後ろ姿よ、さようなら   作:こり

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プロローグ
第1話


微かな水音が耳を擽る。

 

冷たい水に浸された半身が感覚をなくしてから、どれくらい経つのだろう。

 

暗闇に閉ざされたこの空間にいるのは、もう動かない同胞たちの残骸と、もう少しで同じようになる己だけ。同胞の身体から流れ出した魔力で満たされた水は、仄かに青く光って広い空間を照らす。

 

二度と見ることができないであろう陽の光を思い出そうとして、すぐに諦めた。そもそも太陽の光をこの目できちんと見たことがあっただろうか。

 

覚えていない。忘れたのか、そもそも経験したことがないのかすら、もう分からない。思考することすら限界に近付いていた。

 

なんで生まれてきたんだろう。

 

そんな無駄な思考が脳裏を掠め、ほとんど動かない口元を微かに歪める。

 

己がどんな存在だか、よく知っている。我らの目指す到達点も、我らが求める見果てぬ夢も、骨の髄まで染み込んでいる。

 

それでも揶揄してしまうのだ。どうして生まれてきたのだろう。何のために生を受けたのだろう。

 

我らではなく、己だけの『生きた証が欲しかった』と、望んでしまう。

 

――私のための物語が一つくらいあってもよかったのに。

 

 

 

 

突然、視界の隅に光が射した。

 

優しくて包み込むような暖かな光に、湿った部屋に舞う埃がキラキラと輝く。不思議と穏やかな光は太陽とは全然違う。でも、なんとなくほっとして、これを太陽だと思ってもいい気がした。

 

ふわふわと漂う不思議な光は、しばらく見ていても消えない。やるせない想いに囚われる心にほんの少しだけ救いが与えられた気がして、もう動かない頬に力を籠めて微笑んだ。

 

もうこれで本当に最後だろう。ゆっくりと瞼を閉じようとしたそのときだった。

 

見覚えのないものが視界に映り込んで、消えかけた意識が覚醒する。大ぶりで分厚い一冊の本が、目の前に浮いている。

 

「こんにちは、素敵なあなた。あたしはあなたの夢なのよ」

 

突然耳元で響いた声が何を言ったのか、理解できなかった。誰が話したのだろう。ぼんやりとした頭に鈴のような声が染み渡る。

 

「ここはあなただけの世界。選ばれたあなたに特別に与えられた、甘い甘い砂糖菓子の世界」

 

私の夢。私だけの世界。確かにここには自分しかいない。もう目も開けていられないような、今にも消えそうなちっぽけな人形しかいない。

 

「あなたはあたしよ。そして、あたしはあなたなの。ねえ、あなた(あたし)はどんな物語が読みたいのかしら?」

 

私のための物語。私が、生きた証が残せる物語がいい。あぁ、それと……

 

「それと?」

 

太陽の光が、見てみたいなぁ。

 

そう心の中で呟くと、嬉しそうな笑い声が、すぐ近くで鼓膜を揺らした。

 

「――えぇ、もちろんよ!やっぱり物語はハッピーエンドじゃないといけないわ。だから、ねえ、あたしのマスターさんになってくれるかしら?そうしたら、きっと太陽の光も見に行けるもの!」

 

なけなしの力を籠めて、なんとか瞼をこじ開ける。焦点が定まらない瞳が捉えたのは、ふわふわのドレスを着た赤目の女の子。青白い水面の光を受けて、自分と同じ銀の髪が絹糸のように滑らかな光を帯びる。

 

にこりと笑った彼女の手が、かろうじて水面から出ていた己の手に触れる。空間に満ちた青白い光を掻き消すように、赤い光が部屋を満たして、やがて消えた。

 

 

 

 

「お砂糖の世界を作りましょう!だから、最後のページまで愛してね?」

 

 

 

 

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