・秋天はマックイーンが勝った。
・ホシノウィルムは「マックイーン先輩だけあだ名で呼ばれててズルくない?」と思った。
・クリスマスなのに砂糖成分が全然なかった。
天皇賞(秋)が終わり、ブルボンのベゴニア賞まで2週間、ホシノウィルムのジャパンカップまで3週間を切った。
11月となると比較的暖かい立地にあるトレセン学園とはいえど寒気の波に襲われ、クローゼットの中に封印されていたジャケットやマフラー、ネックウォーマーたちが復活の気配を見せる頃合いだ。
そんな中、俺たちは……。
「ミホノブルボン、10分間クールダウン。ナイスネイチャ、ライスシャワーはペースを1段階落とせ。ホシノウィルムはそのまま続行」
「了、解……」
「クソっ、スタミナじゃ、やっぱり勝てないか……」
「はぁ、はぁ……くっ、うぅ……」
「すぅー……ふーっ……」
今日も今日とて、トレーニングに励んでいた。
今日は火曜日、久々のナイスネイチャとの合同トレーニングの日であり、初めてのライスシャワーとの合同トレーニングの日でもある。
ネイチャたちのトレーナー陣は不在……というか、色々あって時間を取れなかったらしい。
それにしたって完全に俺にトレーニングを任すというのは、相変わらず無警戒だと思うべきか、あるいは頼られるだけの信頼は得ていると思うべきか……。
勿論、その信頼には応えたい。責任を持って、最適と思えるメニューを組んでいるつもりだ。
「アプリ転生」を持っていないトレーナーの育成方針は、どうしたって偏ってしまう。
特にネイチャたちのトレーナーはスタミナ偏重な育成方針になっており、それ自体はネイチャやライスと相性が悪いわけじゃないんだけど、やはりそれだけでは勝てるレースにも勝てなくなる。
だから他のステータスの不足分は、こうして合同トレーニングの際に補おうとしているわけだ。
「……ネイチャがスピード1、ライスはパワー1か。悪くない上昇率だ」
さて、ネイチャ・ライス陣営だが、今俺は1人きりで彼女たちを見守っているわけではない。
俺のサブに付いてくれている昌は「勉強のため」と一緒に彼女たちのトレーニングを見てくれてるんだけど……。
「……あー」
いや、訂正。見てるのはトレーニングじゃなくて手元の書類だった。
どうにも昨日今日の昌は精彩を欠いている。
この子の才能があれば書類仕事をこなしながらトレーニングの観察くらいはできると思ったんだけど、今は軽く頭を掻きながら、バインダーに載せた書類の束に四苦八苦しているようだ。
うーん、一応そんなに難しくない方の書類を割り振ったつもりだったんだけど、何に苦戦してるんだろうな。
過度な負担は無駄に繋がる。
無茶ってのも経験としては重要なんだけど、やっぱり適切な負荷こそが成長に繋がるのはウマ娘の脚に限った話じゃないんだ。
だから、昌が苦しんでいる原因究明、そして適切に負荷を減らしたいところだけど……。
難しいことに、昌は俺が任せた仕事に手を出したり覗き込もうとしたら嫌がる。すごく嫌がる。
一応進捗確認ってことで時々覗いてるんだけど、多分そろそろバレるだろう。というかもうバレてるかもしれない。昌めっちゃ察し良いし。
……これ、どうしようかなぁ。
昌はかなり……少なくとも俺目線だと、要領が良い。多少大きな負荷程度なら、あるいはそれも成長に繋げられるかもしれない。
ただ、肉親が苦しんでいる姿というのは心に来るものがある。できれば力になりたいんだけどな……。
「昌、ごめんね、仕事振り過ぎちゃったよね。厳しいようなら手伝おうか?」
「うるさい黙ってろバ鹿兄さん。……ちゃんと担当たち見ててあげて」
「あ、はい」
この通り一刀両断である。ついでに言うと正論だから反論の余地もない。
俺は改めて、合同トレーニングでダートを走っているウマ娘たちに目をやるけど……。
あれ、と首を傾げた。
土台、「アプリ転生」を持つ俺にとって、ウマ娘の体力管理は非常に簡単だ。なにせただ見るだけでどれだけ体力が残っているのか、そしてどれくらいの確率で事故を起こすかを一目で見ることができるわけで。
……で、「アプリ転生」について知ってるはずの昌も、そんなことわかってるはずなんだよね。
「もしかして今の、皮肉?」
「こっちは集中してるから黙ってろって言ってるんだけど」
「あー、ごめん、黙るね……」
「……はぁ。本当に全然変わらない、この兄さんは。
他人のことの前に、自分のことを片付けたら?」
昌はため息をついて、再びバインダーに目を落としてしまった。
相変わらずの態度に、思わず苦笑が出てしまう。
昌は、基本的に人に対しての当たりが強い。
特に昔、中等部の時なんかはすごくて、唯一彼女が心を開いていた母さん以外はとてもじゃないけど昌に接触できなかった。
今も、俺や父さんへの当たりは強いままだけど……ここ数日の様子を見るに、ウマ娘たちに不当に強く当たることはない。それどころか、かなり丁寧に接触している印象がある。
なんというか、妹の成長を感じられて嬉しいね。
「さて……」
……しかし、彼女のことばかりを考えてはいられないのも、また事実だ。
なにせ俺は今、ホシノウィルムから1つ、無理難題を仰せつかっているのだから。
* * *
時は昨日、月曜日に遡る。
酷く冷え込んだ朝、担当ウマ娘たちが防寒着を忘れでもしたら大変なので、昌も含めた人数分のジャージや手袋、カイロなどを用意し、朝のミーティングの準備をしてたんだけど……。
「トレーナー、失礼します」
その日は、ホシノウィルムが俺の次、かなり早くにやってきた。
それは本当に珍しい、というかはっきり言って空前絶後のことだった。
なにせホシノウィルムは、朝に弱い。とても弱い。
どうやら彼女は隠したがっているようなので気付かないフリをしてるけど、俺は当然ながら他のウマ娘からの情報収集で、既にそれを掴んでいた。
曰く、朝のホシノウィルムは危険。手を出すと噛まれる可能性がある。
曰く、彼女自身、自分の性質を理解しているため、朝は自室に引きこもっているが、時々寝ぼけて出てくる。
曰く、殆ど目が明いてない上にふらふらと歩くので心配になるが、手を出すと危険なので何もできない。
曰く、声をかけると「んゆぁ……」みたいな不明な言語での回答が返って来る。
曰く、普段は隙のない先輩が唯一見せる隙であり、非常に可愛い。
……一部客観性を欠いた情報もあったけど、まぁ大体そんな感じ。
ホシノウィルムは朝に弱く、起きるのも遅いし正気を取り戻すまでに時間がかかる、ってことだ。
思えばメイクデビューで遠方のレース場に行ってホテルに泊まった時なんか、「9時までは絶対こっちの部屋に入って来ないでくださいね! いいですか、絶対ですよ! ドアを叩くのとかもアウトですから!」と……いやまぁ当時はもうちょっとそっけない態度だったけど、今のホシノウィルムの言い方で表せばそんな感じのこと言われたしね。
実際に見たことはないけど、噂を聞いている感じ、本当に……ちょっと致命的なレベルで朝に弱いみたいだ。
だからこそ、彼女が朝のミーティングに来る時間は、毎朝ギリギリになるのが常だ。
集まる順番は、まぁ当然と言うべきか、まずはトレーナー室の鍵を開けなければいけない俺、次にサブトレーナーとして俺と情報共有する必要のある昌、少し間を空けてスマホも時計も持っていないのに時間に正確なミホノブルボン、そしてホシノウィルムの順。
これは決して揺るがない、絶対の法則のはずだったのだ。
それなのに、ホシノウィルムが昌よりも早くトレーナー室に来る……?
バ鹿な、そんなことが起こり得るのか……?
まさか明日は槍でも降るのか? あるいは世界の終わりか?
……いや、そうか。
俺は一瞬、驚きのあまり、彼女が誰なのかを失念してしまっていた。
そうだ……この子はホシノウィルム。不可能を覆す灰の龍。
朝早くに起きてくる、という不可能すら可能にしてしまう、ということか……!
その著しい成長に、俺は思わず、深く感動してしまった。
昌もそうだし、ホシノウィルムもそうだ。
俺がこうしてだらだらと生きている傍で、皆、どんどん成長していくんだな……。
ただ、悲しいことに、今回は彼女の成長を喝采することはできない。
何故なら、俺が「朝早く起きれて偉い!」などと言おうものなら、それはホシノウィルムが朝に弱いという弱点を知ってることを示す。
「隠してたのになんで知ってるんですか? ストーカーとかキモッ、契約解除お願いします」なんてことにならないよう……いやまぁ今更そんなことにはならないと思うけど、万が一の最悪を考えれば、直接的に彼女を褒め称えることは避けるべきだろう。
だが、担当の健闘に応えない者など、トレーナーとは呼べない。
俺はせめて彼女が快く入室できるよう、にこやかな表情を作って朗らかに口を開く。
「おはようホシノウィルム、肌寒いが陽射しの気持ちの良い朝だ、な……?」
ガラ、と音を立ててドアを開いた先にいたホシノウィルムを見て、俺は思わず言葉を止めてしまった。
なにせ、ホシノウィルムは……。
眉をくいっと寄せ。
唇をきゅっと結んで。
頬をぷくりと膨らませていたのだ。
……まずい。
この子、ちょっとご機嫌斜めだ。
「あー……ホシノウィルム? もしかして、こう、何かあったか?」
「何か……?」
「な、何か嫌なこととか? 気分を害することとか? 何かあったんなら、是非俺に相談……」
「…………」
ま、まずい、もっと頬が膨らんだ。
俺はこれまでに踏んできた幾度もの
そんな俺の直感によると……。
今、彼女は、そこそこ気分を害している。……少なくとも、俺に対してそう見せようとしている。
「トレーナー」
「は、はい」
「お伺いしたいことがあるのですが、今お時間よろしいでしょうか?」
「勿論。担当……いや、君のためならいくらでも時間を作るぞ」
……あ、若干機嫌が良くなったか。取り敢えず致命的なセリフの選び間違いはなかったらしい。
まぁそりゃそうだよね、話がスムーズに進んで機嫌が悪くなるってことはないだろう。
さて、問題は彼女が何に怒っているか、だ。
本質が善性なホシノウィルムは、他人に八つ当たりすることはない。
たとえ怒りを覚えていても、それを関係のない他人に直接向けることがないんだ。……いや最近は時々そういう甘え方をしてくるようにもなったけど、今回はガチっぽいのでそういうわけでもないだろうし。
そう考えると、俺に向かってこうして怒気を向けてくる以上、俺が何かしら、彼女にしてはならないことをした可能性が高い。
しかし、俺にはその心当たりがない。いやホシノウィルムに怒られる時に心当たりがある方が少ないんだけど、今回は本当に全くない。
……どうする、取り敢えず謝っておくか?
「あー、ホシノウィルム。もし何か君の気に障ったのなら……」
ソファに腰かけるホシノウィルムの対面に座って、取り敢えず頭を下げようとした、んだけど……。
「ホシノウィルム」
彼女は、自分の名を呼んだ。
その言葉は、まるで霜でも張り付いているかのように冷め切っていた。
……しかし、それはあくまで表面上の話。
彼女の発した言葉は、その表面を剥いで見れば……ぐつぐつに煮え滾る熱が、確かにそこにある。
その熱は、所謂「不満」と呼ばれる感情だ。
「なんでホシノウィルムなんですか?」
「え、いや……すまない、君の名前の語源までは存じ上げないんだけど……」
ホシノウィルムはニッコリと笑った。
すごく、綺麗な笑顔で。
「トレーナー。なんで、私を、ホシノウィルムと、呼ぶんですか?」
「い、いや、君はホシノウィルムだろう? だからホシノウィルムと呼ぶんだけど……」
「へぇ……」
彼女の口端が吊り上がる。
「マックイーン先輩のことは、『マックイーン』って呼ぶのに?」
「え?」
俺は、転生者だ。
前世の記憶を持ち、人格を引き継いでいる。
そして、その最たる特徴として……俺は前世でやっていたアプリ、「ウマ娘 プリティーダービー」の記憶を保持している。
なんで今更そんなことを整理するかと言うと、前世と今世の意識が、今の俺の中でも複雑に絡み合っているからだ。
俺は前世で、ゲームとして「ウマ娘」を遊んでいた。
故に、そこに登場するウマ娘を架空のキャラクターとして認識し、だからこそ気軽にあだ名で呼んでいたんだ。
スペシャルウィークならスペ、セイウンスカイならウンスとかスカイ、そしてメジロマックイーンならマックイーンとかめじょまっきーんとか、そんな感じで。
が、ウマ娘が実在し生きているこの世界で、親交もないウマ娘に対面していきなり敬称もなくあだ名で呼んだりしたら、それはもう民度の低いファンか異常者のどちらかだ。中央のトレーナーにしても、本人がいる時に親交のないウマ娘を呼ぶ場合、フルネームで呼ぶのが通例になってるし。
問題は、俺は本人がいるいないの状況に応じて呼び名を変え、そしてそれを間違えない程に要領が良くないってことで……。
故に俺は、ウマ娘のあだ名を口にすることを禁じている。基本的に全部フルネーム呼びだ。
が、前世からの意識というのはなかなかに抜けないもので、俺は未だ脳内ではあだ名、というか略称でネームドの子たちを呼んでしまう。
これがまたしっかり癖になってしまってて、直そうとしてもなかなかに直らない。
まぁ脳内まで見られるわけでもなし、口に出しさえしなければ問題ないか、と思っていたんだが……。
「え、えぇと……聞き間違いじゃないか? 俺はそんな風にメジロマックイーンを呼んだことはないはずだが」
「いや、聞きましたからね。昨日の天皇賞の時、絶対呼んでました」
「あ、あー……」
や、やべ、そういえば昨日はちょっとレースに集中し過ぎてた。
昌のための資料作りとかもあってちょっと疲れてたし、どこかでぽろっと漏らしちゃった可能性はなくもない。
というか漏らしちゃったんだろうな。やらかした。
そこまでヤバい内容ではないとはいえ、下手をすれば信用に関わった問題だ。バレたのがきちんと信頼関係を築いているホシノウィルムだったのは、不幸中の幸いと取るべきかな……。
「……まぁ、君になら話してもいいか。頼むから他の人やウマ娘に話してくれるなよ」
「2人きりの秘密、ということですね」
「ん、まぁそうなるか」
……なんでそこでちょっと機嫌よくなるんだ?
あ、やっぱり女の子は秘密の共有とかが好きだったりするのかな。
とにかく、彼女の機嫌が良い内に、ちょっと嘘を交えてでも事情を説明しないと。
「俺は……まぁ、そうだな。ウマ娘って、名前が長い子も多いだろ? メジロマックイーンとかトウカイテイオーとか」
「まぁ、確かに長い……ですかね?」
「誤差レベルと思うかもしれないけど、どうしても名前を思い浮かべる時に時間がかかってしまうからな。普通に呼ぶ時はともかく、脳内で考える時は略称で呼ぶことも多いんだよ。作業の効率化のためにな。
昨日は……俺自身は覚えてないけど、多分聞かれないだろうと思って漏らしてしまったんだろうな」
うん、我ながら悪くない誤魔化し方なんじゃないだろうか。
ちょっと無理やり感はあるとはいえ、論理的な破綻点もないし、これなら誤魔化し切れ……。
「嘘ですよね」
「え」
「トレーナー、嘘を吐くの下手ですから、わかりやすいですよ」
……自分の演技力のなさが恨めしい。
しかし、これを嘘だと認めるわけにはいかないのが難しいところだ。
俺は自分が転生者なのだと、誰かに言う気はない。それは余計な疑いと面倒を生むことになるからだ。
それはホシノウィルムも例外ではなく……いいや、むしろ彼女だからこそ、明かすわけにはいかない。
俺は彼女のトレーナーを続けたい。これはもう、今の俺の絶対的指標だ。
そして彼女のトレーナーを続ける以上、友好的な関係の維持は何よりも優先される。
申し訳ないけど……転生関係の話ばかりは、彼女に「ご褒美権」を使われようとも答えるわけにはいかない。
俺と彼女の関係のためなんだ。許してほしい。
「……うーん」
しかしそうなると、どう誤魔化すべきかな。
嘘を吐けば看破される。かと言って下手な誤魔化しでは誤魔化し切れない可能性が高い。
どうしたものかと、俺がまぶたを閉じて考えていると……。
「まぁそこはいいです」
「え、いいの?」
「内心ではウマ娘をあだ名で呼んでたってところは本当ですよね? マックイーン先輩だけ特別、というわけではなくて」
「そうだが」
「……そっか。ならいいや」
彼女はどことなく安堵したように、息を吐いて俯いた。
……あぁ、なるほど、そういうことね。
「俺が君以上にメジロマックイーンを気にかけていると思ったのか」
「なっ、なんですか。そう思いましたけど? 何か悪いんですか?」
「いや、悪くはないが。安心しろ、今のところ、俺が君以上に惚れ込んだウマ娘はいないよ」
「そ、そですか。はい、それなら良いですケド……」
彼女は視線を逸らして……少しだけ、その頬を赤くする。
それを見て俺は、少しだけ目を細めた。
まったく、この子を見てると、なんというか……不思議な感覚になるね。
いつも無表情で、時々不器用な笑顔を浮かべて、それで……。
…………?
なんで俺、今、そんな彼女を懐かしいって思ったんだろう?
何これデジャヴ? いや俺前世の記憶も割とハッキリ覚えてるけど、ホシノウィルムに遭遇したことなんてないぞ。こんなキャラの濃い子に会ったらまず忘れないと思うんだけど。
……まぁ、こういう錯覚はままあることだ。
もしかしたら覚えてないだけで、昨日か一昨日あたりの夢に、彼女が出てきたのかもしれない。
なんて、取り敢えずホシノウィルムの怒り……というか、こっちを問い詰めるための怒った演技が終わったことに安堵して、そんなことをぼんやり考えてた時。
「ところで、私は脳内ではなんて呼ばれてるんですか? ウィルムですか? それとも……」
「いや、ホシノウィルムはホシノウィルムだな」
「は?」
* * *
……で、あの後、冗談とかじゃなく本気で拗ねたホシノウィルムに、俺はあだ名を付けることを命じられたのだった。
期限は次の日……つまり今日の夕方、トレーニング後のミーティングの時間まで。
「あだ名、か……」
改めて、あだ名を付けろ、と言われると難しいものがあるなぁ。
土台あだ名というのは、その場のノリで呼び始めて定着していくものだ。ノリも何もなく考えるのはなかなかに難しい。
その上、事は俺の担当の呼び名である。たとえ脳内だけのものだとしても、てきとうな名前は付けられない。
この難しさは、言うなれば子供の名付けに近い。
ホシノウィルムの名にちなんだもので、なおかつ彼女が納得のいく、そして独自性のあるもの。
……これらの条件を同時に満たす名前となると、その解答の難易度は、もはやウマ娘の新たな育成論を立ち上げるに等しいレベルだ。
「……ふむ」
実は既に2通りのあだ名を思いついてはいるんだけど、それでホシノウィルムが納得するかはわからない。念には念を入れて、あと2通りくらいは考えておきたいが……。
そうして考えている内に、すぐさま時間は過ぎていき。
合同トレーニング終了の時間になって、ネイチャやライスは同期のトレーナーに引き取られて行き、ホシノウィルムやブルボンに明日以降の予定を伝えたり、昌に昨日の夜作った資料を渡して何故か絶句されたりして……。
ホシノウィルムには少し話があるということで残して、トレーナー室に2人きりになった。
「さて、それじゃあ聞かせてもらいましょうか。トレーナーの考えた私のあだ名を」
彼女はソファに座らせ、俺はホワイトボードの前に立つ。気分はプレゼンテーションだ。
……しかし、緊張感は前回のトレーナー中間発表会の時の比ではない。
なにせ俺のトレーナーとしての信頼と威信をかけた発表なんだ、決して失敗は許されない。
俺は咳払い1つ、話し始めた。
「それでは、ホシノウィルムの略称の発表を始めさせていただきます。
今回の略称はメインターゲット層をホシノウィルム一個人に置き、よし親しみやすさを感じさせると同時に、ホシノウィルムというウマ娘の個性を損なうことなく……」
「そういうのはいいんで、早く発表お願いします」
「あっはい」
導入を全否定されたので、さっさと発表に移る。
「俺が考えてきた君のあだ名候補は4つ。この中から君が気に入ったものを残してほしい」
「4つ……」
「うむ。ハッキリ言って、俺はネーミングセンスがない。納得してもらえるかはわからないが……まず1つ目は、これだ」
ホワイトボードにマーカーを走らせ、1つ目の候補を書き込む。
「『ホシノ』……ですか」
「うむ。いわゆる冠名にあたると思われる部分だな。『ホシノ』という冠名はあまり見ないし、呼び分けもできるだろう」
冠名とは、例えば『メジロ』とか『シンボリ』みたいな、何かしらの縁があるウマ娘たちが共有する苗字みたいなものだ。
前世においては……確か同じ馬主が競走馬に付ける特定のワード、みたいな感じだったかな。
俺は前世の競馬について詳しくないからシステム的な理解が浅いけど、つまりはこの世界で同じ冠名が付いている子は、前世では同じ馬主の元にいた、ってことかな。
しかしそうなると困るのは、「メジロ」とか「シンボリ」と名の付いたウマ娘は大量にいるってことだ。
例えば、メジロ家で「メジロさん」などと呼ぼうものなら、メジロマックイーンもメジロライアンもメジロアルダンもメジロパーマーもメジロドーベルもメジロラモーヌも振り向いてしまうわけだ。
……いや、改めて考えるとネームド多すぎだろメジロ。前世世界の馬主すごいな。
だがその点、「ホシノ」は非常に珍しい冠名だ。探せば他にもいるのかもしれないが、少なくとも俺は見たことがない。
だから呼び名としてはそこまで不適切でもないかな、と思ったのだが……。
「うーん……ちょっとボツです」
「え、何故」
「いや……私はやったことないんですけど、この体型でカタカナ表記のその名前は、もう枠が埋まってるというか……動いてないのに暑いというか……」
よくわからないが、とにかくアウトらしい。ぶっちゃけ最有力候補だったが故に残念だ。
仕方ないのでマーカーの裏でさっさと消し、次の候補を書き込む。
「次はこれだ」
「『シノルム』……なんですかこれ、新種のポケモン?」
「ホ『シノ』ウィ『ルム』。多分独創性はこれが最高だと思う」
「トレーナー、ハイドロポンプをドロンプって略すタイプですか。却下です」
「むぅ、シノルム、可愛いと思うんだがな……」
「かわ……悪くはないような気もしてきましたけど、私も一応女の子なので、そんなはがね・フェアリータイプのポケモンみたいな名前はちょっと……」
これもボツか……。シノルム、良いと思うんだけどな。三段進化の中間か幻のポケモンっぽくて。
「それでは3つ目」
「『龍ちゃん』……やけくそになってませんか?」
「徹夜中の頭だとこれが限界だった」
「は? 徹夜? トレーナー、また無理してるんですか?」
「いやごめん嘘、徹夜はしてない」
多分、30分は寝てたと思う。時間感覚が狂ってた上に仕事中に気付いたら寝てただけだから、ハッキリとはわかんないけど。
「……む、嘘は吐いてないですね。本当のことも言ってない感じですが……。
まぁそれは後で追及するとして、次どうぞ」
すっぱすっぱと切って捨てられるので正直心が折れそう。これでも昨日怒られてから35時間くらい考えて捻り出したんだけどな。
……35時間かかって4つだけしか思いつかない俺のネーミングセンスのなさが悪いんですけどね。はは。
しかし、最後の1つかぁ……。これも絶対ボツになるんだよね、この流れだと。
この名前を彼女が気に入らない、ということはあり得ないだろう。
だが同時、これは少しばかり特別なものだし、何よりも独創性が死んでる。なんなら彼女に怒られる可能性まであるものだ。
だからこそ、初手の「ホシノ」で仕留めてしまいたかったわけだが……。
ここまで来たらだんまりというわけにもいかない。
ええい、ままよ!
「最後は……『ウィル』?」
そう。
それが、最後のあだ名候補だった。
「ウィル」。
ホシノウィルムがただ1人、一目で気に入って以来付き纏……もといコミュニケーションを図って来て、今や彼女の親友となったナイスネイチャにのみ許している呼び方だ。
「蛇」や「灰色の龍」といった二つ名ではない、彼女の唯一無二のニックネーム。競走ウマ娘ホシノウィルムではなく、ウマ娘ホシノウィルムを指す記号の1つ。
……いや、やっぱりちょっとナンセンスだったな。
どうしても思いつかなかったために、言っちゃ悪いが枠埋め的に持ち出したけど、きっとこの呼称は彼女にとって特に親しい者にのみ許すもの。
俺と彼女は、トレーナーと競走ウマ娘だ。その一線を越えるべきではない。
「すまない、やはり……」
「呼びたいんですか?」
俺の言葉に被せるように、ホシノウィルムが言ってくる。
見れば、彼女はどこか掴みどころのない視線を俺に向けて来ていた。
薄っすらと伺える感情は……期待と緊張、不安といったところだろうか。
「私のこと、ウィルって呼びたいの?」
なんだ? 俺は何を期待されてるんだ?
しかし、どんな答えを期待されているとしても、間違えてはいけない。俺はあくまでトレーナーで、彼女と一線を引くべきで……。
……いや。
違う。
俺はそれで間違えたんじゃないか。
彼女の蒼白の表情を思い出す。
堀野のトレーナーとしての観点で間違えないように選んだ選択こそが、彼女にとっては間違いだった。
ウマ娘とトレーナーの在り方は十人十色、それぞれが唯一無二で、他に同じものなど1つもない。
過去のあらゆる凡例で正しかった答えが、ただ1人のウマ娘においては致命的な間違いになり得る。
それがトレーナーとウマ娘という関係性なんだ。
だから、言われたんだ。
俺は俺の正解を探せ、と。
では、俺は。
俺とホシノウィルムは、一体どういう関係性で、今何と答えるのが正解なのか。
……わからない。
今の俺に、今ここに生きている俺に、正しい答えなんてものがわかるはずがない。
けれど……でも、そもそも。
俺は、何と訊かれたんだったか。
『私のこと、ウィルって呼びたいの?』
……そうだ。
最初から、「どうすべきか」なんて聞かれてない。
「呼びたいよ」
「え」
「俺は呼びたい。それが君と最も近しい者の呼び方なら、俺は君をそう呼びたい」
……まったく、俺らしくもない。
いつの間に、こんなに欲張りになってしまったんだろうな。
たとえ俺では釣り合わないとしても、彼女を担当すること。
それだけでなく……あろうことか、彼女と親しくしたい、なんて望みを持つとは。
それは、あるいは失望すら招きかねない怠惰だっただろう。
けれど……。
ホシノウィルムにとっても間違いとは、限らないらしい。
「……ふへ。そうですか、そうですか。
なら仕方ないですね。私とトレーナーの仲です。そう呼んでいただいて構いません。
いえ、むしろ呼んでください。というか2人きりの時はウィルって呼んで。それ以外認めないから」
にへにへとだらしない笑顔を浮かべるホシノウィルムに釣られたか、俺も口角が上がる。
……どう見たって不細工な笑顔を見て、綺麗な笑顔よりも「可愛い」と思うなんて。
俺もだいぶ、彼女の価値観に染められてしまったのかもしれないな。
変わっていってるのはホシノウィルムだけじゃない、ってお話。
次回は3、4日後。ホシノウィルム視点で、妹さんを知ろうの話。
(追記)
誤字報告をいただき、わざとでない部分は訂正させていただきました。
本作では特有の言い回しの中に含まれるものや極端に読みにくくなる場合を除き、数字の表記は全角アラビア数字(1、2、3……)を使わせていただいています。漢数字ではないのは基本的に誤字ではないです。
でも普通にいっぱい誤字してたので、訂正本当にありがとうございました!