後ろ姿よ、さようなら   作:こり

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第7話

切るような寒さの風が時折吹き抜けて、朝焼けを思わせる立香の髪の毛がぶわりと風に流される。マーリンの花も次々と宙を舞い、花びらが殺風景な冬の森に色をつけた。

 

「おかしいな、城壁の入り口あたりをうろちょろしている感じなんだけど……まあ彼はそんな素直に会ってくれないか」

 

「彼って言ったね、マーリン。誰だか分かってるんだ?」

 

杖で地面をつつきながらぼやくマーリンの言葉を、立香は聞き逃さなかった。にっこりと笑った花の魔術師は肯定も否定もしない。

 

「実際に会ったら君も納得すると思うよ。いつも通りだなって思、あたぁっ!?」

 

空気を切る音と共に、マーリンの頭が左に傾いた。鮮やかな弾丸がキャスターの頭に跳ね返り、地面に転がる。弾丸の真っ赤な皮には歯型が刻まれ、瑞々しいクリーム色が覗いていた。

 

「林檎……?」

 

マーリンを襲った食べかけの林檎をしゃがみ込んで立香は見つめる。つやつやとした皮に映り込む背後の景色の中で、不意に大きな影が動いた。林檎とは比べ物にならない重い風音をたてて振られたのは、黄金の槍だった。

 

「マスターを狙うのは許さん」

 

カルナの呟きと同時に、両断された林檎が地面に落ちた。一切のぶれもなく真っ直ぐ切られた断面から果汁が溢れ、地面に染み込む。

 

「狙った?阿呆が。最上級の果実をくれてやっただけよ。我の慈悲を拒むとはとんだ痴れ者よな」

 

すぐ近くの城壁の上から突如声が響く。逆光に邪魔されてよく見えないものの、立香は霊体化を解いた声の主が誰だか確信した。

 

「やぁ、やっぱり君だったね。こんなところの召喚に応じるなんて珍しいじゃないか。状況は見ての通りだ、協力してくれるかい?」

 

マーリンが左手をひらりと持ち上げてサーヴァントに語り掛ける。腕組みをした彼の頭上を彩る角冠の布が寒風に舞った。

 

「なんとなんと!キャスタークラスのギルガメッシュ王とは思いもよりませんでした。これだけキャスタークラスの味方が増えているのです、吾輩はもうお暇してもよろしいでしょうか?もちろん取材が必要なときは顔を出しますとも!」

 

「黙れ、作家風情が。いつかの特異点でのことがあるとはいえ、此度の我は貴様らに味方するなど一言も口にしておらん。それ以上の不敬は死に値するぞ」

 

芝居がかった口調のシェイクスピアを黙らせたウルクの賢王は、城壁の上から飛び降りる。優雅な動きで着地し真っ直ぐ見つめた先には、真正面から視線を受け止める立香がいた。

 

「ギルガメッシュ王」

 

「くだらんことは口に出すな」

 

「状況の説明を」

 

「我が状況を知らぬとでも思うのか、たわけ!そも、貴様らは我を探し当てたのではない。我が貴様らを待っていてやったのだ」

 

ギルガメッシュの圧に立香は一旦言葉を飲み込む。彼には大抵のことはお見通しなことは、ウルクで出会った頃と変わらなかった。

 

「とはいえ、だ。先程そこな阿呆の夢魔が問うたことだが、考えてやらなくもない。この特異点はごく小さい揺らぎでしかないが、放置するにはあまりに見苦しいのでな」

 

黄金の小手が嵌められた右手に粘土板を顕現させて、ギルガメッシュは緋色の目をすっと細めた。一歩前に出ようとした立香に向けて、賢王と呼ばれた男は左手を伸ばす。

 

「しかし、タダで協力するのは面白くなかろう。少し体を動かすとするか。付き合え」

 

立香が言葉の意味を理解する前に、ギルガメッシュの左手が動く。いつの間にか握られていた戦斧が、身動きが取れない立香の眼前に迫っていた。斧の側面に施された繊細な細工が見えて、風圧を頬に感じる。

 

――甲高い金属音が耳に飛び込む。カルナの槍の穂先が、すんでのところで斧を押し止めていた。金属の擦れる音がしばらく続いた後、カルナが斧を真上に跳ね上げた。圧されたギルガメッシュは後方に飛び退り、愉快そうに笑う。

 

「目を瞑らないとはなかなかの胆力ではないか、雑種」

 

開いた粘土板の上に、光り輝くシュメール文字が弧を描いて流れていく。立香の前に割り込んだ施しの英雄は、片足を後ろに下げてぐっと踏み込んだ。

 

「カルナ、程々で」

 

「承知した」

 

城壁の前に立つギルガメッシュの背後に、宝物庫に繋がるゲートが頭上高く展開された。先端を覗かせた魔杖に魔力が収束し、周囲に風が巻き起こる。

 

カルナの空色の瞳が見開かれるのと同時に、複数の魔杖から一気に雷光が迸る。

 

その瞬間、この場にそぐわない幼い声が飛び込んできた。

 

「いけないわ、いけないわ!喧嘩はいけないわ!ここはおとぎの国なのよ、皆仲良く楽しく過ごしましょう?」

 

鈴のような高い声色を追って立香が振り向くと、城壁の入口から赤目の少女が顔を出していた。

 

「ナーサリーライム!」

 

「こんにちは、お姉ちゃん。また会えて嬉しいわ!今日は楽しいお茶会ができるといいのだけれど……」

 

不安げに銀色の眉を顰めて、少女がちらりと立香の後方に視線を送った。二騎のサーヴァントは、臨戦態勢のまま緊迫感を漂わせて動きを止めている。

 

立香は少し逡巡し、城壁の前に仁王立ちするはぐれサーヴァントに向き直った。

 

「ギルガメッシュ王、私たちはこの特異点の解決のために来ています。情報を得られる場を失いたくない。だから、いいですか?」

 

「は、言うではないか、雑種。よかろう、その不遜さ赦してやろう」

 

口元を釣り上げてにやりと笑ったウルクの王は、右手の粘土板を下ろした。背後に展開された宝物庫のゲートが光の粒子となって散っていく。それを確認したカルナも、輝く槍を下ろして顕現を解いた。

 

「これでいいかな?」

 

「えぇ!喧嘩はおしまいね。今日はきちんとティーカップの数を揃えたの。楽しいお茶会を始めましょう!」

 

はじけるような笑顔を浮かべたナーサリーライムは、その場でぴょんと飛び跳ねる。腕の中に抱えられた人形の銀髪が、陽の光で鈍く光った。

 

 

 

 

 

 

 

ナーサリーライムの後を追って、一行は城壁を越えて城に近づいていく。不機嫌そうな顔をしたギルガメッシュも何も言わずに着いてくることにいささか驚きつつも、立香は木の根を避けながら目の前の道を進む。

 

城のエントランスが眺められるあたりで、ふわりと甘い香りが鼻を擽った。皆に歩調を合わせていた少女は、突然速度を上げて駆けてゆく。道の先に見える円形の広場には、真っ白のテーブルクロスに覆われた丸いテーブルが置かれていた。

 

この子(あたし)のお茶会へようこそ!マカロンもプラムケーキもプディングもたくさんあるわ。美味しい楽しいお茶会の始まりよ!」

 

きちんとセットされたテーブルの周りには、磨きこまれた木目が美しい木製の椅子が五脚並ぶ。その中に、一脚だけ赤い布が張られた華奢な椅子が置かれていた。ナーサリーライムは抱えた人形を丁寧に赤い椅子に座らせる。

 

「皆、席についてくださいな。こんなにたくさんのお友達が集まるなんて初めてだわ」

 

人形の隣にナーサリーライムが座る。促されるままに立香は人形を挟んで逆側の椅子に腰を下ろした。他のサーヴァントたちも顔を見合わせてから無言で席に着く。

 

テーブルの真ん中には色鮮やかな生花が活けられ、冬の殺風景な景色の中で浮かび上がって見えた。いつの間にか目の前にはいい香りのする紅茶が注がれたカップが置かれている。琥珀色の水面からふわりと湯気があがり、立香の隣に座ったマーリンがほうと小さく声を漏らした。

 

「それで、お姉ちゃんはこの子(あたし)に何を聞きたいのかしら?」

 

「ここはあなたたちのおとぎの国だと言ったよね」

 

「えぇ、そうよ、あたしたちのためのおとぎの国なの。温かいプディングはいかが?」

 

ナーサリーが勧めるままに、立香はプディングを小さめの皿に取り分ける。ティーセットと揃いの小皿は、白地に桃色の小花が散らされ、縁に細やかな金のラインが施されていた。

 

「それはどんな世界なの?」

 

マスター(あたし)はね、『自分が生きた証が欲しい』んですって。それはそうよね、物語はハッピーエンドじゃないと子供は皆泣いてしまうわ!」

 

「……自分が生きた証」

 

あの子(あたし)が幸せな世界を作ろうって思ったの。あの子(あたし)がずっと幸せに過ごせる、誰にも邪魔されない世界ってどんな世界だろうって、何回も何回も考えたの。それで作ったのがこの世界!どう、素敵でしょ?こうやってお日様の下でお茶会をすることもできるんだもの。あの子(あたし)だって喜んでいると思うわ!」

 

小さな手でカシス色のマカロンを摘まんだ少女は、絵本のプリンセスのように愛らしく笑う。サクリとマカロンを齧る姿への強烈な違和感に、立香は首を傾げた。

 

「あら、お姉ちゃんは分からないのかしら?だってハッピーエンドが一番じゃない!辛いお話なんて皆読みたくないものよ」

 

「…………」

 

「マスターはともかく、オレには分からん」

 

立香の戸惑いを、強い意志に裏打ちされた声が切り裂く。円形のテーブルを囲む全員が声の主に釘付けになった。寒風が吹き抜けて、カップから立ち昇る湯気を蹴散らしていく。透き通るような白い髪が風に煽られるのを気にも留めず、カルナは言葉を続けた。

 

「その行動には意味がない。生きる意味は本人が決めるものだ。我ら英霊は、今を生きる人間の手助けしかできない」

 

ナーサリーの手のひらがテーブルに落ち、カップが跳ねるカシャンという音が大きく響く。頬を紅潮させた少女は、涼し気な表情の施しの英雄をキッと睨み付けた。

 

「あなたはやったことがないっていうの?」

 

「あぁ。望むことは叶えようと努力するが、望みそのものとその意味はマスターが決めるべきことだ。おまえの作った世界は、本当におまえのマスターが望む世界なのか」

 

「カルナ――施しの英雄だっていうのに、なんて残酷な人なのかしら。望みの形を決められない人だっているのよ!それを汲んであげることの何がいけないって言うの?」

 

ナーサリーは一段と低い声で鋭く吐き捨てる。彼女の糾弾を特に気にするでもないカルナは、無言で紅茶を飲んだ。

 

お茶会のテーブルを沈黙が支配する。中央の生花が心なしか萎れて見える気がしたとき、挨拶をするような気軽さで声を上げたのはマーリンだった。

 

「紅茶のおかわりをもらえるかな?それと、私からも一つ聞きたいことがあるのだけれど」

 

「……」

 

唇を噛み締めたままのナーサリーは、パチンと指を一度鳴らす。マーリンが掲げた空のカップが、一気に紅茶で満たされた。お礼を言いながら機械的な笑顔を浮かべた花の魔術師は、手のひらの上に一つ花を作り出す。

 

「城の大広間にもう一騎サーヴァントがいるね。そう、ギリシャの大英雄、ヘラクレスだ。彼も君の友達なのかな?」

 

「知らないわ」

 

平坦な声で即答したナーサリーは、両手でカップを包んで紅茶を口に含む。こくりと白い喉が動き、唇を尖らせた。

 

「バーサーカーはこの子(あたし)と遊んでくれないの。いつも広間にひとりぼっち。でも、この子(あたし)のことが好きみたいだし、この子(あたし)もバーサーカーが気になるみたい。だからお砂糖はあげているわ」

 

「お砂糖、ねぇ。それはこの綺麗なだけの花みたいなものなのかな?」

 

硬い声ではあるものの律儀に質問に答えたナーサリーに向かって、マーリンが花を差し出す。一拍おいて、少女は魔術師の手を振り払った。手のひらから飛び出した桃色の花が宙を舞い、立香の前にぽとりと落ちる。

 

「質問はこれでおしまいかしら?」

 

刺々しさを隠しもしない少女の冷ややかな目を、立香は正面から見つめた。怒りが浮かぶ深紅の瞳が、まばたきののちに明るい紅色に変わる。口の端を微かに上げて笑みを浮かべた少女は、柔らかく立香に話しかけた。

 

「なぁに、お姉ちゃん。お姉ちゃんならいいわ、答えてあげる」

 

「……ずっと思っているのだけれど……」

 

立香はもごもごと口籠った。訊かないといけない質問だとは思うが、訊いたらまずいような気もする。きょとんと無垢な瞳でこちらを覗き込む少女に賭けて、思い切って口を開いた。

 

「ナーサリーライムが肌身離さず持っているその人形は――誰なの?」

 

今度こそ、空気が凍った。立香を見つめる少女の顔には、何の色も浮かんでいない。

 

頬をぴくりと動かした立香は、内心舌打ちした。どうやら地雷を踏んでしまったらしい。

 

薄く開けた唇をそっと閉じたナーサリーライムは、ゆっくりと立ち上がった。優しい手つきで人形の頭を撫で、そのまま大事そうに抱き上げる。

 

「――お茶会はおしまいね。楽しくなると思ったのだけれど、寂しいわ」

 

「それは残念ですな、絵本の少女よ」

 

唐突に響いた男の声に、全員がハッとする。これまでずっと手元の本に何やら書き散らかしていた劇作家は、異様なほど穏やかな声で台詞を紡ぐ。

 

「そちらの砂糖でできたという美しい人形に、吾輩は大変興味があります。『薔薇と呼ばれる花は、他の名前で(That which we call a rose by any)呼ぼうとも、甘い香りは変わらない(other word would smell as sweet.)』――おぉ、少女よ。貴女にうり二つであること以外にどんな秘密があるというのか、吾輩にお教えいただけますか?例えば、本体は別にいる、という設定などいかがかな。悪くないでしょう?」

 

ゆらりと立ち上がったシェイクスピアはナーサリーライムに恭しくお辞儀をする。男の一挙一動が少女の怒りのボルテージを上げていることは、誰もが肌で感じ取っていた。

 

突然、ナーサリーライムは右手を高く上げる。パチンと指を鳴らした瞬間、お茶会のテーブルセットは全て消えていた。後に残るのは、地面に落ちた桃色の花が一輪だけ。

 

太陽は早くも傾きかけ、吹きすさぶ風はぬくもりを失っている。少女はくるりと背を向けて、低い声で呟いた。

 

「夜のとばりは落ちきった。あなたの首も、ポトンと落ちる。――ページを閉じて、さよならね」

 

一等強い風がその場を駆け抜けて、ざわりと森の木々が揺れた。思わず目を閉じた立香が次に目を開けたとき、銀髪の少女の姿は掻き消えたあとだった。

 

 

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