後ろ姿よ、さようなら 作:こり
第10話
仄暗い曇天が太陽を覆い隠した次の朝、立香とサーヴァント八騎は教会に集合していた。
昨夜はすぐに姿を消したギルガメッシュも、当然のように教会の長椅子で脚を組んでいる。
ケイローンが咳払いを一つして、口火を切った。
「まずは昨夜の状況を整理しましょう。まずナーサリーライムについては、偶発的な戦闘という解釈でよろしいですか?」
「その通り、ヘラクレスの戦闘に釣られて出てきたようだったな。その他に気づいた点は……シェイクスピア、何かあっただろうか」
「おぉ、吾輩の観察眼を必要とされますかな?流石は中華の大軍師殿、お目が高い。それでは吾輩渾身の取材ノートからかいつまんでご報告するといたしましょう!」
孔明の問い掛けに、礼拝堂の後方で何やら書き散らかしていた劇作家が勢いよく立ち上がる。二列に並ぶ長椅子の間を靴音高く進む様は、まるで舞台俳優そのものだ。
「釣られて出てきた――吾輩もあなたの意見に同意いたしましょう、諸葛孔明。しかし、それをそのまま解釈するのは面白くありませんな。『
祭壇の目の前まで辿り着いたシェイクスピアは、ばさりと外套を翻して高らかに告げる。壁際にしゃがみ込んでいるガネーシャ神が、ぽつりと疑問を呈したのを劇作家は聞き逃さなかった。
「明確な理由……ヘラクレスだけ遊んでもらってずるいって言ってたけど、まさかそれじゃないッスよね?」
「良い着眼点です、インドの神霊サーヴァントよ。お茶会の際、彼女はこのように言いました。『バーサーカーはマスターのことが好きだし、マスターもバーサーカーが気になる』――あの不機嫌な様子と昨夜の襲撃。つまり、かの絵本は、ギリシャの大英雄とマスターなる者を取り合っていると読み解くこともできますな」
「となると、やはりマスターの正体を掴まねばならないか」
「左様。あの狂戦士、マスターもしくはアインツベルンと浅からぬ縁があるのでしょう。我々英霊はそもそも記憶は記録としてしか持ちえないはず。それにもかかわらず何かをマスターに見出すなど、もはや奇跡と言ってもいい!」
眉間の皺を揉み解す孔明に向けて、シェイクスピアは頬を紅潮させて力説する。そのとき、感情の起伏が感じられない声が、劇作家の熱弁の隙間に突き刺さった。
「――あの男は何かを守っているように思える。それが奴のマスターなのかどうかは分からないが、今度こそ守り切るという強い意志を感じる斬撃だったのは確かだ」
声の主は、壁に溶け込むように寄りかかって話を聞いていたカルナだった。隣にしゃがみ込むガネーシャ神がカルナをちらりと見上げ、それから腕組みをして小さく唸った。
「ヘラクレスとナーサリーライムが仲良くないっていうなら、共闘することはなさそうッスかね?」
「もちろん確証はありませんが、積極的な共闘はしないのではないでしょうか。『
大仰に両腕を広げた劇作家に立香は苦笑し、大きく一度頷いた。
「まずは彼女のマスターについて調べよう。そうすれば取材の機会は必ず来るよ」
「となると、手がかりはセミラミスが見たという地下空間でしょうね。沈みかけたホムンクルスを確認することにしましょうか」
ケイローンがまとめた方針に、特に異論は返ってこない。
「よぉーし、ボクもピコッと頑張っちゃうッスよ!さっさと確認しちゃおうよ、マスター」
よいしょ、と掛け声と共に立ち上がったガネーシャ神は、伸びをしてから不敵に笑う。隣のカルナの表情がうっすら曇ったそのとき、礼拝堂の前方からどこか威厳のある声が飛んできた。
「待て、そこな象。肝心のことをまだ話しておらん。先走るな」
「は、はいッス……」
ギルガメッシュに圧倒されたガネーシャ神は、へなりとその場にもう一度しゃがみ込んだ。象の被り物が心なしかしょんぼりしたのを、腕組みをしたままのカルナは無言で見つめる。
壁の二人にちらりと目線を飛ばしたウルクの賢王は、呆れたように目を細めて粘土板を顕現させた。
「雑種、方針を決めよ」
「ヘラクレスについてですね。……カルナ、ケイローン。実際戦ってみて分かったことはある?」
「カルナ、私からでいいですか?」
無言の肯定を受け取った狂戦士のかつての師は、長椅子から立ち上がって礼拝堂を見回した。
「まず、やはりAランク以上の攻撃――カルナの魔力放出と投擲宝具、私の宝具以外は彼を傷つけることはできませんでした。そして、昨夜は三度仕留めましたが、きっと三度目も蘇生したことでしょう。ここから分かることは、悪い予想が悉く当たったということですね」
「宝具が違う――……つまり、十二回倒す必要があるってことだね」
立香の悩ましげな一言に、カルナが淡々と補足する。
「そうだ。そして、カルデアのヘラクレスとは何度か手合せをしたことがあるが、確実に実力はこちらのほうが上だ。やはり聖杯のバックアップは凄まじいということだろう」
「でも、昨日カルナさんとケイローンさんはあまり苦戦せずに倒してるように見えたッスよ?あと九回くらいなんとかなるんじゃ……」
「それは違う、ガネーシャ神よ」
ガネーシャ神のふわふわした発言を、カルナは些か強い口調で否定した。珍しい光景に、ガネーシャ神だけでなく立香も目を丸くする。
「最大の問題はここからです、ガネーシャ神。昨日簡単に話しましたが、元来ヘラクレスの戦士としての技能は至高の領域に到達しています。そのため、一度見た攻撃はもう通用しない……少なくとも、同じ攻撃では威力が減少してしまう可能性があるのですよ」
「それって、カルナさんとケイローンさんの攻撃が、いつまで通用するか分からないってことッスか……」
「えぇ、それは今夜試してみないと分かりませんが……もし攻撃が通じなくなった場合、何か策が必要ですね。彼の命のストックを一度で複数奪う、そんな策が」
ケイローンの言葉の重みで、礼拝堂が静まり返った。
雲間から時折差し込む陽光が、天窓を通して床に模様を描く。沈黙を破るようにため息をついたギルガメッシュは、つま先の黄金を光に差し入れるようにして足を組み替えた。
「英雄の最も確実な倒し方など知れたことだろう。生前の死を再現すればよいだけよ。そこの軍師、奴の死に様を述べよ」
「ヒュドラの毒を受けた者の血を浸した衣類を身に纏ったせいで、ヒュドラの毒が全身に回り、あまりの苦痛で自ら火葬を望んだ……と記憶している」
思わず返答した孔明は、一拍置いて苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。賢王は気にも留めずに、通路を挟んだ椅子に座る立香に問いかけた。
「押さえるべき要は二つだ。雑種、何だと思う」
「……ヒュドラの毒と、火葬、ですね」
「そうだ。火葬については、ランサーの宝具で問題あるまい。あとは毒だが……そこな女帝、貴様、ヒュドラの毒を作ることはできるか」
いつのまにかギルガメッシュがその場の空気を支配している。話を振られたアッシリアの女帝は、片眉をぴくりと動かした。
「……まぁよい。今の我では毒そのものは作れぬよ。ただ、そうさな。誰か一人にヒュドラの毒という概念を与えることなら、我のスキル、『
「よいではないか。誰かにヒュドラ毒を与え、その者の血を狂戦士に浴びせかける。それこそ完全な生前の死の再現になるであろうな。その代わり、誰かを犠牲にすることになるぞ。よく考えることだ」
なんてことはないように話すギルガメッシュの言葉の内容に、立香は体を強張らせた。
ヒュドラはギリシャ神話に登場する怪物で、ヒュドラ退治はヘラクレスが達成した偉業の一つとして知られている。その吐息を吸い込んだだけで人が死ぬレベルの猛毒を持ち、解毒は不可能。毒に侵された者の血は毒そのものに成り果てる神話の猛毒――ヘラクレスだけでなく、ケイローンの死因だ。
立香は、隣に浅く腰掛けるケイローンの横顔を盗み見た。真っ直ぐに前を向いたその瞳に、一切に動揺の色は見られない。しんと落ち着いた表情に逆に不安を掻き立てられた立香は、首を勢いよく左右に振った。
「それについては、今はまだ検討しないでおこう。その前にやれることをやりたい。まずはナーサリーライムのマスター探しと、ヘラクレスに攻撃が通らなくなるかどうかを確かめてからだよ」
立香の断固とした口調に、ギルガメッシュは鼻で笑って霊体化した。セミラミスも訝し気な目で立香を探り、小さく息をついた後に霊体化して消える。
誰が何と言おうと、立香はサーヴァントの使い捨てを良しとしない。どうしようもないことは何度もあったし、払った犠牲で進んできたことも確かだ。それでも、極力避けてここまで走ってきたことを、カルデアからついてきた六騎はよく分かっていた。
「さて、地下の廃棄場に向かうメンバーを決めよう。狭い空間だろうから、人数は絞ったほうが良さそうだ。今回私は不参加でもいいかね、マスター?森に残る術式を解析してカルデアとの通信を回復させたい」
孔明の申し出に、立香はこくりと頷く。
「分かった。戦闘になる可能性を考えると、カルナとケイローンに来てほしいかな」
「承知した。それとマスター、できればガネーシャ神は居残りにしてほしい」
「うえっ?なんでッスか?ボク珍しくやる気だったのに?」
カルナの一言に、ガネーシャ神ががばりと立ち上がって抗議する。それには取り合わずに、カルナはじっと彼女の目を見つめた。
「な、なんスか……」
「……今のおまえは不要だ。孔明、ガネーシャ神を頼めるか」
「……はぁ……いいだろう、承った。マーリンもこちらに残ってくれ。私とガネーシャ神が調べに出ている間、ここを頼む」
痛烈な一言に固まるガネーシャ神を無視して、話はとんとん拍子に進んでいく。
立香の真横に突如シェイクスピアが姿を現し、満面の笑みを浮かべて深々とお辞儀をした。
「我がマスターよ、吾輩も地下へと同行することを希望いたします!これは良い取材になりますぞ!」
「マスター、私からもお願いを。これは勘ですが、ナーサリーライムに遭遇した場合、シェイクスピアの取材とやらが有効な気がします」
何故かケイローンもシェイクスピアに同意した。不思議に思いつつも異論はない立香は、もちろん賛成する。
大体の話が決まったところで、孔明がぱんと一度手を打つ。礼拝堂に乾いた音が響いた。
「では決まりだな。万が一の場合は令呪で我々を呼んでくれ。守りが必要ならガネーシャ神を、幻術その他が必要ならマーリンを。それと、ケイローンが一緒ならば問題ないだろうが、知略が必要なら私を。いいか、マスター。躊躇はするな」
「はぁ……なんでボクが居残りなんだろ。マスターの守りはいらないってことなんスかね」
教会を出るなり葉巻に火をつけた孔明は、眼鏡を外して眉間を揉んだ。
「そういうわけではない。……全く、カルナは何故私にこのような役目を……いや、あのメンバーの中では私が適任なのは理解しているし、元々気になっていなかったと言えばそれは嘘になるのだが……くそ、断る理由がない。これだから英霊ってやつらは……」
口からとめどなく零れる愚痴のような台詞に、ガネーシャ神は気まずくなって黙り込む。
すると、孔明はぴたりと動きを止めた。くるりとガネーシャ神に向き直る拍子に、磨きこまれた革靴が落ち葉を粉々にする。
「ガネーシャ神、君は大きな誤解をしている。カルナは君を案じてこちらに残していった。その観察眼であれば、落ち着いて考えれば分かるのではないか?今一番の問題は、君が落ち着いていないということなのだが」
「え……そんなことないッスよ、ボクは落ち着いて」
「いや違う。昨日の戦闘時からテンションが高すぎる。正確に言えば、徐々に上がっている最中というところか。戦いに恐怖していることを隠そうとした結果のハイテンションだろう。――なにか間違っているかね、ガネーシャ神の依代のレディ」
諸葛孔明――ロード・エルメロイⅡ世が告げた言葉が、冬の森に散らばっていく。サーヴァント同士ではなく、疑似サーヴァントの依代である生身の人間同士としての会話に、ガネーシャ神――ジナコ=カリギリは、咄嗟に上手い言葉を返せなかった。
「私は貴女の名前を知らず、また知ることはできない。なぜならカルナですら把握できていないからだ。大方かなりイレギュラーな形で依代に選ばれたために、認識阻害でもかかっているのだろう。疑似サーヴァントの作り方はかなり強引だからな、十分にあり得る話だ」
ロード・エルメロイⅡ世のあまりに的確な推測に、ジナコは拳をきゅっと握りしめる。諸葛孔明の依代である彼は、時計塔――魔術協会の総本山、そのトップに君臨する十二人の
とんとんと男の長い指が葉巻をノックする。そのたびに細かな灰が風に舞い、先端についた火が微かに赤く光った。
「さて、私は今から同じ『聖杯戦争の元マスター』として、依代の貴女と話をする。これは本来ボクが望むことではないが、かの施しの英雄の頼みとあらば甘んじて引き受けよう。こういうことを拒むと我が主は器が小さいと怒るのでな」
「我が、主……」
「そうだ。ボクはいつかの聖杯戦争で共に駆けた、とある王の臣下だ。このあり方は貴女と施しの英雄との関係性とは似ても似つかないものだろう。まあマスターとサーヴァントの関係性など、星の数ほどあると考えてくれればいい」
私ではなくボクに一人称が代わった男の口元には、自虐的な薄い笑みが浮かんでいた。しかし、眼鏡越しの瞳に宿るのは、口元とはあまりに対照的な深い憧憬の色だ。
彼が元マスターであることは、ジナコもなんとなく気がついていた。召喚したサーヴァントがかの征服王であることも風の噂で知っている。でも、自分とは違う人種だと勝手に判断し、関わらないようにしていたのだ。
だって彼は、堂々と戦場に立っていたから。ジナコの抱く感情――例えば、戦場に対する恐怖なんて分かるはずがないと、はなから決めつけていた。
「本題に戻るぞ。レディ、君は元来戦闘とは一切縁がなく、また魔術もほとんど使えないようだ。腹立たしいことに魔術師としては三流である私と状況は非常に似ている。しかし、現状の結果は違う。君は戦うことを恐れているのに対して、私は戦うことができている。この差はどこから来ていると思う?」
「……さ、三流とはいえ魔術が使える事と、あ、アタシが、臆病だから……」
「改めて言うが、腹立たしいことに私は魔術師としては大した実力はない。大軍師の力を借りていなければ自ら戦うことはできないんだ。そして、臆病なのは君と変わらない。まあ昔の私に比べたら、多少は場数を踏んだおかげでマシにはなっているがね」
「……じゃあなんでアナタはそんな堂々としていられるんスか?」
苦々しげな表情を浮かべたロード・エルメロイⅡ世に、ジナコは真剣な眼差しで問い掛ける。その視線を正面から受け止めて、かつてマスターだった男は己の右手を持ち上げて、ぐっと握りしめた。
「やるべきことがあるからだ。かの王の名に懸けて」
時計塔のロードにまで登り詰めた男はまるで自身に語り掛けるように言葉を紡ぐ。眼前に掲げられた手の甲にかつて刻まれていた赤い紋の痕跡は、もうどこにも残っていない。
「かの王の背を追いかけて、いつか必ず追いつく。あいつが見たかった最果ての海に辿り着いてみせる。疑似サーヴァントではなく、ボクという人間はそう生きると決めたんだ」
あまりに重い言葉に、ジナコは頭をハンマーで殴られた気分になった。
この人は元々ジナコと同じだったのだ。己が呼び出した英雄を、絶対無二のヒーローとして自分の真ん中に大切に仕舞い込んだ人。そして、ヒーローに並び立とうとした結果、戦場に対する恐怖を己で乗り越えた人。
瞬きすることすらできずに立ち尽くすジナコを、ロード・エルメロイⅡ世はほろ苦い表情で見つめた。
「これはあくまでも私の話だ。君は異なる信念を持っていることだろう」
「異なる、信念……?」
「そうだ。レディ、君の信念はなんだ?ガネーシャ神の依代である君自身を支える揺るぎない信念は、君の中に眠っている。君は施しの英雄とどういう関係性でありたいのか、そのために己はどうすればいいのか、よく考えてみるといいだろう」
絶句するジナコから目を逸らしたロード・エルメロイⅡ世は、吸わないうちに短くなった葉巻をくゆらせた。細くたなびいた紫煙は、厚い雲に覆われた冬空に広がっていく。
「君ならば見つけられる。そしてそれを見つけたとき、恐れを制御して戦場に立てる疑似サーヴァントになれるだろう。なんとも皮肉なことだがね」
右手を左手で握りしめた象の被り物をちらりと見て、先達は微かに笑って目を閉じた。