色々あって、私はトレーナーからのあだ名呼びという特権を手に入れた。
……いや、相変わらずトレーナーは脳内では他のウマ娘もあだ名呼びしてるわけで、これだけだと特権ってほどではないかな?
でも、どさくさ紛れに取り付けた「2人きりの時はあだ名で呼ぶ」って約束も加味すれば、これは莫大なアドバンテージだ。もはやセーフティリードと呼んでいいのではないだろうか。
トレーナーに恋愛感情があるかはともかく、恋のダービー堀野歩ステークスの1番人気の座は死守できたと思う。
勿論、人気がそのまま結果に現れるわけではないのはレースも恋愛も変わらない。油断は大敵、常に余裕を持って何とやらだけど、それはともかく。
トレーナーマックイーン先輩問題が解決したとなると、私には次に取りかかるべき問題があった。
え? 私ライスちゃん問題? いやそれはちょっと打つ手なしなので棚上げするとして。
ジャパンカップ対策? それはもう、しっかりと走りまくってるからいいとして。
いや、そういう即物的なモノじゃなくてさ。
ホシノウィルムにはもう1つ、大きな大きな課題があるのをお忘れではないだろうか。
「ホシノウィルムさん、兄から連絡です。『今日はURA企画制作部に呼ばれているため、トレーニング終わりのミーティングはなしとする。ミホノブルボンと共に適切なストレッチをした後帰っていい』とのことです。
今日もお疲れさまでした。タオルと水、それから塩飴です。機材の不備に関してはこちらで兄に伝えておくので心配しなくて大丈夫ですよ」
そう言って、昌さんは綺麗な笑顔を浮かべた。
……そう。
ホシノウィルムは彼女と……堀野昌さんと、仲を深めなければならないんだ。
* * *
堀野昌さん。
私のトレーナーである、堀野歩さんの妹。
入院していた時に聞いた話によると、堀野家の長女であり兄妹の一番下らしい。
幼い頃は可愛く、そして成長していくたびに強く賢くなっていった自慢の妹。多少擦れてしまっている部分はあるけれど、その根底は真面目で優しい女性である……とのことだった。
正直、トレーナーの評価ってちょっとアテにならない。この人ほど人を見る目がない人間もそうはいないからね。
だからこの評価に関しても、私は半信半疑だったんだけど……。
実際に観察すると、確かに昌さんは「強く賢い、そして真面目で優しい女性」だと思う。
……より正確には、少なくともそういう仮面を被ってる、って言うべきかな。
「兄さん、スポーツドリンクの代金を経費で落とす場合、科目は何? 消耗品費? ……他のと纏めて消耗品費ね、了解」
「ここ、入力間違ってると思うけど。スピード6057って書いてるけど、これでいいの?」
「……ふぅ、書類整理終わり。やっと休……は? 追加? あと1時間で? ……はぁぁ」
「これ、兄さんのメモから書類に起こして、それをまたデジタルに落としてるの? 二度手間でしょ、バ鹿らしい。管理にさえ気を付ければ手間も省けるんじゃないの」
確かにちょっと、いやそこそこ、あるいは結構口は悪いけど……。
トレーナーに課せられた尋常ではない量の仕事という拷問……もといしごきを受けてもなお、腐らずコツコツと仕事を片付けていく精神性。
自分が感じた改良点を隠さず口に出して、業務の効率化を図ろうとする前向きな姿勢。
そしてそれだけではなく、私たち担当ウマ娘へのコミュニケーションも……。
「ホシノウィルムさん、こちら今度新しく作られるあなたのアクリルキーホルダーです。デザインや触り心地に不満がないか確認をお願いします。何かあればお気軽にどうぞ。……確かに、光の加減か、耳飾りの周辺の色味が違いますね。大丈夫ですよ、この程度なら編集で修正できるはずです」
「ミホノブルボンさん、プールの循環浄化装置が故障したとのことで、本日13時から15時のスイミングの予定を変更し、ホシノウィルムさんに併せてジムでのスクワットとランニングマシーンを使ったトレーニングをするとのことです。こちらタオルです、使ってください」
「お2人とも、トレーニングお疲れ様です。駅裏の美味しいお店のプリンを買ってあります。トレーナー室の冷蔵庫の中にあるので、それぞれ名前が書いてある方を食べてください。食べ終わったら容器はそのまま、冷蔵庫の中に入れておいてください」
こんな感じで、一見そっけないように見えるけど、とても気遣ってくれてる。
特に、トレーニング後に差し入れてくれるお菓子なんかはありがたいね。毎回ブルボンちゃんと一緒に美味しくいただいてるけど、いつもの日常に彩りを加えてくれてる。
こういう美味しいヤツ、ちょっと高くて自分では買えないし、地味だけどかなり嬉しい。
この辺は、人の情緒ってものに疎いトレーナーにはない強みだね。まぁトレーナーはそういう鈍いところがギャップになってて良いんだけどさ。
……そういえばこの2人、兄妹なのに性格全然似てないね。私は前世でも今世でも一人っ子だからよくわかんないけど、そんなもんなのかな。
で、話を戻して。
そんな風に、美人な上に心までイケメンという完全超人みたいな昌さん。
……とはいえ、勿論、この世界に完璧な人間なんて存在するはずがない。
あくまで彼女のそれは仮面であって、本心であるかは不透明なわけだけど、それはともかくとして。
私はこの人と、できるだけ仲良くならないといけない。
何せこの昌さん、私が恋するトレーナー、堀野歩さんの実妹だ。
私が目指す最終地点から考えて、そこに至るまでの道のりの短縮のためにも、そしてそこに着いた後の円滑で楽しい新生活のためにも、昌さんとの交友を深めておくのは必須事項なんだ。
いわゆる将を射んとする者はまず馬を射よ……って言葉は、ウマ娘が騎馬に使われないこの世界にはないみたいだけども。
とにかく、少なくとも悪くない関係を築く、そしてできれば友達と呼べるところまで関係を深めておきたいわけだ。
が。そこには1つ、非常に切迫した問題がある。
それは……。
「…………」
「あの、なんでしょう、ホシノウィルムさん。そんなに見つめられると、気になってしまうんですが」
「いえ、お気になさらず」
「お気になさらずというか……」
私は、友達を作るという行為が得意ではないのである。
ホシノウィルムの話をしよう。
私は、前世の記憶を持った転生ウマ娘だ。
この世界に生きる普通のウマ娘たちの何倍もの人生経験を持っている、特異でチートな存在である。
だが、そんな私もまた、この世界に生きる不完全な命の1つ。不足したものや不得意な領分も、確かに存在する。
で、その最たるものが、コミュニケーションの経験と実力なんだ。
私は友達が少ない。……なんか一昔前のラノベのタイトルみたいになっちゃったけど、これは否定しようもない残酷な事実である。
前世では、ホントに文字通り絶無だった。
あの頃の私は、家庭環境が微妙だったからか、人と一緒にいること、人とコミュニケーションを取ることが好きじゃなかった。
更にはそれらが好きでもないくせに友達というものに一丁前に憧れ、そのくせ変に思考が凝り固まって自分からは友達を作ろうとしないしイベント事にも参加しないという……うん、ちょっと今思い出すと頭が痛くなるくらいにドの付く陰なキャラだったのだ。
当然のことながら、そんな私に友達なんてできるわけもなく、私の人生は孤独なままに終わった。
私はこの経験から、欲しいものがあるなら自分から努力しないといけないことを学んだ。友達も戦果も、そして恋も。積極性こそが一番大事なんだ。まさしくソースは私。
で、今世では……ネイチャとテイオーという、2人の大事な友達に恵まれている。
そう、私はついに、友達を作ることに成功したのである。
……が。
これが自分の戦果と言えるかは、正直ちょっと微妙なところだ。
ネイチャの方は、まぁ自分から頑張ったし、ちょっとは認めてあげてもいいと思う。ただ、若干引かれ気味だったし、上手い手法ではなかったんだと思うけど。
でもテイオーの方は、完全に流れだ。クラシックレースを競ったライバルという背景、一緒の病院に入院していて、暇だから話すようになったという成り行き。その2つが合わさり、偶然仲良くなっただけだ。
だから私には、友達を作るという行為の経験値が足りていない。
その上、ネイチャの時の反応を見るに、恐らくここに関して私は要領が良くないっぽい。
そもそも友達ってどんなものかもそこまで実感がないし、どうすれば友達になってくれるかのゴールが判然としない。
私にとってこれは、言わば証明問題なのに何を証明すればいいか明かされていないようなものだ。そりゃちょっとどうしようもないよ。
こんな状態のままじゃ、下手を打てばあの時のネイチャみたいに、昌さんにも引かれてしまう可能性を秘めている。
これは危険だ。非常に危険。あっちのトレーナーさんが私を気に入ってたネイチャと違って、昌さんは立場上、一歩引くってことができるわけで。
そうなってしまうと、それ以上の関係性の向上は難しいだろう。不可逆なゲームオーバーだ。
つまるところ「昌さんと仲良くなる」というのは、経験もなければ才能もないのに、絶対に失敗できない重要ミッションってわけだ。
……とはいえ、この程度で躓いていては、転生チートウマ娘として失格だろう。
私は何でもできる……とはとても言えないけど、取り敢えずある程度のことはできる転生者。
ここはしっかり昌さんと友達になり、明るい未来にレッツゴーしなければ!
そして、そのためには、まず……。
「…………」
「ホシノウィルムさん?」
「なんでしょう」
「いや、『なんでしょう』はこちらのセリフというか……」
そう、そのためにはまず、観察あるのみであった。
私の愛読書である『バ鹿でもわかる友達の作り方』によると、友達を作る一番のコツは、相手に興味を持ち、相手のことを知ることらしい。
『相手に興味を持てば、当然相手について知りたくなる。そして知りたくなれば、自然と相手に色んな質問をするようになるよね。わかる?
人は大抵の場合、自分語りしてると気持ち良くなるものだよ。だから相手に質問をしていい感じに情報開示してもらえば、相手のことを知れると同時、気持ち良くもなってもらえるんだ。まるでキャバクラみたいだね!
後は状況に合わせて高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応すれば、友達なんて簡単に作れてしまうよ! 君もこんな本を読んで油を売っていないで、まずは人に話しかけるところから始めてみよう!』
こっちのことをバ鹿と舐め腐っている、というかなんかもう社会全体を舐め腐ってそうな語り口調だけど、書いてる内容自体は確かにと頷けるものばかりだ。
極論になるけど、コミュニケーションの最終目標は相互理解だ。しっかりとそこを見据えて進まなければ、いざ友達関係まで進展しても、その維持に失敗したりするかもしれない。
そして、相手がウマ娘であれば領域を削り合ったり重ねたりすることで相互理解を図ることもできるけど、相手が普通の人間である以上それは望めない。
観察と会話、それに様々な体験を共にすることでしか、お互いを理解し合えない。改めて考えるとコミュニケーションって不便なものだよね。
ただ、ここで難しいのが……今の私が昌さんとお話ししても、スムーズに仲良くなれるかはわからないってこと。
大体の場合、初めて物事に取りかかる時「わかんないことがあったら聞いてね」なんて言われても、自分が何をわかんないかがわかんないのだ。
今の私はまさしくそれで、そもそも昌さんに何を質問すればいいのかがわからないのだ。
好きな色? 好きな季節? 犬と猫どっちが好き? 北海道と沖縄行くならどっち?
どこからどう聞けばいいんだ。どう話を続ければいいんだ。なんもわからん。
そんなわけで、取り敢えずそのとっかかりを得るために昌さんを観察していたわけだけど……。
その時、急に昌さんが立ち上がった。
そして、お仕事疲れたのかな、とか思って首を傾げている私を前に、彼女の口からは想像だにしないことが飛び出してきたのだった。
「……ふぅ、わかりました。ホシノウィルムさん、少しお話しましょうか。
兄さん、しばらく外す。担当の子、借りるから」
「え? あ、うん。ホシノウィルム、今日はお休みの予定だから、彼女がいいなら構わないけど」
「お話、ですか? あ……はい、行きます」
そんなわけで、急遽として対話の機会が設けられたのだった。
マズい、まだ準備不足だ。これといった話題思い付かないぞ。
……いや、せっかくの棚ぼたチャンス、活かさない手はない。
なんとしてもここで、昌さんの心を射止める……って言うとなんかちょっと違うけど、友達になるきっかけくらいは掴んでみせる……!
* * *
私は昌さんに言われて、一度寮の部屋に戻り、変装用のコーデに袖を通した。
わざわざ制服から着替えてどこに行かせるつもりなんだろうと首を捻っていると、昌さんはあれよあれよと言う間にトレセンの敷地を抜け出して市街地の方へと向かっていく。
「あ、あの、大丈夫なんでしょうか。お昼からこんな……」
「トレセン学園の生徒は、原則として昼以降の自由行動が認められています。実のところトレーニングやミーティングも、公的には皆さんが自由時間を使ってやっていることになっているんですよ」
「そっちじゃなくて、その、お仕事あるのに抜け出してきちゃってるんですよね?」
「……なるほど、私の心配でしたか。ご心配なく、トレーナーやサブトレーナーは、ウマ娘に寄り添うためにある程度の自由行動を認められています。兄さんだって平日から学園を空けたりすることも珍しくないでしょう?」
「そういえば……確かに」
トレーナーは、ランニングする私に付き添って外に出てくれたり、URAに話を付けに行ったりと、割と頻繁に学園から出かける。
そりゃ業務的に認められてないと、そこら辺の融通も利かないか。
「私も、今はインターンとはいえ、扱いはサブトレーナーです。この程度の自由は許されます。
……というか、お金が発生しない以上私は労働者としてカウントされませんし、正確には『働け』と命令されることすらないんですけどね」
少しおどけたように肩をすくめる昌さんに……私はようやく1つ、優先的に聞きたいことを見つけた。
「あの、なんで……なんというか、トレーナーの前ではつんけんしてるんですか……?」
なんとも尋ねにくいなと思いながらそう聞くと……昌さんの背中が、ピクリと震えた気がした。
「それは……」
しかし、その先の言葉が形になるよりも先に、彼女は足を止めてしまう。
「……着きました。続きのお話は、中でしましょうか」
その言葉と共に私が招かれたのは……とても有名な、オシャレなカフェだった。
少し暗めのムーディな雰囲気。
基本的なカラーは黒に纏められ、しかし全体的に暗くなりすぎないよう白色が挟まれ、電球色の光が全体的な雰囲気を整えている。
私の語彙力だと、このオシャレ空間を言い表すのはこの辺が限界だけど……とにかく、ここは……!
「スターでバックスなヤツだ……!」
「ホシノウィルムさん?」
思わずちょっと身を引いて、昌さんには怪訝そうに首を傾げられるけど、きっと同じ陰キャなら、この気持ちを共有できるはずだ。
陰キャは基本的に、その場の雰囲気に併せて生きるのが下手だ。というか併せて生きるのが下手だから陰キャになったと言うべきだろうか?
まぁその辺は個性だし、何も他人に併せて生きることが絶対正義というわけでもなし、陰キャは陰キャなりに好き勝手生きればいいと思うわけだけど……。
とにかく、陰キャは場の雰囲気ってモノに弱い。だからこそ、こういう「雰囲気に乗って楽しむ」みたいなスペースに対して、本能的な恐怖と拒絶の感情があるのだ。
かくいう私も、前世ではこういう類の場所には全く縁がなかった。というか自室の外には縁がなかったと言うべきか。
ホシノウィルムになってからも、せいぜいがトレーナーに奢るためにちょっと高いお食事処に行ったくらいで、それにしてもどっちかって言うとロマンチックな方向で、こんなオシャレ全振りみたいなところじゃなかった。
故にここは、未知の領域。私にとっては未開の世界と言っても差し支えないんだ。
「あ、あれですよね、呪文を唱えないといけないっていう」
「呪文?」
「ふ、フラダンス? ショット? パピプペポ? みたいな」
「……ぷっ」
「あっ、ちょっと、今笑いましたね!? しっ初心者だからってバ鹿にしてます!?」
「いえ……すみません、少し誤解していました。ホシノウィルムさん、案外可愛らしい方だったんですね」
「か、かわ……やっぱりバ鹿にしてますよね!」
結局、私は昌さんのオススメの品を頼んだ。
……いや、マジで呪文みたいだね。なんだダークモカチップクリームフラペチーノアーモンドミルク変更チョコソースとホワイトモカシロップ追加のトールって。
ダーク、これはわかる。闇だ。オタクには色んな意味でなじみ深い単語である。
モカチップ。これはまぁ、詳細にはわからなくともイメージは湧く。なんか甘そうだ。
クリーム。わかりやすい。ケーキとかに載ってるヤツだよね。
フラペチーノ。何これ。聞いたことはあるし、ニュアンス的に何らかの飲料であることはわかるけど、そのほかは全くわかんない。トムヤムクンの方がまだ想像しやすいぞ。
アーモンドミルク。聞いたことはあるけど飲んだことはないね。まぁでも甘くて美味しそうってことはわかる。
チョコソース。ここに来て一気にわかりやすい単語が出てきて安心する。実家のような安心感だ。これで私の想像するチョコソースじゃなかったらどうしよう。日本カレーかと思ったらインドカレーだった、みたいなこと起こらないよね?
で、ホワイトモカシロップ。安心感は数秒足らずで死に絶えた。なんとなくわかりそうでわからない、絶妙な単語だ。というか冒頭にダークがあるのに何故ここでホワイトが出てくる。あのポケモンさんだってブラックとホワイトで分けたというのに何という欲張りだよ。
そして極めつけに、トール。なんだお前。なんで急に神様が出てくる。聞いてる感じ、中くらいのサイズってことを意味するっぽいけど、トールが中くらいなら上は何だ。オーディン? それともノルンとかディース? 誰が上で誰が下か決める、神話の大戦が始まろうとしている。
……うん、やっぱり慣れないというか、わけわかんない。なんなんだこの単語軍は。やっぱり呪文じゃないか。
「ホシノウィルムさん、今までに来たことはなかったんですか?」
「誘われることはあったんですけど、忌避感が勝ってしまって……」
「そうですか。それでは、もう来れそうですか?」
「いえ、むしろ来たくはなくなってしまいましたね……」
「それは残念。……それじゃ、どうぞ、飲んでみてください」
「いただきます。…………んっ、前言撤回します。今度は友達と一緒に来ます」
「それは良かった」
昌さんは少しだけ口端を緩めて私を見ていた。
若干大人の余裕感があって癪に障る……ようなこともなく、今の私は未知の甘味に夢中であった。
いやこれ、めちゃくちゃ高いけどかなり美味しいな。
こんなの一杯で600円とか700円するの気が狂ってるなぁって思ってたけど、確かにこれなら、週1のお楽しみくらいには良いかもしれない。
ちょっと贅沢すぎるような気もしなくもないけど……へ、へへ、いいよねこれくらい。私これでも結構稼いでるし。
「……やはり、そうですね。警戒のしすぎでした」
「?」
ストローを咥えたまま、私は昌さんの方に視線を向ける。
昌さんは自分のカップに視線を落としたまま、呟くように言った。
「見ていればわかります。そしてあなたもわかったと思います。……あなたも私も、表情を繕うのが上手いこと」
「……あ、えぇと、それ、言っちゃうんですね」
確かに、私は昌さんのことを「私と同じく、上手く仮面を被れるタイプ」だって思ってた。
そして実際、こう言われるってことは同類だったんだろう。
細かい言動とか動作のタイミング、癖とか微かな不自然さ。私たちは上手く仮面を被るためにもそういったものに敏感で、だからこそ他人の繕った表情……仮面に気付きやすい。
昌さんと知り合って1週間弱、互いに確信を持つには十分すぎる時間だったね。
……とはいえ、そういうのをはっきり口に出すってのは、なんかこう、アレだ。
もし違った時に気まずいし、なんか訊きづらいところもあると思うんだけど……。
「バレてしまっている以上、隠すことはできませんからね。何より私たちは、本質的には敵ではなく味方。変に警戒し続けるよりは、腹を割って話してしまって、相互理解を図った方がいいでしょう?」
「確かに、それはそうですね。
……あれ、でも「警戒しすぎてた」ということは、私のことを……」
「いや、それは……ここ数日、ずっとあなたの視線を感じていましたから。どうやら警戒されているらしいとなれば、当然警戒し返すでしょう?」
「え?」
警戒? いや警戒とかしたつもりは……。
……いや、視線。視線か。
向けてたわ。めちゃくちゃ向けてたわ私。
「す、すみません、警戒させるつもりは……。ただ、昌さんと、その……仲良くなるきっかけがほしいと思って、観察してたというか……」
「……なるほど、そういうことですか」
昌さんは小さく……けど綺麗ではない、自然な表情で笑った。
多分そこには、少なからず本音が入っていた……と、思いたい。
「安心しました。天下の無敗三冠ウマ娘さんに嫌われたらどうしようかと」
「そんなわけないです! 昌さんはいつも気を遣ってくれますし」
「そのくらい当然のこと……あぁいえ、そうか、基準が兄さんなんですね。本当、あの男は……」
昌さんは片手で軽く頭を抱えた。
いや、トレーナーも気を遣ってくれないってわけじゃないよ? ただちょっと、他人の感覚に無頓着というか、問題を起こすことが多いだけで……。
確かに気遣いには欠けてると思うけど、私もブルボンちゃんも走ること第一だからそんなに気にならないし、トレーナーとしての技量自体はズバ抜けてるから、うん……。
あ、そうだ、トレーナーと言えば、聞きたいことがあったんだった。
「そういえばさっきの質問なんですけど、なんでトレーナーにはつんけんした態度を取るんですか?」
……それを聞いた瞬間。
昌さんの雰囲気が、変わった。
客観的に見た変化は、目が少しだけ伏せられ、上がっていた口角が落ちただけ。
それだけで、今までの一見冷たいようでどこか温かかった雰囲気は消え去り、どこか冷淡で触れ難い空気が彼女を覆った。
「複雑な理由はありませんよ。簡単なことです」
彼女は、カップを握っていた手に、少しだけ力を入れて、まぶたを閉じる。
「……ただ、私はあの兄が、大嫌いなんです。
嫌いな人に冷たい態度を取るなんて、珍しいことではないでしょう?」
兄が嫌われてるのは火を見るより確定的に明らか。
次回は3、4日後。おまけの別視点で、挑戦者のこれまでとこれからの話。
(追記)
誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!