南雲ハジメは彼のことはあまり知らなかった。
他の人に聞いたとしても恐らく同じような回答をするだろう。
気づいたら教室で授業を受け、テストの点数も1位でも最下位でもない中間の順位。
自分自身クラスメイトと特段親しくしているというわけでもなかったため、ある意味同類のような感覚を覚えていた。
遊ぶとか昼食を一緒に食べるような仲の良いわけでもない。
でもクラスの男子達のような敵愾心を持たれてもいない数少ない存在であったため、話すときは結構気を許せる存在であったことは確かであった。
「…あれ?」
気づいたのは本当に偶然。
自分たちの先生である
(愛子先生、あの時同じ教室にいたんだ…だけど、彼はどこに?)
自分よりも激しい感情を見せられると冷静になることがある。
その時ハジメは最初は困惑しかなかったものの、愛子先生の怒りの抗議を見て冷静に状況把握に努めることができた。
そこで一人だけ、クラスメイトがいないことに気づいたのだ。
非情に影が薄く、家族や自動ドアにすら認識されないことがあるというクラスメイト
しかし彼はハジメの近くにいたことで認識できたからこそ気づけたといってもいいかもしれない。
(
冒頭でハジメに対しても何ら敵愾心を持たず接してくれていた生徒である。
彼はハジメが教室にやってきたときから自分の机で寝ていたはずだ。
その流れでこの世界『トータス』へともにやってきたのであれば自分たちと共にいなければ不自然ではなかろうか?
「ね、ねぇ、えんど…」
「ふざけんな!」
「私たちを返してよ!!」
隣にいた遠藤にハジメは疑問を投げかけようとしたのだが、外の景色と地球に帰ることができないことがわかった生徒達の怒号によってその時は機会を失ったのだった。
『トータス』に召喚されてから二週間が経過しようとしている。
ハジメはあれから万部のことを聞くタイミングを失ってしまっていた。
“ステータスプレート”という神代のアーティファクトを受け取って彼は己の才能を伸ばせないものかと知識を蓄えているのに忙しく、確認することを忘れてしまっていたためだ。
17歳 男
天職:錬成師
筋力:10
体力:10
耐性:10
敏捷:10
魔力:10
魔対:10
技能:錬成・人語理解
この世界の人間が持つ平均数値。それが10。
ハジメは彼らと何ら変わりないステータスを有してしまっていたために、普段からちょっかいをかけてくる小悪党組の面倒くさいやり取りが増えてしまったことに若干辟易しながらも今日まで訓練と勉学に励んでいたのだ。
ちなみにクラスのリーダー的存在である
ハジメの10倍の数値で周囲の人間を驚かせていた。
最もこの2週間で能力値がわずかに上昇しただけで、天職たる錬成師の「錬成」の方もさっぱり。
魔法の才能もないことがわかってしまっては流石に落ち込むというもの。
物質を魔法で操作し、加工することで武器などを作り出すことができる鍛冶職に近いものであるが、今日まで碌な武器一つも作れていなかったのだ。
そんな中で明日「オルクス大迷宮」と呼ばれるダンジョンへ遠征しに向かうのだ。
「気が重くなるなぁ…」
クラスメイトの多くが理解することを拒んでしまっているのだが、ハジメは現実の問題をしっかり理解していた。
教会に逆らってしまえば反逆者として追放処刑をされてもおかしくないこと。
このまま言うとおりにしても元の世界に帰れる保証はないということ。
天之河がイシュタルへ確認を行い、私たちが崇高するエヒト様であれば元の世界に帰す方法を知っているかもしれないという言葉を引き出していたのだが、逆にいえばそのエヒト様が許可しなければ帰れないのと同義。
魔人族との戦争に勝つために呼び出されていることは、当然命のやり取りを行わなければならず、人を殺す機会は必ず訪れるのだ。
(天之河君は意識してなかったみたいだけど、魔“人”族だもんなぁ…人を殺す覚悟、なんて持っているはずがないよ…)
だからこそ、ハジメは気が重い。
頭で理解できていても、実際にその場面に立ち会ってしまえば動けなくなる可能性がある。
そうなってしまえばゲームでもよくある展開であるが、最悪の状況を引き起こしてしまうかもしれないのがハジメが考える最悪のシナリオだった。
コンコン
(…こんな時間に…誰だ?)
ベットに横になって今から寝ようとしたとき、ハジメは誰が来たのかと警戒する。
だがそれは自分の聞きなれた声であると知ってすぐに立ち上がった。
「南雲くん、起きてる?―――
「う、うん!今開ける!」
「ごめんね。こんな時間に…その…少し話があって…」
一体何事!?
扉を開けるとネグリジェに軽く上着を羽織った美少女。
ハジメのクラスメイトの少女であり、誰に対しても分け隔てなく接する優しい性格の少女でマドンナ的存在であるのだが、彼女がハジメに積極的に声をかけてくる影響もあって、ハジメが嫌われている状況を無意識ながら作ってしまっている元凶でもある。
故にハジメにとって彼女が夜遅くに一人で自室にやってくるという事実は、ゲームで数多く見たシチュエーションであり、彼を困惑させるのは容易かった。
「ごめん。こんな水出しの紅茶っぽいものしかないけど…」
「ううん。ありがとう」
互いに紅茶を一口。
彼女が見せる一つ一つの所作に少女特有の愛くるしさと育ちの良さが垣間見えて内心ドキっとするハジメであるのだが、その気持ちを内心に収めて本題を切り出した。
「そ…それで、話って何かな?」
「うん…明日の実践訓練のことなんだけど…」
彼女が切り出した話題。
それはこの町で待っていてほしい。というものだった。
夢で見てしまったのだという。
何度も声をかけてもこちらに気づいてくれず、そのまま遠くへ行ってしまい、消えてしまうというもの。
ハジメは夢は夢だと軽く受け流すのであるが、彼女の不安を晴らせる言葉ではなかった。
彼女はそのまま語りだす。
どうしてハジメに惹かれるようになったのか。
彼女が学校でなぜハジメを気にかけてくれていたのかを。
「南雲くんは、私の中で一番強い人なんだ…。自分では敵わない…でもそんな相手であっても、立ち向かえる人はそんなにいないと思う」
「ハハハ…」
「今もそうだよ…。自分が弱いとわかっていても、みんなの力になりたくて一生懸命勉強していたんだよね?」
「う…うん」
「私が憧れたのはそういう所。弱くても、いざという時に動き出せる勇気!南雲くんはそれを持ってる」
自分のことのように嬉しそうにハジメのことを語る香織に、ハジメは今まで苦手の感情を抱いていた自分に叱りつけたくなった。
他の誰かにここまで自分のことを認められたのは初めての経験だったから。
「だからこそ私は不安なの…明日、何か無茶なことをするんじゃないかって…だから…」
「そ、それじゃあさ!守ってくれないかな」
自分を認めてくれた彼女の期待に応えたい。
そのために自分は強くなりたい。
ハジメはこの世界に来て、否。人生で初めて、強くなりたいと願ったのだ。
「男としては恥ずかしいけど…僕も頑張って強くなるから」
「…うん、わかった。私が守るよ!」
こうして二人は約束を交わす。
ここまでは本来の歴史――――。
だがこれからはほんのちょっとだけ、歴史が変わる。
「―――いい雰囲気のところ悪いけど、大事な話がある。二人とも今から外に集まってくれないか?」
◇
「白崎さん!南雲くん!あなたたちも呼ばれたんですね!」
「愛子先生!」
「みんなも…?何人かはいないようだけど…」
ハジメたちは呼ばれた通り広場に集まった。
すでに他の人も呼ばれていたのか、何名かを除いて生徒達と先生がこの場に集まっている。
「しかし驚いた。突然呼ばれるからなにかやばいことがあるんじゃないかって内心ビクビクしてたよ」
「正直すっかり
どうやら彼らも万部に呼ばれた様子。
ハジメからしてみれば今までどこで何をしていたのかが気になったが、その疑問はすぐに解消されることとなる。
「―――よっし呼んだ全員集まったな。静かにしてくれ。音が漏れないようにしてるがそれでも騒がれると煩いんでね」
声の方向を全員が見る。
そこには万部がいた。ただ学生服ではない。
腕部や脚部を護るよう装身具を、そしてそれらを隠すようにローブを身に着けていた。
学生らしく短く切りそろえた髪と少し濃いめの眉毛が特徴の彼。
彼は無言で手に持った紙……よくよく見れば契約書らしきものをハジメ達に見えるように突き出した。
「この場にいる全員に重要な話をする。この内容をどんなに親しい者であっても口外しないこと。それを確約できる者だけこの契約書にサインしてくれ」
「…お、おい万部。お前…突然何を言い出すんだよ。わざわざ天之河達を省いてさ」
「それも含めて今から言う。この場にいる全員がやることは二つの内一つだけだ。契約書に記入して今からする話を聞くか、記入をせずに今すぐ自室へと戻り明日の『オルクス大迷宮』への準備を行うか…だ」
いいから早く決めろと伝える万部に対し、生徒達は顔を見合わせるも契約書にサインをし始めた。
ハジメも受け取って確認するが、内容は至ってシンプル。
一.本日見聞きしたものはどんなに親しい相手であっても決して口外、文による伝達をしないこと
一.契約を破った場合、相応の処置を受け入れること
要するに誰にも言わず伝えるなということだ。
話の内容にもよるが、トータスにやってきて語ったとしても信じてくれるものがいるかどうか。
重要な話であろうことを無視するよりも、契約書に記入したほうが利になると判断してハジメは自分の名前を記入した。
「…みんな書いたな。『契約完了――。これより処理に入る。―――同調完了』」
「お、おい…」
「では堅苦しいのはここまでとして、全員に確認だ。地球に帰りたいか?」
「当たり前だろ!」
万部の問いに当然だと声を挙げる男児生徒。
女子生徒も同じ気持ちなのか、否定する者は誰一人いなかった。
「ならば今君たちには2つの選択肢が与えられることになる。
一つ、今すぐ地球に帰還すること。
二つ、この場に一時的に残って経験を糧にした後帰還することだ」
『は?』
一同同じ反応をした。
当然だ。このトータスに来て2週間。
勇者召喚のために呼ばれ、エヒト様でなければ元の世界に帰る手段はないのだと考えていたのだ。
「万部何言ってんだ。帰る手段がないから俺たちはこうして戦う覚悟を決めてきたんじゃねぇか!」
『そうだそうだ!』
「なら、お前らは人を殺せんのか?」
生徒達は馬鹿にしてるのかとブーイング。
それを無視して語る万部の声は反響物が少ない広場だというのに、全員の耳に響いた。
「…な、なにを」
「二度聞かないといけないか?殺人できるかって聞いてるんだよ」
これはハジメが最初に懸念していた問題。
殺人はおろか、牛などの家畜の解体すら経験していない自分たち生徒が殺すことができるのかということ。
「戦うのは魔人族なんだろ?なら問題ないだろ」
「お前らは何を言ってる?魔“人”族だぞ?魔物じゃねぇんだ、人の形をしてるに決まってるだろうが。部分的に特徴を持っただけで見た目は人と酷似してる。その事実を理解している奴がどれだけいる」
「そ…それは…」
「だ、だけどそれは実際に見てみねぇとわからねぇだろう!」
魔人族と戦う問題。
それを提示された彼らは実際に見てみないとわからないと口に出した。
「…これがその“魔人族”だよ」
だが万部はその逃げ道を許さない。
空間がちょっとゆがんだと思ったら彼らの目の前には人とは違う特徴的な耳と肌の色を持った存在がいた。
それが今から自分たちが戦うことになる“魔人族”であることは、すぐに理解させられたのだ。
魔物と呼ばれる獣ではない。
種族が違うだけの“人”を殺すことになるのだと。
皆が言葉を失う中、万部はどこからか剣を取り出して一人の男子生徒へ渡した。
天職は重格闘家の身長190cmを超える巨漢だ。
学生ながら寡黙な常識人であるがゆえに、彼が剣を渡してきた意味を永山はすぐに理解し、眼に恐怖心が浮かぶ。
「…理解したか?お前らが今から行おうとした行動を。彼らを殺す事実を…だ。最も今は眠らせてるから静かであるが、実際は違う。泣きわめくか呪詛を語るか怒るかはわからんが、そんな感情に曝された上でお前らは彼らを殺すことを強要される」
手元が震える永山から剣を取り上げると、永山は剣を失った瞬間腰を地面に下した。
異世界にきたことによる興奮とある種のストレスから、今まで見てこなかった問題を、改めて認識されられたのだ。
「教会の連中は厄介な奴らばかりだ。この世界の神と言われるエヒトとやらを完全に信仰しきっており、神の名の元にどんな卑劣な手でも凶悪な悪事にも手を染めるだろうな」
「…なら俺らはどうすればよかったんだよ!!」
あくまでも冷静に状況を語る万部に永山は慟哭した。
突然見ず知らずの土地に呼ばれ、クラスのリーダー格である天之河がまとめてなければ特定の人物を除いて処分が下されていたかもしれない。
彼らが生き残るためには、戦う道を選ぶしかなかったのは事実なのだ。
「だからこうして選択肢を持ってきたんだろうが。今すぐ帰還するか、それとも今回の貴重な経験を糧に地球で生きていくのかを…な」
「いやだから地球に帰る方法を…」
「だから持ってきてるから選択肢を与えてるんだろうがド阿呆」
『………はい……?』
平然と言い放つ彼に、唖然とするしか生徒達はアクションを取ることができなかった…。