お昼休みの終わりに語られた、トレーナーの過去。
何かをしたいと望み、何かを楽しむと言うことを知らず、ただ「すべきかどうか」だけで判断する、半ば機械じみた判断基準。
正直に言えば、そこに引っかかるものがないわけではなかった。
トレーナーの在り方は、歪だ。
私から見て歪、というだけじゃない。
論理的に考えて、トレーナーの在り方はおかしいんだ。
普段は理屈家なのに、事が自分の評価や働きになると急激に非論理的、感情的になる。
誰よりもデータと数字を信頼するくせして、自分に関してはそれを放棄し、感覚のみの評価を下している。
それはあまりにも急激な変化だ。普段の彼とその時の彼の間には、大きな大きな断絶がある。
彼の中で一本の筋が通っていない。自然じゃない、歪な精神状態。
それはすなわち、彼がゆっくりと時間をかけて変化したのではなく……どこかでその心を捻じ曲げられたことを意味する。
そして、何より。
まるで自分が駄目な存在であることを前提にしているかのようなその姿は……どうにも、思い出させるんだ。
「勝てないホシノウィルムに価値はない」と、強く強く思い込んでしまっていた私を。
……彼には、何かの呪いがかけられているのかもしれない。
そう思い至るのに、時間はかからなかった。
何かしらの辛い事実が、彼を変えてしまった。堀野歩という人間を、決定的に変質させた。
何も特別なことはなかったって言ってたけど……あるいは、思い出すことも拒むような何かがあったという可能性はあるだろう。
彼の過去。一体何が、堀野歩さんを堀野歩さんたらしめたのか。
そこを詳しく追求したいという思いは、確かに私の中にあった。
が。
それはさておき。
トレーナーと私には、まだ時間がある。
私はこれからもずっと、彼のウマ娘だ。この疑問の解決に取り組む時間はまだまだ残ってるはず。
でも、ファンの皆と触れ合えるのは今日限り。次の機会は来年の4月まで来ない。
その状況でどちらを優先すべきか弁えない程、私は愚かにも恩知らずにもなれなかった。
ま、進歩がなかったわけじゃない。
あんまり自分語りしてくれないトレーナーが、また少しだけ自分のことを教えてくれたんだ。
それ以上のことは、また次の機会にでも問い詰めればいいし、『ご褒美権』を使って教えてもらうって手もあるわけで。
今日はひとまず、ここで満足するとしよう。
今ホシノウィルムが行うは、ファンの方々への感謝とコミュニケーション。
それは今日の朝から変わりはしない。
……よし切り替えて。
午後もウィルム相談所、頑張るぞ!
* * *
トレセン学園のファン大感謝祭は、入場自体が高い倍率の抽選制になっている。
来る人全てを受け入れてしまうと、それこそ万とか十万単位の人間が学園に押し寄せてしまうだろうからね。
いくらトレセン学園が広い敷地を有しているって言っても限界はある。
故に、入場者数自体を制限するしかないんだ。
で、入場者数が制限されるとなると、当然ながらお客さんは午前に集中しやすい。
「命に替えてでもこの企画に行きたい」という殺気立ったファンの方は当然ながら一番最初に駆け込んでくるし、そうでなくとも「このウマ娘の企画は行っておきたい」という方は午前中の内に来やすい。
そうなると、午後は多少人も空いてくるはずなんだけど……。
ウィルム相談所は、多少待ち時間は減ったものの、相変わらずの人気だった。
……ぶっちゃけ、午前中で需要を消化しきれてなかったっぽいな、これ。
「こ、こんにちは……!」
「いらっしゃいませ。……あれ、もしかして、ずっと昔からライブを見てくださってる方ですか?」
「えっ!? あっ、え!? 嘘、認知され!?」
「あぁ、やっぱりそうですよね。私たちこう見えて、ライブの際は結構しっかりとファンの方を見ているんですよ? いつも応援、ありがとうございます」
「えっ、あっその、こちらこそありがとうございます! いつもウィルムちゃんの走りには元気をもらってて、その、ライブもギャップがすごくて……!」
「こちらこそ、皆の応援のおかげで私は走れてると思ってます。いつも声援をありがとうございます。
……さて、時間もありませんし、ご相談を伺いましょうか」
「あの、えっとその、いや冷静に考えるとめっちゃ失礼かもしれないんですけど……推しが骨折から5か月でG1レースに出るって言ってて、すごく心配で……その」
「……ふふ」
「いやすみません、失礼だってことはわかってるんですけど! 父が医者で、5か月で復帰は早すぎるって言ってて不安になっちゃって……!」
「大丈夫です、心配してくださったことはわかってます。その上で私から言えるのは……宝塚記念の時と同じように、信じてください。
私はきっと、その期待に応えてみせます」
「はっ、はい……! うぅ、推しがカッコ良すぎる……ロリなのに……!」
「ロリじゃないですけど。トレセン学園に通ってるんですけど!」
勿論、ファンの方も無尽蔵ってわけじゃない。
午後4時を回る頃になるとだいぶ需要を満たせたみたいで、待機時間はようやく20分を切った。
とはいえ、逆に言えばまだあと20分、人数にして10人以上のファンの方々が、私との会話の機会を待ってくれている。
予断の許されない状況と言えるだろう。
が、外から見ればお客さんが減って来たという事実は確かなもので。
そしてそうなると、お客さんを優先しなきゃって遠慮してくれてた、私の知り合いも来てくれるわけだ。
「先輩、来ました!」
「ピンクちゃん、いらっしゃい。どうぞ座って」
「はい!」
「来てくれてありがとう。……でも、ちょっと申し訳ないな。いつもは普通にお話ししてるのに、わざわざお金まで払ってもらうのは」
「いいんですよ。先輩にはお世話になってますし、少しくらいはお返しさせてください!」
「いつもお菓子とかジュースとか買ったりしてくれてるし、気にしなくていいのに。
……じゃあ、お悩みを伺いますか」
「あっ……」
「……もしかして、お悩みを忘れた?」
「え、えっと……そういえば、お悩み必要でしたね……」
「……普通にお話ししよっか」
「はい……」
そんな感じで、私の知り合いが来てくれることも増えた。
1分300円ってのは、めちゃくちゃ高い金額設定だ。
食事1回分くらいなら十分賄えるお金を1分のおしゃべりに使うわけで、このサービスはもう高級嗜好品の類と言っていい。
だからこそ、そのお金を払ってでも企画を見に来てくれるのは、ただただ感謝しかない。精一杯相談に乗らせていただこう。
私の数少ない知り合いの中でも、特にジュニア級の後輩ちゃんたちはよく来てくれた。
彼女たちはまだ自分の企画を持ってない。チーム企画を持ってる子たちも、ジュニア級の間は1時間しかシフトを当てられないらしい。
結果として、親しくしてる後輩ちゃんたちは、その多くが来てくれたわけだ。
そして、その後輩ちゃんたちの中に、黒鹿毛の彼女の姿もあった。
「おね、じゃない、ウィルム先輩!」
「ん、ライスちゃん、来てくれたんだ。どうぞ、座って」
「失礼します……あっ、えっ!?」
「あぁ、椅子さん殉職しちゃったか。この1日、よく頑張ってくれたからね」
「ごっごめんなさい! ライス、また……」
「それは良くないなぁ、ライスちゃん。
椅子さんは精一杯職務を全うして散っていった……いや本当に文字通りバラバラに散るとは思わなかったけど、とにかくちゃんと役目を果たしたんだ。
それを『自分のせいで非業の死を迎えた』みたいな言い方はよろしくない。椅子さんの仕事への誇りを奪っちゃいけないよ」
「そ、そうかな……そうかも?」
「うん、あんまり謝ってばかりはよくないぞ、と。
ごめんブルボンちゃん、椅子を片付けて……トレーナーに新しい椅子を借りてきてくれるかな」
「オーダー了解。ライスシャワーさん、失礼します」
「……ブルボンさん、ウィルム先輩の企画を手伝ってるの?」
「はい。16時11分に帰還後、再度ホシノウィルム先輩を手伝わせていただいています」
「そうなんだ……」
「ライスちゃん、申し訳ないけどあんまり時間がないから、お悩みを聞けるかな」
「あっ、はい! えっと、ライスでも受け入れてくれる優しいトレーナーさんは見つけたんですけど……それでも、なかなかレースに出走する勇気が出なくて。出なきゃいけないのはわかってるんですけど、どうしても……」
「なるほどなるほど。取り敢えず、トレーナー獲得おめでとう。
で、勇気が出ないって件だけど……うん、それじゃ一緒に走ろう」
「え? えっ?」
「今度、お互いのトレーナーも交えて計画立てようか。日時は……」
「えっ……え~っ!?」
私が思うに、ライスちゃんに足りないのは成功体験。彼女が自分を肯定できるだけの経験だ。
成功体験が少ないから、自分から挑戦をしたいと思えない。挑戦をしないから、成功体験を積めない。まさしく負のループだよ。
これを解決するために必要なのは、彼女の不幸体質を乗り越えるだけのガッツとメンタル、そしてそれを発揮するための機会。
前者は彼女次第だけど、後者に関しては私の方で用意できる。
ライスちゃんには申し訳ないけど、無理やり挑戦の舞台に引きずり出せばいいんだ。
……それに、同時にブルボンちゃんも連れだすことができれば、現状微妙な空気感を漂わせる彼女たちを近づける好機にもなる。
百合百合キューピッドを気取る気はないけど、前世で彼女たちのカプを愛していたウマ娘として、最低限彼女たちが友人になるまではサポートしたい所存。
段々と力を取り戻しつつある私の肩慣らしならぬ脚慣らしにも丁度いいと思うし、トレーナーに模擬レースを組んでもらおう。
この時点で決定事項みたいに話を進めるのは、取らぬ狸の何とやらかもしれないけど……。
トレーナーは何だかんだ私に激甘だし、大丈夫でしょう。最悪今日手に入れる予定の「ご褒美権」もあるわけだしね。
そんなわけで模擬レースをしようと告げ、軽く話を詰めたわけだ。
それを聞いたライスちゃんは、ちょっとあわあわぺこぺこ、混乱しながら帰って行った。
相談に乗った結果、更に混乱させてしまったのはちょっと申し訳ないけども、これもライスちゃんのためだ。是非ともその模擬レースで、彼女のなりに何かを掴んで欲しいものだね。
で、更に。
相談所に来てくれたのは、ジュニア級の後輩ちゃんたちだけじゃなくて……。
これまではあまり接点のなかった、尊敬すべき先輩も来てくれた。
「失礼いたします」
「え……マックイーン先輩」
「お久しぶりですわね、ホシノウィルムさん」
「お久しぶりです。まさか来てくださるとは思いませんでした」
「あら、機会があれば是非お話ししたいと思っていたのですよ?」
「あぁ、私が入院していたから……。わざわざお金まで払っていただいて、申し訳ないです」
「構いませんわ。1つ、相談したいこともありましたし」
「相談? 私にですか?」
「えぇ、非常に大事なことです」
「……謹んで、お聞きします」
「では、伺いますが…………非常に効率的なダイエット法を考案したとお聞きしました」
「……え?」
「どんな方法ですの!? 私、次走の京都大賞典までに2キロ落とさなければならないのです!
どうか甘味の誘惑に耐える方法を教えてくださいませ!」
「……あー、はい?」
なんか、思ったよりだいぶ俗っぽいマックイーン先輩の相談に乗ったりもした。
思わず脳内で、誇り高くカッコ良いマックイーン先輩のイメージが崩れかけたりもしたけど……。
「それとこちら、京都大賞典のチケットです。
セイウンスカイさんとあなたには、これまでしてやられましたが……困難は打ち破るべきもの、次の機会があれば必ず越えてみせますわ。
これは挑戦状のようなものです。この夏で更に極めた私の脚、どうぞあなたのトレーナーさんと一緒に見にいらして」
……直後のこの発言で、全部持ち直したよね。
案外可愛いところもあると思ったけど、やっぱりマックイーン先輩は、品のある気高いウマ娘だ。
せっかくチケットももらったし、是非ともトレーナーと見に行こう。
楽しみだね、久々のレース観戦だ。
そんなこんなで、ファンの皆やウマ娘たちとコミュニケーションを取っている内。
飛ぶように時間は過ぎて行った。
* * *
さて、時刻は17時半。
季節はいよいよ秋に差し迫る頃、空は少しずつ赤く染まりつつある。
……そろそろ今回の大感謝祭も、終了間近だ。
この頃になるとお客さんたちが帰宅し始めるため、企画の客入りはほぼほぼ0に近づく。
それは私の企画も例に漏れず、ようやく待機しているお客さんの数は5を下回った。
……うん、まだ5人いる。どんだけ需要あるんだこの企画。
それだけ、ファンの求めるものを出せた……と、思っていいのかな。
うん。改めて、やって良かった。
ファンの皆に楽しんでいただけたなら、設営とか会話を頑張った甲斐もあったし……何より私も、すっごく楽しかった。
ついでにトレーナーから「ご褒美権」ももらえるし、これ以上ない結果だったと言えよう。
断言するにはちょっと早いけど……。
ホシノウィルムのクラシック級、秋のファン大感謝祭は、これ以上ない大成功で終わったと言っていいだろう。
そうして、18時。
トゥインクルシリーズ・秋のファン大感謝祭が終わると同時。
私は最後のお客さんを捌き切り、笑顔で見送って……。
『ウィルム相談所』は、ようやく終わりを迎えたのだった。
「あー……」
何も考えられず、口から呻きを垂れ流した。
そのまま、ブルボンちゃんが見ている前というのも気にせず、べたりと机にへたり込む。
「ほわぁー……つっ、かれたぁ……」
「お疲れ様です、先輩」
疲れた。本当に、めちゃくちゃ疲れた。
いや、楽しかったよ? そりゃ楽しかったさ。
総合値で見れば、人生で一番楽しい日だったと言っても過言じゃないと思う。
けど、それはそれとして、めっっっちゃ疲れたのも事実だ。
肉体的なものじゃない。ただただ重い、精神的疲労。いわゆる気疲れ。
お客さんとの会話が途切れ、脳内麻薬が途切れた瞬間、それは私を圧し潰さんばかりに襲ってきた。
肉体面には自信のある私だけど、コミュニケーションに関してはご存じの通り素人同然。
持久力なんてものがあるわけもなく、この1日の体験は明らかなオーバーワークだ。
故に、疲れる。めちゃくちゃ疲れる。
「あぁー……うぇ……」
「先輩、この後は撤収がありますが」
「わかってる……でもちょっとだけ、休ませて……」
「了解。マスターに通達します」
その言葉と共に、ブルボンちゃんはテントから出て行った。
私も後を追って、作業を手伝うべきなんだろうけど……今はちょっと無理だなぁ……。
机の上にでろんと溶けたまま、ぼんやり思いを巡らせる。
頭が、というか体が重い。思考がぼんやりして纏まらず、何かをする気になれない。
体力的に疲れることは、私にとってはそこまで負担じゃない。
けど、精神面は別だ。その領分の不慣れな疲労は、私にダイレクトに刺さってしまう。
「……ふぅ」
とはいえ、ここまで精神的に疲れることはそうそうない。
ここまで頭が重くなったのは……最初の模擬レースの時以来かな。
今となっては懐かしい、ジュニア級1月。
私は中央トレセン入学後、初めての模擬レースで負けた。
あの頃の私にとって、敗北という事実は文字通り致命的な意味を持っていた。
トレセン学園に来るまで無敗だったプライドを大きく傷つけられると同時、絶対的な価値基準だった「勝利するホシノウィルム」という理想を貶める行為だったからね。
だからこそあの時は、それはもうめちゃくちゃショックを受けたものだ。
現実を受け入れられない。敗北を認められない。自棄になってトレーニングすることしかできない。
あの時トレーナーに拾ってもらい、そこに未来を見出せた……より正確には、今は休むことが最善の方法だと理解したから良かったものの……。
もしも歩さんと出会わなかったら、彼に管理してもらわなければ、私はどうなってたんだろうな。
冷静になれないまま、オーバーワークで事故を起こした? あるいは、もっと酷ければ故障していた?
何にしろ、酷いことになってたのは間違いない。多分、宝塚記念まで故障もなく走り切ることはできなかったはずだ。
「……ずっと、助けてもらってたんだよね」
競走ウマ娘として、故障しないように体を管理してもらった……だけじゃない。
1人のウマ娘として、壊れないように心を支えてくれたんだ。
無意識かもしれない。彼の「堀野のトレーナー」像に基づいただけの行動なのかもしれない。
それでも彼は、何度も私の氷漬けになった心を温めてくれた。
盲目的になっていた私を助けるために、ずっとずっと頑張ってくれた。
今日ここで、ホシノウィルムが楽しく生きていられるのは……。
ファンの皆のおかげで、私が頑張った結果で。
でもきっと、それと同じくらい、トレーナーの努力の成果でもあるんだ。
堀野歩さんは、ずっと、何度も、ホシノウィルムを救ってくれた。
だから……そんな人に惚れてしまうのは、ある意味当然というか。
「…………好き」
知らず、感情が口から零れて……。
その時、疲れた頭にピリッと、甘い痺れが走った気がした。
……ヤバい。
この感覚、ちょっと気持ちいいかも。
深いことも考えず、気持ち良さに任せて再び口を開く。
「好き、好きです……あ、歩さんっ……」
「ホシノウィルム?」
「わぁぁああッッ!!??」
テントの外から投げかけられたトレーナーの声に、思わず椅子ごとひっくり返った。
わ、あわわ、わわわわわ!
き、聞かれてない? 聞かれてないよね? 小声だったし大丈夫だよね?!
「悲鳴!? どうした、何かあったか!?」
「な、なんでもないです! というか、何か聞こえましたか?!」
「悲鳴が聞こえたぞ!? 本当に大丈夫か? 何か虫が出たとか?」
「大丈夫ですから! 全然大丈夫! それで、何の用ですか!」
「え、いや……俺は生徒会に今日の来客数とか収支の書類を出しに行く。疲れているだろうから、君はしばらく休んでいていいぞ、と……」
「そうですか、それじゃしばらく休みますから、どうぞ行ってください!」
「え、うん……なんでこんな怒ってるんだ……? 俺また何かしちゃった……?」
トレーナーの声が遠ざかっていく。
その足音が聞こえなくなるまで待って……私は、バクバクと鳴る胸を撫で下ろす。
……た、助かった……!
危ない危ない。疲労のせいか、欲望をあまりにも安直に垂れ流してた。
もし聞かれたら、羞恥のあまり体が弾け飛ぶところだったわ。ホシノウィルムの競走人生どころか人生そのものが終わってた。
以後は同じことを繰り返さないようにしなきゃな。いくら疲れてるとはいえ警戒心なさすぎだって。
「……ふぅ」
取り敢えず、最悪の展開は免れたことに、心底安堵した。
倒れた椅子を立て直し、改めて座っていると……。
「先輩、入ってよろしいですか?」
「ブルボンちゃん? どうぞ」
トレーナーに続き、ブルボンちゃんまで声をかけてくれた。
なんだろ、悲鳴を心配してくれたのかな。異性のトレーナーと違い、ブルボンちゃんなら相談に乗れると思ったのかも。
ありがたい配慮だけど、今はそういうんじゃないんだよね。
とはいえ、気遣ってくれるのは嬉しい。なんでもなかったよって誤解を解かないと……。
と、思っていたんだけど。
テントに入って来たブルボンちゃんは、コトリコトリと機械じみた均一なペースで近づいて来て……言った。
言い放った。
「ホシノウィルム先輩は、マスターのことが好きなのですか?」
「うぇあっ!?」
……忘れてた。完全に頭から飛んでた。
ウマ娘、耳が良いんだ。
テントの外、トレーナーより遠くにいても、私の呟きが聞こえてもおかしくはない!
「いやいやいや、これはその、あれはこれがそれで、いや違う、違くて!」
「では、マスターのことが好きではないのですか?」
「いやそれはっ……好きじゃない、とは、言えないですけども……ですけども……」
「成程。私も、マスターのことは『好き』です」
「は!? それどういう意味!?」
「自分の契約トレーナーとして尊敬し、敬愛している、という意味ですが」
「……そっ、そうだよね、そうだよね……!」
「?」
コクリと首を傾げるブルボンちゃんの返答に、思わず胸を撫で下ろす。
彼女が抱いているのはラブじゃなくライク。恋愛じゃなく親愛だ。
良かった、このナイスバディでトレーナーを攻められたら、最悪脳が破壊されるところだった。
NTRはフィクションだから許容されるものであって、現実にはあり得てはならないものなのである。まぁ寝てないんですけども。
少なくとも現状では、ミホノブルボンちゃんは私のライバル足り得ない。
走りでも……そして恋愛的な意味でも。
情けないことに、私はそれに深く安堵してしまったのだった。
「ところで、マスターに正式に契約していただいた暁には、父に紹介したいと思っているのですが、契約トレーナーはどのタイミングでスケジュールの余裕ができるのでしょうか」
「…………」
私が脳破壊される日、案外近いのかもしれない。
ま、負けられない戦いが始まる……!
! 伏兵
クラシック級、秋のファン大感謝祭終了。
全力で走れなかった間に色ボケとあまあまな展開が多かった分、そろそろレースの話が始まります。
そして次回はおまけ、とあるウマ娘の回です。
次回は3、4日後。おまけの別視点で、黒い彼女の話。
ちょっとだけ時系列が戻ります。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!