後ろ姿よ、さようなら   作:こり

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第18話

ところどころに残った葉が作り出す木漏れ日の迷路を、カルナは走り抜けていく。すぐに捕まえられると踏んでいたものの、ガネーシャ神は細かく方向転換しながら進んでいるらしい。最短の直線ルートを取って回り込もうとするも、悉く躱されていた。

 

「……この敏捷さは聞いていないぞ、■■■よ」

 

向かっている方向とは少しずれた木立の奥に、優しい色合いの被り物が見えた。進路を修正しながら思わず零れた言葉にハッとする。

 

今のカルナは彼女の本当の名を呼べない。正確に言えば、言葉には出せるが認識できない歯痒い日々が続いていた。いつかは彼女の名を呼んでみせると己に固く誓っていることなど、彼女は知るはずもないだろう。

 

しかし、今はそれでもよかった。着実に距離を縮めながら、カルナは己に残る記憶を手繰り寄せて反芻する。

 

たとえ彼女の名を呼べなくても、カルナは■■■のことを知っている。

 

他人を拒絶するくせに人一倍寂しがり屋であること、本来であれば戦場に出るのは不可能なくらい怖がりなこと、そして大切な人の死にどうしようもなく敏感なことを、よく知っている。

 

だからこそ、あの時できなかった、そして今ならできることを、カルナは分かっていた。

 

「――ガネーシャ神!!」

 

まずは、今できる精一杯で彼女を呼ぶ。

 

ガネーシャ神の小さな背中がぴくりと跳ねたのを、カルナは見逃さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

背後から飛んできたある意味予想通りの声に、ジナコの足はあきらかに鈍った。どうせランサークラスの速度を振り切れるわけがないのだ、逃げるだけ無駄だろうとジナコは内心で自嘲する。

 

そもそも、なんで逃げてしまったのかすらよく分かっていなかった。ここは微小特異点で、レイシフト先だ。逃げたってカルデアの自室に戻れるわけでもないし、誰かが助けてくれるわけでもない。むしろ今の自分は神霊の疑似サーヴァントで、最前線で皆を守るべき立場だ。

 

『やるべきことがあるからだ。かの王の名に懸けて』

 

ついこの間言われた孔明の言葉を思い出す。

 

あまりに強い決意の言葉に、ジナコは耳を塞いで蹲りたくなった。戦場に出る恐れ全てをねじ伏せるような強烈な決意なんて、怖がりでちっぽけな自分にできるわけがない。

 

でも、やらなければいけないのだ。

 

だって、もうケイローンはいない。ジナコとカルナに全てを託して消えてしまったのだから。ここでジナコがやらなければ、ケイローンの死も何もかもが水の泡と帰す。

 

そんなこと、誰に言われずとも分かっていた。ただ、理解はできていても、感情がついてこないだけで。

 

『気にするなと言っても気にしてしまうでしょうけれど、私は私の最善を尽くしました……だから、これでいいのです』

 

「――よくない、よくない、よくないッ!」

 

脳内で響いたケイローンの声に、思わず反論する。立ち並ぶ木々に己の叫び声がこだましていることにも、自分を追う足音がすぐ後ろに迫っていることにも気づかず、ジナコは立ち止まった。

 

「死んじゃったら、どうにもなんないじゃないッスかぁ……!!」

 

ジナコはそのまま蹲った。自分でも理解不能のどす黒い恐怖が心を覆い尽くしていく。

 

「アタシにどうしろっていうの!アタシの最善って何!?アタシは何もできてない!!できてたらケイローンさんは死ななかった!!アタシにできる最善なんて、そんなの何もないでしょ!?」

 

もう何も聞きたくなくて、被り物の耳を引っ張って必死で両耳を塞ぐ。

 

心でぐんぐん育っていた高望みの苗が、恐怖に押しつぶされてどんどん萎んでいく。心ごと冷えて固まっていく感覚に、ジナコはどうしようもなく震えた。

 

「アタシだって頑張ろうと思ったの!でも、怖い、怖いよ……!!なんで皆平然としてられるわけ!?だって死んじゃったんだよ、ケイローンさん、もういないのに!!どうして……アタシはどうすればいいの!分かんないよ!誰か教えてよ!アタシは、どうすれば……!」

 

恐怖のままに滅茶苦茶に叫ぶ。何もかもがどうでもよくなって、心が全部閉じていく。ジナコは勢いのまま、大切に育ててきた心の苗を掴んで引き抜こうとした。

 

そのとき、塞いだはずの耳に飛び込んできたのは、落ち葉を踏みしめる音。

 

うっすらと涙を浮かべたジナコは我に返り、必死で被り物の耳を引っ張って縮こまる。たとえ誰が来ようとも、絶対に顔なんか上げないと誓う。

 

しかし、そんな誓いは一瞬で砕け散った。

 

「――ジナコ」

 

予想外の言葉に、弾かれたように顔を上げる。

 

ジナコの背後に立っていたのは、紛れもないジナコのヒーローだった。

 

 

 

 

 

 

 

「……カルナさん」

 

ぽろりと零れた涙が眼鏡のレンズを濡らす。あぁ、前が見にくいなと思っただけのジナコに対し、カルナはぎょっとしたようだった。ほとんど変わらない表情がどことなく慌てている。

 

「泣いているのか。……それと、先ほどオレは……」

 

一瞬外れた認識阻害は、また仕事に復帰したようだった。眉を顰めながらおろおろするマハーバーラタの大英雄の姿がなんだかおかしくて、ジナコの恐怖の糸がぷつりと切れる。

 

大きく息を吸って、肺の中の空気を丸ごと吐き出す。さっきまで上手く吸えなかった酸素が、今は上手く取り込めた。

 

恐怖に支配された心を一瞬で引き戻した男は、音を立てないようにジナコの隣にしゃがみ込む。

 

慎重すぎる動きに小さく笑って、ジナコは一度目を閉じた。心の中で握りしめていた苗から、ゆっくりと手を離す。茎は潰れてしなびているけれど、どうやら蕾は無事だったようだ。よかった、と小さく息をつく。

 

眼鏡を外して涙をぬぐったジナコは、少し口ごもってから口火を切った。

 

「……マスター、怒ってたッスか」

 

カルナの透明な視線がジナコに突き刺さる。なんとなくいたたまれなくなって、ジナコは右手を左手で掴んだ。

 

「……そりゃ怒るよね、だってサーヴァントが最終決戦を前に逃亡したんスよ?普通なら怒るし、そんなサーヴァントを信頼して作戦の要なんて任せられるはずないッス。作戦変更って言ってた?ボクは前線から外れることになった?」

 

状況を聞こうとしただけだったのに、そうであってほしくない想像がどんどんと口をついて出る。対するカルナの反応は、首をひねるだけだった。

 

「何故そうなると思った」

 

「何故って……ボクがヘマして、ケイローンさんが……」

 

「時間の無駄だ」

 

ジナコの言葉をあまりに鋭利な言葉で断ち切ってから、カルナは少し考え込んだ。いつもの癖で、ジナコも続きの言葉を待つ。

 

ざわりと風が吹き抜けて、カルナの耳輪が微かに揺れた。

 

「……今回の件について、おまえの落ち度は一切ない。毒の性質上、ケイローンは元より単独で行動しなければならなかったからだ。故におまえの介入はあり得ず、オレも足を止めた」

 

「……だから考えるだけ時間の無駄だってこと?流石のガネーシャさんも読み取れないッスよ」

 

はぁ、とため息をつけば、すまん、と小さく返ってくる。こんな深刻な状況でも、カルデアでのいつも通りのやり取りをすれば、少しだけ心が落ち着いた。

 

だから、本心が皮肉と軽口に姿を変えて口から溢れ出たことに、ジナコは気が付かない。

 

「あーあ……こんな重い託され方すると思わなかったッス。百歩譲って、確かにボクの落ち度はなかったとしても、後を託して消えちゃうなんて、そんなのずるくないッスか?よりによってダメダメサーヴァント筆頭のボクにこんな大役託すとか、ケイローンさんもまじ空気読めーって感じ。なんでボクにできると思ったんスかね?」

 

左手で右手の指をまとめて握り直す。なんとなく落ち着かなくて、もう一度しっかりと力を籠めたとき、カルナがジナコの顔を覗き込んだ。

 

「それはおまえが一度成し遂げているからだろう」

 

「……なんの話ッスか?」

 

「インド異聞帯での話だ。異聞帯で召喚されたオレに後を託されたおまえは、見事役目を果たした」

 

こともなげに答えた施しの英雄に、彼を見上げたジナコはきょとんとする。

 

ケイローンも記録を確認していたからだろう、と真顔で続けたカルナに、ジナコはその場で固まった。

 

――アタシは、既に一度成し遂げていた?

 

心の中でもう一度繰り返してみる。

 

本当だ。よく考えてみたら、異聞帯のカルナだってそうだった。いや、あのときのほうがもっと突然で、もっと強烈で、もっと一方的な託し方だった気がする。

 

高望みの苗の潰れた茎が太さを取り戻す。俯いていた蕾がほんの少し上を向いた気がして、ジナコの心も落ち着きを取り戻していく。

 

あのときとの違いを考えてみようとして、無駄だなとジナコは気づく。だって、託された役目を果たした過去の自分を支えたものなんて、ただ一つしかなかったのだから。

 

「――あのときは、カルナさんと約束があったから」

 

「……それは、オレ自身が隣にいるのではだめなのか」

 

ジナコの宙に浮いた語尾を、カルナが珍しく遮った。

 

カルナは何故かムッとした顔をして、ジナコとの距離を一歩詰める。異聞帯で召喚された自身の話が出ると、それとなく物理的距離を詰めてくるのはカルナのいつもの癖だった。

 

「それに、あの異聞帯のオレはおまえ一人に託したが、ケイローンはオレとおまえの二人に託した。故に負担は半分だろう」

 

謎のドヤ顔をこちらに向けるカルナに構わず、ジナコは口を押さえて考え込んだ。さらりと言われた言葉の衝撃は、まるでインドラの雷のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

ジナコがいつも見ているのは、カルナの背中だった。

 

ひょんなことから疑似サーヴァントとして共に戦場に立つようになっても、やっぱりジナコはカルナの後ろを歩いていたし、背中を見ていた。

 

でも、きっと違ったのかもしれない。ジナコは知らないうちにカルナの隣に立っていて、カルナも周りも皆そうやって扱っていた。気づいていなかったのはジナコ本人だけ。

 

二人に託す――それはつまり、隣に立つ二人で重荷を分かち合うということ。

 

なんて当たり前なことなんだろう。四を二で割れば答えは二なのに、ジナコの中では無意識に自分自身だけの一で割っていた。

 

一人で重荷を背負って平然と歩いて行けるのは、カルナのような真っ当な英雄だけ。ジナコはそんな英雄ではないのだから、苦しくて重たくて逃げ出したくなってもおかしくなかったのだ。

 

それは逆に言えば、重荷を分かち合えばジナコでも歩けるということでもある。

 

ジナコは、固く握りしめていた右手をそっと解放した。

 

『ガネーシャ神の依代である君自身を支える揺るぎない信念は、君の中に眠っている』

 

いつか孔明に言われた言葉を反芻して、ジナコは心の中で答える。

 

孔明さん、アタシもようやく信念を見つけたよ。

 

『重荷を分かち合いながら、カルナの隣に立てるアタシでいたい』

 

カルナは真っ当な英雄だから、託された全ての重荷を一人で抱えて歩いていける。でも、アタシがほんの少しでも重荷を分かち合えれば、その分カルナは強くなれるでしょ?

 

それに、二人でいるということは、怖くなっても逃げ出したくなっても一人じゃないってことだ。たまには逃げ腰になっちゃうかもしれないけど、あの異聞帯のときのように、最後まで踏ん張ってみせようじゃん。

 

――他でもない、アタシのヒーローが隣にいるんだから。

 

 

 

 

 

 

 

ジナコはおもむろに象の被り物を外して、膝の上に置く。そして、両腕をぴんと伸ばして思いっきり伸びをした。

 

まるで春がそこまで来ているようなまっさらな空を見上げて、眩しくて目を細める。それがなんとなく嬉しくて、ジナコはくふくふと笑った。

 

「ガネーシャ神?」

 

「ねえ、カルナさん」

 

被り物を抱えて立ち上がったジナコは、くるりと向き直ってカルナを呼ぶ。しゃがんだまま軽く首をかしげた男を見下ろして、ずっと聞きたかったことを素直に口にした。

 

「アタシのこと、信じてくれる?」

 

「不要な問い掛けだな」

 

ばっさりと返ってきた言葉に、なんともいえず心が満たされる気がした。黙っているジナコを見つめたカルナは立ち上がり、更に言葉を続ける。

 

「『オレが信じるおまえ』を信じるとおまえは言った。そしてオレ自身、おまえからの信頼で強くなっている。信頼とは、何より強い力となるものだ。――おまえが前に進むには、オレからの信頼では不足か?」

 

必要十分以上、むしろお釣りがくるくらいの賛辞を貰ったジナコは、どうしてか泣きそうになった。でもそんな姿は見せたくないから、にやりと不敵な笑みを浮かべる。

 

「ううん、十分ッスよ。じゃあボク、ピコッと頑張っちゃうッス」

 

「何を考えている?」

 

「確実にヘラクレスを止める方法を思いついたッス」

 

ジナコの言葉に、カルナは空色の瞳を見開いた。ガネーシャの被り物を被り直しつつ勝気な笑みを浮かべたジナコは、カルナの背中を軽く叩く。

 

「大丈夫ッスよ。大英雄(ヒーロー)と大賢者に信頼されてるんだから、ボクはボクを信じるッス。それがボクが決めた自分の信条ッスから。ほら、カルナさん、帰って皆に相談しないと!」

 

「承知した。悪いがまた抱えるぞ」

 

深く考えずに頷いたジナコの身体が、突如宙に浮く。小さな叫びを無視したカルナは、良く晴れた空に向かって大きく跳躍した。

 

心を滅茶苦茶にした恐怖は、どこかに消えている。代わりに心を占めていたのは、信頼の炎だった。その温かさは臆病なジナコを奮い立たせる。

 

いつの間にか、高望みの蕾はふっくらと膨らみ、ほころんでいた。

 

 

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