転生チートトレーナーvs転生チートウマ娘   作:アリマリア

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私たちの物語

 

 

 

 目の前の現実をこんなにも疑ったのは、いつぶりだっただろう。

 

 それこそ、お父さんが死んでしまったっていう連絡が来た時と同じくらいに……私には、その光景が、嘘みたいに思えた。

 

「トレー、ナー……?」

「ああ。……君の感覚で言えば、久しぶり、になるのかな、ホシノウィルム」

 

 今、私の前にいるのは……歩さんだ。

 

 ずっと会いたいと思っていた人。

 ずっとずっと、会って、話して、くだらないことで笑って、色んな体験を共にしたかった人。

 

 そんな人が……今、目の前に、いる。

 

 

 

 私はこの2週間、彼が無事に起きてくれることだけを望んでいた。

 例えば、後遺症で手足が麻痺しようが、あるいは記憶がなくなろうが構わない。体が動かしにくいのなら私が支えるし、記憶だってこれからいくらでも作って行けるから。

 

 とにかく目を覚ましてさえくれれば、それ以上の欲を言うつもりはなかった。

 ただ、彼が彼として、私の傍にいてくれれば……それだけでよかったんだ。

 

 けれど……。

 結局、ただの1度だって、彼は目を覚まさなかった。

 

 どれだけ望もうと。どれだけその顔を覗こうと。どれだけ病室にいようと。

 その指先は少しも動くことなく、そのまぶたが開くこともなかった。

 

 いつしか私は、それに一種の諦めのようなものすら覚えていた。

 勿論、いつかは起きてくれるだろう。私はそれを信じている。

 けれど……きっとそれは、今じゃない。

 今この瞬間、彼が起き出すことはないだろうと、私の中の冷たい理性が、そう言っていた。

 

 あるいは、希望なんて持たないよう、本能的にブレーキをかけていたのかもしれない。

 今日起きるんじゃないか、今起きるんじゃないか。そんな風にいつも期待していては、裏切られた時の衝撃が大きすぎるから。

 

 だから私は、彼を信じながらも、同時に心のどこかでそれを諦めかけているっていう、不思議な状態になっていて……。

 

 

 

 ……それなのに、今。

 

 彼が、歩さんが、目の前にいる?

 

 

 

 ……夢? そう、夢、なのかもしれない。

 だって、そんな都合よく……そんな私に都合の良い展開が、あるわけがない。

 

 スペ先輩の言っていた通り、背負って、走って、それから信じて。

 有記念が終わって……それで、それで報われた……?

 

 そんなの……それこそ、作為を感じてしまうほどに、非現実的に思えて。

 矛盾してるかもしれないけど、夢だって思った方が、まだ現実味があるような気さえして。

 

 

 

 いや……。

 もう、いい。

 

 これが現実じゃなくて、夢でも、幻覚でも、いい。

 ここに彼がいるなら……もうそれだけで。

 

 だからどうか、もう少しだけ覚めないで。

 もう少しだけ、夢を見せて、ほしい。

 

 

 

「なんで……目、覚めて……え、いや、病院……違う、そんな」

 

 かろうじて喉の奥から引き出したのは、そんな掠れた声だった。

 

 混乱、している。

 頭の中はぐちゃぐちゃで、何をどこから話していいか、わからなかった。

 

 あれだけ話したいと思っていた相手なのに。あれだけ会いたいと思っていたのに。

 それなのに、いざ直面すると、どうしようもなく言葉に詰まってしまう。

 

 歩さんはそんな私を見かねて、小さく苦笑した。

 

「ホシノウィルム、本当に心配をかけた。今はこの通り元気……あ」

 

 ぐらりと、歩さんの体が揺れる。

 その光景に、私の頭は真っ白になりかけて……。

 しかし、すぐそばにいたウマ娘が、すんでのところで彼の体を支えた。

 

「う、お」

「マスター、その身はまだ病み上がりです、ご注意を」

「……すまん、ミホノブルボン。助かった」

 

 彼を支えたのは……ミホノブルボンちゃんだ。

 

 なんで? なんで彼女がここにいる?

 彼女は今、まだ病院にいるはずで……。

 

 ……あぁ、いや、そうか。

 

 ブルボンちゃんが病院に待機していたのは、歩さんが起きた際、すぐ対応できるようにするため。

 歩さんが起きてここにいる以上、彼女も付いて来るのが道理……な、はずだ。

 

 でも、それはあくまで、歩さんが起きたっていう前提の話で……。

 いや、だからそう……歩さんが目を覚ましたから、彼女はここにいるわけで。

 

 

 

「……え、本当に……トレーナーが、目を、覚まして……」

「本当も何も、俺が君のトレーナー以外の誰かに見えるか?」

「いや、だって……ずっと、ずっと目を覚まさなくて……2週間も……」

「あぁ、起きたのはつい先ほどだ。時間にして、1時間程前か?」

 

 そう言って、歩さんは確認するようにブルボンちゃんの方を見る。

 

「マスターが意識を覚醒させてから、1時間21分41秒です」

「ありがとう、ブルボン。……1時間21分41秒だ」

「現在1時間21分49秒になりました」

「いや、そこまで詳しく教えなくてもいいんだけどね?」

 

 おおよそ1時間前に、歩さんは、目を覚ました。

 

 ……本当に。

 …………目を、覚ました?

 

 

 

「トレーナー……」

「うん」

「私、その……ずっと、トレーナーを待ってて……えっと、その」

「うん、本当に待たせてしまったな」

 

 言葉が、出てこない。

 

 頭の中に、たくさん、言いたいことを詰めていたはずだった。

 2週間の間、ずっとずっと溜め込んできたんだ。

 

 それなのに……何も、何も出てこない。

 

「そ、そうじゃなくて……えっと、トレーナー……その、体とか、大丈夫なんですか」

「体……え、そういえば大丈夫なのか、俺。まぁ今も全身まんべんなくめちゃくちゃ痛くはあるが」

「お医者様曰く、覚醒しないこと以外は完全に健康体とのことでした。痛みは体が鈍っている状態で無理に動き過ぎた弊害であると推測します。

 とはいえ、脳に関する故障はブラックボックスです。昌さんに見られれば、再び病院送りになると推測できますが」

「うっ、そうか、昌……。怒られそうだなぁ。いや、絶対怒られる。超怒られるよこれ……」

「目を覚ましてすぐ病室を抜け出してきているのです。叱責されるのは自然ではないでしょうか」

「あ、う……いや、まぁそれはその通りなんだが……」

 

 歩さんとブルボンちゃんはどことなく、前よりも仲良くなっているようだった。

 一定の距離を置いていた歩さんが、ブルボンちゃんにちょっと気安くなったような……。

 

 …………いや、違うか。

 なんというか……彼女に対してだけではなく、歩さん自体が、以前より柔らかくなっている気がする。

 

 一体何があったのかと、そう思う間もなく……。

 歩さんが私の方に向き直る。

 

「ま、まぁ、それはいいんだ。どうせ後で病院送りにされることはわかっていたし。

 とにかく、ホシノウィルム。俺はこの通り大丈夫だ。少しばかり体は鈍ってしまっているが、もう寝込むようなこともないはずだよ」

 

 「ほら」と差し出された手を、私は縋りつくように握りしめる。

 

 

 

 ……温かい。

 ベッドの上で握った時より、少しだけ、体温が高かった。

 

 

 

 あぁ……この、手だ。

 

 私に温かさをくれたのは……この手だ。

 

 生きてる。

 

 歩さんは……今、目の前にいる!

 

 

 

「トレーナー……トレーナー、トレーナーっ!」

 

 温かい、温かい、温かい!

 この手も、肘も、肩も、体も……全部!

 

「生きてる……っ! トレーナー、生きて、生きてっ!」

「あぁ、生きてるよ」

「良かった、良かったぁ、本当に良かった……! 生きてる! トレーナーぁっ!!」

 

 彼の体を、抱き締める。

 固く固く、もう2度と、決して離さないよう。

 

 彼が勝手に、どこかに行ってしまわぬように。

 

「もう、本当に心配したんですよ! ずっとずっと心配して、だから……っ!」

「いや、その……。……ホシノウィルム?」

「……だから、もう、どこにも行かないでください」

 

 ……指先も、声も、ガタガタだ。

 

 大事な人を失う恐怖が、心を、震わせる。

 

「トレーナーが、事故に遭ったって聞いて……怖かった。ずっと、怖かった。

 もう二度と、トレーナーと話せないんじゃないかって。ようやく見つけた大事な人を……また喪うんじゃないかと思って、怖かったんです。

 でもっ……でも、信じてました。トレーナーなら絶対に、戻ってきてくれるって」

「……ホシノウィルム」

「だから、本当に、本当に良かった……! 信じて良かった、待っていて、良かった……!」

 

 あぁ、どうしよう。

 

 言いたい言葉も、叩きつけたい不満も、甘えたいことだって、たくさんあったのに……。

 口から飛び出すのは、ただ自分勝手な想いだけ。

 

 顔を涙でぐちゃぐちゃにしたまま、まるで子供のように、私は歩さんの腰に抱き着いた。

 

「良かった……良かった……! 戻ってきてくれて、本当に……っ!」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 それから暫くの間、私はまともに会話を交わすことすらできなかった。

 本当に10分以上、彼の腰に抱き着いて、泣き続けるだけで……。

 

「お、お恥ずかしいところを……ずっ、んんっ、お見せしました……」

 

 ちょっと落ち着いてきた時には、そりゃもう恥ずかしくなって、顔を真っ赤にしてしまうくらいで。

 

 ……いや、これがただの中等部のウマ娘ならいいのよ。歳相応の反応だろうし。

 けどさ、私これでも転生者なの。前世の記憶も経験も持ってる、人格そのままの転生者なんだ。

 

 これでも一応、前世は大学生だったのよ? 社会に出てない以上大人と言えるかは微妙だとしても、少なくとも成人してはいたし、お酒とか煙草もやれる歳ではあったんだよ。

 それなのに、こんなぐちゃぐちゃに泣くとか……ホントにもう、恥ずかしいったらないってば。

 

 うぅぅ……顔から火が出そうって言葉あるけど、あれって本当だったんだ。

 今ならホントに火炎放射できそう。汚物じゃなくて黒歴史を燃やしてしまいたいよ……。

 

 せめて、その惨状を見られたのが、気心の知れた歩さんとブルボンちゃんの2人で良かった。

 ……と思ったけど、冷静に考えるとここ通路だし、多分通りすがりのスタッフさんとかウマ娘には見られたかもしれない。はは、死にたくなってきたな……。

 

「あー、その、なんだろう。俺は……その、信頼関係を再認識できて、嬉しかったぞ?」

「自らのマスターと再会できて感激する事は、決して恥じ入るべき事ではないと考えます」

「あの、ガチのフォローやめてもらえます!? むしろそっちの方が辛いんですよ!」

 

 あーもう、ホント、顔あっつい。

 

 もう何を言ったかも覚えてないけども、だいぶ明け透けに色んなことを言っちゃった気がするし……。

 今の私の目、それはもう間違いなく真っ赤に充血してるし……。

 しかも、…………。

 あーもう、ホント、最悪だ……。

 

 

 

 ……よし、切り替えよう。

 

 軽く頬を挟み、思考をリセット。

 私は彼の担当ウマ娘だ。積もるお話をする前に、報告すべきことがある。

 

「トレーナー……ええと、トレーナーはどこまで状況を掴んでいるんでしょう」

「今日は君の有記念の日。俺は事故で昏睡してまんまとそれを見逃した、間抜けすぎるトレーナー。レースの結果はまだ聞いていない。時間帯や君が勝負服を着ていることからして、君は今ライブを終えて帰って来たところか」

「……びっくりするくらい状況を整理できてますね。え、混乱とかないんですか?」

「混乱なんて、するだけ時間の無駄だろう?」

「えぇ……」

 

 やっぱりこの人、トレーナー業に関わることだけは、とんでもないな。ちょっと頭のネジが飛んでるまである。

 まぁ、それ以外の部分では……色々と抜けてるところとか、可愛いところも多いんだけど。

 

 とにかく、それだけ状況を理解しているのなら、整理は必要ないだろう。

 

「じゃあ……今の私が言うべきはただ1つ、今日のレースの結果ですね」

 

 一度、大きく息を吸い……吐き出して。

 

 

 

「今日の有記念、私は……3センチメートルの差で、スペ先輩に勝ちました」

 

 

 

「すごかったんですよ。是非今度、映像で見て欲しいくらいです。

 最初からとんでもないスピードで切り込んできたスズカさんとターボの追い比べ、想定外なくらいのターボの粘り、そこから入れ替わりで前に出た私とスズカさんのとんでもないマッチレース!」

 

 ……あぁ。

 

「なんとかそれを制しても、すぐに後続との戦いになって、ミーク先輩やスカイ先輩、テイオーが前に出て来て……でもそこから、スペ先輩がとんでもない加速力で突っ込んできて!

 スペ先輩の領域は本当にとんでもなくて。私、あれほど負けを直感したことはありませんでした。

 最終直線からは私も領域を開いて……あ、私の領域、前よりももっと良くなったんですよ? それでスペ先輩のスパートに対抗してですね……」

 

 ……もう。

 

「それで、逃げ切れるかどうか本当にギリギリの戦いで……倒れてしまうくらいに限界状態でゴールして……そこから、写真判定になって。

 それで、たった3センチ差とはいえ、勝ったんですよ! あのスペ先輩相手に!」

 

 …………本当に。

 

 

 

 

 

 

「……って、そう言えれば良かったんですけどね」

 

 

 

 本当に、悔しい。

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい、嘘です。負けちゃいました。3センチメートル……本当の本当に、紙一重の差で」

 

 ……それが本当の、有記念の結末。

 

 1着、スペシャルウィーク。

 2着、ホシノウィルム。

 その差は、僅か3センチメートル。

 

 私は、スペ先輩に、勝てなかった。

 

 

 

「今回は、とんでもないレースでした。誰も自分の本領を出せないような大混戦。

 私はスズカさんを越えるために手札を1枚切ることを強いられ、スタミナを消費していましたし……。

 スペ先輩の方も、どうやらスカイ先輩の策で外の方に追いやられていたようです。

 だから、条件はイーブンで、どちらも不利で……結局のところ、私の方が1枚劣っていた、ということですね」

 

 ……駄目だなぁ。

 

 冷静に語ろうとしたのに、どうしても……心が、騒ぐ。

 

「……悔しいです。もう、本当に……。

 あと少し、どこかで力を温存できたら。あと少し、本番前に仕上げられたら。あと少し、私の脚が速かったら、って……そう思わずにはいられません」

 

 悔しさが、私の心をチリチリと焦がす。

 

 あと少しだった。本当の本当に、あと少しだったんだ。

 

 あと少しだけ……届かなかった。

 

 

 

「……すまなかった」

 

 トレーナーはやはりというか、苦悶の表情を浮かべて、頭を下げた。

 

「俺が眠っていたばかりに……本当に、君には多くの迷惑をかけてしまった。

 結果として、ただ1度きりの有記念において、君は完全に本調子と呼べない状態で走ることになったのかもしれない。

 契約トレーナー失格と言われても、何の言い訳のしようもない」

 

 ……そう言うだろうなって、思ってた。

 

 この人は自虐的で自罰的で、何よりとんでもなく真面目な人だ。

 もしかしたら、自分がいなかった結果が、3センチメートルという差を空けてしまったのではないかと……そう思ってしまうんだろう。

 

 そして恐らく、現実的に考えて、その側面はある。

 昌さんはすっごく頑張ってくれたし、作戦会議では私も頑張って案を出したけど……それでも、やっぱり歩さんのようにはできなかった。

 もしかしたら、歩さんが昏睡しなければ。あるいはそうでなくとも、起きるのが昨日であれば……。

 今日のレースで勝っていたのは、私だったかもしれない。

 

 

 

 ……でも。

 

「いいんです」

 

 そう言って、私はトレーナーの背中に、改めて手を回した。

 

「自分の全力を出して、相手の全力を受けきって、それで勝敗を決したんです。

 悔しさはありますけど、後悔はありません。ただこの熱を、次回に活かせばいいだけ」

 

 「悔しい」と「納得いかない」は、別のものだ。

 

 今日のレースに負けて、公式レースでは初の敗北を刻んで……当然ながら、悔しい。

 

 けれど、一切出し惜しみのない全力で負けたんだ。

 そこにはドロドロとしたものなんて少しも残っていない。ただ「ちくしょー、次回は絶対勝つ!」という、未来への奮起だけがあった。

 

 有記念は、レース後にスペ先輩が言っていたように、「勝っても負けても悔いの残らない、最高のレース」だった。

 

 故に私は、今回の結果に納得している。

 今この瞬間だけは、スペ先輩に劣っていることを、受け入れている。

 

 ……でも。

 彼がそれを恐れる気持ちは、理解できる。

 だから私は、歩さんを抱き締めたまま、その背中を撫でて、言った。

 

 

 

「だから、大丈夫。私は折れたりしませんし、この脚の持つ限り、あなたのウマ娘であり続けます。

 ……絶対に、あなたの元に戻って来ますから」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 歩さんが倒れた時に、昌さんと少し話す機会があって……。

 彼女は私に、こう言ってきた。

 

 「どうか兄との契約をそのままに、有記念に勝って欲しい」。

 「もしもあなたが負ければ、兄は今度こそ絶望してしまうかもしれない」、と。

 

 ……でも、私はその言葉に、なんとなく違和感を覚えたんだ。

 

 だって、歩さんはこれまでに、私に勝利を望んだことなんてなかったんだもの。

 

 それはかつて、堀野のトレーナーとしての義務だったのかもしれない。

 聞いた話、トレーナーの名門堀野家は、「ウマ娘が健全かつ幸せにウマ娘が走り続けられること」を最優先目標に置いているらしい。

 だから私に対しても、勝利以上に、無事な帰還を望んだのか、と。

 そう思うことも、できた。

 

 けれど……堀野のトレーナーを辞めても、彼が求めることは変わらなかったんだ。

 それは、レースの度に言われることを考えれば、一目瞭然だった。

 

 

 

 今も昔も変わらない。

 彼は、レースを終えた私に対して、「おめでとう」よりも「おかえり」を言ってくれる人なんだよ。

 

 

 

 彼が求めているのは、担当ウマ娘の成功なんかじゃない。

 そんなものよりもっと些細で、当然のようで、けれど得難く、曖昧なもの。

 

 身近な人が、平穏無事に帰って来ること。

 明日になっても、当然のように再会できること。

 

 彼が本当に望んでいたのは、ただそれだけのことだったんだ。

 

 

 

 ……ただ、真の意味で「無事に帰って来る」っていうのは、競走ウマ娘には難しい部分がある。

 

 なにせ私たちの脚は、「ガラスの脚」と言われるくらいに脆い。

 トレーニング中やレース中での故障によって引退するウマ娘たちは数知れないくらいだ。

 

 更に、それだけじゃない。

 ウマ娘の中には、レースで負けることで心が折れて、戦いの舞台から降りてしまう子もいるのだと言う。

 

 彼にとって「無事」というのは、勿論肉体的な部分もそうだけど、精神的な無事も指しているんだろう。

 だからこそ、私以外のウマ娘が負ける姿を見て、その心が折れるところを見て、心を痛めていた……のだと思う。

 

 この辺りになってくると、あくまで私の推測に過ぎない部分も大きくなるんだけど……彼のこの顔を見るに、そこまで間違っているわけではなさそうだ。

 

 

 

「ホシノウィルム……君は……」

 

 彼の表情に浮かんでいるのは、驚きと……薄っすらと浮かぶ、ほんの少しの、淡い希望。

 

 明日という日が、平穏無事に来るかどうか。

 身近な人に、再び会えるかどうか。

 そんな些細なことさえも、彼は信じられずに生きてきたんだろう。

 

 自分が頑張らないと、人が死ぬかもしれない。

 死なないとしても、もう会えなくなるかもしれない。

 だから、頑張らなければならない。自分の周りにある温かい環境を守るために、常に努力し続けなければならない。

 ……そうやって頑張り続けなければ、自分には価値がなくなってしまう。

 

 彼はそうやって、自分の命を燃やすようにして生きてきた。

 もはや不可能な、過去への清算。自分の失敗で喪われたものに、少しでも償うために。

 

 

 

 私は、嫌だった。

 

 彼がそんな悲しい生き方を選ぶのも、その瞳がいつまでも過去を向いているのも。

 

 ……だから。

 

 

 

「私は、いつでも……これからずっと、あなたの隣にいます。

 相棒として、あなたのウマ娘として、あなたの苦しさも悲しさも一緒に背負います」

 

 ……私の言葉は、今は、届かないかもしれない。

 

 歩さんはこれまでに10年以上を、そんな暗い価値観の中で過ごしてきた。

 そんな彼が、私の言葉で全部解き放たれる、なんてことはないのかもしれない。

 

 けれど……それだって、きっと永劫不変のものじゃない。

 私が歩さんに、1年半という時間をかけて、心の氷を溶かされたように……。

 これからずっと付き合っていく内に、彼だって、変わっていくはずだ。

 

「私はもう、救われました。

 あなたがあの夜に手を取ってくれて、私を大事にしてくれて……温かさをくれたから。

 だから、今度は……私の番」

 

 私は彼の体を抱き締め、祈りを込めて、言った。

 

 

 

「いつか私に、あなたを救わせてください」

 

 

 

 彼はその言葉に、数秒固まって。

 それから……。

 

 私の頭に手を置いて、静かに語った。

 

「俺はもう、君に救われてるよ。

 あの夜に出会って、俺を信じてくれて、そうして戻って来てくれたから。

 ありがとう、ホシノウィルム。これからも、可能な限り長く、よろしく頼む」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ちょっと恥ずかしい、けれどきっと大事な会話を終えて……。

 私と歩さん、それにブルボンちゃんの3人は、改めて昌さんが待っている控室に向かうことにした。

 

 ……ブルボンちゃん、さっきは空気を読んで黙ってくれてて助かったな。今も、さっきの会話には触れないでいてくれるし。

 もし茶々でも入れられたら私、恥ずかしさのあまりここから逃げ出していたかもしれない。

 

 やっぱり、出来た後輩だ。

 ただちょっと天然が入っているだけで、本質的には人に気を遣える優しい子なんだよね。

 

 そんなことをぼんやり考えながら歩いて……。

 

 ふと、忘れ物があったことを思い出す。

 

 

 

「あ、そうだ、トレーナー。いつもの」

「ん……そうだったな」

 

 私は、すっごく抽象的にそれを求めて……。

 歩さんも、それを何と言わずとも察してくれた。

 

 彼に向き合った私に与えられたのは、頭上に置かれた温かさと、彼のいつもの言葉。

 

「おかえり、ホシノウィルム。よく頑張って走り、よく無事に帰って来た」

 

 レース後に与えられる、私の報酬。

 きっと、私と歩さんが救い合う、その象徴だ。

 

「ん、ただいまです、トレーナー」

 

 そう言った後、私はふと良いことを思いついて、ニマリと笑う。

 

「ね、ね、ちょっと屈んでください」

「ん? うん、ちょっと待ってな」

 

 彼は明らかに鈍いぎくしゃくとした動きで、ゆっくりとしゃがんでくれる。

 

 2週間も眠りに就いて、私たちが時々軽く動かしていたとはいえ、凝り固まっているはずの体。

 激痛の走るそれを押して、歩さんは、私に会いに来てくれたんだ。

 

 だったら、いつもは与えられてばかりの報酬も、ちょっとは返さないとね。

 

 

 

 ようやく首の高さに下がって来た彼の頭を、くしゃくしゃっと撫でて、私は笑う。

 

「おかえり、歩さん。ずっと待ってたよ」

 

 歩さんは、ちょっと呆然とした後……。

 

 これまでに見たことのなかった、穏やかな笑顔を浮かべた。

 

「……あぁ。ただいま、ウィル」

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 

 あの宝塚記念が私の物語の終わりとするなら、これは私たちの物語の終わり。

 ……あるいは、2人の新たな人生の始まり、って言ってもいいかもしれないな。

 

 不確かだった想いを言葉にして、与えられた救済を交感して……。

 それでようやく、私たちは本当の意味で、パートナーになれたんだと思う。

 

 対等に、お互いに救い合った、そしてこれからも救い合うだろう関係性。

 ……へへ、ただのパートナーって言うには、ちょっと近すぎる気がしないでもないけどさ。

 

 

 

 人生は、続く。

 

 これから先も、嫌なこととか難しいことは、たくさんあるだろう。

 取り返しの付かないミスを犯したり、それに後悔することだって、きっと数えきれなくなる。

 そのあまりの過酷さに、再び足を取られてしまう日も、来るのかもしれない。

 

 それでも、2人ならきっと大丈夫だ。

 

 どんな辛いことがあったって……。

 またお互いに、救い合って生きていけばいい。

 

 私たちはこれからもずっと、この人生を、隣り合って生きていくんだから。

 

 ……あ、いや、それはちょっと気が早すぎか?

 あ、あはは、ちょっと顔熱くなってきたな……。

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、その後。

 

「は、兄さん!? ちょっと、ミホノブルボンさん、どうなってるの!? それに、え、何なの!?」

 

 昌さんが珍しく狼狽しまくり、ちょっと面白かったのは……本人の名誉のために、忘れておくとしよう。

 

 

 







 なんとか間に合った……! 今日2/22は、ウィルの誕生日です。
 このハッピーエンドが、うちの子への作者なりのバースデープレゼントということで。



 改めまして、本編第二部「堀野歩」終了です。
 正確には、次回のおまけ別視点回で本当に終わるんですが……2人の転生者の視点=本編はこれにて終了ということで。

 そして、これにて「転生者2人のお話」も、その本編を終えたことになります。
 ゲームではない人生、1度の敗北を経験しても、バッドエンドとはなりません。
 片や過去を受け入れ、片や未来に視界を向けられた転生者たちは、これからもこの世界でハッピーエンドを目指して生きていくことになるでしょう。

 色々とお伝えしたいこともあるんですが……。
 ひとまず今は本編の締めくくり、次回の別視点回をお楽しみに。



 次回は3、4日後。別視点で、祈りの話。



(追記)
 誤字報告をいただき、わざとでない部分は訂正させていただきました。ありがとうございました!
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