転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

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 やってみてわかったんですけど、小説2本同時連載は結構負荷かかります。
 平然とやってる作者様方は超人か何かかな?





暗雲! 彼私情

 

 

 

 ジャパンカップまで1週間を切り、ブルボンちゃんの次は私の追い切りが始まった。

 その内容は、いつものトレーニングをかなりハードにした感じで、多分だけどブルボンちゃんは付いてこれないだろうなぁってもの。

 逆に、私にとってはこれくらいしないと追い切りにならないんだけどね。

 

 私とブルボンちゃんは、ぶっちゃけちょっとばかり地力に差がある。

 これは才能とかチートとか以前に、私の本格化を迎えてからの期間がブルボンちゃんの2倍近く長い、って点が大きく響いてる。

 生まれてから20年の人と10年の子では色々と比べられないように、現状では私とブルボンちゃんは比べられるレベルじゃない。

 

 ……そう考えると私、今更ながら、よく宝塚記念に勝てたな。

 まぁあの時は、領域の覚醒とチートの本当の使い方がわかって、とんでもなく全能感あったからなぁ。

 バトル漫画とかだったらまず負けない展開だったし、そういう運命力とか勢いみたいなのもあったのかもしれない。

 

 勿論、今の私にそんなバフは残ってない。

 気を付けないとね。

 あの日に越えられたからと言って……今週末も、あの芦毛の星を越えられるとは限らないんだから。

 

 そんなことを考えながら、1度足を止める。

 

「ふうっ……よし、調子良好」

 

 今日はネイチャたちとの合同トレーニングでもなく、ブルボンちゃんも1日お休みだから、1人で走っていたんだけど……。

 うん、脚の調子は悪くない。体も心も、しっかりレースに向いて一直線だ。

 

 というか、心の方は無理やりレースに向けてるんだけども。

 

 最近は……というかあの宝塚記念で「寒い」と「温かい」を切り替えるスイッチを手に入れてから、私は気持ちの切り替えがすごく上手くなった。

 

 そりゃあ私だってこの世界に生きるウマ娘、気分が沈んだり、あるいは逆に高揚することもある。

 そんな風に集中を乱したまま走るのは、非常に危険なんだけど……。

 そこで役に立つのが「寒い」スイッチだ。

 

 レース前になると……というか、最近は他の子がいなくとも、走る前になると動かせるようになる「寒い」スイッチ。

 これをぽちっとオンにすることで、私の思考はすごく冴え渡り、同時に静まっていく。

 

 例えるなら……そうだな、荒波だっていた心の湖の表面が凍り付く、と言えば伝わりやすいかな。

 表面が凍り付けば、その下で荒波だっていようが何の問題もない。その上を渡るのも、一部だけ穴を開けて釣りをするのも自由自在である。

 

 勿論スイッチオフすれば氷が解けて荒波だっちゃうので、何か気になることがある時なんかは基本的に「寒い」モードで走るのがいいだろうね。

 あるいは、レースに夢中になって、心の湖の考え事を全部蒸発させるような「熱い」モードか。

 

 どちらにしろ、走る時には必ず好調……というか絶好調な状態に心を持っていけるっていうのは、すごく大助かりだ。

 やっぱり走りに気分が乗ると気持ち良いし、ずっと走っていたくなる。走りが楽しくなるんだ。

 

 走るのを楽しむことは大事だと思う。

 トレーニングを楽しんで、レースを楽しんでこそ、私たちウマ娘は生きている実感を得られるんだから。

 

 

 

「よし、あと1周……」

 

 気合を入れて、もう少し走って行こうとした時。

 ポケットに入れていたスマホが振動した。

 

「ん……あれ、トレーナー?」

 

 画面には、トレーナーからメッセージが届いたという旨の通知が表示されていた。

 どうしたんだろう。どんなことであれ、そろそろトレーニングの時間も終わってミーティングがあるんだし、そこで言えばいいと思うんだけども。

 

 えっと、内容は……。

 

『今日のミーティングは中止する。トレーニング後は直帰するように。明日以降の連絡は次いでLANE上で行う。

 今日は過度な自主トレーニングをせず、しっかりと体を休めること』

 

「……んー?」

 

 珍しい、というか……。

 こんな直前になってトレーニング後のミーティングを取りやめるなんて、初めてのことだ。

 

 トレーナーはスケジューリングの鬼なので、当然と言うべきか、自分の予定に関してもかなり細かく組み上げている。

 前もって予定があるとわかっているのならこんな直前の連絡にはならないだろうし、もうそろそろ6時になろうかって時間に急な予定が入るっていうのも……あり得ない話ではないんだろうけど、なんとなく違和感があるような。

 

 ……なんて思ったけど。

 

「ま、何か都合があったんでしょう」

 

 そう結論し、私はスマホをポケットに突っ込んだ。

 

 私は結局前世でも大学生止まりで、社会に出たことすらない。

 だから知らないってだけで、社会人になると夕方でも問答無用で用事を入れられるのかもしれないし、残業上等なのかもしれない。

 ……というか、話を聞くに中央のトレーナーって結構ブラックらしいし、トレーナーもいっつもトレーナーしてるし……もしかしてウマ娘の契約トレーナーって、めちゃくちゃヤバいお仕事なのでは?

 

「……トレーナー」

 

 トレーナー、いっつもトレーナーしてる……。

 自分で考えたことながら、少しだけ引っかかる。

 

 そう言えば私、「トレーナーをしていない歩さん」と話したことってない……のかな。

 

 トレーナーは一時期、「堀野のトレーナー」という強い強迫観念を持っていたことがあった。

 堀野という名家のトレーナーとして、自分はその家の理想を体現する存在でなければならない……みたいな、そういう感じに。

 今は「堀野のトレーナー」より「私のトレーナー」を優先してくれるようになったので、それはもう普通に、というかめっちゃ嬉しいんだけど……。

 

 結局、「堀野のトレーナー」が「ホシノウィルムのトレーナー」になったというだけで、トレーナーという仮面を外して私を見てくれたことは……。

 ああいや、宝塚記念の直後……あの瞬間は、トレーナーというより……いや、どうだろう、わかんないな。

 

 私は歩さんのことを知っているようで、実は全然知らない。

 人間関係において2年弱という時間は長いようで短いし、その内の大半を、私たちは担当ウマ娘と契約トレーナーとして過ごしてきた。

 そりゃ好きなもの嫌いなものくらいならともかく、そういう表層的なものじゃない、深層的なことについては全然……。

 

 いや、待てよ? トレーナーの好きなもの、嫌いなものってなんだ……?

 歩さんが食関係で好き嫌いしてるとことか見たことないし、色とか天気とかの好みなんて知らない。

 強いて言えば、嫌いなのは安定しない戦術で、好きなものは…………私、とか?

 

「へ、へへ、照れますね……」

 

 思わずてれてれとその場で身をよじる。

 で、数秒後正気を取り戻した。何やってんだ私、恥ずかしい。

 

 ……うん、トレーニングも終わりの時間だし、もう今日は帰るか。

 ちょうど疲れも溜まってるし、トレーナーに言われた通り今日は自主トレを控えて、ぐっすり寝るとしますかね。

 

 

 

 そうと決まったら、ロッカーに叩き込んである制服に着替えて……。

 っとと、あれ?

 

「本……」

 

 そういえば、あの本どこにやったっけ。

 トレーナーから暇なときに読むようにと渡された、『新世代レース戦術概論』……みたいな題名の本。

 お堅い学術書かと思ってちょっと驚いたけど、蓋を開けてみるとその中身は普通に読みやすくて面白い解説書で、思わず夢中になって読んでしまったんだよね……。

 個人的にはなんでグラスワンダーちゃんがグランプリで強かったのかの考察の章とかめっちゃ面白くて大好きで……いやそれはともかく。

 

 渡されてから、トレーナー室で夢中になって読んでて、それで……確か、もっと夢中になれることがあって……。

 そう、トレーニングの時間になって、放り出してしまったような?

 

 ……思い出した。多分あの本、トレーナー室に置きっぱなしだ。

 

 別に明日取りに行けばいいんだけど……うーん、せっかく今日は自主トレなしって決めたし、夜のお供が欲しいんだよね。

 ちょっと面倒だけど、取りに行くか。

 

 もしかしたら、もうトレーナーが鍵を閉めちゃってるかもしれないけど、まぁその時はその時だ。

 取り敢えず行ってみるだけ行ってみようか。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 トレセン学園のトレーナー室では、ローテーションや次のレースでの作戦など、外に漏れてはいけない話をすることも多い。

 故に、防音機構はしっかりしており、たとえ扉の前にいようと中の会話は聞こえてこない程だ。

 

 ……勿論それは、きちんと扉が閉められている場合に限るんだけど。

 

 

 

「兄さんはいつもそんなことばかり言って、私たち家族の気持ちを考えたことあるの!?」

「落ち着いて、昌」

「落ち着かない、落ち着けないから! 自分だけの命だと思ってるの!? 兄さんが死んだらっ……皆が、どれだけ悲しむと思ってるの!?」

「い、いや、死なないよ。というか死ねない。まだ担当の子たちが走ってるんだから」

「だからッ! ふざけんな、担当担当担当って! 兄さんは担当ウマ娘のために生きてるの!?」

「……? いや、そうだけど」

「ッ!!」

 

 

 

 ……マズいな。

 すごく……その、入りにくい。

 

 私がトレーナー室の前に来た時には、既に廊下に昌さんの声が響いていた。

 そこまで大きくない、人間なら聞き取れないくらいのものだけど……それでも、私たちウマ娘なら、十分に聞き取れるくらいの音量で。

 

 その会話から察するに、トレーナーと昌さんが喧嘩してる……というか、昌さんが一方的に怒ってるのは間違いないだろう。

 その怒りの矛先はトレーナーで、怒ってる原因は……多分、トレーナーが寿命を縮めるような無茶でもしちゃった、って感じだろうか。

 トレーナー、普通に寝なかったりするからなぁ。私もよく注意してるんだけど、残念ながら改善の見込みはない。

 昌さんが怒る気持ちも理解できない話じゃない。というか、すごくよくわかる。

 

 他人の喧嘩を盗み聞くのは少し心苦しいけど……歩さんはこういう時に相手の堪忍袋の緒をぶった切るのが非常に上手いイメージがあるので、刃傷沙汰になる前に上手く仲裁に入るべきだろう。

 いや、何も昌さんが刃傷沙汰を起こすと思ってるわけじゃない……というか、歩さんとの付き合いも長いだろう彼女が暴走するとは思い難いけど、万一のことを考えてね。

 

 いつインターセプトに入ろうかと迷っている内に、部屋の中の2人の会話、というか昌さんの口調は更に熱を上げていく。

 

 

 

「それやめるんじゃなかったの!? 堀野のトレーナーは辞めて、あの子のトレーナーになるんでしょ!?」

「うん、そうだね。俺はもう堀野のトレーナーじゃない。でも彼女のトレーナーとして、命をかけて彼女を支えたいと思ってるよ」

「それじゃ何も変わってないッ!! ただやり方を変えただけで、結局兄さんの理想像を押し付けてるだけじゃん!!」

「落ち着いて、昌。なんでそんなに怒ってるの? 一旦落ち着いてから話そう?」

 

 

 

 あぁ、そりゃ悪手ですよトレーナー。

 激している女性に対して「なんで怒ってるの?」は、禁句だ。

 例えると真面目にサッカーやってる人に「何真面目に玉蹴りやってんの?w 暇なの?w」って言うくらい禁句。

 

 女性に限らず怒ってる人っていうのは、一旦怒りの感情を吐き出し切るか、時間経過で自然消滅するまではまともに話ができない。

 なので対話をするのではなく、可能な限り相手を刺激しないように聞き役に徹するか、あるいは一旦時間を置いて冷静にさせるかしないといけないんだけど……。

 その辺の機微、トレーナーには難しいかもしれないね。人の情緒への理解が浅すぎることに定評がある歩さんだし。

 

 しかし、改めて2人の会話を聞いてると……。

 やっぱり昌さんって歩さんのこと好きなのでは? と思わざるを得ない。

 彼女の言葉は、他人第一にせず、まずは自分の体のことを考えろという趣旨。つまりはただ、彼の体や健康を考えての、他者のための怒りだ。

 嫌いな人にそんなことを言うだろうか? ウィルムは訝しんだ。

 

 まぁ人間の感情って二元論的なものじゃないし、「嫌いだけど好き」みたいな奇妙な感情を抱くこともあるだろうから、何とも言えないんだけど……。

 あれかな、人間としては嫌いな部類だけど、兄妹して一定の親愛の感情はある、みたいな?

 私からすると歩さんを嫌うっていうのはちょっとよくわかんないけど、まぁ人の嗜好っていうのは十人十色なものだしね。

 

 しかし、もしそうだとすると、何というか、なかなか複雑な兄妹事情だな。

 堀野家の家庭環境、だいぶ地獄そう。いや1つの家庭を崩壊させた私が言えることではないけども。

 

 そんなことを考えながら、私はトレーナー室の扉の前で「今行くか。いや、まだか。いや、今か?」と取っ手に手をかけたり離したりしてたんだけど……。

 

 

 

 次の瞬間、聞こえてきた声に、手を止めた。

 

 

 

「だからトレーナーなんてやめろって言ったの! 兄さんには向いてない! そうやって悪化するだけだって!」

 

 

 ……トレーナーを、辞めろ?

 それは、どういう……。

 

 思わずピクリと、手が震えて。

 それが思ったよりも強く、扉を動かしてしまい。

 

 ガラ、と……完全に閉まっていなかった扉が、音を立てて、少しだけ開いた。

 

 その先にいた2人は、同時にこちらを見て……。

 

「ホシノウィルム? なんで……今日はミーティングは中止って」

「ホシノウィルムさん……っ!」

 

 トレーナーはきょとんとした表情を。

 昌さんは……少しだけ焦ったような表情を浮かべた。

 

「えっと、すみません、盗み聞きするつもりはなかったんですけど……。

 すみません、お邪魔でしょうし、帰りますね」

 

 バレてしまった以上、退散あるのみだ。

 昌さんの発言の真意は気になるけど、まぁそれは後日に聞くなりすればいいし。

 

 そう思って振り返ったんだけど……。

 

「待って!」

 

 その腕を、昌さんが掴んだ。

 

「説明、させてください。私は……あなたの敵ではないし、そうなりたくないんです」

「え? は、はい……」

 

 それは、いつもクールな昌さんにしてはすごく焦っている、感情の露出した声で。

 その勢いに、私は思わず頷いてしまったのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 そんなわけで、数週間ぶりの昌さんとのお話・イン・オシャレカフェが開催された。

 参加者は勿論、私と昌さんの2人。

 そして、今回のメニューは……。

 

「えっと、ダークモカチップフラペチーノ? の……チョコチップ増量でお願いします。あ、サイズ……えっと、トールで」

 

 いつまでも昌さんの善意に頼るわけにもいかないし、自分でオーダーしてみた。

 前回に比べてだいぶシンプルな感じになっちゃったけど、まぁ初心者はまずこんなもんだろう。

 あんまり欲を出せば恥をかく可能性もあるし、まずは一兎から確実に追っていきたいところ。

 

 さて、私はそんな感じに落ち着いてたんだけど。

 一方で……。

 

「お、お恥ずかしいところをお見せしました……」

 

 昌さんは、顔を赤くして俯いていた。

 どうやら感情を丸出しにしてるところを見られたのが恥ずかしかったらしい。

 昌さんの余裕のなさそうな態度は珍しいので、なんというか、ちょっと趣味が悪いかもしれないけど、新鮮で楽しいね。

 

「私は気にしてません。大人でも怒ることがあるっていうのは理解できますし、トレーナーの態度は……まぁ、少しアレなものがありましたし」

「すみません、ご理解いただいて助かります。……あなたが大人びたウマ娘で本当に良かった」

 

 そう言って昌さんは珍しく笑顔を浮かべ、そしてすぐにそれを打ち消して、頭を下げる。

 

「改めて、まずは謝罪させてください。あなたに誤解を与えかねない発言をしたことを。

 いくら感情が荒ぶっていたとはいえ、失言でした」

「えっと、その発言っていうのは……」

「『トレーナーを辞めろと言った』という部分です。あなたから聞けば、私があなたからあなたのトレーナーを引き離そうとしている、と聞こえてもおかしくないものだったでしょう」

「あぁ、やっぱりそこですよね」

 

 まぁ確かに、ちょっとびっくりした。私が前世の人格とかがないただのウマ娘なら、そう思っていてもおかしくはなかったかも。

 でも、私は転生者だ。ディスコミュニケーションというのはそういうところから発生するってのを十分すぎるくらいに理解している。

 トレーナーの「他のトレーナーに指導される気はないか」事件でもそうだったけど、こういう時は取り敢えず落ち着いて、本人に真意を問い質すのが良いよね。

 

「ちゃんとお話を聞いたわけではありませんし……普段の様子を見ても、昌さんが私からトレーナーを遠ざけたいという意図は見えませんでしたし。そう考えると、私の思ったものとは別の意味合いがあったと考えるのが妥当なところだと思います。

 改めて、発言の意図を伺ってもいいですか?」

「勿論です。……とはいえ、これは身内の恥、あまり公言したいことでもないのですが」

 

 それでも、誤解を招いた責任を取るために話させていただきます、と。

 昌さんは、口を開いた。

 

 

 

「そもそも、私があの愚兄に『トレーナーは止めろ』と言ったのは、あれがトレーナーになる前の話です。

 私は個人的に、兄にトレーナー業は向かないと思っていました。

 ……いえ、正確に言えば、少なくとも業務的には向いているでしょう。あれは遮二無二働くことには長けていますから。

 けれど、精神的にはどうでしょうか」

 

 昌さんはそこで1度、考える時間を置くように口をつぐみ、目の前のテーブルに目を落とした。

 真っ黒なドリップコーヒーに浮かぶ氷が、彼女の手の中でカランと音を立てる。

 

「向かない。それも致命的に、いっそ笑えるほどに適性がない。私は兄を、そう評価しました」

 

 それは、他人が聞けば正気を疑うような言葉だっただろう。

 堀野歩トレーナーの評価は、もはや世間では盤石なものになりつつあるんだから。

 

 初めての担当ウマ娘に無敗の三冠、そして史上初のクラシック級での宝塚記念を勝利させた、名家出身の凄腕トレーナー。

 決して自らの腕を誇らず、全ては担当ウマ娘の才覚と努力が故であると驕らない。

 本来は苦戦するはずの仕事にすぐさま慣れ、今はベテラントレーナーと比べても遜色ない程に効率良く仕事をこなす。

 

 今や世間では、そんな彼を天才だと褒めそやす声が主流になっているんだ。

 

 昌さんは、そんな彼が「トレーナーに向かない」と言い切った。

 歩さんのことを詳しく知らない人が聞けば、それは誤った評価であると思ったに違いない。

 

 けれど、私は……。

 彼の担当ウマ娘として、この2年間最も彼の近くにいた存在として。

 ……彼女の言いたいことを、理解できた。

 

「あれは……誰かを助け、救うことに喜びを見出す人間です。しかしそれと同時、誰かが傷つくことに人の何倍も共感する人間でもある。

 今はある程度振り切り、考えないようにしているようですが……それでも、レースでウマ娘が勝ち負けを付ける度、敗者と、敗者が明確に生じるレースに、絶望感を覚える。そんな人間なのです」

「それは……」

「誤解しないように、ホシノウィルムさん。これはあなたの責任ではありません。

 あの兄が自分で選んだ道であり、あなた以外の誰を担当しても、兄は同じように傷ついていたでしょう。だから、あなたが責任を感じるのはお門違いというものです」

 

 トレーナーは、優しい。優しすぎると言えるだろう。

 殊に私やブルボンちゃんのようなウマ娘に対して、あの人はとても寛容だ。何かしらミスをしても許してくれるし、ひとえにその勝利を願ってどこまでも調査・研究に苦心してくれる。

 

 そして同じように……それこそ、この前のマックイーン先輩の時みたいに、関係のないウマ娘にさえも、その心を砕くのだ。

 その勝利を喜び、その敗北に悲しむ。18人の内1人しか勝者になれず、17人が敗北する残酷なレースに、心を痛ませる。

 

 それを表す言葉として、適切なのは、やはり……。

 

「優しい方、なんですね」

 

 改めて、そう呟いた。

 

 この2年間で、彼の気性はある程度理解したつもりだ。

 誰かに施すことのできる、そして誰かの痛みに共感できる人間。

 それを優しいと言わずして、何と言うのだろう。

 

 ……けれど。

 

 

 

「いいえ、優しいのではありません」

 

 

 

 ぴしゃりと。

 昌さんは言い切った。

 

 それはなんというか、すごく冷たくて、すごく……確信に満ちた言葉だった。

 

「あの人は、優しくなんてない。ただ……」

「ただ?」

「……いえ、すみません、話が逸れましたね」

 

 昌さんは軽く頭を振り、言葉を濁した。

 これ以上は訊くな、って感じの拒絶。ここから先は、私から彼女に踏み込むことはできないだろう。

 

 ……昌さんから見て、歩さんはどんな人間なんだろう。

 人を助けることに喜びを見出し、人の失意に悲しむ。けれど、優しくはない人間。

 あるいはその真意に、彼女が彼を嫌う所以があるのかもしれない。

 

 

 

 その辺りを、もう少し聞いてみたかったけど……。

 確かに、少し話が逸れてしまったのも事実。

 寮の門限もそう遠くないし、今は話を戻そう。

 

「とにかく、兄さんがトレーナーを目指すことに、私は反対しました。

 ……しかし、先程は怒りのあまりああ言ってしまいましたが、今はトレーナー業も兄にとって良い体験になるのではないかと考えを改めています」

「えっと、何故でしょう。トレーナーはトレーナーに……えぇと、あ、歩さん……は、トレーナーに向かないのですよね?」

 

 私の質問に、昌さんはまぶたを閉じ、コーヒーを一口飲み込んだ。

 

「あなたがいるからですよ、ホシノウィルムさん」

「え?」

 

 昌さんはまぶたを伏せたまま、静かに語る。

 

「あなたは、兄にとって特別な存在なんです。

 ……この前、兄が帰省してきた時は驚きました。たとえ自分が力不足でも、あなたの担当を続けたい……そんなエゴを、あの兄が吐き出すなんて。

 生まれてこのかた、自分から何かを求めず、誰かに乞われた通りに生きてきた兄が……私が覚えている限り、初めて自発的な欲求を持ったんですから」

 

 それを聞いて、私は思わず唾を飲み込んだ。

 

 「生まれてこのかた、自分から何かを求めず、誰かに乞われた通りに生きてきた」。

 昌さんは今、トレーナーをそう形容した。

 その言葉が、私の思い描く通りの意味であれば……それは、少なからず歪んだ生き方だ。

 

 私は、歩さんについて多くを知らない。

 彼が私に見せてくれるのは、「トレーナー・堀野歩」としての側面だけだ。

 そして……あの宝塚記念からは、「私のトレーナーになりたい」という、昌さん曰く非常に珍しい自身の欲求を見せてくれるようになった。

 だから気付かなかったし、わからなかっただけで……。

 

 歩さんは……何か、思ったよりも深刻なものを抱えているのかもしれない。

 

 なんて、節穴。ずっと付き合ってきて、彼にそんな欠落があることすら、まともに認識できなかったなんて。

 

「……ふぅ」

 

 私は一度、フラペチーノを口に含んで、前に味わったものよりほろ苦い味を感じながら、思考を整理する。

 

 私は彼が、堀野歩さんが好きだ。

 彼に受けた恩はあまりにも大きく、そして彼に抱いた好感はその何倍も大きい。

 隣にいると落ち着く。どうでもいいことを楽しめる。満たされる幸せを感じる。

 

 だからこそ……。

 もっと彼を知って、彼の助けになりたい。

 

 ずっとずっと、彼に助けられてきた。

 あの日、事故を起こさずに走りきれたのは、私の世界を拓いてくれた彼のおかげだ。

 私が今ここにいるのは、走れるのは、笑顔でいられるのは、彼のおかげだ。

 

 だから。

 今度は……きっと、私がトレーナーに、何かしてあげる番。

 

「ホシノウィルムさん。あなたはきっと、兄にとって特別な存在です。

 こんなことを私がお願いするのは、お門違いだと理解しています。それでも、あなたにお願いしたい。

 どうか、兄のことをよろしくお願いします。

 この先、あなたはいくつものレースに出走するでしょうが……何度でも、必ず、あのバ鹿の下に戻ってあげてください」

 

 そう言って、昌さんは深々と頭を下げた。

 

 言われるまでもない。

 私はあの人のウマ娘で、あの人は私のトレーナーだ。

 

 今週末のジャパンカップだって……必ず勝って、トレーナーの下に帰るよ。

 

 

 







 こうして2人が親交を深める中、取り残された堀野トレーナーは「……改めて明日話し合った方がいいかなぁ」と思いながら仕事に励むのであった。



 次回は3、4日後。トレーナー視点で、ジャパンカップ前編の話。
 なんかすごい久々にちゃんとレースを書く気がします。



(本編には関係のない呟き)
 水星の魔女 やってくれたな

(追記)
 誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!
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