気が遠くなるほど速いスピードだが不可能ではない。
十分にステータスを上げ、スキルや掛かりを防ぐ精神力を完璧に揃え、何度も何度もシミュレートすれば追い抜くことが可能。
感覚を壊すことができれば掛かり率が下がるため、追い抜ける確率が多少上がる。
ついこの間まではファン大感謝祭とか秋のG1戦線なんて言ってたのに、気付けばもう11月も末。
秋はすっかり過ぎ去って、身をつんざくような寒さがトレセン学園を包んでいる。
とはいえ、ウマ娘の体は人間に比べて寒さに強い。
多少気温が下がっても、ジャージどころか短パン、ウマ娘によってはブルマを穿いて、平然と外を走ってたりするんだけどね。
ブルマねぇ。この世界では絶滅してなかったんだなぁ。ま、パンツ系と違って砂が入りにくかったりするし、悪いとこばっかりじゃないんだけどさ。
ちなみに短パンを穿くかブルマを穿くかはウマ娘それぞれの自由とされてるんだけど、当然ながら私は短パン派だ。何故なら恥ずかしいから。前世の記憶持ってるのにブルマはキツイって……。
……いや、何の話よ、これ。
話を戻すと、いよいよ冬も深まり、寒さも本格化してきた。
私たちウマ娘は体質上寒さにも強いけど、それはあくまで「我慢できる許容量が大きい」だけで、寒いもんは寒い。
トレーニングのためとなれば我慢もするけど、できれば外に出たくはないし、可能なら温かいコタツとか暖房の効いた部屋とかに籠ってたい、というのが偽らざる本音だったりする。
そういう意味ではジャパンカップの翌日である、11月25日は、すごく平穏で幸せな1日だったと言えるかもしれない。
なにせ、トレーニングで外に出たりせず、ずっと室内にいたわけだからね。
* * *
「さて……それでは改めて、それぞれの作戦会議を始めようか」
トレーナーの声が、暖房の効いたトレーナー室に響く。
椅子に座って話をしてた私とブルボンちゃんは、その言葉に居住まいを正す。
私たちのトレーナーは、かなりの慎重派だ。
だから公式レースの翌日は、脚に強い疲労が溜まってるっていう理由で原則トレーニングは禁止。勿論自主トレも、絶対に駄目だって念を押される。
レースお疲れ様って意味も込めて、場合によっては1日丸々お休みに充てられることもあるんだけど……今回はそうも言っていられない。
動けないなら動けないなりに、次回のレースに向けてできることをしなきゃね。
なにせ次のレースは、有馬記念。
地獄のようなメンツで走る、地獄の怪獣大戦争なんだから。
そんなわけで、ジャパンカップ翌日である今日。
夕方の祝勝会までの数時間は、今後のレースに向けた作戦会議の時間に充てられたのだった。
「『それぞれ』ということは、私のオペレーションについても言及があるのでしょうか」
事実確認を取るように、私の横に座ったブルボンちゃんが手を挙げてトレーナーに尋ねる。
今走れないのは、ジャパンカップを走った私だけ。ブルボンちゃんはいつも通りにトレーニングすることもできる。
けどトレーナーは、敢えてブルボンちゃんにお休みを取らせ、私とトレーニングのタイミングを合わせてくれた。
なんでも、ウマ娘は親しいウマ娘と一緒にトレーニングすることで、その効率を上げることができるのだとか。
だから複数の担当を持つ場合は、バラバラにトレーニングさせるより、お休みのタイミングを合わせてできる限り一緒のトレーニングスケジュールを組んだ方が良いんだって。
まぁそんな理屈はさておいて、私としては可愛い後輩ちゃんとトレーニングできるのは僥倖だし、こういう作戦会議だって一緒なら嬉しい。
嬉しい……んだけど。
ブルボンちゃんの作戦会議は、ベゴニア賞の翌日には済ませてるはずで──まぁ私は追い切りのために不参加だったから、その詳細までは知らないけど──、改めて彼女が作戦会議に参加する必要があるのかは、確かに疑問が残る。
首を傾げるブルボンちゃんに、トレーナーは手帳を取り出しながら、少し苦笑して答えた。
「そこまで重要情報が手に入ったわけではないから、あくまでも作戦の復習と確認になる。
……だが、君の先輩は心配性だからな。きちんと分析を伝えないと、レース当日に落ち着かないんだ。付き合ってやってくれ」
……私がちょっと赤くなってしまったのは、言うまでもないだろう。
もう! 可愛い後輩に、余計なこと教えないでほしいんだけどなぁ……!
* * *
気を取り直して、レースの話だ。
ブルボンちゃんの次走は、朝日杯フューチュリティステークス。
ジュニア級王者を決めるべく年末に開催される、4つのG1レースの1つである。
翌年のクラシックレースの出走や結果に直結すると言われる、ジュニア級の子たちの登竜門。
ブルボンちゃんにとっては、トレーナーに認めてもらうべく課された目標でもあり、同時に三冠を目指すのなら是非とも勝っておきたい足がかりでもある。
ダートである全日本ジュニア優駿を除いた3つのG1、ホープフルステークスと阪神ジュベナイルフィリーズ、そしてこの朝日杯フューチュリティステークス。
これらを制するウマ娘は、クラシックレースでの有力候補として、かなり注目が集まる。
ぶっちゃけこれにさえ勝てれば、後は一切レースに出なかったとしても皐月賞に出走できるくらいに。
逆に言えば、ここで勝てないと、ファン獲得のために他のレースに何度も出走するか、トライアルレースで一定以上の着順を取りに行かないといけなくなる。
そうなると自然、ローテーションやスケジュールは制限されてしまい、どうしても万全なトレーニングを付けることが難しくなってくる……。
……らしい。
私は今まで負けたことがないからよくわかんないんだけど、過去のデータを知ってるトレーナー曰く、そういうものなんだって。
ここで勝てれば一気に箔が付くし、クラシックレースへの出走も確定し、更にはスケジュールの余裕も出て来る。一石二鳥超えて一石三鳥だ。
だからこそジュニア級年末のG1は、多くの早熟なウマ娘たちが集う、決して油断できないレースになるんだ。
では、今年の朝日杯に出走する、ブルボンちゃんのライバルたちはどうなのかと言うと。
「まず第一に警戒すべきは……京王杯ジュニアステークスを制したG2ウマ娘、ここまで4戦3勝のフルーツパルフェだろうな。
前めに付けてくることもあれば後方から捲って来ることもある、かなり脚質の読み辛いウマ娘だが……恐らく朝日杯ではミホノブルボンのペースに付いて来るために積極的に前に出てくると思われる。
京王杯での上がり3ハロンは、35秒2。朝日杯では200メートル距離が伸びるとはいえ、ミホノブルボンを打倒し得る可能性が最も高いのは彼女だろうな」
35秒2か。
おぉ、結構すごい。荒れたバ場の2400メートルで常にそのペースが出れば、大体私と同じくらいの速さだ。
「……とはいえ。ミホノブルボン、君が真っ当に走れさえすれば、負けることはないだろう。
確かにフルーツパルフェは強敵だが、君のスペックはその1枚上を行っている。
とにかく落ち着いて、君らしく走りなさい」
「了解しました、マスター」
トレーナーとブルボンちゃんが頷き合う。
その意見については私も概ね同意。
ブルボンちゃんは最近、どんどん強くなってきてる。
流石に私の追い切りは無理としても、普段のトレーニング程度なら十分に付いて来れるようになったしね。
この前なんか、試しに2000メートル走ったら、まずまず悪くない数字が出たくらいだ。流石に去年の私よりは遅いだろうけど、これなら多分ホープフルステークスでも十分通用したんじゃないかな。
そんな状態で朝日杯に出るとなると……そりゃあ私と同等のトレーニングを付けてるんだから当然と言うか、スペックでは1枚優る状態ではあるだろう。
なにせ歩さんをトレーナーにしてるんだ、そりゃ速くもなるってもんよ。
強いて問題を挙げるとすれば……やっぱりこれがただのかけっこじゃなく、公式のレースだってことで。
他のウマ娘たちの織りなす展開と彼女の掛かり癖次第じゃ、その有利も覆ってしまうだろう。
「他に警戒すべきは……3戦2勝マチカネタンホイザ、それから前に出てくる可能性のある逃げウマ娘数人、といったところか」
マチカネタンホイザちゃん。
前世アニメにおいて、ネイチャと同じく〈チーム・カノープス〉に所属していたネームドウマ娘。
アニメでは特にこれといった活躍はなかったからあんまり強い印象はないけど、ムードメーカーで周りを明るくしてくれるイメージが強い。
けれど、彼女もネームドウマ娘。
トレーナーがその名を挙げたところからしても、決して油断できるような存在ではないんだろうな。
……というか、すごく今更なんだけど、〈チーム・カノープス〉って歳の差のあるチームだったんだね。
全員仲良いし、特に敬語も使ってないし、先輩とかの敬称も使わず名前呼びだったから、アニメ見てた時はてっきり同世代だと思ってたよ。
この世界には〈チーム・カノープス〉っていう枠は存在しないみたいだけど、それでもあの4人は仲良くしてるらしい。よくネイチャとの雑談にも出て来るし。
なんかこういうの、運命的なものを感じて、ちょっと良いよね。
「……総じて、このレースは君が全力を出せれば十分に勝てる戦いだ。
とにかく掛からないこと。視野狭窄にならないこと。一定のラップを刻み続けることを意識しなさい」
「ミッション、改めて了解しました」
どうやらそこまでで、彼女の作戦の振り返りは終了したらしい。
朝日杯フューチュリティステークス。
彼女の行く末を占う、ジュニア級の大一番。
頑張れ、ブルボンちゃん。
同門の先輩として、応援してるよ。
* * *
ちょっとだけ休憩を挟んだ後、改めて作戦会議が再開される。
「さて、今日の本題に入ろう」
トレーナーがそう言うと、あらかじめ控えてた昌さんが私たちに何枚かの紙を配ってくれた。
これは……中山レース場の俯瞰図と勾配、注意点とかを纏めたのが1枚。
で、2枚目以降は……ここ最近恒例になった、各ウマ娘たちのスペックを纏めた詳細情報か。相変わらず、すっごい細かく分析されてるな……。
「これが、現状における今年の有馬記念の参照データだ。
開催までまだあと1か月弱あるから、ここから数字や特徴が変動する可能性はあるだろうがな」
取り敢えず、軽くパラパラと捲ってみる。
まず目に入った、今の私のデータが……。
ホシノウィルム
ステータス
最高速度 A 821
スタミナ A+ 918
加速力 B+ 705
精神力 B+ 741
戦術眼 B 692
適性
芝S ダートC
短距離D マイルC 中距離A 長距離S
逃げS 先行B 差しD 追込G
こんな感じ。
上限がいくつとか、どれくらいなら良いとかの基準がないからちょっとわかりにくいけど……。
手前味噌な話、G1レースに参加するようなシニア級の先輩よりもまずまず高いくらいの数字だ。なにせ無敗三冠ウマ娘ですから。ふふん。
昔はスタミナと精神力だけ飛びぬけて高かった私のステータスだけど、なんだかんだ他の数字も追い付いて来てるんだな。これもトレーナーがバランス良く鍛えてくれたおかげか。
総じて、我ながらかなり強いね。どやぁ。
さぁ、他のめぼしい出走ウマ娘を見てみよう……と。
え、うわ……。
サイレンススズカ
ステータス
最高速度 SS 1105
スタミナ A 811(∞)
加速力 S 1028
精神力 A 802
戦術眼 C+ 539
適性
芝A ダートG
短距離D マイルA 中距離A 長距離B
逃げA 先行C 差しE 追込G
……見なかったことにしていい?
いや、慢心も何も一瞬で吹っ飛んだわ。
何コレ、ぶっ飛んでない? 最高速度とか私より300くらい高いよ??
あと、トレーナーの評価って1000点満点じゃなかったんだ。まだまだ高みがあることを喜ぶべきか、あるいは先が果てしないことにくらくらするべきか。
あとスタミナのところになんか
適性の面で言えば、その広さはともかく今回の有馬記念では私が有利……かな?
しかし、スズカさんですら適性Sはないんだね。私の適性の3つのS評価って、やっぱり転生チートによる素質だったりするのかな。
更にページを捲って、次に見つけたのは、スぺちゃんのデータ。
スペシャルウィーク
ステータス
最高速度 A 877
スタミナ A+ 903
加速力 S+ 1051
精神力 A 886
戦術眼 B+ 729
適性
芝A ダートG
短距離F マイルC 中距離A 長距離A
逃げG 先行A 差しA 追込C
こっちは隙がないんですけど……?
スタミナがかろうじて上回ってこそいるものの、数字だけならほぼ私の上位互換だ。
適性を見ても、スズカさんのように長距離に弱かったりするわけでもないし……弱点っていう弱点が見つからない。
流石、「日本一のウマ娘」の名は伊達じゃないというか。
……ぶっちゃけチートとか領域、作戦なしでまともに競り合ったら、絶対勝てないんだろうなぁ、コレ。
この2年で結構強くなった自負はあったんだけど……それでもやっぱり、半ばレジェンドであるスズカさんやスぺちゃんには敵わないんだな。
いやまぁ、そりゃ私より1年多く本格化期間があったわけで、ある意味当然と言えば当然なんだけども。
それでも……ここまで差を付けて負けるってのは初めてで、ちょっとばかり悔しさが募る。
ぐぬぬ……! 今に見てろ、私もすぐにそこにまで登って行ってやるんだから!
* * *
私たちがある程度配られた紙に目を通したあたりで、トレーナーが改めて口を開いた。
「さて、まずはコースの内容を見ながら、ざっと展開の予想をしていく。覚える必要はないから、一旦話を聞いておいてほしい」
トレーナーはそう言って、昌さんが軽くコースの見取り図を描くのを待って、彼女からマーカーを受け取って話を続けた。
「中山レース場、芝、右内回り、2500メートル。
このコースの一番の特徴は、やはり『コーナーから始まる』という点だろう。一部外回りのコースを使っているが故に、このコースはスタート直後から500メートルを越える長いコーナーが続く。
故に、一般的に言って大外枠は不利だ。内に切り込もうとすると速度を上げる必要があるが、速度を上げれば遠心力で外に弾き出されるからな」
「まぁ、逆に内枠になれば有利というわけではないんだが……」と言いながら、トレーナーは図の横にいくつかの名前を書き込む。
「さて、この第三第四コーナー内で逃げウマ娘たちによる先行争いが行われるわけだが……今回に限っては、先行争いに参加するメンバーはほぼほぼ絞り込める」
「私、ジェット師匠、そしてスズカさんですね」
「その通り。いわゆる大逃げウマ娘3人だな。一応、ここにダイタクヘリオスも入って来る可能性もあるが……君やサイレンススズカの脚に追い付ける程かと言われると難しいだろう」
先行争いっていうのは、レース序盤に逃げウマ娘が先頭のポジションを奪い合うこと。
で、当然の話なんだけど、逃げウマ娘が複数いればこの先行争いは熾烈になり、終いには潰し合いにも等しい状況になってしまう。
その上今回は、ただの逃げウマ娘ではなく序盤から一気にリードを開きハナを切ろうとする大逃げウマ娘が3人もいるんだ。
「サイレンススズカ、ツインターボ、共に後続を突き放して先頭を取ろうとする大逃げウマ娘だ。
他のウマ娘がどう動くかは関係なく、彼女たちはテンからハイペースもハイペース、互いに叩き合うように飛ばしてくるだろう。それこそレース終盤のようにな」
私はそうでもないと思うんだけど、大逃げを取るウマ娘は気性難なことが多い。
例えば、走るとなると抑えが利かなくなって全力で駆けてしまったり、あるいは他のウマ娘への闘争本能がとんでもなかったり。
だからこそ、大逃げウマ娘同士が走れば、間違いなく……。
……いや、そもそも大逃げウマ娘が同じレースに出走するってこと自体が極めて稀なケースで、はっきりと断言するのは難しいらしいけど。
そうなれば恐らく、互いに刺激し合って掛かってしまい、それはもう途轍もないハイペースになってしまうだろう、ということだった。
そしてそれが普通の大逃げウマ娘であれば、前半に飛ばしてしまった以上後半は垂れてしまうだろうから、自分のペースさえ守れればそこまでの脅威性はないんだけど……。
今回ばかりは、そうもいかない。
「ツインターボはともかく、サイレンススズカは異次元だ。長距離の適性が1歩劣るとはいえ、恐らく彼女は、とある条件を満たす限り減速することはない」
「……これ、合いの手が必要なヤツ? 条件っていうのは?」
「ありがとう、昌。……その条件とは、『彼女が先頭であること』だ」
「先頭……ですか? えっと、セイウンスカイ先輩のような、先頭に立っていることを条件とする領域という意味でしょうか」
「いや、近いようで違うな。勿論領域もあるんだが……」
そう言って、トレーナーはホワイトボードにマーカーを走らせ、スズカさんの絵を……。
絵を…………?
え?
いや……ん?
なんだろうこれ、強いて言えば……鹿?
まだ体って概念も理解できてない子供が頑張って書いた、消し炭になった鹿?
え、なんで今鹿の絵?
「マスター、それは何を示す記号なのでしょうか?」
「サイレンススズカだが」
スズカさんらしい。
……これが? このホラー映画に壁の落書きとして出てきそうな、子供がクレヨンで描いた恐ろしい化け物みたいなのが?
…………ま、まぁ、アレだ。
人間、得手不得手がある。
歩さんはトレーナー業務に関しては全一レベルで優れてるし、その分どこかに不得手があるのはむしろ自然なことだろう。むしろ欠点があるくらいでちょうどいいですよ人間なんて。
……そういえばトレーナー、ファン感謝祭を一緒に周った時、あり得ないくらい射的下手だったな。
もしかしてこの人、トレーナー業務に関すること以外ポンコツだったり……?
いや、それはそれでちょっとかわいいというか、むしろ好きです付き合ってくださいって感じだけど。
「指摘した方が良いのか……?」となんとなく気まずくなって顔を見合わせる私やブルボンちゃん、軽く頭を抱えている昌さんを後目に、トレーナーはスズカさん……いやスズカさんって言うのは失礼だな、鹿の化け物の下に『先頭=絶好調』と書き込んだ。
「すごく簡潔に言うと、サイレンススズカは自分が先頭である時にはすさまじく調子が良くなり、逆に先頭ではなくなると調子が鈍る。
調子が良い時のサイレンススズカは、おおよそ垂れるということを知らない。疑似的にスタミナが無限にあるような状態だ」
「無限って……」
昌さんが苦言を呈するような感じで呟いたけど、トレーナーは首を横に振った。
「いや、比喩でも冗談でもないよ。
理屈はわからないけど、前に誰もいなければ、彼女は垂れずに加速し続ける。そして加速し続けるからこそ、彼女よりも前に出ることは難しい。
更に終盤、他のウマ娘がいよいよ加速する頃になると、彼女は領域を開いて更に加速するからね。
どうやっても倒せない。倒せる未来が見えない。だからこそ、彼女は『異次元』って呼ばれてたんだ」
私たちは、さっきとは別の意味で顔を見合わせた。
とんでもない話だ。
いや、前世アニメでもスズカさんのすごさは強調されてたけど、まさかそこまでとは。
ある意味、私の「アニメ転生」みたいなスーパーモードってこと? まさかスズカさんも転生者……ってことは、まぁ流石にないだろうけども。
……というかそれ、もう勝てないのでは? ぼくがかんがえたさいきょうのウマ娘かな?
「誰かがスズカさんよりも前に出ないと、どこまでもハイペースで駆けてしまう。でも追い付こうとすると、スズカさんは加速して逃げる。……理論上勝つことは不可能、と?」
「いや、理論上は可能だ。領域が開く終盤までに単純なスペック勝負で彼女との叩き合いを制するか、あるいは彼女を超える圧倒的な加速力で一気に追い抜けば、先頭から陥落したサイレンススズカは調子を崩して減速するからな」
「……それ、理論上可能でも実際には不可能な、いわゆる机上の空論というものなのでは」
「机上の空論に限りなく近い、が正しいかな。だからこそ、レースの頻度自体も下がってはいるとはいえ、彼女はシニア級になってから約4年という長期間に渡って、ただの1度も……いや、ただの1度しか敗北していないんだ」
「ただの1度、というのは」
「彼女が故障した、天皇賞(秋)だよ」
あぁ……なるほどね。
どこかで聞いた話、スズカさんの天皇賞での事故の要因は、その速度が「ウマ娘の出していい限界」を超えてしまったためって言われてるらしい。
つまるところ彼女は、大逃げを始めて以来……ただの1度さえも、他人に負けたことがないんだ。
「……それ、どうにかなるんですか?」
「どうにかするよ。俺は君のトレーナーだから」
そう言った後、トレーナーは序盤の展開から終盤まで、どのウマ娘がどのように動くのかの展開予測と共に、自分が立てた作戦を話してくれた。
それは、なんというか、こう……。
「その、割と力づくな手法ですね……」
「力づく以外でサイレンススズカを超える方法があれば俺が聞きたいよ。
……それで、どうだ、ホシノウィルム。この作戦で行けると思うか?」
作戦を立てるのはトレーナーだけど、実際に走るのは私だ。
感覚的にその作戦の成否を量るのは、私にしかできないだろう。
脳内でシミュレートする。
有馬記念。最初の長いコーナー。先行争い。そしてトレーナーの予測した展開……それらの上に私の走りを乗せて。
……うん、これなら……なんとか。
「……不可能、じゃない、と思います。サイレンススズカさんと一緒に走ったことはないので、必ずしも抜けるとは断言できませんが」
「そうか。……正直、この他には彼女を突破する方法は思いつかなかったからな。ひとまず第一関門は突破といったところか」
スズカさんは私と同じ、強い走り方を一方的に押し付けて勝ちに来る大逃げウマ娘。
その走りには極端に隙が少ないけど、その代わり、彼女はそのたった1つの戦術以外を取らない。あるいは取れないのかもしれないけど。
そして私を除けばほぼ唯一彼女と先行争いする可能性がある師匠も、まぁまず間違いなくズバーッと行くだろうし……。
ひとまずそこまでの展開は、ほぼほぼ確定しているわけで。
スズカさんは……うん、多分抜ける……かな。
割と、いや、かなり無茶をすることになるけど。
いや、むしろ問題になってくるのは、その後かもしれない。
「ただ……この展開だと、後半が厳しいんじゃないですか?」
「……そうだな、困ったことに」
そう言って、トレーナーは真剣な表情でコツコツと自分の頭を突く。
……え、なんかこう、ないの? 攻略方法っていうか、こうすれば勝てる、みたいな。
ちょっと驚いて目を丸くした私に、トレーナーは申し訳なさそうに言う。
「色々と考えたんだが、まだ正確なデータが揃っていない以上展開予測の精度も低いし、このリスクは切り離す方法は思い付かなかった。すまない」
おぉ……。
なんか、こう、アレだ。
歩さんにも不可能ってあるんだな……。
予測を多少外すことはありこそすれ、なんだかんだ言って毎回ちゃんと勝てる作戦を立ててくれてた歩さん。
そんな彼が、今回はリスクを排除し切れなかったって言って弱ってるのは……こう、新鮮だ。
まぁでも、歩さんだって普通の人間。そりゃ不可能もあるでしょって話で。
「トレーナーが考えても対策が思い浮かばなかったのなら、きっとそれ以上の策はありません。それでいきましょう」
「すまん。……その代わりと言ってはなんだが、恐らく今回はナイスネイチャやセイウンスカイの策謀はそこまで障害にならないはずだ」
「え、なんででしょうか?」
「彼女たちが勝つには、どうしたってサイレンススズカやスペシャルウィークも抑えねばならないからな。リソースは一点集中でなく部分的に割くだろう。最終的に君にかかる負担は軽くなるはずだ」
あぁ、そうか。
宝塚記念でスカイ先輩に策をかけられたのは、私がスカイ先輩よりも前を行く大逃げウマ娘で、かつスカイ先輩の領域を開く条件が先頭に立つことだから。
菊花賞でネイチャがやってきたのは、私さえ抑え込めば菊花賞に勝つことができるって判断したから。
だけど、そんな私に焦点を絞れたレースと違って、今回は私以上の脅威が何人も参加する。
異次元の逃亡者、サイレンススズカさん。
日本一のウマ娘、スペシャルウィークちゃん。
ターフの名優、メジロマックイーンさん。
オールマイティ、ハッピーミーク先輩。
そして誰より、策略家たるスカイ先輩とネイチャ。
その全てを知り、貶め、超えなければ……今回の有馬記念に勝つことは不可能。
であれば、私に向ける瞳も策も、前回までに比べてだいぶ軽くなるはず。
「ある意味で、今回の有馬記念、特にその後半は非常にシンプルなものだと言える。
サイレンススズカを差した後は、ただひたすらに逃げ切り、誰よりも速くゴールしろ。
それが、今回の極めて不利なレースに勝つための……作戦とも呼べない作戦だ」
セーフティリードを作ったり、安全な盤面を用意するわけじゃない。
ただ自分の脚を信じ、最速で駆け抜ける。
……悪くない。
むしろ良いじゃん。面白くなってきた。
勿論、いつもトレーナーがくれる安全策、確実に勝つ作戦に、不満があるわけじゃない。
けれど……。
たまには、目一杯不利な戦いってヤツを楽しんでみたい。
そんな不遜な熱が、私の胸の底から沸き上がった。
* * *
とは言っても、それはそれで、これはこれ。
作戦会議が終わって解散が告げられ、昌さんやブルボンちゃんがいなくなったトレーナー室。
私はしなきゃいけない課題がある……っていう言い訳で、ここに残っていた。
カリカリとプリントに答えを書き込むフリをして、無作為に黒の毛玉を量産しつつ、私は機を窺った。
狙うべきは、トレーナーの仕事が一区切り付いて、彼の気が緩んだ瞬間。
……そう、まさに今みたいに、キーボードから手を離して伸びをしたような瞬間だ!
「あ、そうだ、トレーナー」
努めてなんでもないような空気を装い、私は口を開く。
声、震えてないかな。裏返ってない? 変に思われてませんように。
そんな益体もないことを、頭に浮かべながら……。
「ご褒美権を使いたいんですけど、今度私のお休みの日に都合が合うようなら、一緒にお出かけしませんか?」
私はトレーナーに、久々のデートの約束を取り付けた。
なお実際に出た声は上擦っていた模様。
次回は3、4日後。トレーナー視点で、お出かけの話。