転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

80 / 253
 引き続き別視点です。





歩みなき停滞

 

 

 

 兄さんの、前世の話。

 それは、初等部の頃にまで遡る。

 

 話を聞く限り、その時の彼は今の兄さんとは違って「普通」の──兄さんの言葉で言うところの、すべきことに専心できない、幼く愚かな──男の子だったらしい。

 精一杯遊び回り、程々に親に甘え、時々友達や家族と喧嘩し、少しだけ勉強をする。

 そんな、今の兄さんからは想像もできないような、どこにでもいる小学生の男の子。

 

 ……これは、そんな普通だった男の子が、致命的な程に歪んでしまう話だ。

 

 

 

 初等部の子供なんて、遊ぶのが仕事みたいなものだ。

 ……いや、私たち兄妹の中では、遊び惚けていたのは私くらいのものだったんだけど。

 とにかく、一般的な子供であれば、毎日公園に行ったりゲームをしたりと楽しい毎日を過ごすものだと思う。

 

 彼──前世における、まだ兄さんになる前の少年──は、そういった普通の小学生の1人だった。

 

 そうして、そんな平凡な毎日の中の1日。

 彼はその日も、放課後に友人と遊ぶ約束をした。

 昨日や一昨日と変わらず、母親の大声を無視しながら自室にランドセルを放り投げて、走って図書館に向かった。

 

 学校の近くにある、人気のない図書館。そこが彼らの集合場所だった。

 殆ど人がおらず、いたとしても1人や2人。司書もやる気なさげで、少しくらいなら騒いでも怒られない。

 夏場にはクーラーが、冬場には暖房が効いて、更に時間を潰せる漫画もある。

 初等部の彼らにとっては、絶好の待ち合わせスポットだったのだという。

 

 

 

 しかし、その日。

 何かハプニングでもあったのか、そこに友人はおらず……。

 

 代わりに、1人の女の子がいた。

 

 小柄で、黒い髪を垂らした……恐らくは彼より、少しだけ年下であろう女の子。

 彼女はその図書館で、本を読むわけでもなく、ただ据え付けられた椅子に座って、無表情で俯いていた。

 

 彼は、彼女の表情を見て、何となく声をかけた。

 そこに深い理由はない。ただその顔が、無表情でありながら、どこか寂しそうに見えたから。

 

 「ねー、暇なら一緒に遊ばない?」

 

 少女は彼の言葉に、ぼんやりとした無表情のまま顔を上げ……。

 こくりと、頷いた。

 

 

 

 そうして、それから数時間の間、彼は名前も知らない少女と遊ぶことになる。

 公園に行ってブランコをこいだり、木に登ったり、かけっこしたり。

 そんなたわいのない、いつも通りの、けれどかけがえのない時間を過ごして……。

 

 そうして、無表情だった彼女は、少しずつ笑うようになった。

 最初は仄かに口角を上げて。

 徐々にくすくすと笑い声を上げるようになって。

 最後にはお腹を抱えて、慣れていなさそうな大笑いを見せて。

 

 そうして夕方、別れ際に……。

 

「また遊ぼうなー!」

「うん!」

 

 そんな約束を交わして、何事もなくその日は終わったのだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 名前も知らない少女との付き合いは、その後1か月続いたという。

 

 放課後に図書館に行くと、彼女はいつもそこにいた。

 所在なさげに座って、やってきた彼を見ると、ぱっと表情を輝かせて立ち上がる。

 そうして町中の色んなところを歩き回って、色んな遊びをして、色んなことを話して……。

 2人は、そんな毎日を過ごしていた。

 

 

 

 そんなある日、彼は自分の家族についての話題を振った。

 

 厳格な母と、尻に敷かれた父、それから一人暮らしで長らく会っていない兄。

 それが彼の家族の全て。

 

 その中でも、彼にとって最も厄介なのが母親だった。

 彼の母は教育に熱心な人で、常に「強くあれ、正しくあれ」と徹底して教え込んできた。

 当時の彼にとっては、それが酷く窮屈だったらしい。

 

「親父ったらだっせーんだよな。お袋がビシッて言ったら、へこへこして全部言うこと聞いてさ。男として誇りとかねーのかっつーの。お袋もクドクドうっせーし」

 

 ジャングルジムのてっぺんで唇を尖らせ、そんな愚痴を吐き出した彼に対して……。

 なかなかそれに登れずに苦戦していた少女は、こてんと頭を傾げた。

 

「……えっと、そういうのが普通なの?」

「普通? 普通っつーか……何? まぁ普通なのかもしんねーけどさ、ダサくね?」

「……そうなんだ」

「そうなんだって……」

 

 少なくとも、彼にとってはそれが普通の家庭であり、ダサい父親であり、うるさい母親だった。

 彼女にとっては違うのかと、彼は少女の方に目をやると……。

 彼女は、いつか見たような無表情で、彼の方を眩しそうに見上げている。

 

「……ま、いいや。そんでさ……」

 

 少女が乗り切れていないことを察して、彼は話を打ち切った。

 

 幸い、最近学校で流行っている遊びの話をすると、彼女はすぐに笑顔になってくれる。

 それに安心して、彼は新しい話題に自らのめり込んでいった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ……けれど。

 少女との日々は、長くは続かなかった。

 

 その要因は、大小合わせて2つ。

 

 

 

 まず、彼の同級生に、少女と遊んでいるのがバレたことだ。

 

 その日、登校した彼を迎えたのは、友人たちの好奇の視線だった。

 

「お前女と遊んでんのかよ!」

「は?」

「うわーキモー!」

 

 そんな風に、朝からクラスの男子にからかわれた。

 恐らくは他校の生徒であろう女の子と遊んでいた。……ある程度デリカシーを身に付けた人間であれば触れない部分ではあるんだろうけど、まだ頑是ない初等部の子たちにとって、それは好奇心と嗜虐心の的だったんだろう。

 それはもう、「嫌になるくらいに」からかわれ続けたという。

 

 幼少期は、どうしても自分の世界が狭くなる。家族と、そして友達が全てだ。

 そのどちらかで立場を失うことは、実質的な世界からの追放を意味する。

 彼もその例には漏れず、当時はそのからかいが相当心に響いたらしい。

 

 ……これが2つの内、小さい方の要因で。

 

 

 

 ……そして、もう1つ。

 大きな方の要因が。

 

「…………助けて」

 

 少女の言葉だった。

 

 その日、図書館に行った彼に、彼女は言って……抱きついて来た。

 

 当然ながら、彼は動揺し、困惑した。

 彼女の唐突な行動もそうだし……何よりその顔には、昨日まではなかったはずの青い痣が生まれていたんだから。

 

「えっと……え、何、どした?」

 

 あまりにも唐突な状況に、彼の思考は硬直した。

 

 ……当時は幼く、緊急時の対応だって今ほどにはできなかったと、兄さんは語る。

 心理学の方面への知識も、こういう時の場慣れも……全てが足りなかったと。

 

 だから彼は、その決断を、下してしまった。

 

「わ……わかった、助ける。俺が助けるよ」

 

 

 

 それは決して、安請け合いしてはいけないことだったのに。

 

 

 

 少女はその言葉に安心したように、彼の胸に埋めていた顔を上げた。

 そして徐々に瞳を濡らし、喉の底から言葉を吐き始める。

 

「わ、私……私ね、パパがっ」

「うん」

 

 彼はじっと、彼女の独白を待って……。

 そうして。

 

 

 

「パパが、叩いてくるの」

「……え?」

 

 

 

 彼は、知らない世界を……。

 知るはずでなかった世界を、知る。

 

「パパがね、『私が悪いんだ』って叩くの! 最近はなかったのに……また帰って来て、叩かれたの!

 ママもね、私が悪いんだって……。私が、私が悪い子だから叩かれるんだって……」

「それは、その、説教とかじゃ」

「何もしてないの! 私、言いつけを守ったのに! ちゃんと日が落ちる前に家に帰ったのに!

 何度も、何度も叩くの! 私が悪いんだって、これは教育、だって言って!!

 私、私、痛いって! 痛いから、やめてって、何度も言ったのに!!」

「え、い、いや……」

 

 

 

 彼は、知らなかった。

 

 慎ましく幸せな毎日を享受していたからこそ、彼はそれが普通であると思い込んでいた。

 厳格でありながら常に彼を保護していた母、弱気ではあるが優しかった父。

 親からの愛は当然のものであると思い込み、それがこの世界の常識であると……錯覚していたんだ。

 

 けれど、当然のことながら……。

 兄さんの前世の世界にも、人の悪意というものは存在しており。

 

 彼女を取り巻く黒く暗い渦を、彼は理解しきれなかった。

 

 

 

「前までは、嫌じゃなかったの……ただ時間が過ぎるのを、待ってればよかったのに……。

 それなのに、最近は……痛い時に、君の顔が頭に浮かんで……嫌なの! 怖いの!

 ねぇ、助けて……助けてよ。お願いだから……助けて……」

 

 

 

 ……それに何と答えたかは、記憶の底にすら残っていないらしい。

 彼は気付けば少女と別れ、自宅に帰っていた。

 

 そうしてようやく正気に戻った彼は、自分の部屋でぼんやりと、どうすべきなのか悩む。

 

 助けてと、言われた。

 である以上、助けなきゃいけないと思う。それが正しい、すべき行動だ。

 そんなことは知っている。学校でも習ったし、母にもそう教えられた。

 助けを願われれば、それに応えなければならないのだと。

 

 でも、どうすればいい?

 どうすれば、彼女を助けられる?

 

 わからない。

 わからない、わからない、わからない。

 

 何を、どうすれば、彼女を助けられるのか。

 

「……お、親父とお袋に、相談……」

 

 その頃の彼にとって、大人は魔法使いみたいなものだった。

 言えばなんでも……とは言わないまでも、ある程度のことまでは叶えてくれる、すごい人たち。

 その理屈も過程も知らない。けれど、確実に結果だけをもたらしてくれると、そう思っていた。

 

 だからきっとこれも……彼女のことについても、解決してくれると信じたんだ。

 

 ……けれど。

 

「名前もわからない? 小柄で、髪の長い子? ……いや、それだけじゃ絞り込めないかなぁ」

「女の子? ……いや、他のご家庭の方針に口は出せないよ。諦めなさい」

 

 両親は、解決してくれなかった。

 

 

 

 子供の世界は、狭い。

 家族と、友人。その2つしかない。

 

 だから彼は、それだけで……詰んでしまった。

 

 自分ではどうしようもなく、友人には相談できず、親は解決してくれない以上……。

 彼にはもう、何もできない。

 

 

 

 ……勿論、警察に行くなり、自分の足で探すなり、もっと行動を起こすことはできただろう。

 可能か不可能かで言えば、間違いなく彼には、行動を起こすことができたんだ。

 

 けれど……。

 

「……どうせ冗談だろ。だって、そんなことあるわけないし。それに学校のヤツらだってうるさいし……もう寝よ。明日『ごめん、無理だった』って言えばいいだろ」

 

 自分のものと異なり過ぎる世界への不信。

 友人の世界を失ったことによる倦怠感。

 明日からも幸せな日々が続くのだという、子供らしい根拠のない確信。

 

 様々な要因が、彼の行動を阻害して……。

 

 そうして、彼は諦めた。

 諦めて、しまった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 次の日の放課後。

 図書館に行っても、少女はどこにもいなかった。

 

 次の日も、その次の日も、その次の日も。

 少女は、どこにもいなかった。

 

 

 

 そしてそれから、文字通り『一生』。

 

 彼が少女に会うことは、なかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 ……ただし。

 

 数日後、彼は地元のテレビ番組で、そのニュースを見ることになる。

 

『本日未明、市内住宅で女児の遺体が発見されました。

 警察は虐待の容疑で両親を逮捕し……』

 

 

 

 それを瞳に捉えた瞬間。

 彼は、不可逆の変化を辿ることになる。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……取返しは付かないんだよ。命も、真実も、何もかも」

 

 そう言って、兄さんは頭を抱えた。

 

「確認してないんだ。その女児が、彼女なのか。

 顔はテレビに出なかったし、俺は彼女の名前を知らなかった。だから実際にソレが彼女だったのかはわからないんだ。

 ……確かめるのが怖かったんだと思う。前世の俺は結局、その一件を詳しく調べることはなかった」

 

 それに。

 その話に、果たして、私は何を言えるのか。

 

 非難? できるはずがない。それは幼い少年としては仕方のない行動だ。

 同情? できるはずがない。そんなに重い体験を、私はしたことがない。

 憐憫? していいはずがない。それは前世を生きた彼だけの経験、彼だけの悔恨。そこに踏み込む権利なんて、この世界に生きる誰にだってないんだから。

 

 私はただ、何も言えず、口を閉ざして彼の話を聞くばかりだった。

 

「それでも……大事な時に逃げて彼女をっ……見殺しに、した、俺にでも、1つわかったことがある。

 それは、大事な時に手を伸ばさなければ、俺が何もしなければ、失われるものがあるということ。

 そして、誰かが何かを求めてくるのなら、それに応えなければならないということ。

 そんな学びの一番の始点を、決して忘れてはいけない彼女のことを、俺は……また、忘れていたんだ」

 

 兄さんは、そこで一度口を閉じて……。

 

「……ずいぶん遠回りになってしまったけど、最初の話題、『何故吐いていたか』に戻ろうか。

 俺は、彼女を見殺しにしたこと、そしてそれを忘れていた自分が嫌で……精神的に、ちょっとショックを受けてしまってね。止まらない吐き気と戦っている内、少し行き過ぎてしまったらしい。

 ……改めて、ごめんね、昌。すごく心配をかけた。そして、ありがとう」

 

 最後にその言葉で、長い長い過去語りを締めくくった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 何を、言えばいいのか。

 

 私は、兄さんに、一体何を言えるのだろうか。

 

 語られた内容は、悲劇だった。

 偶然だ。本当に酷い偶然。出会うはずのない2人が出会い、共に時間を過ごした。

 不幸せだった獣は、火の温かさを知り、冷たい自然へと戻れなくなって……。

 

 そうして、破局した。

 子供たちの無知、無力が、どうしようもなく冷たい現実を招いてしまった。

 

 それに、果たして私は、何を言うべきなんだろうか。

 

 

 

「それが……兄さんの、頑張る理由ってこと?」

 

 辛うじて絞り出した声は、それだった。

 

 兄さんがあそこまで頑張る理由。

 偏執的な程に努力を繰り返し、誰かに何かを願われればすぐさま行動を起こす在り様。

 それは、かつての反省によるもので、彼なりに同じ悲劇を繰り返さないように努めているのか、と。

 

 そう尋ねた私に対して、話し疲れたのか、少しだけ朦朧とした様子の彼は……まぶたを閉じて、こう、答えた。

 

「……そう、だね。俺は、今度こそ…………」

 

 

 

 それは。

 

 私の想像していたような、前向きな理由では、なくて。

 

 

 

 

 

 

「…………あの子を、助けなきゃいけないから」

 

 

 

 

 

 

 それを聞いた瞬間。

 私はようやく、「堀野歩」を理解した。

 

 

 

 『今度こそ間違えられない』。

 『あの子を助けなきゃいけない』。

 

 そんな想いに、彼はずっと、囚われているんだ。

 前世で間違いを犯し、その事実に、あるいは自分自身に絶望して以来……彼の心も生き方も、一切動かなくなった。

 

 堀野歩の時計は、既に壊れ、止まってしまっている。

 成長も退化もせず……堀野歩は、前世に呪われ、永遠に停滞しているんだ。

 

 

 

 兄さんは、救われない。

 

 誰かを救うことで救われる人間は、少なくない。上の兄がまさしくそんなタイプだ。

 救うというのはつまり、相手の立場や状況を向上、改善させること。それを通して、成し遂げた自分の評価を向上させる。それは殊更おかしなことじゃない。

 

 ……けれど兄さんは、それとは違う。

 「常に頑張らなければならない」「人を助けなければならない」という強迫観念に囚われた彼は、誰もが救われている状況を以て、初めて自らの価値を保つ。

 土台、全てが救われているという状況は成立することが少なく、それが成立したところで、自らの評価を上げることもなく最低限に保つだけ。

 だから彼の自己評価は、永遠に底を彷徨い続けるだけなんだ。

 

 兄さんの「助けたい」対象には、この世界で唯一、自分だけが入っていない。

 だから、堀野歩には、堀野歩自身を救うことができない。

 どれだけ兄さんが努力し、頑張り、命をすり減らしたところで……彼は、満たされない。

 

 ……いや。

 正確には、満たされる方法はある。

 

 本当に救いたかったものを救いさえすれば、彼は満たされるんだろう。

 けれどそれは、絶対に不可能だ。

 兄さんが言った通りに、それは決して取返しが付かない、二重の意味で手の届かないところにあるのだから。

 

 

 

 兄さんは、忘れる。

 

 恐らくは、精神的な防衛本能なんだろう。

 そのことを思い出せば、今のように自罰的に暴走し、自傷してしまうかもしれない。

 あるいは、行き過ぎれば……自決まで、してしまうかもしれない。

 

 だからそれを避けるために、彼自身の心が、頭脳が、それを「思い出さない」。

 

 現実から目を逸らす。正しかった思考を曲げる。無理やり事実をなかったことにする。

 ただ「人を助けなければならない」という強すぎる方向性だけを残して、その所以を全て忘却する。

 それこそが、唯一彼が「健常に」生き延びる道だった。

 

 まるで川底の泥のように記憶の中に沈めて封じ、兄さんはその記憶を忘れた。

 思い出すことを、無意識的に自制したんだ。

 

 ……けれど、その忘却は完全なものじゃない。

 川に激流が走れば、泥が掘り起こされてしまうこともある。まさしく、今日の兄さんのように。

 小柄なウマ娘の酷い事故に死を連想し、それによって連鎖的に記憶が蘇ってしまう……。そんなことも、起こりえてしまうんだろう。

 

 勿論、激流は永遠には続かない。

 1度睡眠を挟んで思考の整理でも済ませれば、兄さんは再びこの事実を忘れてしまうのかもしれない。

 

 それを私に話してくれたのは……明日の自分にそれを伝え、思い出させて欲しいってことだろうか。

 

 ……でも、きっとそれは、忘れたままにしておくべきもの。

 いくら請われても……私は、これを兄さんに伝えることはないだろう。

 

 だって……伝えて、何になるっていうんだ。

 

 それを知って、彼に何ができる? 既に『彼女』は死んでいるだろうし、更には輪廻転生を経過してる。

 今更死者を蘇らせることはできない。それどころか、真実を探ることさえできはしないんだ。

 

 であれば、せめて。

 そんな冷たいだけの記憶は忘れてしまって、安らかに過ごした方が、ずっとマシというものでしょう?

 

 

 

 兄さんは、見ていない。

 

 私も上の兄も、父も母も。それどころか誰も、この世界すら、兄さんは見ていない。

 彼が誰かを助けるのは、代償行為に過ぎない。本当に救いたい、救いたかったものは遥か遠くにあって、彼の本質的な行動指針は全てそこに集中している。

 彼の取る一挙手一投足、視線の動き、考え、その全てが……今は亡き『彼女』にしか、向けられてはいないんだ。

 

 どうしようもないくらい、前世に囚われている。

 あるいは、今世を生きていないと言ってもいいだろう。

 

 視線も、考え方も、方向性も、その全てが前世の、その瞬間のままに停滞している。

 そこから1歩たりとも前に進めない。前に進もうという意志もなく、そしてそれを決して自分に許さない。

 

 それが、あるいは彼なりの贖罪なのかもしれない。

 ……この世界に生きる私たちにとっては、はた迷惑もいいところだけれど。

 

 

 

 つまるところ。

 

『前世の悲劇に囚われ、決して変わらず、救われない人間』

 

 それが、堀野歩という人間の真実なんだろう。

 

 もはや、前世や輪廻転生なんてモノが実在するかどうかは問題じゃない。

 そう感じ、そう信じ、そう記憶し、それに基づいて人格を形成している以上、兄さんは決して揺るがない。自ら救いを求め、救われることがない。

 

 この世界に生まれたその瞬間から、決して救われることのない運命を背負った人生。

 

 それが、本当に、本当に……。

 

 

 

 どうしようもなく、悲しくて、嫌いなんだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 だからこそ、あの日。

 

 奇跡が起こったのだと、思った。

 

 

 

 その日は、実に1年半ぶりに兄さんが帰って来る日だった。

 

 この1年半のこと、詳しくは聞いてないけど……。

 どうせトレセンでも寿命を削るような、それでいて即時に体の調子は崩さない、器用で最悪な働き方をしているに違いない。

 せめて面と向かって小言の1つでも言えれば気も紛れるって言うのに、全然帰って来ないし。

 ……本当に、イライラする。

 

 9月にトレーナー免許試験が迫っていることもあり……今思えば、私はかなりフラストレーションが溜まっていたと思う。

 

 だから、ってわけじゃないけど……。

 私は帰って来た兄さんに、「トレーナーなんて辞めろ」って言うつもりだった。

 

 トレーナーという仕事は、兄に向いてない。全く以て向いてない。

 18人の中で優劣を付けて、たった1人の勝者を決める?

 全ての人が救われていなければ自らの価値も認められない兄にとって、それがどれだけ精神的負担になることか。

 

 よしんば担当のために、その思考を切り離したとしよう。見ないふりをするのは兄さんの得意分野だ、それくらいはできてもおかしくない。

 けれどその場合、他の17人分の感情が乗せられた担当が負けた時、あるいはもしもレース中の事故で……考えたくもないけど、担当が死んだりでもしたら、兄さんは何を思う?

 

 ……考えたくもない、最悪の展開が、現実になることすら考えられる。

 

 だから、言ってやろうと思ったんだ。

 「堀野のトレーナーは私が継ぐ。どうせ向いてないんだから、兄さんは帰って来て、父さんから当主の引継ぎでもしたら?」って。

 

 それなのに。

 

 

 

『俺は、堀野のトレーナーを辞めようと思います』

 

 

 

 何の準備もなく、父さんの前でいきなりあんなことを言い出すんだもの。

 本当にバ鹿。アホ。おたんこにんじん。おかげで本当は賛成派の私が、父さんに取りなさなきゃいけなくなっちゃったじゃん。

 

 ……けれど、相変わらず誰かさんに似て言葉足らずな彼に呆れると同時。

 私の中に1つ、疑問が生まれた。

 

 何故、そんなことを言い出したの?

 『堀野のトレーナー』って言葉は、兄さんがよく言っていたものだ。恐らくは直接的なトレーナー業そのものを指すわけではない。

 

 でも恐らく、兄はそれを無意識的に『父から請われたこと』であると認識し、なおかつ『誰かを助けるための最善のやり方』であると思っていたはずだ。

 それを、途中で投げ出す……?

 

 トレーナーを辞めろ云々の前に、まずはその事情を聞き出す必要がある。

 だから、兄さんの放言にビビりすぎて腰を抜かしかけている父さんとの仲を取り持ち、まずは事情を聞こうとして……。

 

 

 

『ホシノウィルムを担当したいから、堀野のトレーナーを辞めたい』。

 

 

 

 その言葉に、動揺した。

 変な動作を見せないために、理由を付けてその場から逃げてしまうくらいには、動揺した。

 

 自分から、何かを求めない。

 ただ過去への贖罪のために、誰かに奉仕し続けるだけだったはずの兄が……。

 

 自分の欲望に基づいて、行動を起こした。

 

 それがどれだけの奇跡なのか、私はよく知っていた。

 なにせ、実に20年を超える私の人生の中で、初めて見たんだから。

 

 「ホシノウィルム」。

 兄さんの担当する、稀代の怪物。現役最強と名高い、不可能を可能にする大逃げウマ娘。

 

 彼女の何が、兄さんの琴線に触れたのかはわからない。

 もしかしたら最初は、ただその容姿が『彼女』に似ていたとかそれくらいの、つまらないことだったのかもしれない。

 

 けれど、長く一緒に時間を過ごしたためか、あるいは何か転機があったためかはわからないけど……。

 

 ホシノウィルムというウマ娘の存在は、兄にとって、この上なく大事で特別なものになった。

 友人よりも、家族よりも、ずっと特別な……唯一無二のものに。

 

 父の希望と自分の欲望を比べ、それでもなお後者を取りたいと思う程に。

 ……つまりは前世からの妄執を、ほんの一瞬、僅かとはいえ越えかねない程に、特別な存在。

 

 

 

 彼女しかいない。

 

 ホシノウィルム。兄さんの最初の担当ウマ娘。

 彼女ならあるいは……兄さんを、救ってくれるかもしれない。

 

 ……年下の子供にこんなことを頼むのは、大人としては失格かもしれない。

 本来は、私たち大人が子供を助けなきゃいけないんだ。その逆はあっちゃいけない。

 

 それでも……。

 きっと彼女は、兄さんを救い出すことのできる、唯一の存在だ。

 

 彼女と共に時間を過ごし、少しずつ人間らしい情緒を取り戻すことができれば、あるいは……。

 

 そう思い、9月。

 私はようやく勝ち取ったトレーナー免許を持って、トレセン学園に向かった。

 

 

 

 兄さんのことは、嫌いだ。

 私のことを見てくれないし、その辛すぎる生き方は見ていてイライラするし、思わず叫ぶくらいに非難したことだって数えられないくらい。

 

 ……だけど、そんな兄でも、家族なんだ。

 決して欠かすことのできない、私の大事な家族なんだよ。

 

 だから、もしも兄さんが救われる道があるのなら、私はせめて、それをサポートしたかった。

 少しでも早く、そんな苦しいだけの生き方を辞めて、兄さんにも……今を生きて欲しかった。

 

 だからそれまで、少しでも兄さんを支えられたらと思って、私はトレセン学園に来たんだ。

 

 

 

 

 

 

 ……まさかその矢先。

 年末の大一番を前にして、こんなことになるなんて……欠片たりとも、思ってはいなかったけれど。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 これまでのことを整理し終わり、私はまぶたを開ける。

 

 今、私の視線の先では、1人のウマ娘がソファに座っている。

 両手を膝に置き、こちらに視線を投げてくる彼女は、ホシノウィルムさん。

 兄さんにとって最初の担当ウマ娘であり、同時にとても特別な存在であろう子でもある。

 

 改めて、彼女について思いを巡らせる。

 ホシノウィルムさん。

 彼女は年齢にはそぐわないくらいに成熟した心を持ち、どこか大人びた割り切りや理性的な態度が目立つ、一風変わったウマ娘だ。

 

 ……正直、最初は彼女のことを警戒した。

 その変わったあり方は、どこか前世の記憶を持つ兄さんを思わせたから。

 もしかして、彼女も前世の記憶を持つ転生者で、兄さんを騙してるとか……そういうこともあるんじゃないかって、そう思ったんだ。

 

 でも、その疑いは、既に捨てた。

 少しばかりお話をするために行ったカフェで、彼女は……歳相応の笑顔や動揺を、彼女の素朴な素顔を見せてくれた。

 

 それは、今世を生きている証だ。

 たとえ転生者だとしても、彼女はきっとこの生涯を大事にしているし、兄さんとも信頼を築いているんだろう。

 そう思わされるくらいに、彼女は……なんというか、そう、幸せそうだったんだ。

 

 普段の会話を聞いていても、兄さんとホシノウィルムさんの間に堅い信頼関係があることは間違いない。

 兄さんは私たち家族と同じか、あるいはそれ以上にホシノウィルムさんを信じていたし、ホシノウィルムさんは同じだけ兄さんを信じている。

 

 ……だからこそ、だろうね。

 兄さんが意識不明になった今、彼女は気丈に表情を取り繕っているけど……それでもやはり、仮面の向こうには隠し切れない心労が窺えた。

 

 兄さんの不幸を我がことのように、半身が欠けたように、彼女は悲しんでくれている。

 

 そんな表情を見れば、信じざるを得ない。

 彼女はきっと、兄さんを助けてくれることに協力してくれる。

 

 そのために……兄さんには悪いけど、私の知っている情報は、最大限に有効活用させてもらおう。

 

 

 

 きっと兄さんを救えるのは、ホシノウィルムさんを除いて他にはいない。

 だから私は、何がなんでもこの子と兄さんの間をつなぎ留めなきゃいけない。

 

 そのために話すべきは、兄の過去だ。

 あるいは、これは学生に聞かせるべきでないような闇かもしれない。彼女に不必要に辛い想いをさせてしまうかもしれない。

 

 けれど、彼女にそれを伝えれば……きっと協力してくれる。

 兄さんを救ってくれるはずだ。

 

 この話をする際に、嘘は吐けない。

 彼女の観察眼はバ鹿にならない。嘘を見抜かれ、信頼を失うわけにはいかないからだ。

 

 ……ただ、語るべきでないこともある。

 それは、兄さんが転生者だということだ。

 

 転生者疑惑のある彼女にそれを話せば、どんな波紋を生むかわからない。落ち着いてからならともかく、混迷している今の状況で取るべき選択ではないはずだ。

 それに、そもそも兄さんからは「担当には前世のことは秘密で」って言われてる。

 だから、『彼』に起こったあの悲劇は……今世の初等部での経験ということにする。周りの話も上手く都合を合わせなければ。

 

 

 

 ……さぁ。

 

 1つの、呪いの話をしよう。

 

 

 







 次回は3、4日後。ホシノウィルム視点で、呪いが導くものの話。



(追記)
 誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。