サブタイトルを『赤涙』に変更しました。
降りしきる雨に打たれながら孤独に歩く少女。長らく無抵抗のまま雨に晒されていたのか、身に纏っている制服もミルクティーベージュの頭髪もぐしょぐしょになっていた。
未だ止む気配を見せぬ雨の中、少女は相変わらず歩いていく。すると、彼女の目の前に1人の少年が現れ、自身が持っていた傘を彼女の方へと差し出した。
「中須……お前こんなびしょびしょで、風邪引いちまうぞ?」
少年に問われた少女——中須かすみは、少年の顔を捉えた後に驚愕の表情を見せたかと思うと、突如として嗚咽を漏らし始めた。
「……ッ、ヒグッ……ッ」
「な、中須?」
戸惑う少年の手前、かすみは彼へと抱きつくと彼の胸元に己の顔を埋め聴いたこともない様な、悲痛な声を上げる。
「私……私ッ……!」
少年の制服の上腕辺りを強く握り、自身の中に込み上げてくるモノを必死に言葉にしようとする。だが、目の前に自身の想いをぶつけるべき相手がいるにもかかわらず、彼女の口からはそれ以上の言葉は出てこなかった。そうして両者の間に訪れた静寂は、暫しの間激しい雨音によって彩られていたが、それを破るかの様に少年が言葉を紡いだ。
「中須……?」
その声に反応し、徐ろに埋めていた顔を上げるかすみ。そこで彼女が捉えたものは、答えをまだかと待ち望む彼の顔。それが見えた途端、かすみは彼を突き放す様にしてその場から走り去った。
「中須!」
咄嗟に手を伸ばした彼であったが、その手はかすみには届かず虚しく空を掴んだ。すぐさま手を引き彼女を追う態勢に入った彼であったが、彼の視線の先には既にかすみの姿は無くなっていた。
「……ッ」
急がなければ手遅れになる。そう彼の直感が告げていた。何か、取り返しのつかないことが起きる、と。
「中須……!」
意を決した少年は傘を折り畳むと、激しい雨風に身を晒しながら自身の前から姿を消した少女を追いかけるのであった——
少年の前から走り去ったかすみが行き着いたのは人気のない路地裏。荒い息を整えながら、壁に両手を付けた彼女は大きく息を吸うと瞳から大粒の涙を溢れさせた。
「かすみんは……私は……!」
己の不甲斐無さと、相手からの気持ちが分からぬ故の不安。そして、自己中心的という先入観を持した少年への好意。それが、勝手な思い込みと彼女の中では決め付けられており、彼女の心を大きく蝕む要因となっていた。
「私のことなんて……好きじゃないよね。私が……一方的にそう思ってるって、だけだよね……」
酷く冷たい水滴は、彼女の温もりと涙を奪い無機質なアスファルトの上へと流れていく。どうしてこう上手くいかないのか。なぜここまで無情なことばかりなのか。そして何より、自分はどれだけ愚かなのか。
流れ行く雨粒たちを霞んだ視界で眺めていた彼女は、止めどなくこれまでのことを悲観し己を責め続けていた。そうして膨れ上がった内心は、許容値を超え弾けてしまい行動へとあらわになる。
「……こんな子じゃ、誰も好きになってくれないよね」
震える手で懐からカッターナイフを取り出したかすみは、白銀に煌めく刃を自身の左手首へと添える。そして、刃が腕を傷付けようとしたまさにその瞬間、彼女の耳に聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
「中須……ッ」
「……なんで……ここに」
かすみが振り向いた先にいたのは、全身びしょ濡れで荒い息使いの少年。それを見たかすみは驚いた表情を見せた後、カッターを両手で握るとその場にへたり込む。対する少年は手にしていた傘を開くと、それを彼女へとさした。
「なんでって……お前が心配だったから……。というかそのカッター……何するつもりだったんだ?」
少年の問いかけに対して、かすみは沈黙する。それにより再度、無機質な雨音だけがその場に響き渡った。その雨音に少年が不気味さを感じた途端、曇天の中を眩い一閃が駆け抜け、大きな音と振動が辺りに響き渡った。
「荒れてきたか……とにかく、このままじゃ本当に風邪引いちまうから、何処か移動しよ?」
そう言ってかすみへと手を差し伸べる少年。直後かすみが彼へと飛び掛かり、勢いのまま押し倒され馬乗りにされた。
「中須……?」
突拍子もない彼女の行動に、戸惑った様子で彼女の顔を見据える少年。そうして彼の目に映ったものは、瞳の端に涙を浮かべたまま壊れたような笑顔をこちらへと向けるかすみの姿であった。
「ごめんなさい、本当はこんなつもりじゃなかったんです。でも、見られちゃった……。だから……かすみんのわがままに、付き合ってくださいね」
震える声で言い切った彼女は、逆手に持ったカッターを両手で握ると頭上へと構える。それが何を意味するのか。少年は直感的に理解し、声を上げた。
「おい、待て……ッ!」
制止をかける少年であったが、それも虚しくかすみの手にしていた白銀の刃は彼の胸元へと突き立てられそれに遅れて鮮血が滲むと、彼の身体を痛みとなって駆け抜けた。
「アガッ……!」
激しい痛みを前にした少年は為す術も無く、ただただ痛みに顔を歪ませていた。対するかすみは、彼の胸に突き立っていたカッターを無理矢理引き抜くと、再度彼目掛け振り下ろす。
「な……かす……」
掠れ始めた声で、少年は目の前の少女の名前を呼ぶ。だが、彼女からの返答はなくその代わりと言わんばかりに刃が突き立てられる。その度に、彼の身体から飛び出した鮮血が雨に濡れた路面を、そして——かすみの制服を、顔を紅く染めていく。
その様子を眺めながら少年は思った。これは、己自身への罰なんだと。目の前にいる少女の気持ちを知りながら、素気なく接してきたことへの跳ね返りだと。
少年は、かすみが自身に対して好意を向けていたことを知っていた。加えて、その好意に晒されている間に、彼自身も彼女へと好意を抱いていた。だが彼は、その想いを無いものとして彼女と接してきた。その結果が、まさにこの状況なのだろう。自身の中でそう結論付けた少年は薄れ行く意識の中、力の入らない右手を彼女の頬へと伸ばすと優しく触れる。
「ごめん……な……」
少年の口から飛び出した謝罪の言葉を聞いた瞬間、かすみの動きが止まる。そして漸く、彼女は自身の前に広がった凄惨な光景が目に入った。
「あ……ッ」
自身の犯した愚行の結果を目の当たりにした彼女は、手にしていたカッターを落とすと未だ震える左手を自身の頬に触れた彼の手に重ねる。
「ごめんなさい……私……」
「謝ら……ないで……くれ」
掠れた声でかすみへと返答した少年は、咳き込み吐血しながらも新たな言葉を紡いでいく。まるで、最後の力を振り絞る様に。
「君が……俺を好きでいてくれたこと……わかってた……」
「……ッ?!」
少年の口から聞こえてきたその言葉は、かすみへ大きな衝撃となって届く。同時に、彼女の前にある光景が夢ではなく現実であるということを突きつけてきた。
「俺は……君の想いを……無下にした……。だからこれは……当然の報い、だろうし……何より、謝らなきゃ……いけないのは……俺の、方だ」
「そんな……」
重ねていた彼の手を強く握ったかすみは、瞳から大粒の涙を溢れさせる。その姿に先程までの狂気さは見受けられなかったが、代わりに大きな悲しみが現れていた。
「だから……ごめん。そして——
自身の本当の気持ちを微笑みと共にかすみへと伝えたところで、少年は事切れてしまったようで、彼の手は重力に従うようにして彼女の頬から離れ地に打ち付けられた。
「……ッ、……ウッ……ヒグッ」
全身を大きく振るわせたかすみは、鮮血に塗れた少年の亡骸に縋る様に抱きつくと、自身の顔を埋める。今はもう、喋らなくなってしまった少年のことを想いながら。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私……私はッ」
冷えた雨粒と未だ残る彼の温もりに挟まれながら、懺悔するようにかすみは泣き続けた。何度も何度も、彼の名前を呼びながら。だが返事は無く、無情な雨の音だけが彼女の耳に届くだけであった。
「なんで……こう、うまくいかないんでしょうね」
少年の鮮血に塗れた顔を上げたかすみは誰にとなく問いかけるように呟くと、先程落としたカッターを拾うと自身の左手首へその刃を当てた。
「私も……そっちに……行きますね」
目の前に居る少年へ向け、笑ったかすみは己の左手首を勢いよくカッターで斬り付けた。それにより彼女の左手首からも鮮血が溢れ出し、彼女の白い肌を赤く染めていく。
「さっきの貴方も……きっとこんな感じで、怖かったんですね。ごめんなさい……とても、怖い思いをさせて」
幾度目かの謝罪を述べたかすみは、再び彼の亡骸へ己の身体を重ねる。そして、徐々に暗くなっていく視界で少年の顔を一瞥した彼女は、自身の唇をそっと彼の唇へと重ねた。
「私も……貴方のことが……大好きですよ」
その言葉を最後に、かすみは瞳を閉じると、少年の後を追う様にして長い眠りにつくのであった。もし次があるのなら、その時は報われますように——という思いを携えて。