『……スタートしました!』
ガタンという音と共に、私も含め、ゲートの中にいた全てのウマ娘が駆け出す。
流石は有馬記念と言うべきか、大きく出遅れた子なんて1人もいない。
その中でも、上手くスタートを決めたのは……。
私……ではなく。
サイレンススズカさんだった。
「っ!」
覚悟はしていた。
ジャパンカップ直後の作戦会議で、トレーナーから「サイレンススズカは君以上のスタートを決めてくるだろう」と言われていたから。
……けれど、実際に目にすると、やはり衝撃があるな。
まさか大外枠から、当然のように先頭を掻っ攫ってくるとは。
私はこれまで、ただ1度として、スタートの時点で負けたことはなかった。
というのも、歩さんと契約した後、しばらくの間はひたすらにスタートの練習をさせられたからだ。
逃げウマ娘はバ群に呑まれない関係上、他のウマ娘との読み合いや、バ群から抜け出すための状況作りといったものが発生しない。
しかしその分、誰よりも早く、そしてずっと先頭に立ち続けるために、他の脚質とは違ったものが求められるんだ。
それは、時にレースをハイペースで走り切るだけのスタミナであり、時に他のウマ娘に迫られても負けないだけの心の強さであり……。
そして、時に最初からハナを切るための、スタートダッシュでもある。
堀野家の長い歴史から読み取ったのか、歩さんはそれをよく知っていた。
しかし、そんな彼とは違って……トレセンに来た直後の私は、自身の基本的なスペックに依存した走りしかしてなかったんだ。
出遅れようが掛かろうが、歩さん曰く「唯一無二の」スペックに頼って、全てを捻じ伏せて来た。
……いやまぁ、そんな技術も何もない走りをしていた結果、最初の模擬レースではものの見事に負けてしまったわけだけど。
そんな不格好な走りを見ていたから、というのもあるだろうけど……。
私と契約し、逃げに転向させた後、歩さんがまず掲げたのが「スタート技術の改善」だった。
ひたすらに集中力を高め、レースが始まった瞬間、他のウマ娘よりもコンマ1秒でも早く駆けだす。
本番で確実にこなせるよう、私はそれを何度も何度も、正直ちょっと嫌になるくらいに繰り返し練習し続けた。
あの時に培われた経験は、今でもしっかりと活きている。
「寒い」モードによる集中力もあり、私はこれまでのレースで1度もスタートで負けたことがなかったんだ。
けれど。
今、スズカさんは、私を超えるスタートを切った。
……横目に捉えていた体感だと、私たちはほぼ完全に同じタイミングで駆け出したはずだ。
集中力は同格。私もスズカさんも、考えられる限り最高の走り出しだったと思う。
それなのに、スタートから間もない今、既に差が付いてしまっているのは……。
やっぱり、地力の差か。
当然の話だけど、集中力さえあれば誰しも良いスタートが切れるわけではない。
前へと駆け出すための脚力……トレーナーの言い方であれば、「加速力」が肝要になってくるんだ。
私たちウマ娘はレースの初め、完全に静止しているゼロの状態から、自分の目指すべきペースにまで加速しなきゃいけない。
そして当然のことながら、その加速が速ければ速い程に、ウマ娘はより前に出る。
「サイレンススズカは長距離に適性がなく、最適な速度の出し方がわからないだろう」って、トレーナーは言っていた。
だから、このレースにおけるスズカさんの最高速度は、本来のスペックから劣化してしまうだろうと。
……けれど、その加速力までも鈍るわけではない。
サイレンススズカは、ホシノウィルムを優に超える加速力を持っている。
更に言えば、その最高速度に関しても、劣化した上でようやく私と同格程度だろう。
つまり、結論はただ1つ。
私の脚では、彼女に追いつくことはできない、ってことだ。
『18人のウマ娘が綺麗なスタートを切りました!
さぁ大逃げウマ娘サイレンススズカが行くのか、栗毛と緑の勝負服がバ群から出てきます。やはりハナを切るのはサイレンススズカか!』
『後ろに付いたのはホシノウィルム、次いでツインターボという形か。ぐいぐいとバ群を引き離す3人に少し遅れる形でダイタクヘリオスが続く、予測されたことではありますが途轍もないハイペースでレースが始まりました!』
……でも。
それは、予想通りの展開でしかない。
純粋なスペック勝負になれば、私に勝ち目なんてものはない。そんなの最初からわかっていたさ。
私はこれでも、かなり高い身体能力を誇っている自負がある。
同期のトップレベルであるテイオーやネイチャにも、スペックの押し付けで勝てるくらいなんだ。
おおよそ世代間で比べれば、このスペックは突出していると思っていいだろう。
でも、スズカさんには勝てない。
トレーナーの分析によると、勝っているのはスタミナと戦術眼くらいで、前者はスズカさんの特殊性から考えて不必要なものだし、後者もスペックでゴリ押すタイプのスズカさんには必要性が薄い。
つまり……彼女が勝負に用いる身体能力において、私は何1つスズカさんに勝てていない。
それだけ、サイレンススズカというウマ娘は飛び抜けているんだ。
……しかし、それを覆すためにあるのが、作戦。
歩さんが骨子を組み立て、私と昌さんで肉付けしてきた、競走ウマ娘ホシノウィルムの作戦だ。
ここから先、どうすればいいか。
それを頭に思い浮かべながら、私はあの日に聞いた話を思い出す。
* * *
大逃げに転向して以来、サイレンススズカは他者に負けたことがない。
これまでの4年間で敗北を喫したのはただ1度、彼女のシニア級1年目、天皇賞(秋)の時のみ。
それにしても、彼女が負けたのは自分自身の限界に、だ。
決して、他のウマ娘に捕まったわけじゃない。
大逃げを取るサイレンススズカは、原則として敗北することがない。
その強さの最大の理由は……やはり、彼女の埒外のスタミナだ。
サイレンススズカは、垂れない。
どれだけのハイペースで走ろうと足を緩めることなく、むしろ加速し続ける。
土台、ウマ娘が先行とか差しなんて作戦を分けるのは、脚質の適性……つまり、それぞれの体に適したペース配分があるからだ。
最初にハイペースを出して、そこで稼いだリードでローペースに落ちた後も逃げ切る、とか。
あるいは最初はローペースで走り、最後にハイペースで一気に追い込む、とか。
ウマ娘のレースにおいては、そういった全体を通したスタミナ配分が非常に重要になってくる。
……けれど。
サイレンススズカの無尽蔵のスタミナは、その常識を完膚なきまでに破壊する。
最初から最後まで、誰も追いつけないハイペースで走る。
それは酷く夢想的な、言ってしまえば「ぼくのかんがえたさいきょうのはしり」みたいなものだ。
それができれば最初から苦労はしない、非現実的な……まさしく、叶わないはずの夢のような走り。
しかし彼女は、彼女だけはそれを可能とする。
あの日、トレーナーはスズカさんをこう評した。
『理屈はわからないけど、前に誰もいなければ、彼女は垂れずに加速し続ける。そして加速し続けるからこそ、彼女よりも前に出ることは難しい。
更に終盤、他のウマ娘がいよいよ加速する頃になると、彼女は領域を開いて更に加速するからね。
どうやっても倒せない。倒せる未来が見えない。だからこそ、彼女は『異次元』って呼ばれてたんだ』
彼女にとっての勝利条件はただ1つ、「常に自分が先頭に立っていること」。
それを満たす限り、彼女のスタミナは無限だ。どれだけハイペースで走ろうと、それでもなお加速し続けることができる。
この異次元の逃亡を止めるためには、彼女よりも前に出なければいけない。
……だが、無限に加速し続けるということは即ち、彼女よりも最高速度か加速力が優っていなければ追い抜けないという意味でもある。
そして、スズカさんの最高速度と加速力は、両者共に途轍もない高さを誇っているんだ。……それこそ、あのスペ先輩ですら超えられない程に。
地力か、あるいは一時的な爆発力によってその背を越えなければ、サイレンススズカは止められない。
けれど、彼女の持つ暴力的なまでの身体能力と逃走の技術が、それを許さない。
だからこそ、『異次元』。
土台、並みのウマ娘とは次元が違う。まともに勝負することすら許されない。
それが、異次元の逃亡者、サイレンススズカだ。
* * *
『注目のスペシャルウィークは現在11番手、バ群の中、メジロマックイーンのやや後方からレースを見ています。
同じく黄金世代ハッピーミークはやや前めから積極的に行く姿勢か。復活したトウカイテイオーと並び先行集団外目で追走』
『予想通り、大逃げウマ娘3人がペースを作る形で第三コーナーを曲がっていきます。先頭からサイレンススズカ、食い下がるツインターボ、そしてそこから1バ身程離れてホシノウィルム、更に3、4バ身程空いたところにダイタクヘリオス』
有馬記念というレースにおける大きな特徴の1つが、最初のコーナーだろう。
多くのレースは、それが長かったり短かったりはするけど、とにかく直線から始まる。
少なくとも、私が今まで走ったレースは全てがそうだった。
けれど、有馬記念は2500メートルという距離の都合上、外回りの緩い曲線、第三第四コーナーに続くところから始まる。
つまりは、レースが始まってすぐ、コーナーに入るってことだ。
そして、コーナーの中でスピードを出そうとすれば、どうしたって遠心力に邪魔される。
進む力が外に逃げてしまって、どうしても無駄が発生してしまう。
だから……まだだ。
まだ、その時じゃない。
私は努めて冷静に、目の前を走る2人の大逃げウマ娘を観察する。
サイレンススズカ、そしてツインターボ。
私の前にいる2人の走りは、良くも悪くもワンパターンだ。
最初から全力疾走、大きくリードを広げない限り息も入れずに、ただひたすらに逃げ続ける。
だからこそ、この2人がぶつかった時に起こることなんか、誰にだって想像できる。
そう。……壮絶な、叩き合いだ。
ツインターボが前に出ようとして、追いつかれまいとサイレンススズカが加速する。
加速したサイレンススズカを見て、ツインターボが更にエンジンに火を入れる。
レース全体で割り振るスタミナとか、今がコーナーの中だとか、そんなことは何一つ考えていないだろう、まるで子供のかけっこのような全力疾走。
問題は、それがG1という、国内最高峰のレースで行われることで。
「…………、っ」
『ぐんぐんバ群との差が開きます、先頭3人はもはや異次元の戦い! 400メートル通過する前から、既に8バ身以上の開きがあります!』
『殺人的……いえ、もはや殺戮的と言っていいペースです! いくら逃亡者や龍とはいえ、こんな速さで2500メートルの間走り続けられるのか!?』
……正直、なかなか厳しい。
彼女たちの後ろに付いて風を避けながらでも、このスピードで走り続けるのは堪える。
2500メートルは……うん、持たないだろう。
勿論、ただ付いて行っているだけの私に比べて、前で直接競り合ってる2人は更に消耗するはずだ。
レース全体の展開を考えない、スタミナの分配なんて度外視した戦い。こんなもの、意地の張り合いにも等しい。
特に、先頭にいる限りは無尽蔵のスタミナを持つスズカさんはともかく、ターボ師匠にとっては途轍もない疲労なはずだ。
それこそ……。
走り始めてからたったの400メートル強で、既に足取りが怪しくなりつつある程に。
ツインターボに、控えるなんて言葉はない。
先頭を取り、大きくリードを広げ切るまで、彼女はどこまでも走り続ける。
けれど……異次元の逃亡者がいる今回のレースにおいて、彼女はまず先頭を取れない。
だから……恐らく、その限界は500メートル。
おおよそこの第四コーナーが終わる辺りまでだろうというのが、私と昌さんの予想だった。
ターボ師匠のスタミナは、そこで尽きる。
そこからは、スズカさんに付いて行くこともできず、垂れるだけだろう。
その瞬間が、私にとっての勝負処。唯一サイレンススズカを追い抜くチャンスだ。
だからそれまで、私は不用意にスタミナを使わない。
菊花賞でのネイチャのように、ライバルの後ろに付いて風を避け、極力脚を残しながらサイレンススズカに追従する。
それが昌さんと考案した、最も適切な対策。
そして、ツインターボの足音からして……それは正しいものだと思えた。
彼女はもう限界だ。恐らく直線に入るや否や、垂れてしまうだろう、と。
……けれど。
事態は、そう上手くは動かない。
『さぁ正面スタンド前にやってくる3人、やはり先頭は変わらずサイレンススズカ、けれどツインターボも食い下がり続けている! あの異次元を相手に、2つのエンジンはなおも健在だ!!』
……垂れない。
ツインターボが、垂れない。
既に500メートルは通り過ぎた。コーナーが終わり直線に入った。
彼女の足取りは既に乱れ、急激すぎるスタミナの消耗で力尽きそうなのは明白だ。
それなのに……。
彼女は、まだ、諦めない。
強すぎる精神力。空元気。あるいは根性。
それだけを頼りに、彼女は懸命に、逃亡者を追い続ける。
「まだ、まだぁ……! ターボ、エンジン、全開ッ……!」
……そうだ。
色々あって、忘れてたよ。
そういえば、彼女はそういうウマ娘だった。
ツインターボは、諦めない。
その心は愚直な程に真っすぐで、前向きで……苦痛や苦難を前に折れることは、決してない。
そんな彼女だからこそ、1人の主人公に、不屈を教えることができた。
あの世界のトウカイテイオーを、もう1度立ち上がらせることができたんだ。
彼女は決して、絶対に、何があっても、諦めない。
その脚が前に動く限り、止まる理由はないと言わんばかりに、走り続ける。
それが、ツインターボという……この世界を生きる、1人のウマ娘。
……しかし、勿論それも、永遠のものではなく。
『直線半ば、ツインターボ減速! やはり異次元、並みのウマ娘には付いて行くことすら許さない!』
ぐらりと、ターボの足取りが大きく乱れる。
それを契機に、サイレンススズカは一気に彼女を突き放した。
彼我の差は一瞬で、残酷な程に開く。
この時点でスタミナを枯らしてしまったターボ師匠に、レースでの勝機はないだろう。
……けれど。
その背を追い越す一瞬、見えた彼女の顔は……。
「それでも」と、前を目指していた。
「……ふ」
ターボの残り火が、私の心を焼く。
……ここからは、私の時間だ。
大前提として……。
ホシノウィルムは、サイレンススズカには勝てない。
レース勘、身体能力、そして技術。
その全てにおいて、私はスズカさんに負けている。
まだ中央で走り始めて2年しか経過していない私に対して、スズカさんは実に6年だ。
それだけの時間をかけて磨かれた宝石は、粗削りな私とは比べ物にならないくらいに美しく輝く。
私の最高速度はスズカさんとほぼ同じ程度、加速力においては負けているはずだ。
机上の空論にはなるけど、どこまで駆けたとしても、スズカさんを越えることはできない。
それどころか、無限に湧き出るスタミナで、私の方が潰されるというのがオチだろう。
技術を以てしても同じこと。
歴戦のウマ娘である彼女の持つ技術が、私のそれを下回るはずがない。
同じだけの技術を以て一時的な速度を得られれば、どうしたって私は追いつくことはできないだろう。
地力でも、技術でも勝てないとなれば……どうしようもない。
ホシノウィルムの脚では、サイレンススズカには追い付けないんだ。
……勿論。
尋常な手段では、という但し書きが付くが。
私は一瞬、まぶたを閉じて……。
カチリと。
脳の奥にあるスイッチを、押す。
瞬間、流れていく世界が、ゆっくりと鈍化した。
* * *
あの日のことを思い出す。
まだ歩さんが健在で、私と彼と、それから昌さんとブルボンちゃんの4人で、これからのレースの作戦会議をした日のことを。
あの日、私はトレーナーが語ったスズカさんの特性、そのあまりのチートっぷりに呆れ、思わず呟いた。
「……それ、どうにかなるんですか?」
それに対して、歩さんは……。
「どうにかするよ。俺は君のトレーナーだから」
その言葉を皮切りに、立てた作戦を話し始めた。
「……まず第一に確認するけど、ホシノウィルム。
君の思考力増加能力……それはサイレンススズカの無限に続くスタミナと同じのような、少しばかり特殊な能力であり、領域とは別の力だという認識だけど、それは正しいか?」
トレーナーの言葉に、私は頷いた。
私は担当ウマ娘で、彼は契約トレーナー。
である以上、私は自分の能力について、彼に隠さず報告する必要があった。
特に私のトレーナーは、データを非常に重視する人だ。私の特殊な能力についても、知っておいた方が作戦に組み込めるかもしれない。
なので、「アニメ転生」についても報告しておいたんだけど……。
そんな名前を直接言うことはできない。
それは、私が転生者だっていう事実に、ほとんど直接的に繋がっているからだ。
とはいえ、歩さんなら多分、私が前世の記憶を持ってるって知っても、受け入れてくれるだろう。
でも、なんというか、ちょっとこう……。
……いや、結局、私は躊躇しているんだろうな。
まず間違いなく大丈夫だと思っても、もしもを考えて二の足を踏んでしまう。関係性の崩壊を恐れ、言い出すべきではないと思ってしまう。
何せ……私の前世の記憶は、私の家族と幼少の頃の人間関係を崩壊させた遠因だからね。少しばかり躊躇もしてしまうというものだ。
閑話休題。
とにかく、私は「アニメ転生」について、名前やその発祥は避けながらも、その内容を既にトレーナーに共有していた。
「君が自由にオンのスイッチを入れることができ、そこから30秒間程、思考力が大幅に増加する。
その間であれば、君は……『天星スパート』だったか。前傾姿勢での、低負担かつ超効率のスパートを切ることができる、という認識で間違っていない?」
「間違いありません」
私が再び肯定すると、トレーナーは1つ頷いて、言った。
「うん、ではその札を、サイレンススズカとの戦いで切ろう」
……正直なところ、私は使用者本人でありながら、その発想を持っていなかった。
本来ウマ娘にとって、スパートすべきタイミングは終盤だ。それは大逃げウマ娘である私にとっても例外じゃない。
スタミナが尽きかけ、他のウマ娘に迫られかける第四コーナーから最終直線は、非常に重要な局面。
だからこそ領域と併せて、脚への負担を軽減し、実質的にスタミナという限界を取り払える「アニメ転生」を使い、いわゆる「大逃げして追い込む」戦術を取っていた。
けれど……「アニメ転生」は領域と違って、使用するタイミングを限られるものじゃない。
やろうとすれば序盤でも中盤でも終盤でも使えるんだ。
制限はただ1つで、1度のレースにつき30秒前後しかもたないってことだけ。
それ以上使い続ければ情報量の過多に酔って走るどころじゃなくなるし、もう1回30秒間使うためには2時間くらい休む必要があることを私は割り出している。
けれど逆に言えば、その制限さえ守れば、どのタイミングでも使えるわけだ。
考えてみれば、この「いつでも使える」というのは、非常に高い利便性を持っている。
スズカさんや私を含めた多くのウマ娘の領域が終盤まで使えない。
中盤までにこれを使うことで、私は他のウマ娘に対して1歩有利を握れることになる。
「サイレンススズカは、強い。それこそ、真正面からでは君でも勝てない可能性が高いくらいに。
……しかし、それは彼女の『先頭にいる限りスタミナが続く』という特殊な能力による強さだ。
であれば君も、自分の持つ強みを使うのも、何もズルということはあるまい」
トレーナーはそう言い、小さくニヤリと笑った。
* * *
「アニメ転生」を使うなら、今だ。
ターボが垂れた瞬間。
スズカさんが、ずっと自分に付いて来ていたウマ娘がいなくなったことを認識し、ほんの少しでも気を緩めた瞬間。
今、この瞬間しか、ない。
天星スパート……開始!
『ツインターボと入れ替わるようにホシノウィルムが前に出た!
まさしく猛追、龍の本領を発揮する全身全霊の前傾姿勢!!』
いつもの私じゃ、スズカさんには勝てない。
経験の差、地力の差、技術の差。そのどれも、彼女に比べて致命的な程に劣っている。
……なら、チートの1つや2つ、使ってやる。
私が持って生まれた、そして自ら封じてしまっていた、特殊な能力。
サイレンススズカの能力が「先頭にいる限りスタミナが無限に続く」ことだとすれば、ホシノウィルムのそれは「一時的な思考力の増加」。
それに伴って、スズカさんが「自分の全力を半永続的に出し続けられる」んだとすれば……。
私は、「30秒だけ自分の限界を超えられる」んだから。
私はこれで……
緩やかに進む世界の中、研ぎ澄まされた五感を通して、世界を知る。
今いるレーンの状態。内ラチとの距離。スズカさんの足並み、後続のウマ娘たちの気配。
どこに足を踏み出せばいいか、どう体を動かせばいいか、これからのレースの展開、私の残ったスタミナと、出すことができる限界速度。
それらを頭の中でパズルのように組み上げ、普段の私には到底不可能な、完璧すぎる走りを捻出。
……行ける。
ここで、スズカさんに、勝つ!!
「はぁぁぁあああッ!!」
「っ、やぁぁあああ!!」
『第一コーナーに突入し、早くもレース終盤かと見紛うような壮絶な叩き合い!
未だレースは中盤だというのにここまで熱い展開になると、果たして誰が予想したでしょうか!?
ほんの一瞬目を離せば決してしまうかもしれない、長い長い先行争い! その終着点、先頭を掴み取るのはどちらだ!?』
「……ぐッ」
速い。
サイレンススズカは、速い。
いざ競ってみれば、そんな当然のことを、今更ながらに痛感する。
天星スパートという、おおよそウマ娘として埒外の走りをして……それでもなお、スズカさんは簡単には追い抜けない。
菊花賞の時のように、万が一に備えて力を温存しているわけじゃない。
ジャパンカップの時のように、強力な領域を展開されているわけじゃない。
それなのに、彼女はなお、私の前にいる。
……私の「アニメ転生」、そして天星スパートの制限時間は、30秒。
距離にすれば、おおよそ3ハロン……600メートルだ。
本来は直線に入ってすぐに使うはずだったそれは、しかしターボの健闘によって、正面の直線半ばでの開始になってしまった。
恐らくタイムリミットは、第二コーナーの中でのことになるだろう。
そこまでにスズカさんを抜き去り、彼女の無敵性を剥ぎ取ってしまえば、私の勝ち。
そこまでに抜かせず、私の限界突破の制限時間を枯らせば、彼女の勝ち。
つまるところ、これはそういう勝負だ!
『さぁ回って第二コーナー、2人きりの異次元旅行はどこまで続くのか!?
もはや3番手ダイタクヘリオスとの差はぱっと見ただけではわからない! 一体どれだけ縦に開くのか!? どれだけのペースで彼女たちはレースを駆け抜けるのか!?』
もっと、もっと速く……もっと速く!
サイレンススズカは、速い。
もう限界だろうと思ったのに、まだ加速してくる。
……歩さんは、1つ、読み誤っていたらしい。
サイレンススズカの強みは、そのとんでもないスペックと無尽蔵のスタミナによる無敵性、そして領域展開時の疾走であると、彼は言っていた。
そしてそれは、今までのサイレンススズカさんのデータを見れば、間違いのないことだっただろう。
けれど……彼女はこれまでにただの1度も、本当の限界を見せてはいなかった。
領域を展開する終盤ではなく、中盤までに迫られることなんて、これまでに1度だってなかったから。
だから彼女は、その瞬間……。
誰もが見たことのない、真の限界を表出させた。
「先頭の景色は……譲らないッ!!」
加速する。
加速する。加速する。加速し続ける!
僅かに、けれど確実に……サイレンススズカは、未だに加速し続けている!
これが、生きる伝説の本気だと言うのか。
……あるいは、1人のウマ娘としての、最後の根性なのか。
サイレンススズカは……その限界を超えて、どこまでも加速する!
…………それでも。
それでもッ!!
「私が、勝つッ!!!」
大地を蹴り跳ばす。
視界はただ前に、持てる力の全てを以て。
私は…………ッッ!!
『第二コーナーを抜けて向こう正面、僅かに先頭を取ったのはホシノウィルムッ!!
長く続いた先行争いは、灰色の龍が制しました!!』
転生チートと天然チートの勝負は、転生チートが制しました。
けれど、有馬記念はまだ1300メートル付近。ここが折り返しです。
次回は2日後。ホシノウィルム視点で、有馬記念後編。
(追記)
誤字報告をいただき、わざとでない部分は訂正させていただきました。ありがとうございました!