後ろ姿よ、さようなら   作:こり

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第5話

両サイドに胸像が並ぶエントランスを抜け、三人は広い廊下を慎重に進んでいた。自分たちの足音以外の物音が一切しない空間に、ケイローンは警戒心を募らせる。

 

城に入る前に外観を調べたが、ところどころに戦闘の痕跡が残っていた。確認した限りは無人だが、荒廃の様子から人が離れてからさほど日は経っていないようだ。

 

そのとき、廊下の向こうからガネーシャ神のねずみの眷属がちょろりと顔を出した。戻ってきたねずみを掌の上に回収し、鼻をひくひくさせる様子にガネーシャ神が頷く。

 

「一階の奥も気配はないようッスよ。偵察お疲れ様ッス、ムシカくん」

 

「そうか。残りはこの二つの扉だが……」

 

孔明が腕組みをしながら木製の扉を眺める。窓から見たところ、大きな広間のような部屋が庭に張り出していた。廊下に溶け込むように設けられた小さな扉は、広間に繋がっているようだ。

 

「あちらは広間のようですし、この小さな扉は裏口のようなものでしょう。まずは表から回るほうが状況が掴みやすい」

 

「でも表って……あ、外ッスか?」

 

「そう、まずは庭に回りましょうか」

 

廊下に備え付けられているガラス扉を通り、一行は庭に出る。

 

目的地である右手の大広間と、建物に接続している左手の見張り塔の間は芝生が広がり、塔の前には大木が数本立ち並んでいた。

 

見張り塔のきわを迂回しつつ、大広間を伺う。西洋らしい石造りの壁にアーチ状の窓が並んでいるが、中の様子は分からない。

 

張り出した広間を回り込むと、重厚な雰囲気を漂わせる木製のドアが見えた。三人は慎重にドアに近づき、中の気配を探る。

 

「……音はしませんが、魔力を感じます。ガネーシャ神、孔明、準備はいいですか」

 

こくりと無言で頷くムーンキャンサーに、愛用の弓を顕現したケイローンは目を細める。両開きの扉に体重をかけ、ゆっくりと押し開けた。

 

扉の中に入ると、柱の向こうに広間が見える。その光景に三人はうっと息を呑んだ。

 

 

 

 

元々は洒脱な装飾の空間だったのだろうその部屋は、見るも無残に破壊し尽くされていた。大きく抉れた床の大理石は持ち上がり、柱のようにそそり立っている。

 

城に接する奥側正面では、赤絨毯が敷かれた豪華な階段が半分崩れ落ちている。城の中で見つけた裏口は、どうやら階段を降りた両側にある出口に繋がるようだ。赤絨毯の階段の上から横に伸びる隠し階段を上がると、二階部分の細い通路、ギャラリーに登れる造りになっていた。

 

広間全体の中で最も破壊が激しい中央部分には、クレーターのような大きな穴が空いている。そして、窪みには誰かがしゃがみこんでいた。

 

ピクリとも動かない大きな体はまるで黒い山のようで、石で造られた大ぶりな斧剣が床に突き刺さっている。

 

「……真ん中に、誰か、いるッスね」

 

小さく呟いたガネーシャ神の声は微かに震えていた。見覚えのある体、そして見覚えのある得物。思い当たる真名とクラスが正しくないことを必死で祈る。

 

ガネーシャ神の震える片足が一歩下がったのと同時に、ケイローンが一歩前に出た。

 

ケイローンはうずくまる身体を無言で見つめる。弓を持つ手がほんの少し下がったのを、孔明は視界の端で捉えた。

 

「……ヘラクレス」

 

声を絞り出すようにして、かつての師はかつての弟子の名を呼んだ。

 

幽霊でも見たかのような表情を浮かべ、ケイローンはもう一歩前に出る。ピクリと黒い山の頂きが揺れた。

 

「ヘラクレス……貴方がこの特異点に召喚されたサーヴァントでしたか。私の声が聞こえていますか?」

 

ギリシャで最も有名な大英雄の脚に力が入る。踏みしめた大理石に細かなヒビが入り、みしりと軋む音がした。

 

「私たちは貴方と敵対する意志はありません。できることならば、この特異点の解決に力を貸してほしい」

 

俯いたままのヘラクレスの表情は、髪に隠れて見えない。ゆっくりと立ち上がる弟子を見つめる師は、祈るような切実な表情を浮かべた。

 

ケイローンは更に距離を詰める。二歩、三歩、四歩。

 

「いかがでしょう、ヘラクレス。私たちと共に来ませんか?」

 

手を伸ばせば触れられる位置まで近づいたケイローンは、そっと手を伸ばした。

 

師の指先が弟子の腕に触れようとした瞬間、かつて弟子だった超人が突然顔を上げた。

 

ケイローンは目を見開いて硬直する。

 

――その色は、鮮血を思わせる赤だった。

 

「■■■■■■■!!」

 

まるで嵐のような咆哮を上げ、狂戦士は腕を振り回す。衝撃で建物全体が軋み、怯んだガネーシャ神は思わず頭を庇う。

 

「待ちなさい、ヘラクレス!」

 

すんでのところで躱したケイローンは、必死の形相で呼び掛ける。

 

しかし、目の前のバーサーカーは止まらない。床を強く踏みしめ、轟音と共に大理石が砕け散った。

 

「……ッ、ケイローン!」

 

ありったけの大声で孔明は大賢者の名を叫ぶ。

 

歯を食いしばり、一瞬俯いたケイローンは、目にも留まらぬ速さで矢を放った。ヘラクレスの足元は見る間に針山と化していく。

 

「■■■■■■■■■!!」

 

衝撃波に匹敵するような咆哮が、大広間に響き渡る。足に突き刺さる無数の矢を物ともせず、ギリシャの大英雄は三人に向けて突進する構えを見せた。

 

「撤退する!」

 

「はっ、はいッス!」

 

顔を真っ青にしたガネーシャ神が震える体を必死で動かす。床に突き刺さった斧剣を抜いた狂戦士は、前傾姿勢で脚に力を篭めた。

 

「孔明ッ!」

 

ケイローンが鋭く叫んだ瞬間、後ずさりしたガネーシャ神の前に両手を広げた孔明が躍り出る。

 

「これぞ大軍師の究極陣地『石兵八陣(かえらずのじん)』!」

 

間髪入れずに解放された宝具により、広間に魔力の渦が巻き起こる。

 

轟音とともに降ってきた巨大な石の柱に、突進したヘラクレスは行く手を阻まれる。囚われたバーサーカーの咆哮で、広間の窓ガラスはビリビリと震えた。

 

「時間稼ぎにしかならん!行くぞ!」

 

孔明の声に反応したケイローンは、駆け出す孔明とガネーシャ神を両脇に抱えて、二階の細い通路に飛び上がる。そのまま窓ガラスを突き破り、建物の外に飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

立香たちは、足場の悪い森の中を城に向かって走っていた。

 

「マスター、悪いが抱えるぞ」

 

返事を待たずにカルナが立香を掬い上げる。予期せぬ腹部への打撃で漏れた呻き声は、マーリンが真上に向けて放った光弾の音にかき消された。

 

斜面を飛ぶように駆け下りた城外隊は、更に加速する。そのとき、向かう方角から別の叫び声が聞こえた。

 

「まっまっ、マスターァァァ!」

 

声の主に気づいたカルナは横滑りして一気に減速する。巻き上がる砂煙と腹部にかかる重力に負けかけた立香は、思わず口元を両手で押さえた。

 

砂煙が収まらないうちに、上空から地面に影が落ちる。カルナから解放された立香が上を見上げると、叫び声と共にケイローンが降ってきた。高音と低音の呻き声が、着地と同時にケイローンの両脇から漏れる。

 

「マスター、ご無事で何よりです」

 

抱えた荷物をそのままぼとりと落としたケイローンは、ほっとしたように笑いながら立香に声を掛ける。

 

予想外の雑な動きに戸惑いながら、立香は放り出された二人に駆け寄った。地面に突っ伏したガネーシャ神はカルナが助け起こしていたが、孔明は足を震わせながら四つん這いで俯いている。

 

「孔明、大丈夫?」

 

立香はしゃがみこんで、孔明の背をそっとさする。何度か噎せてから、青い顔をした孔明がよろりと立ち上がった。長髪についた細かなガラスの粉がきらきらと光っている。

 

「はぁ……まったく酷い目に合った……とりあえず状況の整理をしよう。こちらより先に城外隊の報告をしてほしい」

 

「では、私からでいいかな、マスター」

 

手のひらの上に桃色の花をひとつ作ったマーリンが、立香をちらりと見る。いつの間にか実体化したシェイクスピアを含めたサーヴァント五騎とそのマスターは、花の魔術師に視線を集中させた。

 

「確実に分かったことは、三つ。ナーサリーライムが召喚されていること。我々の知るカルデアの彼女とは見た目が少し異なること。それと、彼女はこの特異点について知識があること」

 

「ナーサリーライムですか……彼女は味方になりそうですか?」

 

腕組みをしたケイローンが尋ねると、マーリンの手のひらに乗っていた花が突然崩壊した。指の隙間から零れ落ちたピンクが、地面を彩る。

 

「マイロード、そのあたり君はどう思う?」

 

「まだ分からないけど、話をすることはできると思うよ」

 

ブーツの爪先に乗り上げた花びらを拾って、立香は答えた。ピンク色のリボンで結われた銀髪が脳裏を掠める。もう一度会ってお茶会をすれば、更に話ができそうだ。

 

「見覚えのない人形を手にしていたな。マスターよ、あのようなものを持っていたのを見たことがあるか」

 

ガネーシャ神の様子を見守っていたカルナも会話に加わる。立香は首を横に振り、そういえばと付け足した。

 

「今回出会ったナーサリーライムは、髪がいつもよりさらに銀髪で目が赤だったんだけど、人形もそっくりの見た目だったよね」

 

「待て、マスター。銀髪で目が赤だったというのは本当か?」

 

立香を遮るように孔明が右手を前に出す。こくりと頷いた城外隊のメンバーを見て、孔明は俯いて眼鏡を外した。

 

「……そもそもナーサリーライムは特殊なサーヴァントだ。カルデアにいる彼女は異なる世界のマスターの姿をしているが、本来彼女はマスターの姿形を模倣する。つまり、彼女の見た目は、マスターの見た目と考えることができるわけだ」

 

これ以上ないほど眉間に寄った皺を指で揉みほぐしながら、孔明は一度大きくため息をついた。顎に手を添えて聞いていたケイローンが、小さく息を呑んで孔明に顔を向ける。

 

「銀の髪、赤目は、アインツベルン一族の特徴なのですね?」

 

「御名答。ナーサリーライムははぐれサーヴァントではない。彼女にはマスターがいて、十中八九アインツベルンの者だろう」

 

「なるほど。ではナーサリーライムがこちらに与する可能性は高くないというわけか」

 

カルナの冷静な発言に、立香の表情が険しくなる。夕焼け空を思わせる瞳を目蓋で隠して、いくつもの特異点を駆け抜けてきたマスターは考え込んだ。

 

「まだ分からないよ。希望は持ってこう!」

 

「そうッスよ、希望は持ってたほうがいいッス。だって、こっちの報告に希望はあんまないッスからね……」

 

へっ、と気の抜けた声を出した立香は、目を逸らしたガネーシャ神の代わりに、ケイローンを見やる。苦笑した大賢者は、ちらりと空を見上げた。解散前は晴天だった空が、いつの間にか黄昏の色を帯びてきていた。もうすぐ森は闇に包まれる。

 

「こちらで分かったことは二つです。一つ、城壁内に寂れた教会があって、魔力の残滓が残されていました。はぐれサーヴァントがいると考えられます。こちらについては、明日もう一度探してみましょう」

 

「私が感知した城の中のサーヴァントとは別人ということかな?」

 

飄々とした表情のマーリンに、ケイローンが頷く。

 

「えぇ、別人でしょう。城の中のサーヴァントについてが二つ目の報告です。接触し、意思疎通を試みましたが失敗しました。戦闘になったので、即時撤退しています」

 

「意思疎通が難しかった……?ということは、クラスはバーサーカー?」

 

立香の読みに、ケイローンは無言で俯いた。渋い顔をした孔明が後を引き受ける。

 

「その通りだ、マスター。クラスはバーサーカー、真名を……ヘラクレス」

 

ヒュッと立香が息を呑む音が聞こえた。

 

決して敵に回したくない名前に、城外を回っていた三人も黙り込む。皆の不安を感じ取ったかのように、孔明の口調が加速していく。

 

「何故ギリシャきっての大英雄が召喚されているのかは分からない。アインツベルンとなにか縁があるのかもしれんが、そこは不明だ。能力面も我々が知るヘラクレスと同一である保証はない。……確実なのは、我々と協力関係にはなれないということだけだ」

 

「あ、あんな……あんなの、チートすぎるッスよ……」

 

会敵時のことを思い出したのか、ガネーシャ神の肩がふるりと震える。隣のカルナが彼女をそっと見下ろすが、何も言わなかった。

 

橙をほんの少し残すだけになった濃紺の空に、皆の沈黙が吸い込まれていく。誰かが小さくため息をついた瞬間、ここまでやけに静かだった劇作家が堰を切ったように話し出した。

 

「『馬だ!馬を引け!(A horse ! A horse !)馬を引いて来たら王国をくれてやるぞ!(My kingdom for a horse !)』――素晴らしい!素晴らしいではありませんか!謎に満ちた特異点。自ら続きを紡ぐ物語に加え、最大の敵はギリシャの大英雄、ヘラクレス。そして敵対するは、かつての師、大賢者ケイローン!更にインドの大英雄もいるとなれば十分でしょう。役者は揃いました!」

 

「シェイクスピア、貴方は相変わらずですね……」

 

半笑いのケイローンを気にも留めず、頬を紅潮させた男は舞台役者のように言葉を紡ぐ。

 

「当たり前ではありませんか!いいですか、吾輩は取材に来たのです。取材対象がクソ面白くもなかった場合の絶望が、貴方には分かりますか?それに対し、今回の特異点はどうだ!嫌がる吾輩を書斎から引き摺り出したマスターは流石と言う他ないでしょう。この物語が喜劇となるか悲劇となるか、是非とも吾輩は最後まで見届けたい!いや、見届けなければならない!」

 

シェイクスピアは片手を胸に当て、もう片手で外套の裾を掴む。優雅に腕を持ち上げると、劇場の緞帳のように黒い布地が揺らめいた。

 

「とりあえず、状況の把握はできただろう。野営の場所を探すぞ。続きは明日からだ」

 

仕切り直すような孔明の言葉に、各々が動き出す。身体の芯から凍えそうな夜風が吹き抜けて、周囲の木々がざわめいた。

 

先行して歩き出した立香が振り返り、黙り込んだままのガネーシャ神を呼ぶ。ハッとした表情を浮かべた守りの要は、眼鏡の位置を直して小走りで走っていった。

 

無言で彼女の背を見送るカルナに、ケイローンがゆっくりと歩み寄る。

 

「どうしましたか、カルナ」

 

「ケイローン、ヘラクレスは、オレたちが知る『カルデアのヘラクレス』と同じだろうか」

 

「いえ……確証はありませんが、あのヘラクレスは、カルデアの彼よりも更に『本来の彼』に近いでしょう。そして敵ならば、聖杯の強力なバックアップを受けていても不思議はありません」

 

ケイローンの淡々とした返答に、カルナは拳を握りしめる。

 

「つまり、オレたちは強化された『本来のヘラクレス』を十二回倒す必要があるということだな」

 

カルナの問いに、ケイローンは答えない。二人の英雄に、無粋な言葉などいらなかった。

 

 

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