後ろ姿よ、さようなら   作:こり

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第17話

響き渡ったのは、断末魔のような絶叫だった。

 

長く長く尾を引きながらかすれて声が消え、ケイローンは膝をついて崩れ落ちる。取り落とした愛用の弓矢が床に叩きつけられ、鈍い音を立てて跳ねた。

 

口から溢れ出す血液はどす黒く変色し、滴り落ちた先の床をも腐食する。がたがたと震える腕で必死に体を支えるケイローンを見下ろしたセミラミスは、憐憫の色を浮かべて呟いた。

 

「不死を返上するほどの苦しみと知っているにも関わらず、死してなお自らそれを食らうとは……ここまでしようと思わせるあのマスターとは、恐ろしいものよ」

 

止まらない吐血が辺り一面を変色させる。ぼたぼたと垂れる血が矢尻にかかると、黒い煙を上げて一瞬で焼け爛れた。その矢を必死で掴んで、ケイローンは片膝をつく。

 

マーリンの花びらがケイローンの周りで光に変わり、絶えず回復を続ける。真っ赤に充血した瞳を細めた賢者は、なんとか立ち上がって矢を番えた。

 

そのとき、大きな音が鳴って、巨岩の柱に太いひびが入る。孔明の限界を告げる声と同時に、カルナが大きく後方に跳躍した。

 

「■■■■■■■!!」

 

咆哮を上げたヘラクレスが、ひびに向けて斧剣を打ちつける。柱が一本砕けたと同時に、陣を作る全ての柱が光の粒子になって消えた。同時に、自由を得たヘラクレスの頭上で、太陽より眩い業火が巻き起こる。

 

「『梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)』!」

 

大気中の酸素全てを燃やし尽くすような炎が、ヘラクレスに向かって投擲された。寸分たがわず敵の胸部を刺し貫くこの槍は、バーサーカーの命を一つ削る。

 

地面ごと抉り取って燃え上がる爆炎に向けて、ケイローンは己の血にまみれた毒矢を撃ちこんだ。

 

耳をふさぎたくなるような絶叫と、目を覆いたくなるような猛火。

 

障壁でその全てに耐えていたガネーシャ神の目に飛び込んできたのは、矢を掴んだ片腕だった。

 

もうもうと立ち上がる黒煙の中から伸びた狂戦士の腕は、ケイローンの放った矢を完全に止めている。

 

「なんで……死んでないッスか……!?」

 

ヘラクレスは一度受けた攻撃に対して耐性を得る。それはもちろん知っていたし、実際にカルナの魔力放出も二度目は効かなかった。しかし、まさかこの宝具まで防ぐとは。

 

「ボクが行くッス!」

 

足が勝手に動き出す。ケイローンは必ずもう一度矢を射るだろう。だからそれまでは、なんとしてでもヘラクレスを封じ込める。それが今自分にできる最適解だと、ガネーシャ神は知っていた。

 

あと少しでヘラクレスの目の前に辿り着く、そのときだった。

 

「待て、ケイローン!」

 

珍しく焦ったセミラミスの叫び声に、ガネーシャ神はハッと上を見上げる。塔から飛び降りたケイローンは、地面に転がりつつも立ち上がり、一気に加速する。

 

「全員下がれ!」

 

響き渡った激しい怒号に、反射的にガネーシャ神は縮み上がった。カルナが目を見開いて動きを止めるのが視界に入り、踏み出す足に迷いが生じる。

 

足がもつれたガネーシャ神を追い越して、ケイローンは風のように駆け抜ける。

 

両の拳を握りしめてぐっと腕を引く。無意識にとるのは、パンクラチオンの構え。

 

迫るケイローンに、ヘラクレスの手から斧剣が投げ捨てられた。同じように拳が握りこまれて、かつての師弟は同時に利き足を強く踏み込む。

 

「ケイローンさん!!」

 

ガネーシャ神の悲鳴が青空にこだました。

 

舞い上がった土煙の先にケイローンが見える。しかし、その背中には、ヘラクレスの太い腕が貫通していた。

 

臓腑がへしゃげるような音を立てて、ケイローンの口からどす黒い血が溢れ出す。その血を正面から浴びたヘラクレスもまた、獣のような断末魔を上げた。

 

「■■■■■■■!!」

 

毒に侵されたヘラクレスは、地面に崩れ落ちてのたうちまわる。その拍子にケイローンの身体が吹き飛び、地面に叩きつけられた。

 

しかし、突然手負いの獣は起き上がる。近づこうとしたカルナには見向きもせず、唸りながら全く違う方向に向かってよろよろと歩く。

 

口から変色した血を流すヘラクレスはもう一度大きく吠えて、突然回廊に向かって跳躍する。なりふり構わない様子で周囲の建物を破壊しながら、城のエントランスに向かって姿を消した。

 

「マスターが危ない、カルナ!追ってくれ!」

 

孔明の声に応じたカルナの姿が一瞬で掻き消える。その様子を目の端で捉えながらも、ガネーシャ神は一切その場を動けなかった。

 

バーサーカーの腕から解放されたケイローンは、ガネーシャ神の数メートル先で地面に倒れ伏していた。広がる血で周囲の芝がみるみる間に枯れていく。

 

「ガネーシャ神、それ以上近づくんじゃない!」

 

孔明の必死の叫びをぼんやりと意識しながら、ぎこちなく目を動かす。腹に開いた風穴から向こう側が見えて、ガネーシャ神の喉がクッと鳴った。

 

このままではケイローンが死んでしまう。

 

そう気づいた瞬間、ガネーシャ神の身体を戦慄が突き抜けた。

 

ひ、という声が口から零れる。ただその場に立ち尽くして、がたがたと震える両腕を掴むのが精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

 

エントランスの吹き抜けから差し込む光が、大理石の床の上で踊る。

 

床にしゃがみこんだ立香は、倒れたナーサリーライムを見つめていた。背後に控えるキャスター二騎は何も言わない。

 

赤い池の中に横たわる少女の口が微かに動く。立香は透き通るように白い肌に耳を寄せた。

 

「あぁ……もう最後のページがきてしまったのね……あたしたちのお話はこれからだったのに、あの子に……そう、作家のおじ様の言う通りかも……あたしは、何もしてあげられなかった……」

 

ナーサリーライムの小さな手が宙に伸ばされる。立香は少し迷ってから、ほっそりとした指先をそっと握った。

 

この特異点で出会ってから何度も会話し、お茶会で同じテーブルを囲んだ彼女を思い出す。マスターであるホムンクルスの少女そっくりの人形をいつでも大切に扱っていた。壊れ物を愛おしむような手つきに、偽りはない。

 

「……ナーサリーライム、あなたがあの子のために一生懸命だったことは、私が覚えているよ」

 

「そう……それは少し、嬉しいわ……」

 

野薔薇のような赤い瞳をゆるませて少女は笑った。掴んだ指先が次第に光の粒子に変わり、空気中に溶けていく。

 

「……それじゃあ、さようなら。あなたと飲んだ紅茶は、なんだかとっても美味しかったわ」

 

「うん、さようなら」

 

最期に満面の笑みを浮かべて、ナーサリーライムの姿が消えた。あとに残されたのは、壊れかけた人形だけ。

 

立香は立ち上がり、床に放り出された人形を見つめる。ガラスでできているであろう赤い目に映り込む自身と目が合って、反射的に視線を逸らしそうになるのを意志の力で止めた。選択した結果もたらされたものを確認し、忘れないために、立香の両目はついているのだから。

 

「……それじゃあ、聖杯を回収しようか」

 

「待て。これは……いかん、伏せろ!」

 

人形に手を伸ばした立香に、背後からギルガメッシュが鋭い声を上げる。反射的に手をひっこめたそのとき、エントランスの天井がみしりと揺れた。続いて石組みが崩れ落ちるような音がして、天井からぱらぱらと破片が降り注ぐ。

 

轟音と共に天井が崩落するのと、エントランスの左側の壁が破壊されるのは同時だった。肌で感じるくらい膨大な魔力を纏ったなにかが、真上から降ってくる。

 

大地震さながらの揺れがエントランスを襲う。瓦礫と土煙で視界が奪われた立香の目の前に左から滑り込んだのは、太陽の輝きを具現化したような鎧だった。

 

「カルナ!」

 

「括目しろ、マスター。――今の奴は、狂った獣だ」

 

崩落する巨大な瓦礫を一閃で砕いたカルナは、振り返らずに槍を構えなおす。落下の衝撃でエントランスの床を抉り取ったバーサーカーは、今までになく凄絶な叫び声を上げた。

 

「雑種、下がれ!近づいてはならん!」

 

立香の襟を勢いよく掴んだギルガメッシュが、そのまま自身の後ろに立香を放り投げた。もんどりうって転がった立香を守るように、賢王と劇作家が前に立ちはだかる。

 

「■■■■■■■!!」

 

後ろにのけ反りながら悲鳴に近い雄叫びを上げたヘラクレスの口から、どす黒い何かが溢れ出す。床に滴った箇所から煙が上がる様子に、シェイクスピアが顎を指で撫でた。

 

「なるほどなるほど。ヒュドラ毒の付与は上手くいったのですな」

 

「でも、それならなんでこっちに……」

 

立つことすらままならず、斧剣を支えにして起き上がる姿は痛ましい。しかし、ヘラクレスはこちらにも目もくれない。何度も吐血しながら、なおもバーサーカーは震える指を伸ばす。その先にあったのは、壊れかけの人形だった。

 

「おぉ、聖杯を求めているのか?それは少々まずいのではありませんか、我がマスター!」

 

「――それは違う、作家よ」

 

悲劇を語る役者を遮り、施しの英雄は強い眼差しでヘラクレスを見つめた。何度も膝をつきながら人形の腕を掴んだその動作は、驚くほど繊細だった。

 

「……もしかして、あなたが守りたいものは、その人形……違う、アインツベルンのマスターなの?」

 

打ち付けた腰の痛みも忘れて、立香はヘラクレスに問い掛ける。

 

「教えて、ヘラクレス!あなたは、アインツベルンのマスターを守るために戦っているの?」

 

必死の問い掛けへの返答は、苦痛にまみれた咆哮だった。

 

小さな人形をしっかりと脇に抱えたヘラクレスは、エントランスの壁に突進する。轟音と共に壁を突き抜けて、そのまま外に躍り出た。

 

立香は微かに項垂れて、土煙を巻き上げながら森を進む狂戦士を見送る。

 

「雑種、追うか?」

 

「――いえ、今は戻ります。カルナ、来てくれたのはそのためでもあるよね?」

 

ギルガメッシュにきっぱりと答えた立香は、カルナのほうに一歩踏み出した。

 

ヘラクレスが毒に侵されているということは、ケイローンもまた苦しんでいる。自ら進んで毒を呷ったアーチャーを、一刻も早く苦しみから救いたかった。

 

「急げ、猶予はないぞ」

 

カルナの口調は、いつもよりも重い。珍しく伏し目がちなカルナに、立香は一抹の不安を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

ピンク色の弾丸が青空を横切って、芝生の広場に降り立った。ヒュドラ毒に侵された者の血に触れるわけにいかず、遠巻きに見守るほかなかったサーヴァントたちが、口々に立香を呼ぶ。カルナの腕から抜け出した立香は、転がるように広場の中央に駆け寄った。

 

「ケイローン!」

 

想像していない事態の凄惨さに、立香が息を呑む。マーリンが絶えず宝具を解放し続けることで立香の到着まで繋いだものの、手の打ちようがない状況なのは明らかだった。

 

高い耐毒スキルを持つ立香は、周囲の腐食などお構いなしでケイローンのすぐ隣に跪く。黒いブーツのつま先が、嫌な音を立てて焦げた。

 

「ケイローン……!待ってて、今すぐ令呪で回復を」

 

「いけません」

 

毅然とした声が立香を止める。ケイローンは立香の右手首を強く掴み、咳き込みつつも言葉を絞り出した。

 

「最後の令呪は然るべきときに使うべきです。……どのみち、私はもう耐えられそうにありませんから……予想外にヘマをしてしまいまして、お恥ずかしながらこのざまです。申し訳ありません……」

 

特訓しなおしですね、と微笑んで、ケイローンは目を閉じる。立香は彼の手をそっと外し、両手でしっかりと握りなおした。

 

「マスター……聖杯は、回収できましたか……?」

 

「……ううん、ごめん。ヘラクレスに持っていかれてしまった」

 

「そうですか……我がマスター、貴女なら……大丈夫です」

 

ケイローンの輪郭が徐々にぼやけて、光の粒に変わっていく。最後に、と呟いてケイローンが呼び掛けたのは、一番近くでしゃがみ込んでいたガネーシャ神だった。

 

「ガネーシャ神……貴女に余計なショックを与えてしまい、申し訳ありません……気にするなと言っても気にしてしまうでしょうけれど、私は私の最善を尽くしました……だから、これでいいのです。貴女は貴女の最善を尽くしてください」

 

声が徐々に遠くなる。瞬きののち、ケイローンは光となって消え去った。回復する対象を失った花びらが、体温を奪うような風に乗って散らばっていく。

 

離れた位置で見守っていた劇作家が、静かに手にした本を閉じる。

 

「『この世を去るのは、生れ出てくる時と同じ。(Their going hence, even as )そうなるときがやがて来る(their coming hither.)』――これ即ち、運命と説きます。無常の風は時を選びません」

 

低く落ち着いた囁き声が静まり返った広場に染み渡った。

 

 

 

 

 

 

 

――そのとき、突然ガネーシャ神が立ち上がった。

 

すぐ後ろにしゃがんでいたカルナが咄嗟に伸ばした手を振り払い、芝を蹴って駆け出す。

 

「ガネーシャさん!?」

 

一目散に森の中に走り去る彼女を追おうとした立香は、カルナの腕に阻まれる。勢いよく立ち上がったカルナは、一瞬思案した後、立香の前に片膝をついた。

 

「マスター、ここは任せてもらえないだろうか」

 

「カルナ」

 

「……頼む。オレと彼女の二人で話がしたい」

 

真っ直ぐに立香を見つめるカルナの瞳は、いつものようなただの空色ではなかった。普段では考えられないほどの必死さが、朝焼けのように滲んでいる。

 

駄目という選択肢など、立香にはもちろんなかった。

 

「私たちは教会で待ってる。頼んだよ、カルナ」

 

「承知した。礼を言う、マスターよ」

 

微かに口角を上げた施しの英雄は、踵を返して森の中に消える。その様子を見ていたマーリンが、立香のほうへ歩み寄って肩をすくめた。

 

「ちょっとしたアクシデントはあったけど、一応作戦自体は上手くいっているじゃないか。ここから先の作戦は、彼ら二人にかかっているけれど、あの様子で大丈夫なのかい?」

 

ケイローンの消滅を『ちょっとした』アクシデントと言い切る冠位資格持ちの夢魔に、立香は思わず苦笑した。人間の心は分からないと言う彼にとって、今のガネーシャ神は不安要素でしかないのかもしれない。でも、立香はそうは思わない。立香が見てきたどのサーヴァントたちよりも、あの二人は絆が強いのだから。

 

「うん、大丈夫だよ。ガネーシャさんとカルナなら、絶対に大丈夫」

 

笑顔で断言した立香に、マーリンが面白がったような目を向ける。視線を無視して皆に教会への撤退を伝えた立香は、二人が消えた森を振り返った。

 

「――信頼って、強いよなあ」

 

ぼそりと呟いた立香は、己の右手を太陽にかざす。一画残った令呪の赤がまるで炎のように見えて、人類最後のマスターは零れるような笑みを浮かべた。

 

 

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