後ろ姿よ、さようなら   作:こり

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五章 花蕾
第13話


夜風を切り裂いて、カルナは森の更に上をぐんぐんと進んでいく。木々の先端に一瞬足をついて加速していくにつれ、肩の上に後ろ向きで抱えられたガネーシャ神は、風圧に負けて声が出なくなっていた。一時的に腕を四本に増やし、必死で被り物が飛ばないように抑える。すると、腰のほうからカルナの声が遠慮がちに流れてきた。

 

「ガネーシャ神よ……オレは何かしてしまっただろうか」

 

決してとげが刺さらぬよう器用に位置を調整された鎧に、月明かりが反射する。仄かな明かりは、黙り込む小さな神様の頬を照らしていた。心なしかしょんぼりとした雰囲気を纏った白髪が寒風で煽られて、ガネーシャ神の耳元をくすぐる。

 

「ちが……ちょ、止まってっ」

 

カルナの背中を軽く叩きながら、ガネーシャ神は息絶え絶えに訴える。軽く振り返った気配がした直後、突然カルナはぴたりと動きを止めた。揺れた反動で下を覗きこむと、眩暈がするほど高い木のてっぺんに立っていた。

 

「ヒィッ!?なんでこんな高いとこに止まってるんスか!?」

 

「止まれと言ったのはおまえだ」

 

「そうッスけどぉ!……絶対落とさないでよ。ケイローンさんに地面に落とされたこと、若干トラウマになってるんスから」

 

薄い背中に縋りつきながら微かに振り向いたガネーシャ神は、今の生命線に向けて注文をつける。ふわりとマゼンタ色を風になびかせながら真っ直ぐに立つ男は、両側の口角を上げた。

 

「オレがおまえを離すと思うのか」

 

しんと静まり返った夜の森に、ガネーシャ神が英雄と信じる男の言葉が溶けていく。柔らかな白髪の感触を頬で感じながら、むずむずとした気持ちを逃すかのように背中を軽く引っ掻いた。

 

「ほんっと、そういうのどうかと思うッス」

 

「事実を述べたまでだ」

 

「……まぁいいけど。それで、ボクに何を言いたいんスか。黙ってたのはあまりに移動速度が速すぎたせいッスけど。そういうことじゃないんでしょ」

 

雪雲を運んできそうな強めの風が、森全体を鳴らしながら通り過ぎる。軽く膝を曲げて木の揺れを最小限に留めた施しの英雄は、暫く黙り込んでからぽつりと呟いた。

 

「オレは……君を案じている」

 

ガネーシャ神――ジナコは、ハッとして目を見開いた。

 

「先ほどの戦いに、令呪でおまえを呼ぶようマスターに進言したのはオレだ。狭い空間での戦闘では、先んじてマスターを逃がす必要がある。そして、あのような状況でのアーチャーはあまりに不利だ。故に、おまえが戦場に残るのが最善と判断してのことだったが……しかし、本当にそれでよかったのかとも考えてしまう」

 

戦闘に対する慧眼の持ち主であるカルナには、戦術上の最善であることも、それをすればジナコがパニックに陥ることも、全て分かっていたのだろう。だから、頭が真っ白になりかけたジナコを即座に正気に引き戻し、本来の役割を果たせるように導いた。

 

「ガネーシャ神よ。今回のレイシフトでおまえが目指しているものを、凡夫のオレでも、少しは理解できていると思っている。そして、おまえがそう望むのであれば、オレはオレに出来ることを全てやろうと決めている」

 

カルナの言葉がじんわりとジナコの心に沁みわたる。

 

カルナは一度そこで言葉を切った。風音だけが聞こえる闇夜に沈黙が落ちる。どこか穏やかな静けさを、ややあってカルナは破った。

 

「……しかし、それでおまえの笑顔が消えてしまうとしたら……それはオレが望む未来ではない。無論、あまりに強欲な望みだと承知している。それでも、おまえの望みとオレの望み、その両方が叶えばいいと願ってしまう己がいるのは、紛れもない事実だ」

 

いつもよりほんの少しだけ低い声に合わせて、彼の身体が微かに震えた。

 

施しの英雄が聞いて呆れる。本当に強欲だ。それなのに、その強欲な望みはどうしようもなくジナコの心を満たしていく。

 

あぁ、傍にいたいなあ。

 

もう誤魔化すまでもなく、噛み締めるようにジナコは思う。

 

ぐんぐんと新芽を出すばかりだった高望みの苗に、ぷくりと膨らみができる。きっとこれは蕾だ。この花が咲いたとき、きっとジナコは笑顔でカルナの隣に立てる。

 

例え怖くても苦しくても、耐え抜いて笑ってみせよう。軟弱な己の心に精一杯言い聞かせて、ジナコはそっと目を閉じる。

 

この花の色をどうしても知りたかった。

 

「カルナさんは難しく考えすぎッスね」

 

「……そうだろうか」

 

ジナコには、カルナの顔は見えない。それでも、どんな表情をしているかは手に取るように分かった。

 

「だってそんなの、ボクがいつも通りへらへら笑って、そのまま強ければいい話でしょ?そんなの朝飯前ッスよ。神様パワー舐めるなッス」

 

カルナには、ジナコの顔は見えない。だからいくらでも軽口を叩けた。あの優しすぎる瞳の前では隠しきれないことも、夜の闇なら隠しきれる。

 

「だいじょぶ、だいじょぶ。もう五回倒したんだから、あと七回ヘラクレスをサクッと倒して、聖杯を回収すればいいんでしょ?そしたらガネーシャさんは華麗なニートライフに戻るッス。そのためなら、今日みたいなことだってやってみせるッスよ!」

 

「……ガネーシャ神」

 

「ほーら、皆待ってるから。早く教会に帰るッスよ」

 

引き締まった背中をとんとんと二回ノックすると、カルナはちらりと後ろを振り返った。月の光が耳輪に反射して煌めく光景を、ジナコは噛み締める。本当にこの英雄は心も何もかもが美しい。だからこそ、太陽を曇らせることだけはしたくなかった。

 

カルナは無言のままジナコを抱え直し、木の枝を強く蹴った。押し留めようとする風を切って、教会に向かって突き進む二人の姿を見ている者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「おかえり!無事でよかった!」

 

大きく手を振る立香の明るい髪が、教会から漏れる明かりで揺れている。音もなく地面に降り立ったカルナは、丁寧にガネーシャ神を肩から降ろした。

 

「置いていってごめんね……」

 

「マスターは逃げなきゃなんだから、あれでよかったんスよ。ね、カルナさん?」

 

「あぁ、最善だった。誰一人欠けることなく戻ってこられたのは僥倖だ」

 

二人の全身をさっと確認した立香は、暖かな空気のほうへと誘導する。そのとき、細く開いていた扉が一気に開き、芝居めいたセリフが流れ出してきた。

 

「えぇ、そうでしょうとも!誰一人欠けることはありませんでした。そう、吾輩もこうして五体満足で逃げ延びております!ごきげんよう、インドの英霊たちよ。稀代の劇作家をお忘れになったまま死地を脱出したご気分はいかがですかな?」

 

「すまん」

 

「素直ッスね!?」

 

言い募るシェイクスピアに間髪入れずに謝ったカルナに、ガネーシャ神は思わず突っ込む。戦いの最中に瓦礫の下に埋まったのは覚えていたけれど、すっかり頭から抜け落ちていた。斜め前に立っている立香の肩が微かに震えていて、張りつめていた気がぷすんと抜ける。

 

「あまりに潔い謝罪、それもまた一興!『神は我々を人間にするために、(You gods will give us some )何らかの欠点を与える(faults to make us men.)』――半神たる者であれ依代に宿る神霊であれ、とどのつまり皆人間です。人間であれば欠点も弱点もございましょう。それは、大神ゼウスの息子であっても等しく降りかかるのがこの世の道理。さぁ、我がマスター!物語のクライマックスに向かって、ワルツを踊るといたしましょうか!」

 

この物語が悲劇になるのか喜劇になるのかは、まだ分からない。

 

逆光を背負った男は高らかに歌い上げ、大仰にお辞儀をして三人を先導する。教会の中へと導く劇作家に続き、ガネーシャ神も明るい空間に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

教会にはカルデアの面々以外にも、セミラミス、ギルガメッシュの姿もある。大方の情報交換は済んだあとだと立香はガネーシャ神に囁いた。

 

大きくため息をついて立ち上がったのは、孔明だった。

 

「積極的な共闘はしない、というシェイクスピアの読みは大外れだったということだな」

 

「かの大英雄を良く思っていないはずの彼女が、まさか彼を呼ぶとは、予想外なこともあるものです。これだから面白い!やはり現実とはこうでなくてはなりません!」

 

シェイクスピアは上機嫌に歌う。誰も返答をしない中、ガネーシャ神がおずおずと口を開いた。

 

「ボクは途中参加だから状況よく分かってないんスけど、ヘラクレスは執拗にシェイクスピアさんのこと狙ってた感じッスよね?怒らせたんスか?」

 

「ご名答!かの絵本の宝具は、吾輩が破らせていただきました!」

 

シェイクスピアは全く悪びれもせず、ウインクを飛ばした。それを見た孔明の眉間の皺は、日本海溝のように深くなる。

 

「ナーサリーライムが怒りを向けた相手をヘラクレスが襲う……やはり、マスターの姿形を写し取ったナーサリーライムを自身のマスターと勘違いしているのだろうか」

 

「そのあたりは分からないねぇ。マスターであるホムンクルスは既に死んでいたんだろう?ヘラクレスがマスターと見ているのが、ナーサリーライムなのか、彼女の持つ人形なのか……どちらにせよ銀髪で赤目の女性――アインツベルンの系譜の者に従うってことだろうね」

 

飄々と答えたマーリンは、握っていた手のひらをゆっくりと開く。形のいい桃色の花が男の手を彩った。

 

「私は人の心が分からないけれど、それでも一つ分かることがある。ナーサリーライムは今回の件で方針を変えただろうね。今後はヘラクレスと共闘するだろう。これは実に厄介な状況だ――そう思わないかい、カルナ?」

 

「あぁ。共闘を防ぐためには、同じタイミングでの各個撃破が必要となるな」

 

カルナの期待通りの答えににっこりと微笑んだ花の魔術師は、立香のほうを振り向いた。

 

「さて、マイロード。君はどうする?」

 

礼拝堂の一番前の長椅子に座る立香は、目を閉じて俯いた。今までのナーサリーライムとヘラクレスを思い返す。

 

『生きた証が欲しい』というマスターの望みを叶えようとするナーサリーライムは、特異点が永遠に続くことを願っている。では、ヘラクレスはどうだろうか?彼が何故戦っているのか、立香は未だに訊くことができないでいた。

 

「……そもそも、ヘラクレスは、なんで戦っているんだろう?カルナは言っていたよね、『あの男は何かを守っているように思える』って。彼は何を、どうして守りたいのか……それが私にはまだ分からない」

 

立香がゆっくりと紡ぐ言葉が、しんとした礼拝堂に広がっていく。

 

「マスターよ、それはオレにも分からない。しかし、あの男は確固たる矜持の元で動いているように見える。その上でこちらと敵対しているということは、結果は知れたことだ」

 

「それは……その矜持を折らないと、特異点修復は不可能ってことだよね」

 

「そうだ」

 

貧者の見識を持つカルナは、相手の本質を見極める。その言葉の重みは、立香もよく分かっていた。

 

「そうだよね……私が知っているヘラクレスも、自分の信念に従う人だもん。守りたいものが何かは訊いてみないと分からないけれど、きっと敵対する関係は変わらない」

 

立香は、凛とした目でサーヴァントたちを見回した。

 

「ヘラクレスを倒そう」

 

時折吹き抜ける風が、教会の扉をカタカタと揺らす。徐々に気温が下がってきているのか、はめ込み式の窓がうっすらと曇っていた。

 

「では、ナーサリーライムの隊と、ヘラクレスの隊に分けよう。ナーサリーライムはシェイクスピアに任せるのが最善だろうと思うが、マスター、君はどう思う?」

 

「私もそれがいいと思う。シェイクスピアがいないとナーサリーライムが探しそうだしね」

 

「『憤怒が寡黙で、怒り(Why should wrath )が黙っていることがあろうか(be mute, and fury dumb ?)』――えぇ、よいでしょう。怒りに染まった今の彼女は、取材対象として大変興味深い。絵本自身が紡ぐ物語の結末が悲劇か喜劇か、吾輩のこの目で見届けるといたしましょう!」

 

孔明と立香の言葉を受けて、礼拝堂を歩き回っているシェイクスピアは深々とお辞儀をする。鼻歌を歌いながら手持ちの本に何やら書き込む劇作家を横目に、孔明は更に言葉を続けた。

 

「マーリンの見立て通りであれば、人形そのものが聖杯の可能性もある。マスターはそちらに行くべきだろう。できればもう一騎そちらに回したいが……」

 

「やむをえん、我がそちらに行ってやろう。感動で咽び泣くがいい、雑種」

 

通路を挟んだ一番前の長椅子から聞こえた唐突な声に、立香の肩はびくんと跳ねた。ギルガメッシュの見定めるような赤い目は、立香を一瞥して逸らされる。向けられた先は、二列後ろの長椅子。

 

そこには、普段であれば全体を取り仕切っているはずの賢者が、今夜は一度も言葉を発さずに静かに座っていた。

 

「――そうか」

 

ぽそりとギルガメッシュの口から呟きが零れ落ちた。黄金の睫毛で瞳を隠した魔術師もどきの男は、細く息を吐き出してから突然立ち上がる。

 

「雑種、決断の刻限だ。状況は分かっているのであろう」

 

「えっ……」

 

「たわけが。この期に及んで――」

 

「ギルガメッシュ、ありがとうございます。そこからは私が」

 

ウルクの賢王を片手で制して立ち上がったのは、ケイローンだった。

 

二列分の距離をゆっくりと歩いて、立香の隣に一人分の距離をあけて腰を下ろす。穏やかな微笑みとは裏腹な、業火のように激しい色を浮かべた瞳が、真っ直ぐに立香を捉えた。

 

「さて、マスター。ヘラクレスを完全に打ち倒す方法について、話すとしましょう」

 

 

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