後ろ姿よ、さようなら   作:こり

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第20話

城のすぐ横には、大きめの池が広がっている。夕暮れを感じさせる風が、わずかに残った水草と水面を揺らして吹き抜けた。

 

シェイクスピアとセミラミスは、城の対岸の木立の影に姿を隠し、様子を伺っていた。もうすぐ皆がそれぞれの配置に向かって走り出し、直後に大広間にカルナが突入する手筈になっている。

 

「おぉ……とうとうこの刻がやってきましたぞ!そうですとも、吾輩はこれを待っていたのです!『もう一度あの突破口へ、諸君、もう(Once more unto the breach, dear friends, )一度だ!(once more.)』」

 

「……相変わらず汝はやかましいな、シェイクスピア。まるで毒を呷って喚きたてているようだ。本物をくれてやろうか」

 

苛立ちを全く隠さないアッシリアの女帝に、ハイテンションの劇作家はなおも言い募る。

 

「何をおっしゃいますか!何のために吾輩がこのレイシフトに嫌々同行したと思っているのです?そう、最高の取材をするため!こんなところで死ぬなんてクソ面白くもない!……まあ、そうは言っても今の貴女にはそんな力は残っていないでしょうけれど。――指先が透けていますよ」

 

口元を歪める女帝を無視して、シェイクスピアは開いていた本を勢いよく閉じた。羽ペンを冬空に掲げた稀代の作家は高らかに歌い上げる。

 

「我がマスターの姿が見えましたな。よろしい、運命の最終決戦の刻限です。本日の目玉は、いかにしてあの毒に侵された狂戦士を抑えきるか!おぉ、ちょうどいい言葉がありました。『やるなら今だ、ヨーク。気弱な心を(Now, York, or never, steel thy )鍛え上げ鋼と化し、迷いを決意に変えろ。(fearful thoughts, and change misdoubt to resolution;)なりたいものになれ、(be that thou hop'st to be,)なれないならこのまま死んでしまえ!( or what thou art resign to death.)』――ガネーシャ神、今こそ貴女の決意、見せていただこう!」

 

 

 

 

 

 

 

壊滅した大広間を見渡せる木立の中、一行は立ち止まり、ひそひそと言葉を交わしていた。

 

ヘラクレスは、ほぼ跡形もない瓦礫の中央で片膝をついている。巨大な石のようにも見える腕で突き立てた斧剣にもたれ掛かり、もう片腕で何かを抱き込んでいるようだった。絶えず獣のような呻き声が響き、森一帯の空気をびりびりと震わせている。

 

「めちゃくちゃ唸ってるッスよ……」

 

「今襲われないのが幸運なくらいの殺気だな。ましてやあの跳躍力だ。奴がその気になれば、雑種などひとたまりもなかろうよ。さて……そこなランサー」

 

ギルガメッシュの赤い目がちらりと動き、黄金の鎧を身に纏う男に流し目をくれる。

 

「陽動か。マスター、いいだろうか」

 

「カルナ、お願い。私たちは全力で尖塔に向かうから。でも気を付けて、できる限り遠距離戦闘でね」

 

立香はいつになく真剣にカルナに言い含める。ケイローンの血がヒュドラ毒と化したように、今のヘラクレスの血も毒そのものだ。いくらカルナとはいえ、触れてしまえば耐えられるはずがない。

 

「心得た。奴の血は触れる前に全て炎で燃やし尽くすとしよう」

 

「アッ、そういう?ほーんと、カルナさんってそういうとこチートッスよね」

 

まるでカルデアの食堂にいるかのような軽口が、ガネーシャ神の口から飛び出す。その様子にふと口元を緩ませて、カルナは黄金の槍を顕現した。

 

「ガネーシャ神、頼んだぞ」

 

「……分かったッスよ。いってらっしゃい」

 

小さな白い手をひらりと振って、ガネーシャ神は強気な笑みを浮かべた。見送られた男は微かに頷き、次の瞬間、目の前から姿が掻き消える。

 

「じゃあ皆行くよ!私たちは尖塔へ!王様、ガネーシャさんは?」

 

「象、貴様は池に向かって走れ。あちらが最終決戦の舞台のようだ」

 

立香の問いに間髪入れずにギルガメッシュが答えた。光を浴びたルビーのように煌めいた瞳の瞳孔がスッと細められる。まるでピントをあわせるようなその様は、かの英雄王が持ちうる千里眼を使っている証だ。

 

「行くぞ!」

 

孔明の掛け声と同時に、各々が土を蹴って走り出した。木立から出ると、途端に熱風に包まれる。ごおっという風の音に合わせて、火の粉が渦を描いて舞い上がっていた。風圧に押されつつ、それでも必死で前に進むと、立ち上がる陽炎の向こうに金の光が見える。

 

「遅い」

 

カルナがヘラクレスに向けて数えきれないほどの火球を飛ばす。苦痛にあえぐバーサーカーの動きは、昨日までの超人的なそれとは程遠い。でたらめに得物を振り回すものの、落としきれない火球がヘラクレスの全身を襲った。

 

「■■■■■■■!!」

 

大きくのけ反った拍子に、ヘラクレスの口からタールのように黒い血液が溢れ出る。触れるもの全てを腐食し、命を奪う毒と化したその血は、飛び散る端から太陽神の炎で焼き尽くされていく。ヘラクレスの苦しそうな咆哮が鼓膜を揺らした。

 

「カルナが守ってくれているうちに急ぐんだ!マイロード、私は城から彼をサポートしよう!」

 

「マーリンよろしく!ガネーシャさん、池のほうに!私たちはこのまま、」

 

「――だめだ、マスター!!」

 

一番後方を走っていた孔明が、突然喉が張り裂けそうなほど声を張り上げた。

 

そのときだった。

 

風を切る重い音と振動――その直後に、ガネーシャ神の頬に温かい何かが飛び散った。拭った指先が赤く染まったと認識したと同時に、背後で立香の悲鳴が上がる。

 

「孔明!!」

 

ガネーシャ神のすぐ横の地面にめりこんでいたのは、ヘラクレスの斧剣だった。傍には黒い布に包まれた何かがぽとんと落ちている。

 

――あれは孔明の腕だ。

 

「孔明さん!!」

 

思わず走るスピードを緩めたそのとき、ガネーシャ神に孔明の怒号が叩きつけられた。

 

「怯むな!足を止めずに走れ馬鹿者!!」

 

「は、はいッス!!」

 

あまりの剣幕に押されて、ガネーシャ神の足は更に加速した。早く、早く、今のうちに前へ進む。

 

「象!貴様は池の前に疾く走れ!こやつは我がどうにかする」

 

振り返らずに駆けていく守りの要に向かって、ギルガメッシュは大声を張り上げた。右腕の付け根を押さえながら、マスターを庇った疑似サーヴァントはその場に崩れ落ちる。

 

「……ッ……おまえにだけは、借りを作りたくなかったんだが……」

 

「ハッ、取るに足りぬ戯言を抜かすな、雑種風情が。行くぞ!」

 

脂汗を垂らしながら皮肉を漏らす魔術師を一蹴し、ギルガメッシュは孔明を肩の上に担ぎ上げる。斧剣に向かおうとするヘラクレスをカルナが巧みに防いでいるが、それもそろそろ限界だった。

 

礼装の回復術式を孔明に使いながら、三人は最も高い尖塔を目指して走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

三階建ての回廊が中庭をぐるりと囲む構造の城の中で、一箇所だけ趣が違う場所がある。屋上庭園とも呼ぶべきその場所は、ヘラクレスが常に守っていた大広間のすぐ近くにあった。

 

二階部分に該当するその空間は花が咲き乱れ、平時であれば城の憩いの場なのだろう。しかし、マーリンが辿り着いたそこは、見るも無残に破壊され、三分の一が既に瓦礫で埋まっていた。

 

「ギルガメッシュの言う通りに動いているけれど、彼はきちんと『視えて』いるんだろうねぇ……まあキャスターのほうは真面目だから大丈夫だろうけど」

 

一人ぼやいたマーリンは、ひょこりと下の様子を覗き込む。もうもうと立ち込める黒煙の中に、いくつも炎が生み出されていた。

 

カルデア最強ともいえるランサーは、理性がほぼ蒸発した状態のヘラクレスを相手取っても一切怯むそぶりは見せない。それどころか、時間稼ぎは終わったとでもいうように、徐々に攻勢に転じている。

 

「さーて、では私も役目を果たすとしよう。カルナ、君に全チップを賭けよう、頼むぞぉ!」

 

ふざけた口調とは裏腹に真剣な目をした花の魔術師は、愛用の杖でとんと一回床をつついた。石造りの上に魔法陣が展開され、温かな光が足元から湧き上がる。

 

途端に階下から爆炎がぶわりと上がって、喉を掻き毟るような咆哮が空気を震わせた。マーリンの持つAランクのスキル『夢幻のカリスマ』は、味方の攻撃力を大幅に強化する。

 

荒れ狂う暴風のようなヘラクレスのめちゃくちゃな腕の動きに、カルナが槍を一閃しながら後ろに飛びすさった。その隙をマーリンは見逃さず、杖を振るう。

 

「幻の大盤振る舞いといこうか!」

 

マーリンの足元に花が咲き乱れる。舞い上がった花びらがヘラクレスの周りを取り囲んで、一拍ののち、全てカルナに姿を変えた。

 

混乱したバーサーカーは、反射的に斧剣で十二人のカルナを薙ぎ払う。鏡合わせのように同じ身のこなしで避けて、全員一斉に左の手のひらに火球を生み出した。

 

「小手調べといくか」

 

無数の火球が全方位からヘラクレスに放たれる。そのうちのほとんどがヘラクレスの左腕に集中した。毒に苦しみながらもなおも抱える銀髪の人形を狙って、熱風が巻き起こる。

 

「――■■■■■■■!!」

 

狂戦士は身を挺して火球から人形を守り切る。低い姿勢から咆哮し、次の瞬間目にもとまらぬ速さで後方にいた一人の鳩尾を蹴り上げた。真上に打ち上げられたランサーは、空中で一回転して音もなく空中庭園に降り立つ。

 

「ありゃりゃ、なんでバレたんだろう?」

 

「オレは人形を狙うような卑劣な真似はしない」

 

「なるほどなるほど。私は性格が悪いからなあ」

 

それじゃあ仕方ない、と呟いて、花の魔術師は杖を軽く振る。ヘラクレスを包囲していた幻のカルナが一瞬で花びらとなり、空気中に溶けて消えた。

 

ほぼ同時に大地が割れるような地鳴りが起こり、建物全体が軋んだ。大地を固めるように何度もその場を踏みしめた狂戦士の足元からは、尋常ではない量の魔力が立ち昇る。以前より身体全体が黒ずんで、燃え滾るように赤い瞳だけが爛々と輝く。

 

大咆哮を上げたヘラクレスは、斧剣を大きく振り上げる。今までにない溜めの動作に、カルナとマーリンは、咄嗟に屋上庭園の左右に跳躍した。

 

床から足が離れたのとほぼ同時に、ヘラクレスの得物が地面に向けて振り下ろされる。凄まじい威力の一撃は地面ごと回廊を叩き割り、先ほどまで二人が立っていた場所にも地割れのような亀裂が入った。

 

「これは怒らせてしまったようだねぇ、困ったことになったぞぉ!」

 

「そのようだな」

 

「私は弱いからね、狙われる前に向こうの塔に逃げるとしよう!」

 

カルナの言葉にマーリンが一目散に駆け出した。向かう先は、屋上庭園の奥にある、池を見渡せる塔だ。右手に伸びる回廊の突き当りにはこの城の中で最も高い尖塔が見える。その先端を目指して、マスターたちが移動しているはずだ。

 

「まだ時間稼ぎが必要なようだから、少しいじっておこう。なーに、何事もやればできるさ!」

 

塔の窓から顔を出したマーリンの後ろから花びらが溢れる。スキル『英雄作成』は、花の魔術師の真骨頂とも言うべき最高ランクの強化スキルだ。カルナの身体を温かな光が取り巻き、魔力となって流れ込む。

 

カルナは一度深く息を吸い、細く長く吐き出す。なめるように火炎が槍を包み込んで、鮮烈な光に収束していく。太陽そのものと化した神槍を握りなおした瞬間、地震のような振動と共にカルナの上に巨大な影が落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

人ひとりしか通れないような螺旋状の階段を、三人は死に物狂いで駆け上がっていく。

 

時折現れる小さな窓から見えるのは爆炎と黒煙ばかりで、戦況が分からない。立香は思わず足を止めて目を細める。

 

「立ち止まるな、たわけ!今は先に進むのが肝要よ!」

 

「でも王様、これじゃ戦況が」

 

「阿呆が!見れば分かるであろう……いや、分からぬから言っているのか」

 

変なところで真摯に対応したウルクの賢王は、半ば引きずっていた孔明を階段に下ろす。回復術式を繰り返し使ったおかげで、腕からの出血はなんとか止まっていた。

 

立香は小さな窓を開けようとどんどんと叩く。はめ込み式らしいガラスはびくともせず、仕方なくガラスに顔を押し付けるようにして外を眺めた。

 

「戦場が向こうの塔の手前、低い場所に移ったみたいだね」

 

「マーリンの奴は何をしている」

 

「よく見えないけど、花びらがカルナの周りに飛んでいるから多分近くに……あっ、あっちの塔の上にいる!」

 

表面が波打ったガラス越しに目を凝らす立香に対して、ギルガメッシュは何も答えず目を閉じる。その足元に座り込んだ孔明が、荒い息をつきながら途切れ途切れに呟いた。

 

「その位置だと、ガネーシャ神が待機している池のほとりまで一直線で繋ぐには……塔が、邪魔になるな」

 

「塔って、今マーリンがいるところ?」

 

立香の問い掛けに孔明は無言で頷く。

 

「まぁ待て、雑種。問題なかろう」

 

突然口を開いたギルガメッシュは、ゆっくりと瞼を上げた。その瞳は宝石のような不思議な輝きを湛えている。

 

「もうすぐあの障害物も粉微塵になるだろうよ。さて、休息は終わりだ。そも休むなど千年早い……まあこの我が言うことでもなし、とにかく先を急ぐぞ」

 

かつて傍若無人な王だった男は、孔明の左腕を容赦なく引っ張り上げて自身の肩に回した。呻く孔明を無視して一歩ずつ階段を上がっていく。立香も後に続きながら、もう一度窓の外を覗きこんだ。火の粉が雪のように舞い散る戦場の空には、紺色が滲む。

 

もうすぐ夜がやってくる。

 

 

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