後ろ姿よ、さようなら   作:こり

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エピローグ
最終話


レイシフトから帰還した翌日の朝、ノウム・カルデアの廊下を急ぐ小さな背中があった。ピンク色の象の被り物を揺らしながら、ジナコは小走りに無機質な通路を進む。

 

目的の部屋まであと少しのところで、肩の上にしがみつくムシカくんが、ちうと大きめに鳴く。小さな応援団にせかされて、ジナコはようやく目的地の扉に辿り着いた。

 

帰還当日は立ち入りを禁じられたドアをノックしようと手を上げた瞬間、突然扉が開く。

 

「……まだノックしてないんスけど、突然開けるのやめてほしいッス」

 

「二度手間だろう」

 

「カルナさんはノックをないがしろにしすぎッス。あ、それでボクの部屋もいきなり開けるんスか?ほんとやめて」

 

カルナの背後から漏れ聞こえた低い笑い声に、ジナコははっとして慌てて医務室に入る。

 

カルデアの職員も使用するせいか、サーヴァントには必要のない消毒薬の香りが薄く漂っていた。なんとなく学校の保健室を思わせる雰囲気に、ジナコは複雑な気持ちになる。

 

カルナに促されて部屋の奥に進む。白いカーテンを開けると、ベッドに上半身を起こしてくすくす笑うケイローンの姿があった。

 

「ガネーシャ神、元気そうでなによりです……ふふっ、本当に貴女たちは仲がいいですね。いえ、もっと仲が良くなったんでしょうか」

 

「け、ケイローンさん……?元気そうでよかったけど……ど、どうしたんスか……」

 

笑いすぎてうっすら涙を浮かべたギリシャの大賢者は、目尻を指で拭って咳払いを一つする。あっという間にいつもの穏やかな雰囲気を取り戻すと、ジナコとカルナにベッドサイドの椅子を勧めた。

 

「改めまして、微小特異点修復お疲れ様でした。状況は一通りカルナに聞いています。一足、いえ、二足ほどお先に帰還していましたが、無事なんとかなったようで本当によかったです」

 

「ケイローンさんのおかげッス……」

 

「私は私の最善を尽くしたまでです。それは貴女もカルナも同じはず。我々は皆が皆、それぞれの最善を尽くした結果、解決へと繋がりました。だから、誰のおかげなどということはないのですよ」

 

光あふれる森を思わせる穏和な口調は、ジナコの心に真っ直ぐ言葉を届ける。少し俯いて嬉しそうに微笑むジナコに、ケイローンも微笑んだ。

 

「ところで傷と毒は治ったんスか?顔色はよさそうだけど……」

 

「えぇ、傷はもうあらかた治りました。毒のほうもほぼ全快していると思うのですが、霊基に異常がないかもう少し様子を見たいとアスクレピオスが強く言うので」

 

少し心配性なようで、と笑うケイローンに、ジナコは内心呆れる。この世界で最高ランクの猛毒を受けた状態で腹部に大穴が開いたのだ。いくらサーヴァントと言えども、流石にこんなにケロッと全快しないと思うのだけれど、ギリシャの英雄たちは本当に強い。

 

「そういえば孔明はどうした?医務室にいないようだが」

 

隣で黙って話を聞いていたカルナが、腕組みをして微かに首をひねった。何故か苦笑したケイローンは、突然声のトーンを落として二人に囁いた。

 

「今朝方の問診まではいたんですが、昨夜からライネス嬢とイスカンダルの訪問が止まらず、交互にやってきては睡眠を妨害すると憤慨していまして……カルナが来る少し前にこっそりとグレイ嬢が迎えに来て、自室に引き上げていきましたよ」

 

「それはアスクレピオスは知っているのか」

 

カルナの問いにケイローンは答えない。無言の笑顔が全てを物語っていて、誰からともなくこの話はうやむやになった。

 

 

 

 

 

 

 

他愛のない話も一段落し、そろそろお暇しようかという頃になって、ケイローンはふと真剣な表情でジナコを見つめた。

 

「ガネーシャ神、帰ってきた貴女に訊こうと思っていたことがあるのです。よろしいですか?」

 

「え、うん。ボクに答えられることなら……」

 

にこりと笑った賢者の目がすっと細められて、ジナコは思わずびくりと肩を震わせた。ケイローンは、厳しさと優しさが同居した教師の顔をあらわにする。

 

「端的に訊きましょうか。ガネーシャ神、貴女は戦場に立てるようになりましたか?」

 

問われたのは、覚悟だった。何もかもを見通すような深い森を思わせる緑が、こちらを見据える。

 

普段のジナコであれば、尻尾を巻いて逃げ出したくなるところだ。でも、ケイローンは二人を信じて託してくれた。だから、今の本当の気持ちをきちんと伝えようと、ジナコも真っ直ぐにその瞳を見返す。

 

「……そうッスね。怖いときも逃げたいときもそりゃあるッスよ?……でも、信じてくれる人がいるなら……ボクはまた頑張れると思うッス」

 

考えながらぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

 

一言一句を聞き届けたケイローンは、今度こそ満面の笑みを浮かべた。

 

「それはよかった。頼もしい仲間が多いのは本当に喜ばしいことです」

 

「……頼もしい、仲間?」

 

「えぇ、もちろんですよ」

 

ケイローンはジナコの小さな手を取って、白い歯を見せて笑う。

 

「ガネーシャ神、貴女は私たちの頼もしい仲間ですから」

 

 

 

 

 

 

 

医務室をあとにしたカルナとジナコは連れ立って廊下を歩く。

 

「カルナさん、今日のこの後の予定は?」

 

「午後からアシュヴァッターマンとシミュレーターに入る予定だ。今回は何故かモードレッドが来ると聞いている」

 

「モードレッドって、円卓の?シミュレーターを壊しかねないメンツッスね……」

 

「ほどほどにするとしよう」

 

昨日までレイシフト先で相当な戦闘を繰り広げていたはずなのに、もうシミュレーターに行く時点でジナコには理解不能だ。カルデアで再会してから確信を持ったけれど、やはりカルナは戦闘狂の気があるとジナコは踏んでいる。

 

「おまえは引きこもりか」

 

「そうッスよー。スーパーカタツムリはカタツムリらしくゆっくりお籠りするッス」

 

「ではロールケーキを確保し次第、そちらに向かうとしよう」

 

当然のような口調にジナコは絶句する。返事がないことに気が付いたカルナは、不思議そうな顔でジナコを見下ろした。

 

「約束しただろう」

 

「約束、したッスけど」

 

いつの間にか廊下の真ん中で立ち止まっていたことに気づいて、ジナコはなんとなく笑ってしまった。

 

あんなに死に物狂いで戦っていたのに、次の日にはおやつの話をしている。

 

他愛もない日常がいつまでも続くわけではないのと同じで、生死を賭けた戦いもいつまでも続くわけではない。その二つを乗り切り、ときには楽しむのが、疑似サーヴァントとして召喚されたジナコに与えられた特権なのかもしれなかった。

 

「あーあ、もう戦いなんてほんっとに懲り懲りッスけど……あんなヤバい特異点もなんだかんだ乗り切れたし、これでカルナさんの隣に立てるかなって思ったっていうか……」

 

静かな空気にいたたまれなくなったジナコは、ぶつぶつと呟きながら再び歩き出す。後ろから何も言わずについてくるカルナの足音にはっと我に返った。

 

今、結構恥ずかしいことを言った気がする。

 

「なーんてね!?冗談ッス!まあニートなボクはそんな最前線なんてまっぴらごめんッスけど!」

 

「不要な望みだな」

 

慌てて振り返り、変に大きな声で捲し立てたジナコに、カルナは鋭い一言で切り返す。慌てふためくジナコをよそに、カルナは言葉を続けた。

 

「もう既に隣に立っているだろう」

 

まるでこの世の摂理とでも言わんばかりのドヤ顔で告げたカルナに、ジナコはぴたりと動きを止めた。

 

カルナの言葉がゆっくりと心に沁みて拡がっていく。

 

「…………ほんと、カルナさん、そーゆーとこッスよ」

 

じわじわと頬が赤くなるのを止められない。本当に、この大英雄は、本当に困る。

 

こういう人だから、傍に、ではなく隣に立ちたいと思ってしまったのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

被り物の上に乗っていたムシカくんがちょろちょろとジナコの肩まで降りてくる。柔らかな腹を指先で撫でながら、ふとジナコは空腹を自覚する。

 

「そういえばカルナさん朝ご飯食べた?ボクまだなんだよね」

 

「六時に起こしたあと二度寝したのか」

 

「あっ墓穴掘った気がする。……確かに二度寝したけどぉ……きちんと九時に医務室に行ったんだからそれでいいでしょ!ということで朝ご飯に付き合うッス。拒否権はなしッス」

 

「承知した」

 

ふ、と微かに笑ったカルナを先導して、ジナコは食堂に向かって歩き出す。

 

次の戦いにいつ呼ばれてもきちんと戦場に立つために、何てことはない日常を目一杯噛み締めると心に決めて。

 

 

 

 

 

 

 

思えば、いつも見ているのは背中だった。

 

アタシの視界に入るとき、アナタはいつもアタシを庇って前に立つ。

 

それが普通で、あのときは何も思ったことはなかった。だって、マスターとサーヴァントだったから。

 

でも、このノウム・カルデアでまた出逢えたとき、もうアタシはアナタのマスターではなかった。同じマスターに召喚されたサーヴァント同士として、アタシたちはまた出逢った。

 

それでもやっぱり、アタシが見ていたのはアナタの背中だった。

 

どんな状況でも前に進む背中。皆を守る背中。

 

その背中は安心するけれど、同時に不安でもあった。

 

だから、アタシはアナタの背中はもう見ない。

 

平気な顔をしてなんでも一人で抱えようとするアナタの隣に立って、重荷を分かち合う。

 

そのためだったら、臆病で悲観主義者なアタシも、アタシなりに頑張るから。

 

他でもない、アタシのヒーローであるアナタがアタシを信じてくれる限り、アタシは強くなれる。

 

それが、疑似サーヴァントとしてやっていくと決めた、ジナコ=カリギリの覚悟だ。

 

 

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