副虹   作:希望光

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泡影 〜水面〜

 とある秋晴れの日、校内を散歩していた近江彼方は中庭の芝生の上に腰を下ろした青年の姿を見つける。

 

「玲君、何してるのー?」

 

 彼方に呼びかけられた青年、御影玲は僅かに驚いた様子を覗かせながら彼女の方に振り向く。

 

「こんにちわ近江さん。その、天気が良いので自分の天日干しを」

「そっかそっか。隣座るね?」

「はい」

 

 玲の隣に座す彼方。そんな彼女を一瞥した玲は、遠くを眺めている様子を見せ、不思議に思った彼方が声をかける。

 

「何か考え事?」

「まあ、少し」

 

 俯きがちに頷いた玲の姿に、彼方は疑問を覚えた。普段あまり悩まない玲君が悩むとはどんなことなのか、と。

 暫し沈黙を保っていると、それを破るようにぽつりぽつりと玲が呟き始めた。

 

「なんとなく、疲れちゃった気がするんです」

「何に?」

「人生っていうか、生きるって言うか」

 

 そう言った彼の横顔にどこか懐かしさを感じる。暫し見つめた後に気が付いた。出会った頃の彼と同じ顔をしていることに。

 

「だからどこか遠くに行きたいな、って思ったんです」

 

 変わらず正面を向いたままで答えた玲。その傍らで、彼方は思い返す。玲と初めて出会った日のことを——

 

 

 

 

 

 彼方が玲と出会ったのは今から約一年ほど前。彼方のアルバイト先に、新人として入ってきたことがきっかけであった。

 よろしくお願いします、とどこかぶっきらぼうに挨拶しお辞儀した彼のことをなんとなくだが放っておけなく感じてしまった。お節介だろうと思いつつも。

 

「何か分からないことがあったら聞いてね〜」

 

 程なくして、チーフマネージャーから教育係に任命された彼方。当たり障りのない台詞を投げてみると、目の前の彼はコクりと頷いた。そうして青果部門の基本的な業務——野菜の陳列方法、売り場の配置、バックヤードの中の説明とこなしていく。この間、彼方が説明しては無言のまま彼が頷く、と言ったやりとりが繰り返しなされていた。

 

 ——あまり喋らない子なのかな? 

 

 内心で不安を抱えつつバックヤードを進んでいくと、突如棚に積んであった箱が崩れ、彼方目掛けて落下してきた。危ないと思い避けようとするが、体が反応できず落ちてくる荷物を眺めることしかできない。

 

 ——当たったら痛いだろうな。

 

 その思考と共に佇んでいると『危ない』という声と共に彼女の視界が大きく揺らぐ。そして我に返った時、自身の少し先に落下してきた箱とその中身が散乱していた。

 

「急に引っ張ってすいません……その、大丈夫ですか?」

「え、あ、うん……ありがとう」

「いえ……」

 

 謝意を述べた彼方に対して伏し目がちに応答した彼。そんな彼を見て彼方は気付いた。ほぼ初対面の彼のことを好きになってしまったと。

 まさかこんな形で人を好きになるなんて思っても見なかったが、間違いなく目の前の彼に心奪われてしまっている。ギャップ萌えというやつなのだろうか? いやその前の、先の自己紹介の時点からきっと、彼のことを好きになってしまっていた。『一目惚れ』と言っても差し支えないくらいには。

 

「……どうしよう」

 

 赤らめた顔を両手で抑えながら溢した彼方は、泳がせていた視線を徐ろに彼の方へと向ける。そこには、散乱した荷物を片付けようとしつつどうして良いかわからないでいる彼の姿。

 

「あの、近江さん……これは、どうしたら……」

「うーんとこれはね……」

 

 玲の側に寄り、散乱した荷物を片付け始める。少しずつ、彼との距離を縮められたら良い。そう思いながら片付けに取り組んでいく彼方。これが、二人の初邂逅であった。

 ここから暫し時が流れたところで彼方は知った。彼の過去と彼の想い他人の存在、そして自身の中に現れた嫉妬心について——

 

 

 

 

 

 回想を終えた彼方が“今”に意識を戻すと、傍らの玲が不思議そうな顔を彼女の方へと向けていた。

 

「自分の顔に……何かついてます?」

「ううん。なんでもないよ」

 

 首を横に振った彼方を見て、玲は納得した様子を見せつつ前に向き直る。そうして二人の間に沈黙が流れる中、彼方が口を開く。

 

「ねぇ、今からどこかに行かない?」

「どこか、というのは?」

「玲君が言ってた、どこか遠くの場所」

 

 問いかけに答えた彼方の姿に、不思議な感覚を覚える玲。彼が普段は見受けられない、儚げな雰囲気を纏った彼女に引き込まれていると徐に立ち上がった彼女が玲の手を掴んだ。

 

「行こう?」

 

 どこか寂しげな双眸と共に問われた玲は、一瞬の思考の後に頷くと彼方に手を引かれるようにして立ち上がる。そして二人はそのまま学校外へと向かった。

 

「玲君はどこ行きたいとかあるの?」

「一応……どこかとは言いましたが、候補は。はい」

「じゃあ、そこに連れて行って」

 

 彼方の言葉に頷いた玲は、彼女を引き連れ途中寄り道しつつも駅に赴くと列車に乗り込み、東の方へと向かっていく。そうして二人、乗り継ぎなどをしながら数時間かけて辿り着いたのは房総半島の東側、九十九里浜の南端よりも少し南に当たる東浪見海岸。

 

「おぉ。砂が黒いね」

「そうなんです。白浜じゃなくて黒浜なんですよここ」

 

 微笑しながら述べた玲は荷物を放り出すと、砂の上に腰を下ろす。それに続いて彼方も砂の上に腰を下ろした。

 

「お台場の海とは全然違うね」

「ええ。対岸が見えないからかな」

 

 彼方の呟きに頷く玲。その様子を見ていた彼方は、またしても彼に対して違和感を感じる。

 

「玲君、まだ何か考えてる?」

「……ええ、まあ」

「何について考えてるの?」

 

 彼方からの問いかけを受けた玲は暫し俯いた後、ゆっくりと顔をあげて暗く澱んだ双眸で彼方を見据えながら口を開く。

 

「このまま入水したら楽になれるのかなって」

「……死にたいってこと?」

「はい」

 

 僅かに間を置いて真意を問うた彼方に対して間髪入れず頷く玲。あまりの迷いのなさに彼方は慄いた。今の彼の異常さに。

 

「何か嫌なことでもあったの?」

「そういうわけじゃないです。ただ、消えてしまいたいって、そう思っただけです」

「玲君……」

 

 吐露された彼の思いに同情のような念を抱いた彼方。今の彼に対してなんて返すのが正解なのだろうか、と考えた後に徐ろに問いかける。

 

「——じゃあ、一緒にいく?」

「え?」

 

 思いもしなかった言葉を投げられた玲は驚きながら顔を上げる。対する彼方は、優しい笑みを携え諭すように続きを述べていく。

 

「一人はきっと、寂しいよ?」

「でもそれじゃあ……」

「玲君とならいいよ」

 

 玲の言葉を遮るように、自身の胸中にある想いの、最も本質に近いモノを言葉にしていく。

 

「どうして、です?」

「玲君の事が好きだからだよ」

 

 問いを為してきた玲に、自身の一番深いところにある感情を告げる。初めて会った時から、今の今までずっと秘めていた感情(オモイ)を。

 

「そう、なんですか」

「うん。だから、玲君がどこかに行ってしまうのなら、私もそこについて行きたい。一緒に、泡になりたい」

 

 発された彼方の言葉に驚いた様子を見せた玲。互いに視線を交わし沈黙している中、徐に玲が言の葉を紡ぐ。

 

「……本当に、いいんですか。自分なんかと一緒で」

「違うよ。玲君だから一緒にいたいと思ったんだよ」

 

 優しげな笑みと共に返された彼方からの言霊は、玲が食い下がるのを止めるには十分なほどの力があった。

 

「……なら、一つお願いしても良いですか」

「何を?」

「先に自分のことを——留めてくれませんか」

 

 真剣な眼差しで問うてくる玲を目にした彼方は首を縦に振り、その願いを成すため、浜辺に横たわった彼の上に馬乗りになる。

 そして玲の首元に両手を当てた彼方は、か細い腕で力一杯彼の喉元を締め上げる。謝罪の気持ちと彼のためであるという、相容れない感情を抱えたまま締め上げているうちにいつしか玲の意識は飛んでしまっていた。

 そんな彼を膝枕し、頭を撫ぜる彼方。もっと早くに自身の気持ちを伝えていればこんなことにはならなかったのだろうか、と思いながら。

 

「……二人ならきっと、怖くないよね」

 

 暫し玲の頭を撫でていた彼方は、意識のない彼の身体を抱き締めると優しく、けれども悲しげに問いかけながら厳しい冷たさの海に身を浸し、浜から離れた場所へと進んでいく。

 一歩、また一歩と進むごとに沈んでゆく二人はやがて、足のつかない深場に至り、完全に水底へと連れ込まれた。

 

 ——足がつく場所へはもう戻れない。

 

 彼方が覚悟を決めた時、彼方の腕の中にいる玲が覚醒し、激しく踠き始めた。

 いくら彼と言えど、急に酸素のない場所で目覚めパニックに陥っているのだろう。自身の腕から抜け出し、水面へ上がっていこうとする玲を引き止めるように手を掴んだ彼方は、彼の頭に腕を回すと自身の方に引き寄せ口付けをする。

 

 ——ごめんね、玲君。でも、大好きだよ。

 

 胸中で謝罪と好意を述べながら、今生最後かもしれない愛しの相手との口付け。もうこのまま、光の届かないところまで沈んでいきたい。そう願う彼方の手前、いつの間にやら微睡むような表情をしていた玲の身体から力が抜けていき、肺に残っていたであろう最後の空気を吐き出しながら、事切れたように彼方と離れてしまう。

 そんな彼のことを再び抱きしめた彼女は、息が切れ彼と同じく空気を吐き出したその瞬間、命が潰える間際で目にした。眼前の彼の安らかな表情を。

 

 ——ありがとう。彼方ちゃんのわがままを受け入れてくれて。また、玲君と出会えるといいな。

 

 自身の嘘偽りない思いを浮かべながら彼女もまた、玲を追うかのように事切れてしまった。そして抱き合った二人は、光のない暗く静かな海の底へと沈んでいくのだった。

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