転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

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等身大の、私として

 

 

 

『ついにこの日が来ましたね。今年の締めくくり、年末の大一番、G1レース有記念。

 今年はこれ以上ないと言える程の、とんでもなく豪華なメンバーとなりました』

『異次元の逃亡者、圧倒的な強さを私たちに見せつけるサイレンススズカ。

 我らが誇る王道中の王道、ダービー、天皇賞、そしてジャパンカップを制した、スペシャルウィーク。

 本来逃げに不利とされる長距離においてこそ真価を発揮するトリックスター、セイウンスカイ。

 芝の短距離、マイル、中距離、長距離において、それぞれ1つずつG1勝利を収めるオールラウンダー、ハッピーミーク。

 ジャパンカップでのマッチレースも記憶に久しいターフの名優、メジロマックイーン。

 先日ダイイチルビー、ケイエスミラクルという2人のライバルを下し、マイルチャンピオンシップを制したダイタクヘリオス。

 そして新世代の最強、不可能を覆す灰の龍、無敗の三冠ウマ娘ホシノウィルム。

 G1ウマ娘が7人、そして合計したG1勝利数は国内のものだけに限っても、なんと21! まさしく世紀の決戦と呼んでいいレースになるでしょう!』

 

 

 

 私のいる地下バ道にまで、実況解説の声が聞こえてくる。

 

 ……その言葉通り、今日の有記念は、おおよそ類を見ない程の、とんでもないレースになるだろう。

 スズカさん、スぺ先輩、スカイ先輩、ミーク先輩、マックイーンさん、ダイタクヘリオスさん、そして私。G1レースを獲った実績を持つウマ娘だけでもこれだけいるんだ。

 更にここに、未完の大器とも言われるライアン先輩、レースを荒らしに荒らすターボ師匠、策謀で展開を握りに来るネイチャ、復活した大天才であるテイオーもいる。

 

 分類に分けても、かなりひどい。

 1人いるだけでもレースが荒れることになる大逃げウマ娘が3人。

 展開を自在に操ることのできるレースメーカーも2人いるんだ。

 はっきり言って、今回の有記念は誰にも予想の付かないレースになるだろう。

 

 ……あるいは、歩さんが起きていれば、予想もできただろうか。

 

 

 

『本日の1番人気は、全てのファンの夢を背負った異次元の逃亡者、サイレンススズカ!

 彼女がトゥインクルシリーズのレースに出走するのは、あの天皇賞以来、実に3年ぶり。これまでは海外のレースをモニター越しに見るばかりでしたが、ついに私たちも、彼女のレースをこの目で見ることができます』

『彼女とスペシャルウィーク、セイウンスカイにとっては、これがラストランでもあります。

 復帰したサイレンススズカの最初で最後のレース、一瞬たりとも目を離すことができませんね』

 

 

 

 今日の1番人気は、スズカさんだ。

 というか彼女に至っては、敗北する姿を想像できないって人も多いんだろう。

 大逃げを始めてからのサイレンススズカは、海外のレースも含め、1度たりとも他者に負けたことがない。どのようなレース場、どのような天候やバ場であろうと、必ず勝利を収め続けてきたんだ。

 完全なものではないとはいえ、無敗という実績は大きな意味を持つ。

 だからこそ、彼女の勝利を信じ、祈る人はとても多いんだろう。……それこそ、私以上に。

 

 とはいえ、スズカさんに関しては、不安要素がないわけではない。

 ジャパンカップが終わった直後に歩さんが推察してたけど、今回のレースの距離は、彼女が本領を発揮するにはいささか長すぎるらしい。

 サイレンススズカの主戦場は、1800から2200メートルまでの中距離。2500メートルという長距離は、彼女にとっても初めての挑戦となる。

 

 トレーナー曰く、スズカさんの長距離適性は、私のSやスペ先輩やマックイーン先輩のAに1枚劣るB。

 有利不利の問題で言えば、彼女はやや不利であると言えるだろう。

 

 そしてそれは、トレーナー程に正確な分析ではないにしろ、多くの人が知るところだ。

 

 サイレンススズカの強さは多くのメディアが分析している。

 それは逆に言うと、彼女の弱点もまた、解析され尽くしているということでもある。

 異次元が異次元足り得るのは中距離まで、つまりどれだけ長くても2400メートルまでであると、多くの人がそう認識している。

 

 ……しかし。

 それでも、信じたくなるものはあるんだろう。

 

 不敗の伝説が、不敗のままに終わることを。

 あらゆる困難を薙ぎ倒し、彼女が最強の座に立つことを、あの日に彼女の大逃げに魅了されたすべての人が夢見ている。

 

 あぁ……そうか。

 考えてみれば、この有記念の前半は、無敗同士の衝突ってことになるのか。

 完全に無敗というわけではないけど、既に本格化を終えて完成しているサイレンススズカ。

 無敗のウマ娘だけど、まだ本格化の途中で完成していないホシノウィルム。

 どちらがより速く、より前に出るのか……。恐らくは多くの観客が、その勝負にも注目している。

 

 そして、レース前半で注目されるウマ娘がスズカさんだとすれば……。

 後半で注目されるのは、やっぱり彼女だろう。

 

 

 

『2番人気はスペシャルウィーク! あの日に日本の威信を背負って立った彼女が、再びグランプリに殴り込みです。

 競い続けた不死鳥は夢の舞台に上がって不在、彼女は今度こそ栄光のセンターの座を勝ち取れるのか!? ホシノウィルムとの新旧日本総大将対決にも期待が高まりますね!』

『スペシャルウィークは高いスタミナと恐るべき末脚を兼ね備えるウマ娘。2500メートルという距離を考えると、適性の面ではサイレンススズカに優るものがあるでしょうね。その王道の脚質は、この大荒れするレースにおいてどれだけ猛威を振るうのか?』

 

 

 

 スペ先輩は、スズカさんに次ぐ2番人気。

 数多のG1レースに参加しておきながら圧倒的な連対率を誇っていた彼女は、その戦績を以て王道戦法の強さと自身の群を抜いた実力を示している。

 獲ったG1は4つだけど……もしも彼女が別の世代に生まれていれば、その数はもっと増えていただろうと思えるくらいに、彼女は強大だ。

 

 これまでのグランプリレースでは、黄金世代のライバルだったグラスちゃんに阻まれて記録を出せなかったらしいけど……今日は彼女もいない。

 前世アニメでもよく見たスペ先輩のライバル、エルコンドルパサーちゃん、グラスワンダーちゃん、そしてキングヘイローちゃんにツルマルツヨシちゃん。……ツルマルツヨシちゃんは、前世では知らなかったけども。

 彼女たちは既にトゥインクルシリーズを引退し、ドリームトロフィーリーグに進んでるからね。

 

 彼女の栄進を止めていた難敵はもういない。スズカさんの適性のような難点もない。

 故に、今回の有記念において最も「圧勝を期待されている」ウマ娘が、長い時を経て奇跡の復活を果たしたサイレンススズカさんだとすれば……。

 最も「勝つと予測されている」ウマ娘は、スペシャルウィーク先輩になるんだろう。

 

 ……そう。

 スペ先輩は、私以上に勝利を見込まれているんだ。

 

 

 

『そして3番人気はホシノウィルム! 無敗の三冠ウマ娘たる彼女も、このレースの主役の1人です!

 しかし、彼女が3番人気であるという事実がこのレースの異様さを表していますね。まさかこれまでに圧倒的な強さを見せつけ、日本を魅了してきた彼女が、1番人気から外れる日が来るとは……』

『彼女のトレーナーは現在、交通事故で入院中とのこと。現在はサブトレーナーが臨時のトレーナーとして付いています。1番人気を譲ったのには、その辺りの事情もあるのでしょう。

 本調子とはいえない状況かもしれませんが、それでも彼女は灰の龍。不利であろうと、相手が誰であろうと、勝ってくれるのではないか……。そう思わせてくれるものがあります』

 

 

 

 やはりというか、私の人気は落ちてしまった。

 

 手前味噌な話になるけど、これでも私は無敗の三冠ウマ娘だ。

 そんなウマ娘のトレーナーが交通事故で昏睡し、ウマ娘の方も不調の兆しを見せているとなると、話題性としては十二分。

 私や昌さんにそういうのを隠す余裕がなかったってこともあり、噂はかなりの速さで広まってしまった。

 

 ここまでホシノウィルムが無敗を貫けていた理由は、大きく分けて2つ。

 1つは勿論、私の素質。転生ウマ娘としての高いポテンシャル。

 そしてもう1つが、トレーナーの完璧な管理体制。軽い怪我すら許さない、それでいて限界ギリギリまで体を追い込む、徹底的な育成方針とそれ見合うだけの監督能力だ。

 

 「ホシノウィルムの能力はトレーナーにも強く由来する」ってのは、決してマイナーな話じゃない。

 ……というか「トレーナーのおかげで私はここまで来れた」「トレーナーの管理体制は最高」って、私自身が散々に喧伝しちゃってたからね。

 更に、トレーナーもそれに応じる形で、様々な取材を通して、自分の育成方針や方法を世間に詳らかに語ってしまっていた。

 結果として、少なくともトレーナーとしての能力という側面において、彼の評価は途轍もなく高くなっていた。

 

 そんな彼が欠けた状況は、謂わばホシノウィルムの片翼がもげたようなもの。

 共に歩んで来たトレーナーがいない今、ホシノウィルムがどこまでやれるのか……。

 多くの人がそれを不安視、あるいは疑問視しているわけだ。

 

 実際問題、殊更昌さんの仕事に不満があるわけではないけど……何度か、アクシデントとか失敗、すれ違いはあったからね。

 歩さんがいた瞬間に比べれば、この2週間のトレーニング効率が下がっていることは間違いない。

 

 

 

 ……それでも、負けるつもりはないけどね。

 

 昌さんとの連携は不完全だし、トレーニングでの失敗はあった。

 けれど、その根底には歩さんのスケジュールがあったし、昌さんと一緒に、やれるだけやって来たもの。

 そう簡単に、勝利をくれてやる気はない。

 

 昌さんも……確かに歩さんに届かない部分はあったかもしれないけど、すごく頑張ってくれた。

 ライバルたちの調査から私の微細な調整、必要なものの買い出しとか書類の整理に施設の使用許可申請といった基本業務は勿論のこと……。

 支障が出ない範囲でインタビューや取材などの仕事を減らし、私が落ち着いてトレーニングを積むことのできる状況を作ろうとしてくれたんだ。

 それこそ三冠を獲った直後の歩さんもかくやってくらいに、睡眠時間も個人的な時間も全て削って……懸命に、彼の不在が空けた穴を埋めてくれた。

 本当に、感謝してもしきれない。

 

 それに、頑張ってくれたと言えばブルボンちゃんもそうだ。

 あの子は自分のトレーニングをある程度放棄してまで、私のサポートをしてくれた。

 「私も先輩に多くのサポートをしていただきましたから」って、仮想敵として走ったり、色んな雑用を代わってくれたりもしたんだ。

 

「すぅ……ふぅ」

 

 冷えた空気を吸い、吐き出す。

 

 だから……私は。

 

 昌さんの努力、ブルボンちゃんの期待を背負って。

 有記念を走り。

 ……彼を、信じる。

 

 私は私に、私なりに……転生ウマ娘として、できることをするんだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ウィル」

 

 背後から、少しおどけたような、聞き慣れた声が届く。

 振り返らずともわかる。その主は……。

 

「ネイチャ」

「よ」

 

 私が振り返った先で軽く片手を上げたのは、なんだか久々に会ったような気がする、私のライバル。

 シンプルでシックな勝負服に身を包んだ、ナイスネイチャだった。

 

 彼女はぷらぷらと手を振りながら、私の元にまで歩いて来る。

 

「何、地下バ道なんかで立ち止まって。アンタらしくもなく緊張してるの?」

「む……緊張してはいけませんか?」

「いけなくはないけどさ。でも、アンタらしくはないんじゃない?

 いつも『勝つのは私ですし』みたいな顔をしてるのが、アタシの知ってるホシノウィルムだし」

「この有記念を前にそんな顔をしてたら、その子は余程呑気なんでしょうね」

 

 ネイチャの軽口に、思わず苦笑する。

 

 私、これまでそんな顔してたかなぁ。

 初期の無謀な自信を持っていた頃ならともかく、少なくとも宝塚記念あたりからは、1回1回しっかり気合を入れて臨んでたと思うんだけど。

 

 ちょっと心外なことを言ったネイチャは、コツコツと蹄鉄の音を響かせながら、ターフへと歩いて……。

 けれど、私の横で、足を止めた。

 

「……行かないんですか?」

「アンタが緊張するレースで、アタシが緊張しないわけないでしょうに」

「その割には、震えたりとかしてませんけど」

「そりゃこの時のために頑張ってきたんだもん。今更震えてなんていられないっしょ」

「矛盾してるような、あるいは覚悟が決まったような……複雑な状態ですね」

「ウィルは初めて知ったかもしれないけど、レース前のウマ娘って、普通はそんなもんだからねぇ。

 レースにすっごい緊張しながらも、それでも今までの努力を信じて自分を奮い立てるものなんですよ」

 

 やれやれと、ネイチャは肩をすくめる。

 

 ……そうか。みんなこんな状態なのか。

 そりゃ、なんというか……すごいな。

 

 今までのレース、私はずっと自信を持って走れた。

 初期の頃は、恥ずかしながら井の中の蛙で、レースには勝って当然だと思ってたし……。

 それが抜けた辺りからは、信頼するトレーナーがいたから、彼を信じて走れば間違いはないって思えた。

 

 けれど、あるいはだからか。

 彼がいなくなると……一気に不安になる。

 

 今日のレース、大丈夫かな。

 作戦は間違ってないか。脚の調子は悪くないか。見落としたことはないか。そもそも私は勝てるのか。

 それがすごく不安になって、何度も何度も繰り返し考えてしまう。

 そんな状態を、すごく大雑把にまとめれば……やっぱり「緊張してる」ってことになるんだろうな。

 

 ……でも、まぁ。

 これはこれで悪くないかな。

 

「緊張というのも、悪いものじゃありませんね。このドキドキ感、クセになりそうです」

「うへ……なんというか、すごいわ。こんな状況だし、ちょっとは動揺してるかもと思って声かけたけど……むしろ気合十分って感じ?」

「お気遣いありがとうございます。でも、私は大丈夫。今はしっかり集中できてますよ」

「……まったく、テイオーもウィルも、みんな勝手に立ち上がってんだから。やっぱ主人公は違うね」

「テイオー?」

「この前、ちょっとね。心配しなくとも、今はテイオーもしっかり集中できてるよ」

 

 「さて……」、と。

 ネイチャは、私に先んじて1歩前に踏み出す。

 

「……そろそろ行こうよ、ウィル。

 もしかしたら敵わないかもしれない、もしかしたら勝てないかもしれない……誰も予想ができない、アタシたちのレースに」

「ええ。……まぁ、私が勝ちますが」

「ふんっ、今度こそアタシが勝つっての!」

 

 そんな風に軽口を叩きながら、私たちは……。

 ターフの上へと、足を踏み出した。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『本日の出走ウマ娘たちが続々とターフに現れます。

 三星の一角、菊花賞2着のナイスネイチャ。そして無敗の三冠ウマ娘、ホシノウィルム!

 2人共、まさに意気軒昂といった様子ですね』

『パドックでも確認しましたが、両者その仕上がりは万全と言えるでしょう。果たして星の世代は、その強さを証明することができるか?』

 

 

 

 聞こえてくる言葉に、思わず苦笑しかける。

 

 ……どうだろうな。

 今回は環境が環境だ、私もネイチャも、本領を発揮できるとは限らない。

 

 まず私に関しては、やはりライバルに2人も大逃げウマ娘がいるのが相当に大きい。

 特に、師匠はさておくとしても、やはりスズカさんにはスペックで勝てないからね。

 先頭にいる限りスタミナが無限大で、終盤に入って領域を開けば完全に無敵と化すスズカさんを超えるには、かなりとんでもない労力を要する。

 

 なんなら、そこまでを1つのレースとして区切って欲しいくらいだ。

 いやそれはそれで距離が短くなって、スズカさんに有利な状況になってしまうんだけども……。

 「対スズカさん」だけなら、今回のような長距離の方が有利なのは確かだ。でも、その後後続のウマ娘たちから逃げ切らなければならないと考えると……この距離の長さがネックになってくると思う。

 

 そしてネイチャにとっても、今回の有記念は熾烈なレースになるだろう……というのが、私と昌さんの立てた予測だった。

 

 レースメーカーであるネイチャは、これまで常にレースの展開を手中に収めて来た。

 徹底的なライバルの動きの予測と作戦立案、本番前に散りばめた布石と心理誘導によって、自分の好きなようにその流れを作り上げて来たんだ。

 

 ……でも、今回も同じように事を進められるかはわからない。

 なにせ、同じくレースメーカーであるスカイ先輩がいる。レース勘も経験値も勝り、更に言えば素質も能力も高いであろうスカイ先輩がいる以上、ネイチャは相当にやり辛くなると思う。

 

 とはいえ、スカイ先輩も本領が出せるとは言えない。今回は私やスズカさんがいる以上、スカイ先輩の領域が実質的に封印されるんだ。

 それならいっそのこと、努めて無視して事を進めるのが一番マシかもしれないけど……。

 

 しかし、スカイ先輩を棚上げしたとしても、今回は彼女の策を正面から食い破り越えかねないウマ娘が多すぎる。

 スペ先輩とかマックイーン先輩に対してネイチャがどう出るのか、個人的にはすごく気になるところだ。多分私の耳には入ってこない攻防になるだろうけど。

 

 総じて、今回のレース……有記念は、今までとは格が違うものになる。

 果たして、私とネイチャの策が、走りが、どこまで通用するのか……。

 それは、実際に走ってみないことにはわからないだろう。

 

 

 

 ターフに上がった私はネイチャと別れて、ターフの周遊とストレッチに入る。

 

 勿論、ここまでの時間で体は伸ばして来たし、既に走り出せるだけの状態は整っている。

 けれど、こうして軽く周遊することで、その時々のターフの状態を感覚的に知ることができるし、精神をレースに集中させることもできる。

 

 ……それに何より、準備にやりすぎるってことはないからね。

 レース中に事故なんて起こさないよう、徹底的に体の調子を整えなきゃ。

 

 

 

『本日のレース、有記念。開催される中山レース場は雲1つない快晴に照らされています。

 バ場状態は良バ場、ターフの状態も良好。名勝負の舞台は整い、役者は揃いましたね』

 

 

 

 芝の状態は悪くない。というか……これまでにないくらいに良い。

 脚を下ろせば、しっかりと感触が返って来る。軽すぎず、けれど重すぎない、気持ちの良い反発だ。

 うん、これ以上なく走りやすい状態と言えるだろう。

 

 一方で、私の脚は……良い状態、だと思う。

 歩さんがいないから断言はできないけど、完璧とまでは言えないとしても、非常に良好なコンディションであるはずだ。

 

 というか、完璧なんてものはそうそう起こり得ないハズなんだ。

 あくまでも歩さんの管理能力が高かったからそういう状態になってただけで、本来はこの「多分大丈夫」っていうのが万全の状態なんだろう。

 

 そう。私は今、万全の状態にある。

 

 ただ、問題があるとすれば……。

 私が万全の状態だとしても、今回のレースは勝てるか怪しいってところで。

 

 

 

『さぁ、本日の主役が登場です。

 日本最強とも名高い彼女が、多くの夢を背負って2年ぶりに中山レース場に現れました!

 あの日の惜敗を越えて、今度こそ! 本日の2番人気、スペシャルウィーク!』

 

 

 

 わっと、観客が一際盛り上がる。

 そんな大歓声を受けて、地下バ道から進み出て来たのは……。

 私にとっては見慣れた、1人のウマ娘。

 

「スペシャルウィーク先輩……」

 

 今、誰よりも期待され、勝利を予期されるウマ娘。

 彼女は堂々と、しかし気負いする様子もなく、強者の風格を負い、ターフの上に歩み出て……。

 

 

 

 私を見つけると、その鋭く尖っていた相好を崩し、ぶんぶんと手を振って来た。

 そして、駆け足で近寄って来ようとして……。

 

「ウィルムちゃーっ、うえっ、へぶっ!」

 

 思い切り、ずこーっと転んだ。

 

 

 

「……えぇ?」

 

 まるでギャグ漫画みたいにずさーっとターフの上を滑ってきた先輩は、私の前でようやく止まって……まるで何事もなかったかのように、ばっと顔を上げる。

 

「こんにちは、ウィルムちゃん!」

「あ、はい。……先輩、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫! へへ、慣れっこだからね」

「慣れっこ……。なんというか、不良バ場じゃなくて良かったですね」

「うん! へへ……」

 

 ちょっと照れくさそうに笑い、スペ先輩は立ち上がる。

 

 ……確かに、スペ先輩は前世アニメにおいて、ドジっ子の気があった。

 こう、レースでゴールの位置を間違えたり、割と大事な局面で転んでしまったりする、どことなく垢抜けない純朴な感じが。

 しかしまさか、こういう時にまでそれを発揮してしまうとは……。

 

 意外と思うべきか、やっぱりと思うべきか。

 やっぱりスペ先輩は、前世でモニタを通して見た「スペちゃん」の、延長線上にいる存在なんだろう。

 

 それが何となく嬉しくて、思わず苦笑してしまう私に対して……。

 先輩は、安心したように微笑んだ。

 

「……うん、良い表情。もう大丈夫そうだね」

「はい。あの日は、その、お世話になりました」

「私は何もしてないよ。ウィルムちゃん、やっぱり私よりずっと強い子だね」

「そんなことないです。……今落ち着いてるのも、スペ先輩と、サブトレーナーさんと後輩の子、それにライバルのウマ娘。みんなに支えられてる結果ですから」

「そっか」

 

 スペ先輩はニコリと、穏やかに笑って……。

 

「良かった。これで、悔いのないレースができるね。私も、ウィルムちゃんも」

 

 そう、言ったのだった。

 

 

 

 アニメの内容を振り返れば、はっきりとわかるけど……。

 スペ先輩は、極めて「ウマ娘らしい」ウマ娘だと思う。

 

 走ることを楽しみ、競うことを楽しみ、レースを楽しむ。

 自分の願いのために他者の願いを踏み越え、たった1つの頂を目指す。

 極めてエゴイスティックな……あるいはアスリートとしてこの上なく誠実な、精神的な在り様。

 

 それが、この世界にいるウマ娘の本質。

 そして、スペシャルウィーク先輩の根底だ。

 

 しかし同時、彼女は心優しい少女でもある。

 だから、せっかく走るなら互いに絶好調で走り、全力を尽くし合って、その上で勝ちたい……と。

 そう、望んでくれるんだ。

 

 だからあの日、彼女は私のことを元気づけてくれようとしたし……。

 今までも、すごく気にかけてくれてたんだろう。

 

 慈悲というには利己的すぎて、憐憫というには熱すぎる想い。

 それが、今の私には、ありがたかった。

 

 

 

「色々とありました。世界に、運命に裏切られたような気もしました。苦しかったり辛かったり悩んだりもしましたし、自己嫌悪にも陥りました。

 ……けど、結局は先輩の言う通りです。

 私たちウマ娘にできるのは、背負うこと、走ること、信じることくらいで……天命を待つ前に、やはりできることはしないといけないと、そう思いました」

 

 私は先輩に、自身の想いを吐き出す。

 

 「できないことでウジウジ悩む前に、できることを1つずつ片付けて行こう」と……。

 そんな単純な結論に行き着くのに、本当に長い時間がかかってしまった。

 

 でも……今思えば、悪くない経験だったと思う。

 多くのことを考えて、多くのことに悩み、その結果多くのことを学べた。

 きっと、トレーナーに依存してばかりではできなかった成長を、私はすることができたと思う。

 

 だから……。

 

「だから、全力で行きます、先輩。今日は良いレースにしましょう」

「!」

 

 全力を尽くして、それを返礼としよう。

 最高のレースを。全力の競り合いを以て……私は、この学びをくれたスペ先輩へのお礼とする。

 

「うん! お互い頑張ろう!」

 

 そう言って、スペ先輩はにっこりと満面の笑顔を見せて、握手してくれたのだった。

 

 

 

 その後、スズカさんがターフに現れると、スペ先輩は彼女の方に飛んで行ってしまった。

 先輩の語っていた通り、やっぱりこの世界でも、彼女たちは相当に仲良しらしい。

 

 ……この有記念は、2人にとってのラストラン。

 トゥインクルシリーズでぶつかることのできる、最初で最後のレースでもある。

 「一緒のレースを走る」っていう約束を果たせる、最初で最後の、特別な機会。

 だからこそ今、2人は……しっかりと握手し合い、健闘を誓いあっていた。

 

 ……いや、この有記念が特別なのは、何も2人に限った話じゃないのか。

 ふと見れば、色んなところで、色んなドラマが起こっている。

 

 ネイチャがテイオーに、「若駒ステークスでは負けたけど、今度はアタシが勝つから!」って宣言していたり。

 そこにターボ師匠が「ターボも負けないからなーっ!」って殴り込んでいたり。

 マックイーン先輩がスカイ先輩に「天皇賞の雪辱は果たさせていただきますわ」って宣戦布告したり。

 ミーク先輩が、スペ先輩やスカイ先輩に「今日勝つのは私です。ぶい」といつも通りの無表情で言っていたり……。

 

 私の関わって来たウマ娘たちが、皆、それぞれの物語を書き記していく。

 

 ……ある意味で、ウマ娘にとって「特別なレース」なんてものはないのかもしれないね。

 だって、彼女たちにとって……。

 いや、私たちにとって。

 これから走る全てのレースが、人生で1度きりの大事なレースなんだから。

 

「……私も、行くか」

 

 ひとまず、ネイチャとテイオーの前で勝利宣言と行こう。

 

 私だって、この世界を生きるウマ娘だもの。

 目の前のレースを楽しまないとね。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『さぁ、ウマ娘たちが続々とゲートインしていきます。

 一般的に外枠が不利と言われる有記念、今回の枠番はどうでしょう?』

『注目の1番人気サイレンススズカは8枠15番、2番人気スペシャルウィークは1枠2番、そして3番人気ホシノウィルムは4枠7番。

 単純なスタート位置で見ると、サイレンススズカが不利と言えるかもしれません。しかし、彼女はあの異次元の逃亡者、サイレンススズカです。果たして常識が通用する相手なのでしょうか』

 

 

 

 ゲートの中でまぶたを閉じ、状況を整理する。

 

 ……枠番は、悪くない。

 4枠は統計的に言って、もっとも勝率の高い枠だ。ウマ番で見ても、最高とまでは言えないまでも高い勝率を持つポジションと言える。

 

 一方で、スペ先輩やスズカさんの位置は……微妙なところ。

 特に、序盤にリードを稼ぐべき大逃げウマ娘であるスズカさんにとって、大外枠であるという事実はかなり重く響くだろう。

 何せこのレースは有記念、最初からコーナーに入ることになる。飛ばせば飛ばす程に、彼女は遠心力に振り回されて外に逸れてしまう。

 

「…………良し」

 

 運は、私の味方をしてくれている。

 あとは、私自身の力で……勝つだけだ。

 

 

 

『さぁ、全ウマ娘のゲートインが完了。出走の準備が完了しました』

 

 

 

 息を吸って、吐き……精神を、集中。

 レースが始まる気配に、思考が凍り付いていく。

 

 作戦は十全。

 準備は万端。

 対策は……不完全だけど、どうにかするしかない。

 

「行くぞ」

 

 

 

 ……今。

 最初で最後の、有記念が始まる。

 

 

 

 

 

 

『……スタートしました!』

 

 

 







 次回は2日後。ホシノウィルム視点で、有記念中編。



(追記)
 誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ありがとうございました!
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