転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

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ブレイクダウン

 

 

 

 既に起きてしまったことの多くは、取り返しが付かない。

 

 例えば、俺が転生してしまったこともその内の1つだ。

 俺はもはや、前世の家族に会うこともできない。こんな俺を大事にしてくれた両親、いつも目標だった兄。その姿を見ることも、声を聞くことも、出来はしないのだ。

 更に、前世での正確な死因を把握することもできない。最後の記憶は、信頼していた部下に、恐らく灰皿で後頭部を殴られたようだと思ったとこで終わっている。けれど、果たしてそれが本当に彼女の仕業だったのかを確かめる手段は、永遠に失われてしまった。

 

 はっきり言えば、前世でやり残したことは山のようにあった。

 もっと上手くできたんじゃないかと思わない日はないくらいだ。

 

 けれど、もはやその時選べたはずの選択肢は、既に俺の指の隙間から零れ落ちてしまった。

 後悔先に立たず、覆水盆に返らず。

 死という断絶は、未来へと時が進むことは、決して止めようがない不可逆の変化。

 俺が何をどう望もうと、過去は決して変えられない。

 

 俺が失敗してきた多くのことは、成功に変えることはできない。

 やり残してきたことを為すことも、できはしない。

 俺なんかを殴ったことで罪に問われるだろう部下を庇うことも、その真実を探ることも、不可能だ。

 

 生きるというのはある意味で、そういった取り返しの付かない後悔を背負い続ける、ということなのかもしれない。

 ……いや、俺は既に1度死んでるんだし、『生きる』ではないかもしれないけどさ。

 

 

 

 なんにしろ、時間は川の流れのようなもので、ただただ前に進むことしかできず。

 

 そして、往々にして。

 取り返しのない出来事というものは、唐突に、何の兆しすらなく、俺たちに襲い掛かって来る。

 

 なにせ前世はそれで死んだんだ、俺はそれをよく知っていた。

 

 

 

 ……知っていた、はずだったのに。

 

 俺はいつの間にか、そんなことすら忘れてしまっていたのかもしれない。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ウィルと出かけたり、ブルボンのトレーニングメニューを組んだり、ここからの大雑把な予定を立てたり、来年のレースの出走ウマ娘の調査をしたり。

 トレーナーとして彼女たちのサポートをしている内、瞬く間に時間は過ぎて行き……。

 

 早くも、ブルボンの朝日杯の前日になった。

 

 

 

 レース前日になれば、改めて作戦の確認をするのが通例だ。

 ブルボンの正確無比な記憶能力を以てすれば、忘れるなんてことはないかもしれないが……念には念を入れて、やっておくに越したことはないだろう。

 

 そんなわけで、俺はブルボンと2人、トレーナー室で資料を囲んでいた。

 

「さて、では作戦を確認していく。何か先に言っておきたいことはあるか?」

「疑問が1点。何故昌さんは不在なのですか? トレーニング中のウィルム先輩の元にいらっしゃるのでしょうか」

「あぁ、そこか」

 

 確かに、普段なら作戦会議には必ず出席している昌が、今ここにはいない。

 そこには深い……いや別に深くもないが、致し方ない理由があるのだった。

 

「いや……昌は今、休息を取っている。疲労がいよいよ限界に達して、明日の朝日杯の観戦すら難しそうな状態だったからな」

 

 昌は思いの外、トレーナー業務に苦戦しているらしい。

 なんだかんだ要領の良い彼女のことだから、すぐさま仕事に慣れて俺以上にテキパキこなすようになるものだとばかり思っていたんだが……ちょっと意外だな。

 

 とはいえ、彼女がダウンに追い込まれたのは、無敗の三冠ウマ娘であるウィルと期待の新星であるブルボンという2人のウマ娘を担当をしているからだ。

 恐らくオープンレースを主戦場にするような子であれば不足なく、というか余裕を持って担当できるだろうと思えるくらいには、ちゃんとこなしてくれてるんだが。

 

 ウマ娘は人気商売の面を持っている。

 である以上、世代でもトップレベルの人気を持つ2人への依頼や確認は自然と多くなり、契約トレーナーにかかる負荷は平均的なウマ娘の何十倍にも膨らんでしまう。

 結果として、今の昌では……というか俺でも、助けもなくあの2人を担当することは不可能と言っていいレベルの激務となっている。

 

 負けず嫌いの彼女はそれに挑み、懸命に頑張り続け、そしてついには倒れてしまったのだ。

 

「昌はああ見えて頑張り屋だし、その努力を他人に誇らない。あの子なりに頑張った結果、限界が来てしまった、というところだろう。今はゆっくり眠らせてあげてくれ」

「了解しました」

 

 ブルボンも昌の性格はだいぶ掴んでくれているのか、頷いてくれた。

 まったく、担当の理解があってありがたいよ。

 

 いつも思うことだけど、俺の担当2人は、どちらもとても理性的だ。ブルボンは常に冷静で合理的だし、ウィルは熱血と冷静さを兼ね備えるような部分がある。

 

 そういう彼女たちの落ち着きに、俺たちは何度も助けられてきた。

 もしも彼女たちが年齢に見合った性格だったなら、俺や昌は非常に重いメンタル管理を強いられ、仕事は今以上に激化していただろう。

 ……そうなったら、多分昌もそうだけど俺も倒れてたかもな。

 

「さて……改めて、明日のレースの確認と行こうか」

 

 俺にできる彼女たちへのせめてもの礼は、そのレースを万全に支えることくらいだ。

 さぁ、トレーナーとしての仕事に取りかかろう。

 

 

 

 ミホノブルボンの次走、朝日杯フューチュリティステークス。

 このレースの最大の特徴は……直線もコーナーも少なく、その分長い、ということだろう。

 

「長い直線、長いコーナー、そして長い最終直線。ゴール前には急激に勾配の変わる仁川の坂。

 これが阪神レース場、芝外回り1600メートルのコースの概要となる。

 距離の短さや外回りであることもあり、比較的変化の少ないコースになる。その分君のペースキープはやりやすくなるはずだ。……掛からなければ、の話だが」

「問題ありません」

 

 そう言って、彼女は自身の胸に手を当てる。

 

「ここまでマスターの指導の下、ウィルムさんやソウリさんにご協力いただき、トレーニングを積んできました。今の私ならば、高確率で正常な走行が可能であると推測します」

「うむ、結構。あとはとにかく、明日のレースまで心を乱さぬように」

「はい」

 

 前世アプリでもそうだったけど、ブルボンは一見冷静に見えて、実のところ直情的な子である。

 機械のように人間味なく見えてしまうのは、実は彼女の気性故の勘違いでしかないんだ。

 

 この世界で観察していて感じたが、彼女は1つの目標に向けて手段を選ばない。

 より正確に言うと……なんというか、手段にこだわりを持ってない感じだ。

 

 ただ1つの目標である「クラシック三冠」。

 彼女は決して、この1点だけは譲らない。

 

 だが逆に言えば、それ以外の全てを妥協する。

 速くなれるのならどのようなトレーニングも許容し、強くなれるならどのような体験も受容する。

 だからこそ、彼女は一見自己や感情のない、機械のように見えてしまう。

 

 ……けれど、その目標である三冠だけは譲らない。

 初めて抱いた夢であり、同時に父と共有する夢。そして今は、俺と共に抱える夢でもある。

 彼女はその一点だけは、頑なに曲げはしない。

 

 柔軟で自我を持たないようで、その実きちんと自分の中で最終目標を定めているんだ。

 そういう意味で、彼女は決して機械的な人格というわけではない。確かに自分の意思を持ち、それに基づいて行動できる、普通のウマ娘だ。

 

 ……強いて言えば。

 それが自らに強いているだけで、求めるものではないというのが、少しばかり残念なところだが。

 

 そう。

 言ってしまえば、ブルボンはあの頃のウィルに似ている。

 

 ウィル程に苛烈すぎて呪いじみているわけではないが、彼女も「必要だから走っている」。

 走りたいから走っているとか、競走自体を楽しんでいるのではなく、自らに強いる何らかの目標のための手段として、競走を選んでいるだけ。

 

 「負ければ愛を貰えない、自分に価値がなくなってしまう」と思い込んでいたウィル程に後ろ向きなものでこそないが……。

 それでも「クラシック三冠を唯一の目標とする」という指針は、軸がブレない代わり、それに失敗したり達成してしまった後のリスクを抱えている。

 

 できれば……俺個人のエゴとしては、ブルボンにも走りを楽しんでもらいたいと思う。

 ただ、それをトレーナーとしての本分を越えるレベルで要求したいとは、今のところ思えない。

 それこそが俺の中でのウィルとブルボンの違いであり……。

 

 …………?

 

 いやしかし、俺はウィルに前から……契約した直後から、求めていた気がする。

 彼女に走ることを楽しんでほしい、幸せになってほしいと。

 

 それは堀野のトレーナーとしての基本指針ではあったが……だとしても、いささかそれを求め過ぎていたような……。

 

「俺は……」

 

 あの時点では、あたかもそれが正しいかのように理論武装し、これでいいのだと信じていたが……。

 俺は、あの時から既に、彼女の育成に……私情を持ち込んでいたのか?

 

 俺は私情を切り捨て、トレーナーになったつもりだった。

 実際、俺の心よりも業務を優先したことは間違いない。でなければウィルのトレーニングを他人に委譲しようなどと思う訳がないはずだ。

 だが……それはあるいは、別側面から見た私情に過ぎなかったと?

 

 何故だ?

 俺は何故、こうもウィルに対して私情を挟んで……。

 

 それは、多分……。

 彼女が…………あの時の、

 

 

 

「マスター?」

 

 ブルボンから声をかけられ、はっと正気を取り戻す。

 そうだ、こんなことを考えている暇はない。

 

 今は朝日杯の前日、ブルボンと作戦を共有する時間だ。

 内省も自己分析も後回し。俺は彼女のトレーナーとして、すべきことをしなければ。

 

 1度瞳を閉じて精神を整え、息を吐く。

 

「……すまん、少し思考が逸れていた。話を朝日杯に戻そう。

 君のライバルとなってくるのはやはり、以前と変わらずフルーツパルフェ、マチカネタンホイザだろうな。君を差し切れる可能性があるのは、この2人のウマ娘だけだ。

 逃げウマ娘としてはアーケードチャンプがいるが……君を超えるスペックがあるとは言えないな。平常通りに走れば、君のペースに付いて来れず垂れるだろう。気にする必要はない」

 

 ミホノブルボンの体は、与えられた負荷に対して非常に素直だ。

 走れば走る程、殆ど直線的に成長していく。

 それも、他のウマ娘よりもずっと速いペースで、だ。

 

 ウィルのように特別なコンディションがあるわけでもなく、「アプリ転生」で見える成長率はスタミナ20%パワー10%と何の変哲もないもの。

 ……いや、成長率がプラスになっているのは、その時点でかなり珍しい素質なんだが、それはともかく。

 

 つまるところ、それは彼女にとっては特異な状態でもなければ特別なことでもない、単純な体の特性。

 身長が高い低い、体が硬い柔らかいと同じように、「アプリ転生」には表れないものなんだろう。

 

 俺が事故を起こさないよう徹底的な管理を心がけるだけで……彼女はその負荷に応じ、群を抜いたスピードでその体を仕上げていく。

 

 結果として、俺が担当して僅か半年で、彼女のステータスは見違える程に高まった。

 それこそ、ジュニア級G1に出走するウマ娘の中でも、頭1つ抜ける程に。

 

「結局のところ、やはりミホノブルボンの戦いは、自分との戦いになるんだろう。

 君が自らの闘争本能、掛かり癖を御し切れるか。レースの趨勢は、そこにかかっていると言っていい」

 

 ホシノウィルムには、トウカイテイオーとナイスネイチャという明確なライバルがいた。

 彼女たちは決して侮ることのできない存在だった。1人は早期に領域を開き、1人はウィルとの相性が悪かったからである。

 

 では、ミホノブルボンはどうかと言えば……。

 少なくとも現段階において、彼女に明確なライバルは存在しない。

 ……いや、ウィルもウィルで、ジュニアG1ホープフルステークスの時点では、おおよそライバルは存在しなかったんだが。

 

 強いて言えば、やはり先に名前を挙げた2名。

 

 恐るべき可能性を秘めたネームド……それも俺がアプリをやっていた当時は実装されていなかったため、その走りについて詳しく知らない、マチカネタンホイザ。

 

 しかし彼女は、ダービーの際のトウカイテイオーと違い、未だ領域を開いていない。

 「アプリ転生」のスキル一覧に固有スキルがないことからも、それは明らかだ。

 他のスキルやステータスの面で見ても、今のマチカネタンホイザにミホノブルボンを越える地力があるとは言い難い。

 

 むしろそういう意味では、ネームドではないが、フルーツパルフェの方が恐ろしいだろう。

 領域は持たないが、総合的にマチカネタンホイザと同格のステータスがあり、彼女とは違ってここ最近絶好調を保っている。

 恐らく明日も、タンホイザ以上の実力を以てブルボンに肉薄してくるだろう。

 

 

 

 ……だが、関係ない。

 

 全てはレースの展開次第とはいえ、ブルボンが過たず一定のペースで走り続ければ……。

 その走りには、誰一人として付いては来れないのだから。

 

「明日は曇りの予報だが、恐らくは良バ場になるだろう。グリーンベルトもない。コーナリングの際は、意識してインを突き続けろ。経済コースを走り、とにかく無駄なく、完璧にレースを終えるんだ」

「ミッション了解。ミホノブルボン、奮起します」

 

 結局のところ、作戦らしい作戦はない。 

 

 ミホノブルボンらしく走れ。

 誰にも惑わされず、君らしく、最適の走りをしろ、と。

 

 ……根性論みたいになってしまって申し訳ないんだけど、これが現状最も勝率の高いプランだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 その後、ブルボンと詰めるべきところを詰めて、予備のプランもいくつか提案し、作戦会議は終わった。

 彼女には「今日は10時に寝て7時に起きるように」と告げて別れる。

 

 地味に大きいブルボンの強みとして、体感時間や睡眠・起床が機械じみて正確なことが挙げられる。

 彼女はどういう仕組みなのか、時計などを使うまでもなく、分刻みどころか秒刻みで正確な時間を計る感覚を持っている。

 更に「この時間に寝てこの時間に起きる」と決めると、ほぼほぼ誤差なくその通りの睡眠を取ることができるらしい。

 ……仮眠を取ろうとして失敗することもある俺としては、彼女の能力が少しばかり羨ましい。

 

 彼女は睡眠に関して、ほとんど失敗しない。

 ごくまれに、闘争本能が刺激されたり不安に襲われた時は歳相応に眠れなくなることもあるようだが、基本的には失敗しないと言っていいだろう。

 

 今日も伝えた通り、きちんと睡眠を取ってくれるはずだ。

 十分に休み、意気軒昂の状態でレースに望んでほしい。

 

 

 

 そこから少し時間を置いて、仮眠を取っていた昌から『ごめんなさい。もう大丈夫。今夜から仕事に復帰します』と連絡が来た。

 ……いや、基本的に仕事というのは昼間にやるものであって、夜勤でもない限り「夜から復帰」するものではないんだが。

 ここしばらく仕事漬けだったから、感覚が壊れちゃってるっぽいな。

 

 トレーナーとして懸命に働くのは良いことだとは思うが、それで大事な妹の心が壊れるのは心苦しい。

 別に現在の彼女には労働の義務もないわけだし、ここまで必死に片してきたから仕事も差し迫ってるものはない。

 昌には一晩、しっかりと休んでもらおう。

 

『今日は休んで、明日のレースを万全に観戦できるようにしよう』

『大丈夫だから。余計な気は回さないで』

『気を回してるんじゃなくて、リソースを管理してるんだよ。

 俺はまだ余裕があるし、仕事もある程度片付いてる。それなら君にしっかり休んでもらって、フルスペックに戻ってもらった方が効率が良い』

 

 いくつかやりとりをした後、しばらく彼女からの返信は途絶え……。

 

『寝ます。ありがとう』

 

 そう返信が来て、取り敢えず一安心。

 昌、ここ最近本当に忙しくて、いよいよ限界が来ていたというか……俺に吐く悪態もキレがなかったからな。一旦きちんと休んで、しっかり体調を戻してほしい。いや悪態を吐かれたいわけではないが。

 

 なにせ、ブルボンが明日の朝日杯FSで勝てば、再び依頼だの確認だのが急増し、忙しくなってしまうんだからな……。

 

 

 

 更にその後、ウィルからも連絡が来る。

 

『トレーニング終わりました! 今日はそのまま直帰ということで、帰ります』

『了解。明日は朝日杯だから、朝寮に迎えに行く』

『今日は自主トレは控えめにしておきます』

『そこでやめておきますにならないあたり、君らしいよ。程々にな』

『はい!』

 

 後輩のレースの前日だろうと、ウィルにはなんら揺らぎはないらしい。

 今日も今日とて寮の窓から抜け出して、夜の街に飛び出すのだろう。

 

 ……実を言うと、ウィルの寮からの脱走は既に、寮長であるフジキセキにバレ、俺のところまで話が上がってきている。

 ただ、フジキセキは「現行犯で捕まえでもしない限りは見過ごす」という方針であり、俺としてもウィルの自主トレを止める気はないので、ひとまず問題が起きでもしない限りスルーする予定だ。

 

 教育者としては、ちゃんと止めた方がいいんじゃないかとは思うが……。

 彼女の保護者代理としては、やはりここまでの彼女の人生を考えると、もっと走ることを楽しんで欲しいと思うからな。

 

 ああ見えてきちんと分別は弁えているし、どうしても止めてほしい時は止めてくれるので、そうでない時くらいは好き放題していてほしい。

 

 それがきっと、彼女の幸せのためになる。

 

 ……いや、だから何なんだろうな、この彼女への私情の入れ方は。

 俺、なんでホシノウィルムにこうも……?

 

 

 

「……まぁ、いいか」

 

 言って、立ち上がる。

 

 彼女たちは、後は休むだけ。

 だが、俺にはまだいくつか、やらなければならないことが残っていた。

 

「まずは……買い出し、だな」

 

 そう独り言を呟いて……。

 俺はトレーナー室を施錠し、外に向かった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 12月7日。

 

 いよいよ冬も深まってきた中、俺はいつも通りのコートを着込み、近くの商店街に向かう。

 使い捨てのカイロや担当ウマ娘が使うタオルなどなど、買わなければならないものがいくつかある。少々遅くなってしまったが、明日からは余裕もなくなるし、今日の内に買い揃えておかなければ。

 

「……さむ」

 

 呟き、思わず身を縮こめる。

 既に夕方を過ぎ、視界も悪くなった夜。

 太陽の温かさは知らぬ間に消え去り、辺りには酷い寒気が漂っていた。

 

 空を見れば雲もないし、明日は更に冷えるだろうな。3人の分の防寒着やカイロを用意しておいた方がいいだろうか。

 そんな風に思い、頭の中のメモ帳にいくつか書き加える。

 

 と、その時。

 

「っと」

 

 ポケットの中のスマホが鳴り響く。

 

 取り出してみると、ウィルから着信が来ていた。

 何かあったのかと思い、急いで通話を開始する。

 

「もしもし、ウィル、どうした?」

『トレーナー。いえ、特に用があるってわけではないんですが、ちょっと声とか聞きたいなーって思ってしまって。……今、お時間いいでしょうか』

 

 一気に肩の力が抜けた。

 ……安心した。何か事故でもあったんじゃないかと思ったよ。

 

「ああ、いいよ。少し話そうか」

『ありがとうございます!』

「とはいえ、俺は今商店街に行ってるところだから……お店に入るまでの10分くらいでいいか?」

『はい!』

 

 少しだけ荒い息からして、多分軽くジョギングしながらなんだろうが……。

 まったく、元気の良いことだ。俺も見習いたいところだね。

 

「それで、今日はどの辺りを走ってるんだ?」

『今は河川敷沿いの直線を。ここは信号がないのが良いですね』

「楽しくなって飛ばし過ぎないようにな」

『勿論です! ……ライスちゃんも一緒に走れたら良かったんですけどね』

「ライスシャワーはまだ脚部不安があるからな。君と一緒に走るとなれば……まぁ、来年以降か」

『走りたいのに走れないなんてかわいそうですよ。私だったら泣いてます』

「それは君だけだと思うが」

 

 たわいのない話をしながら、俺は近道の狭い路地に入る。

 トレセン周辺にしては電灯が少ないが、商店街に直行するにはここが一番早い。

 

「来年春は忙しくなるな」

『そうですか? 私としてはここまで忙しかったので、少し休めるかなーと思ってたんですが』

「何を言ってる。君のご両親に挨拶する約束だっただろうに」

『……覚えてて、くれたんですね』

「当然だ、君のご両親のことだからな。

 それに、ゆったりできると思っているなら、それは甘いぞ?

 勝負事である以上初詣には行っておきたいし、URAファイナルズも見に行きたい。更に君はほぼ間違いなくURA賞、それも年度代表ウマ娘に選出されるし、そうなると取材が殺到する。その上、普通にトレーニングだってあるんだからな」

『……あれ、もしかして今より忙しくなります?』

「当然だ。有力なウマ娘にとって、正月は試練の季節になるという。頑張りなさい」

『ひえぇ』

 

 おどけた声を聞いて、俺は少しだけ口角が上がるのを感じた。

 

 明日にも、未来にも、当然のように幸せな日々が続くと、証拠もなく確信して。

 

 

 

 

 

 

 ……けれど、知っていたはずだ。

 運命は必ずしも、俺たちに味方するわけではない。

 

 

 

 

 

 

 その時、『それ』が起こった原因は、多岐に渡る。

 

 そこが車が2台も通れないような、狭い路地だったこと。

 俺が度重なる仕事の結果、軽度の疲労状態にあったこと。

 ウィルと電話をし、集中力が散漫になり、片手がふさがっていたこと。

 向こうから来た車のライトが眩しくて、思わず手で目を覆ってしまったこと。

 

 ……そして何より、俺の後ろから来た誰かに、突き飛ばされたこと。

 

 

 

 結果として、俺は踏ん張ることもできず、車道に倒れ込んでしまった。

 

 

 

『トレーナー?』

 

 

 

 電話口の向こうから届くウィルの声が、妙に間延びして聞こえた。

 

 

 

 ……マズい。

 

 立ち上がらないと。逃げないと。車のライトが近い。

 このままじゃ、轢かれる。

 だが、咄嗟には立ち上がれない。

 まるで足の使い方を忘れてしまったように、固くなって動かない。

 

 

 

 間に合わない。

 

 

 

 あぁ、そうか。

 

 また、死ぬのか、これ。

 

 

 

 前世での最期もそうだった。

 死は、唐突にやって来る。

 伏線も兆しもなく、気付いた時には手遅れだ。

 

 

 

 ……しかし。

 やはり今世でも、心残りは多いな。

 

 事故なのか故意なのかはわからないが、俺を突き飛ばした誰かに、罪を背負わせてしまうだろう。

 家族も……多分、悲しんでしまうだろう。父も母も兄も皆人が良いし、昌もきっと。

 ブルボンに関しても、彼女が三冠を取るまで面倒を見ることができなかった。

 

 そして……何より。

 

 

 

「ウィル……」

 

 

 

 彼女を……いや。

 最後まで、彼女の隣にいられなかったこと。

 

 それが酷く、残念で。

 

 

 

「ごめん」

 

 

 

 ライトの光が、眼前に迫る。

 

 

 

 ……あぁ、クソ。

 

 嫌だ、まだ俺は彼女を……。

 

 死にたくな──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 次回は3、4日後。ホシノウィルム視点で、断絶と彼女の話。



(追記)
 誤字報告をいただき、わざとでない部分は訂正させていただきました。ありがとうございました。
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