後ろ姿よ、さようなら   作:こり

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二章 双葉
第4話


目を開けると、そこは森の中だった。一度息を吸い、ゆっくりと吐き出す。過去の特異点でもレイシフト後には必ず行ってきた、いつもの習慣だ。

 

枯れかけの雑草をブーツで踏みしめ、立香は後ろを振り返る。少し離れた木の下にケイローンとマーリンを見つけ、小さく安堵の息をついた。

 

「マスター、現在確認できる範囲に敵性反応はありません。孔明は周囲を確認しに行きました」

 

「なんだか魔力に満ち溢れた森だねえ。現代の極東とは思えないよ」

 

のんびりとしたマーリンに微笑んだ立香は、カルデアベースとの通信を試みる。端末を操作し、ホログラム画面を立ち上げたものの、しばらく待っても砂嵐だった。

 

「通信が繋がらない……」

 

「魔術的な妨害の可能性もありますね。我々サーヴァントは全員レイシフトに成功したようなので、状況を確認してからもう一度試してみましょう」

 

ケイローンの的確なアドバイスに立香は大きく頷く。そういえば、と呟いて、周囲をきょろきょろと見回した。サーヴァントが足りない。

 

「カルナとガネーシャさんは?あとシェイクスピア」

 

当然の疑問に何故か苦笑したケイローンは、一つ咳払いをする。

 

「シェイクスピアは何やら騒ぎながら取材に行ってしまいました。まあしばらくは問題ないでしょう。カルナとガネーシャ神は――……」

 

そのとき、そう遠くない森から悲鳴が聞こえ、近くの木々から鳥が一斉に飛び立った。三人の緊張感が一気に高まる。

 

「ケイローン!あの声はガネーシャさん!」

 

「左です!」

 

一瞬でかき消えたケイローンを追って、立香たちも駆け出した。落ち葉を踏みしめる乾いた音が辺りに響く。

 

道の左側は緩い斜面になっていて、下りきると視界がぱっと開ける。

 

見覚えのあるピンクの象頭が見えて、立香は胸を撫で下ろした。一足早く辿り着いたケイローンは、カルナの隣で何故か笑っていた。

 

「ガネーシャさん!?何があった!?」

 

「い、いててて……マスター、ボクもう帰ってもいいッスかぁ?」

 

地面に尻もちをついたガネーシャ神は、顔を歪めて腰をさする。カルナに助け起こされた彼女は、頬を膨らまして不満げに言い募った。

 

「なんか糸みたいのに引っかかって、転んだ瞬間に魔力の弾みたいのが飛んできたッス。なんなんスかこの森!」

 

「ガネーシャ神、君は案外お手柄だったようだ」

 

どこからともなく現れたのは、孔明だった。ガネーシャ神が転んだ周辺を歩き回り、道の際に立つ木の根元にしゃがみ込む。

 

一時的に腕を四本に増やし、パタパタと埃を払うガネーシャ神の隣で、カルナが腕組みをしてぼそりと呟く。

 

「トラップか」

 

「あぁ。そして私はこの術式に見覚えがある」

 

黒いスーツに皺を寄せながら、孔明は細く息を吐いた。

 

ざわりと強めの風が吹き抜ける。周囲のくすんだ緑と気温からして、季節は冬。

 

立香は森の向こう側に見える城のような塔を見つめる。同じ方向を見ていたケイローンが、孔明に問い掛けた。

 

「孔明、森の向こうには西洋の城があるように見えますが、心当たりはありますか?」

 

「残念ながら、心当たりがある。くそっ……思った以上に面倒な特異点のようだ」

 

不機嫌な表情を隠しもせず、孔明はポケットから葉巻を一本取り出して、慣れた仕草で火をつけた。微かな煙が冬の風に吹かれて散っていく。

 

「マスター、ここは冬木市の郊外だ。森の向こうに見える城と周辺の森含めて、とある一族の居住地になっている。先ほどガネーシャ神が引っかかったようなトラップが、いたるところに張り巡らされているだろう」

 

「とある一族……それは、冬木の聖杯戦争に関係があるの?」

 

立香の問いに孔明は小さく笑う。遠い昔に学校の先生に褒められたときを思い出し、場違いだなと思いつつも立香はほんのりと嬉しくなった。

 

「関係は大ありだ。なにせ冬木の大聖杯を作り出した御三家の一つだからな。ここは冬木のアインツベルン城。ホムンクルスを生み出す錬金術の大家の、敵陣ど真ん中だ」

 

これ以上内部に踏み込む前に、まずは城から反対側の森を索敵するべきだ、という至極真っ当なケイローンの提案から約一時間後。散らばっていたサーヴァントが森の中にある城壁の入口に集合した。劇作家だけは顔を見せた直後に霊体化した。きっと面白くないのだろう。

 

「まず、特異点の地理から整理しましょう」

 

ケイローンが地面にしゃがみ込み、どこからか拾ってきたらしい小枝を取り出した。

 

枝の先端で地面をガリガリと削り、大きく円を描く。その中に大きめの長方形を描き、長方形の上側に寄せて横長の長方形を更に描き足した。

 

同じくしゃがみ込んだ立香に目配せをして、ケイローンは円の縁を軽くつついた。

 

「この特異点は、この周辺のみのごく狭い範囲で形成されています。端まで行くとぼんやりとした壁のようなものに阻まれて進めませんでした」

 

「ここに閉じ込められていると見ることもできるが、冬木の一般市民は巻き込まれていない特異点と考えることもできるな」

 

孔明の吐き捨てるようにも聞こえる一言に、立香の顔がぱあっと明るくなった。一般市民も存在している場合、なるべく被害を与えないようにしたい。それはただの一般人である藤丸立香の強い願いだ。

 

「続けましょう。大きな四角が城壁で、中に描いた小さな四角が遠くに見える城です。城壁の外側も内側も、基本的には森で構成されていました。内側には城の他にもいくつか建物があるようですが、そちらは後ほど調べましょう」

 

ここまでよろしいですか、とぐるりと全員を見回すケイローンに、各々が頷いた。マーリンが気まぐれに作り出す花びらが、風に乗って飛んでいく。

 

「オレとケイローンで敷地の森全体を索敵したが、現状敵性個体は発見していない。更に言えば、人間すら一人も見かけていない」

 

「つまり無人ってこと?」

 

立香の問いに、カルナはこくりと頷いた。隣で話を聞いていたガネーシャ神が首をかしげる。

 

「なぁんかそれ変じゃないッスか?特異点を作ってる原因が必ずあるはずなのに、誰もいないって」

 

「霊体化していた場合は見逃しているだろうな」

 

カルナの言葉にケイローンが振り返り、少し離れた位置で大あくびをしている花の魔術師に問い掛けた。

 

「マーリン、サーヴァントの気配はありますか?」

 

「今のところ明確な気配は城の中に一騎だね。この魔力濃度で霊体化されると流石の私も探知が難しい」

 

それを聞いた立香は膝を強く叩いて立ち上がった。乾いた音が冬の曇天に吸い込まれて消えていく。

 

サーヴァントたち全員と順番に目線を交わした人類最後のマスターは、凛とした笑みを浮かべた。

 

「まずはできることからやっていこう!二手に分かれて偵察して、はぐれサーヴァントを見つけたら協力してくれるよう頼んでみよう」

 

立香の言葉に頷いたケイローンが後を引き継ぐ。

 

「城壁の外側の隊と内側の隊に分かれましょう。外側の隊ははぐれサーヴァントの捜索、内側の隊は城内のサーヴァントに接触するのが目的です。内側は私が行きましょう」

 

「偵察隊か。深入りせず様子を見るのが目的なら、逃げの一手を持っているほうがいい。私とガネーシャ神もそちらに向かう。戦闘になりかけたら即時離脱しよう。マスター、他に意見は?」

 

ケイローンに続いて孔明がてきぱきとメンバーを決める。立香がガネーシャ神のほうをちらりと見ると、いつものようにムシカくんをじゃらしていた。これなら大丈夫だろうと立香は首を左右に振った。

 

「城外隊と城内隊だね。城内は任せた!私は城外隊と一緒に行こうかな。シェイクスピア」

 

立香がのんびりと呼び掛けると、少し離れた木の下に霊体化を解いたシェイクスピアが現れた。

 

「吾輩をお呼びですか!さぞ面白いことが起きたということでしょうな?」

 

「これから面白くなるかもだよ」

 

「なんと!お供いたしましょう!」

 

あれだけ扱いづらいサーヴァントを瞬時に手のひらで転がしてみせた立香は、カルナとマーリンを手招きする。

 

「じゃあ皆、二時間後にここ、城壁の入口集合で!何かあったら合図して、お互いすぐに駆けつけるようにしよう」

 

「分かったッスよー。じゃあカルナさん、またあとで」

 

「あぁ」

 

ひらりと手を振ったガネーシャ神がくるりと背を向ける。連れ立って城壁の内側に向かう三人を見つめるカルナに、立香はくすりと笑ってそっと視線を外した。

 

 

 

 

 

 

 

城内隊と命名された三騎は、城壁内部の森の中を順調に進んでいた。乾いた枯れ葉を踏みしめる音以外に聞こえるのは、遠くの鳥の声だけだ。

 

少し開けた斜面の上でケイローンは立ち止まった。アーチャークラスの高い偵察スキルが備わった瞳が、周囲を探る。

 

「随分と城に近づきましたね。城壁の外でガネーシャ神が引っかかったようなトラップもなさそうですし……」

 

「あぁ、順調すぎて不気味なくらいだ。むしろ我々が城に近づくのを待っているような気すらするな」

 

長身の二人から少し遅れて到着したガネーシャ神は、斧を顕現して地面に突き立てた。ぎょっとして振り向いた孔明を気にも留めず、斧の柄に両手を重ね、ため息をつきながら顎を乗せる。

 

「城の中にいるサーヴァントって誰なんスかね?その、孔明サンは、思い当たる節とかないんスか?アインツベルンが聖杯戦争に関わる家ってことは、縁のあるサーヴァントが必ず存在してるはずだよね。その家のマスターが過去召喚したサーヴァントとか知ってるんじゃないッスか?」

 

ガネーシャ神の的を射た問いに、孔明は思わず目を丸くした。レイシフト前にケイローンが言っていたことを思い出す。

 

『自分では引きこもりと言っていますが、ガネーシャ神の戦況把握能力はなかなかなものですよ。ゲームで鍛えられたものなのでしょうか。そのあたりは孔明、貴方のほうが肌で分かり合えるかもしれませんね』

 

確かにケイローンの言う通り、彼女は状況を良く把握していた。ゲームで鍛えられた洞察力なのか、依代の彼女がマスター経験者であるための知識なのかは判断できないが、守りを任せるサーヴァントとしては好ましい。

 

孔明は微かに口角を上げてから、慌てて口元をへの字にした。内心を隠すように、必要以上にぶっきらぼうな口調で答える。

 

「私がかつて参加した聖杯戦争でも、確かにアインツベルンはサーヴァントを召喚していた。私はそのサーヴァントに関してのみしか判断ができないが……彼女が城の中から動かない、という選択肢を取るとは到底思えない。故に、私が知っているアインツベルンのサーヴァントではないだろう」

 

「じゃあ現状手がかりなしッスねー。もう行ってみるしかないってこと?」

 

不安げな色を浮かべたガネーシャ神は、ふと自身の髪の中に手を差し入れる。どこに隠れていたのか、一匹のねずみがちょろりと顔を出し、一声鳴いた。

 

「ムシカくんもそう思うッスかぁ。はぁ、正気の沙汰とは思えないッスねー」

 

よいしょ、という掛け声と共にガネーシャ神は突き立てた斧を引き抜いた。顕現を解かれた武器は光の粒になって散っていく。

 

ほとんど同時に、木立の間から身を乗り出していたケイローンが、二人のほうに振り返った。

 

「東の方角に小さな建物があります。まずはそちらを調べましょう」

 

ケイローンの後に続いてしばらく歩くと、蔦に覆われた古びた建物が現れた。周囲をぐるりと一周し、周辺に気配がないことを確認する。

 

「屋根の上に十字架があるな。教会のようだ」

 

「中に入ってみるッスか?」

 

扉に手を掛けたガネーシャ神を片手で止め、ケイローンが扉に沿うように立った。全身を静かに緊張させたアーチャーは、ゆっくりと体重をかけて扉を開ける。軋んだ音を立てながら開いた扉の先は、差し込んだ光で室内の埃がキラキラと輝く礼拝堂だった。

 

「……無人ッスね」

 

「そのようです。しかし、これは……孔明、どう思いますか?」

 

「かなり強い魔力の残滓があるな。はぐれサーヴァントだろう。あえて残したのか、残さざるをえなかったのか。もしくは、痕跡を残すことなど気にかけていないのか。ここの情報だけでは判断がつかん」

 

孔明が長髪をくしゃりとかき混ぜる。室内も見て回ったが、他に手がかりは見つけられなかった。

 

「少し時間をおいて改めて来てみましょう。サーヴァントが戻っていれば、対話を試みることができます」

 

「じゃあとうとう城ッスか?うわーもう帰りたいッス」

 

ガネーシャ神のあけすけな言葉に、孔明は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 

敷地内の小川にかかった石造りの橋を慎重に渡り、森の中を進む。城に近づいたせいか、三人はいつの間にか手入れされた一本道を歩いていた。

 

木々が段々とまばらになり、ひらけた場所に出る。左手に池があり、枯れた芝生の広場を挟んで右手はもう城の建物だ。

 

「あちらに何かあるな」

 

孔明が指を指した先は、池の畔の大木。根元の土が掘り返され、丁寧に長方形に収まるよう盛られているのが見えた。木の根元に最も近い場所に大きめの石が置かれ、その前には今にも飛ばされそうな枯れた花が二輪供えられている。

 

「これは、墓でしょうか」

 

土の状態からして、作られてからさほど時間は経っていないように見える。墓標などは見当たらず、せめて埋葬だけはしたことが伝わってきた。

 

「ガネーシャ神?」

 

何も言わずにその場から離れるガネーシャ神に、ケイローンが声を掛ける。いくつかの木の根元を見て回ったガネーシャ神は、建物に近い木の根元にしゃがみ込む。

 

戻ってきた彼女の手には、大ぶりながらも控えめな印象の花が二輪握られていた。枯れた花を取り払い、花びらのふちが紫がかった白いクリスマスローズを石の前にそっと置く。目を閉じて黙り込むガネーシャ神に、ケイローンは優しく微笑みかけた。

 

「貴女は優しい人ですね」

 

「そんなことないッスけど……」

 

眉を八の字にしたガネーシャ神は、象の被りものを揺らしながら俯いた。ちょろりと肩に乗った彼女の眷属が鼻をひくひくと動かして、冬の風の匂いを嗅ぐ。

 

「さて、そろそろ城の内部を探るか。ケイローン、ガネーシャ神、準備はいいか」

 

「えぇ、行きましょうか」

 

敵の本丸に突入するというのにあくまで自然体に見える二人に、ガネーシャ神はため息をつく。

 

「……よし、ピコッと頑張るッスよ」

 

小さな両手で頬をぱちんと挟み、守りの要を任された疑似サーヴァントは、気合を入れなおした。

 

 

 

 

 

 

 

「これ確実に私が貧乏くじを引いた気がするのだけれど……うーん、ここにもあるね」

 

立香率いる城外隊は、マーリンを先頭に慎重に森の中を進んでいた。

 

事の発端は、城壁の外に向かう前のこと。至るところに罠が張り巡らされているこの森をどう安全に歩くかを考えあぐねていた一行に、ドヤ顔のシェイクスピアが高らかに歌い上げたのだ。マーリンの花を先行させて、トラップの位置を特定しようと。

 

多分誰も傷つかないその案は、マーリンの抵抗虚しく採用された。見るからにしょげた花の魔術師が先陣を切って進んでいく。

 

バチンと大きな音をたて、花が一瞬で焦げる。あからさまに嫌な顔をしたマーリンがブツブツと文句を言う。

 

「これだけトラップに掛かっているってことは、仕掛けた本人にはぜーんぶ筒抜けってことだからね。それも分かって私の綺麗な花を焦がしているんだよね!?」

 

「無論だ。仕掛けた本人がこの特異点に存在するならば、必ず動くだろう。出方を見るのも偵察に当たる」

 

カルナの正論に、マーリンは呻いて黙り込む。後ろからマーリンの肩を軽く叩いた立香は、ふと数メートル先の草むらを眺めた。

 

「マスター、如何いたしましたかな?」

 

殿のカルナに追い立てられて立香の隣を歩くシェイクスピアが、立香が見ていた方向をオペラグラスで覗き込む。

 

「何かいた気がして……気のせいかな」

 

「いや、いい目をしている。前方の草むらだ」

 

真後ろのランサーの端的な指摘に、一行は数メートル先の草むらを凝視する。辺りが静けさに包まれると、しばらくして聞き覚えのない微かな音が耳に飛び込んできた。

 

「……鈴の音?」

 

りん、と高い音が冬の空に響く。クリスマスみたいだなと場違いなことを考えた立香をよそに、カルナが静かに黄金の神槍を顕現させた。

 

がさりと蠢く草むらから、立香がジリジリと遠ざかる。入れ替わりにカルナがマーリンに並び立つ形で前線に立ちはだかった。

 

草むらの音がますます大きくなり、鈴の音が鳴り響く。

 

次の瞬間、身構える一行の目の前に音の主が飛び出した。ぽんと宙を舞う白い塊を立香の目が捉える。

 

鈴の音が聞こえるのと同時に、塊は真っ二つに切り裂かれた。空気を切る音と共に、カルナが槍を一回転させる。地面に落ちた塊に穂先の照準がピタリと合った。

 

「……糸でできた、ウサギ?」

 

立香がおずおずと白い塊の正体を言い当てる。ぼんやりと光る白い糸が複雑な模様を描き、寄り集まってウサギの形をとっていた。しげしげと眺めていると、ウサギの残骸は突然形を失い、乾いた空気中に掻き消える。

 

「どうやら使い魔のようだね」

 

「まだ来るぞ。数は五」

 

顎の下に手を添えて考え込むマーリンの隣から、カルナが一歩前に踏み出す。鈴の音が響いた瞬間、カルナの耳輪がゆらりと揺れた。

 

あっという間に地面にウサギが倒れ伏す。すぐに形を無くした使い魔の残骸は四体。残り一体を探す立香の背後で、りん、と一度鈴の音がした。

 

鈴の音に反応して真っ先に振り返ったカルナの目が、ほんの少し見開かれる。

 

「もうこんなに壊してしまったの?せっかく作ったウサギさんだったのに……少し乱暴なんじゃないかしら」

 

聞き覚えのある声に、劇作家が小刻みに笑った。立香は一度息を吸い、意を決して振り返る。

 

「こんにちは、遠いお話の中のお姉ちゃん。森のお茶会にようこそ!カシス味のマカロンはいかが?」

 

そこには、見知った顔とほんの少しだけ異なる、笑顔の少女が立っていた。

 

「ナーサリーライム、だよね」

 

立香は落ち着いたトーンで話しかける。カルデアで見知った彼女と同じ服装、同じ顔だが、髪の色と目の色が明らかに異なっている。

 

花のように裾が広がった黒いドレスの中に、鮮やかなピンクのペチコートが覗く。黒い帽子から垂れるおさげは、普段よりも白に近い銀髪で、こちらを捉える大きな瞳は透き通るような赤だった。

 

「あたしの真名を知っているの?どこかでご縁があったのかしら?でもここにいるあたしは貴女を知らないわ」

 

ごめんなさい、としょんぼり俯いたナーサリーライムの髪を結わえているリボンが寒風に舞う。

 

敵意は感じられないが、念のためちらりとカルナに視線を投げる。小さく首を縦に振ったのを見て、立香はナーサリーライムに歩み寄った。はぐれサーヴァントならばできる限り話をしたい。

 

「お茶会をしましょう、お姉ちゃん!うふふ、楽しいわ楽しいわ!ずっと退屈だったのだもの。あなた(あたし)もとっても楽しみね?」

 

くるりとその場で一回転した少女のスカートの裾が円形に広がる。立香は思わず目で追って、ふと彼女の腕に抱きかかえられた人形に目が留まった。

 

カルデアのナーサリーライムは持っていない精巧な作りの人形は、今の彼女と同じ髪と目の色をしている。手足の曲がり具合からすると、球体関節人形のようだ。少女の肘から手首くらいまでの大きさで、白いレースのワンピースを纏っていた。

 

肩につくくらいの長さの髪が、陽の光で銀の糸のように光る。立香はなんとなく鈴の音がするウサギの使い魔を思い出した。

 

「お茶会の会場はあっちよ。くるくる回ってついてきて!」

 

ナーサリーライムの足元に一匹だけ残ったウサギが、鈴の音を鳴らしながら走っていく。澄んだ音がリズムを刻みながら遠ざかるのを眺めたシェイクスピアは、ごほんと大きく咳払いをした。

 

「マスター、面白い展開になったら吾輩をすぐに呼んでください!えぇ、即座に駆けつけますとも!」

 

立香の耳元で囁く仕草をしつつも大声で言い放ったシェイクスピアは、大仰にお辞儀をしながら霊体化した。苦笑いした立香とマーリン、そしてカルナは顔を見合わせ、ナーサリーライムのあとを追った。

 

踊るようにステップを踏み、時折ハミングするナーサリーライムは、上機嫌のようだ。立香は前を歩くマーリンと並び、ここぞとばかりに少女に話しかける。

 

「私たち、ここに来たばかりなんだけど、ナーサリーライムはここについて何か知ってる?」

 

「ええ、もちろん!ここはあの子(あたし)のおとぎの国なのよ。ライムの響きは夢のゆりかご。こんなに楽しいことったらないわ!」

 

鼻歌を歌う少女は、腕に抱えた人形を愛おしそうに抱き締める。並んだ顔を見た立香は、人形とナーサリーライムの瞳が、完全に同じ赤なことにふと気付いた。

 

「アインツベルンって聞いたことある?」

 

「アインツベルン?あの子(あたし)のことかしら。甘い甘いお砂糖でできたあの子(あたし)のことかしら」

 

地面から盛り上がった木の根をぴょんと飛び越えて、ナーサリーライムは歌うように答える。足元をちょろちょろとウサギが駆け回り、まるでおとぎ話の一場面のようだ。

 

いまいち要領を得ない彼女の答えに、立香とマーリンは顔を見合わせる。

 

「ティーカップの数が足りないわ!お花のお兄さんと、難しい話しか書かなそうなおじ様はお席の用意ができるまで待っていてくれるかしら?」

 

「おや、私は除け者かい?それは寂しいな」

 

くるくると回りながら進む少女の言葉に、マーリンがにこりと微笑む。見るからに心のこもっていない返答に、ナーサリーライムは突然ピタリと動きを止めた。

 

つられて足を止めた一行に、少女はゆっくりと向き直る。

 

「えぇ、だってあなたはよく分からない。お話を台無しにする悪い人かもしれないわ。あたしは、そういう人が一番嫌いなの」

 

強い口調で言い切ったナーサリーライムを、マーリンは表情を変えないまま見つめる。得体のしれない緊張感が、じりじりと空間に蓄積していく。

 

「おやおや、どうやら嫌われてしまったようだ。では、嫌われついでに一つ訊いておこう――君は私たちの味方なのかな?それとも敵かな?」

 

「どうかしら。あたしたちも知りたいわ、夢食い虫さん」

 

間髪入れずにきっぱりと答えたナーサリーライムに、立香の背後のカルナが体勢を変える。マーリンは相変わらず微笑みを浮かべていたが、その瞳は全く笑っていない。

 

――瞬間、地面がズンッと大きく揺れる。直後に爆発音のような轟音が響き渡った。

 

立香たちもナーサリーライムも、一斉に音の方向を振り返る。

 

「城だ、マスター」

 

一瞬で槍を顕現したカルナが、立香を振り返る。立香は大きく頷き、ナーサリーライムに向き直った。

 

「ごめんね、急用ができちゃったから、お茶会はまた今度でもいい?」

 

「えぇ、もちろん!また会いましょう、お姉ちゃん。今度こそ美味しい紅茶を飲みましょうね!」

 

にこりと笑って手を振るナーサリーライムに応え、立香と二騎のサーヴァントは駆け出した。

 

直後、シェイクスピアが音もなく実体化して、少女に向かって深々とお辞儀をした。

 

「それではごきげんよう、自ら続きを紡ぐ物語よ。またお会いいたしましょう」

 

一言だけ言い残してあっという間に作家は霊体化する。

 

ナーサリーライムは誰もいなくなった空間を無表情で見つめた。小さくため息をついたあと、ちらりと城の方角に目線を飛ばす。

 

そして、真紅の瞳をまるで三日月のように歪めると、少女はくすりと笑った。

 

「間に合うといいけれど。もうお友達はぺっちゃんこかもしれないわ」

 

 

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