後ろ姿よ、さようなら   作:こり

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一章 芽吹
第2話


 

思えば、いつも見ているのは背中だった。

 

アタシの視界に入るとき、アナタはいつもアタシを庇って前に立つ。

 

それが普通で、あのときは何も思ったことはなかった。だって、マスターとサーヴァントだったから。

 

でも、あの異聞帯でもう一度出逢ったとき、もうアタシはアナタのマスターではなかった。何の奇跡かは分からないけれど、汎人類史を守るサーヴァント同士として、アタシたちはまた出逢った。

 

それでもやっぱり、アタシが見ていたのはアナタの背中だった。

 

どんな状況でも前に進む背中。

 

皆を守る背中。

 

あの細い身体で、アナタは平気な顔をしてなんでも一人で抱えて歩いていく。

 

ちりりと、胸のどこかが鈍く傷んだ。

 

本当にそれでいいのだろうか。だってもうアタシはアナタのマスターではない。

 

――いつまでもアナタの背中を見ていて、アタシは本当にそれでいいの?

 

 

 

 

 

 

 

彷徨海カルデアベースの管制室は静まり返っていた。

 

内密に呼び出されたマスター、藤丸立香とマシュ・キリエライトは、部屋の後方にあるテーブルを囲み、無言で佇んでいる。その場に響くのは、ダ・ヴィンチの人差し指がテーブルを叩く微かな音だけ。

 

「遅くなりました」

 

扉が静かに開くと同時に、凛とした声が響く。管制室に入ってくる人影は二人分。サーヴァント・アーチャー、ケイローン。そしてサーヴァント・キャスター、諸葛孔明。部屋で待つメンバーを見て、二人の表情は一気に引き締まった。

 

「さて、役者は揃った。ブリーフィングを始めよう」

 

どこからともなく現れたシャーロック・ホームズが口火を切る。ダ・ヴィンチは微かに頷き、手元の端末を操作した。

 

起動音と共に浮かび上がるホログラムには、日本の地図が映し出される。

 

「一時間前、ごく微小な特異点反応を検出したんだ。年代は西暦二〇〇〇年代前半、場所は日本の冬木市」

 

ダ・ヴィンチの淡々とした報告に被さるように、孔明から大きなため息が漏れた。失礼、と小声で告げる時計塔のロードに、立香は思わず苦笑する。

 

「ミスター・孔明のため息ももっともだろう。よりによって冬木市だ。いくら特異点反応が微小でもこれを放っておくわけにはいかない」

 

「過去に訪れた、炎上していた冬木市とは異なる、と考えていいのでしょうか」

 

「いい質問だ、ミス・キリエライト」

 

ホームズの隣で、ダ・ヴィンチは腕を組み替えて小さく唸る。

 

「どうやらこの特異点は、冬木市の一部分のみで構成されているみたいなんだよね。炎上していた冬木も、過去に孔明が大きく関わった冬木の特異点も、市内全域だった。つまり」

 

「全く新しい冬木の特異点、か……」

 

言葉を受けた立香の呟きが、管制室のテーブルに染み込んでいく。

 

「冬木というのが一番頭の痛いところだ。確実に冬木の大聖杯が絡んでいると考えておくべきだろう。つまり、強大な敵がいると想定して行動しなければならない。年代としては第五次聖杯戦争の前後か……生憎私は内容を知らないが、警戒して然るべきだ」

 

軽く髪をかき混ぜながら立ち上がった孔明の眉間の皺は、普段よりも深く刻まれている。

 

想定通りの発言に、ホームズが軽く頷いた。

 

「無論、油断はできない。幸い今回の微小特異点は、サーヴァントの適性がかなり幅広い。ほぼベストメンバーを連れていけると考えられる」

 

「冬木に詳しい孔明には参加してもらうとして……先に立香ちゃんと相談して、作戦指揮をケイローンに任せるのがいいんじゃないかという話になったのさ。今回マシュはこちらでサポートに徹してもらうから、残りは四騎だね」

 

見知らぬ特異点には、偵察も兼ねてなるべくアーチャークラスを連れていきたいというのが、ダ・ヴィンチの意見だ。それに賛同した立香が推したのが大賢者ケイローンだった。偵察、戦闘はもちろんのこと、サーヴァントの統率から作戦立案まで何でもこなせると、経営顧問からの信頼も厚い。

 

「お任せを。マスター、主力のサーヴァントに案はありますか」

 

「うん、今回はカルナにお願いしようと思う。カルナであれば大人数にも対応できるし、ケイローンがいるならどんなクラスにも対応できるかなって」

 

「いい判断です」

 

出来のいい教え子を見るような目でケイローンが立香に微笑んだ。

 

このカルデアで最も強力なサーヴァントの一人が、インドの大英雄カルナだ。あまりに強力な宝具に加え、どんなクラスでも対応できる圧倒的な戦闘経験がある。

 

「では私からはマーリンを推薦する。私だけではカルナのバックアップが十全とは言えないからな。まあマスター、君がいれば手綱は握れるだろう」

 

苦虫を噛み潰したような表情で孔明が続ける。ケイローンも頷き、おもむろに右手を上げた。

 

「残り二騎ですね。マシュが不在なので、マスターを守るサーヴァントを加えるのが筋でしょう。私は、ガネーシャ神を推薦します」

 

「ガネーシャ神!彼女は練度も高く、小さなレイシフトではそれなりの戦闘経験を積んでいるものの、このような大規模な作戦には参加経験はないと記憶しているが」

 

ほんの少し目を見開いたホームズが、ケイローンを見やる。好奇心を多分に含む視線を受け止めた賢者は、穏やかな表情で答えた。

 

「他人を守ることに特化したスキルと宝具の持ち主ですし、エクストラクラスなこともあって早々不利になることもないでしょう。なにより、主戦力であるカルナと最も強い信頼関係にあるのは彼女です」

 

力強いケイローンの言葉に、マシュが笑顔で頷いた。

 

「はい、ガネーシャさんであれば先輩を守り切れると思います。カルナさんと一緒であれば、なおのこと」

 

「しかし、彼女はまだ……いや、野暮な口出しか。施しの英雄がいるならば杞憂だろう。私もあとで本人と話してみることにしよう」

 

立香もダ・ヴィンチも異論はない。片眉を持ち上げた孔明は、発言の途中で小さくため息をついた。その様子を眺めていたケイローンは、顎の下に手をやりながらくすりと笑う。

 

「貴方は本当にいい教師ですね」

 

「……ギリシャ神話きっての大賢者にお褒めいただけるとは光栄だな」

 

眉間の皺をますます深くした孔明は、ケイローンから顔を逸らす。頬がほんのりと赤みを帯びているのを見逃さなかった立香は、小さく声を漏らして笑った。

 

「さて、残り一騎です。我々から特に提案はありませんが、マスター、案はありますか?」

 

「少し毛色の違う人にお願いしたいかな。これは完全に勘なんだけど、例えば――」

 

ケイローンに促された立香の答えに、管制室に集まった全員から驚愕の声が漏れた。

 

 

 

 

 

 

 

管制室に向かうノウム・カルデアの無機質な廊下を、心なしか足早で進むサーヴァント二騎の姿があった。先に行くのはサーヴァント・ランサー、インドの大英雄カルナ。彼の後ろをついていくのは、エクストラクラス、ムーンキャンサーのガネーシャ神だ。

 

普段はガネーシャ神の歩幅に合わせてゆっくり歩くカルナも、今日は急ぎ気味だ。身長差もあってスピードが出ないガネーシャ神は、半分小走りになっている。

 

「なぁんか急な呼び出しッスねぇ」

 

「緊急のレイシフトかもしれん」

 

即座に打ち返されたカルナの答えを、ガネーシャ神は鼻で笑って一蹴する。

 

「カルナさんはともかく、そうだとすればボクが呼ばれるのはおかしいッスよ。引きこもりニートのガネーシャさんッスよ?マシュさんがいればノープロブレム。ボクが同行する必要はないッス」

 

「最近はマシュが管制室でサポートをすることも多い。おまえももう少し部屋の外に出て状況の把握に努めるべきだろう。昨晩やっていたゲームはクリアしたのか」

 

「あーもーお父さんか!カルナさんがいなくなったあとにクリアしたし、ムシカくんと一緒にちゃんと寝てるッスよ。心配ご無用」

 

いつも通りの他愛のない会話をしつつも、足は着実に目的地へと向かって歩を進める。

 

ガネーシャ神の肩に乗ったムシカくんが、鼻をひくひくさせて一声鳴く。ほぼ同時に突然カルナが立ち止まった。

 

釣られて立ち止まったガネーシャ神はきょろきょろと辺りを見回したが、目の前の廊下に何も異変はない。

 

カルナは珍しく俯いて、微かに首を左右に振る。戸惑ったガネーシャ神が口を開くと、ほんの少しだけ早くカルナの口からため息混じりの言葉が転がり出た。

 

「おまえが呼び出されるのは予想外だ」

 

それに答えたのは、微かな笑い声だった。

 

右手に伸びる曲がり角の向こうから、くつくつと低い男の声が漏れ聞こえてくる。ガネーシャ神はハッとして身構えるも、目の前のカルナに緊張は見られなかった。

 

そうこうしている間に笑い声はどんどん大きくなり、思わずガネーシャ神はびくりと体を強張らせる。その瞬間、曲がり角から人影が躍るように歩み出た。

 

「はははははは!いやいや失敬。吾輩とて予想外な呼び立てにいささか戸惑っているところでして。我がマスターからの再三の要請とあっては断るのも忍びない!これだけ吾輩にお声掛けするということ、これ即ち面白い取材ができるということではないでしょうか!であれば、お断りするのは余計に野暮というものです」

 

芝居がかった台詞と共に姿を現した男の真名は、サーヴァント・キャスター、シェイクスピア。肩から掛けた黒い外套をばさりと翻し、二人に向かって深々とお辞儀をする。

 

「はじめまして、インドの神霊サーヴァント、ガネーシャ神よ。吾輩はウィリアム・シェイクスピア。しがない史上最高の劇作家にございます」

 

中世ヨーロッパ風の洒脱な衣装を身に纏った男は、ガネーシャ神との距離を一気に縮める。堪らずカルナの背後に隠れるガネーシャ神を見据え、劇作家は唸り声を上げた。

 

「こうも怯えられるのは少々物悲しい!『高く聳えれば聳えるほど風当たりは強い(They that stand high have many blasts to shake them.)』とも言いますが、いくら吾輩が稀代の作家とはいえ、今は貴女という奇妙な存在に話を聞きたいだけの、言わば取材の虫でございます!ということで、よろしいですかな?」

 

「駄目だ。今は管制室に向かうのが先決だろう」

 

言葉を挟む暇もなく滔々と語られる熱弁に圧倒されたガネーシャ神の代わりに、カルナがにべもなく断る。シェイクスピアがついてくるのを無視したカルナは、半ばガネーシャ神を引き摺る形で歩き出した。

 

「さて、施しの英雄はともかく、ガネーシャ神と戦場を共にするのは初めてですな。吾輩が如何なるサーヴァントであるかをお見知りおきいただく必要があると見ました。よろしいですか、ウィリアム・シェイクスピアという男は、所謂トラブルメーカーという種類に属しております。つまり――」

 

二人の背後で朗々と自分語りを続ける宮廷作家をちらりと振り返ったガネーシャ神は、隣を歩くカルナに目配せをした。上半身をかがめたカルナの耳元で、小声で囁く。

 

「この人、いつもこうなんスか……」

 

「そうだ。実に厄介な男だが、味方なうちはまだいい」

 

「吾輩の目の前でひそひそ話はやめていただきたい。『目の前にある恐怖など、(Present fears are)恐ろしい想像と比べたら大したことはない(less than horrible imaginings.)』――直接吾輩と話したほうがお互いによく理解できるに決まっている!さあ、ガネーシャ神よ、まずは貴女から取材させていただこうではありませんか!」

 

自著の一節を引用しながら語る男に、終わりの気配は一切ない。あと数歩で管制室という場所まで辿り着いたところで、ガネーシャ神は意を決して振り返った。

 

おおっと声を上げて喜色を浮かべた劇作家を正面から見据えると、スポットライトが当たったような感覚を覚えて、微かに戸惑う。

 

「な、なにが聞きたいんスか。一つなら質問に答えてやらなくもないッス」

 

「唯一の質問を選べと!これは難題だ。そうですね……最初の質問こそが取材の流れを決める最も大切な瞬間です。となれば、やはり最もお聞きしたいことをずばり訊くのが肝要というものですな。えぇ、決まりましたとも!」

 

劇作家の言葉と共に、ガネーシャ神の内面を照らすスポットライトが増やされていくように感じる。嫌な予感がして、背筋がぞわりと粟立つ。隣のカルナの表情がうっすらと鋭さを帯びたことを気にもせずに、劇作家は両手を広げて高らかに歌いだした。

 

「ムーンキャンサー、ガネーシャ神よ!貴女は『守り』を得意とするサーヴァントと聞いております。『強い理由は強い行動を生む(Strong reasons make strong actions.)』とはよく言ったものです。事実、盾を持つ英霊はとにもかくにも心が強い!何故ならば、守りとは精神で守ることと同義だからです。無論、攻める際にも心の強さは重要ですが、守りはそれの比ではありません。盾を下ろすタイミングは、盾を持つ者の心が折れたタイミングでもあるのですから。……さて、それを踏まえてお聞きしましょう。貴女はどうでしょうか、ガネーシャ神よ。貴女はどんな想いを抱いて、戦場に立つのですか?」

 

その言葉に、ガネーシャ神の心臓が激しく波打った。

 

シェイクスピアがなおも畳みかけようとしたところで、カルナが二人の間に割って入る。硬直したガネーシャ神を背後に押しやりながら、トラブルメーカーの男をぴしゃりと拒絶した。

 

「取材はそこまでだ、シェイクスピアよ」

 

施しの英雄の圧に一瞬で白旗を上げた男は、やれやれと肩をすくめる。黙り込むガネーシャ神の腕を強く掴んだカルナは、管制室の扉を開けてそのまま中に引き摺りこんだ。

 

 

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