーリーグはファンへの感謝祭のような側面も強く、基本の18人立てのレースは勿論、チームを組んだり9人立てのレースだったりと、様々な形式のレースが開催されるんだ。
勿論、同じウマ娘が3人出走するようなことはないんだけどね。デバフネイチャなんてなかった。
ここまで考えてわかることとして、やはりこの世界と前世アプリは、その設定や名称などにかなり近しい関係性が見られる。
この世界がアプリの基になったのか、あるいはアプリがこの世界の基になったか、もしくはその2つが同期しているのかはわからないが……。
何にしろ、アプリにおいての知識や経験はきっと無駄にはならないと思う。
……そろそろ、本題に入ろうか。
俺はこの認識を元に、1つの結論を出していた。
それは、初の担当との「最初の3年間」を越えるまで、担当ウマ娘の数は増えない、ってことだ。
アプリの主人公、つまりプレイヤーが投影する存在は、確か新人トレーナーだったはず。
彼や彼女は、決して同時に2人以上のウマ娘を担当していなかった。
……いや、正確に言えばメインストーリーでは担当していたんだけど、あれは先代によってチームトレーナーに指名されたが故の特例だろう。
本質的に、複数のウマ娘の担当は、仕事に不慣れな新人トレーナーには困難。
何よりこの学園の最高権力者は、見た目こそ幼いが、あれでいて人格者だ。
新人に無理難題押し付けるような人ではない。
故に、新人トレーナーは2人以上の担当ウマ娘を持たない。
それはトレセン学園の不文律も語る通りの、絶対的な原則なんだ。
……と、そう思っていたんだが。
「提案ッ! 堀野トレーナー、担当ウマ娘を増やしてみないか!」
俺とホシノウィルムの、最初の物語は終わり。
いつの間にか、新たな運命が胎動を始めていた。
* * *
8月某日。
いよいよホシノウィルムの骨が完治し、菊花賞に向けた復帰メニューを実行に移す時が来た。
データは堀野の本家から引っ張って来たものが大量にあるため、最適とまでは言わないまでも、多少は良いものが組めたはずだ。
他に出来ることと言えば……俺なりに、ホシノウィルムを支えること。それだけだろう。
俺は、堀野のトレーナーという道筋を失った。
だが、不幸中の幸いがあったとするなら……。
その時、俺は既に、もう1つの道筋を見出していた。
「ホシノウィルムの良きトレーナーになる」という、俺自身が目指したい目標を、見つけた。
勿論それは、堀野のトレーナーと違い、明確な指針のないものだ。
例えるなら、コンパスのない旅。
俺は彼女という星を唯一の道しるべとし、そのぼんやりとした明かりの下、自分の足で歩いて行かなければならない。
それは、才能のない俺には難しいものだ。
……それでも、何の頼りもないよりは、ずっと良い。
だからその日も奮起し、トレーナー室で仕事に精を出していたのだが……。
コンコンコンと、軽いノックの音と共に。
「堀野トレーナーさん、理事長がお呼びです」
そう、たづなさんが俺を呼びに来てくれた。
駿川たづな。
前世アプリにもいた、トレセン学園の理事長秘書。
緑を基調とした服に身を包む、妙齢の女性だ。
アプリでは友人サポカと爆死のイメージが強かったんだけど、この世界ではめちゃくちゃ優秀な上、話のわかる事務員さんって感じだ。
彼女の職務上の役割は、理事長の仕事の補佐と、俺たちトレーナー個人と学園全体の仲介。
俺たちが個々でこなした書類を纏め上げて事務所に話を通したり、理事会に提出したり、ヘルプに入ってくれたりもする。
この学園で一番方々に顔が通っているのは、間違いなく彼女だ。
故に、何か緊急事態が起こればまずたづなさんに伝え、話を通してもらうことになっている。
他にも、疑問や確認があれば、取り敢えず事務所かたづなさんに尋ねるのが常道だ。
彼女がいなければ、俺たちトレーナーは今のようにトレーナー業務にばかり集中してはいられないだろう。
故に、1年以上トレーナーを務めた者なら誰もが彼女に感謝している。その惜しみない努力と献身に敬意を表している。
……容赦なくミスを咎めてくる彼女を恐れ、冗談交じりに緑の悪魔呼ばわりする者もいるが。
さて、そんな彼女が俺を呼びに来たってことは、何らかの緊急事態である可能性が高い。
例えば、ホシノウィルムの今後について話がある、とか。
幸い今は昼時、ホシノウィルムは昼食を取っている頃合いだろう。
トレーニングの時間まではまだ余裕があるし、すぐさま片付けないといけない業務もない。
俺はホシノウィルムに仔細を伝えるメッセージを送って、すぐにたづなさんの後に付き、理事長室に向かった。
* * *
俺は、ナイスネイチャやトウカイテイオーのことを「ネームド」と仮称している。
前世アプリで実装されていた、
しかしそういう意味においては、アプリ版で明確に名前や立ち姿が出ていたたづなさんもネームドと呼べるだろうし……。
そして、このちびっこ理事長もまた、ネームドと呼べるだろう。
「歓迎ッ! よく来てくれた、堀野トレーナー!」
「ご無沙汰しております」
『歓迎』と書かれた扇子を開き、笑顔でこちらを出迎えてくれたのは……。
淡い栗毛色の髪を持つ、何故か帽子の上にいつも猫を乗せた小柄な少女。
彼女こそがトレセン学園理事長、秋川やよい。
トレセン学園が誇る、ちびっこ理事長様だ。
ウマ娘のそれと比べても遜色のない可愛らしい見た目をしているが、その性質は豪胆無比。
ノリと勢いとウマ娘への愛で生きており、前世アプリじゃURAファイナルズが開催の危機に瀕した際、私財を投げ打って張り替え用の芝を育てようとしたりしてた。
この世界では2年半前からURAファイナルズが開催され始めたらしいし、前世アプリで同世代だったハッピーミークは現在シニア3年目。
それらから考えても、今はアプリの育成終了時点から2年半後だと推測できるんだけど……やっぱりこの世界でも、開催のために芝を育てたりしてたんだろうか。
そんな豪快で暴走気味な彼女だけど、ウマ娘関連以外は善性な人格者だ。
未だ幼い身ながら立派に理事長を務め、他者の未来を慮れる、心優しい女の子なのである。
さて、秋川やよいはトレセン学園の理事長。
理事長とは即ち理事の長、学園に利益を出すための舵取りが主な職務だ。
故に、時にはこうしてトレーナーを呼び出し、辞令を伝えたり指示を出すこともある、のだが……。
「さぁ、そこに座ってくれ。今日は君に大事な話があるのだ!」
「失礼します」
今日は何の用だろうな。
……まぁ、ある程度予想は付くんだが。
何せ俺の担当は、今を時めくスターウマ娘だ。
想像できることとしては……彼女を育てた賞賛、今年のURA賞や顕彰についての内示、あるいは今後についての打ち合わせあたりか。
ホシノウィルムは無敗のクラシック二冠ウマ娘であり、史上初のクラシック級宝塚記念勝者。
更に言えば、サイレンススズカを思わせる大逃げやオグリキャップを思わせる前傾姿勢を見せ、その出自が寒門であることなどもあり、その人気はとてつもないことになっている。
そして同時、彼女と走る強者であるトウカイテイオーやナイスネイチャ、ひいては世代全体が、世界中から注目されている。
ここまで1人のウマ娘を中心としてトゥインクルシリーズ全体が盛り上がっているのは、オグリキャップらの永世三強以来と言っていいだろう。
トレセン学園の上位団体であるURAからは、その人気にあやかって更にトゥインクルシリーズを盛り上げたいという意図が透けて見えるし、今回もそういう話かもしれない。
ホシノウィルムの故障も完治し、これでようやくおおっぴらにイベントを組んだりできるからな。
URA協賛のトークショー、あるいはCMか何かのセッティングとか?
……もしそうだとすると、少し難しいな。
競走ウマ娘にとっては、そういった案件を受けるのも仕事の1つだ。
だが同時、ホシノウィルムは一刻も早く本来の実力を取り戻し、菊花賞へ出走することを望んでいる。
仕事を受けさせるか、トレーニングを積ませるべきか。
どちらを優先すべきかは、難しい問題だった。
堀野のトレーナーであれば、悩むことはない。
ホシノウィルムの意思は何よりも優先される。
たとえURAからの依頼でも、彼女が受けたくないと言えばそれまでだ。
……しかし、俺個人としては。
彼女には、色々な経験をして欲しい。
確かにトレーニングにはならないかもしれないが、社会的に自分が認められているという実感は、きっと彼女に必要なものだと思う。
それに、より多くの人に彼女の努力と走りを知ってほしい、という想いもある。
それらは、ただのエゴイズムに過ぎないが……。
エゴを交えないことが必ずしも正しいとは限らないと、俺は思い知らされたばかりだ。
取り敢えず話を聞き、ホシノウィルムに確認を取ってみないと何とも言えないが……どんな話であれ、俺なりに正しいと思える道を選ばなければ。
……と、そう思っていた俺にかけられたのは、想像の遥か外の言葉だった。
「うむ、話というのは他でもない。
提案ッ! 堀野トレーナー、担当ウマ娘を増やしてみないか!」
バサリと、理事長が先程とは別の扇子を開く。
そこには「増加」という二文字が刻まれていた。
いつも思うけど、その扇子って何種類あるの?
服の裏に何十という扇子隠し持ってそう。アサシンかな?
……じゃなくて。
「……増やす、ですか。担当を」
思わず、オウム返しで訊き直してしまった。
担当ウマ娘を増やすというのは、新人トレーナーにとって1つの試練みたいなものだ。
いつかは越えないといけない、でも気軽に手を出すと火傷する案件である。
……まぁテイオーのトレーナーのように、上から何度言われても頑なに増やさない者もいるにはいるんだが、あれは例外中の例外だ。
その問題はまず、こなさなきゃいけない仕事の絶対量が増えるってこと。
短いとはいえ前世の社会人経験という
2つの強みがある俺でも、苦戦は免れない量になると思われる。まぁ可能かどうかって言うと多分可能なんだけど。
だが、ズルとか予習のない寒門のトレーナーにとっては、かなりの激務になるだろう。
業務の量が今の倍近く増えるとなれば、やはり勤め始めて4年目以降ですべきことだと思えた。
そしてもう1つの問題が、現在担当しているウマ娘と揉めかねないことだ。
誰であれ、勿論ウマ娘のトレーナーであれ、時間は有限だ。
担当ウマ娘を増やすということは、それまで他に割いていた時間をその子に振り分ける、ってことを意味する。
そこで真っ先に割を食いかねないのが、既に担当していたウマ娘だ。
トレーナーが時間を余らせていれば話は別だが、そうでない場合は既存のウマ娘を見る時間が減ってしまう。
そこに不満を覚え、色々と問題を引き起こしてしまうことも多い。
……しかしこれらの問題があってもなお、トレーナーはいつか担当ウマ娘を増やさなければならない。
何故なら、マンモス校である中央トレセンには2000人のウマ娘がいるのに対して、トレーナーの人数は200人弱しかいないから。
割合としては、トレーナー1人が10人のウマ娘を受け持つことで何とか成り立つレベルの、万年人材不足な状況なのだ。
……まぁ実はその全てが競走ウマ娘として所属しているわけではないので、実質的にはトレーナー1人が7、8人担当すればいいのだが、それはさておき。
故にこそ、何十人というウマ娘が所属するチームがあったり、「トレーニングを見ることはできないがせめてレースに出られるように」と名義貸しが黙認されているのだった。
トレセン学園は、トレーナーを求めている。
それも優秀で、可能な限り多くのウマ娘を同時に担当できるトレーナーを。
……その理屈は、よくわかる。
わかりはする、が。
まだ仕事に慣れきってもないどころか、初めての担当がクラシックロードを走っている最中のトレーナーにさせるべきことではないんじゃないかなぁ。
「……自分は非才の身。今でも万全に担当ウマ娘を支えられているとは言えません。
故に、できればもう少し時間をいただきたく思います」
可能なら、辞退したい。
道を見失った俺にとっても、リハビリ期間のホシノウィルムにとっても、今は踏ん張り時。
言い方は悪くなるが、背負い込むものを増やしたくないんだ。
だが、秋川理事長は何も気にする様子もなく、首を横に振った。
「君は非常に効率よく、なおかつ大きなミスもなく仕事をこなせていると聞く。
更に1年半という長い間、担当ウマ娘にトレーニング中の怪我を一度も許さない、完璧な管理を敷いていたともな」
「お言葉ですが、自分は日本ダービー、宝塚記念で二度の故障を許しました。完璧な管理であるとは言えないかと」
「そこについて、ホシノウィルム本人からの事情聴取は済んでいる。
『日本ダービーでは私がトレーナーに伝えなかった走法を勝手に使い、宝塚記念では忠告を振り切って出走したのです。全ての責は私にあります』とな。
……これは事実か?」
「いいえ。彼女の出走を許したのは自分です。である以上、全ての責はトレーナーである自分が引き受けるべきものと考えます」
担当を増やす云々の前に、それは変えようのない事実だ。
トレーナーは、まだ年若く正常な判断のできないウマ娘を客観視し、正しく支えるための存在。
その俺が、彼女の負傷し得る選択を止められなかった。
たとえそれで彼女が後悔していなかろうと、彼女の負った傷の責任は俺にある。
故に、2人以上の担当を持つような能力はない、と伝えたかったんだけど……。
「ふむ、上々ッ! その心構えさえあれば、2人目も担当できるだろう!」
「…………?」
おかしいな、なんで己の不出来を告白したのに高評価されるんだ。
バグってる? もしかして理事長バグってるかこれ?
どうしよう、部下としておかしくなった上司を諫めるべきだろうか、と迷っている内に……。
秋川理事長は表情を消し、こちらの目を見つめて来た。
「私は理事長として、君たちトレーナーの面接に同席している。君は覚えているか?」
「はい、覚えています」
懐かしい、3年程前のことだ。
俺は中央トレーナー免許を取った後、面接を受けた。
面接官は4人。知らない人──後に確認したらURAの人間だったらしい──が2人と、たづなさんと理事長。
テレビ以外で初めて見たネームド……前世アプリで見覚えのある顔に、「本当にウマ娘の世界に来たんだな」と再認したことを覚えている。
「うむ。その時私は、君にこう問うた。
『君の考える、トレーナーにとって最も大切なものとは何か』」
「我を捨てること」
「そう、君はそう答えたな。我を捨て、欲を捨て、相手に尽くすことであると。
君は今、その回答についてどう思う?」
聞かれ、少し考える。
我を捨て、担当を支えること。それは「堀野のトレーナー」としての模範解答だ。
そして俺は今も、それが全て間違いだとは思わない。
余計なノイズを交えることなく思考し、自分の持てるものの全てを使って支える。
それは間違いなく、トレーナーとして必要なことだと思う。
……だが。
それだけで良い、とも思えなくなった。
「……不完全なものであったと思います。
ウマ娘は人の期待、人の夢を背負って走る。その話が真実であるとするなら……。
トレーナーは我を捨てるのではなく、それを上手く飼い慣らす必要がある。
第一に、自分の担当ウマ娘の走りを、誰よりも……好きにならなければいけない」
考え込んだ末に出した、堀野のトレーナーとしてではない、俺なりのやり方。
それが正しいものなのか、俺にはまだ、わからなかったが……。
「合格ッ!」
理事長の反応は、劇的なもので。
バサリと、また新たな扇子が開かれた。
そこには「合格」という文字が記されている。
……合格? 何の?
「試すような真似をして悪かった、堀野トレーナー。
これは通過儀礼のようなものでな。2人以上のウマ娘を担当するトレーナーとは理事長自ら話し、その成長と考え方の変遷を確認することとなっているのだ。
秘密裏に話さなければ本音は見えてこないからな。君も、他のトレーナーには内密に頼む!」
はぁ……なるほど?
つまり俺は、2人目以上の担当ウマ娘を持つに相応しいか、試験を受けていたってことかな。
……元々、担当を増やすつもりはなかったんだけどなぁ。
「だが、1人のトレーナーが成長する姿を見ることができて、私は嬉しい!
堀野トレーナー、改めて君に提案する。もう1人、担当を持ってみないか?」
「この1年半で、自分の実力不足を痛感しました。できればあと1年半、せめてホシノウィルムが本格化を終えるまでお待ちいただけませんか」
「うむ、不文律もあることだし、私も君たちが『最初の3年間』を過ごすまでは待とうと思っていた。
しかし今、私は君に是非とももう1人、担当を持って欲しいと思っている」
「……何故でしょうか」
「理由は2つ。まずは、君だからだ」
理事長はたづなさんが運んできたお茶を一口啜って、再び口を開く。
「私は君を、高く評価している。
そのストイックな在り方は危うくもあるが、同時に何よりの逸材になる可能性もある、謂わばトレーナーの原石だとな。
そして同時、君には確かな能力がある。本来は慣れるのに4年以上かかる仕事を1年で習熟し、何よりウマ娘の疲労を適切に見抜く観察力を持っている」
……バレていたのか。
仕事の習熟はともかく、俺は確かに疲労を見抜く力を持っている。
「アプリ転生」。恐らく俺だけが持つ、おかしな観察眼。
恐らくそれそのものがバレたわけじゃないだろうが、競走ウマ娘の体力を見抜く観察力があることは察されているらしい。
「……君も知っての通り、現在我がトレセン学園にはトレーナーが不足している。そのせいで、多くのウマ娘たちが適切なトレーニングを受けられないという状態にある。
故に我が校は1人でも多くの、優秀で気高い心を持つトレーナーを求めているのだ」
どこでそんな評価を受けたのだろうと、一瞬考えたが……。
俺が秋川理事長に自分の考え方を話したタイミングなど、それこそあの面接の時くらいで。
そしてウマ娘たちの疲労状態に対する判断を下したのは、新人研修の時。
……つまり俺は、一番最初の時点で、秋川理事長から特別な評価を受けていたわけか。
そうを考えた時、俺の疑問が1つ氷解する。
「もしや、自分がサブトレーナーや教官を経ることなく、担当を持つことを許されたのは……」
「肯定ッ! 私が独断で許可した!
優秀な人材の卵を腐らせている余裕は、今のトレセン学園にはない。ずっと昔の時代の不文律より、今を生きるウマ娘たちを優先するのは当然のことだ。
もしも厳しいようなら、たづなに力を貸させるつもりだったが……君は私の期待通り、いや期待を超える最高の結果をもたらしてくれた。
感謝するぞ、堀野トレーナー!」
……なるほど。
父さんあたりが変な茶々でも入れたのかと疑心暗鬼になってたけど、この暴走特急理事長の計らいだったか。
まぁ、結果として俺が成長できたのは事実だし、ホシノウィルムに巡り合えたのもこれ以上ない僥倖だった。
最悪たづなさんが助けてくれれば、彼女が致命的に走れなくなることもなかっただろうし……。
全部ホシノウィルムたちウマ娘への想い故の行動だって言うなら、責めるのもお門違いかな。
……もうちょっと説明してほしかった気持ちがあるにはあるんだけど、情報を与えない状態でどこまでやれるかを試していた、とかそんな感じだろう。納得するしかない。
まぁ結果良ければ全て良し、今はそこは置いておこう。
今話すべきは、担当を増やすことについてだ。
「過分な評価、ありがたく思いますが……自分にそこまでの能力はありません」
「能力とは自ら認めるものではなく、結果から逆算して求めるものだ。
君は初めて担当したウマ娘と、二人三脚で無敗二冠に辿り着いた。たとえ君がそれをただの幸運であると思おうと、あるいはウマ娘の力だと思おうと、その運命に導かれたのは他でもない君自身。
故に君がどれほど自虐しようと、私は君を評価する。
そしてもし業務が手に余るようならば、最大限手を貸すことを約束しよう。
どうか君の成長のため、そして多くのウマ娘のため、挑戦の道を選んでほしい!」
……評価されるのは、嬉しい。
けど、本当に過大評価だからなぁ。
いまいち現実感がないというか、達成感みたいなものはないけども。
それはそれとして、どうするか。
たづなさんによるサポートがあるなら、いざやってみて間に合わなかった際の保険になる。
精神面や思考の余裕に関しても、自分自身で管理するべき問題。
そういう意味で、業務上の問題は全てクリアされているわけだ。
……けどそれでも、問題はまだ残っている。
「ホシノウィルムのことを考えれば、この時期に担当を増やすことは避けたいと判断します。
彼女は今、故障明けのリハビリ中。ここで下手な刺激を与えたくはありません」
「了解ッ! つまり、彼女の了承が取れれば良いのだな!
2人とも、入ってくれたまえ!」
「え?」
俺が困惑していると、事務室へと繋がっているはずの扉が、軽い音と共に開き……。
そこから、2人のウマ娘が現れる。
「君に担当を増やしてほしいもう1つの理由だがな、どうしても君に担当してほしいと直談判しに来るウマ娘と、どうかそれを認めてほしいと言いに来たウマ娘がいたからだ。
頭を下げて願われたら、私としては行動しないわけにはいかないからな!」
扉を潜って入って来た1人は、俺に逆スカウトをかけてきた栗毛のウマ娘、ミホノブルボン。
……なるほど、彼女が理事長を誘導したのか。
そこまでして他のトレーナーを探したくないのかと、俺は少し困惑してしまった。
……が。
彼女の後ろから入ってきたウマ娘を見て、困惑も何も吹き飛んだ。
その子は、小柄な鹿毛の……見覚えのある、ありすぎるウマ娘。
「ホシノウィルム……?」
数時間ぶりに会った俺の担当ウマ娘は、軽く頭を下げた後、口を開き……。
想定外のセリフを口にした。
「トレーナー。もしよければ、ブルボンちゃんのことも見てあげてもらえませんか。
私だけでなく、彼女のことも……三冠の夢へ、導いてあげてください」
バトル漫画でよくある、部屋に入った時点で詰んでる展開。
いわゆる追い込み漁。
ちなみに、堀野トレーナーの「アプリ転生」は現役の競走ウマ娘にのみ働きます。
別にこのタイミングで書くことに深い意味はないんですけどね。
次回は3、4日後。ホシノウィルム視点で、ピンクと黒の話。
かなり文字数が多くなる予定。
(報告)
【速報】URAミーク、鋼の意志獲得【桐生院の悲願叶う】
これを受けて、過去の記述をちょっと書き換えてます。
具体的に言うと、「桐生院チームはミーク以外鋼の意志を持っている」という描写を「全員鋼の意志を持っている」に変更しました。
育成成功おめでとう桐生院、アイスをありがとう理事長。
ミークがちゃんと強くて嬉しかったです(小並感)。これは現役最強の一角。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!