後ろ姿よ、さようなら   作:こり

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第14話

太陽神の炎がヘラクレスに届かなかったとき、ケイローンの頭をよぎったのはやはりという諦観と、そうでなくてはという納得だった。納得というより、どちらかと言えば喜びに近い。

 

ヘラクレスは、ギリシャきっての大英雄と呼ばれたかつての弟子だ。狂化や聖杯による変質が起きても、攻撃を見切るであろうことは、かつての師として確信していた。

 

だから、こうなることは予測の範囲内だ。

 

「ヘラクレスの残り七回の命を一度に奪う――それは昨日ギルガメッシュが説明した、生前の死を再現する方法が一番確実でしょう。幸い味方には実行できる全ての条件が揃っています。セミラミスが誰かにヒュドラ毒を与え、ヒュドラ毒と同じ効果を持ったその者の血をヘラクレスに浴びせかけ、カルナの宝具でとどめを刺す。実行に支障はありません」

 

淡々と条件を挙げ連ねるケイローンに、セミラミスが口を挟んだ。

 

「改めて言っておくが、今の我は万全ではない故に、触れた者に『ヒュドラ毒を与えられた』という概念を付与することしかできぬ。ヘラクレスとやらに直接付与することは不可能だ」

 

「えぇ、だからこそ、実行者を一人決めなくてはなりません。ヘラクレスに接近せずに己の血をつけることできる者……クラスはアーチャーが最適でしょう」

 

ケイローンの言葉に動揺したのは、立香とガネーシャ神だった。あとのメンバーは微動だにしない。孔明が拳を強く握り締めているのが見えて、ケイローンはほんの少し笑った。彼の人間性は、現代最高峰の地位にいる魔術師とは思えないほど人間らしい。

 

「ちょっと待って、私なら毒に対する耐性があるから……」

 

「何より重要な貴女に危険を冒させるわけにはいきませんよ。それにマスター、毒を付与された者の血液は、毒そのものです。本人以外が毒に触れたものに触ることすら危険だ。毒を呷った者が、自身の血を自身で飛ばす以外の手はないのです」

 

立香の苦しそうな目を覗きこみ、丁寧に諭す。

 

人理を修復し、異聞帯をいくつも踏破した彼女は、最善手が何かをよく理解している教え子だ。何を言っても、ケイローンがヒュドラ毒を呷る未来は変わらないと既に理解しているだろう。それでも、なんとか回避しようと試みるのが彼女の美点だと、ケイローンはどこか誇らしくなる。

 

「実際の手順はこうなるでしょう。まずカルナがヘラクレスを一度倒します。蘇生する隙をついて、セミラミスが私に毒を付与してください。私は己の血を矢尻につけてヘラクレスに撃ちこみます。そうすれば彼の全身にヒュドラの猛毒が回る……そこで、最後はカルナ、貴方の本来の宝具で焼き尽くしてください」

 

無言で頷いたカルナに、ケイローンも頷き返した。

 

ヒュドラの毒は猛毒だ。矢尻についた少しの血液でも死に至らしめる効果はある。なにしろ、ケイローン自身が生前に経験したことだから、確証があった。

 

「ケイローン、汝の生前の最期はそれこそヒュドラ毒ではなかったか?我のスキルは、毒で倒れた逸話のある者には効果が跳ね上がる……それを分かって言っているのであろうな?」

 

「えぇ、もちろんですよ、セミラミス。今回に関しては、むしろ好都合というものです」

 

「はぁ……汝は正気ではないな……いや、どこまでも正気なのか。師弟揃って狂っているようにしか見えぬが」

 

呆れを隠さないアッシリアの女帝に、ケイローンは苦笑いを一つ返す。

 

「君ならどんな状態でも弓を射るんだろうけど、私としては苦しむのはあまり見たくないからね。毒の付与と合わせて、私の宝具で君をバックアップしよう。そうすれば少しはましになるはずだ」

 

「ありがとうございます、マーリン。さて、マスター、こちらの案でいかがでしょう?」

 

礼拝堂の後ろのほうで大きく伸びをしたマーリンの提案をありがたく受け入れ、ケイローンは立香に向き直った。夕焼け色の髪が揺れて、立香が顔を上げる。その瞳は苦し気だ。

 

「……毒矢を放ったら、回復に令呪を使わせて。必ず戻ってくるから、苦しいと思うけれどそれまで頑張ってほしい」

 

「承知いたしました、マスター。貴女が戻るまで耐え抜くと誓いましょう」

 

「分かった。――じゃあお願い、ケイローン」

 

本心からそう返せば、心の揺らぎを隠すように立香は不敵に笑う。

 

これでマスターの了承は得た。最後にケイローンが確認すべきことは、あと一つだ。

 

「待て、私からも一ついいだろうか。ヘラクレスにとどめを刺す際のことだ。毒に苦しむヘラクレスは、今まで以上に暴れ狂うことだろう。その際の手順を確認しておかねば、全ての苦労が水の泡になる」

 

「流石は孔明ですね。その点について確認できたら、私もこの案を実行に移そうと考えていました。逆に言えば、確認できない限りは先に進めません」

 

長椅子から立ち上がり、立香の側まで歩いてきた孔明の口調は、心なしか早口だ。不思議そうに孔明を眺めた立香は、あっと小さく叫んで勢いよく振り返る。

 

視線の先には、ほんのりと青ざめたガネーシャ神がいた。

 

「えっボク?」

 

「そうだ……いや、正確にはガネーシャ神とカルナだが。カルナ、確認だが、君の真名解放はそれなりの時間を要すると考えていいか?」

 

「あぁ、決して短くはないだろう」

 

「となると、その間ヘラクレスを確実に押しとどめる役割が必要になる。こちらの陣営の特性と状況を鑑みるに、最適なのはガネーシャ神だ。しかし、そうなると……いや、他に方法は……」

 

カルナに確認をとった孔明は、腕組みをして黙り込む。おろおろと視線を彷徨わせたガネーシャ神は、象の被り物の耳を引っ張って俯いた。

 

「諸葛孔明……いえ、ロード・エルメロイⅡ世。貴方は少々優しすぎるようですね。私の命に関わることですし、ここは私が訊きましょう」

 

長椅子から立ち上がり、大軍師に言葉を選びつつ語り掛ける。バツの悪そうな表情を浮かべた孔明は、何も言わずに微かに首を振った。

 

ケイローンはゆっくりと通路を進む。向かう先にいるのは、不安げな表情を浮かべたガネーシャ神と、一見静かなようで目線が鋭いカルナだった。

 

「ガネーシャ神、そしてカルナ。今から訊く質問によく考えて答えてください」

 

ガネーシャ神の瞳が眼鏡越しに揺れる。

 

これはケイローン自身が本人たちに問い掛けなければならないことだ。

 

「ガネーシャ神、貴女はカルナの真名解放まで、ヘラクレスを確実に止められますか?」

 

「そして――カルナ、貴方はガネーシャ神に向かって宝具を撃てますか?」

 

ケイローンの言葉に、ガネーシャ神が眼鏡の向こうで大きく目を見開いた。ココアのような優しい色に、衝撃と戸惑いが重ね塗りされていく。

 

ガネーシャ神が本来戦いを苦手としていることは、ケイローンも承知している。そして、カルナが彼女に寄り添い、手助けをしていることも分かっている。

 

それでも、ケイローンは思うのだ。戦場での覚悟は、戦場でしか教えられない。

 

これから起きる一連の出来事は、彼女が望む形の試練ではないだろう。それどころか、彼女の柔い心をずたずたに傷つける恐れすらあった。それでも、きっと隣の英雄が一緒に乗り越えると信じて、ケイローンは彼女に賭ける。

 

他でもない彼女が、これだけカルナを変えたのだ。それならば、カルナがいれば彼女が変わるのもまた道理だろう。

 

「この作戦は最も信頼しあい、絆が深い二騎でないとできないものです。ですから、カルナ、そしてガネーシャ神が実行できるというならば……この命、貴方がたに賭けましょう」

 

ケイローンは、彼らに対して真っ直ぐに問い掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

ぱちぱちと薪の爆ぜる音が森に響く。教会から少し離れた木の下にしゃがみ込んだジナコは、少しずつ冷える体を抱き寄せて焚火の前で小さくなっていた。

 

「マスターからだ」

 

「ありがと」

 

差し出されたマグカップを受け取ると、温かい湯気が頬にぶつかって散らばっていく。他の皆は教会の中で休んでいるようだった。

 

静かに隣に座るカルナをちらりと見て、ジナコはなんとなくカップの中に視線を落とす。炎に照らされた自分の姿が、ぼんやりと水面に揺らいでいた。

 

「なんで時間もらったんスか」

 

「おまえの手が震えていたからだ」

 

なんでもないことのようにあっさりと返すカルナに、内心ため息をついた。普段細かいことはあまり気にしない性質なのに、そういうところだけ目ざといのは困りものだ。

 

膝の上でマグカップを握りなおしたカルナの手を盗み見る。どんな劣勢になっても決して震えることはない戦士の手は、ジナコとは相容れない手だ。

 

出会って、別れて、そしてまた出会って、今こんな形で隣にあるのが奇跡としか言いようのない手から、ジナコはどうしてか離れがたい。

 

「どうせ貧者の見識でまるっとお見通しだろうからもう言っちゃうッスけど……全然怖くないかっていったら、流石にそれは嘘になるッス。戦うのも怖いし、戦って味方がいなくなるのも怖い。でも、アタシは、サーヴァントとしてマスターのために戦いたい。これだけは、ほんと」

 

ジナコはなんとなく右手を左手でそっと握った。それを見たカルナは、何も言わずにマグカップの側面を親指で撫でる。

 

「孔明さんに訊かれたッスよ。ボク自身を支える信念はなんだって。それを見つければ、疑似サーヴァントとして戦場に立てるようになるって。……その支えがなんだか、訊かないんスか?」

 

「……おまえが許してくれるならば」

 

ジナコの部屋の扉を開けるのは無遠慮極まりないのに、こういうところは自分からは踏み込んでこない。そういうところがジナコを安心させるカルナの善性であり、ほんの少し歯痒いところでもあった。

 

孔明に問い掛けられてから、地下空間でヘラクレスと肉薄したときもずっと考えていた。でも結局答えなんか一つしかないのだ。あのインド異聞帯で最後まで戦えたのは、他でもないカルナに頼むと言われて、約束が果たされたからなのだから。

 

「――『アタシがカルナさんを信じている』ことッス」

 

息を呑む音が聞こえて、ジナコの口元が思わずほころんだ。

 

「カルナさんはさあ、今回の作戦、ボクができるって答えたら、それ信じる?」

 

「愚問だな」

 

「言葉が足りなくないッスかぁ」

 

「……そのような問い掛け自体が不要であり、愚問だ。信じるに決まっている」

 

カルナの瞳は真っ直ぐにジナコを射貫く。曇りのない空色に焚火の赤が映り込んで、まるで朝焼けのようだった。綺麗だなと場違いなことを考えてから、ジナコは微かに視線を逸らす。

 

「でもボク自身はボクを信じられないわけッスよ。……でもそれじゃ、アタシを信じてくれたカルナさんを信じられないってことだよね。それはおかしい」

 

段々と強くなる語尾に、自分でもびっくりする。多分カルナもびっくりしているけれど、止められない。

 

「だから決めたッス。『カルナさんが信じるボク』を信じるって」

 

結局のところ、怠惰で、臆病で、すぐに逃げたくなる自分が戦えるなんて、ジナコはこれっぽっちも信じられない。でも、カルナのことは何が起きても信じている。それがジナコという人間の根本だ。

 

だから、カルナがジナコを信じているという事実を逆手に取ることにした。そうすれば、間接的にジナコは自分自身のことを信じられる。自分でも笑ってしまうような屁理屈だと分かっている。でも、それで耐えられるのであれば、ジナコにとってはオールオッケーだった。これが、心の花が咲く日までじりじりと耐えきるためにジナコが編み出した作戦だ。

 

「……それが君が決めたことならば、オレはそれに従おう。元よりオレは、いつでもおまえのことを信じている」

 

その言葉に、ジナコの心はふわりと温まった。まるで春が来たような心地がして、単純すぎる脳みそに笑ってしまう。

 

「ヘラクレス、止めて見せるッスよ」

 

「あぁ、そしてオレはおまえの努力に必ず報いると誓おう」

 

どちらともなくマグカップを持ち上げて、こつんとぶつけた。その拍子に指と指が触れ合って、ジナコはふひひと笑う。

 

ジナコの心で育つ蕾が、また少し膨らんだような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最低限の照明のみ残して明かりを落とした教会内で、人影が動く。入口付近に集まっているのは、ケイローン、孔明、そしてギルガメッシュの三人だ。

 

「マスターは眠ったようですし、相談があります。単刀直入に言いますが、私に万が一のことがあった場合についてです」

 

「みなまで言わずとも、とうに予測しておるわ。小賢しい真似をするものよ」

 

「……生憎千里眼は持っていないので訊くが、ケイローン。貴方は何を考えている?」

 

鼻で笑ったギルガメッシュとは対象的に、孔明は真剣な眼差しを賢者に向けた。ひそひそと行われる密談を見るものは、教会内のどこにもいない。

 

小声で交わされる議論は、しばらくして一度落ち着いた。ギルガメッシュは腕組みをし、呆れたように息をつく。

 

「我の手を煩わせるとは、大した賢者よ。まあよい。誘導程度してやろうではないか」

 

「ふむ……では、私の第二宝具を使うか。それであれば、最大限の補強は可能だろう」

 

一通り話し終えた三人は、窓の向こうに見える焚火に目をやった。ケイローンの問い掛けに対して、できると答えたサーヴァントたちは、二人セットで外を見張っている。

 

「しかし、賢者よ。そもそもガネーシャ神とやらは、あの狂戦士を抑え込むことができるか分からぬのではないか?どうやら貴様らは信用しているようだが」

 

「彼女なら大丈夫です」

 

間髪入れずに答えたケイローンに、ギルガメッシュは片眉をぴくりと上げる。ケイローンの気迫に満ちた瞳を一瞥し、賢王は口の端に薄笑いを浮かべた。

 

「……貴様に免じて様子見するとしよう。最後までぬかるなよ」

 

「えぇ、ありがとうございます」

 

ケイローンがにこりと笑うのを無表情に眺めたギルガメッシュは、唐突に霊体化して消える。ケイローンと孔明は顔を見合わせ、どちらからともなく苦笑いした。

 

時折吹く強い風が、教会の窓を揺らしていく。静けさに満ちた世界に、夜明けの時刻が刻一刻と迫っていた。

 

 

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